廃墟 廃鉱 鉱山 

鐵鉱鉱山・ヤマの痕跡 −謎と痕跡を探る−

この地方に何度も足を運んでいる「週末探険隊」に案内された場所である。
初回に私が行った際、この場所にある選鉱場は半分が解体され半分が残っている状態であった。
二回目の訪問時は既に土台だけを残し全てが消え去っていた。
この地に何か残る物がないか?遺構を探す為、探索をしてみた。



写真提供:週末探険隊

上記の写真はこの地方に数十回通った「週末探険隊メンバー」より頂いた写真

週末探険隊B隊長にとっては思い入れの深い近代遺産であり、
私もこの地に案内され、その巨大な坑道の存在と日本屈指の巨大鉄鋼鉱山と言われるこの場所に
惚れ込んだ一員である。

この鉱山跡がある場所で一番最寄の駅。
そこにはホッパーが残っていた。

 

壁面にはホッパーがあった。
この場所まで線路があったと思われるが。
大分前に撤去されたようだ。

 

 

トンネル跡がある。

 

トンネルはすぐに行き止りだ。
スイッチバック若しくは、トンネル上部に
残るホッパーらしき物があることから、
これも積み込み場かもしれない。

 

駅を離れ選鉱場がある場所に向かった。

 

二箇所の選鉱場が残っており、
大まかに銅用と鉄用とに
分かれていたと聞く。

こちら側は銅を選鉱していた跡である。
今は土台のみを残している。
右下にはシックナーが残っている。
この場所を調べたが整備されている。
土台の上には芝生が植えられ手入れが
されている。見学会等が開かれるのか?
 

在りし日の選鉱場跡

 

こちらが鉄を選鉱していた場所。
道路上から見えることにより
こちらが有名であったと思う。
トンネルを抜けた先に見える巨大な選鉱場を
はじめてきた時にはその壮大なスケールに感動
した事を今でも覚えている。

 

選鉱場が見える場所に保存してある
トロリー式のELとローダーが停まっていた。
この一帯は資料館として整備してあるのか?

 

 

この場所を離れ別の場所へ向かった。

 

このすぐ裏には坑道が存在するが、一部現役との
情報もあるので掲載は出来ない。

かなりの勢いで風が吹き出してくる。
その冷気は数秒も居れば寒くなる位だ。
トンネルの先は何かが見える!

 

この場所には採鉱時に活躍していた坑内車両が
置かれていた。保存目的かもしれない、
カバーがかけてある車両もあった。

トンネルの先へ進む、別の場所に繋がっていそうだ。

ほんの15m位のトンネルだった。

抜けた先には・・・

 

トロッコやロコが置いてある。
その数はかなり多い。

 

今でも軌道は残っている。

 

ローダーも置かれていた。
部品などの使いまわしで
一部最近まで使用されていたロコもある。
ペイントが清涼感のあるブルーにペイントされ
ている。
 

 

様々な形のロコがある。
錆びた物から、未だ走れるのでは?と
思われるものまで。

 

人車もある。この隣には
鉱車を改造した人車もあった。

 

昔の写真と比べてみてもそんなに変わりは無い。架線が無くなってしまった事と、電柱が消えてしまった事位。
そのままの状態で時は流れたようだ。

 

選鉱場の上から撮影。この場所は橋が架かり軌道が
在ったようだ。

このあたりは「週末探険隊」が詳しい資料を持ってる。

 

山の斜面側には坑口の跡がある。

完全に塞がれて閉まった。

 

元々軌道があった廃線沿いを歩くと巨大なダムが
存在した。

 


写真提供:週末探険隊B隊長

やっとのこらさで辿り着いた。
このダムは堆積ダムであり、
この鉱山から出たガラや低品位の鉱石である。

この開けた場所はほんの一角に過ぎない。

 

そしてダムの奥を目指そうと歩いた。
そして不思議な物を発見する。なぜこんな誰も来ない場所に?隔離実験でもしていたのか?

 

 

遊具があるのだ。。。
こんな場所に住民が住んでいたはずはない。
この場所は堆積ダムの直上である、元々鉱山から出た
廃棄物を捨てる場所であり、鉱山関係の住宅も無ければ、
過去に住宅が存在するわけも無い。採鉱時には、
この場所は鉄分等で赤茶けた泥と滓だけな筈だ。

子供でなくても、こんな場所まで一般人は来ないはず。

なんの施設なんだ?「ビレッジ」と言う、意図的に外界から
遮断された村の話を題材にした映画を思い出す。。。

 

パノラマにしてみたが遊具の分布は広く、かなりの人数が遊べる状態だ。早速メンバーも遊んでいるようだ。。。
しっかり動くらしい。。。

 

そしてこのすぐ目の前には・・・!!!

 


写真提供:週末探険隊B氏

ピックアップトラックが、どうしようもないことになっている。。。 崖から落ちたか爆弾でも命中したような状態だ。。。
しかしこのあたりに崖は無いし、現在の場所より上に道路などは存在しない。

 


写真提供:週末探険隊ルル。氏

何か倉庫もある。
「〇〇資材倉庫」と書いてある。
〇〇の部分は地名が入るため掲載できない。

実際内部にはロープや工具類が置いてあった。
屋根と壁面が金属で一体型になっている珍しい倉庫だった。

そして周りには様々な構築物が残っていた。

監視小屋?見張り台?
何の為にあるのか。非常に広い場所で
この小屋の存在は非常に目立つ。

 

そしてしばらく歩くとシャワー室。。。

なんなんだ?この場所は。

ここまで揃うとこの場所はテレビか
映画のロケで使われたのではないか?

今度は何が現れるか?

 

 

と、そこには!!!

なんと!

〇っき氏!出番だ!

山の斜面には橋か枕木の様な物。。。
廃道か?林鉄跡か?

斜面には通路の様なものが見える。
 

しかしこれは廃道でもなんでもないようだ。堆積ダムの管理用に作られた通路跡と思われる。
今は採鉱中では無いので滓等が運ばれてこない。今立っている場所は草木も生え、沼地の様になっていない。
当時は堆積ダムが故に沼地、若しくは鉱水が溜まっていたのだろう。
 

 

かなり奥地まで来た。するとこの様な斜坑が現れる。

導水用の坑道と思われる。

 


写真提供:週末探険隊ルル。氏

またもなにやら坑口が!
開けてみるとこちらも斜坑であった。

導水用と思われるが、こちらは扉があった為に
現在は使われていないのだろう。

 

そしてこちらには巨大な和式便器!
これは話にならない。。。
斜坑と言うか、完全に立坑に近いものだった。

 

しかし何故この様な導水設備が多いか?この鉱山跡の坑道を利用して
地下水力発電所が在るという、集められたこの水は廃坑道を導水管として流れ、必要な場所に溜められる。
上記で紹介した導水斜坑が全て発電所関係ではないと思うが全く考えられなくも無い。
発電所がある山と場所が違う可能性も在るので確かではない。

この堆積ダムの周りは水路に囲まれている。降雨時や地下水など周りの山の斜面より
流れてくる水は全てダムを囲む水路に流れ込む形状になっている。
これは滓を捨てた堆積ダムに流れ込んでから外部へ染み出してはきては困るからだろう。
堆積ダム側に降った雨などの水は、このダムの下部にある施設で中和されてから河川に流されている。
導水水路に流された水はそのまま水路を辿り、川へ流れ込んでいるのを確認している。放流先は滝になっており
まるで自然の滝とそっくりだった。

坑口を発見「〇〇420坑」と書いてある。

今回は入坑をパスした。

 

奥へ続いている。
湧水が多く、左側に設けられた導水溝に
導かれて坑口へ流れている。

 


写真提供:週末探険隊ルル。氏

坑口付近でルル。氏が叫んだ!

「レール!レール!レールがある!」

全く気が付かなかった。
ポンプ室であったプレハブ小屋の下には
レールが敷かれていたのだ。

かなり古いポンプとポンプ室のプレハブ。
その下に存在すると言うことは
更に以前に敷かれていたと思われる。
トロッコが通っていた当時はここまで湧水は
多くなかったのだろう。

 


写真提供:週末探険隊ルル。氏

そして、坑口から目線で何かを追い、
「ここにレール!掘って掘って♪」という事になった。

「ルル。さん、なんか目の色変ったな。。。」

彼女は林鉄や鉱山鉄道等の軌道には目が無い。

私も過去にはあまり興味が無かったのだが、
今は坑道探険があった場合の
「期待する遺構No1」は軌道やトロッコが目当てにまで
なってしまった。

久々に童心に返った気がした。。。

 


写真提供:週末探険隊B隊長

中央左上の大きなトンネルは山を隔てもう1つ隣にある
堆積場へと続くものと思われる。

その下に見える坑口は堆積ダムを囲む水路である。

左上の小さな穴は中央の坑口が一部崩落の為に
出来た穴である。

 

この坑道の先は崩落?しているようだ。

一瞬、インカ帝国時代の「マチュピチュ」遺跡を思い出す。

選鉱場があった土台は遺跡の様だ。

 


写真提供:週末探険隊B隊長

今回は二個並ぶ堆積場の1つを重点的に探険をしてみた。
堆積場は山を挟んでもう1つ存在する。そちらにも行ってはみたかったの
だが、今回3日間の遠征で今日は最終日、渋滞に巻き込まれぬよう
早めの帰宅をするので午後からこの地を後にする。
今回はもう1つを回ることはしなかった。次回の探索が楽しみでもある。

そしてこの堆積場に残っていたあの遊具。いろいろ調べたところ、
今から15年以上前にラリー大会があったという。
その際に子供達の為に作られたのではないか?と推測ができる。
シャワー室は出場選手が使うためだったのだろう。
あの監視小屋は走行車両を確認するための小屋であったと思われる。
実際にネット上で残っている資料は少なく、当時の写真は全く存在しない
ようである。


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