天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

大空をはるかにあおぐと、月が美しく輝いている。
あれは私の故郷、春日の三笠山にかかる月と同じものなのだ。

《阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)》

留学生として唐に渡り、玄宗皇帝のもとに仕えた。
唐では李白・王維らとも親交があった。


明州の浜辺で日本の遣唐使一行の歓送の宴が開かれている。
遣唐副使の吉備真備は宴の喧騒を避けるようにして、暗がりで一人盃を傾けていた。
冴え冴えと明るい月の光が打ち寄せる波に映ってゆらゆらと揺れている様子をおもしろく眺めていると、背後で彼の名を呼ぶ声がした。
「仲麻呂殿。」
数十年前、共に唐の地を踏んだかつての留学生仲間の名を真備は呟いた。
初対面の時、共にようやく青年といえる歳であった二人も今では初老の域に入り、髪には白いものが混じるようになっていた。

「先程の歌は、良い歌でしたな。」
向かい合って腰を下ろした仲麻呂が何故か黙り込んだままであったので、真備の方から話を向ける。
「何を今更、とは思われませんでしたか。」
何とも表現しがたい笑みを浮かべながら、仲麻呂は問うた。
今度は真備が答えない、ので仲麻呂は言葉を続けた。
「あなたが前の遣唐使一行と共に日本に戻った時、私は唐に残ると決めた。無論、私の帰国を皇帝陛下が許されなかったのは事実ですが、私のほうも無理を押してどうしても戻りたいとは思えなかった・・・。」
「私は日本での立身出世を望んでいた、あなたは唐ですでにそれを得ていた。それだけのことではなかったですか。」
真備は自分よりわずかに年少の学友の優秀さを誰よりもよく知っていた。
故郷で並ぶもののない学才を自負していた彼にとってそれは悔しさを伴う認識であった。
それを口に出せるほどに苦い記憶を薄めてくれた年月というものを、真備は有り難いと思った。
「ええ、傲慢に聞こえるかも知れませんが、あの時の私にとって日本という国はあまりにも小さかった。唐の地で学びそれを唐の地で活かす、その生き方が私にとってははるかに魅力的だった。もちろん、郷愁というものはずっと感じていました。けれど、それに苦しめられていたというわけでもないのです。」
真備は黙って頷き、仲麻呂の盃に酒を注いだ。

「けれど、日本に戻ると決まった今になって、それが私を苦しめるのです。故郷の野山、川の流れ、そういったものがこんなにもはっきりとおぼえていたのかと思うほどに頭の中に浮かんでくるのです。恐れなのでしょうか?私はこんなにも変わってしまった。故郷が私の思う通りの姿のままであるなど私の幻想に過ぎないのではないか・・・、」
「大丈夫ですよ。」
真備の落ち着いた声が、仲麻呂の震える背中にかかる。

そう、変わるのは人の心、世の有様。
真備は奈良の都の現状を思い、暗い気持ちになった。
国造りの理想を失い、焦燥と混迷の内に心無い者の専横に任せゆこうとしている現在の朝廷を、帰国した仲麻呂はどう見るだろうか。
小国の愚行と蔑むのか、現状を改革すべき方策を見出すのか、それを知りたいと真備は思った。

「申し訳ありません。少し取り乱してしまったようで。」
「いやいや、何十年ぶりの帰国ともなれば誰しも平静ではいられぬものでしょう。」
二人はやや気恥ずかしげな視線を交わし、そして目を停泊する船の方に向けた。
少しずつ形の違う4隻の船が並ぶ、その手前に留学僧と話をする大伴古麻呂の姿があった。
古麻呂もまた遣唐副使である。
大使の藤原清河、副使の大伴古麻呂、共に真備よりもはるかに若く、また都の名門氏族の出であった。

「あの僧侶、普照といいましたか、真備殿の船に乗りかえるそうですな。」
「ああ、なんでも古麻呂殿の船に人が増えたそうで。」
「それでは、やはり和上を?」
鑑真和上。唐でも指折りの高僧として知られている。
その人を、戒壇設立の為に日本へ招聘しようとしたのが普照と今は亡き栄叡の二人の日本人留学僧であった。
二人の熱意は和上の心を動かし、幾度もの渡日計画が企てられたがいずれも失敗に終わっていた。
遭難、流浪、そしてそれによる失明にも関わらず、和上の渡日の意志は揺るがず、今回の遣唐使船によってそれを果たすことを切望していた。が、しかし・・・。

「清河殿は、皇帝陛下のお許しのない以上船に乗せる訳にはいかぬとおっしゃっていたが、古麻呂殿は独断で事をすすめてしまうつもりのようだ。」
「確かに、日本に着いてしまえばそれまでのこと。ですが万が一、大陸のどこかに漂着して事が露見した場合、面倒なことになりますが・・・。」
「その通り」
短く答えて真備は盃に口をつけた。ふせられた面からは何の表情もうかがえない。

「見ないふり、ですか?」
「歳を取ったせいかもしれませんがね、物事を荒立てても良いことはない、と思うようになりました。」
仲麻呂は真備の声に深刻なものが混ざり込んでいることに気付いた。
かつての学友が日本に戻って後、どのような道をたどったのか、学によって身を立てることを志した人がどうしても突き当たらざるを得ない現実の壁というものがあったことは想像がつく。が、それに抗することの出来る勁さが真備の内には在るはずだった。
では、真備がその勁さをあらわにすることを避ける、そうしなければならぬ現実が奈良の都にはあるのだろうか。

 

翌日 4隻の船は海へと漕ぎ出した。
それぞれの船は航海を続けるうちに互いを見失い、自らの位置さえも定かではなくなっていった。

それでも、3隻の船は沖縄を経て、九州の地にまでたどり着いた。
吉備真備、大伴古麻呂、鑑真、普照らが難波の港に上陸し、奈良の都に入ろうという時になってもただ1隻の船の消息だけが知れなかった。
それは阿倍仲麻呂の乗った大使、藤原清河の船であった。

彼らは海に果てたものと諦めるほかはなかった。

数年後、渤海国の使者によって、中国本土に漂着した数名の中に、清河・仲麻呂の名のあることが知らされた。
彼らはそのまま唐の朝廷に仕える身となり、異国の土に眠ることとなった。

 

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