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主恩教会の『次週説教への瞑想』です

2011年11月16日 (水) 神が与えた杯は
【次週説教への黙想】  牧師 美濃部賢次

説教  ヨハネ18:1〜14
聖書  神が与えた杯は

月日が経つのを本当に速く感じます。わたしの感覚としては、こちらに来てまだ2〜3ヶ月くらいなのですが、実際にはもうクリスマスの声を聞く季節に入ろうとしています。  さて、そうした時期に示されたテキストはイースターの季節によく取り上げられる箇所です。今回の中心聖句は11節の「イエスはペトロに言われた。『剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。』」を選びましたが、実はこの箇所を読むとき、いつも不思議に感じてきたことがあります。
 それは、なぜペトロは“剣”を持っていたのだろうか、という疑問です。考えられるのは、エルサレムへの巡礼者はその道中、追いはぎに襲われることを警戒して、自衛のために剣などを携えることが多かった、というものですが、それにしても、イエスの弟子であるということと、剣を振り回すというイメージとがなかなか重なりません。
 もしこれが、12弟子(但し、実際にはユダが欠けるので11弟子)以外の、無名の弟子の誰かが剣で大祭司の手下に切りかかった、というのであれば、それはそれなりに納得できるのですが、ところがヨハネ書だけは他の福音書と違って、はっきりとペトロの名前を記しています。
 そうすると、この剣で切りつける、という行為自体をヨハネ福音書はかなり重く捉えているのではないかとも考えられます。しかし、いずれにしても、このペトロの行為は、「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」というイエスの言葉とは実に対照的だといわざるを得ません。
2011年11月10日 (木) 民の代わりに
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
   説教 民の代わりに
聖書 ヨハネ11:45〜53 

 大祭司は当時の祭司階級のトップですが、この箇所に登場するカイアファ(口語訳聖書ではカヤパ)は、イエスの時代の大祭司(紀元後18年〜36年)であり、イエス処刑に対するユダヤ側の最高責任者として振る舞っています。また、ついでにいえば、ペンテコステのあと、使徒ペトロを捕らえて尋問する際に、その場に同席したのが、このカイアファでした(使徒言行録4:1〜18)。 
さて、次週説教で注目したいのは、この大祭司が語ったとされる言葉です。彼はこのようにいいました。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」(11:50)。
 この大祭司の言葉によって事実上、イエスの処刑が決定されてゆくのですが、実はこの発言はヨハネ福音書にしか記されていません。そして、おそらくこうしたヨハネ書にしか採録されていないカイアファ発言は事実に基づくものであると推測されますが、おもしろいのは、この発言のあと、51節に、「これは、カイアファが自分の考えから話したのではない」という御言葉が続いていることです。
そうすると、これは明らかに神がこの大祭司発言を、主イエスが全世界の救い主であることを証する預言へと変えられたという意味でしょうが、注目したいのは、こうした発言のなかに“好都合”という言葉が含まれていることです。この“好都合”は主イエスを証する預言の一部であると同時に、当時のユダヤ社会の本音を知る手がかりのように思えます。
2011年10月18日 (火) 【自由黙想】
【自由黙想】 牧師 美濃部賢次
 
    
 わたしが「牧師になってよかった」とつくづく思うのは、言葉の大切さを教えられたことです。しかし、それは学問的な意味での正確さを要求される言葉ではありません。
 もちろん、学問は普遍語で表現されなければ意味がありませんから、それはそれでよいのですが、誰にとっても正確に通じる言葉(つまり普遍語)が、人の魂にまで届く機会というのは、皆無とはいいませんが、それほど無いのではないでしょうか。
 では、具体的にどんな言葉がわたしの魂に届くかといいますと、聖書以外でいえば、それはたとえば以前にみたドキュメンタリー番組のあるシーンに出てきたような言葉です。これは心肺停止におちいった妹(5歳)に聞かせるために、その枕元でお兄ちゃん(10歳)が口ずさんだ“おそすぎないうちに”という歌でした。

 なくしてしまってからその大切さに気づいて
くやんだりかなしんだりしてもおそすぎるよ
もしかしたらいちばんこの世で大切なものは
  ふだんあまりにも身近すぎて気にもとめていないかも 
今ある全てのものは当たり前なんかじゃなく
今ある全てのものが奇跡的にあるとしたら
きみはどうやってそれを守るだろう
おそすぎないうちに
間に合う今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられたお礼に
2011年10月12日 (水) 「目からうろこ」体験
【次週説教への黙想】  牧師 美濃部賢次

説教  「目からうろこ」体験
聖書  使徒言行録9:10〜19(230頁)

 キリスト教を始めたのは誰か、と問われて“イエス”と答えると、あきらかに誤りです。確かにキリスト教はイエスの活動から始まったとはいえますが、イエスがキリスト教の教祖なのではありません。それならばパウロでしょうか。
 或る著名な社会学者たちの対談集を読みますと、そこにははっきりと、キリスト教をつくったのはパウロだった、という言明があります。しかしながら、このパウロがキリスト教の教祖か、ということになると、やはり疑問符がつきます。
 なぜなら、パウロは回心後、ただちにユダヤ教を抜けてキリスト教をつくったわけではありませんし、彼の回心後でさえも、ユダヤ教とは別の宗教であるキリスト教が圧倒的な勢いで形成されていったわけではないからです。
 これはむしろ、誰が創始者かを問うより、いつからキリスト教がユダヤ教と区別されるようになったかを問う方が賢明だと思います。そうすると、その時期は第一次ユダヤ戦争(紀元70年)以後ということになります。実は、この戦争を境に、キリスト教とユダヤ教は全く別の宗教だと認識されるようになりました。それ以前は、キリスト教というより、ユダヤ教ナザレ派と見なされていたと思います。
 けれども、たとえこうした歴史的背景はあったとしても、使徒パウロが遺した文書あるいはパウロの名を冠した文書が、後のキリスト教を体系化し、彼の教義がキリスト教神学の核になったことは疑い得ない事実だと思います。
 その意味では、キリスト教成立への流れは、やはりパウロのダマスコ途上の回心から始まったといってよいでしょう。
2011年10月5日 (水) 人の理解を超える
【次週説教への黙想】  牧師 美濃部賢次

説教  人の理解を超える
聖書  使徒言行録8:26〜40(228頁)

 今回注目したいのは伝道者フィリポです。しかし、このフィリポは主イエスによって召された12弟子のひとりである使徒フィリポ(マルコ3:18)とは別人です。
 そこで使徒フィリポと区別するために、あえて「伝道者フィリポ」と呼びますが、彼は使徒言行録に記されるように、初代教会が食事上の分配の不公平を解消するために選び出した7人の指導者のひとりです(言行録6:5)。
 そしてまたこの伝道者フィリポはおそらくギリシア語を話すユダヤ人キリスト者であり、だからこそエルサレム教会がユダヤ人による大迫害を受けたとき、彼はエルサレムから逃げ出さなければならなかったのでしょう。
 これは同じキリスト者でありながら、律法との関係を容易には断つことができなかった(それ故、エルサレムに留まることができた)ヘブライ語を話すキリスト者たちとは実に対照的です(言行録8:1)。
 さて、与えられたテキストに拠りますと、この伝道者フィリポはガザへ行く途中でエチオピア人の高官(王室財務官)と出会い、その結果彼に福音を説いて、洗礼へと導くことになりました。
 そこで考えたいのは、使徒言行録はこれによって、いったい読み手に何を伝えようとしているか、です。当該テキストを読むかぎりでは、聖霊の不思議な働きがフィリポの業を押し進めたとありますが(8:29)、今回は特に伝道者フィリポが、その置かれた状況のなかで、神様からどのような促しを受けたのか、そこに焦点を当てたいと思います。
2011年10月5日 (水) 途方に暮れる体験
【次週説教への黙想】  牧師 美濃部賢次

説教  途方に暮れる体験
聖書  使徒言行録11:19〜26(235頁)

 わたしたちがよく知るように、使徒言行録は、ペンテコステの日に聖霊が降る、というひとつの出来事をきっかけとして教会が誕生し、宣教が開始されたことを告げています。つまり、再び集められた使徒たちの熱心や自覚や計画によってではなく、あくまでも聖霊の働きによって(神様ご自身が主導権をとって)宣教は展開していきました。
 その上で、今回あたえられたテキストを通してわたしがもっとも興味をひかれるのは、迫害されたキリスト者たちが散らされながら福音を伝えていく際に、その中にペトロやパウロといったよく知られた使徒たちの名前は見当たらず、無名のキリスト者たちの手に宣教がゆだねられたことです。
 しかも驚くのは、彼らの中には、迫害によって各地へと散らされたにも拘わらず、異邦人に主イエスについての福音を伝えたキリスト者たちがいたことです(20節)。使徒言行録はこの事を簡潔にしか語りませんが、わたしはそのときの、1人ひとりの心の中はいったいどんな思いに満たされていたことかと、興味が尽きません。
使徒言行録はこれについて、福音は当初ユダヤ人のみに限定されていたと記しますから(19節)、やはりこの背景には何かあったはずなのです。それは単に当時の公用語であるギリシア語に彼らが堪能だったから、という理由だけではなかったのではないでしょうか。
いずれにしても、無名であれ何であれ、宣教がもし人間の熱心や力のみに頼るものであったなら、たとえ伝えられたとしても、ずっと先の話になっていたのは間違いないでしょう。
2011年9月26日 (月) 【次週説教への黙想】
【次週説教への黙想】  牧師 美濃部賢次

 次週9月25日は藤原一二三先生が講壇を担当してくださいます。それだけでなく、当日の礼拝後に半日修養会(テーマ:当面する主恩教会の問題点をめぐって)が予定されているということもあって、この修養会のテーマを踏まえてのメッセージも語ってくださるということでした。
そこであらためて思い起こせば、藤原先生とお連れ合いのヒロコ夫人との交わりは、2009年4月以来ですから、かれこれ2年半になります。きっかけは私的な事で、義母の介護に追われる日々が続いたため、講壇の責任を月3回程度に減らしてほしい旨の要望を、当時の教会役員会に申し出たことが始まりでした。
それから程なくして、或る教師を介して藤原先生をご紹介いただき、今日に至っているのですが、あまり例が無いと思われるのは、わたしの異動で任地先が変更になったにも拘わらず、同じ先生に、引き続き講壇の責任をお願いできていることではないかと思います。
これはもちろん、京都そして現在の招聘教会のご配慮に拠るものであることはいうまでもありませんが、信仰的に受け止めるといえば大層ですが、そこに何か、神の御手が働いているとしか思えない不思議さを感じることがあります。
しかも現在の時点では、藤原先生ご夫妻は、前任牧師である相浦和生先生時代からの関わりということもあって、わたし以上に主恩教会の実情にも通じておられるでしょう。
その意味でも、この度の事実上礼拝から始まる半日修養会は、当然ながら教会全体の事柄ではありますけれども、牧会者であるわたし自身にとっても、教会のこれからを考える上で、何らかの方向や示唆が与えられるのではないかと、密かにあれこれ思いをめぐらせています。
2011年9月20日 (火) 大切なもの
【次週説教への黙想】  牧師 美濃部賢次

説教  大切なもの
聖書 マタイ17:14〜20
 
 マタイ17章1節以下を読むと、ここには3人の弟子たちがイエスと共に山に登り、主の栄光の姿を体験して、至福のときを味わったことが記されています。おそらく、このとき同行したペトロとヤコブ、そしてヤコブの兄弟ヨハネの3人は「自分たちが選んだ道はまちがいではなかった」と、心底思ったことでしょう。
 けれども、そうした彼らの至福は長くは続きませんでした。山を降りたとたん、醒めた現実が待ち受けていたからです。
 その現実とは、下で待機していた他の弟子たちが、てんかんで苦しんでいる子どもを癒すことができなかったというものでした(16節)。 
 そこで、これを知らされたイエスはいいました。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまであなたがたと共にいられようか。」(17節)。
 聖書を読んでいてよく感じるのは、記された言葉は明瞭で、それほどむつかしいものではないのに、それが指し示している内容がもうひとつよくわからない、そんな言葉があることです。たとえば、ここに出てくる「信仰のない」という言葉がそうです。
 以前の口語訳聖書はこれを「不信仰な」と訳していますが、これを弟子たちに限っていうとき、イエスはいったい彼らの何をもって「不信仰」といわれたのか。わかりやすいようでありながら、あまりよくわかりません。
2011年8月22日 (月) 自由黙想
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
今回はいつものように自由黙想です。周知のように、わたしはこの4月に主恩教会に赴任しましたが、そのわたしが主任教師として今理解しようと努めているのは、この教会が歴史的にはいったい「どのような教会なのか」ということです。もちろん主恩教会が“日本基督教団”という教派に属していることはよく承知しています。
 しかし日本基督教団の教会といっても、戦後成立した教会は別にして、それぞれに前史というものがあります。従って、同じ日本基督教団の教会でも、前史が組合系の教会であれば会衆主義の性格が強く、同様に前史が長老主義やメソジスト派であれば、その教派色が色濃く残っているのが常です。
 その点からいうと、主恩教会の前身は単立イエス・キリスト教会であり、その信仰的立場は「無教派、無信条・無階級」とありました。ひと言でいえば「平信徒主義」ということでした。この立場については、わたしもバプテスト派(日本バプテスト連盟)の出身ですからよく理解できます。 
 つまり「平信徒主義」の特徴は、信仰を1人ひとりの神への全人的応答ととらえる個人重視の信仰にあると理解します。そして教会組織からいえば、その成員は男性も女性も教会形成に対して平等の機会と責任をもちます。 
そうしますと、教会の特徴も自ずと各個教会主義となり、会衆派の性格を帯びていくわけですが、前身であるこの単立イエス・キリスト教団の特徴は「会議制」を採用する日本基督教団に加盟して以降、どうなったのか。この「平信徒主義」が現在でも主恩教会の特色といってよいのか。それともそうではないのか。あるいはもはや前史とは関係なく、純粋に会議制に則って教会形成をしているのか。とにかく今は資料を探している段階ですが、学びは尽きません。
2011年8月17日 (水) 本来、あるべき姿
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
   説教 本来、あるべき姿
聖書 マタイ5:17〜20 

 この箇所を読むたびに思うのですが、17節のイエスの言葉、『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない』は何かの間違いではないのか、という気がいつもしておりました。
 なぜそのように感じるかといいますと、福音書、とくにマタイ福音書が描くイエスの働きを一言でくくるとすれば、「律法学者やファリサイ派に対する宗教批判」ということがあると思いますから、この意図に添っていうならば、17節はむしろ「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためである」とする方が、はるかに収まりがいいような気がします。   事実、マタイ福音書が編集された初期キリスト教の時代に、このイエスの言葉を上述のように理解したキリスト者たちがいたことがわかっています。そしてこの人々は、「人は律法によって救われるのではなく、ただ信仰によって救われる」と主張し、実践や行為というものを軽く見たようです(つまり律法の軽視)。
 けれども、やはりマタイ福音書は彼らのいうようには記しませんから現行のまま解釈するわけですが、そうすると、どうしても注目しなければならないのは「完成するためである」(17節)というこのイエスの言葉です。
 いったいイエスは、この「完成」という言葉をどのような意味合いで使ったのでしょうか。もしこれを「完璧主義」の意味で使ったのだとすれば、彼ら律法学者・ファリサイ派に対するイエスの宗教批判は批判にはなりません。なぜなら、それではイエスも彼らの同類になるからです。
2011年8月11日 (木) 説教  心貧しい人々は
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
   説教  心貧しい人々は
聖書  マタイ5:1〜3 
  
人は見かけによらない、といいますが、自分のことでいいますと、わたしは「宇宙」についてとても関心があります。そして最近読んだ本(2011年7月20発行)には、万物(星や銀河など)は原子(クォーク、ニュートリノなど)からできているということになっていましたが、実はその原子のエネルギーの総量は宇宙全体のエネルギーの僅か4%にしかならない、と記されていました。残りは何かというと、暗黒物質(23%)と暗黒エネルギー(73%)だそうです。
 ところが、この残りに関しては「暗黒物質」などと仮の名前はついていますが、実は何もわかっていません。つまり、最先端の宇宙物理学は宇宙のほとんど全てについてよくわかっていない、というのが結論のようです。そして、これがはっきりしてきたのが2003年以降のことなのだそうです。
いったい、これが聖書とどう関わりがあるのか、ということですが、わたしにとっては、たとえ素人の域は出なくても、こういう最先端の科学の成果に関心をもちながら、そのことを視野に聖書を読んでいく方が、かえって「見えない世界」(神様の領域)のことが鮮明になるような気がします。
そこで、こういう事に興味や関心を抱く現代の人間(例えばわたしのような)が、主イエスの御言葉を理解しようとすると、いったいどのようなことが示されるのか。今回は「山上の説教」の一部、「心の貧しい人々は、幸いである」の部分を取り上げ、言葉の意味を大切にしながら考えてみたいと思います。その際、当然ですが、このイエスの言葉は当時の時代背景を前提にして語られています。
2011年8月3日 (水) 深く憐れむということ
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
   説教 深く憐れむということ
聖書 マタイ9:32〜38
 
 マタイ福音書に限りませんが、どの福音書にもイエスがいろいろな病気で苦しんでいる人たちを癒す話がひんぱんに登場します。そうすると、イエスがこの地上に遣わされた目的は「病気を治すこと」にあったのかという疑問がでてきて当然です。実際、それをテーマにした『治癒神イエス』という著作もあらわされています。
 けれども、たとえイエスが自分だけでなく、弟子たちを総動員したところで、ユダヤ全土のあらゆる病人を癒すことは不可能なことだったでしょう。  
 そういう現実的な問題をかんがえますと、イエスによって癒された人たちはまさに幸運であったといわなければなりませんし、反対に、癒されなかった人たちは不幸だっただけでなく、神様の下にある人間としては扱いが不公平なのではないか、という見方だって成立すると思います。
 そのようにみていきますと、どうやら聖書は、その生涯のなかでイエスがどれほど多くの人たちを癒すことができたかという、人数に焦点を当てているのではないということがわかります。そうではなく、病を癒すことを通して、イエスは「人間の問題」それ自体に光をあてようとされたのではないか。癒される側も、それを見ている側(そして読者)もです。
 ところが、ファリサイ派の人たちは違いました。彼らのいちばんの関心は「原因はなんだろう」ということだったからです。だからこの人たちは「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」(マタイ9:34)といったのです。つまり、癒された人自身には少しも目を向けていません。
2011年7月27日 (水) 「弱さを誇る」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
   説教 「弱さを誇る」
聖書 競灰螢鵐硲隠院В隠供腺隠検ぃ横検腺械魁

 コリント後書は西暦56年頃、使徒パウロによって書かれたとされますが、この11章で問題になっているのは「キリスト者は、もし誇るとすれば、自分のいったい何を誇るべきなのか」ということだと思います。
とういうのも、パウロがコリント教会を去った後、次々にいろいろな伝道者たちがコリントへやって来たわけですが、彼らは例外なく、当時の有力な教会から書いてもらった推薦状を携えてコリント教会へ乗り込んできました。いわゆる「お墨付き」のようなものです。
 そうすると、ここからどんな問題が発生したかというと、有力な教会が書いた推薦状を持つ伝道者ほど、伝道者としての力量があるものと勘違いし、自分を誇るようになりました。
 もちろん、これは伝道者個人の問題では終わりません。そうした伝道者は必ずといってよいほど教会内の有力な支持者たちと結びつき、また彼らも当然のように支えましたから、結果として、そうした姿勢が教会全体へと波及してゆきました。つまり、教会員は次第に人間としての「強さ」「立派さ」「偉さ」を誇るようになっていったのです。
 ところが、こうした巡回伝道者とは違い、パウロは一度も“推薦状”など利用したことがありません。パウロにあるのはただ、ダマスコ途上での回心体験だけでした。そこで、パウロが信仰によって下した結論はこういうものでした。「もし誇るなら、わたしは自分の弱さを誇ります」。なぜパウロはこのとき、彼ら以上に自分の「強さ」「偉さ」を誇らなかったのでしょうか。
2011年7月21日 (木) 今回は詩人・茨木のり子さんの詩
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
今回は詩人・茨木のり子さんの詩をもって、次週説教黙想に代えます。 

      自分の感受性くらい

     ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
      みずから水やりを怠っておいて 

 気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
2011年7月12日 (火) 「出来るかぎりの事だけを」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
  説教  「出来るかぎりの事だけを」 
  聖書  マルコ7:14〜23、8:34

 つい先日、或る大臣が、就任早々暴言を吐いたということで、僅か9日間で罷免されました。わたしがこの出来事から率直に感じた点は、たとえどれほど社会が豊かになり進歩しようと、「人間的な問題」だけは決して無くならないだろう、ということでした。
 それが証拠に、今回のことで多くの人が憤慨するのも、大震災それ自体に対する当人の対処方法や互いの見解の相違といった類のものではなく、あくまでも当人の「人間性」にあったように思うからです。
 そうすると、イエスがいわれた、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(マルコ7:15)という御言葉は決して古びた時代遅れのものなどではなく、むしろ人間の本質を衝いた、的を得た言葉といってよいのではないでしょうか。
 そしておそらく、イエスは当時のユダヤ社会にあって、常にこうした本質を衝いた言葉を宗教指導者たちに投げかけたが故に、十字架の死を遂げねばならなかったのでしょう。
 そこでもう一度、上述のマルコ7章15節について触れますと、この御言葉が示しているのは、人間の根本問題は決してその人の外側からやって来たりはしない、ということだと思います。
 そうではなく、いつも1人の人間を汚し、存在を脅かし、不安にさせるのは、その人の内側に在るものに拠ってである。
これがわたしたちの永遠の課題であるような気がします。
2011年7月7日 (木) 「キリストにあって」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
  説教  「キリストにあって」 
  聖書  汽灰螢鵐硲院В院腺

 たしかに気がかりな事が全く無い状態というのは気持ちのよいものです。それはたとえていうなら、「真っ青に澄みきった雲ひとつない空」のようなもの、とでもいえばよいでしょうか。
 けれども、わたしたちが生きている現実はむしろこの反対です。「真っ青な空」どころか、片付けても片付けてもキリが無いほど気がかりな事が次々と湧き上がってきて、まるでスッキリしない「曇り空」の世界を生きているみたいです。
 それなら、パウロの場合はどうだったのでしょうか。そこで汽灰螢鵐硲云錬汗甍焚爾鯑匹澆泙垢函⊃仰深いパウロが生きた世界はいかにも順風満帆で、信仰者ならばやはりこうでなければ、という印象さえ与えかねない言葉ばかりが目立ちます。
 しかし、もちろんそうではありません。そして、むしろわたしは、パウロが手がけた教会のなかで、コリント教会ほどパウロが手を焼いた教会はほかに無かったのではないか、とさえ考えています。
 というわけで、コリント教会に関するかぎり、パウロの心中は常にスッキリすることなく、曇り空どころか、どしゃ降り状態に近かったのではないでしょうか。そうすると、こういうコリント教会に対して、パウロはいったいどのような態度で臨んだか、です。 
 わたしは、「キリストにあって」或いは「主にあって」という、パウロが多用したこの言葉にその鍵が隠されているように思います。
2011年6月26日 (火) 終わりが見えない中で
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
  説教  終わりが見えない中で 
  聖書  ヘブライ13:1〜6

 今では否定されていますが、伝統的にはパウロの作品と考えられてきたこのヘブライ書は、西暦80年〜90年頃著されたとするのがふつうです。  
けれども、この書に関しては、著者も成立年代も、そしてまた書かれた状況も、実のところあまりよくわかっていません。また、そう受け止める方がむしろ良心的だと思います。
 ところが、それほど不明な点が多い書であるにも拘わらず、内容はけっこう衝撃的です。たとえば、あなたがたは初めの熱心さが消えてしまったとか、以前は迫害にさえ耐えたのに今は魂が弱り果てそうになっているとか、まだ一度も血を流すほどの抵抗をしたことがないとか、或いは集会(礼拝)を止めてしまった人たちがいる、等々です。
ただ、自分の好みでいうなら、わたしは福音書より、むしろこういう文書の方が好きです。なぜなら、不明な点が多い分、それだけ推量や想像の入り込める余地があるからです。
 但し、たとえどのように理解し、想像をたくましくするにせよ、大切にしたいと考える点もあります。それはどのような点かといいますと、このヘブライ書が書かれた時代と現代との間にはきっと共通点があるということです。少なくともわたしはそのように読み、理解したいと思います。
 一例を挙げるならば、当時も今も、時代や社会の変化が、誰にとっても新たな苦痛や気がかりや戸惑いをもたらし、ゆっくり自分と向き合う時間すら持てないということがあるでしょう。わたしは、こういう問題は現代だけに妥当することで、ヘブライ書の時代のことではない、とは思えません。
2011年6月19日 (日) 「聖霊が働くとき」
先週の説教要旨】 牧師 美濃部賢次
 
 説教  「聖霊が働くとき」 
  聖書  ヨハネ3:1〜8(新約167頁) 

 いつもならこの欄には、「次週説教への黙想」を書くところですが、次週6月26日は藤原一二三先生が礼拝説教を担当されますので、「黙想」の代わりに先週の説教(ペンテコステ礼拝説教)の要旨を記します。
【以下説教要旨】 
 イエスは「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3:8)といいました。ここでイエスが語っているのはこういうことだと思います。聖霊は“風”のように自由に吹きわたるものであって、決して何かに閉じ込めたり、支配したりできるようなものではない。つまり、聖霊はいつもわたしたちの思惑をはるかに超えて吹きわたっている、というのです。
 そしてまたパウロも、「主は霊である。主の霊のあるところには自由がある」(競灰螢鵐硲魁В隠掘砲箸いい泙后
 そこで、こういうイエスやパウロの言葉を通して、「聖霊の働き」というものを仮にわたしたちの側から捉えるとするなら、次のように理解することができるのではないでしょうか。 
 わたしたちはどうしても自分の思いや意図に反して、この世のさまざまなことに引きずられ、縛りつけられ、押さえつけられて、しかもそういう現実をいっぱい抱えて生きざるを得ないようなところがあります。
 けれども、たとえそうした現実を抱えながら生きざるを得ないとしても、もしそのとき、そんな束縛や押しつけに支配されることなく、自由に(主体的に)自分で決めることができたり、選ぶことができたり、あるいはまた何かを為すことができるとしたら、その状態こそが誰にとっても、「聖霊が働いているとき」と理解してよいのではないでしょうか。
 つまり聖霊の働きの特徴とは、たとえどのような状況に置かれることになったとしても、そうした状況に支配されないこと、むしろそこから自由であること、ここにあるような気がします。
2011年6月12日 (日) 「今のままで」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
 説教  「今のままで」 
  聖書  マルコ2:13〜17 
 
 わたしは神学校で、いわゆるキリスト教神学を学びました。これは伝統的に4つに分類されますが(聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学)、ただ現実的には、たとえ神学校へ入って6年間学んだとしても、時間が絶対的に足りません。だから大抵の人は、どの分野もその上っ面を撫でた程度で終わってしまうのが常だと思います(優秀な人は違うのかも知れませんが)。
 そのせいでしょうか、今思い返しますと、牧師になったあとも、いつも心のどこかに、「欧米の神学をもっと勉強しなければ」という焦りがあったような気がします。
 ところがその一方で、遣わされてゆく教会は「日本の教会」です。ということは、当然ながらそこには日本的な事情や状況が反映されています。
 たとえば、日本の教会の特色のひとつとして、欧米と違って「幼児洗礼」を受ける人は本当に少数です。信仰的に順調に育っても「信仰告白式」まで至る人は皆無とはいいませんが、ごく僅かです。しかも、たとえ洗礼を受けても、生涯信仰を貫き通すには、それ相当の覚悟と決心が必要です。なぜなら、置かれている状況が異教社会そのものだからです。その結果として、「別帳会員」が多いのも日本の教会の特色のひとつだと、よく指摘されます。
 そこで再び神学校の話に戻りますが、神学校では最新の欧米神学のニュースに触れる機会はあっても、「キリスト教と日本史の関係」が話題に上ることはほとんどありませんでした。わたしたちはキリスト者といえど、欧米人ではなく、日本文化のなかに生き、日本人として生活しているにも拘わらずです。
 だから今、遅ればせながら「なぜなのだろう」と考えています。なぜ日本人である自分が、日本のキリスト教の歴史にほとんど関心を示さず、話題にすらせぬまま、ここまで来てしまったのか。我ながら不思議な気持です。
 ということで、目下のところ、欧米の神学以上に日本のキリスト教史に関心を持ちつつ、聖書を読んでいます。もし京都に住む機会が無ければ、このような発想は思い浮かばなかったかも知れません。今回は自由黙想でした。
2011年6月5日 (日) 「聖霊が働くとき」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
 説教 「聖霊が働くとき」 
  聖書  ヨハネ3:1〜8 

 次週6月12日は聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝です。キリスト者ならばペンテコステと聞きますと、ちゅうちょなく「聖霊が降って、教会が誕生したあの出来事のことだな」とわかりますが、おそらくそうでない人たちにはほとんど理解できない事柄でしょう。
 けれども、たとえ一般的にはそのような不可解な性質のものであったとしても、またキリスト教が伝統的に、教会は聖霊によって誕生し、聖霊の働きによって成り立ち、人は聖霊のうながしによって信仰を告白し、信仰者となったその人は聖霊によって歩む、という言葉でしか語り伝えることができなかったことであったとしても、あえてこの“聖霊”や“聖霊の働き”の不思議さについて語ることは止めないでいきたいと思います。
 なぜなら、この社会にたとえどれほど数多くの団体・組織があろうと、やはり、教会でしか語れないことや教会しか語らないことはあると思うからです。 それだけではありません。「見えるもの」の大切さについては誰もが自信をもって語る時代ですが、「見えないもの」の価値や存在についてはどちらかといえば軽視されたり、無視されがちです。しかし、だからこそ逆に、「見えないもの」がいかにわたしたちの生き方と大きな関係があるかを大切にしたいと考えます。
 そしてわたし自身、聖霊と聖霊の働きを信じています。もちろん、パウロの時代に、教会のなかに「異言」と称する訳のわからない言葉をやたらと叫びたてて、これこそ聖霊を受けたしるしである、と主張したグループ(汽灰螢鵐判饂仮函砲里茲Δ平じ方は敬遠しますが、聖霊の見えない働きや導きによって自分がキリスト者とされたこと、あるいは牧師とされたことは信じています。またそれゆえに、その人の信仰も教会も信じられます。
 とりわけわたしが大切にするのは、それを“聖霊の働き”と表現しようがしまいが、実際にそうとしかいいようのない行為が、しばしば人間によって為されていることです。これは「人間の主体性」にも関係があると思います。
2011年5月29日 (日) 教会を教会たらしめるもの 
次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
                      
 説教  教会を教会たらしめるもの 
  聖書  汽灰螢鵐硲院В隠亜腺隠掘

 わたしたちがよく知るパウロの信仰理解には“信仰によって義とされる”という、いわゆる「信仰義認」がありますが、実はこのパウロの信仰理解にはもう一つ、「十字架の神学」があります。
 これはキリスト者にはお馴染みの、「すべての人は罪の状態にあり、イエスの十字架の出来事によってのみ、その罪が贖われる」というものですが、但し、この「罪」に関しては、切り込む角度によっていろいろな理解が可能でしょう。 そこでいまは、毎回の礼拝で唱える「使徒信条」の言葉に焦点を絞って考えたいと思いますが、「使徒信条」の中に「処女マリヤより生まれ、ポンテオピラトの下に苦しみを受け、死にて葬られ、」というくだりがあります。
 これは別言すれば、わたしたちが信じ敬うべき方は、この世の支配者の下で苦しめられ、殺されただけの生涯だった、ということを指し示しており、しかしながら実は、そんな功なり名を遂げた人ではなかったその人の中にこそ(すなわち、この世が求める価値観とは反対の方向に)、わたしたちの求めるべき真実があり、同時にその人が語った言葉こそ真理そのものだった。これが使徒パウロの「十字架」理解だったと思います。
 そうするとこの場合、「罪」とは何か、ということですが、「罪」とは本来、神と断絶している状態(的外れ)のことですから、文字通り自ら語った言葉の体現者となって十字架にかかられた主イエスの言葉(十字架の言葉)を拒絶した状態こそ「罪」、ということになるのではないでしょうか。
 そして、まさに4つの分派をつくって互いに争っていたコリント教会こそその的外れな状態にあり、「十字架の言葉」そのものを否定している、とパウロの眼には映ったのではないかと思います。
 そこで、このコリント教会の姿を通して、「十字架の言葉」と教会とはいったいどのような関係にあるのか、そしてまた教会を教会たらしめるものはいったい何であるのか。この点を、できるだけ教理的な用語を使わずに語ることができれば、と考えています。
2011年5月22日 (火) 「繰り返される励まし」
【先週説教の要旨】 牧師 美濃部賢次
 
 説教 「繰り返される励まし」
  聖書 汽謄汽蹈縫隠魁В供腺隠魁

次週5月29日は藤原一二三先生に礼拝説教を担当していただきますので、今回の【次週説教への黙想】はお休みとし、先週(5月15日)の礼拝説教要旨を載せることにいたします。以下説教要旨。
この汽謄汽蹈縫隠馨錬鏡甍焚爾鯑匹瓩个錣りますように、パウロはテサロニケ教会(仮にそう称します)の人たちの信仰や教会生活のことで、どれほど自分たちが励まされ、喜びにあふれているかを、すこし褒めすぎではないかと思えるほど熱っぽく語っています。
たとえば9節の、「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています」がそうです(ほかにも7節)。そうすると、パウロからこうした感謝や喜びにあふれた言葉をもらい続けたテサロニケ教会の人たちは、いったいどんな思いで、これらの言葉を受けとめたのでしょうか。
わたしはこのように理解します。彼らからすれば、これら一連のパウロの言葉はことごとく、自分たちの苦しい状況を何も知らないまま語られた綺麗ごと、お世辞としか響かなかったのではないか。
もしそうなら、これは当然の反応だという気がします。なぜなら、人の心は一度深く傷ついてしまうと、ちょっとやそっとでは元に戻ったりできませんし、またどのような言葉も、氷みたいに冷え切った心には容易には沁みていかないからです。
けれども、たとえ現実はそうであったとしても、もしそこに、繰り返し繰り返し「大丈夫だ」といってくれる人がいたら、人は少しずつでも僅かずつでも、変えられてゆくということはないのでしょうか。
わたしはそれが起きたのだと思います。つまり、彼らは次第に自分たちをこう理解するようになりました。もしパウロが、わたしたちのことを本当にそう思ってくれているのなら、わたしたちはまだ大丈夫かもしれない、まだ戦えるかもしれない、もう一度立ち上がれるかもしれない、生き直せるかもしれない。
どんなことでも「繰り返し」は大切ですが、言葉は特にそうだと思います。
2011年5月15日 (日) 「まだ欠けているもの」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
 
 説教 「まだ欠けているもの」 
  聖書  マタイ19:16-22(新約37頁) 

 次週はマタイ福音書をテキストにお話します。この箇所はマタイでは「金持ちの青年」、マルコでは「金持ちの男」、そしてルカでは「金持ちの議員」という小見出しがついていますが、細部を除けば、内容的にそれほど差はないと思います。 
さて、すこしテキストの内容に立ち入りますが、このマタイ福音書19章に登場する「金持ちの青年」はイエスに、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」と尋ねています。ここで問題になるのはこの「永遠の命」の理解でしょう。
そもそもこの青年は、「永遠の命」というものをどのように理解し、イエスに質問を発したのでしょうか。その辺りが一つのポイントになるような気がします。そしておそらく彼の理解は、イエスがいう意味での「永遠の命」理解とは、質的に天と地との開きがあったのではないでしょうか。しかし、たぶんイエスはその辺りをわきまえたうえで、あえてこの青年のいう意味での「永遠の命」の流れのなかで受け答えをされたのだと思います。
ただ、そうするとこの「永遠の命」理解も、決して死なない命とか、永遠に生きられる命、というような次元ではなく、もっとこの文脈に添った理解をすべきものと考えるのですが、どうでしょうか。
その際もちろんですが、最終的に考えなければならない点は、イエスがいわれた「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」の意味です。ルカ福音書はこのイエスの発言をより徹底させ、ルカのイエスは「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」と、「すべて」という言葉を加えています。
つまり、単に「持ち物の一部」を売り払って施せばよいのではなく、「すべて」売り払うのでなければ、あなたは律法を完全に全うしたとはいえない、とイエスはいうのです。けれども大事なのは、このイエスの勧告の意図が、実際に全財産を施せばそれで済む問題ではなかったことだと思います。
2011年5月8日 (日) 繰り返される励ましの言葉
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
                      
 説教  繰り返される励ましの言葉 
  聖書  汽謄汽蹈縫隠魁В供腺隠

わたしは京都の教会での18年間の働きのなかで、牧師としていろいろ学ばされたことがありましたが、そのひとつに、教会員であり理論物理学者でもあった、或る方との、すこし長期間にわたる対話を通してのことがありました。もちろん、それは対話ですから、一方的に教えたり教えられたり、の関係ではありません。それだけに、わたしにとっては仕事の上でも個人的にもたいへん有意義なひとときだったと、今あらためてそう思っています。
そこで、この対話を通してわたしが教えられたのは、「科学の限界」ということでした。科学者自らそういわれたので、すこし驚いたことを覚えています。要点をいいますと、科学はどのような問いにも答えられるものではない、ということでした。むしろ、答えられる問題を見つけだしてきて、それに答えるのが科学である、そういわれたと記憶しています。
それはたとえていうなら、病人と病気を切り離して病状だけに注目し、その病状のなかから取り出した結果だけを見て、結論を出すようなものでしょうか。しかしながらそこでは、病気に対する答えは得られても、病人(すなわち一個の人間)そのものは切り捨てられています。これが「科学の限界」ということのように思います。
ところが現代は、こうした「科学の限界」を問うことのない、科学万能主義の時代です。そしてこれは聖書に対する態度にも表れていると思います。一例をいえば、18世紀以前は聖書は霊の働きによって書かれたという“逐語霊感説”が主流でした。つまり、或る人間に霊が乗り移り、その霊の力で聖書が自動的に筆記されたという考え方です。
けれども今日では、こうした立場をとる人たちは、ごく少数を除いて、ほとんどいません。世俗化の影響を受け、なおその上に科学的思考にわたしたちが慣らされてしまったからでしょう。
ところがパウロが活躍した時代は違います。そんな科学的思考とは無縁のパウロの手紙から、いかに今のわたしたちに通じるものが汲み取れるか、です。
2011年5月1日 (日) 「信頼関係」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
                      
 説教  「信頼関係」 
  聖書  汽灰螢鵐硲隠供В機腺隠押複械横格如法

教会はどこの教会も、初期キリスト教の時代から、さまざまな問題を抱えていました。とりわけコリント教会はそうだったと思います。その理由のひとつに、コリントという都市自体の問題があったことは否定できないでしょう。たとえば当時、「コリント人のように生きる」とは、“乱れた生活をする”ことを意味していました。だから西暦55年頃、そのコリント教会の諸問題について教え諭すためにパウロはコリント前書を書いたものと思われます。
但し、そのコリント教会におけるパウロの立場は非常に辛いものであったことが、たとえば汽灰螢鵐硲隠蕎錬浩瓩痢嵌紳仄圓發燭さんいるからです」というパウロ自身の言葉から容易に推測できます。
そしてその「反対者」に、コリント教会の信徒は引きずられてしまったようです。なぜなら当時の信徒のなかには、人に簡単に引きずられてしまう弱い者や、迷信の尻尾を相変わらずくっつけている者や、自分はいつも正しいことをしていると思い込んでいる者など、そういう信徒は多くいたからです。
つまり、どの時代の、どの組織にとってもそうですが、コリント教会でも問題は、人間関係(信頼関係の有無)でした。そしておそらく時には、そうした人間関係のうっとうしさに、さすがのパウロもいい加減うんざりしていたのではないでしょうか。
ただ、ここで考えたいのは、わたしたちはどちらかといえば、いつもパウロの立場を是とし、逆にコリント教会の信徒たちのそれを非とすることに、あまりにも慣れすぎてしまっているということはないのでしょうか。
どういうことかというと、たしかにパウロが、「肉」の方向(“この世のとりこ”となる方向)に向きつつあったコリント教会を、「霊」の方向(最終目標を“魂の世界”に置く方向)へと必死になって変えようとしたことは認めるのですが、そのパウロ自身の教会理解にも考えるべき余地はなかったのかどうか。その辺りのことを、コリント後書も引用しながら明らかにできればと思ってい
ます。もちろんパウロ書簡に、これに関する直接の記述は無いのですが。
2011年4月24日 (日) 恵みを受けて使徒へ
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次
                      
 説教  恵みを受けて使徒へ 
  聖書  ローマ1:1〜7 

 次週は「ローマの信徒への手紙」からお話ししたいと思います。この手紙は概ね、パウロの第3伝道旅行中に、滞在先のコリントにおいて、ローマの教会へ宛てて書いたものであろう、とされています。時期は紀元56年前後です。
 ところで、ふつうわたしたちは「ローマに在る教会」と聞きますと、壮麗で堅固なキリスト教会の建物が存在していたかのようにイメージしがちですが、事実はそうではなかったようです。実際はいくつかの家の教会が、ローマのユダヤ社会の周辺部に点在していたにすぎませんでした。
 そういう概論的なことは書物を調べればわかることですが、今回与えられたこのテキストに対するわたしの関心事はといいますと、ローマの教会はパウロが設立したものではなかったことと関係します。
 つまり、パウロが組織したとされるコリントやガラテヤの諸教会とは違って、この教会ではパウロはかなり自分の使徒性、使徒職を意識せざるを得なかったのではないでしょうか。というのも、ローマの教会にはパウロをよく知る者はすくなく、彼の説く福音も誤解されて受け取られることが多かったからです。そしておそらく、コリント教会で起きたようなこと(二コリント3:1以下、10:12以下など)が、ローマの教会でも問題視されたでしょう。
 そうすると、たとえば1章1節の「召されて使徒となったパウロから」という言葉も、ローマの教会に対する単なる形式的・儀礼的なものというより、召される以前の自分の生き方がどのようなものであったか、を強く意識したうえでの言葉ではなかったでしょうか。                  
 たとえば、パウロはキリストの使徒として召される以前、自ら率先してキリスト教徒を迫害しました。たとえ直接手を下さなかったとしても、そのために命を落としたキリスト教徒も決してすくなくなかったでしょう。そのことをパウロは片時も忘れたことはなかったと思います。そういう思いが、わたしは先ほどの「召されて使徒となった」や「恵みを受けて使徒とされました」(5節)などの言葉によく表れている気がします。
2011年4月17日 (日) 出会い直す
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次   
説 教   出会い直す                
聖 書   ヨハネ20:11〜18 

今までに転居した回数を数えますと16回以上になります。けれども、今回の18年ぶりの引っ越しでは、これまでに蓄えてきたはずの知恵や経験がすこしも生かされず、毎日モノ探しばかりしている状態が続いています。軌道に乗るまで、もうすこし時間をくださいますように。さて、いよいよ4月24日はイースターです。テキストとしてはヨハネ福音書20章11節以下を与えられました。この箇所からどのようなメッセージを汲み取ることになるのか、目下のところ黙想中であり、皆目見当もつきません。ただそうはいっても、メッセージへの鍵となる言葉としてひとつだけ示された箇所があります。それは17節の「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。」という、イエスのマグダラのマリアに対する言葉です。この「わたしにすがりつくのはよしなさい」という言葉に、いったいどのようなイエスの意図や思いが隠されているのか。そこが明らかになれば、と考えています。 但し、わたし自身の拙い経験でしかありませんが、説教は実のところギリギリまで筋道も結論も決まらないことがしばしばあります。だから説教題さえつけたくない、というのが説教者の本音だと思います。実際、そうしている教職を知っています。とういうことで、これからも幾度となくあるだろうと思いますが、黙想で述べたことと、実際の説教内容が大きく食い違うということは常に起こり得ることです。しかし、これは福音の働きの多様性ということと連動して考えてみても、むしろ健全なことではないかとわたしは理解します。わたしたち牧師家族にとっては4月24日の礼拝は主恩教会での初めてのイースターであり、しかも当日は、恒安園での墓前礼拝、愛餐会など盛りだくさんです。礼拝をはじめ、どの集いも、主に在って恵み豊かなものとなりますよう、お祈りいたします。アーメン! 
2011年4月10日 (日) “一粒の麦”のたとえ
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次   
説 教   “一粒の麦”のたとえ 
聖 書   ヨハネ12:20〜36 

前任教会退任に伴う最後のさまざまな事務的引き継ぎや集会を終えて、主恩教会に赴任してから早くも2週間が経過しようとしています。そしてこの2週間はなにを考える暇もないほど矢のように過ぎてしまいました。 そして当然といえば当然のことですが、わたしは今、この地に立って、自分がいったい神様からなにを求められ、どのような方向へと歩みを進めればよいのか、皆目見当がつきかねています。 その主たる理由はおそらく、主恩教会がこれまでなにを大切にしてきた教会であり、そこに連なる方々が今どのようなことを考えておられるのか、があまりよくわかっていないからだと思います。 ただ、そのうえで自分自身自戒していることは、前の教会でうまくいった方法論が、そのまま今自分の牧する教会に当てはまるわけではないし、当てはめてはならないということです。そして結局は、これから牧師も信徒も、双方が祈りつつ、知恵を出し合いつつ、自分たちが置かれた地域において、どうすればよいのかを、苦悩しながら、自分たち自身で見いだしていくほかはないのでしょう。 わたしたちはこのような中で受難週を迎えようとしています。テキストとして与えられているヨハネ福音書は、イエスのエルサレム入城から十字架の死に至るまでの最後の一週間を描くのに、ほぼ半分近くを費やしていることで知られますが、そのエルサレムに入ったイエスはこのとき“一粒の麦”のたとえを語りました。 わたしはこうしたイエスのたとえは、単なる教訓や教えといったものではなく、全てわたしたち一人ひとりの生き方(実存)に関わることだと理解します。だからこそ当時の人びとも、そのイエスから語られた言葉やたとえを、受容するにせよ反発するにせよ、自分の中心にまっすぐ向けられたものとして捉えられたということではないか。その辺りに注目します
2011年4月3日 (日) 「信仰に入った人たち」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次   
説 教  「信仰に入った人たち」  
聖 書   使徒言行録14:1-10

使徒言行録の成立年代には諸説ありますが、だいたいは紀元80年代後半〜90年代前半だろうといわれます。そしてこの文書は、「神の言葉」としてのキリスト教が、ユダヤ教世界から次第に異邦人世界へと拡がっていったその状況を、信仰的エピソードを織り交えながら描きます。 けれども、こうしたキリスト教の教勢拡大は、なにも原使徒たるペトロたちや或いはパウロといった、当時のキリスト教世界でよく知られた使徒たちの活躍によってだけもたらされたわけではなかったでしょう。そうではなく、彼らやそしてまた今となってはその名前すらわからない数多くのキリスト者たち以外にも、「敬神家」と呼ばれた異邦人キリスト者たちの存在が大きかったことを忘れてはならないように思います。 たとえば使徒言行録14章1節に、「大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った」とありますが、ここに登場するギリシア人たちのなかにも、おそらくそうした敬神家は相当数いたのではないかと推察されます。 しかしそうすると、彼らはいったいキリスト教のどこに、自分たちが求めるべき真実や理由を見いだしたというのでしょうか。なぜこの点が重要かというと、彼らは当初、ユダヤ教をとおして唯一なる神を知ったのであり、だからこそユダヤ教の周縁部分に位置していたと思われるからです。 そういう異邦人たちがユダヤ教からキリスト教に改宗するには、改宗するに足るだけの理由があったはずです。そんな彼らが求め見いだしたものを、同じ使徒言行録8節に記されている「足の不自由な人」との関係をとおして考えてみたいと思います。 そしてその際、ひとつのヒントとなるのは、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」(10節)というパウロの言葉ではないかと考えます。なぜパウロはここで、ただ「立ちなさい」とはいわず、「自分の足」という言葉をわざわざ付け加えているのか。聖書は意外と、こうしたちょっとした表現が大事になることがあります。
2011年3月30日 (水) 「安息日の掟」
【次週説教への黙想】 牧師 美濃部賢次   
説 教  「安息日の掟」  
聖 書   マルコ 2:23-28 ヨハネ 9:41

聖書はたしかに日本語で書かれ、しかも現在の新共同訳聖書もそうですが、読み手にとっては比較的読みやすい言葉で記述されています。しかし、たとえどれほど読みやすく書かれてはいても、その内容は必ずしも「読めばわかる」、というふうにはいかない場合がしばしばあります。 たとえば、このテキストでは“安息日”にまつわる事柄が問題になっています。けれども、目をとおしただけで「よく理解できた」といえる人が、果たしてどれだけいることでしょうか。 そこで、より深く理解するためにふつうよくやる作業は、当該テキストにでてくる言葉や時代背景等を調べたり、場合によっては前後関係の文脈等も考慮して、そういう作業の後に、示されている当該箇所でいったいどういうことが問題となり、何が大切なこととされているかを把握するわけですが、わたしはその把握したことが、たとえ学問的にはどれほど正確であったとしても、それがそのままメッセージになるとは思えません。 つまりいいたいのは、もちろん言葉の語義や時代背景等に関して、より正確を期さねばならないのは当然のことですが、最終的には、思いきって意訳したり例話を多用してでも、聞き手にとって通じる言葉で語ること、聖書解釈にはそうした側面がもっとあってよいように思います。 そうした点を踏まえながら、まずファリサイ派の人たちのものの見方や人間観の、どこが問題であったかに注目していきたいと思います。そしてそのうえで、イエスの彼らに対する批判の中心がどこにあったか、を明らかにできればと考えています。 そのために一箇所だけ聖書を引用します。ヨハネによる福音書9章41節(新約書186ページ)です。このヨハネ書との関連において、イエスの思想や人間観とファリサイ派たちのそれとが、どれほどの質的距離があったかを語ってみたいと思います。そして無論のこと、こうした聖書理解は4月24日のイースターへつながっているものと信じます。
2011年3月23日 (水) 「インマヌエル アーメン」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生   
説 教  「インマヌエル アーメン」  
聖 書   イザヤ 7:10-17  マタイ 1:18-23

神学部に入学して間もない頃の忘れない出来事の一つ。神学館の前で中学部からの同級生継谷昌三君(故人)と出会った。すれ違いざま彼は、「相浦、インマヌエルってどういう意味や」と聞いてきた。「うん。…あのー…」と口ごもるわたし。その時「インマヌエルは『神われらと共にいます』という意味です」(当時は口語訳)と助け舟を出してくれのは一緒に歩いていた藤原一二三牧師であった。流石! 実は、何を隠そう、わたくしはそれまで「インマヌエル」の意味を知らなかったのである。そして、その時がわたくしのインマヌエル信仰の出発点となった。「インマヌエル」ということばは旧約聖書ではイザヤ書に3箇所(7:14、8:8、8:10)だけにある。新約聖書は1箇所だけ、マタイ1:23にあるがここはイザヤ書からの引用である。新共同訳は「神が我々と共におられる」(イザヤ書)、「神は我々と共におられる」(マタイ)である。次週はこの言葉が使われたイザヤ書7章の背景をふまえながら「インマヌエル」の意味を考えて見る。主恩教会での最終礼拝説教、46年間(伝道師3年 牧師43年)の最後の礼拝説教の題を「ただ主のみを見上げて」にしようと考えていた。一寸恰好を付けすぎと反省して、「インマヌエル アーメン」とした。何故?この言葉は、再び神学生時代の思い出で恐縮だが、歴史神学(アンセルムスの研究者)印具徹教授が授業の中で、「橋本鑑牧師(橋本ナホ牧師のお連れ合い)は祈る時にいつも木魚をたたきながらインマヌエル アーメン インマヌエル アーメン インマヌエル アーメンと祈っておられた」と話されたことから借用した。わたくしは半世紀の間、この「インマヌエル アーメン」を心の中に抱きながら牧師生活を続けてきたのだということを今、つくづくと思って感謝をささげている。5年間の【次週説教への黙想】を読んでくださってありがとうございました。
2011年3月15日 (火) 「神の愛における回復」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生   
説 教  「神の愛における回復」  
聖 書   ホセア 3: 1- 5 ル カ 10:25-29

次週も旧約聖書をテキストに説教させていただくが、テーマに「愛」を掲げた。新約聖書で「愛」を語るときにはアガペー、つまり「神の愛」を機軸に語られることが多い。では旧約聖書ではどうだろうか。新共同訳旧約聖書で「愛」ということばを検索すると240とでる。その一つ一つをていねいに見ていくと旧約聖書の「愛」の全体像が浮かびあがってくる。もっとも聖書事典で「愛」の項目を引くとまとめてくれてはいるのだが。次週のテキストはホセア書である。ホセアは紀元前8世紀に北イスラエルで活躍した預言者。ヤロブアム二世時代は繁栄していたイスラエル王国はホセアの時代にはメソポタミアの大国アッシリアの脅威にさらされていた。25年後にはイスラエルはアッシリア帝国によって滅ぼされるのであるが、その間6人の王が交替し、その内の4人が暗殺された。ホセアはヤロブアム二世の末期から北イスラエルが滅亡する少し前まで活動した。4章からがホセアの預言なのであるがその冒頭に次のような言葉がある。「主の言葉を聞け、イスラエルの人々よ。主はこの国の住民を告発される。この国には、誠実さも慈しみも/神を知ることもないからだ。呪い、欺き、人殺し、盗み、姦淫がはびこり/流血に流血が続いている。」。「人殺し、盗み、姦淫」は十戒の戒め。「慈しみ」はヘブル語でヘセド、「愛」とも訳される。ホセア書において「愛」ということば、日本語で12回登場する。その内「神の愛」は9:15、11:1、12:7、15:5と4回である。「神の愛」が人間の魂に働きかけて回復に導くというのが旧新約聖書の教えであるが、ホセアの生涯と預言を通してその経緯を見ることにする。
2011年3月8日 (火) 「あなたがたは世の光である」
【次週説教への黙想】 牧師 藤原一二三   
説 教  「あなたがたは世の光である」  
聖 書   イザヤ 51: 4-16 マタイ 5:14-16

<光>は、この世界において大切な役割を果たしている。<光>がなければ、人間だけではなく生き物全ての営みが消滅するだろう。キリスト教だけでなく全ての宗教において<光>には、多くの役割があることを告げている。新約聖書(福音書)は、特に、<光>との対極にある<暗闇>と共に人間の根本的な問題について語っている。人間がつくりだす罪によって、<暗闇>が生まれ、人間の内側を支配し人間として生きる道を覆い、神へと歩む道を失わせている。この現実を知らせるために、イエスは<光>として、神の啓示者として、この世に遣わされたとヨハネは語っている(ヨハネ1:1-8)。このイエスに従うとき<人間は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ者となる>(ヨハネ8:12)と。さらにマタイ福音書では、<あなたがたは世の光である>と記されている(マタイ5:14)。もちろん人間自身が誕生のときから、<光>である、ということではなく、<命の源>である方と共に歩むときに、という条件が付されている。しかし、マタイが85年から90年頃のパレスチナ北部(またはシリア)のキリスト教徒たちの絶望的な社会的、政治的な状況の中で、<真の光>を探す者に、その<光>によって歩もうとする者に真の希望をもって歩む者の役割を示している。その役割とは、どのようなことであろうか。されは、あなたがたの<光>を人々の前に輝かすことであり、結果的に、それは<良いわざ>だというのである。わたしたちも<良いわざ>に励みながら、<光の源>である方を信じ、この方の言葉を聞き続ける道を歩みたいものである。では、<良いわざ>とは、どのようなことを意味するのか……
2011年2月14日 (月) 「わたしを贖う方」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生
説 教  「わたしを贖う方」
  聖 書   ヨ ブ 19:21-27 ヨハネ 1:14-18 

「ヨブ記」は旧約聖書の分類でいえば知恵文学に属している。律法書、歴史書、預言書が概してイスラエル民族に言及しているのに対して、知恵文学は個人の経験、個人の信仰に言及している。個人としてのヨブという人物についてはヨブ記の1章と2章、そして最後の42章に紹介されている。1章にこのヨブは「義人」であったと記されている。「義人」とは現世的にいえば「利害を顧みず、正義を重んじる人」の意であるが、聖書では「人間的に正しいことを前提として、特に神の前に正しい、即ち信仰的な人」を意味している。旧約聖書は神が祝福のしるしとして財産、子宝を与えるとするが、ヨブはまれに見る「義人」で、それゆえに財産にも子宝にも恵まれていたという。ところがヨブはそれらの財産や子宝を一瞬にして失い、自らも苦しい皮膚病に悩まされることになった。ヨブ記のテーマが「義人が何故苦しまなければならないのか」即ち「義人の苦しみ」と言われる所以である。ヨブ記は知恵文学のジャンルであるということ言ったが、テーマとモチーフとは分けて考えたほうがいいと思うが、ここで扱う問題ではないので先に進む。「義人が何故苦しまなければならないのか」という問題は、ヨブとヨブを訪ねてきた3人の友人との数度の議論という形式で展開していく。読めばわかるのであるが、ヨブが「義人である自分が何故こんなに苦しまなければならないのか、神はおかしい」と何度もいうので、慰めるために来た友人たちは因果応報思想の立場に立って「ヨブよ お前は傲慢だ 何が神はおかしいのか お前が苦しむのはお前に罪があるからではないのか」とヨブ批判をする。4:7-9、8:3-4、11:4-6参照。ヨブは人間の言葉に疲れ、躓き、神との論争を試みる。「神様 あなたは間違っている」と。死を覚悟しているヨブは最後には神との和解を願うこととなる。その結果どうなったのであろうか。19:25にある「わたしを贖う方」をキーワードとしてお話をすることにしたい。
2011年1月31日 (月) 「イザヤの黙示録」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生   
説 教  「イザヤの黙示録」  
聖 書   イザヤ 25:4-10 ヨハネ黙示録21:1-4

日本基督教団信仰告白は、「我らは信じかつ告白す。」の次に「旧新約聖書は神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。」と告白する。旧約聖書と新約聖書を併せたものを「聖書」というのに、なぜ「聖書は」と言わないで「旧新約聖書は」というのだろう。日本基督教団信仰告白が制定されたのは日本基督教団が成立した1941年から13年を経た1954年(10月26日第8回教団総会)であった。その当時、教職、信徒の中で旧約聖書はどの程度の位置をしめていたのであろうか。キリスト教だから新約聖書だけあれば充分と新約聖書だけを用いていた人たちも少なくなかったように思う。では今の時代はどうなのか。旧約聖書が大切であるという意識はその当時よりは高くなっているとは思うのだが、果たしてどうなのだろうか。だからということではないが、最近は月一度くらい、旧聖書をテキストに説教している。次週のテーマは「旧約聖書における終末」である。イザヤ書24章〜27章は「イザヤの黙示録」といわれている。聖書の中の黙示録といえば、ヨハネの黙示録が良く知られている。そこには「終末」のことが書かれている。旧約聖書ではダニエル書も黙示文学である。ヨハネの黙示録にしろダニエル書にしろそれらは信仰が迫害されている時に書かれたものである。迫害下では多くの殉教者がでたのであるが、殉教者追悼と共に、信仰を捨てないで命がけで守り通している人たちを励ますために書かれた。「終末」というと「ノストラダムスの大預言」的な発想をする者も多いし、オウム真理教や、カルト、集団自殺等の基も聖書とは異なった終末思想によるものである。では聖書の終末観、終末思想とはどのようなものなのか。膨大な内容を有している事柄なので、語意の説明程度にとどめて、次週のテキストである「イザヤの黙示録」に言及しようと思う。2月11日「信教の自由を守る日」のことも念頭におきながら。
2011年1月24日 (月) 「生ける神に立ち返る」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生   
説 教  「生ける神に立ち返る」  
聖 書   イザヤ 40:1-11 使徒言行録14:8-20

何事にも表と裏がある。表100%裏0%ということも、裏100%表0%ということも有り得ない。このことは福音伝道においてもいえることである。次週テキストの前の「イコニオンで」(14:1-7)はその典型である。キリスト信仰を持つ者にとっては金科玉条の福音も、そうでない人たちにとっては騒がしいどら、やかましいシンバルなのである。その人たちの一部は過激な行動をとってキリスト教徒を迫害する。迫害されたキリスト教徒はしゅんとするのではなく、むしろ更なる伝道の意欲に燃えて福音を宣べ伝えていく。そのようにしてキリスト教は広がっていく。それは、伝道は人間の業ではなく、神御自身の伝道だから、というのが使徒言行録全体の枠組みである。次週のテキストは「リストラで」と表題がついているが、14:6-7を受けている。パウロとバルナバはイコニオンで受けた反対者たちによる難(乱暴と投石)を避けてリストラとデルベに逃れたのであるが、逃れただけでなく、「そして、そこでも福音を告げ知らせていた」(7節)のである。1620年、イギリスで迫害にあった清教徒ピルグリムファーザース102名が信仰の自由を求めてメイフラワー号に乗って北アメリカ(マサーチュセッツ州)に渡り、そこにキリスト教都市を開拓した出来事は使徒言行録の記事をそのまま実行した実例といえる。伝道への熱情は分かるのであるが、全てを理解しているわけではない。8節以下のリストラでの記述は少し丁寧に読む必要がある。他の箇所は丁寧ではないという意味ではないので誤解のないように。「足の不自由な男のいやし」の記事、「パウロとバルナバがギリシャ神呼ばわりをされた」記事は経験がないので実感がわかないのであるが、「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです」(15節後半)を手がかりに再解釈を試み、黙想を進めていこうと思う。
2011年1月17日 (月) 交換講壇 「神様に支えられて」
【次週説教への黙想】 牧師 尾堂拓哉(西神戸教会)   
説 教  「神様に支えられて」  
聖 書   民数記9:15-23 ル カ4:16-30

私達は、日々の歩みの中で私達の思いを遥かに越えたものとの出会いがが与えられてきます。その時にその出来事をどのように受け止めてるかで、私達の歩みは変わります。神様を知っているか、否かはそこで大きく影響します。同じ出来事でも受け止め方一つで、私達に与えられてくる生きる力は変わってくるのです。私は、昨年末、本当に苦しい・悲しい・心の痛い出来事に出会いました。しかし、その時自らが神様に祈ることにより、また多くの人々に祈っていただく事によって、希望の光を与えられ今に至っています。神様が共におられ、愛してくださっていることを知ることがいかに大きな生きる力となるかを味わい、今もなお味わい続けています。 主イエスは、神様から与えられた役割をこの世で果たすために多くの苦しみを味わいました。そして最後は、十字架に付けられてしまうのです。しかし、困難な歩みを負わされているイエスではありましたが、いつも祈ることによってその道を歩み出しました。自分の思いではなく、神様のみ心に従って歩んだのです。この地が神様の愛を知り、受け入れるように、さらには人々が互いに愛し合い命の豊かな営みをなすようにと自らの歩みと命を捧げてくださったのです。ここに示されている聖書は、宣教の歩みを始めたイエスが故郷のナザレで受け入れられなかったことが記されています。イエスは、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と語り、かつてイスラエルの民が預言者を受け入れられなかったと同じく、自らの事も受け入れられないことを語ります。そのことによって、民はイエスに対して憤慨し、崖から突き落とそうとしました。しかし、その危機一発の状況を神様は、救ってくださいました。イエスは、自らに危機迫る事を知りながらも、語るべきことを語り続け、なすべき事をなし続けたのです。イエスは、神様の言葉を語るとともに神様のみ心を行うという大切な役割を受け入れ、神様を信じ歩み抜くのです。イスラエルの民もかつて、出エジプトの時「主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。」と記されている通りに行動して、カナンの地へと導かれたのです。私達も共にいてくださる神様を信じて、祈りと希望と愛を忘れず歩めれば幸いです。
2011年1月11日 (火) 「イエスはどこで誕生したのか」
【次週説教への黙想】 牧師 藤原一二三  
説 教  「イエスはどこで誕生したのか」  
聖 書   ミ カ 5: 1- 3 マタイ 2: 1- 6、16-18

イエスがベツレヘムで誕生したというクリスマスのメッセージは、一つの問いをわたしたちに投げかけます。なぜイスラエルの都エルサレムではなく、小さな町ベツレヘムで、イエスが誕生したと伝えているのでしょうか。しかもこのイエスが全ての人間の救い主(メシア)としての宣べ伝えられたのでしょうか。これを伝えるマタイの意図はどこにあるのでしょうか。「エルサレム」は、その昔から「シオンの要塞」とか「ダビデの町」とか呼ばれてきました。ダビデは「要塞」の中に住居を定めましたし(サムエル下5:9、歴代上11:7)、バビロニアの捕囚後100年たって、ネヘミヤの指導で破壊されたこの町と神殿の修復がなされ、イスラエルの民の精神的中心地、聖なる都となっていったことが示されています。しかし問題は、この町を聖なる都と呼び、しばしばイスラエルの人たちの心の故郷としての役割を果たして来たことを示していますが、同時に王や支配者たちが、この都を支配し民に暴力を振るい、神の言葉を聞くより、己の欲望を満たそうとする姿が浮かび上がってきます。聖なる都と権力者の支配する都、聖と俗、愛と流血という全く相反する顔を持つエルサレムが浮かんできます。これに対して、イエスが誕生したベツレヘムは小さな町でありますが、ここにはローマ軍の駐屯地があり、そのために兵士たちによる女性や子どもたちへの暴力行為に苦しめられていました。それにもかかわらず男性たちは生きていくために占領軍の基地で働かなくてはなりませんでした。いずれにしても支配者たちが民衆を苦しめている状況の中で、マタイもルカも神の祝福から最も遠い所に生きていると見られているベツレヘムの羊飼いへの<イエスの誕生>の宣言、その誕生が全ての人たちへの<福音>のしるしであり、東の国(異国)の占星術師たちの到来、そして幼な子に礼拝を捧げていることに、当時としては考えられないような方法で、全ての人たちが共に生きる姿を語っていることに希望をもちながら、この年も共に歩みたいものです。
2011年1月4日 (火) 「足の塵を払い落として」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師  
説 教  「足の塵を払い落として」  
聖 書   ネヘミヤ 3:33-37  使徒言行録13:42-14:7

使徒言行録はこれからしばらく「パウロの宣教旅行」の記事が続く。新共同訳が使っている「宣教旅行」という言葉だけれども、口語訳の時代は「伝道旅行」だった。この「宣教」と「伝道」はどう違うのだろうか。日本キリスト教団の世界での「宣教」と「伝道」の使用についてはわたくしもある程度理解している。しかし使徒言行録において「伝道旅行」をわざわざ「宣教旅行」に置き換えなければならない理由は何か。わたくしは「伝道旅行」で馴染んできた。それで「伝道」の方を使うことにする。「伝道」とは「道を伝える」という言葉である。更に「道」−これを「どう」と読むとーには武道、茶道、華道、歌道等々数多くの「道」がある。使徒言行録の場合は「主イエス・キリストの福音の道」に限定されている。更に、この「福音の道」は宣べ伝えられなければ伝わらない。パウロは「また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』」(ローマ10:14-15)ということで自ら「伝道旅行」に出かけた。日本基督教団信仰告白は「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり、教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。」(下線相浦)と告白する。「福音は宣べ伝える」ものなのであるが、「正しく」とはどういう意味なのか。「福音を正しく宣べ伝え」ることと「聖礼典を正しく執り行う」こととの関係についてはどうなのか。更に、「福音」「聖礼典」と関係する「愛のわざ」とは具体的には何なのか。使徒言行録を読みながら再考したいと思う。次週のテキストから。「福音」が宣べ伝えられるところでは必ずと言っていいほど「妬み」「反発」といった摩擦が生じる。いわば「雉も鳴かずば打たれまい」ということなのであるが、それでも雉は鳴き続けるのである。
2010年12月27日 (月) 「神の言葉を聞く」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師
  説 教  「神の言葉を聞く」
  聖 書   列王記上 19: 3-18 競灰螢鵐5:16-18

「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」若かった頃、病室で新年を迎えたことが2度ある。その内の1回、元旦の朝、ラジオを聴いていたときこの聖句が耳に入ってきた。数名の著名人に「新年を迎えて」のインタビュー企画であった。この聖句を語ったのは郡祐一氏であった。その時の郵政大臣。故に年代は伝道師になったばかりの1966年の元旦ということになる。人間の都合に合わせて聖句を引用することは好きではないのだけれども、その時は弱気になっていたので勇気と希望を与えられた思いをしたことを覚えている。「古い」「新しい」は“時”の新旧ではなく、キリストを着る前の「古い」、キリストを着た後の「新しい」なのであるが、その時きちんと分かっていたかどうか。次週は「新年礼拝」である。2011年の抱負にまつわったお話をすべきかも知れないが、そうではなく、「神の言葉を聞く」と題して旧約聖書のお話をさせていただく。エリヤ物語は列王記上17章からはじまる。次週は19章の前半をテキストとした。エリヤは紀元前9世紀に北イスラエルで活躍した預言者である。19:1にアハブとあるがこの人物はこの時代にイスラエルを治めていた王である。彼の妻はイゼベル。彼女はフェニキアの王エトバアルの娘であった。アハブはフェニキアとの交易を有効に進めるためにイゼベルと政略結婚をしたのである。問題は結婚したことによってバアル礼拝をイスラエルに持ち込んだことであった。エトバアルという名前は王が同時にバアル宗教の祭司でもあったことを表している。バアル礼拝を推進するということは、同時にヤハウェ礼拝者を迫害するということでもある。預言者エリヤは当然迫害の対象となり、迫害を逃れて南の方に逃げた。19章はその出来事を記している。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。」と自分の命が絶えるのを願うほどに悩んだエリヤに臨んだ神の言葉を学ぶことにしたい。
2010年12月21日 (火) 「パウロ、宣教旅行に旅立つ」 
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師  
説 教  「パウロ、宣教旅行に旅立つ」  
聖 書   イザヤ 55: 1- 5 使徒言行録13:13-25  

小止みもあらぬ 月日のあゆみ、花のゆめじを たどりし程にあきの紅葉も いつしか散りて 今年もはやく 暮れにけるかな(讃美歌` 409番1節) 

今年、即ち2010年という年も、後(今日を入れて)13日となった。「小止みもあらぬ」、顧みてまさに休みなしの一年であったと思う。間もなく訪れてくる2011年という年が、労苦多き一年になることが分かっていても、「幸多かれ」と祈る次第である。教会はどちらかというと<年度>で計画を立て動いているので年末年始といえどもまだ途中という感が大きい。次週は2010年の最後の聖日である。<歳末礼拝>として守るが、説教は草原を淡々と旅するようにいつものペースで続けていくことにする。アドベント入りの11月28日から24日のイブ礼拝まで<待降><降誕>を主題に説教してきたが、次週から再び使徒言行録に戻ることにする。前もって予告しておくが、わたくしの説教は2011年3月27日で終るので使徒言行録の連続も途中で終ることになる。2009年8月から月一回は旧約聖書をテキストにした説教をしてきたが新年明けからは6回試みたいと思う。割り振りは、使徒言行録3回は旧約聖書6回、藤原一二三牧師3回、尾堂拓哉牧師(兵庫教区交換講壇)1回ということになる。使徒言行録は13章にはいる。ここからパウロの宣教旅行がはじまる。新共同訳の巻末にある聖書地図7〜9を見ていただきたい。私事であるが、18歳の時、即ち関西学院大学神学部に入学した4月から母教会の祈祷会に出席するようになった。その時、神学部大学院生の川崎正明が「使徒行伝」(当時口語訳)の聖書研究を担当していて、自分で模造紙に地図を書いて解説していたことを思い起こす。ここからは地図を見ながら読んでいくことも楽しい。「旅行」するのは異邦人伝道を試みたからであるが、コリントでは1年6ヶ月間滞在しているので、わたしたちが日常理解している旅行とはかなり異なっている。地理的側面も大切だが、宣教内容を読み取ることも大切である。
2010年12月13日 (月) 「別の道を通って」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師  
説 教  「別の道を通って」  
聖 書   ゼカリア 9:9-10 マタイ 2:1-12 

次週19日聖日は2010年度クリスマス礼拝として守る。25日の降誕日(クリスマス)以前の聖日にクリスマス礼拝を守ろうとする限り、一番早い日である。今日の世相とも関係するのかも知れないが、早すぎてクリスマスの心の備えがなされていないという思いも正直ある。19日聖日というのは6年か7年に一度巡ってくるのであるが、10数年前、友人が牧師をする教会で19日は早すぎるというので26日聖日にクリスマス礼拝を守ったことがあった。クリスマス礼拝は25日降誕日以前の聖日でなければならないという規則はないのだから、わたしはそのような発想をしたことはなかったのだけれども、新しい考え方を示された思いであった。イエスの誕生の記事はマタイとルカに記されているが、マタイはルカに比べるとイエスへの言及が少ない。それでアドベントからクリスマスにかけてはルカをテキストとすることが多かった。べつに多くの牧師がそのように考えている訳ではないと思うので、今回はマタイの記事(1章と2章)を読んでみた。2章でイエスの誕生が語られるのだが記述は「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」とまことにそっけない。むしろ<ヘロデ王の不安な感情と幼児殺し>が全面を覆っている。「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた」(3節)、「そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した」(8節)、「ヘロデは…ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(16節)はそれぞれどのように繋がるのであろうか。説教のテキストは2:1-12である。説教題は12節からとって「別の道を通って」とつけた。人生には<往路>と<復路>がある。普通、クリスマスは礼拝に赴く<往路>に思いが集中しがちだが、礼拝から帰る<復路>のことをもっと考えなければならないのではないか。その際、「別の道を通って」帰る<復路>と何なのだろうか。
2010年11月22日 (月) 「おめでとう 恵まれた方」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生  
説 教  「おめでとう 恵まれた方」  
聖 書   イザヤ 7:10-17 ル カ 1:26-38

次週28日からアドベントにはいります。主イエス・キリストの御降誕を待ち望むアドベントの4週間、わたしたちはどのような備えをすればいいのでしょうか。いうまでもなく聖書の御言葉を祈りです。新約聖書はマタイ福音書1章2章、ルカ福音書1章2章、旧約聖書はイザヤ書7章、ミカ書5章を読みましょう。無論これだけで十分ということではありません。参考までに「日毎の糧」から抜書きしてみましょう。11/28 主の来臨の希望 エレミヤ 33:14-16 ル カ 21:25-36
12/ 5 旧約における神の言 イザヤ 55: 1-11 ル カ 4:14-21
12/12 先駆者 ゼフアニヤ 3:14-18 ル カ 1:5-25
12/19 告 知 イザヤ 11:1-10 ル カ 1:26-38a
12/25 キリストの降誕 イザヤ 45:22-25 ヨハネ  1:1-14
〃    〃 ミ カ 5:1-3 ル カ 2:1-20
12/26 東方の学者たち イザヤ 61:1-11 マタイ  2:1-12
次週説教はマリアへの受胎告知の記事をテキストにした。余りにも有名な箇所であり、多くの人たちに周知なのでメッセージをどのように聞き、何をどのように語るのかにとまどいを覚える。いつもそうしているのであるが、語ることを目的に聞くのではなく、信仰のことばとして聞いたことを語らせていただく。「おめでとう 恵まれた方」(1-28) 新約聖書翻訳委員会訳では「こんにちは、恵まれた女(ひと)」。マリアが心乱されたこの唐突な神の言葉(天使が語っているのではあるが)を黙想しようと思う。「おめでとう」或いは「こんにちは」はともかくとして、「恵まれる」ということの意味を考えて見たい。
2010年11月1日 (月) 「イエスを記念して」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  「イエスを記念して」  
聖 書   申命記34:5-8 マルコ 14:3-9 

日本基督教団の大半の教会・伝道所は毎年11月第二主日を「聖徒の日(永眠者記念日)」として守っている。新約聖書では神に対して清められた者、神に献げられた者を意味し、一般の信徒を全て「聖徒」と呼んでいる。しかし、道徳的資質の意味ではなく、汽灰螢鵐1:30に「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」とあるように、キリストの聖と義を転嫁された者という意味である。更に、信仰を抱いて天に召された者についても「聖徒」と呼んで「聖徒の日」を定めたのである。尚、プロテスタントにはカトリックの「聖人」思想はない。「永眠者記念日」の「永眠」について。死或いは死生観についての理解は範囲が広いので死者を永眠者と呼ぶ説があっても異論をはさむ積りはないが、聖書は死者を天上の神に召された者と理解しているので主恩教会では「永眠者記念礼拝」ではなく「召天者記念礼拝」とした。次週は「主恩教会の「天上会員」名簿はお手元にお配りして、その方々を覚えて礼拝を守る。昨年の聖徒の日以降に名簿に記載された方々は、高出昌洋兄、直井まさへ姉、小宮山三代子姉、瀬藤英嗣兄の4名である。キリスト教で死者を追悼する時、その基点にあるのは主イエス・キリストの十字架の死である。このことについて日本基督教団信仰告白は「御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖いとなりためへ」と告白している。説教でこのことを説明する時間はない。説教テキストとして与えられたのはマルコ 14:3-9「ベタニアで香油を注がれる」の記事である。香油をイエスの頭に注ぎかけたことで非難をあびた「一人の女」に言われたイエスの言葉、「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」を黙想したい。
2010年10月19日 (火) 「宣教旅行に出発する」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  「宣教旅行に出発する」  
聖 書   出エジプト記 7:8-13 使徒言行録 13:1-12

13章にはいる。冒頭にアンテォキア教会の教会員の名前が記されている。バルナバ、シメオン、ルキオ、マナエン、サウロ、そして預言する者や教師。これだけではないかも知れないがこのメンバーの背景からユダヤ人キリスト者で構成されていたエルサレム教会とは異なった教会の姿がうかがい知ることができる。このアンテォキア教会は、主を礼拝し、断食をしていたという。使徒言行録3:43以下にエルサレム教会の「信者の生活」の記事があるが、この記事と照らし合わせてみてもここだけではエルサレム教会とは異なったアンテォキア教会の姿ということにはならない。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」 ここで「仕事」と訳されていることばのギリシャ語はergonエルゴンで通常の仕事の意であるが、ここでの内容は「伝道」である。無論エルサレム教会も伝道したのであるが、アンテォキア教会の伝道の特色は海外伝道、異邦人伝道であった。アンテォキア教会はそのためにバルナバとサウロを選び、断食と祈りと按手をもって送り出したという。新共同訳聖書の巻末を見ていただきたい。7「パウロの宣教旅行 1」、8「パウロの宣教旅行 2,3」、9「パウロのローマへの旅」となっている。使徒言行録13:4から第一宣教旅行がはじまるので、7「パウロの宣教旅行 1」を参照すると地理のイメージがわいてくる。以前は「パウロの伝道旅行」といっていたが、新共同訳では「パウロの宣教旅行」である。「伝道」と「宣教」の違いは何か。本質では違わないのであるがニュアンスは違う。特に日本基督教団ではその変遷があるので説教の中で随時言及していくかも知れない。わたしにとってとても大切なことは13:2にある「聖霊が告げた」である。使徒言行録は口語訳では「使徒行伝」であったが別名「聖霊行伝」ともいわれるほどに「聖霊の働き」「聖霊導き」が中心になっている。以下宣教旅行の記事は「聖霊によって」を機軸に読んでいくことにする。
2010年10月12日 (火) 「神の言葉を聞きながら」
【次週説教への黙想】 藤原一二三牧師  
説 教  「神の言葉を聞きながら」  
聖 書   イザヤ 29:13-16 マルコ 7: 5-13

次週説教のテキストの背景に何があるのでしょうか。<昔の人の言い伝え>(「念入りに手を洗ってから食事をする」など)を守ることを問題にする人たちに、イエスは、あなたたちは「神の掟」を捨てているではないか、と問いかけます。そしてさらに続けてモーセ(の律法)は「父母を敬え」「父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである」(出エジ21:17)と言っている。それなのにあなたたちは父母に対して「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだと言っている。イエスは「あなたたちは受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている」と批判しています。なぜこのような伝承が語られているのでしょうか。マルコが福音書を書いた時代は70年頃だと言われています。すでにガリラヤの各町や村にあった会堂も家の教会もローマ軍によって破壊され、エルサレムの神殿まで焼失、破壊されてしまっていたのです。そのような現実のなかで、イエスを救い主と信じる者たちの共同体(教会)はどのような問題に直面していたのでしょうか。わたしたちは簡単に考えてしまうかも分かりませんが、建物の全てが破壊されてしまったあとでも、ユダヤ人キリスト教徒の間で、ヘブライ語(アラム語)を話す人たちとギリシャ語を話す人たち(ヘレニスト)との間の紛争(使徒6:1)。さらには<昔の人の言い伝え>から自由になれないユダヤ人キリスト教徒と、異教的背景にとらわれている異邦人との食事の席(会食)の問題(使徒10章、マルコ2:15以下、ガラテヤ2:11-14参照)など、なかなか違いを克服できなかったのです。マルコは、イエスがエルサレムからやって来たファリサイ派(シャンマイ派)の律法学者に「わたしたちにとって最も大切なことは『神の言葉を生きることだ』」と語られたことを、全てのものがなくなった中でもう一度聞こうとよびかけているのではないでしょうか。
2010年10月7日 (木) 旧約聖書における「悔い改め」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  旧約聖書における「悔い改め」  
聖 書  エレミヤ 3:19-25 ル カ 15:14-19 

「悔い改め」は信仰生活における生涯の課題である。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。これは主イエスのガリラヤ伝道の第一声だったとマルコは伝える。「悔い改める」とはどういうことなのか。大辞泉には「過去の過ちを反省して心がけを変える」とある。聖書の「悔い改める」に照らしてみよう。マルコの「悔い改める」(動詞 metanoe,w メタノエオウ)は「(善に向けてであれ悪に向けてであれ)(心の)変更」を表すことばであり、第一義的には「罪からの離反」(マルコ1章の洗礼者ヨハネの宣教を参照)を意図する言葉である。従ってマルコ1:15の「悔い改めて福音を信じなさい」は「福音を信じるように心を変化させなさい」となる。次週は<旧約聖書における>「悔い改め」を考えてみよう。旧約聖書といっても広範なのでエレミヤにしぼることにする。エレミヤの時代における悔い改めは、神ヤハウェからカナンの地におけるヤハウェの神以外に心を変えたイスラエル民族が、再び神ヤハウェに心を変えるという「悔い改め」である。意味は単純であるが、実際面では大変に困難ことで、ここにエレミヤの苦悩を見ることができる。ハイデルベルグ信仰問答の問88は「人間のまことの悔い改めまたは回心は、いくつのことから成っていますか」である。「悔い改め」と「回心」は同じではないと思うのだけれども私見はさておいてハイデルベルグ信仰問答の答は「二つのことです。すなわち、古い人の死滅と新しい人の復活です」である。ここから「古い人の死滅とは何ですか」「新しい人の復活とは何ですか」と展開していくのであるが、わたしたちは真に「悔い改め」を経験しているのかどうか 自己検証をしてみることができればと思う。
2010年9月28日 (火) 「霊の戦い」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  「霊の戦い」  
聖 書  士師記 16:18-22 使徒言行録12:6-25

12章にはいる。1節の「そのころ」は11:28に関連付けて「大飢饉」の頃と読んでしまうが、実際にパレスチナに飢饉が起こったのは40年代(44年〜48年説)であるから、「ヤコブの殉教」の頃と読む。或いは内容的にエルサレムの教会とアンテォキアの教会と二つの中心をもって主イエス・キリストの福音宣教が前進していた頃と読んでもいのではないかと思う。バルナバが回心したサウロをアンテォキアの教会に仲介した頃という読み方は可能だろうか。尚、このサウロが宣教旅行に出かけるのは13章からである。次週のテキストはその前に起こった出来事について、即ちペトロが捕縛されて牢に監禁され、天使がその牢から救い出す出来事について記している。「ヘロデ王」とあるのはヘロデ・アグリッパ王のことである。以前はサンヘドリン(ユダヤ人議会)が迫害の主体であったが、ここではヘロデ王が迫害の主人公になっている。何故だろう?この迫害は12使徒団にも及んだ。アンテォキアの信徒が「クリスチャン」と呼ばれたということはキリスト教会がユダヤ教から独立して新しい歩みを始めたということであるから、キリスト教徒に対するユダヤ人の敵意がエスカレートしていったのであろう。そして殉教者がでた。ヨハネの兄弟ヤコブである。何故ヤゴブが?そして次の標的をペトロに定めた。ペトロは捕縛され、投獄される。ここで「除酵祭」と「過越祭」と二つの祭に言及されている。ここで「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」(5節)という記述には心が熱くなるが、このことは使徒言行録全体を貫き通す主題であると思う。6節からペトロの救出物語が始まる。こんなことがあるのだろうかという記事だが、大切なことが書かれている。順次、読んでいくことにする。
2010年9月24日 (金) 「アンティオキアの教会」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  「アンティオキアの教会」  
聖 書  出エジプト記7:1-7 使徒言行録11:19-30

初代教会には楕円形のように二つの中心がある。二つの中心とは二つの教会のことで、一つはエルサレムの教会であり、もう一つはアンテォキアの教会である。次週テキストはそのアンテォキアの教会についての記述である。そこで概論的なことを書くことにする。古代にはこの名で呼ばれる都市は多くあったようであるが聖書との関係ではピシディアのアンテォキア(現在のトルコ中部)とシリアのアンテォキア(現在はトルコの東南部)が重要である。新共同訳巻末聖書地図[8]を参照。次週テキストのアンテォキアは後者である。ギリシャ・ローマ時代のヘレニズム時代にアンテォキアは、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ地中海世界第三の大都市であった、紀元前300年、セレウコス祇い砲茲蠏設され、セレウコス王朝シリア王国の首都となってからは繁栄の日々が続いた。アンテォキアという町の名はセレウコスの父アンテォコスを記念して名付けられた。「東方の女王」と呼ばれ、シリア、パレスチナ、さらに東方への隊商路に当たり、外港セルキアによって地中海に通じる通商貿易の中心地であった。前63年シリア王国はローマによって滅ぼされたが、アンテォキアの繁栄は後退することはなかった。アンテォキアにはマケドニア人、ギリシャ人、原住民などと共に、かなり規模の大きいユダヤ人グループがあった。彼らは社会的に影響力をもつ集団でもあった。使徒言行録6:5に7人の選出の記事があるが、その中の一人は「アンテォキア出身のニコラオ」であった。新約聖書においてシリアのアンテォキアは特別重要な位置を占める。その一つが次週のテキストである。記述の中に、ユダヤ人伝道の枠を越えて異邦人伝道に着手したこと、回心者サウロがバルナバの仲介を得て仲間に加えられたこと、ここではじめてクリスチャン(Christians)と呼ばれるようになったことなどが記されている。また飢饉被災者救援募金もなされている。今日の教会が学ぶことができる内容であると思う。
2010年9月14日 (火) 「神の御心を行う者に」
【次週説教への黙想】 藤原一二三牧師  
説 教  「神の御心を行う者に」  
聖 書  イザヤ55:8-13  マルコ 3:31-35

この聖書のテキストの背後には、<イエスは誰なのか>という問いが響いているように思います。イエスは恐らく普通のこどもとして、ナザレの村で育ってきたのでしょう。ガリラヤ州は教育の熱心な地域として知られていましたので、5〜6才になれば、殆どの子どもたちがシナゴーグに併設されていました学校(朗読の家、学習の家)に通い、モーセ五書(トーラー)を学んだと思います。もしかしたら、イエスにも、16〜17才まで、働きながら聖書全体(旧約聖書)を学ぶ機会もあったのかも分かりません(後に弟子たちはイエスのことを「先生」(教師))と呼んでいるからです)。しかし、イエスは<神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい>(マルコ1:15)と人々の前で語り始めたとき、イエスの家族もナザレの村の人たちも驚き、大混乱に陥ったのではないでしょうか(マルコ3:20-30)。テキストによりますと、大勢の人たちがイエスの周りに座っていたところに、イエスの母と兄弟姉妹たちがやってきてイエスを呼んでほしいと頼んだ、というのです。イエスは家族の人たちが捜していると聞いて<わたしの母、わたしの兄弟とはだれか>と答え(問いかけ)、自分の周りに座っている人たちを見ながら、<ここに、わたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ>と語っています。わたしたちも少し戸惑いますが、イエスは自分の家族関係を否定しているのではありません。少し注意してテキストを見ますと、家族の人たちが立っている場所(サークルの外側)とイエスの周りに座っている人たちの場所に違いのあることが分かります。この違いは、例えば十戒の<父母を敬え>(出エジプト20:12)という戒めを否定しているのではなく、むしろイスラエル民族内でだけ聞くのではなくて、全ての人間を創造された神を、イエスの十字架と復活の出来事の中で聞くことを語り示しているのではないでしょうか。そのとき人間に与えられている関係性が、さらに豊かなものになっていくことを告げているように思われるのですが…………。
2010年9月6日 (月) 旧約聖書の「神の支配」 
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  旧約聖書の「神の支配」  
聖 書  士師記 7:1-7 マルコ 1:14-15

士師記6章から8章はギデオン物語である。士師記には複数の士師(中国の漢訳をそのまま引き継いだ言葉。裁き人の意。英語でjudges)が登場するが、その士師記には一つの枠組みがある。それは「40年周期」枠である。イスラエルの民に40年の平和が訪れ、民は平和を享受する内に神を忘れ、神から離れるという罪を犯す。神は怒り、強敵をイスラエルに送って民をさんざん苦しめる。民は悲鳴をあげ、神に救いを嘆願する。神は<士師>を送って民を救う。イスラエルに平和が訪れる。民は平和を享受する内に神を忘れ、神から離れるという罪を犯す。……環状線のようにこのことが繰り返されるという枠組みである。王国(王制)が成立する以前のイスラエルは12部族による「部族連合(アンフィクチオーニ)」によって運営がなされていた。この部族連合には明確な指導者はいなかった。それは、神ヤハウェが唯一の支配者であるという信仰によるものであった。支配者は神ヤハウェのみで、民一人一人は皆お互いに平等であるという社会制度は一見理想的ではあるけれども、いったん諸外国(当時はエドム、アンモン、モアブ、ペリシテなど)の攻撃を受けるとそのもろさが露呈したのである。そこでどうしたかというと、他国が攻めてきた時に急遽指導者を立て、兵を招集して対抗したのである。神の霊を受けて戦闘の最前線に立つ指導者は<カリスマ的指導者>と呼ばれた。次週は300人の兵力で12万人のミディアンと戦ったギデオンの話をするので、あらかじめ読んでいただければ幸いである。説教題は8:22-23からとった。「イスラエルの人はギデオンに言った。「ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください。」ギデオンは彼らに答えた。「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる。」
2010年8月31日 (火) 「二つの流れ」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  「二つの流れ」  
聖 書  詩 篇 128:1- 6 使徒言行録11:1-18

「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。(3節)。つまり「非難して言った」である。前章のコルネリオの入信のことをいっている。異邦人は神の言葉を受け入れてはいけないのだろうか。著者ルカの執筆意図とは別に、わたくしはずっと<偏狭な根性>だなと思ってきた。そして、「福音は全ての人にではないのか」ということへの(問題)提起でもあった。この提起は早い時期からわたくしの内にあった。1970年頃のことである。教会員の母上(未受洗)が逝去して教会で葬儀式をした。そして週報にそのことを書き、最後に「天上において母上の霊が神様の下に永遠に安らがれますように。ご遺族の皆様の上に神様のお慰めをお祈りします」と書いた。すると教会の古参の教会員から「あの母上は洗礼を受けていない。洗礼を受けていない人が<天上において母上の霊が神様の下に永遠に安らがれる>というのはおかしいのではないか。であれば自分は何のために洗礼をうけたのか」という抗議の電話があった。この時の対応について、ただ、「あなたは偏狭だ」的なことをいった他は覚えていない。皆様方はどのように考え、どのように回答されるだろうか。その時から「洗礼を受けることの意味、意義を本気で問い始めたのである。11:1の「使徒たちとユダヤにいる兄弟たち」とはエルサレム教会の人たちのことである。エルサレム教会の人たちが全員、キリストの福音を独り占めにしていたとは思わない。しかし偏狭というか、差別的傾向があったことは事実である。この問題については、ペトロのその後の福音宣教活動(11:19以下)を通して大きな変化をもたらすことになる。15章の「エルサレムの使徒会議」においては、パウロとバルナバが登場して更なる展開がなされていく。話を戻して。エルサレム教会の人たちからのクレームについてペトロは実に丁寧に答えていくのであるが、内容が<幻>であるが故に難解になっていることは事実である。
2010年8月23日 (月) 「コルネリウスの入信」
【次週説教への黙想】 相浦和生牧師  
説 教  「コルネリウスの入信」  
聖 書  詩 篇 75:1-11 使徒言行録 10:44-48

使徒言行録10章は、ローマ市民から成る「イタリア隊」(市民権を与えられた解放奴隷によって編成された部隊で、AD60年から157年までシリアに駐屯していたといわれている)の百人隊長コルネリウスがキリスト教に入信した次第を語っている。彼は元々信仰篤い人だったようで、使徒言行録は「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、」と記している。「神を畏れ」とは、割礼を受けてユダヤ教に改宗はしていないが、異邦人としてシナゴグの礼拝に参加していたという意味で、「民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」は立派な信仰人であったことを現わしている。このようなコルネリウスが何故キリスト教に改宗しなければならなかったのか。使徒言行録の意図はどこにあるのだろうか。コルネリウスは「ある日の午後三時ごろ」祈っていた。そこに「神の天使」が入ってきて「コルネリウスよ」と呼びかけたという。ルカ福音書1章で祭司ザカリアが主の聖所でお努めをしていた時に「主の天使が現れ、香壇の右に立って」、「ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。…」という記事、同じく1章にあるナザレに住むおとめマリアに「天使ガブリエル」が現れ、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」以下マリアと会話をしている記事と同じである。コルネリウスの場合、神の天使は、ヤッファにいるペトロを招きなさいと告げた。この一連の記事は、先取りして言えば、キリスト教が異教世界に進出するに際してユダヤ教が仲介者としての役割を担ったことを示している。コルネリウスは「二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士」とを遣わした。コルネリウスがこの神の天使の言葉に従順であったことに注目したい。一方、ペトロの側についても詳細に記されている。次週全てを語ることはできないので使徒言行録10章を予め読んでおいていただきたい。
2010年8月17日 (火) 「どこにいるのか」
【次週説教への黙想】 藤原ヒロコ牧師  
説 教  「どこにいるのか」  
聖 書  創世記3:1−13 マルコ14:50

次週は創世記1章から3章にかけて考えてみたいと思います。ここには二つの異なった資料による創造物語が書かれています。1章から2章3節までには、神は自然万物を6日間で創造し、7日目は休まれたと書かれています。創造の順序もまず光と闇、天と地、海と陸、日と月と星、植物と動物、そして最後に人間がつくられています。ところが2章4節以下を見ますと、神はまず人(男)をつくり、次に植物、動物をつくります。しかし、いかなる生き物も人の助け手とはならなかったので、男を深く眠らせ、そのあばら骨から女をつくります。わずか2、3頁の間で、聖書はこんなにも矛盾することを書いているのです。けれどもこれは歴史的事実ではなく、あくまで神話です。当時の人々が人間って一体なんだろう、神とはなんだろう、人間とこの世界とはどういう関係にあるのだろうというようなことを考えているうちにこういうお話が作り出されたわけです。1章から2章3節まではBC500年頃に書かれたものだと言われていますし、2章の4節以下はもっと古くBC850年頃に書かれたものだといわれています。歴史的にはBC920年にイスラエルは北王国と南王国ユダとに分裂いたします。そして、北王国イスラエルはたえず大国アッシリアにおびやかされ、ついにアッシリアに滅ぼされてしまいました。また、BC597年には南王国ユダもバビロニアに占領され、ユダの主だった人たちはバビロニアへ捕虜として連れて行かれたという歴史があるのです。このような歴史的民族的な体験に基づいて人間、神、世界を問い直したのが、この創造物語でもあるのです。次週はこの箇所からわたしたちに語りかけられているメッセージを聞きとりたいと思います。
2010年8月9日 (月) 旧約聖書の「慰め」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師  
説 教  旧約聖書の「慰め」  
聖 書  イザヤ40:1-11 競灰螢鵐 1:3-7

次週のテキストは「第二イザヤ」の冒頭の部分です。周知のことですがイザヤ書についてお話しましょう。イザヤ書は66章から成っていますが、これは時代も場所も違うところで働いた3人の預言者の預言が集められたものだといわれています。区分をいえば、第1部は1〜39章で紀元前8世紀の預言者イザヤの預言集です。第二部は40〜55章でバビロン捕囚時代にバビロン地で預言した預言者の預言集です。名前が分かりませんから便宜的に「第二イザヤ」と呼んでいます。第三部は56〜66章でバビロン捕囚後エルサレム神殿が再建される時代にエルサレムで預言した預言者の預言集です。便宜的に「第三イザヤ」と呼んでいます。次週のテキストは第二イザヤの書の冒頭の部分です。南王国ユダは大国バビロニアによって滅ぼされました。そしてエルサレムの主だった人々は捕虜としてバビロンに連れていかれました。いわゆるバビロン捕囚です。この捕囚(捕虜)生活はとても辛いものだったようです。戦後65年目の8月、テレビでシベリア抑留生活の放送をしていましたが、これは経験した人でなければわからないことです。都の崩壊、肉親の死と別れ、土地財産の喪失等々、神の選民イスラエルの民がどうしてこのような苦難に会わなければならないのか。この苦難の中にあって信仰を捨てた人たちも少なくなかったかも知れません。信仰者が何故苦しまなければならないのかをテーマとしたのは「ヨブ記」ですが、次週はこのことには言及しません。第二イザヤ書を読んで分かることは、捕囚の地でイスラエルの民が絶望的になったことの第1の原因は、<エルサレム神殿が破壊されたこと>です。この神殿の破壊によって神ヤハウェは死んだ。そう思いました。前にお話しましたエゼキエル37章の「枯れた骨」はそのことです。しかし、神は死んだのではありません。神は預言者を遣わして「慰め」と「希望」を告げました。前期はエゼキエル、後期は第二イザヤです。自分の人生と重ね合わせながら読むことにします。
2010年8月2日 (月) 「主の恵みを忘れずに」
【次週説教への黙想】 牧師 藤原一二三牧師  
説 教  「主の恵みを忘れずに」  
聖 書  出エジプト記16:13-16 マルコ 8:14-21

次週のテキストは何を語り告げようとしているのでしょうか。イエスの弟子たちは、<一つのパン>しか持たないで「舟」に乗り込んだとき、イエスは「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と語りかけます。弟子たちは、なかなかイエスの言葉の意味が分からず、ピントはずれの議論、多分<お前が悪い>と互いに批判合戦を始めていたのでしょう。この言葉から分かるのは、イエスの時代には<パン焼き>のときには、すでに<酵母>(パン種)が使用されていたということですが、古代エジプトで奴隷状態にあったイスラエルの人たちがモーセに率いられてエジプトを脱出するとき、酵母をいれないパンを七日間携帯し、順次食べるようにと語られています(出エジプト12:15他)。モーセ時代もイエス時代も酵母(パン種)は確実にパンをおいしく仕上げることが出来ず、パンそのものを腐敗させてしまうことの方が多かったのです。このテキストが語り告げようとしていることは「舟」(教会)のなかに「一つのパン」しかもっていないときに、パン種で大きくふくらまそうとするのか、「一つのパン」を信仰によって分かち合うのか、という問いかけでもあります。<一つのパン>しかないとき、増やそうとして腐敗へと進んでいく道を選ぶのか、それとも<一つのパン>を分かち合うことで多くのパン屑の籠を一杯にしていく<神の恵み>を覚えて進むのかと問いかけているように思います。いつの時代もキリスト教会が選ぶ道はイエスによって示され、イエスの死によって命を与えられた道以外見当たらないのです。主恩教会も、主の恵みを忘れることなく、この恵みによって歩んでいくとき、数えることの出来ない主の恵みに満ちた歴史につながった歩みになるでしょう。
2010年7月27日 (火) 旧約聖書の「平和」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師  
説 教  旧約聖書の「平和」  
聖 書  イザヤ 8:23b-9:6 マタイ 5: 3- 12   

次週は「平和聖日」です。毎年8月の第1主日を「平和聖日」として礼拝を守ることを、世界ではじめて被爆した広島を擁する西中国教区総会で提案決議され、更に日本基督教団総会で可決されました。「平和」。人類の永遠の願望、それゆえに心に響く言葉です。と同時に「虚しい」とも思う言葉でもあります。マタイ福音書においても、「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる」(5:9)と「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(10:34)とお互いに矛盾するように思えることばもあります。聖書ではヘブライ語はシャローム、ギリシャ語はエイレーネ。新共同訳旧約聖書では118回、新共同訳新約聖書では78回登場します。次週説教では「平和」、それも旧約聖書における「平和」を考えて見ましょう。普通、「戦争」の対立概念が「平和」ですが、聖書では必ずしも「戦争がない状態」のみを「平和」とは定義づけていません。従って、シャロームは単なる政治的概念ではなく、元来この語は、何かが欠如したり損なわれたりしていない充足した状態をさし、そこから更に、無事、安否、平安、健康、繁栄、安心、親和、和解など、人間の営みにかかわるあらゆる領域にわたって真に望ましい状態を意味することばです。以上のシャロームは全面的に神の意志であり、恵みです。人間(イスラエル民族)は神との契約を守り、正義を行うことによって現実となります。「正義が造り出すものは平和であり/正義が生み出すものは/とこしえに安らかな信頼である。」(イザヤ32:17)。「旧約聖書には戦争の記事が多すぎて読むのがいやになる」とは多くの人々のもつ感想です。その通りです。確かにイスラエル民族の歴史には戦争が多くありました。平和のない現実のただ中で「平和」を真剣に問題にしたのは預言者たちでした。膨大な預言者思想の片鱗にも触れられないかも知れませんが、旧約聖書の「平和」についてお話します。
2010年7月20日 (火) 「ダマスコとエルサレム」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦牧師  
説 教  「ダマスコとエルサレム」  
聖 書   エレミヤ 49:23-27 使徒言行録9:19b-31 

この救い(サウロの回心)を告知するため、アナニアというダマスコ在住の信徒が選ばれた。彼は「直線通り」に面するユダの家にいくことを主から命じられるが、その目的が迫害者サウロを訪ねることだとわかると、このサウロはエルサレムでキリスト教徒にどんなにひどいことをしたか、ダマスコにきたのも更なる迫害のためではないかと訴え出る。彼は主の命令(15-16節)によってサウロの受け皿となるのであるが、よほどの勇気が必要であったと思われる。彼はサウロに按手するのであるが、サウロが素直に従うであろうことはあらかじめ主から示されていた。使徒言行録は「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた」(19b-20節)と記しているが、パウロの直筆ガラテヤ書では「御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」(1:16-17)となっている。パウロは、「キリストの福音」はどの人間から伝授されたものではなく、直接神からの啓示によったものであることを明示した。 ところでこのアラビア滞在の期間や内容については言及されていない。様々な憶測がなされているが、競灰螢鵐11章32節「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。」について少し述べて見たい。そして、このとき語った「福音」とは何だったのかについて考えたい。ところで、今までキリスト教徒迫害の最前線に立っていたサウロが一転して福音宣教の最前線に出たということは多くのというよりも全ての人の驚異であった。このことはエルサレムにおいても同様であったのでその影響について考える。
2010年7月12日 (月) 「誰が舟に乗っているのか?!」 
【次週説教への黙想】 牧師 藤原一二三  
説 教  「誰が舟に乗っているのか?!」  
聖 書   創世記8:1 マルコ4:35-41

このテキストを読みますと、初期キリスト教会が成立していく過程には複雑な諸問題がからまりあっていただろう、という強い思いがわき上がってきます。ローマ帝国内の権力者の交替、ユダヤ人とギリシャ人、シリア人などとの民族的衝突、パウロの逮捕、ネロ皇帝によるキリスト教徒への迫害、そして、ユダヤ人によるローマ帝国への反乱など、2000年後を生きるわたしたちが推察しても、こんなに大変だったのかと思われる事柄で満ちています。テキストは、イエスが「夕方」になって「向こう岸へ渡ろう」と弟子たちに言ったというのです。現実にはガリラヤ湖で漁をする漁師たちは「夕方」に舟を出すことなど絶対にしません。ところが福音書ではしばしば「夕方」の舟の出航について語られています(マルコ6:45-46、ヨハネ21:3など)が、その理由について多くの注解書は触れていません。この理由については説教の中でお話ししたいと思いますが、「夜」の闇のなかで舟を漕ぎ悩む弟子たちの姿を語りながら、どうしても語り告げておきたいことがあるのではないかと思います。弟子たちが恐怖の中で<先生、わたしたちがおぼれてもかまわにのですか>(マルコ4:38)とイエスを起こします。しかし、「おぼれる」と訳されている語は、ギリシャ語では、「消滅する」「(戦争などで無益に)死ぬ」という意味をもった言葉ですから恐怖の極みを表しているのです。夜の湖底でレビヤタンなどの怪物が口をあけて沈んでくる人間を待ちかまえているのではないか、そのような内側を襲う恐怖、すなわち、ここでは、人間の力では何ともしがたい諸々の出来事がこびりついているように思われてきます。そのようななかで、もう一度「舟」(教会)に誰が乗っているのか 「先生」ではなく、「主イエス」が乗っていることを覚えなさいと語っているように思います。
2010年7月8日 (木) 旧約聖書の「希望」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生  
説 教  旧約聖書の「希望」  
聖 書  エゼキエル37:1-10 ヘブライ 6:13-20 

人間は誰しも“希望”をもって生きている。若い人なら将来何になろうかとか、どういう仕事につくかとか、どんな人と結婚しようかとか、常に将来に対して“希望”を抱いている。新共同訳新約聖書では“希望”ということばは22回登場する。(“望み”は33回) その中で「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(汽灰螢鵐13:13)はもっとも有名な聖句であろうと思う。何故、信仰、希望、愛と並べて愛が一番なのだろう?などと黙想することは楽しい。旧約聖書で“希望”を見るとどうなるであろうか。ことばとしては50回登場する。(“望み”は102回)先程、“若い人”といったが、“若くない人(老人)”ならどうであろうか。年齢を重ねていくにつれて“希望”への度合いは減っていく。以前、“夢もチボー(希望のこと)もない”というギャグが流行した。ギャグである間はいいのだけれども、若い若くないに関係なく、希望が絶たれて本気になると事は深刻になる。聖書を読んでいると、“希望”は単体で存在しない。“希望”の背後、背景には必ずといっていいほど“苦難”が存在している。パウロはローマ書で「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(5:3-5)といっている。次週は旧約聖書における「希望」を考える。無論その一端でしかないのだが。どの箇所にしようかと思ったが、朝の輪読が終わったばかりのエゼキエル書から学ぶことにした。直接”希望“ということばは登場しないけれども、37章から学ぶことにします。
2010年6月28日 (月) 「パウロの回心」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生   説 教  「パウロの回心」   聖 書  ヨ ナ 3:1-10 使徒言行録9:1-19a パウロは偉大な伝道者だと思う。パウロはサウロと呼ばれていた。使徒言行録ではまずサウロの名前で登場する。「人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」(7:58)、「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。」(8:1)とその登場の仕方は衝撃的である。サウロはキリスト教迫害の最前線にいたという。そのことは彼自身の手による手紙(パウロの手紙)においてあきらかにされている。「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。」(ガラテヤ1:13) では、このキリスト教迫害者がどうして、何故、どのような経緯を経て伝道者となったのであろうか。そこには“回心”という契機があったという。“パウロの回心”(何故か“サウロの回心”とはいわない)。この記事を知らない人はない。パウロの回心について使徒言行録は3回(9章、22章、26章)記している。日本語で”回心“は”改心“と区別される。大辞苑は「回心」を「キリスト教で、罪のゆるしと洗礼によってひきおこされる、心の大きな転換」と説明している。ちなみに「改心」は「今までの行いを反省し、こころを改めること。改悛。」 日本語の語彙はともかくとして、使徒言行録9章はパウロの回心について詳細とまではいかないが記している。回心という霊的体験もだが、大切なことは回心後の生き方、在り方ではないだろうか。パウロは伝道者に献身した。別の言い方をすれば、パウロの伝道者への献身のようにキリストへの献身がおこらなければ回心ということにはならないということになる。このパウロの回心の直前にフィリポをとおしてエチオピアの高官が入信した記事が記されている。その意味を今一度考えて見たい。
2010年6月21日 (月) 「エチオピア人の入信」
【次週説教への黙想】 牧師 相浦和生   説 教  「エチオピア人の入信」   聖 書  イザヤ53:7-10 使徒言行録8:26-40 フィリポの伝道活動はサマリアからガザに移る。その経緯については26節に「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け』と言った。」と書かれている。フィリポの意図、計画ではなく、主の天使の意向によってである。16:6に「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。」とあるが、わたくしも伝道にはー大した伝道はしてこなかったのではあるがーこのような側面があることを痛感している。26節に「そこは寂しい道である」とあるが、ガザに下る道は寂しい道であったという。口語訳は「このガザは、今は荒れはてている」と記しているが、ギリシャ語の文脈から言えば、ガザの町が荒れているというよりも途中の道が荒れていたと新共同訳のように解するほうが妥当のように思われる。このようにこだわるのは、ここでエチオピアの女王カンダケの宦官と出会ったことが書かれているからである。サマリアの町のように多くの人々がいるところでの伝道ではなく、人気のない寂しい道が伝道の場であったということに人の思いを超えた神の聖旨を思わせられる。27節の「折から」はギリシャ語では「見よ」。ルカ福音書10章の「善いサマリア人」に「ある祭司がたまたまその道に下って来た」(31節)とある「たまたま」を思う。ユダヤ人でないエチオピア人の宦官がエルサレム神殿の礼拝にいった帰りという話についてもいくつかのことを思う。宦官は馬車に乗ってイザヤ書を読んでいたと記されているが、それはイザヤ書53:7-8LXXであったという。結果としてフィリポはこの宦官に洗礼を授ける。8:16の記事とどう関係するのであろうか。キリスト教徒となったエチオピア人の宦官は後に、エチオピアのコプト教会の祖となったという伝説がある。