那須烏山市の城館

 

          興野城
攻城日 天候 評価 遺構
2017,12,28 晴れ D 土塁  
攻城コメント 残存する土塁
興野城は那珂川の東岸、興野大橋の袂に構えられていました
現在は一部遺構を残します

下那須氏を継いだ那須資持の子・持隆が興野に
領地を分与され文明7年(1472)に7人の家来と共に移住し
居館を構えました
以後は興野を姓として下那須氏に仕えます

興野氏は代々武勇に優れ那須氏の合戦での活躍が
那須記などに記されます

戦国末期、那須資晴と対立した隆慶は弟・伊隆に家督を譲り、
宇都宮氏に仕えます
武勇に優れた家柄だけに剛毅な人物が多く魅力を感じます

現状は耕作地、宅地となりますが那珂川の段丘に面した
竹ヤブの中に土塁が残ります

参考  烏山町誌(全)、  栃木県史/史料編(那須記)
     那須の戦国時代/北那須郷土史研究会

 

興野城の航空写真(電子国土空中写真1974〜78を使用して作図)
 

               烏山城
攻城日 天候 評価 遺構
2010,1,3 晴れ C 石垣、堀切など
攻城のコメント 常盤郭の石垣
下調べをまったくせずに何となく訪れましたが
意外としっかり見学できました。
那須氏の城という以外に予備知識がほとんどなかったので
石垣や大きな横堀をみて驚きました。

正月早々、妻と二人で朝から栃木県内の山城三昧で
ここを訪れたのが2時過ぎでした。
十二曲がりという搦手側から登ること15分ほどで山頂へ着きます
「中世山城としては大きいな〜」などと感心しながら足早に
各郭を見学してまわります。
石垣広や横堀は迫力ありますね。
とくに横堀は巨大過ぎて撮影が困難でした。
城内はヤブではありませんが樹木が多く見通しが悪いです。

大手から麓に降りて居館が構えられて3郭も見学しました
こちらも見所の一つなんでしょうが山城部分から見学したので
感動はありません。
帰りに郷土資料館(休館でした)へ立ち寄ったら大手門礎石が
資料館入口脇に展示されていました。
山頂の縄張りが巨大で私の好みではないのですが遺構状態は
良好で案内板、標示が各所に設置され好感の持てる城です。
 
   備考  
烏山城は応永25年(1417)に那須氏一族の沢村五郎資重が
築いたといわれます。
その後、資重の子孫の下那須氏の拠点となります。
那須氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参戦しなかった為に
所領を没収され変わりに尾張から所領を没収された織田信雄が
2万石で2ヶ月足らずですが居城しました。
麓の3郭は万治2年(1659)に堀親昌が御殿を設けた場所で
それ以後の城主は3郭に居住し明治まで城は存続しました。

参考  現地案内板
烏山城の写真集

          滝田館
攻城日 天候 評価 遺構
2017,12,27 晴れ D 堀跡など
攻城のコメント 段丘際の郭と堀跡
滝田本郷地区、那珂川の段丘上に那須資隆の
子・六郎実隆が構えたと伝わる滝田館はありました
現状は宅地、耕作地となります
国道294号線の開通により遺構はほぼ消滅したとのことです
それでも国号脇には堀跡と考えられる地形が残ります
北側の谷沿いと思われますが土塁の画像(昭和63年撮影)が
掲載されていますが確認していません

平安末期から滝田氏の拠点で戦国末期まで同氏はこの地を
領していました
那須家に仕え佐竹氏、宇都宮氏との合戦で活躍します
戦国の終わりには大関氏に仕え黒羽に移住します

参考  那須の戦国時代/北那須郷土史研究会
     那須与一とその時代/なす風土記の丘資料館
     栃木県の中世城館跡

 

滝田館の航空写真(電子国土空中写真1974〜78を使用して作図)
 

 

          稲積城
攻城日 天候 評価 遺構
2010,1,3 晴れ 土塁  
攻城のコメント 略図(現地案内板より)
戦国期の那須氏について詳しくないのですが烏山城を
拠点にした下那須氏初期の拠点であり、
穀倉地帯を抑える重要な支城であります。
那珂川と旧那珂川流路によってできたと推定される
中洲状の段丘に築かれています。
城域は広く大半が畑、集落となりますが遺溝が散在し、
所々で確認できます。
下館といわれる郭に跡の民家脇の土塁が印象的でした。
 
備考 標柱
稲積城の歴史は非常に古く天仁2年(1109)、
那須(守藤)資通が築いた館にはじまるとされています。
平治の乱(1159年)で源氏に味方した那須氏は
一時期没落し甲斐に逃れていた資通の曾孫・資房が
永万元年(1165)に帰国した際に「稲積明神」を勧請して
稲積城と名付けたと伝わります。

応永24年(1417)頃、那須一族の沢村五郎資重が那須宗家に
居城を追われ稲積城に逃れ、これを修築します。
これが下那須氏のはじまりです。
烏山に居城を移すまで本拠地として使用されました。

(参考 現地案内板、 那須与一とその時代 )
 
矢場の土塁 下館の土塁
        

 

 

●南那須町

 

 

 

 

 

               森田城
攻城日 天候 評価 遺構
2010,1,3 晴れ C 堀、虎口、土塁
攻城のコメント 駐車場から見た城
旧南那須町森田字今宮台、荒川と逆川の合流点の南に聳える
丘陵上に築かれた山城が森田城であります。
山麓の芳朝寺に森田城専用の駐車場(トイレ付き)に車を止め
10分弱で主郭まで登れます。
途中、大田原氏(分家)の墓所がありますがので一緒に
見学するのも良いですね。

城ですが主郭の虎口が良いですよ。
喰違いの坂虎口で横矢の張り出しが気に入りました。
堀の規模も大きく良い城です。
しかし、公園として整備されて入るのですが主郭半分は
ヤブに覆われております。
というか大半がヤブで撮影に不向きな城であります。
なので私は主郭の南側は見学しておりません。
虎口のみで満足したので後悔はありませんよ(笑)
 
備考 堀切
森田城は文治3年(1187)に那須資隆の長子・光隆が
森田氏を称して築いた城といわれます。
森田氏は数代で絶え廃城になったそうです。

戦国期に那須資高(下那須氏)の弟・資胤が森田弾左衛門と
名乗り森田城を本格的を居城とします。
後に那須氏を継ぐ資胤に代わり弟の資安が森田氏を継ぎ
城主となり烏山城の重要な支城でありましたが
天正18年(1590)小田原に参陣しなかった那須氏は
豊臣秀吉により改易されます。
森田氏も主家と共に滅び城は廃されます。

(参考 現地案内板  )
 
主郭の虎口
 

          堀之内館
攻城日 天候 評価 遺構
2017,12,28 晴れ C 土塁、堀、虎口  
攻城コメント 土塁と堀
2017年暮れ、那須の城をめぐる旅の締めくくりがココでした
堀之内館は方形館で南側、大手口の土塁が見事でした
状態と雰囲気が良く感激しました
虎口には崩れかけた六脚門が保存されています
当時の門とは思えませんがとても古そうです

しかし遺構が残されているのは南面と一部で西と東側です
立地も在地領主の居館に相応しいもので現在でも
田園風景に馴染んでいます

規模は東西105m、南北88mほどになります

館主やその歴史は不明なのです
集落に面した館跡で堀之内という中世的な地名がつき
東側の丘陵には下川井城があります

聞き込みをすれば伝承くらいはわかりそうな気もします

参考  南那須町史/資料編
     那須の戦国時代/北那須郷土史研究会

 

堀之内館の近景
 
堀之内館の航空写真(電子国土空中写真1974〜78を使用して作図)
 

          月次館
攻城日 天候 評価 遺構
2017,12,27 くもり D 土塁
攻城のコメント 現状
日没後、ついでに立ち寄った場所になります
今回の旅の目的地の一つでノンビリ見学したかったのですが
薄暗い時間帯に館跡の脇を通過することになりました
スルーせず簡単に見学を済ませました

宅地と耕作地となりますが館跡の土塁が点在します

何時の時代か?那須一族により築かれたと伝わります

戦国期には興野氏の祖・持隆の子・隆共が月次村に領地を
得てその拠点とします
2つ郭で構成された館ですが現在では構造を
確認することは難しいでしょう
堀ノ内の小字が残ることから元々は単郭で戦国期に
複郭となったのでしょう

参考 南那須町史/資料編、 栃木県史/史料編(那須記)
    那須の戦国時代/北那須郷土史研究会
 
月次館の航空写真(電子国土空中写真1974〜78を使用して作図)
 

 

          上川井城
攻城日 天候 評価 遺構
2017,12,27 晴れ D 土塁
攻城のコメント 城域の南東にある五輪塔
那須記に記される上川井合戦について非常に興味を持ち
この城は訪れてみたいと思っていました

そして南那須町史に掲載される想像復元図を見て??
と思い再訪してみたいと思った城跡です

年末の日没後、あたりが暗くなる頃に城跡近くに到着しました
徒歩で城跡一帯を簡単に見てまわりました
土塁がありますが撮影は出来ませんでした
というか土塁だと気づいてなかったのです^^
城跡らしさを探して広範囲に見てまわりましたがよくわかりません

しかし古道を取り込み川の水を引き込み外郭まで構えた
城とされているだけにもう一度訪れてみたいと思っています

那須高家という人物が築いたとされます
戦国期には上川井出雲守資兼の居城となります

大永元年(1521)岩城氏、白河結城氏、宇都宮氏などの
連合軍が那須に攻め込み上川井城を囲みます
10日間に及ぶ籠城戦の末に落城しました
真偽はともかくとして那須記に記される内容は
面白く考察が楽しくなる城跡です

参考  南那須町史/資料編
     那須の戦国時代/北那須郷土史研究会
     栃木県史/資料編(那須記)
 
上川井城の航空写真(電子国土空中写真1974〜78を使用して作図)
 

          熊田城
攻城日 天候 評価 遺構
2017,12,27 晴れ E なし  
攻城コメント 熊田城の遠景
那須家5代目当主・光資の子・光村が貞応年間(1222〜24)に
熊田を与えられ開発領主として居館を築きます
同氏は一時断絶しますが戦国初期に熊田摂津守道実により
再興されます
城はこの頃に築かれたと考えられます
那須家の没落と共に熊田家は断絶します

城は現在耕作地となり遺構は残りません
略測図が残り多角形単郭の城であったことがわかっています
那須氏の城の特徴がよく表された郭の形です

参考 南那須町史/資料編、 栃木県史/史料編(那須記)
    那須の戦国時代/北那須郷土史研究会
 
熊田城の航空写真(電子国土空中写真1974〜78を使用して作図)