Hamiltonにて1(Aug. 2000 - Aug. 2001)

引っ越し&部屋探し

カナダに来て、初めての引っ越し。こっちに来たときは、スーツケース2個と手荷物だけで済んでいたのが、流石に2年も住むといろいろなものが増えてしまうものです。大きいもので、スキー板、自転車、テレビ、CRTモニタ、Desktop PCなどがありましたし、本はかなり増えてます。Fairview Crescentはfurnishedだったので、ベッド、本棚、机が引っ越し荷物にないだけましでした。引っ越し屋に見積もりも貰ったところ、少ない荷物だといわれましたが、料金は一定毎の体積で決まっており、C$750が最低区分の料金でした。これに保険・税金が加わるので、C$866が見積もりになって出てきました。この引っ越しの厄介なところは、引っ越し先の住所が決まっていないところです。幸い、こちらの引っ越し会社はたいがい倉庫を持っており、自分が契約した会社は、C$25で引っ越し先が見つかるまで預かってくれるとのことでした。引っ越し先が見つかり次第、連絡を入れるということで、契約は成立しました。

そのときまでに、MBAのadmission interviewのために東海岸に2度足を伸ばしていますが、Vancouver-Toronto間は飛行機で移動していましたので、Canadian Rockiesを見ていませんでした。折角の大陸横断の機会なので、荷物とは別に本人はJasper-Banff-Calgaryと観光旅行をしました。これについては、いずれ改めて書きたいと思います。

楽しかった1週間の旅行を終え、8月21日からHamiltonでの部屋探しが始まりました。残念ながら、大学の寮はadmissionが出た時点で、既に空き部屋なしの状況でした。Vancouverを発つ前に、Hamiltonでの安宿を探したのですが、YMCAは全く空き室が無い状況でした。B&Bでも一泊C$60(夏はCanadaの観光シーズンですので、高くなるようです)を出してきます。旅行中は一泊C$20以下のYouth Hostelを利用しており、そんな高い宿泊費は払いたくありません。そこで思いついたのが、TorontoのYouth Hostelから部屋探しに通うという方法でした。交通費は往復でC$16程度ですので、HamiltonのB&Bに投宿するよりずっと安くなります。

最初に、大学のInternational Students' Advisor Officeに出向いたところ、色々教えてくれました。先ず、大学の学生会館に賃貸の掲示が出ているので、それをチェックすること、それからこのOfficeにも直接、空き部屋の情報がくることもあり早い者勝ちなので、こまめに来ることを薦められました。掲示に出ているもので、これはという物件の連絡先に電話を入れると、悉くIt's goneと言われてしまいました。このときが携帯電話の必要性を最も強く感じました。これがあえれば、掲示板の前から家主に電話が出来ますので。結局、International Students' Advisor Office経由で紹介してもらった物件の3軒目で決めました。幸い、Torontoから通うのは3日間で済みました。部屋は、一軒家の4部屋の内の一部屋を借り、キッチン・リビング・トイレ・浴室は共有するという、Fairviewに極めて似た環境でした。大学まで徒歩10分で、家賃C$280/month、水光熱費は別でしたが好条件と思えました。

4人で割れば、月当たりの水光熱費はC$15〜20、ケーブルテレビがC$12です。冬期の暖房代が昨年実績でC$30/Mを払っていますが、シーズン終了後に実際使用額で精算することになっています。他に、個人で電話(C$26)、Internet Service Provider(C$25)などの支払いがありますので、月にC$380くらいは自動的に出ていくことになります。たぶん、これでも安くで生活をしているほうだと思います。

移民申請

カナダは今も移民を多く受け入れている国です。ただ、以前に較べると条件が厳しくはなっているようです。移民申請には幾つかのカテゴリーがあって、最も一般的なのが「独立移民」と呼ばれるものです。これは、応募者の経験や能力を点数化してそれが一定の点数以上になっている人を移民として受け入れるもので、単純労働者を受け入れることは目的としていないようです。現実的には、移民後にそういった職に就くことを余儀なくされている人がいることは残念ですが。合計点数は、年齢、公用語の運用能力、学歴、職歴を主な要素として構成され、概ね100点満点で70点が移民として認められることの基準になっています。寿司職人はこの職歴で高い点数が取れると聞いたのですが、いまでもそうなのかどうかは定かではありません。幸い、4年間のelectrical engineerの職歴も寿司職人に負けないぐらいの点数が得られるようで、手許の計算では70点を越えていました。在職証明書、無犯罪証明書、出生証明書、卒業証明書などの書類を取りそろえるのはなかなか面倒で、申請したのは2000年の9月でした。

さて、申請後2ヶ月ほどで書類受理の通知が来ることになっているのですが、私の場合、書類不備で送り返されてきました。申請費用は、単にpersonal checkを切っただけではだめで、certifiedされていないと受け付けないと言われました。これは自分の見落としでした。他に付いたいちゃもんが、18歳の誕生日から、翌年の4月の大学入学までの間何をしていたと聞いてきていました。どうやら、日本の学校が3月に終わって、4月に始まることは知られていないようでした。再度提出したのが2001年の1月で、3月1日付けで受け取り通知が来ました。今回は文句を言われずに済んだようです。この後、健康診断書の提出等があるようです。書類審査で面接の必要なしと判断されれば、5ヶ月から10ヶ月で移民資格が下りるとのことですが、面接が必要と判断されれば、面接が8ヶ月から12ヶ月後に設定されるとのことになっています。

受け取り通知受領してから、2ヶ月ほどして、健康診断書とカナダの無犯罪証明書を提出するようにとの指示が送られてきました。申請からは4ヶ月ほど経っていました。幸い、面接の必要なしと判断してくれたようで、年内には移民資格がとれそうです。

こちらはカナダ移民局が独立移民申請の情報を提供しているページです。

今から思えば、こちらに来てすぐにでも申請に取りかかっておけば良かったと後悔することしきりです。当時は「移民」という言葉に日本との縁を切るかのようなイメージがあったのですが、別に日本国籍に何ら影響はなく、失うのは申請費用と手間だけであることを知るまでに、かなりの時間が経ってしまっていました。また、申請に際して多額の弁護士費用が掛かると聞いていたのですが、pointが十分満たされていれば、自分で申請しても問題なく移民資格は取れる筈で、弁護士にお金を積むのは、pointが少し足りない人たちがすることという説明を聞くまで、本気になれませんでした。意味するところは同じなのですが、「移民資格」という言葉も「永住権」と読み替えれば、日本との縁を切るイメージが減ります。自分の親にはこの言葉を使っています。

永住権取得後は、1年の半分以上をカナダに滞在していない限り、その権利を剥奪されることになっていますので、こちらで働き口を見つけなくてはなりません。働いてみて、合わないと思えば日本に帰れば済むことです。カナダの辛いところは、税金の高さと、給料の安さでしょうか。その反面、生活費はかなり安くで済みますので、生活水準は下がらないと思います。ただ、お金を貯めるとすると、通貨の弱さが響きますので日本の方がいいということになるでしょうか。

永住権取得後3年を経過すると、カナダの市民権の取得申請が出来るようになります。カナダは二重国籍を認めているのですが、日本は認めていないため日本政府の知るところになった時点で、どちらか一方を選ぶことを求めてくるそうです。将来、日本とカナダが戦争状態に陥ることは極めて非現実的と思えますので、二重国籍が認められるようになって欲しいものです。

MBA Bound

MacのMBAでは、MBA Boundというイベントがprogramの開始直前の週末に行われます。second yearのMBA studentが企画運営し、2泊3日の日程で行われます。行き先はバスでHamiltonから3時間ほど北東に向かったLake SimcoeのGeneva Parkのキャンプ場で、ここで様々なグループアクティビティを通じてMBAの学生間の親睦を深めるというのが趣旨のようです。参加費はC$160と結構な額でしたが、これに参加するかどうかは自分の認知度に影響するであろうことと、それがそれからのクラス内での地位にも影響することは予想できたので、参加しないわけには行きません。

scavenger huntに始まって、前もって渡された国の名前に従って集まり、目的も何も知らされず、封筒を一つ渡されて始まる国連ゲーム(正確な名前忘れました)や、森の中に設置された障害を指示された条件で、グループの力を合わせてクリアするゲームなどを行いました。2日目の夜にには、80's theme partyとやらで、自分のグループはパンク系のロックグループ(そのとき初めて聞いた名前で、もう忘れました)のまねごとをすることになりました。自分はドラマーを担当しました。外しはしなかったようでしたが、ドラムに見立てた椅子を蹴飛ばして終えることに頭が回らなかった自分の詰めの甘さを残念に思います。ほかのグループは結構芸達者がいるもので、なかなか楽しめました。MBA Boundを通じて、自分の顔は売れたようで、所期の目的は達成されたようでした。

このイベントの後しばらくして、マーケティングの授業で見たWendy'sの管理職の合宿研修でやっていた内容と一部似ていたのが印象的でした。もちろん、Wendy'sの管理職達の方が強烈なことやってました。そこまでくると、一種の洗脳のようにも見えなくもありませんでした。日本の企業の新人研修でも似たようなことをやっているのかもしれません。自分が新卒で入った会社ではそういう手の込んだことはやっていませんでしたが。

MBA Program Q1&2

MacのMBAは思っていたほどしんどくありません。確かにAssignmentやグループワークには追いかけられますが、睡眠時間も晩飯を自分で作る時間も確保できました。各Quarterとも2科目ずつ、UBCで勉強した科目との重なりがあったことが大きいのかもしれません。既習である、Statistics I, Financial Accounting I&II, Managerial Economicsでは、大して勉強しなくてもAが取れました(いやA+でなかったことを恥ずべきですね)。免除申請は可能だったのですが、認められても代わりに別の科目を取らなければならないということになっています。残念ながら他に取る科目がなく、免除してもらっても仕方がなかったので申請しませんでした。既習科目は良い成績が取りやすく、よい成績には現実的なメリットがあるので、不満を抱く必要はないのかもしれませんが、学部と水準が大して変わらないMBAのコースでいいのかなと思ったりしてしまいます。まぁ最初の4ヶ月は慣らし運転なのでしょう。Full-time MBAの学生が言うことには、3rd&4th Quarterのほうがしんどいと言っていたので、そういうことなのでしょう。

Co-op job placement for the first work term

MacのMBAは国際的な知名度が不十分なためか、カナダのほかのメジャーなMBAに較べて留学生の比率がかなり低くなっています。これに対して、新任の学部長がMacのMBA programにもっと国際的な要素を取り込むべしとの方針を打ち出しました。その一環として、留学生にもCo-op MBAをの門戸を開き、MacのMBAがより魅力的に映るようにして、海外からもっと学生を集めようとの計画が進められています。政府の就労ビザに関する方針も、大学のprogramが卒業の要件に就労が盛り込まれている場合は、就労ビザは申請すれば自動的に出るということになっていますので、大学側が方針さえ変えれば、留学生をCo-op MBA programに受け入れることは技術的に可能になっていました。問題は、企業側が留学生を雇うか?ということでした。そこで、2000年入学の留学生のうち、2人にCo-op MBAへの転籍を認めて試験的に運用してみようとのことになったそうです。

私のところに転籍を募集する案内が来たのは9月の末でした。申し込みには自分のresumeをBusiness Career Officeに提出することになっており、書類審査で数名に絞って、interviewを行って2人に絞るということでした。interviewではbehavioural questionに重きが置かれていたようですが、なんとか無難にこなしたところ、2人の1人になることが出来ました。

でも、大変なのはそれからでした。既に1st roundの募集は殆ど終わっており、なんとかNortelのinterviewは受けられたものの、同級生との競争に負けてしまいました。2nd roundでは10社以上にresumeを送り、Bank of Montreal, Microsoft, TD bankからinterviewの機会を得ましたが、2nd Quarterが終わりに近づいてもofferが得られませんでした。その時点でも落ち着き先の見つからないclass mateとの共通点を探すと、英語が2nd languageであるAsianというのが明瞭な共通点でした。自分のcommunication能力は企業が求めるレベルにはまだ達していないのかと思わされ、なかなかにstressfulでした。最悪の場合、Co-op MBAから以前のFull-time MBAに再び移ることを余儀なくされるという事態も頭を過ぎりました。幸いにして、Gennum Corporationという半導体を製造している会社の放送機器用半導体のマーケテング部門のinterviewを期末試験の最中に受け、offerをどうにか貰えました。

Gennumの放送機器用半導体の売り上げの40%近くは日本向けとのことで、日本語と電気工学のbackgroundはこのpositionには理想的なassetであるようでした。話を聞いたときは、日本語を頼りにカナダで仕事を得ることに、ある種の敗北感を感じましたが、状況が贅沢を言うことを許してくれませんでした。寧ろ、応募からinterviewまでの間に、他の選択肢が消えて行くにつれ、これを逃したら他はないな、とのややせっぱ詰まった気持ちになっていきましたので、どうにかクリスマス前にOfferをもらったときはホッとしました。

Gennumでお仕事

初日

長めの冬休みが明けて、2001年1月15日からGennum Corporationで働きだしました。最初はちゃんとやっていけるかどうか不安でした。初日は、人事部に寄ってから、自分が働く事務所に出社したところ、Training Manualを渡されました。Video & Broadcast Product DivisionのMarketing Departmentが自分の所属でした。面接の時に聞いた話では、Gennumが侵害していると申し立てられている、特許の係争案件を担当するなるといっていました。これって、Marketing部門の仕事?という思いも抱きながらも、やれと言われたからにはやらなければなりません。机に、前任の同じ大学の1年上のCo-op MBA studentが残した資料もあり、中には、特許弁護士事務所からの回答書がありました。本件には特許の侵害はないと考えられる、となっていました。なんや、結論出てるやんか。自分に、何させるつもりなんやろうと訝りながら、特許の本文を読み始めましたが、なかなか進みません。これはちょっと手強そうだ、との思いを強くしました。

朝にbossと話したときは、Excelで作った市場規模見積もりのためのspread sheetがあって、これの改訂のほうが優先する仕事なので、そちらから手をつけるように言われていました。具体的な仕事の内容は、Johnに君の所に行って指示を出すよう言ってあるので、彼から受けるようにとのことでした。先ほどの特許関連の資料を読みながら、待てど暮らせどJohnは来ません。4:00pm近くになって、流石に気になったので、こちから探してどうなっているのか聞いたら、今日はもう遅いから明日にしようと言われました。まぁ、初日から焦ることはないでしょう。

通勤

会社はBurlingtonという、Hamiltonの隣の街にある。距離にして20km弱離れており、通勤は車が普通でしょうが、この仕事のために車を買うには一寸踏ん切りが付きませんでした。幸運にもルームメイトがBurlingtonのhigh schoolの教師をしており、朝乗せて行ってあげると言ってくれました。彼は、1月一杯で部屋を出ることになっていましたが、市内への引っ越しだから、たいした回り道ではないので、拾いに来てくれるという有り難い申し出をしてくれました。ついては、こちらがガス代を出すということにしました。

自分にとっての問題は、彼の学校が8:00amに始まるということでした。従って、自分の部屋は7:30amには出たいということになります。会社の方は9:00amまでに出社すればOKということだったので、妙に早く会社に着くことになります。とはいえ、バスで行くとしても本数や連絡の制約からどうせ、7:30am頃には出なければならなかったので、余分に朝寝坊が出来るわけでもありませんでした。大学なら、8:00amに起きても8:30amの授業には間に合えたので、早起きが辛く思えました。どうしても朝寝坊がしたければ、車を買うしかありませんでした。まぁ、夜更さえしなければ、ちゃんと起きられるでしょう。

実は問題は、自分ではなくルームメイトの方でした。引っ越してからは、むこうが来てくれるのを待つわけですが、3ヶ月で、4回すっぽかされました。薄々その可能性は感じていましたが、2日酔いかなにかで学校をさぼることがあるようでした。電話さえしてくれればいいのですが、それもありません。それが出来るようであれば休んだりしないのでしょう。困ったことに、こちらからは連絡がとれません。最初のときはかなり困惑しましたが、3回目にもなると、あぁまたかで済んでしまいます。自分が気にかける必要はないのですが、1年契約で働いていて、そんな勤務状況ではpermanentのpositionを得るのは難しいだろうと思いました。新しいpositionにapplyするとき、過去の勤務先からreference letterを持ってくるように求められることは珍しくありません。学校なら尚更だと思います。お気楽カナディアンひとりみっけ。

勤務環境

自分専用に間仕切りされた十分広い空間と、日本のときの3倍の大きさの机が与えられました。肘掛けと大きめの背もたれのついた椅子は、日本で働いていた会社では、課長以上にならないと与えられない水準のもので、結構いい気分でした。これだと少しくらい居眠りしてもばれそうにないくらいです。眠気覚ましに無料のコーヒーをたくさん飲みました。あてがわれたコンピューターはDellのPentium 200MHz機でしたが、どうせCPUパワーの要る仕事をするとは思えないので、Trinitron管19inchモニターが繋がっていることのほうが重要に思えました。問題は、RAMが32MBしかなかったことでした。Spreadsheetの改訂作業にとりかかると、対象ファイルのサイズがかなり大きく、作業中にスワップが頻繁に発生してどうしようもありませんでした。

ぼやいていても仕方がありません。上司にPCがとろくてどうしようもない、32MBしかないPCのRAMが問題の主要因と考えられるので、RAMを買って欲しいと要求したらOKが出ました(出て当然ですが)。社内のCIS(Computer&Information Service)Departmentがコンピュータ全般を管理しているので、そこに購入要求を出すように上司に言われました。購入を依頼したところ、PCの中を開けて使用するRAMの種別を確認するとのことで担当者が来ました。開けてみると、SDRAMを使う仕様のPCでした。実は、自分はPen200ならてっきりEDO RAMだと思っていました。後日担当者が、64MBのRAMを持って現れました。Dellのサイトを調べたところ、32MBのRAMまでしか対応を謳っておらず、動かないかもしれないと言っていました。不安は当たり、64MBのRAMを装着して起動してみたもののRAMは増えていませんでした。残念。彼曰く、32MBのSDRAMは売ってなかったので、64MBを買わざるを得なかったとのことで、少し困った状況でした。社内に32MBのRAMを積んでいる機械から抜き出して交換して、そっちが動けば持ってこれるから探してみるということで、彼はその場を去りました。

これでは、まともなPC環境が手に入るのはいつになるか分かりません。自分のlaptop(Let's Note S51, PenII 266)は128MB積んでいるのでこれを持ち込んで使ってもよかったのですが、外部CRT接続用のコネクタを装備しておらず、大きなspreadsheet相手ではXGAとはいえ11.3inchのディスプレイ上での作業も遅いPCでの作業と同じくらいpainfulに思えました。結局、外部CRT出力の付いた小型I/Oボックスをパナセンスに注文しました。あって損はしないでしょう。勿論、パナセンスは海外発送はしてくれません。実家に送られるように手配して、到着次第、速攻でこちらに送るように親に頼みました。

ある男の話

運の悪い男

仕事を終えて、会社の近くから市バスに乗って、鉄道の駅についたところ、列車が入ってくるのが見えました。彼はダッシュ一番、階段を走り降り、通路を走り、階段を駆け上がりました。階段が狭く、乗客が降り始める前にたどり着かないと、間に合わなくなるからです。幸い彼は列車に間に合うことが出来ました。乗り込んで、彼は気づきました。切符を改札機に通していなかったことに。彼は振り返りました。まぁいいか、今まで何度か乗っているけど、車内改札は一度もなかった。そんな状況でわざわざ改札機を通すのは馬鹿らしいなぁ、と彼は常々思っていました。改札は自販機の様な機械に磁気を帯びた紙の切符を入れて、日付と時間が押されることで行われます。その駅には改札を経なくても、列車の乗り込みを妨げる物理的な障壁は一切ありません。ホームに出るときに開ける扉の上に警告文があるだけです。切符はプリペイドカードのようになっており、彼の切符には10度数のうち、7度数が残っていました。

彼が降りるのは終点の駅で途中に一駅だけ停車します。その駅から制服に身を包んだ二人組の男が乗ってきました。警官でした。彼らは言いました、「切符を拝見させていただきます」。いつものことですが、彼以外にその車両には数人しか乗っていませんでした。、警官が運の悪い男の所に来たときは彼は、本を読んでいました。彼は求めに応じて、精一杯平静を保って切符を差し出しました。でも警官は気づいて言いました。「改札されていない。」彼は驚いた素振りで、自分の切符を見て、確認しました。勿論、押されていません。彼は弁解しました。機械には入れた、機械がちゃんと日付と時刻を押さなかった。警官は言いました、「押されたことを確認するのが君の義務だ。」運の悪い男は、急いでいたので、確認が出来なかったと言いましたが、警官は譲ることなく身分証明書を要求しました。確かに、改札された切符を持って乗るようにという内容が駅の警告文に書かれていました。彼は仕方なく運転免許証を出しました。番号などが書き写され、彼には紙切れが一枚渡されました。そこには、罰金C$110を払うように指示されていました。因みに彼がケチった鉄道料金はC$2.40でした。

めげない男

警官は運の悪い男に紙切れを良く読むように言いました。そこには、2週間以内に3つの選択肢の中から1つを選ぶようにと記されていました。

  1. 有罪を認め、指示された額の罰金を払う。(クレジットカードでも支払いOK)
  2. 有罪を認めるが、裁判所で裁判官に対して申し立てを行う。
  3. 無罪を主張し、裁判を起こす。

彼は、運の悪い男から、めげない男になることにしました。流石に、裁判を起こす根性はありません。選択肢2.を選ぶことにしました。裁判所は平日の午前中と月曜から木曜の午後しか開いていませんので、裁判所に行くためには会社を休む必要がありました。翌日、彼は会社に出勤し、部長に私用のため半日の休みが欲しいと申し出ました、仕事のほうは順調なので支障はないことを付け加えつつ。部長は、問題ないと言ってくれました。実は、彼の雇用契約に有給は含まれいませんでしたので、これは部長の柔軟な対応のお陰でした。彼は、その日は午前中で仕事を切り上げ、裁判所に向かいました。

裁判所は彼が住む街のdowntownにありました。裁判所が入っているビルのドアをくぐると、警官が金属探知器のゲートの側でお出迎えをしてくれました。空港以外でこんな検査を受けるのは初めてでした。彼は自分が行くべきセクションがどのフロアにあるかを聞き、そこに向かいました。そこは自動車関連の違反も扱っているため、来客(?)も多く、自分の番まで少し待つことになりました。窓口で自分がそこに来た理由を話したところ、違反が昨日では警官からの書類はまだ来ていないので、処理できないと言われてしまいました。運の悪い男は、馬鹿でもありました。

まだめげない男

2週間の期限が来る前に(実は、実質の期限は1ヶ月とのことでしたが)めげない男は再び半日の休みを上司から取り付け、裁判所に向かいました。今度は裁判官に会うことが出来ました。そして、彼は訴えました。慌てていて、改札を通すのを忘れた。自分が不注意であったことは認める。でも、C$2.40の違反でC$110の罰金はあまりに過酷ではないか?裁判官は、理解を示し、彼の現在の身分をや収入について聞いてきました。収入が少ないことも、罰金を下げることの理由になるそうです。彼は学生で、現在は会社で働いているものの、その収入はどうにか学費をカバーする程度であることを訴えました。裁判官は、彼に有罪を認めることを再度確認しつつ、罰金をC$20に下げることを申し出ました。彼らは合意に達しました。そして彼は、列車で違反切符を切った警官を恨むことなく、C$20の罰金を払いました。彼は、この国では警官と裁判官の役割分担がはっきりしており、なかなか上手くできてるなと少し感心しました。

Head Hunting

Officeの電話が鳴りました。働き始めて1ヶ月近く経ってはいるものの、折り返し電話を欲しいとメッセージいれて、その折り返しの電話を待っている時以外、自分の机の上の電話が鳴ることは希でした。連絡はe-mailか口頭で済まされるのが普通だったからです。だいたい一週間に一回電話があるかないかという程度で、このときは待っている電話もなく、誰だろうと訝りながら出ると、自分の名前を出して、こいつは居るかと聞くので、自分だと答えたところ、相手はHead hunterだといい、名前を名乗りました。どうやって自分がこの電話番号を使っていることを調べたのでしょうか、調査能力に驚きました。

Head hunter氏の話によれば、回路設計技術者を探しているとのことでした。自分はここでは技術者ではなかったのですが、彼は自分の職種まで知らなかった様子で、技術者だと想定して電話を掛けてきていたようでした。自分はGennumに勤め始めて間もないので移る気はないといったら、job descriptionを送るからe-mailアドレスはshuji-a@gennum.comでいいのか?と聞いてきました。たまたま自分の入社直前に、e-mailのアカウントの作り方のルールが変わっていたので、それは正しくなかったのですが、古いルールとは言え、そこまで知っていたわけです。会社でそのようなメールを読むのが少し気が引けたのと、どんなことになるのか興味はあったことから、個人の休眠状態のe-mailアドレスを教えたところ、後日Head hunter氏からe-mailが送られてきました。

そのe-mailによれば、ASIC設計技術者とIC設計技術者を探しているらしく、給料は$60-110Kでストックオプション付きという提示でしたが、どちらも3〜5年の経験が真っ先に挙げられている条件だったので、自分は一番最初の要求項目ではねられるのどうしようもありませんでした。しばらくしてから、別の話も入ってきて、ASIC設計技術者を探しているとのことで、給料は$150Kが提示されていました。自分に、回路設計の経験があればなぁと思ったものでした。カナダでC$150Kは破格と言ってよいでしょう。マーケットはタイトになっていたようです。

Gennumでの勤務終了

Gennumでの3ヶ月ほどの勤務が終わりました。時々5:00pm前に帰ったりもしましたが、8:00amから6:00pmぐらいまで働くのが通常でした。20人ほどのグループ(Marketing,Sales,Application)で最初に出社する3人のひとりで、最後に退社する5人の1人といった状態でしたので、こちらでは、よく頑張ってるねと思って貰えるようでした。日本でならかなり楽な勤務スケジュールでしょうから、むしろ減点の対象かも知れません。みんなwageではなくsalaryを貰っているので、平社員でも残業代は出ません。定時以降も残って仕事をするのは、特別な場合のようでした。早く帰れば、何かとお金を使う機会も出るでしょうから、日本も消費刺激のため、残業を無くしましょう。出来るわけないけど。

会社を去るにあたって、自分には用意されていなかった引継のための資料を書いて、自分が作ったreport, spread sheet, presentation等ファイルへの説明とリンクを設定して、後でお呼びがかからないようにしておきました。半ばを過ぎると、自分が貰った資料の間違いや、同僚が必ずしも良い仕事をしていないことに気づくようになり、すこしイライラすることもありましたが、まぁどこでもあることでしょう。自分もなんとか通用するのかなと思えたのが収穫でした。

学校には4月23日から戻りましたが、給料は月末まで振り込まれていました。カナダでは給料の振り込みは、月の半ばと終わりの2回に分けて行われるのが普通とのことで、Gennumもそれに倣っていました。給与過剰支払いの件を上司に報告して、額を計算してくれれば差額を返すと言ったのですが、上司からは、人事に伝えておいたので連絡があるとは言われたものの、いまだ連絡なしです。返す必要ない、とのことなのでしょうか。返して欲しくないのなら、別に返しません。そうこうしている内に、上司がGennumを辞めてしまいました。なるほど、だから自分が会社を去る前にreferenceが必要になれば、書いてあげるよ言ってくれたのが別の部門のManagerだったのでしょう。過剰支払いの給料もこれでうやむやになるかも知れません。

MBA Program Quarter3

Quater3が終了しました。今までで一番悪い結果でした。今回はcumulativeのGPAを上げることを目標にしていたので、落胆は隠せません。全体的に平均が下がっていたようで、今回の成績は決して悪いわけではないようですが、Quater1&2で十分よい成績をとれていないことが恥ずかしいことのようでした。簡単に思えたのは自分だけではなかったようで、まわりはもっと高くに水準を設定していたようでした。いまさら悔やんでも遅いのですが。

今回は初めてassigned groupでgroup workをする機会がありましたが、困った輩が1人紛れ込みました。午前中に設定された3度目の重要なミーティングを体調が悪いと言って休んだくせに、午後のゴルフの練習にはちゃっかり顔を出し、やってくると言ったはずの個人担当部分もろくにせず、自分は十分に貢献した、といけしゃあしゃあ抜かす輩です。二度とこんな奴とは組むものか、そして自分のgroupに近づいてきも、受入に絶対に反対すると心に決めました。どうやらこいつは似たようなことを以前にもやっており、迷惑に思っているのは今回のメンバーだけではありませんでした。Quater4のgroup workで二度、自分のgroupに近づいてきましたが、排除に成功しました。

group workでは殆ど学生が自由にgroupを作ることになっています。勿論、英語が第2言語である者同士でグループを組んでもいいのですが、あまりいい経験をしていません。従って、自分から積極的にカナダ人のグループにアプローチし、しっかり仕事をして自分がgroupに貢献できることを証明しないとなりません。もしそこで、自分の書いてくる英語は英語じゃないと思われたら大変です。次はgroupに入れてくれません。そういうレッテルを張られて弾かれている学生も見ました。厳しい世界です。能力に対する判断に基づている限り、問題になる差別では無いと大学のSexual Harassment/Anti-Discrimination Officeもはっきりと言っていました。このような状況でgroup workに関わっている人間がgroupに貢献しようとしない人間に接すると、許し難いという感情を持つことを抑えられないのです。

Co-op job placement for the second work term

2001年の9月からのco-op work termに向けた求人数は、前回(2001年1月からのwork term)に較べて大きく減っており、1st roundでの実質求人数は、学生数と同程度しかありませんでした。寄せられた求人のペース落ち方も例年に較べて顕著で、楽観は禁物という状況でした。アメリカの景気後退の波を被っていることを思い知らされます。アメリカがくしゃみをすれば、カナダが風邪を引くという関係はいかんともし難いものがあります。カナダのGDPの40%が輸出で、その80%がアメリカ向けなのですから仕方ありません。こういうときに、真っ先にはじき飛ばされるのが英語が第二言語となっている学生です。食うか食われるかです。これでこそbusiness worldといったところでしょうか。

今回は1st roundに最初から参加していたにも関わらず、結局2社のinterviewしか受けられませんでした。CIBCというカナダの大手銀行のTransaction Analystのポジションのインタビューを受ける7人のうちの1人に紛れ込めたものの、interviewの結果CIBCから1位にランクされた学生がここを第一希望のポジションにしたので(C$4,150/monthの給与は破格でした)、自分は軽く蹴飛ばされてしまいました。もう一社はVisteonという以前はFordの一部門だった、自動車部品メーカでしたが、カナダからの撤退作業が業務と聞かされて興味を失ったところ、向こうも自分に興味を失ったようで、interview後にNot Rankedという返事を貰ってしまいました。従って、前回に続いて2nd roundに向かう20人の1人になってしまいました。Gennumに頼んで戻らせてもらうのはなるべく避けたいと思っているので、どうか他でいい仕事を見つけたいと思っています。

期末試験やグループワークのpaperの締め切りが近づいていくなか、2nd roundが始まりました。最初に開示されたのは15社ほどで、大学に求人が届き次第開示されます。製薬会社や病院などのposition以外には手当たり次第にresumeを送りました。結果的に4社ほどからinterviewの機会が得られました。1つ目のBell Mobilityのinterviewはまたしても同級生との競争に負けてしまいましたが、2つ目のBank of Montreal Nesbitt Burnsの電話でのinterviewはうまくいって、2回目の先方のofficeで行われるinterviewに来るように言われた4人の1人になることが出来ました。質問で印象に残っているのは、7:00am〜7:00pmまで働くことが求められる環境だけど大丈夫か?と、アメリカのおむつの市場を規模をどうやって見積もるかというものでした。その場で具体的な数字が出せるような過程を示すことが求められており(即ち、業界団体のsiteに行って調べる、という答えはNG)、意図はAnalytical skillを調べるというところにあったようです。

高層ビルがひしめくTorontoのDowntownの一角を占めるBank of Montrealの高層ビルにBMO Nesbitt Burnsは入っています。BMO Nesbitt BurnsはBank of Montreal(BMO)の投資銀行子会社で、応募したのはResearch Associateのpositionでした。1回目のinterviewでは直属の上司になる人の下で働いている人が電話で面接をしましたが、今回は直属の上司に当たる人も面接をすることになっていると聞きました。この上司になる人が部屋に入ってくるまでは雰囲気は和やかだったのですが、その後は圧迫面接に変わりました。大学(学部&MBAの現在まで)の成績を聞かれて、日本の大学での学部時代のクラス内席次を聞かれましたが、知らないものは、知らないとしか答えようがありません。GMATのスコアが聞かれ、突然14かける17は?と聞かれました。後は、EBITDAは何だ?と聞かれ、Cash flowの導出式をwhite boardに書くように求められました。上手く答えられないでいると、MBAで何勉強しとんじゃ!との叱責が飛んできます(今から思うと、答えられて然るべき基礎的な質問でしたが、プレッシャー下ではうまくいかないものです。知識が定着していないことの証左ですが)。その後、レーザー技術に関する専門用語が矢継ぎ早に聞かれました。バンドギャップとはなんやとか、LiNbO3は何に使われていのるのかとか、ファブリペロー共振器とはなんぞやとかなど、長いこと接していなかった言葉ばかりで困りました。ファブリペロー共振器は名前を聞いたことがある程度としか答えられませんでした。最後には、お前の英語には問題があると、ご丁寧に止めまで刺して部屋から去っていきました。

圧迫面接を受けたことが今まで無かったこともあり、Hamiltonへ帰りの列車の中では打ちのめされていました。ただ、この様な仕打ちを受けたのは私だけではなく、他の3人と翌日会ったところ、みんな似たり寄ったりの経験をしたました。審査の結果、このofferは初めは別の学生に行ったのですが、そのとき彼女は別の会社からのofferを既に受けていました。先方が再検討して、このofferが自分のところにまわってきました。情報を集めたところ、自分たちが経験した面接者の行動様式は投資銀行では珍しくなく、一種の業界文化であるとの説明受けました。勿論、上司になる人はその中でも最右翼に位置するのかもしれませんが。そういうことなら、未知の企業文化に接するのはよい経験(4ヶ月ならなんとか耐えられよう)であろうこと思い、少し悩みましたが、offerを受けることにしました。給与は平均を上回る額が提示されました。給与の高さは、仕事の大変さを暗示しますので、今からすこしびびっています。まぁ、アメリカのrank上位のMBAに在籍する学生はインターンでも更にこの倍は貰っているそうですから、投資銀行の業界水準から見れば、依然安いのかもしれません。

Golf Course Debut

試験終了後、ゴルフをしました。打ちっ放しには日本で何度か行ったことはあったのですが、コースに出るのは生まれて初めてでした。ゴルフもビジネスの必修科目かどうかは知りませんが、MBA Association主催のイベントとして行われ、クラスメイトの半数が参加しました。初めは参加を躊躇したのですが、初心者も多いし、気楽なイベントだから参加しろよ、との誘いに乗りました。参加費も夕食付きでC$25でしたから、9ホールとは言え、日本では考えられない値段でしょう。このコンペは日本では聞いたことがないようなルールで行われました。チームのうちの誰か1人のベストボールの位置から全員で、一打毎に打って進んでいくというチーム対抗形式でした。空振りはカウントしないし、第1打の打ち直しも自由という、何でもありのルールでした。従って、9ホ−ル廻るだけにも関わらず、ベストスコアをマークしたチームのスコアは-4でした。初心者が多かったのでそのようなルールになったようで、自分としては気楽にゴルフが出来ました。そんなのゴルフとちゃうという声が聞こえそうですが、普通のルールでは初心者を徒に苦しめるだけの気もします。自分はティーショットにウッドを使わず、アイアンで通しました(途中のロングホールで一度だけウッドを試してみたのですが、全然まっすぐ飛ばないので諦めました)。アプローチショットが難しいことがコースに出てみてよくわかりました。

ゴルフの練習していて不思議に思うのですが、どうして番手によってクラブの長さを変えるのでしょうか?勿論、同じ角速度でスイングをすれば、長いクラブの方がヘッドのモーメントが上がるので、より遠くに飛ばすのに適していることは分かります。でも、自分は飛距離が多少短くなることよりも、クラブを変える度にスイングに微調整が求められることの方が遙かに大きな不利をもたらしている気がします。少なくともパター、サンドウェッジ、ピッチング以外の振り抜くクラブは長さを揃えた方がいいのではないでしょうか?このせいでゴルフが徒に難しくなっている気がして仕方ありません。身体を道具に合わせるのはナンセンスです。道具を身体に合わせるべきだと思います。まぁ、こんなことは誰でも気がつくでしょうから、既に結論が出ているのかもしれませんが、自分がクラブセットを買うなら、是非長さの揃った物を買いたいです。

夏休み

期末試験が7月末に終了して、1ヶ月間の夏休みに入りました。ほどなくみんな旅行に出たり、実家に帰りだしました。自分は8月の下旬に家族が初めてカナダを訪れることになっていました。妹の希望により、カナダはNiagara Falls観光とTorontoでの買い物程度に留めて、日程の半分以上をDisenyWorldのあるFlorida州 Orlandoで過ごしました。1日目をUniversal Studioで過ごし、2日はDisneyWorldのAnimal Kingdomに、3日目はMagic Kingdomに行きました。妹は初めての海外旅行を十分楽しんだようです。

自分は、家族をOrlando空港まで送った後、車を借りてKennedy Space Centerに行きました。Apollo計画を成功裏に遂行し、Space Shuttle、International Space Stationといった宇宙事業を継続しているアメリカの誇りを感じました。その後、南下し、Miami Beachに向かいました。浜辺でボーッとするもよし、綺麗なおねいちゃんに声掛けて、仲良くなるもよしと思っていましたが、やはり後者を実行するだけの根性はありませんでした。ったく、何しにMiami Beachまで行ってるんだろうねぇ、こいつは。本当はKey Westにまで行きたかったのですが、時間に余裕が無く、独りでの車の運転は辛いので諦めました。Miami BeachのYouthで一泊し、翌日Miami Cityを観光して、Orlandoに戻りました。全てレンタカーでの移動で1,000kmほど走ったようです。こんなに車を運転したのは初めてでした。こちらでの運転に少し自信が持てるようになりました。

旅行から帰り、Torontoに着いたところ丁度、入国審査官も巻き込んだストライキにぶちあたり、入国審査ではかなり待たされました(そういえば、Orlandoに向かうときもそんなことを空港で言ってました。出国時には影響は無かったのですが、それが続いていたわけです)。ようやく来た自分の審査時に、旅行に出る直前にカナダの移民局から送られていたRecord of Landingと書かれた紙を提示したところ、入国審査官のサインがなされ、自分のパスポートにホッチキスで留められ、移民手続きが終了しました。なんかあっけなかったですが、これで私はカナダに永住できることになりました(するかどうどかは別ですが)。

Torontoでの生活
Mac in Hamilton