日本語を織りつむぐ幻燈の祠


「ウォーターメロンマン」

(C)羊さん@「羊の家」
挿絵:羊さん(羊の家


 純愛も不純もキルトのように織りまぜて、街は果てしなく爛熟していた。
 季節外れの男が、やたら怒り散らしながらやって来る。その特徴的なまんまる頭に、道行く人は必ずみんな目を留める。真冬の景色にまったく馴染まない――男の頭はスイカなのだ。果物屋に並ぶ、あのスイカ。
 忌まわしき二月十四日、街はラブ・イズ・オーケイな恋人たちで溢れかえっていた。本命だの義理だのと知人を区別して盛り上がり、ガーナの恵みに感謝するわけでもなく、ただ糖分を過剰摂取するのだ。その点、スイカ男には甘みも水気もたっぷりあるが、ただ愛だけが足りなかった。黒い種なら吐き捨てるほど余っている。スイカ男は、路上で視線をからめ合うカップルを見かけては種を飛ばし蹴散らしていた。
 彼は自分の頭がスイカになった日のことを鮮明に覚えている。暑い夏の夕暮れ……ホテル街の狭い路地で、彼は自慢の彼女を連れて悠々と闊歩していた。だが、そこに爬虫類面の怪しいスイカ売りが通りかかったのが最大の不幸だった。若い彼は周囲に無頓着で、スイカ売りの担ぐ竿にぶつかってしまったのだ。だって、彼女がクレープ屋を指差しはしゃいだもんだから。
 スイカ売りは逆上し、気炎を吐いて激昂した。若い彼は虚をつかれて何か余計なことを口走ったのだろう、スイカ売りは咄嗟に天へ跳び上がり、大きな一玉を彼の脳天に撃ち込んだ。鈍器で殴られたような衝撃が体を貫き、一瞬、意識が刈り取られた。目を覚ますと頭がスイカ。可愛い彼女は怯えて逃げた――。
 おかげで彼は世界一頭部がもろい男になった。スイカなんて割れたら最期だ。カラスはうざい、危険だから海にも行けない、と想定外のリスクだらけ。彼女は二度と帰ってこないし、この頭ではもはや新しい愛なんて望むどころではない。あれ以来スイカ売りの姿もまったく見かけず、冬になり風の寒さが増すごとに、彼の気持ちはすさんでいった。
 挙句の果てが、他人に種を飛ばす有り様だ。口さみしいとつい飛ばしてしまうので、近頃はガムを噛んでいて、息だけは妙に清潔だった。

 忌まわしき二月十四日、夜になっても相変わらず街はトゥナイト・オーケイな恋人たちで埋め尽くされていた。独りで歩くのが罪なほどそれは明白で、たとえ今夜テロ予告があったとしても、恋人たちはそれぞれ世界の中心で快を叫ぶのだろう。実際、平穏な一日だから余計に悔しい。
 種飛ばしにも疲れて、繁華街の中ほどにある公園のベンチに腰かけた。手には缶ビール。なんてザマだと吐き捨て、一気にあおる。ビールを吸ったスイカ頭はさらにぐずぐずになるかもしれない。いっそこのまま跡形もなく融けてしまえば楽なのに。背もたれに寄りかかり、アーケードの隙間から黒い夜空を見上げてみる。隕石でも落ちてきて盛大に頭を割ってくれないかなぁ、おい。……スイカ男は頭がこっぱみじんに砕け散る瞬間を想像し、不意にまた温もりが恋しくなった。
 立ち上がり、駅に向かって歩き出す。気力も果てた。胃の中でビールが冷たく笑っている。今日何度目かのため息をもらしたとき、背後で数人がバタバタと駆け寄る足音がした。
「いたぞっ! スイカ野郎!」
 振り返れば群青色のジャージ姿の高校生が群れをなし、こっちを指差していた。なんだ小便臭いガキども、童貞のお前らに種をぶつけた覚えはないぞ。
「捕まえろ!」
 連中は妙に殺気立って突っ込んでくる。捕まえる? そうか、連中のリーダーに種を当てたのかもしれない。スイカ男は一瞬受けて立つ構えをしたが、さすがにこれは多勢に無勢だ。エプロン姿の女の子にスライスされるなら本望だが、こんな汗臭い奴らに頭を砕かれるなんて論外だ。スイカ男は慌てて背を向け走った。
 くそっ、ビールなんか飲むんじゃなかった。腹の中で泡立ち、のどを逆流するような不快感が込み上げる。後ろではガキどもが「待て、スイカ野郎!」としつこく連呼するので、帽子屋の店先から大きい帽子を引ったくってかぶった。帽子が頭を滑るのを片手で押えつつ、カップルだらけの人だかりを縫って疾走する。
 すると、前方の人の流れにも不自然な乱れがあった。まさか挟まれたか――と足を止め、看板の陰に身を隠す。同じジャージ姿の連中が現れたが、口々に叫ぶ言葉を聞いて愕然とした。
「メロン女はあっちへ行ったぞ!」
 ――メロン女!
 スイカ男は思わず声を出してしまった。痩せぎすの茶髪のガキと目が合った。
「あっ、スイカ野郎もいるぞ!」
 考える暇もなくスイカ男は路地へ逃げ込んだ。メロン女が向かったと言う方角だ。連中を撒くのは大変だが、それでも一目その女に会ってみたい、頭がメロンなのかどうなのか、なぜ彼女も追われているのか、知りたいことは尽きない。
 走るほどスイカ頭の温度は上がり、気持ち悪さが増していく。早く水で頭を冷やしたい。だが、何かに飢えた心がメロン女を捜せ捜せと訴える。好奇心に動かされる感覚なんて久しぶりだ。
 彼女ならどこへ逃げるだろうか。駅は危険だ。もし自分と同じ目立つ頭をしているなら、きっと暗がりへ向かうはず。思いつくのは――繁華街を抜けた先にある河原だった。方角も合っている。スイカ男はそこに当たりをつけて走り続けた。酔いが回って脳天がぐらぐらする。本当に頭が融けて崩れるかもしれないが、残る気力を振りしぼり、足を前へと突き出した。

 黄色やピンクの毒々しいネオン街を抜け、舗装された土手に出ると、冷たい川風が一気に身を包んだ。川辺の夜景を楽しむ飲食店がずらりと並び、その下には真っ黒な川が粘っこく流れている。メロン女は河原に逃げてきただろうか。
 ひとまず、自分の追っ手は完全に撒いたようだ。足に自信があるほうではないが、ここぞのスタミナは有り余る水分と糖分のおかげかもしれないと苦笑する。
 だが、気を休めたのも束の間、少し離れた場所でまた下衆な騒ぎ声が起こった。河原を見下ろすと、あれがまさか――やはり頭に大きな帽子をかぶった女の子が向こうから走ってくる。数人の追っ手どもが「待て、メロン女!」と追走する。迷っている暇はない。
「そこの階段を上がって来て! 一緒に逃げよう!」
 スイカ男は河原に身を乗り出し、大声で呼びかけた。彼女は驚いて顔を上げた。暗くて表情は見えない。今のでどれだけ意図が伝わったか分からないが、不意の事態に戸惑ったせいか、彼女の足が鈍った。まずい。
「俺はスイカなんだ! 安心して!」
 意味不明だが、そう叫ぶしかなかった。これで想いを届けるしかなかった。
 すると、どう理解したか、彼女は再び必死に足を動かした。夜風に身を縮め、白い手で帽子を押え、息を切らして階段を駆け上がってくる。粗野な連中がぞろぞろ続く。土手の勾配はきつく、階段以外では昇れない。彼女が昇り切ると、スイカ男は追っ手を遮るように立ち塞がった。そして、近くにあった増水対策用の砂袋を担ぎ上げ、階下に投げ落とした。野猿のような悲鳴が起こる。
「ちくしょう、このスイカ野郎っ!」
 吠えるだけ吠えろ、根性比べだ。スイカ男は躍起になって、さらに一袋、二袋――奴らの気力が萎えるまで投げ落とす。砂袋はまだ大量にある。メロン女は足を止め、ぜいぜいと喘いでいる。怒りが込み上げ、スイカ男はそばにあった鉄製の遊泳禁止の立て看板を台座ごと担ぎ上げた。頭上の外灯に照らされて、階下の連中にはいっそう威圧的に映った。
「おい、あいつ狂ってるぜ! 俺らを殺す気だ!」
 何人かが弱音が吐き、勝手に離散した。おい、おいっ、と他の連中も追いすがり河原の闇に消えていく。やがて、土手の上には看板を下ろすスイカ男と、うずくまるメロン女だけが残った。

 お互い帽子を外すと、まさに予想通りだった。男の頭はスイカで、女の頭はメロン。少し沈黙があった後、二人は安堵の笑い声を重ねた。
「『俺はスイカなんだ、安心して』――か」
 彼女はスイカ男が叫んだ言葉を思わしげに反芻した。声は少し幼い。
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ……」何だろうか。スイカ男はどう続けようとしたか忘れてしまった。そしてただ、目の前にいる女の子の首にメロンがのっているのを改めて興味深く見つめた。
「巻き込んでごめんなさい」
「いや……俺もあいつらの仲間に追いかけられてたし」
 メロン女と聞いて親近感を覚えたなんて言えやしない。
「あ、そうなの?」
 驚いて彼女は聞き返す。
「奴らのリーダーに種を吐いてぶつけたんだと思う。カップルに見境なくやってたから」
「あっ――ほんと?」
 語尾になぜか少し嬉しそうな響きがあった。スイカ男は逆に尋ねた。
「どうして追いかけられてたの?」
「ふふっ。あたしもそいつに種をぶつけた」
「えっ」
「固くないけど、メロンにだって種はあるよ」
 んべっと舌の上に白い種をのせながら、彼女は明るく答えた。
「……ああ。でも」
「あたしね、今はこんなだけど、その前はあいつらと同じヤンキーだったの」足が張るらしく、ぽんぽん叩く。「でね、リーダーと付き合ってた。だけど、こうなっちゃって捨てられたの」
 夜の鳥がどこか木の上で鳴いていた。
「もう未練はなくなったはずなんだけど、今日そいつが違う女といちゃついて歩いてるの見たら、口からぴゅっとね、種が飛んじゃった」
 つまんない話だね――と彼女はうつむいた。
 厚い緑の皮で覆われた純情の紅い実がじゅわっと火照る。スイカ男は黙って首を横に振った。
「……帰ろう。駅まで送るよ」
「ううん、危ないから車にするね」
 手を引いて起こすと、彼女は寒さで身震いをした。タクシーを拾うまでの間に携帯番号を交換し、あとは静かに別れを告げた。おずおずと手を差し出すと、くすっと笑い、やわらかい手で握り返してくれた。
 テールランプが遠ざかる。夜の街では眠らぬカップルどもが退屈な愛を語り合っている。スイカ男は大の字に立ち、息を吸った。
「――お前ら、世界はこれを愛と呼ぶんだぜ!」

(おわり)




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