岐阜市平和資料室


2009年4月 訪問


1945年 7月9日 23時34分

米航空軍第21爆撃機集団 第314群団のB-29の編隊135機が熊野灘より侵入し、
一夜のうちに岐阜市街地の80%、家屋50%を焼失。863人が亡くなり10万人が家を失うという、
岐阜市に未曾有の大惨事をもたらしました。

岐阜空襲。

米軍の報告では目標の107%を破壊し、名古屋周辺の都市部の中で特に効果を挙げた攻撃だったとしています。


大戦末期には広島、長崎の原爆投下をはじめ、地方都市への夜間無差別爆撃と、日本を焦土とするため繰り返し行われた空襲。
卑劣極まりない空襲の爪跡を後世に残そうと、戦後日本各地に資料館が建設され当時の記録が数多く保存展示されています。


JR岐阜駅に隣接するハートフルスクエアーGにある岐阜市平和資料室。
岐阜空襲に関しての資料はここに詳しく掲載展示されています。

一地方都市の空襲なのであまり多く語られることのない岐阜空襲ですが、当時を偲ばせるパネルや写真がたくさんありますので、
こじんまりした資料室とはいえ、岐阜市民なら是非一度は足を運んでいただきたいと思います。





ガラス越しにヨガに勤しむ主婦を横目に階段を二階へと昇ります。
一番奥の一室に岐阜市平和資料室があります。
ロクに宣伝もしていないせいか見学者は誰もいません。係員の姿もありません。





入るとまず千羽鶴がお出迎えです。
この鶴は後日、広島の平和記念公園へ送られるとの記載がありました。

『戦争の無い平和な日々を祈って』
などなど、ありがちなメッセージが添えられています。
祈れば平和にありつける程、戦争の予防は単純ではないと思いつつ、祈らざるをえないのが人間というもの・・・。
ということにしておきましょう。












E-46型500ポンド収束焼夷弾のレプリカです。
かなりデカいです。落下だけでも相当な破壊力がありそうです。
ちなみに岐阜空襲では、これがなんと12,221発も投下されました。




落下時のバランスの為、小さなフィンが二つ付いていました。収束焼夷弾ってこうなってたんですねぇ。
知らなんだ。






実にわかりやすい説明です。
収束焼夷弾の中に筒状の小さな焼夷弾が38発束べられており、
B-29から投下され数秒でバンドが外れ空中にばらまかれるという仕組みです。
こういうクラスター爆弾は非人道的過ぎるため、世界中で使用禁止への動きが高まってきています。









こちらは実物のM-47型100ポンド焼夷弾。
収束焼夷弾に比べ投下数は少ないですが、それでも2,387発が落とされました。








当時、長良橋にあったワラ人形。
長良橋とは長良川に架かる橋の中で最も有名な橋で、長良川の風物詩である鵜飼もここから船が出ています。
今はホテルや旅館が建ち並ぶ岐阜市最大の観光スポットといえる場所です。
右からルーズベルト、チャーチル、蒋介石です。











岐阜空襲時に使用した米軍の地図です。
黒く塗りつぶされた目標は工場、学校、寺院など。
ちなみに自分の自宅も目標のすぐ横でした・・・。
やはり空襲によって全焼しています。









米軍が撮影した当時の岐阜市中心部の写真です。
右上の山は夜景のスポットとして知られる水道山で、岐阜城のある金華山はもう少し右にあり写真からは切れています。
写真中央の太くクロスした交差点付近が現在の柳ヶ瀬です。
柳ヶ瀬とは岐阜市最大の繁華街であり、東京で言えば渋谷みたいなもんです。
美川憲一の柳ヶ瀬ブルースで世界中にその名を知らしめました。
2009年現在、その約9割の店舗がシャッターを降ろしていますが・・・。

ちなみに中央のクロスする道路が妙に太いのは、空襲を警戒し建物疎開(戦火による火災の広がりを防ぐため、
建物を強制的に取り壊す)の跡です。
しかしせっかく行われた建物疎開も、米軍が撮影したこの精巧な航空写真をもとに空爆したので、あまり意味が無かったようです。

燃える前の自宅が写っています。あまりに小さくて点にしか見えませんが。











この円の中心が爆撃中心点です。
現在の金華橋通りと徹明町通りの交差点、金町5です。金神社がある場所です。
上空からこの中心点を狙って投弾すれば、焼夷弾の半数は円内に落下するらしいです。
あ~。自宅が円の中・・・。









西陸橋から出土した遺物です。
空襲の高熱で溶けてしまったピンや、焦げた瓦礫など、当時のまま展示されています。










旧丸物百貨店8階階段の壁です。
空襲の凄まじさを伝えるように真っ黒に焼け焦げています。
丸物百貨店は当時の岐阜を代表する建物で、空襲が終わった明け方に、周囲の熱により発火し全焼。
周囲の熱で発火とは恐るべし・・・。







これが空襲後の丸物百貨店の様子。








焼け野原となった岐阜市。





左は内部全焼の市役所(美江寺公園)。右は現在の中日新聞ビル前(美殿町通り)。





被害は他の都市爆撃に比べ、飛び抜けて多い数字になっています。

これは
① 四日市を先に攻撃することで市民の注意をそらした上での奇襲だったこと。
② 長良川、金華山という地形を利用し市民の逃げ場をなくしたうえでの攻撃だったこと(包囲火炎戦法というらしい)
③ この時まで一家に一人は家に残り初期消火にあたることが義務づけられていたこと。
④ 防空壕に逃げれば安全と信じきっていたこと。
などの結果だそうです。






左は6ポンド焼夷弾(実物)。E-47収束焼夷弾に38本詰められているうちの1本です。
岐阜空襲で投弾されたE-47収束焼夷弾の本数が12,221発。
なので写真の6ポンド焼夷弾は464,398本が投下されたことになります。
凄まじい数・・・。

右は先祖から受け継いだ中世の兜ですが、飾を外し防空用として使用されたもの。







狭い室内に関わらず、このように見応えのある資料は結構あります。
もしJR岐阜駅に用事のある際は是非立ち寄ることをオススメします。







岐阜駅改札から走れば1分です。
入場は無料。
興味のある人なら2時間は潰せます。
興味のない人でも3分間は潰せます。

喫茶店でコーヒーを飲みながら電車の時間を待つよりも、きっと有意義な時間を過ごせるはずです。








ちなみに岐阜市は平和都市宣言を行っています。
全く知らなんだ・・・。




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