廃墟


雲の上の楽園

当時、最高建築技術を使い、楽園とも言われた住宅跡。
冬季は全室暖房が行き渡り、外気に接しない廊下の構造から
一度も雨や雪の寒さに接しずに、学校、浴場、他の施設へ行くことができた。
そして目の前には景観の為に人工で作られたとも言われる湖(島沼)もある。
その標高や気候の関係で雲の上に建っている様にも見られたと言う。


松尾鉱山住宅跡の探索の前日。

「寝る場所なんてどうにでもなる。宿?そんなものに金をかけるまでもない」

「そんな安易過ぎる計画性の無さ。。。」と思われるが、この遠い東北の地、滅多にこれる所ではない。

折角この地に来たのだから、寝る時間や休憩時間を削ってまでも探索に時間をかけたいと

関東からノンストップ休憩なし、搭乗員をフルに回転させた交代での運転だった。

深夜に東京を出発、一睡もせず早朝には発電所跡の探索、そして水路探索、ダム湖脇のロックシェード探索、

そして次の日に探索を予定している松尾鉱山緑ヶ丘住宅跡まで辿り着いた。

時間は深夜、近くに山小屋があるということで「その場所を基地としよう」と鉱山住宅跡より少し山へ登ったが

2m先も見えない凄まじい霧と冷たい雨(後に東北地方は一部河川の氾濫を伴う豪雨に見舞われる)に襲われ

山小屋に辿り着くことが出来ない、「このまま雨の降る場所で寝るか・・・」等、思っても無い事を

口にする程パニックに陥っていた。

そんな時に大きな駐車場に何か建物が。

しかし電気は付いていない。

とりあえず雨やどりさせてもらうか。と施錠されてるかもしれない雰囲気の建物に近づいた。

ドアはガラス張り、中を覗くが暗くて見えない。

取っ手に手を掛け引張った。

 

しかし

開かない・・・

 

「それ横にするんじゃないか?」

「そうだな、分かってたんだけどやってみたかったんだ・・・」

中に入ると、少し暖かい。ほんの少し空調が効いているようだ。

周りを見渡すとそこは資料館の様だった。

当時の鉱山写真が飾ってある。

そして奥には ベンチ

左右には通路がありその先には

 

ベンキ

 

「便器ッ?」

「なぜ資料館に便器が?」

この場所は以下の施設であった。

そして我々は岩手県が用意した
このトイレ「生きた学習の場」
をやむを得ず、違った用途での基地と
させて頂いた。

この基地は空調が効いているが一切電灯がない。登山者の必要最低限、
最悪の状況を避ける為に施錠されてないものと思われる。

この唐松の木が敷かれた場所でベンチをテーブル代わりとし
ささやかながらのお疲れパーティーを開いた。
恐らくこの状況では朝に訪れる観光客をパニックに陥れるだろう。

「こうだ・・・」
トイレの為に観光客が扉を開ける、
しかし「大の男が寝袋に包まりトイレで寝ている」
トイレの通路は塞いでいないが、この状況をどう捉えるか?
そうならない為になるべく早く起床し荷物の整理をしないとならない。
そして朝を迎えた。

朝を迎え、観光客を出迎える前に基地を後にした。脳内では「出迎える前に基地を後にした」が正しい。
(正直に言うと、寝坊により数名の観光客にこの状況を曝した。らしい・・・(某氏)「朝っぱら誰か来たね」との事だった。)


現在の住宅跡 昭和28年頃の住宅(基地:資料館にあった写真)
周辺見取り図 (一方、道路を挟み反対側には「五寮」「桂寮」がある)
撮影:〇〇探検隊B隊長 撮影:〇〇探検隊B隊長
撮影:〇〇探検隊B隊長 撮影:〇〇探検隊B隊長

単身寮から見ていこう。

非常階段の場所である。 なんとも酷い状況だ。足場の階段は崩れ去り
鉄筋により辛うじてその状態を保っているようだ。
滑り台としか言いようが無い。

玄関

廊下と玄関、間には仕切りの為に
ガラスでもはめてあったのか?

下駄箱のみがこの場所に残る。。。

廊下
単身寮内にある鉱石のサンプル置場 落ちていたサンプル


撮影:〇〇探検隊B隊長

2階の一室から

窓の無いこの部屋、いつからか?

何処がスタートだったのだろう。

種のゴールした場所はこの部屋だった。

この風景は昔も今も変わらなかったのだろうか?


撮影:〇〇探検隊B隊長


緑ヶ丘住宅 家族寮

緑ヶ丘住宅内の廊下。今の高級住宅の様に廊下内も
窓ガラスが組み込まれている、それによりこの東北地方の
寒さから遮断される。
古い時代からあるにしては設備が充実していたようだ。
窓から見えた風景。
自然に飲込まれる建物。所々が欠けている。植物に少しずつ
食べられているようだ。

 

玄関付近にあった住所板。
建物の場所、位置により「い・ろ・は・に・ほ・・・」
と並んでいるらしい。

廊下の写真でも「ほ」というひらがなが見えただろう。

釘が抜けかかっているが、自然に抜けていくもの
なのだろうか?温度差なのか?錆による膨張なのか?

 

誰に置いてきぼりにされたのか・・・

まだ綺麗なぬいぐるみ。。。

 

 

長い廊下。

誰が引きずり出したのか・・・

サバイバルゲームのフィールドになっていたらしい。

 

脱衣所

この先に小さいながらも浴槽がある。

その広さの割には、この衣服入れのロッカーは多すぎる。

 

各世帯ごとにダストシュートがあったようだ。

ゴミ捨てが面倒にならなくて良い。

しかし今の世の中、分別がマナーが出来ない者も多い。
そんな状態では「なんでもかんでもここに捨てる」と
なる。分別出来ずさらに悪化するのは目に見える。。。


煙突

藪を掻き分け、その多さに阻まれ通れない場所は
団地内を抜けようやく辿り着いた煙突。
 
この煙突の場所は暖房用のボイラー室であったという。
浴場より離れているが、暖房以外にも温水用に
使用されていたのではないだろうか?
 

生活学園

窓ガラスは割れており、内側からベニヤ板で塞いだ跡が見られる。
もちろん、内部は住宅跡に比べ風化は少ない。
造りや、設置されてるドアやダクト類は新しい。
建築年数の違い、近代技術の進歩だ。
食器類が散乱する。窓ガラスは派手に破損している。
そして段ボール箱には弾痕・・・

室内戦闘、市街地戦と言うべきか?
サバゲーのフィールドと化している。

建物室内自体は頑丈さの故に綺麗であるが
置いてある物は激しく破損している。
オーブンも激しい戦闘を物語る。

しかしオーブンに連射して何が面白いか
疑問が残る。

体育館

広いこの体育館も不自然な状態だ。

扉を弾除けに使用していたらしい。床面には一面に
BB弾が落ちている。下手に板の上に乗れば
スケボーの様に滑り出してしまう。

体育館の窓からは緑ヶ丘住宅の建物が見える。
マナーの無さを問われてもしょうがないのではないか?

何も無ければ今でも弾くことができたと思われる。

楽器は修理をすれば長く使える。廃校時に撤去し
何処かに寄与すれば、もう一度その役目が
果たせたと思う。

人が撃たれたとの同じように穴だらけのこのオルガンも
二度と目を覚ますことはない。

畳が敷いてあり、障子も張ってあったのだろう。
家庭用の古い電気の傘も少し不自然さを感じる。
託児所かそれとも保育園でもあったのか?
小さなベット、そして敷いてあった布団であろう。


当時、莫大な資産を運用し最も高い建築技術、設備を誇るこの場所も
今はご覧の通りである。
過去には病院、映画館もあったとのことだ。
木造家屋も多数存在していたようだが、それは解体される際に
町を模した消火訓練を兼ねる為、火が放たれたようだ。
今はその痕跡はこの場所からは見当たらない。
資料館を是非覗いてほしい。当時の暮らしぶりが見てとれるだろう。

戻る