前橋のお酉さまと熊野神社
 11月の酉(とり)の日はお酉さまといって、大鳥神社・鷲(おおとり)神社の境内や参道に市(酉の市)が立つ。お酉さまの名物は宝船・檜扇・お多福のお面・千両箱・金万両の紙などで飾りつけられ熊手で、「福をかきこむ」という縁起物である。
前橋のお酉さま
 お酉さまはもともとは稲の収穫を祝う祭りで、そこで熊手などの農具を売る市が立ったものと思うが、時代が下るにつれて、開運利福、商売繁盛の祭りに変わっていったようだ。
熊手を売る露店
 11月に入って最初の酉の日を一の酉といい、順次二の酉、三の酉と呼ぶ。11月中に三の酉のある年は火事が多いという。今年は三の酉まであるようだから、俗信とはいえ、火の用心にこしたことはない。
 今年(平成27年)の一の酉は11月5日で、前橋市千代田町三丁目の熊野神社で酉の市祭が行われた。熊野神社は立川通りを東に向かい、諏訪橋の少し手前を左手に入った所にある。この地は古くは「熊野の杜」といわれ、うつそうとした木立につつまれた神域であっという。また、熊野神社は親しみを込めて「おくまんさま」と呼ばれた。祭神は櫛御気野命(くしみけぬのみこと)(素戔鳴尊)である。
開運八咫烏御影開扉
 参道にはお決まりの熊手を売る露店、境内には開運八咫烏(やたがらす)御影開扉、八咫烏石お神拭(みぬぐ)い、熊野八咫烏獅子神楽伝承会の公演などもあり、多くの参拝客でにぎわっていた。お酉さまと八咫烏は関係ないと思うのだが、なぜか八咫烏に関するものばかりが目につく。八咫烏は熊野神社の神使で日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている三本足の烏である。熊野神社の祭日に酉の市が立ったということなのだろうか。
八咫烏の舞
 前橋のお酉さま(酉の市)は明治の初期に始まったようだが、熊野神社で行われるようになったのは、そう古いことではない。お酉さまは当初、千代田町四丁目にあった小石神社で行われていた。小石神社はもと八坂神社で、栃木の佐野在の大鷲神社の分霊を併せて祀っていた。八坂神社は明治四十二年に琴平宮、白山神社を合祀して小石神社と改称している。社号の「小石」は橘山にあったいう小石(日本武尊の腰掛け石)を祀っていることによる。
八咫烏の紋章
 小石神社は昭和46年に前橋市敷島町移転している。跡地にはスズランデパートが進出したが、現在でもデパートの屋上に小石神社の分社が祀られている。小石神社が前橋の郊外に移ったことで、お酉さまは一端途絶えたようだ。
 お酉さまは昭和51年に、地元の熱意で同じ千代田町内の熊野神社で復活した。この時、大鷲神社のご神体の「鏡」を熊野神社に移している。前橋のお酉さまが表面上熊野神社の祭礼のようになっているのは腑に落ちないが、やはり大鳥(鷲)神社が関係しているようだ。
 なぜ熊野神社かは、よくわからない。一番の理由は同じ千代田町内の商業地にあったことだと思う。酉は鶏であり、鶏と八咫烏の鳥つながりであったかも知れない。熊手と熊野の熊つながりは考え過ぎか。

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