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   2008年2月28日 (木) 12時20分49秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   できるかぎり無駄口をたたかないようにいたしますが、
よくわからない言葉に「人を裁く」という言葉があるのです。
裁判官ではないのですから、
人を裁くなんてことはまずないように思うのですが、
「あいつはうそつきだ」と言うだけで裁くことになるのでしょうか?
どなたか機会があればお教えくださりませ。
一般信徒の所感でもけっこうでございます。
聖書で言う「裁く」とはどれだけの意味を含むのでしょうか?
   2008年2月22日 (金) 10時20分11秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『播磨新宮教会』
クリスチャン情報ブックにもあります。
創立1955年
ホームページはまだないようですね。
揖保郡ってどんな所だろう?
山沿い?海沿い?
日本伝道隊による西播磨キリスト教会もあるようです。
H・ブラウンとあるので、
まだ海外宣教師が働いておられるのかな。
   2008年2月21日 (木) 08時50分09秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   人はパンだけで生きるのではない。
でんでん虫はゲストブックの容量を食っちゃって、
どうもスミマセン(、、)
ところで、このホームページ、
アクセス回数1万を越えて早、1万1千を越えています。
勝手に記録しているのですが、
1月3日が10717で、
2月9日が11004でした。
常連さんはUnknownさんかな。
主恩教会百年史のために記録しておきましょう。
   2008年3月7日 (金) 18時53分31秒
[名前] :   こば
[URL] :   管理
[コメント] :   いつもありがとうございます。そうでしたか! めざせ10万回(とりあえず2万回ですね)。最近更新が遅れがちで、すみません。気合を入れなおします!!。ダァー
   2008年2月19日 (火) 08時14分00秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『友達』
友達って何でしょう。
辞典によれば、
親しく交わっている人。
これでは、悪友も友達。
ギリシア語では別の意味もあるのか?
聖書の翻訳ってほんと難しいと思います。
でも、異言が語れるようになると、
すべてが解るかも。
みんなで広げよう友達の輪。
さらに広げよう福音の輪。
ボワワワウォーン・・・。
   2008年2月18日 (月) 10時20分16秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   古代イスラエルは、南北イスラエルに分裂して、
それぞれが滅亡し、
古代ローマ帝国も東西ローマ帝国に分裂して、
やはり共に滅亡しました。
これには何か共通点があるのでしょうか。
聖書の列王記のように、
ローマ列皇帝記があっても面白いかも。
ローマ皇帝はとてもややこしいのです。
特に東西に分裂するあたりは。
さらに神聖ローマ帝国まで登場するので、
ほんと、ややこしや〜〜、ややこしや〜〜です。
   2008年2月15日 (金) 09時56分11秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   おはようございます。でんでんむしでございます。
昔よく、「おはようございます。羽鳥あきらでございます。」というラジオ番組を聴いたものです。
どうでしょう。
現代、「人は金銭のみに生きるのではない」と言うべきではないでしょうか。
やれ勝ち組だ負け組だと、ならば、負け組は負けたのだからしかたがないとおっしゃるのか?
勝ち組は勝ち組で不正を働くし、
人はいったいどこへ向かっているのでしょう。
居場所の地球まで破壊しそうな状況で・・・。
以上ボヤキ投稿でした。
ただのボヤキですので、
いつものごとく削除してもらってもいいですよ。
   2008年2月14日 (木) 15時40分10秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「神と富に仕えることはできない」
これは、逆に考えると、
神に救いを求め、かつ、
富に救いを求めることはできないともとれます。
それならば、
不正の富を貧しき者に与え、イエスを友とし、
神に救いを求めなさい。というのは飛躍しているでしょうか。
一日、このことを考えていました。
   2008年2月14日 (木) 11時41分52秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   イスカリオテのユダにとって祭司や律法学者は友達にはならなかったのでしょう。
だから、何の助けにもならず、あわれな最後になった。
ならば、ユダにとってイエスはどのような存在だったのだろう?
さらに、
わたしたちにとってもイエスはどのような存在なのか。
それを問われているようにも思えます。
   2008年2月13日 (水) 09時47分24秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「不正な管理人のたとえ」
イエスを裏切ったイスカリオテのユダも、
兄弟の財産を管理していたのではないでしょうか。
そして不正を働いた。
その穴埋めに銀貨三十枚ほどの金が必要だった。
だとしたら、
これはユダに語ったたとえでもあったのかも・・と思うのです。
   2008年2月13日 (水) 10時09分35秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   「ユダが金入れを預かっていた」は、
ヨハネによる福音書13章29節にあります。
さらに、
「彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、
その中身をごまかしてからである。」は、
ヨハネによる福音書12章6節にあります。
四福音書を注意深く読むと、
いろいろなことが見えるような・・。
   2008年2月12日 (火) 15時46分56秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『あなたがたに新しい掟(おきて)を与える。
互いに愛し合いなさい。』
ヨハネによる福音書13章34節
どのように愛せばよいのでしょう。
『わたしがあなたがたを愛したように、』
ということは、
イエス様ならどのように愛するだろうということを、
常に考えなければいけないのね。
そうすれば、どうなるのか。
『それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、
皆が知るようになる。』
だから、伝道、伝道と言わなくたって、
互いに愛し合えばいいわけだ。
その実体験が必要なんだと今気がついたでござる。
   2008年2月11日 (月) 10時26分40秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   時に思うことですが、
わたしたちは毎週説教を聞きます。
受身で聞いているのですが、
では、その内容を他の人々に伝えるとしたら、
どのように伝えるでしょうか。
いざ、文字にしてみると、
これがけっこうわかっていないのが自分でもわかります。
伝道は人のためならず、
本当にわかっていないと伝道はできないのです。
これはどのような教育でも同じことが言えると思います。
本当にわかっていないと、人に教えることはできません。
人は、その食べ物が十分においしいと実感して初めて、
その店のメニューがおいしいと口コミで伝えるのだと思います。
現実の体感だから間違いないと自信をもって伝えるのだと思います。
だから、クリスチャンももっと実体験が必要なのかなと・・思う今日この頃。失礼(私だけ?)
   2008年2月10日 (日) 09時43分09秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   不正にまみれた富で友達を作りなさい?
金がなくなったとき、の金ってなあに?

財産を全部捨てて、貧しい者に施し、友達を作りなさいってこと?
そうすれば、その友達があの世の裁きで証言してくれるのかな。
とにかく、律法学者にも弟子たちにも言うことがあるのね。
のほほんとしていられないのがクリスチャンではなかろうか?
   2008年2月8日 (金) 16時16分05秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   聖書外典に「パウロとテクラ行伝」というのがあるそうで、
それによれば、
パウロは体が小さく、頭の髪が薄く、
両足は曲がり、両方の眉毛はくっついており、
鼻はやや鉤鼻だそうな。
コリントの信徒への手紙僑隠鮎錬隠粟瓩砲癲
実際に会ってみると弱弱しい人で、
話しもつまらないとあります。
コンプレックスをお持ちの方々、
どうかコンプレックスを捨てなされ。
比較するからいけないのですね。
わたしはでんでん虫。
ゆっくり、じっくり。
あなたは、何虫?
   2008年2月8日 (金) 08時28分10秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。』
コヘレトの言葉12章1節
わたしは言います。
「青春の日々にこそパソコンを覚えよ。」
老人となってからでは大変だし、
老人となれば、パソコンが役に立ちそうなのだ。タブン
障害者が言うのだから、間違いない?
でも、創造主の御計画は人間の思いをはるかに超えるので、
やっと覚えたパソコンでも役に立たない場合だってあるかも。
すべては、主の御心のままに。
   2008年2月7日 (木) 09時10分02秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『聖書』
最近気づいたのですが、
新約聖書27巻の内、21巻が手紙なんですよね。
ということは、新約聖書のほとんどが手紙ということです。
これはなにを意味するのだろう?
主イエス・キリストが書いた手紙ではないのに。
使徒パウロがイエスに代わって代筆したということだろうか?
イエス・キリストは常に共にいる。
あなたの中にも、わたしの中にも?
そして語りかけている。なんてね^^。
   2008年2月6日 (水) 07時59分46秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『最後の放蕩息子』
最後までおつきあいください。
この放蕩息子。
「罪」、「罪人」を認識する上で非常にわかりやすいたとえかもしれません。
よく、罪、罪人と言うと、なんでやねんと思うかもしれません。
犯罪を犯したわけじゃなし、
人を苦しめた事もない。
なんで俺が罪人やねんと。
確かにこの「罪」という認識は難しい。
放蕩息子だって、いただいた財産を使っただけ、
他人を傷つけたわけではないのである。
では、問題は何なのか?
何を思ったのか、父から離れ、家を出た。
自分自身を正しく制御できない者が出て行ったのである。
どうなるかは、押して知るべしである。
これが的外れではないでしょうか。罪なのです。
この認識が絶対に正しいとは思いませんが、
まして牧師に対抗するつもりは毛頭ありません。
信仰暦30数年。
ここにきて、やっと分かり始めたような気がいたします。
それほど、「罪」という言葉はわかりにくいのです。
どうもながながとすみませんでした。
   2008年2月6日 (水) 08時11分50秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   聖書の用語解説には、
罪人とは、律法を犯す者、神に逆らう者とあります。
日本人はあえて神に逆らうつもりはないし、
ただ、日本人にとって律法とはなんぞや?
そのために、仏教なり儒教なりがあるのかもしれません。
なお、この投稿が的外れでしたら、削除してください。
   2008年2月5日 (火) 09時22分37秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『さらに放蕩息子』しつこくてスミマセン。
かの息子も、いただいた財産を賢く使って、
幸せに生活すればよかったのでしょうが、
多くの人間とて、
豊かな地球に生まれて、
賢く平和に幸せに生活すべきなのではないのでしょうか。
わかっちゃいるけどやめられない戦争。
隣人間での争いだって絶えないのだ。
では、どうすればよいのか?
神様は、それに気づいてくれるのを待たざるを得ないのではないでしょうか。
だから、いつ帰ってくるのか、いつ帰ってくるのかと、
首をなが〜〜〜〜くして待っているのかも。
ところが、人間は、
まだ自分でなんとかできると思っているでは?
どうも、
あいかわらず、思ったことをつづったまでですので、

スミマセン
でも、このように書けることを感謝申し上げます。
   2008年2月5日 (火) 09時29分09秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   告げ口をする者、それが悪魔なのでしょうか。
すでに主人の怒りは、
か〜〜〜っと熱くなって、
いまにも地球が爆発しそうです。
早く気づけ人間よ!
   2008年2月4日 (月) 08時11分24秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『改めて放蕩息子』
ひょっとすると、わたしたちは、
人生を無駄に生きる放蕩人間かもしれません。
あの世で閻魔大王に裁きを受けて地獄に行くぞと、
わかれば、さあどうしましょう。
知恵のかぎりをつくして救いを見つけましょう。
そうだ!イエス・キリストを友にしよう。
主ではなく友?
最初はそれでもいいではないか。
そうすれば、成長させてくださる。
先ず、自分はどのような人間であるかを見極め、
それがどのようになるかを認識し対処する。
救いのチャンスは、けっして取り逃がしてはなりませぬ。
   2008年2月3日 (日) 22時58分45秒
[名前] :   こば
[URL] :   
[コメント] :   「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」かつ「不正にまみれた富で友達を作りなさい」とは、謎です。ユダヤの人達の商売(人生)観? そんな簡単な話では無いと思うし、どう読んだらいいのでしょ。
「不正にまみれない富で友達を作りなさい」なら、しっくりいくのに。でも「神と富とに仕える事はできない」と後にあるので、そもそも『富』とは不正にまみれた物なのかしらん。次週の礼拝説教が楽しみです。もう少し考えてみます。
   2008年2月1日 (金) 09時41分44秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『放蕩息子』
この放蕩息子ですが、
自分がもらったものを散財しただけですから、
それほど悪いことには見えません。
とかく、罪人、罪人と言うので、
さも悪い息子のように思えますが、
悪人でしょうか?
罪というのは、的外れの意味もあるとか。
そう、的を外したのかも。
的を外して、苦しむ結果となった。
この息子は自分で気がついて父のもとへ帰って行ったのですが、
多くの人間は迷ったままなのである。
だから、父なる神が探しに来た。
「どうだ、苦しんでいないかい?」
「悩んではいないかい?」
「空腹じゃないかい?」
さあ、すなおに自分の胸の内を打ち明けようではないですか。
父のもとに帰りたいのですと。
   2008年1月30日 (水) 10時34分53秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『人はパンだけで生きるものではない』
申命記8章3節
米で生きるのがアジア民族であり、
主の口から出るすべての言葉によって生きるのが、
ユダヤ人とクリスチャンである?
ところで、
ユダヤ人は今でも、救い主メシヤを待ち望んでいますが、
それはとりもなおさず、
再臨のイエス・キリストということになりはしないでしょうか。
だとすれば、
ユダヤ教もけっして間違いではないと思うのです。

フォーラムのような投稿になってスミマセン
意見ではなく、ふと思いついただけです。
   2008年1月29日 (火) 11時45分47秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   人間はみな、塩気のなくなった塩で、
本来あるべき姿ではない。
塩気のない塩は廃棄!
あいや待たれよ。
塩気がもどればよいのじゃ。
ならば、何によって味付けられよう。
それは、
それは?
それは、
それは?
それは、イエス様が味付けてくれようぞ!
な、な、なんと、イエス様じゃとな。
そうよ、イエス様がもとにもどしてくれるのじゃ〜!
こいつぁ〜ありがたい福音じゃ。
見失った塩気よ、もどって来〜〜〜い。
めでたし、めでたしで、 おしまい。
   2008年1月29日 (火) 11時52分21秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   「無くした銀貨」にしろ、「放蕩息子」にしろ、
日常的によくある話なので、理解しやすいのですが、
理解しやすいがゆえに、
その奥に秘められた事まで意識が及ばないのかもしれません。
四福音書があるように、聖書は、
常に視点を変えて見る必要があるのかもしれません。
   2008年1月24日 (木) 15時09分10秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   《成人式》
以前に、聖書でいうところの成人とはいつか?
という疑問を書いたのですが、
ユダヤ教では、13歳で、成人式(バル・ミツバ)を迎えるそうです。
で、聖書に、それに関する記述があるのかないのかは、
わかりません。

さらに、女子はバット・ミツバもしくはバス・ミツバで、
12歳を過ぎればいつでも受けることができるようですが、
おおよそ13歳で受けるようです。
律法重視のユダヤ人なので、
律法に起源があると思うのですがどうでしょう?
ともかく、日本では中学生、
日本人は漫画を読み、
ユダヤ人はトーラー(モーセ五書)を読む。
   2008年1月23日 (水) 09時45分42秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「失われたものが見出される喜び」
見出した者が喜ぶのは当然ながら、
見出された者も喜びます。
たとえば、
子供は、親とはぐれ、迷子となったとき、
非常な不安を覚え、何をどうしたらよいかわからず、
ただ泣きわけくしかありません。
そこへ親が見つけ呼び寄せてくれたら、
これ以上の喜びはないでしょう。
「どこへ行っていたの?」「心配したじゃない」
「さあ帰って食事しましょう」
福音もこれと同じではないでしょうか。
人間は何をどのように生きれば良いか本当の意味では、
わかっていないのです。
「ウェーン、ボクどのように生きたらいいの〜〜〜」
常に不安におそわれます。
それは産みの親がそばにいないからではないでしょうか。
悪魔が養母となっているのかもしれません。
「神様なんていなくてもだいじょうぶよ」
「私が育ててあげる」なんてね。
   2008年1月23日 (水) 10時00分13秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   このサイトは私の教会?
私が教会に行っていたときは、
ただぼーっと牧師の説教を聞いて、すかっと忘れておりましたが、
このサイトで瞑想することを覚え、
実りを収穫しています。
だから、ここは私の教会のように思えます。
勝手な思い、失礼にござんす。
でも、兄弟間で実際に交わりをもつことも大事ですね。
瞑想も大事、交わりも大事。
   2008年1月22日 (火) 09時44分54秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「塩気のない塩?」なんじゃこりゃ?
信仰のないクリスチャンかな?
持っているはずのものを持たないことかな?
ならば、甘味のない砂糖でもいいわけか。
でも、当時のユダヤ人にとっては塩の方が身近なのでしょう。
おっとこれは先回説教でした。
次週説教を瞑想します。
   2008年1月19日 (土) 09時43分56秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   逆説?
費用があるかどうかを問い、
だから、自分の持ち物を一切捨てろと言う。
このだからは何だろう?
つまり、自分の持ち物では塔は建たないということだろうか?
自分の持ち物では勝てないということだろうか?
だから、一切を捨ててイエスの弟子となりなさいということかな?
自分の持ち物に頼る以上ダメなんだな。
それを計算しろと・・・。
   2008年1月16日 (水) 10時48分48秒
[名前] :   でんでん虫第二弾
[URL] :   
[コメント] :   皇帝ティベリウス
西暦14年にティベリウスが第二代皇帝に就任していますので、
ルカ3章1節
皇帝ティベリウスの治世15年は西暦29年となり、
ルカ福音書3章23節の
イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。
と合致するのでございます。
「カエサルのものはカエサルに」のカエサルは、
このティベリウスのことなのですね。
あ〜、ややこしや、ややこしや。
   2008年1月16日 (水) 08時24分18秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   弟子の条件?計算?
とかく計算高い人は嫌われるようですが、
十分な費用?どんな費用?
金持ちでないとクリスチャンになれないの?
塔は何を意味するのだろう?
腰をすえて洗礼を受けなければいけなかったのだろうか?
ほとんど何も考えずに弟子?クリスチャンとなったので、
途中、放浪することになったのかな?
ただ信ぜよと言うしね。
ここの理解はかなり難しいようですね。
今になって腰をすえて考えているのですが、ダメですか?
最後に「わたしの弟子ではありえない」なんて言われています。
どうすりゃいいのよ思案橋・・・。
   2008年1月15日 (火) 12時59分20秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ユダは嫁のタマルに言った。
「わたしの息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」
創世記38章11節

昨日は成人の日でしたが、
聖書で言うところの成人とは何歳なのでしょうか?
どなたかご存知ですか?
ふと考えた素朴な疑問です。
クリスチャンにとって成人とは何を意味するでしょうか?
成人ならぬ聖人となりなさい。ですか?
   2008年1月14日 (月) 16時13分27秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今、イエス誕生前後の歴史を調べているのですが、
大変興味深いものがあります。
簡単に書くと、
紀元前44年3月15日 
ユリウス・カエサル暗殺される。
紀元前31年9月2日
アクティウムの海戦で、
オクタウィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合軍を破り、アントニウスとクレオパトラは自決する。
紀元前27年1月16日
オクタウィアヌスはアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられ、初代ローマ皇帝となる。

ざっと書きましたが、激動の時代に誕生されたのですね。
誕生後の歴史がわかれば、
使徒言行録がもっと面白くなるかもしれません。
   2008年1月15日 (火) 09時24分59秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た。ルカ福音書2章1節
初代皇帝となり、全領土のことを掌握したいと考えたのでしょう。
3章1節に皇帝ティベリウスが出てまいります。
この皇帝について調べてみたいと思います。
   2008年1月11日 (金) 09時45分31秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「神の国で食事する人は、なんと幸いなことでしょう」
神の国で食事?
これは御言葉の食事でしょうか?
混じりっ気なしの純正の食事ですね。
アダムとイブもこれを食べていたが、
ついつい悪魔が提供した木の実を食べてしまったのかも。
そうすると、段々と「禁断の木の実」というものがわかってきます。
「食べる」これは、
聖書の中の重要なキーワードかもしれません。
   2008年1月9日 (水) 15時09分22秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
というマタイ福音書4:4のよく知られた言葉がありますが、
元々は申命記8:3にあります。
さらに、エレミヤ書には、
「あなたの御言葉が見いだされたとき
わたしはそれをむさぼり食べました」
エレミヤ書15:16
とありますから、
主の御言葉はやはり食べるものなんでしょうか。
食べる?
よく噛んで味わって食べるようにいたしましょう。
早食いして消化不良にならないように。
   2008年1月8日 (火) 08時45分44秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   宴会に招かれたのに食事を味わうことができない!
神様の宴会が見えなくなってこの世の宴会に気を引かれたときでしょうか。
神様の招待。でもこの世のことも気にかかる。
この世の誘惑はそれほど強いようです。
めったにないこの世の祭事のために、
ついつい日曜礼拝を休んじゃったということはないでしょうか。渇!
   2008年1月5日 (土) 22時04分13秒
[名前] :   こば
[URL] :   
[コメント] :   みなさん、明けましておめでとうございます。
でんでん虫さん、今年もよろしくお願いします。
お正月の長い(9連休でした)休日も明日で終わり、7日から、日常に戻ります。少し憂鬱ですが、明日の礼拝で活力を与えてもらいます。カツ!
「次週説教への瞑想」のUPは月曜日にします。
   2008年1月6日 (日) 09時36分54秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   管理人さん今年もよろしくお願いします。
今日活力をもらっているのでしょうね。
昨日土曜日に、
テレビ番組BS2で「母なる大河ナイルを下る」がありました。
エジプトは旧約でも新約でもよく登場する国です。
イエスも生まれた直後に行く国です。
エジプトという国にどのような意味があるのか、
少しでもわかればと思って見ました。
私はわずかな情報を活力にしています。
それでは、今年という年を見ていきましょう。
   2008年1月5日 (土) 09時56分45秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「客と招待する者への教訓」
ここに「恥をかく」、「面目を施す」などの言葉が出てくるのが興味深いです。
クリスチャンはさすがに上席を選ぶ人はいないようですが、
クリスチャンでも上席という意識はあるようです。
では、上席、末席はどのように決まるのか。
上席を喜ぶ人に上席を譲ってあげれば良いようにも思うのですがいかがなものでしょう。
つまり、ノンクリスチャンに上席を譲るということでしょうか。
   2008年1月4日 (金) 10時40分52秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   昨日3日テレビ番組「古代ローマ帝国1000年史」を見られた方も多いのではないでしょうか。
聖徳太子が働き始めたとき、西ローマ帝国はすでに滅亡していたのですね。
シーザーがルビコン川を渡ってローマに入ったとき、
日本は弥生時代だそうです。
主イエスは、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)が始まろうとするときにお生まれになりました。
コンスタンティヌス帝は必要にせまられてキリスト教を公認したようにも見えます。
歴史を見るとき、
世のめぐり合わせの不思議さを思います。
失礼しました。
   2008年1月3日 (木) 11時57分26秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今年はじめての次週説教への瞑想を読んで、
なぜかわくわくするのはなぜでしょう。
当時、礼拝の後は、それぞれの家に入って食事をするのが習慣なのでしょうか。
ということは、それほど大人数ではないということですね。
ですから、明らかに水腫の人が目に入った。
その状態で様子をうかがった。
いやしか律法ゆえの無視か。
ここですでに、このイエスがキリストであるかどうかより、
どのようにしておとしいれるかに視点が移っているので、
彼らは完全に見えなくなっているのではないだろうか。
ですから、私は何を純粋に求めているのか、
それを問われているように思います。
   2008年1月3日 (木) 12時08分33秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   《おことわり》
ここでの私の投稿は、
「次週説教への瞑想」から学んだささやかなる反応であり、
議論をする気は毛頭ありませんし、止めることも可能です。
ただ私にとっては本当に価値あるものとなっていますので、
なんらかの反応を示したほうが良いのかなと思うだけです。
信徒の中には、この程度の聖書理解なのです。
それでも救われたいのです。
どうもすみません。
   2008年1月2日 (水) 10時38分58秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   明けましておめでとうございます
と毎年言うのはなぜでしょう。
明けなくなる時があるのをすでに知っているとか・・。
毎日、毎年、神様は人に時を与えて、
悔い改めて、もどって来るのを今か今かと待っているのやもしれませぬ。
ところが人はいつまでも年が明けると思っているのでございます。
新年明けましてどうしましょう?
これが適当かと思います。デンデン
   2007年12月31日 (月) 10時49分31秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   来年説教への瞑想は来年からでしょうか。
とにもかくにも今年は大変お世話になりました。
ネット社会というものも、
使いようによって大変価値あるものだとわかりました。
聖書が一気に広がったのも最新印刷技術ですから、
神様が用いれば、最適伝達手段となるでしょう。
来年も変わらず、ここでのお働きをお願い申し上げます。
主よ、このサイトを祝福してください。アーメン
   2007年12月28日 (金) 11時30分09秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   《エルサレム経由ベツレヘム》
次期ユダヤの王に会うために、現ユダヤの王に会うため?
現ユダヤの王ならば、当然次期ユダヤの王を知っているだろうと考えた?
ユダヤの王なのだから、きっとエルサレムに招き入れられていると考えた?
ところがどっこいまだ馬小屋にいるではないか。
なんだこりゃ?と思いつつ帰って行ったことでしょう。
まして殺そうとまで考えているではないか。

学者たちのの心境やいかに?
その後の学者たちの動向を知りたいものです。
神はすでに異邦人の救いを考えていたのか?
いろいろ考えられますです。
   2007年12月28日 (金) 10時01分18秒
[名前] :   こば
[URL] :   
[コメント] :   でんでん虫さん、いつもカキコありがとうございます。HPの件、残念ですが、待ってます。完成したら(途中でもいいじゃないですか、一緒に考えれば)教えて下さいね。

主恩教会のカレンダー出来ました。手作りです。今週末に『信徒の部屋』へ乗せようと思います。
みなさん来年も、よろしくお願いします。
良いお年をお迎え下さい。
   2007年12月27日 (木) 15時27分43秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   《 お詫び 》
以前にホームページができたら紹介しますと書いたのですが、
完成はしたものの問題点に気がついたのです。
聖書の旅ですが、そのルートがあいまいで、
よくわからない。
で、明確にしようとしたら、
一筋縄ではわからないのです。
四福音書の一致点を見出そうとすると、
数ヶ月、いや数年かかるかもしれません。
私はそれを矛盾ととらえずに探し求めますが、
想像以上に困難を極めます。
まるで宝探しです。
もし宝を見つけ、主の許しが得られたならば、
その時こそ全世界に発信いたしましょう。
確かに聖書学者にもわからない事は多いのです。
でも、
いざ行かん、聖書の旅へ!!
とりあえずお詫びだけで。
   2007年12月26日 (水) 12時24分29秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今日はもう一つ、
『別の道』
自分が思う道と神様が用意される道は、どうも違うようです。
病気になると特にそう思えます。
なぜどうして?
それは神様の目的のため。
健康なときにできなかった事が、
病気になってできるようになってわかります。
「元気ですか?」
「元気なら何でもできる!」とだれかさんが言いますが、できるけど、しないものです。
健康な時、聖書をあまり読まないでしょ^^。
健康な時にかぎって神様から離れているのです。
だから神様は別の道を用意するのだと思います。
   2007年12月26日 (水) 10時42分03秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   飼い葉桶だから馬小屋?
当時としてはロバ小屋ではないかと思うのですが、
ロバは何を食べるのかな?
当時、馬もよく使われていたのでしょうか?
ラクダは小屋には入れてもらえないのか?
ほとんど意味のない疑問ですが、
いろいろ想像するのも楽しいものです。
「待降節」に「降臨節」明確には知りませんでした。
どのようにして学ぶのでしょうか?
自然にわかった?
説教だけでは、わからないことも多いようです。
ノンクリスチャンの家庭で育った人にはどのように教育するのか。是非考えていただきたいです。
クリスチャンにとってあたりまえでも、
ノンクリスチャンにとってチンプンカンプンというのも多いのです。
何もわからずにクリスマスをお祝いしているのですから。
   2007年12月23日 (日) 14時38分52秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   提案
主の天使は、
だれよりも先に野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いに救い主の誕生を知らせました。

とかくクリスマスには着飾るものですが、
あえて最もみすぼらしい服装で教会に出かけるというのはどうでしょう。
自分自身を着飾る理由がわからないのです。
さらにクリスマスイブは教会でお泊り会をしてもいいかも。
   2007年12月25日 (火) 08時25分41秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   お泊り会
つまり、ちいろば先生こと榎本先生が提唱した、
アシュラム会になるでしょうか。
   2007年12月22日 (土) 10時02分16秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   でんでん情報
1928年の朝日新聞紙上で、
「クリスマスは今や日本の年中行事となり、
サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれたそうな。Wikipediaより
角川書店からは、
『クリスマスどうやって日本に定着したか』
克己・タテノクラハト共著が出版されているようで、
興味深いですね。
クリスマスの飾りつけには、それぞれ意味があるようで、
飾りつけをしながら、
聖書の内容を伝えたのかもしれません。
   2007年12月21日 (金) 09時53分03秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「サンタクロース」
サッタクロースは子供たちにとっての信仰の手始めになるかもしれません。
プレゼントをもらえなくなるから信じなくなる?
福音ほど大きなプレゼントはないのですけれど。
結局、このプレゼントが何かわからないから、
人は信じることができないのではないでしょうか。
それとおもう一つ。
今、自分が悪い子リストに載せられていて、
良い子リストに書き変えてもらわないと、
プレゼントがもらえないということを教えてあげなければいけません。
そして、
それを書き変えるのがイエス・キリストだということを。
プレゼントの中身は、
開けてみるまでは誰にもわからないのです。
サンタクロースがいつまでも存続している理由がここにあるのではないでしょうか。
だから、だれもが子供のようにならなければいけないのです。
メリー・クリスマス!
   2007年12月19日 (水) 09時44分10秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「エルサレム、エルサレム」
これは、「マルタ、マルタ」という呼びかけに共通するものなのでしょうか。
そもそも町に対して、他にも呼びかけはありますが、
個人と町ではどのような違いがあるのでしょうね。
「神戸、神戸、なんと不信仰な町だ」と言われた場合、
私たちはどのように対処すればいいのでしょう。
ところで、神戸には教会の数は多いですが、
信仰的な町なんでしょうか。
微妙な町ではありますね。
シナゴーグあり、モスクあり、お寺あり、神社あり、
何でもあり、それが神戸?
異邦人の町神戸。
神様は、
そんな町神戸をどのように見ておられるのでしょう。
   2007年12月19日 (水) 10時00分21秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   クリスチャン情報ブックによれば、
神戸の教会数はざっと162あります。
神戸の人口は153万ほどですから、
一つの教会の担当する神戸人は一万人ほどということですか。
もし教会に百人いたとしたら、
一人につき百人伝道しましょう。
   2007年12月18日 (火) 08時39分37秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ルカ福音書13章31節のヘロデは、
ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の息子)のことだと思うのですが、
イエスが珍しく、「あの狐に、」なんて言っています。
日本の狐は人をばかしますが、
イスラエルの狐はどうなのでしょうか。
ローマ帝国におべっかをつかうように、
ごますり狐なのでしょうか。それにしても、
洗礼者ヨハネを殺し、さらには神の子イエスまでも、
   2007年12月16日 (日) 10時41分42秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   もうすぐクリスマスですが、
ヨハネ福音書には、イエスの誕生はもとより、
イエスの洗礼以前の記述がまったくありません。
これは、マタイ、マルコ、ルカ福音書がすでに存在していることが前提となっているのでしょうか。
では、マルコ福音書にイエス誕生の様子が記述されていないのはなぜか。
記述されていないので、マタイさんが、
これではよくわからないなと考え、
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。と始めたのかな。
そしてルカさんは、さらにそれを補足した。
ヨハネさんは、もう十分だと考え、
自分が強調する視点を伝えた。
これは私の勝手な考えですが、
いろいろ想像してみると面白いですね。
四人の漁師を弟子にする様子もそれぞれ違うので、
実際はどうであったかを想像するのも面白いかも。
聖書は、いろいろ挑戦できるので、
一生涯の勉強になります。
クリスチャン暇なしです。
   2007年12月15日 (土) 10時06分24秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ルカ福音書では、「narrow door」
マタイ福音書では、「narrow gate」
英語でもほとんど区別していないようですね。
問題は、この「狭い」という言葉をどのように解釈するかということなのですが・・?
教会も茶室のように入り口を「にじり口」にします?
四畳半の教会というのもいいかも。
瞑想できますよ。
「お手前(ぶどう酒)ちょうだいいたします」
   2007年12月14日 (金) 09時45分56秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今年の世相を反映する漢字は「偽」だそうで、
聖書が言う「義」とは、真逆ですね。
ところで、聖書から世相に反映する言葉は多いもので、
「三位一体の改革」「洗礼を受ける」
「目からうろこ」などなど、
クリスマスなどは完全に生活の一部になっています。
母の日のカーネーションも教会から広がったと聞いています。
主なる神様の影響は計り知れないようです。
主の力を信じて伝道いたしましょう。
   2007年12月13日 (木) 08時21分21秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   なぜ使徒たちは、ナザレのイエスをすぐに信じたのでしょうか?
他の人とは、明らかに違ったのでしょうか。
なぜクリスチャンは迫害を受けるのでしょうか?
世間の人たちと違うからでしょうか。
ならば、迫害を受けないとしたら、
世間の人たちと同じになっているということになりはしないだろうか。
これは、ちょっとやばいかも。
   2007年12月12日 (水) 10時25分55秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   「狭い門」「狭い戸口」・・・?
これを考えるとき、
「舌切り雀」の話を思い出します。
「小さい葛篭(つづら)を選びなさい」と言っているようで、
ですが、単に選択の問題ではなく、
それを見いだす者は少ないと言っています。
見いだすためには、やはり努力が必要なのでしょうか。
この言葉に、探せ、そうすれば、見いだすであろうという言葉がセットになるように見えます。
そして、見つけたら、
門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるとなるのですね。
ほんと、聖書の言葉は一貫しております。
「次週説教への瞑想」バンザイであります。
感謝、感謝
   2007年12月10日 (月) 09時53分02秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ちまたのクリスマスは、
まさにクリスマス商戦ですが、
クリスチャンがこれに抗議しないのは、
ルカ福音書9章50節の
「逆らわない者は味方である」という考え方からかな。
神殿の境内で商売をするようなものにも見えますが、
そうであれば、すでになくなっているでしょうね。
サンタクロースも有名になったことだし、
貧しい人にプレゼントをする日にすればいいと思うんだけどどうでしょう。
子供たちにプレゼントをもらう日じゃなくて、
プレゼントをあげる日だよと教えるのです。
   2007年12月7日 (金) 11時24分41秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   日曜学校読み書きの壷(つぼ)
NHKのパクリ
日曜学校の生徒を四人づつのグループに分けて、
先生がお話しした話を書いてみよう。
書いたら、発表してみよう。
何が違って、何が同じだろう。
お話ししたことは一つだから、皆同じかな?
四人で発表することで、何が見えてくるだろう。
これって面白くない^^?
   2007年12月7日 (金) 10時13分21秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   会堂長はなぜ腹を立てたのか?
人の不幸は蜜の味とよく申しますが、
逆に、
この世で、一番難しいのは、
人の幸福を共に喜ぶことだとも申します。
家族の幸福ならまだしも、
他人の幸福を喜ぶのはけっこう難しいのであります。
人とはそのような者ではございませんでしょうか。
会堂長がいやしたのであれば、会堂長が主役になれる。
しかし、いやしたのはイエスだった。
「喜ぶなら、どうか、よそへ行ってやってくれ」
会堂長は、そう思ったのではないだろうか。
   2007年12月5日 (水) 09時43分24秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ルカ福音書13章にある、
「からし種」と「パン種」のたとえは、
難しくよくわかりません。
たとえば、この宇宙は、
ビッグバンにより誕生して、
今でも加速度的に膨張していると考えられています。
ならばこの宇宙そのものなのか?
偶然膨張しているのか神の計画により膨張しているのか?
神の計画により膨張しているとすれば、何ゆえ?
私たちの住み家のためかな?
ひょっとして、
無数にあるどこかの星に住めるのかも、
だからアブラハムの子孫を星の数ほど増やしたのかもしれませんよ。
   2007年12月4日 (火) 09時41分17秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   病める人には安息日はないのですね。
六日病んで苦しんで、七日目もやはり苦しい。
だから、安息日の主は、
そのことをあわれに思って安息日にいやされたのでは、
と思うのは私の主観です。
律法ゆえにその人を放置するとしたら、
律法とはなんぞや?であります。
隣人を愛せよという律法はどこへ行ったの?となります。
「次週説教への瞑想は、考えさせられるところが多いです。
礼拝説教で、じっくり考えることがなかったので、失礼。
思いの外、これまた失礼。
次週説教への瞑想はすばらしいコンテンツだと思います。
   2007年12月3日 (月) 09時46分42秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   星野富弘さんの絵葉書が届いた。
姉からだった。
群馬にある富弘美術館に行ったというのである。
たくさんの人でにぎわっていたそうな。
これはすばらしい!
私が障害者というだけで伝道になっているではないか。
これが神様の御業なのだ!
ハレルヤ アーメン アメージング!
   2007年12月2日 (日) 09時24分03秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   昨日、BSテレビで、
「放浪の天才画家・山下清の作品と生きざまを追う」という番組がありました。
パウロさんもすごいですが、
この山下清もすごい。
放浪生活でも、ちゃんと食べていけるところがすごい。
神様はちゃんと養ってくれるのですね。
その上、賜物まで与えてくださる。
クリスチャンでなくてもだから、
クリスチャンならなおさらですよね。
正直に「ご飯をください」と言えばいいんだ。
そして、いただければ、「ありがとうございます」
ですね。
   2007年12月3日 (月) 23時28分18秒
[名前] :   こば
[URL] :   個人
[コメント] :   「日用の糧を与えられる事を感謝します」と思える事を感謝します。この世界には、ご飯たべられない人々が沢山います。今の日本でもいます。私は「ご飯たべられない」人になる事が恐かった。そして今でも恐いです。鳥や花にはなれません。金持ちでもありませんが、全部売り払う事はできません。出来る事だけシテイル...
   2007年11月27日 (火) 11時40分59秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今回の次週説教への瞑想は、大変難しいので、
プリントアウトして丹念に見ています。
難しい言葉がいくつかあるのですが、
さらに、13章4節にシロアムの塔とその事故?のことがあります。
で、「シロアムの塔」で検索して見てみると、
あのインドネシアの大津波は、
クリスマス直後の主の日に起こったことがわかりました。
主の裁きの日は、いつ起こってもおかしくないのかもしれません。
それこそ、私たちが眠っている、ちょうどそのときが、
そのときかもしれないのです。
時は、あるようで、ないのかもしれませんね。
主イエスが誕生してから、およそ2000年。
私たちは、時に関して感覚が麻痺し始めているのではないでしょうか。
起きろ〜〜〜!主人が帰ってくるぞ〜〜〜!
   2007年11月27日 (火) 15時58分16秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   投稿を増やして、申し訳ないのですが、
スマトラ沖地震は、
2004年12月26日午前7時58分50秒に起こったようです。
阪神大震災と同じように、まだ寝ていた人は多くいたのではないでしょうか。
で、今日の夜9時からBS2で映画「TSUNAMI津波」後編があります。
前編では、クリスマスをお祝いする場面がありました。
取り急ぎお知らせしました。
   2007年11月26日 (月) 09時48分11秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今年のアドベントは、12月2日からでよいのでしょうか。
第一主日が、12月2日、
第二主日が、12月9日、
第三主日が、12月16日、
第四主日が、12月23日、
そしてクリスマス。
でも、どうしてクリスマス当日には、何もしないのでしょうか。
何もしないのは私だけ?
皆さんは何をしているのですか?
   2007年11月26日 (月) 11時19分12秒
[名前] :   でんでん虫追記
[URL] :   
[コメント] :   もし、間違っていましたら削除してください。
正確には、教会の日程を見た方がよいでしょう。
   2007年11月25日 (日) 12時18分49秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ルカによる福音書7章後半で、
イエスは死者を生き返らせました。
この話は、ユダヤ全土と周りの地方一帯に広まったとあります。
でも、不思議なことに、これを記述したのは、
ルカだけなのです。大事件なのになぜでしょう。
ナインという町に行ったこともルカにしか記述されていません。
さらに不思議なことは、
ヨハネがこのことを聞いても、
「来るべき方は、あなたでしょうか。
それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
と言っていることです。

何か秘密が隠されているかもしれません。
ルカコードかな、わくわくします。
   2007年11月26日 (月) 10時53分04秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   でも、
マルコ福音書5章には、ヤイロの娘を生き返らせる話があり、
マタイ福音書9章には、指導者の娘を生き返らせる話がありました。
総合して、会堂長ヤイロの娘を生き返らせたということでよろしいのでしょうか。
   2007年11月26日 (月) 15時37分33秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ところがどっこい、そうは簡単に問屋は下ろしませぬ。
ルカ福音書の中でも、
ヤイロという会堂長の娘を生き返らせる話(ルカ8章)と、
ナインでのやもめの息子を生き返らせる話(ルカ7章)はまったく別の話しではありませんか。
これだから、聖書物語は一筋縄ではいきませぬ。
それでも私は、事実は一つであると信じます。
何年かかっても、解き明かしてみせまする。
これが私のライフワークでございます。
考古学者シュリーマンも、
ホメロスの詩を信じてトロイの遺跡を発見したのですから、
信じる力はすごいのです。そお思いませんか。
   2007年11月21日 (水) 16時14分28秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   イエスの最初の弟子が漁師であることは、ほぼ間違いないとは思うのですが、
弟子にする方法が四福音書とも違うのはなぜでしょう。
視点がどのように違うのでしょう。面白いですね。
   2007年11月20日 (火) 09時43分58秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『聖霊を冒涜する者』
これを読んだ時、ひょっとして私のこと?と思い巡らしてしまいました。
これは、どのような者なんでしょうか。
未だにわかりません。
冒涜したつもりはないですが、
ひょっとして、知らず知らずのうちにしていたら大変だとも思うのです。
冒涜とは、おかしけがすこととあります。
でも、そもそも聖霊を認識することが難しいのでは・・。
まだまだ信仰の道は遠いようです。
   2007年11月18日 (日) 08時18分18秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ゲストブック旧01、02、03で以前のゲストブックの投稿内容が見れるようですが、
今見るといろいろ訂正したい箇所がいっぱいありますが、
訂正できません。
神様の書も同じでしょうね。
私たちの発した言葉は残らず記録されて、
裁きの日にそれが問われるのでしょう。
まともに裁かれたのでは、とても言い逃れはできません。
自分の人生で、発した言葉を全部、改めて見るというのはどんなでしょうね。
赤面だけで済めば、まだ良い方でしょうか。
   2007年11月14日 (水) 09時50分57秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   今回の次週説教への瞑想は、祈りがテーマなんですね。
主の祈りは、お題目のようになってしまいがちですが、
やはり注意して祈るべきかと思われます。
必要な糧を毎日与えてくださいと祈るのですから、
毎日与えられていない隣人がいれば、
無視することはできないと思うのです。
自分に負い目のある人を赦すならば、
多くの争いはなくなります。
でも、現実は難しい。
だから、やはり、お題目?
いやいや悪魔の試みに負けてはなりませぬ。
主の祈りは、信仰のバロメーターかもしれませぬぞ。
   2007年11月12日 (月) 16時16分22秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   先に、マルコ福音書6章45節で、
ベトサイダに行かせとあるのに、ゲネサレトに着いたとあるのはなぜだろうと投稿したのですが、
ある牧師の説教集から解決しました。
予定を変更したのですね。これ、あってる?
だから、8章22節でやっとベトサイダに着いた。
で、なぜ変更したかについては、これから分析しなければなりません。
それとも他の見解もあるのでしょうか。
ここは、フォーラムではないので、
議論の必要はありませんが、
四福音書をまとめるのって非常に難しい作業ですが、
それだけに得るものも多いような
ベトサイダで盲人をいやしますが、
段階的にいやされます。
かすかに人が見え、そして何でもはっきり見えるようになります。
聖書研究もこれと同じではないでしょうか。
事のつながりが見えてくると、全体が見えるようになります。
   2007年11月12日 (月) 16時38分44秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   マタイはこれに気づき、向こう岸へ先に行かせ、とし、
ゲネサレトという土地に着いた。と記述したと考えるのは、自己満足だろうか?
それはともかく、ベトサイダには行ったのか、
それとも行かなかったのか?
これは難問だ!
   2007年11月11日 (日) 08時29分11秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『黙想3』
ルカ福音書の平地での説教には平和はありませんが、
続く説教に、
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。とあります。
平和は、これで十分ではないでしょうか。
四福音書の相互関係には、すごい秘密があるかも・・。と思ってしまいます。
   2007年11月10日 (土) 08時48分45秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   『黙想2』
ルカ福音書12章だけでなく、
マタイ福音書10章でも、
わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。とあります。さらに、
剣をもたらすために来たとあります。
剣?
で、この剣ですが、
ルカ福音書2章35節の、
あなた自身も剣で心を刺し貫かれますの剣と同じでしょうか?
結局、多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。が答えだと思うのですが、いかがでしょう。
特に罪人にとって、ここに平和はないと思うのです。
   2007年11月7日 (水) 11時11分34秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   まさか、新共同訳聖書の誤字ではないとは思うのですが、
マルコ福音書6章45節で、
ベトサイダへ先に行かせとあるのに、
どうして53節で、
ゲネサレトという土地に着いてとなるのでしょう。
とかく呼び名は複数あるので、
ほんとまぎらわしいのです。
イエスの道行きを確定するのに数年かかりそうです。
でも新しい発見はいっぱい経験できますよ。
   2007年11月7日 (水) 11時18分59秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   ちなみにマタイ福音書14章34節では、
ゲネサレトという土地となっています。
これも余計な投稿だったでしょうか。
でしたらゴメンナサイm(、、)m
   2007年11月8日 (木) 11時44分00秒
[名前] :   でんでん虫
[URL] :   
[コメント] :   で、新改訳、口語訳ではどうかというと、共に、
ベツサイダからゲネサレの地に着くということらしい。
ここまで来ると、翻訳者がどのように発音するかという問題なのかもしれないが、
なんとかエキュメニカルの精神で統一して欲しいものである。
でも、これも聖書研究の面白さと言えなくもないかな。ついでにと言ってはなんですが、この後、
五千人に食べ物を与え、さらに、四千人に食べ物を与えていますが、その教えるところの違いって何だろうと考えています。わかりますか?
   2007年11月6日 (火) 09時35分28秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   『黙想』
私なりに、
ルカは3章16節で、
ヨハネは水で洗礼を授けるが、その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになると述べています。
ここで言う火とは何でしょうか。12章49節の火と同じではないかと思うのですが、違いますか?
分裂は、ひつじとやぎとの分裂だと思うのですが、
つまり、救われる者と救われない者との分裂なのですが、
先生、この答えは間違ってますか?
とりあえず、私なりの答えを出してみました。
採点は、何点?0点かな、でもいいや。
これが今の私ですから。
でんでんむしむしか・た・つ・む・り^^。
   2007年11月6日 (火) 11時28分00秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   救われる者と救われない者と言うと語弊(ごへい)がありますので、
信じる者と信じない者と言ったほうがいいですね。
またまた、ゲストブックの容量を消費してしまいました。
ゴメンナサイ(、、)
   2007年11月5日 (月) 09時39分27秒
[名前] :   でんでん虫虫
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[コメント] :   まいど、
イエスの十字架の道行きは、
よく知られているところですが、
今イエスの人生の道行きを調べているところです。
ベツレヘム→エジプト→ナザレ→ヨルダン川
→荒野→ナザレ→カファルナウム→ゲネサレト湖畔
これがなかなか難しい。
4福音書でどうまとめるかが難しい。
わかりやすく書かれた本ないですか?
   2007年11月4日 (日) 09時00分49秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   『目を覚ましている僕』ですが、
この話の前後には、主の教えがいっぱいあるのですね。
なぜだろうと思ったら、この時イエス様は、エルサレムへ向かっておられたんだ。
遺言のような教えなんですね。
一つ一つ、改めて読んでみることにします。
   2007年11月2日 (金) 00時29分52秒
[名前] :   こば
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[コメント] :   ゲストブックが一杯になったので、旧03に退避して、整理しました。
でんでん虫さん、こんばんわ。相浦先生の礼拝説教も、けっこう厳しいです。 ボソ (^_^;
   2007年11月2日 (金) 09時33分23秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   管理人さんの働きを感謝申し上げます。
『待つ』
「わたしま〜つ〜わ」なんて歌もありましたが、
私たちは、もう2000年近く待っているんですよね。
なのになぜ来ないのか?
それは、救われるべき人たちがまだ全員救われていないからではないでしょうか。
そうです。トムのいない間のジェリーではないですが、
なまけて宣教しないからかも。
つまり婚礼の客がそろっていないわけです。
あら大変!
招待状を送るの忘れていた人はいませんか?
全世界でチェックしなければいけないので、
年金問題どころじゃないですよ。
   2007年11月1日 (木) 13時55分27秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   『隣人』
律法には、隣人になって、自分を愛するように隣人を愛せよとは書いてなくて、
イエス様は、誰が隣人になったと思うかと問うています。
マザー・テレサは、隣人となったのであろうが、
遠くで見ている私たちは結局、祭司やレビ人と同じではあるまいか。道の向こう側にいるのですから。
自己弁護する人も多いでしょうが、
それも正当化しようとした律法学者と同じような。
イエス様は、けっこう厳しいかもよ。
   2007年11月1日 (木) 14時05分35秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   以上は、ルカによる福音書10章の善いサマリア人のお話のことですが、
信仰義認ではあるものの、
信じて、愛することを考えれば・・・悩むなぁ。
   2007年11月1日 (木) 15時41分23秒
[名前] :   でんでん虫
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[コメント] :   少し、長くなって申し訳ないですが、
もし仮に、祭司とレビ人が追いはぎに襲われた人に近寄ったとしてもですよ。
何をどのようにしてよいのかわからないのではないでしょうか。
その点、サマリア人は、旅をしていたとあります。
つまり、それなりの経験がある。
このことから、私たちには、やはり試練を受けることが必要なんだと思います。
試練を受けて初めて、その時、自分がどのような愛を受けたいのかがわかるんじゃないでしょうか。
これが自分の十字架かなと今思ったところです。
長々とすみませんでした。
  
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