あんぶろ君

オールド・デビル・タイム_ 2010/03/11

 
『Will The Circle Be Unbroken』という歌について、である。
この歌はもはやトラディショナルといってもよいくらい有名な曲で、邦題は『永遠の絆』。
誰がいつ付けたのか、よく出来たタイトルだ。
この歌を創ったのは、かのカーター・ファミリーの「A.P.カーター(アルヴィン・プリーザント・デレーニー・カーター)」だということになっており、いつ頃創られたのかというと・・・ま、相当昔であろう。
そんな有名な歌であるから当然多くの人が歌っている。
それもいろんな国の人が。
日本では加川良が『その朝』というタイトルで、なぎら健壱がズバリ『永遠の絆』というタイトルで唄っているが、他にもいるのだろう。鈴木常吉はまったく違う詞を載せた『永遠の絆』を歌っていた。ハイロウズの“あれ”がWill The Circleだと言われたりもしたが、私は違うだろうと感じる。あれは甲本くんのものだろうと。

この歌の歌詞はとても簡単な英語で、内容も単純である。私の英語力は中学2年の一学期で止まっているのだが、それでもほぼわかるほど簡単な英語だ。
要約すると、「母親が亡くなって、埋葬に行って悲しくて、家に帰って兄弟みんなで泣いた」というそれだけ。そして「神様、家族の輪(絆)は無くなりませんよね?天国の家でまた会えますよね?」という、ただそれだけなのである(原詞は6番まであるが、実際に歌われるのはたいていここまで)。
「母親の死がもたらす悲しみ」や「家族にのみ特有な絆の確かさ」の根底にあるものは、国籍や時代を問わず共通の部分があり、だからこそ『Will The Circle Be Unbroken』はこれだけ人気があるのだろう。
しかし、母の死、埋葬、家族の絆、そして神(歌詞ではLord)、これらから受ける全体の感情や情景は、「国籍や時代を問わず」ではないはずである。国や時代によってこれらに対する想いは変化してゆくものであるから、根底が同じであっても全く共通であるわけはない。
作者のA.P.カーターは1891年生まれで、この歌が創られた時期はおそらく1900年代前半。カーターファミリーはヴァージニア州南西部の出身だから、『Will The Circle Be Unbroken』の原風景は山間部に点在する貧しい田舎のものだろう。そこには信仰深い人々が暮らしていたのである。そんな時代のそんな生活環境における母親の存在や家族のあり方、そして神の役割は、現代の日本の私たちとは大きく異なっているはずだ。埋葬の方法も違っている。
1970年前後に活動していたイギリスのバンド「Pentangle(ペンタングル)」が71年に発表したアルバム『Reflection』にも『Will The Circle Be Unbroken』が入っており、ここでは「my mother」を「my woman」に、「cloudy day」を「rainy day」に変えて歌っている。追悼の対象を母に限定せず、曇っているのではなく雨が降っているのはやはりイギリスなのである。これだけでも曲全体からの雰囲気は変わってくる。

雰囲気といえば、この歌には妙に陽気な雰囲気があって、私のように英語が苦手なものが聴いていて歌詞の内容がよくわからなかったりすると、「かあちゃんが死んじまった」という事柄だとは思えないくらいである。
なぜこんなにも御陽気なのか?
この歌の背後にある生活環境はとても厳しいもので、この頃のこの地域の人たちにとって娯楽といえば音楽くらいしかなかったようである。その音楽が悲しみを悲しみとして表していてはとんでもなく辛いものになってしまう。だからそうはさせたくなかったのではなかろうか。その唯一の娯楽で悲しみを切々と歌われてはたまらないということだ。
ブルーグラス・ミュージックの源流もそのようで、悲しみであってもメジャー(長調)で歌ってしまい、それを無理やりにでも越えてしまおうとする。
そこから「ハイロンサム」という独特のフィーリングが生まれてきたのであろう。
この実感覚は、なかなか日本人にはわからないはずである。日本人の根底にあるのは“切々演歌”である。しかし、わからないけど、いいなぁと思う。

ここなのである、「わからないけど、いいなぁ」の感じ。

“音楽に国境はない”と、もっともらしく言われたりするが、私はそうは思わない。
私は音楽に国境を感じる。それだからこそ音楽は面白いのだと思っている。
国境の向こうから私の持っていない感覚が聞こえてくる。それは「国境」というより「民族境」というべきだろうか。地学の境界ではなくて感覚の差異である。他民族の音楽から心の底に響き伝わってくる何かがある。これが最初に伝わってくるものだ。そして、その何かへの探査が始まるのである。
たとえば、『Will The Circle Be Unbroken』では、そのコーラス部分の
♪ By and by, Lord, by and by ♪
これには、異なる言葉を使う国と、宗教観の違う民族の差異をとても感じる。このリズム感と単語のつながり、そして「Lord」の存在感。これを日本語に訳せば「やがて、主よ、やがて」というだけなのだが、さぁこれを日本語歌詞として置き換えるとしたらどうやったらいいものか・・・、とても無理なのである。
しかしこの部分は核心なのであって、この国の民族の”言葉に出来ないほどの思い”が詰まっている部分だ。それが日本人である私にも伝わってくる。たとえアメリカの、ヴァージニアの人たちの本当の気持ちや気合は感じられていなくても伝わってくるものがある。この“伝わる”は「国境がない」ということではない。国境があるからこそ「この人たちもやっぱりそうなんだ」ということが伝導してくるのである。これは意味が理解できるということではなく、伝わり響いてくるものなのである。

お読みになっている方々にはわかりにくい話だと思うが、
次回はさらにこれを展開させるつもりである。



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