廃墟 検見川送信所

鉄壁城砦   (文化遺産の計画がございます)詳しくは→検見川送信所を知る会


SUEZOU氏情報提供有難うございました。

大正15年4月1日(1925年)開局。初代所長菊谷秀雄氏就任

目的は対外国通信が主な目的であったが、昭和5年(1930年)ロンドン海軍軍縮条約締結の際、

広く世界に向けて我が国の軍縮精神を宣揚するため、浜口雄幸首相が日本初の国際放送(J1AA)を日・英・米同時発信したのがこの無線局で、

検見川無線の名が一躍世界に知られた。昭和11年(1936年)ベルリンオリンピックで実況中継を全国中継したのもこの送信所である。

戦時中は軍用無線基地として用いられ、東南アジア各国との送受信の重要な基地でもあり、

「ニイタカヤマノボレ」の暗号送信をしたとしても有名な戦争遺跡でもある。(確かな情報ではないらしい、実際には船橋より送信された?)

戦後は、昭和31年(1956年)南極観測が再開され観測船の「宗谷」、南極観測基地の「昭和基地」との交信基地でもあった。

近年では東京と12主要都市間19波の回線。社会秩序維持の為の警察無線の中継局ともされた。

その後海上保安通信、共同通信、時事通信社による国内外のニュースを短波による同報通信に使用。

航空気象、国内気象。防衛庁(現・防衛省)の委託業務、そして大きな傘型アンテナで検見川の象徴でもあった長波40KHzによる

標準電波発射の経緯を持つ。

通信技術革新により検見川送信所も縮小され、昭和54年(1979年)茨城県名崎送信所に業務が移管され使命を終えた。

日本電信電話の所有であったが現在は千葉県の所有。


      

   

   

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