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<心のテープ>(61号)初対面の来訪者
配信日:2008/10/2

 61号の発行が遅れて申し訳ありません。代わりに号外「麻生首相の
評判」を配信してお茶を濁した格好になり、あしからずお許しを乞う
次第。
 ところで9月は2人の読者から連絡を頂いて、おぢばへ帰参された
機会に初めて対面することができた。私にとって、まことに有難く楽
しい歓談のひと時となった。
 お二人とも60代の関東方面のようぼくと布教所長で、教会ではなく
自由な立場で信心を続けておられる。しかも有難いことに、私の小著
を読んで目が覚める思いをしたと喜んで下さっていた。
 
 9月の中頃に電話で連絡を下さった方は「大内」と名乗られたので、
すぐに思い出した。というのは、以前に本の注文を頂いたとき、私の
「義弘」という名前が、その方のご先祖「大内義弘」と同名に当たる
ので偶然とは思えない、との話であった。
 中世の歴史にうとい私は、あわてて「大内義弘」を検索してみたら、
室町時代に栄えた西国一の守護大名とあり、南北朝の統一にも功績が
あった。足利義満はその勢力の弱体化を図って圧迫したが、義弘は堺
(大阪府)で反乱を起こして立て籠り、ついに討死する。歌道にも優
れ歌集を遺している、というような記事が出ていた。
 もう1人「島津義弘」という薩摩の武将もいることは前から知って
いた。島津は秀吉が征服に失敗した朝鮮の役で活躍し、関ヶ原の戦い
では西軍に属して退却する時、徳川家康の本陣近くを敵中突破して勇
名を馳せたことで名を知られている。この「御里」という教会は元々
鹿児島市で設立された名称だから、ふしぎな縁を感じたこともある。
 
 ところで前記の大内氏は間もなくおぢばに帰参されて、夫婦お揃い
で来訪された。奥様は手芸教室を開かれていて、手作りのカード入れ
や財布など素晴らしいお土産を頂戴した。帰参の目的は、教人登録す
るために検定講習会を受講しているケニア人のようぼく達と面会する
ため、と聞いて二度びっくりした。
 しかもそれ以前に、修養科を終わったケニア人たちを自宅に預かっ
て一緒に生活した。「一れつ兄弟」の教えを実感できた楽しい日々で
あったと聞かされ、記念のアルバムも見せて頂いた。
 その上、その中の1人、25才になるケニアの娘さんが見合いして、
山形に嫁ぐことになっていると聞いて又びっくりした。じつに明るく
て人柄のいい女性だという。今までにもう1人結婚して日本で生活し
ているケニアの女性がいて、たいへん評判がいいので今度の話がまと
まったそうだ。
 現在ケニア各地には方々の教会から布教活動が活発に行われ、実績
を挙げている。何よりもケニアの人々は神の実在とおさづけの効能を
無条件に信じていて、ふしぎなご守護を次々に体験しているという。
毎年のようにケニアへ布教の応援に行っていたようぼく夫妻も知って
いる。
 
 大内氏は、髷(まげ)を結えば戦国の武将のような風貌で、母親の
代に設立された教会に生まれ育ったが、自分は教会を継がず東京で仕
事を続けたことを後悔はしていない様子であった。
 事実、60半ばを過ぎた今になってケニアとの縁ができたことに何よ
りも満足されていて、夫婦でケニアを訪ねる予定を立てているとのこ
と。いずれその報告もかねて再会を約してお別れした。さすがにお道
は狭いようで広いことを改めて実感した。
 以上、大内さんの了解を得ないままプライベートな話を書いてしま
ったが、決して迷惑をかけることではないから承知して下さると安心
している。
 もうお一人の読者との初対面については次号で報告することにした
い。



<心のテープ>(62号)続・初対面の来訪者
配信日:2008/10/9

 前号で紹介した大内氏のことで書き忘れたことがある。初めて電話を
頂いた時、小著『元の神・実の神』の中で、間違いを一カ所指摘された
のであった。その一言を聞いた瞬間、自分の錯覚というか不注意に気づ
いてアッと声を上げてしまった。

 ここで訂正とお詫びするのは不適切かも知れないが、問題は前掲書66
頁12行目に、「…例えば九州に流された菅原道真の霊を祀る八幡宮…」
とあるが、じつは「天満宮」のミスなのだ。発音が似ているからといっ
て、何気なく「天満宮」を「八幡宮」と書き違えたでは済まない、とお
詫びするほかない。
「八幡宮」とは古代より八幡大神を祭る神社で全国各地に散在し、神仏
習合によって八幡大菩薩とも称される。「天満宮」とは無縁の神である
ことをお断りしておきたい。

 それから十日ほど後に、やはり関東方面の読者から電話があった。今
おぢばに滞在しているので一度会って話したいとの用件であった。その
晩は都合がわるかったので、翌晩に詰所でお会いする約束をした。とい
うのは、うちは市内でも西の外れにあるので、車がなければ歩いて来ら
れるには遠すぎるからだ。
 
 その晩、初めてお目に掛かったのは、やはり60代の紳士で、東京で税
理士をしながら自宅で布教所を開設しているというS氏。やはり天理教
の組織とか立場には囚われず、何とか親神様・教祖の教えを現代の社会
に伝えたいと、月一回ミニコミ紙を150部ほど友人知人に配っていると
聞いて感心した。
 左足の膝あたりが痛んで色が変わっているとのことで、おぢばへ帰参
したついでに憩の家で診察を受けるつもりと聞いたので知らん顔はでき
ず、おさづけを真剣に取り次がせて頂いた。
 
 S氏に限らず天理教を少しでも客観的に観ることができる人は誰でも、
今までの組織体制のままでは、将来発展するどころかジリ貧になってい
くことは自明の理と実感している。
 仮に部内教会が何カ所・何十カ所あっても、枝先の末端教会が枯れて
いき花も咲かず実も結ばなくなれば、幹も枯れてしまう。今や枝葉が落
ちて枯れ木寸前の状態があちこちで見られる。世の中の人々も教会を振
り向いて見ようともしなくなっている。
 もちろん1万7千カ所の中には、特別に環境とか肥料に恵まれた樹木
に例えられるような教会もあって、今でも珍しく花を咲かせているので、
教内の出版物は、そうした珍しい花ばかり探して紹介しているのが現状
だ。
 
 それでは天理教という教団を再生するための変革は可能かと言えば、
私は殆ど変革のエネルギーは残っていないと断定せざるを得ない。何故
ならば、まともな末端教会の後継者は、上級教会を支えるために自分の
一生を賭けたいとは思わないし、教団の改革などに努力するより教会を
離れて社会に出て働くことを選択するのは当然なのだ。しかも教会数か
ら言えば、いわゆる末端教会数が全体の3分の2を占めている。
 
 あと10年も経たないうちに過半数に当たる教会が衰退していけば、
困るのは上級や大教会であり本部である筈だが、上からの構造改革は何
一つとして計画されていない。すべて個人レベルの責任に帰されて、全
体レベルとして危機感も衰退の原因も無関心なまま現在に至っている。
 すでに10年20年前から私は、今のような状況に陥ることを事あるご
とに予測し発言してきたつもりだが、その目的は教団上層部が困るから
ではない。
 親神様・教祖は、真実の教えを知らないまま道から離れていくようぼ
くを、何より残念と思われるに違いないからだ。つまり、教会で通用し
ている教理と、原典に基づく神一条の理という二重構造に原因があるこ
とを知らせたいのが私の目的であった。
 
 これからも私の目的は変わらない。教団の構造改革のエネルギーはど
こにも蓄積されていないとしても、ようぼく個人の意識革命は可能であ
るはずだ。
 現実の天理教に失望して離れていく前に、せめて本当の親神様・教祖
の教えに目覚めてもらいたいのだ。そうして教団や教会がどうあろうと、
一人ひとりが自立した信仰、元の神・実の神に向き合う信仰を確立して
ほしいのだ。
 ──こんな思いをSさんに聞いてもらったのだが、彼も全面的に同感
の意を示して下さった。



<心のテープ>(63号)続々・初対面の来訪者
配信日:2008/10/16

 10月12日、電話もメールもなく、とつぜん初対面の来訪者があった。
2人連れで、1人は20代半ばの青年、もう1人は中年の男性であった。
2人ともハッピを着ていた。つまり、にをいがけに回ってきたのだ。
青年会ひのきしん隊に入っていて、休日だからパンフレットを配ってい
るとのことであった。
 
 こんな所に教会の看板が上がっているとは知らなかったので参拝させ
てもらいます、と言いながら上がって参拝して「心の散歩道」と題する
手作りのパンフを渡された。タイトルの下に70号・毎月発行と記されて
いた。私は青年さんをねぎらうつもりで。
「地方の教会で若い後継者は教会を離れる者が多い中に、ひのきしんや
にをいがけしているのは感心ですね」と言うと、2人は黙ってうなづい
た。私はまた、
「教会制度というハードにはいろいろ問題はあっても、信心はソフトだ
から、1人でも自立して動くことは出来るからね。ハードとソフトを混
同しないことが大事ですよ」

 若いほうの青年は、私のパソコンがらみの譬えを理解したらしくうな
づいた、年配の人は何も反応を示さなかった。私は1人でもわかってく
れることを願って話し続けた。
「もちろんハードとソフトが一致するのが健全な姿だけれどね。例えば
体はハードで、心はソフトとすれば、神様はハードの体を生かすために
一刻の休みもなく掃除して下さっている。ゴミやホコリにあたる老廃物
を仕分けして排泄する「飲み食い出入り」のご守護がなければ直ちに命
はなくなるからね。それと同じように心のホコリを常に掃除しないと、
心身ともに健康は保てないだろう。体を守護されている理に心の理を合
わせることが、心身ともに理のソフトを動かすことになるんだよ」
 すると青年は「体と心が同じソフトで動いているという話は初めて聞
いた。なるほどそう言われると、神様の同じソフトが元ですね」と言う
ので、私は、世の中の森羅万象の形をもつハードはすべて、元となる理
のソフト・システムで成り立っていることを重ねて強調した。
 
 自分の主張ばかりしてもいけないので、私は「心の散歩道」というパ
ンフに目を通した。「家族の写真」という見出しに続いて次のような文
章が書かれていた。
 現在では家庭で自動車を所有することが
 あたりまえの時代になりました
 
 しかしその普及にともない
 自動車による死亡事故が
 毎日のように報道されていることは
 とても悲しいことです
 
 ある運送会社では社員に
 家族の写真を持参して
 配送業務につくことを義務づけてから
 なぜか運転中の事故が半減したそうです
 
 自分のためではなく 自分以外の人々
 とりわけ支えてくれる家族を
 想いながら運転することで
 危険運転をしない心に
 なれるのではないでしょうか
 
「ひとつ質問してもいいですか」と青年が言うので、私は「どうぞ、
自分が分かることなら何でも答えるよ」と応じた。
「こうしてパンフレットを配っていますと、天理教はいいことを教え
てますね、いつも読んでますよ、と喜んで下さるのですが、やはりお
つとめに参拝してもらわないと成人できないと思ってお誘いすると、
そこまでは出来ませんと断られるのです。どうすればいいのでしょう」
 私は答えた。
「それはおつとめのハードばかりすすめるからでしょう。手振りや鳴
物というハードより先に、ソフトのみかぐらうたにこもる親心に感動
すれば、自然につとめたいと思うようになるのではないかな。昔は、
みかぐらうたの歌声を聞いただけで教会を訪ねてきて入信した人があ
ったのだからね」

 この時とばかり私は席を立って『元の神・実の神』のチラシを書棚
から出して2人に渡した。
「この本を読んでもらえば、さっきの心と体の仕組みやソフトとハー
ドの関係がわかってもらえるはずです。天理市内の一般書店に置いて
あるから一読してほしいね」
 初対面の来訪者たちは、必ず書店へ行きますと約束して帰っていっ
た。私は自分流のにをいがけができたような気分になり満足した。

 自戒のために「おさしづ」の一節を読み返して心に刻みつけたい。
「言葉はその場だけのもの。言葉の理を拵えてこそ八方である」
                          (37.11.2)
「道というものは、成程という理持たにゃならん」  (37.12.14)
「道に間違いは無い。心の間違い。道の理に心の添わんというは、人
間心の間違い。道の理と心の理と合わねばならん、合わさねばならん」
                          (31.3.19)
 



<心のテープ>(64号)銀杏ー金融危機ー20年の刻限ー天刻の集い
配信日:2008/10/23

 先日10日ほど前、親里大路から南大路にかけて車で走っていたら、
イチョウ並木の所々で樹木の根元が黄色くなっているのに気づいた。
よく見ると、銀杏の実が沢山に重なるほど落ちていた。前日の風に
揺すられて落ちたに違いない。
 天理市に長らく住んでいながら、銀杏は棒で叩き落すものと思い
込んでいた。誰もまだ気がつかないのか拾っている人はいない。落
ちているものを拾ってもとがめ立てはされないだろうと思った私は、
すぐにうちへ帰って、チリトリと竹の八つ手を車に積んで、予め目
星をつけていた南大路のイチョウの樹の近くで停車した。銀杏を急
いで掻き集めている私の頭上にも、風に吹かれて落ちた銀杏が命中
した。
 その結果、僅かの間に銀杏がバケツ一杯になった。そして、バケ
ツに水を入れて銀杏を漬けておいて、10日ほどで皮が柔らかくなっ
たので、ゴム手袋で実をこすって種を取り出して何遍も洗って乾か
している。うっかり汁が皮膚につくと痒くて難儀するとか。
 じつは、これほど手間の掛かる作業とは思わなかった。が、干し
た銀杏の種を煎って独特の味を楽しむ日が待ち遠しい。これも天の
恵みと有難く戴くことにしたい。しかも、この銀杏は他でもない親
里で実ったのだから値打ちが違うと言いたいのだ。
 
 銀杏を水に漬けている間に、それどころではなくアメリカ発の金
融危機と世界同時の株暴落が表面化した。
 前々から私は気になっていたことがある。教祖がお姿を隠された
のが明治20年、日本が「ろくぢ」に踏み均された敗戦の年が昭和20
年、そして今年は平成20年――こうして20という数字が重なると偶
然とは思えない意味が含まれていると思われるのだ。
 世間一般でも「暴走した欲望に振り下ろされた天の鉄槌」と表現
している論者もある。緊急に実施された資本注入とか公的資金投入
などの対策は、政府が銀行を管理もしくは国有化する前代未聞の国
家資本主義に急変した状態とも言われている。
 果たしてそうした政策だけで事態が治まるのかどうか。ネットの
予測サイトでは、来年は「地獄の夏」となり、アメリカ国内で民衆
の暴動や改革の動きが広がるだろうと予測している。
 
 今はおさしづを仰ぐことはできないが、見えん先から預言されて
いる過去の神示から思い合わせれば、この金融危機が決して偶然で
ないと読み取ることができるだろう。
 間違いなく言えることは、どのような刻限であれ、人間の暴走を
心配して方向転換を促す親心を信じる限り、結果として神の望まれ
る陽気づくめの方向に近づくための節に違いない。
 明治20年の刻限では、教祖のお姿を拝することはできなくなった
が、そのため官憲は教祖の身柄を拘束できなくなるとともに、この
道は野原に火を放ったごとく10年後には300万人の信者を数えるに
至っている。
 昭和20年、敗戦の刻限はどうか。もしあの戦争に負けていなけれ
ば、軍部権力の独裁が続き、思想や信仰、言論の自由も圧殺された
ままの北朝鮮のような国になるだろう。
 そして今年は平成20年、3度目の20年が到来している。
 
 教祖が現身を隠される前夜(旧暦1月25日夜)の飯降伊蔵を通し
ての啓示に、
「さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで、さあ/\扉を開いて/\
一列ろくぢ、さあろくぢに踏み出す。……」(教祖伝324頁)
 と記されている。
 また後々の「おさしづ」の節々に、
「さあ/\変わる/\。今まで弱き者が強くなる。今まで強き者が
弱くなる」(20.3.16)
「さあ/\これ/\、秋を合図と、これまでだん/\に言うてある。
秋を合図に見え掛けるで」(21.11.1)
「刻限の理というは、違うという事は一つも無い」(22.11.6)
「さあ/\怖わや恐ろしやと、前々諭してある。一日の日と言うて
ある。一日の日は一代と取れ。一代の道にはいかなる道もある。
すっきり洗い替える」(23.9.2)
「これから先は自由の道を付ける。……さあ思わく通りにするで」
                       (23.9.11)

 明日24日は初めての試みで企画した「天刻の集い」を開催するこ
とになっている。私としては、いわゆる「オフ会」のつもりでいる。
 思えば、この週刊メルマガ<心のテープ>にしても58人の読者は
みんな匿名で、住所も名前も分からないからこそ登録して下さって
いるとすれば、参加することで各々の個人情報がわかるので、やは
り二の足を踏むことになるだろう。とすれば、ネットで発信するこ
とに専念していればいいのかも知れない。
 
 今さら後へ退けない思いでいると、有難いことに、今までに本を
注文して下さった読者や知人から少数ではあるが参加の連絡を頂い
ている。
 中にはカナダ在住30年になるようぼく読者からのメールも受信し
た。今年は帰参できないので残念だが、来年の教祖誕生祭に帰参す
る折りには初対面したいという有難い文面であった。
 またメルマガ61号で紹介した大内氏からも書面が届き、夫人がい
よいよ今月末にケニアに出発する予定で、自分も仕事の関係で今月
は帰参できないとのことで、経費に充てるようにと金一封を寄付し
て下さった。
 当日の参加者の多少にかかわらず有意義な時間を共有したいと願
っている。参加者には「天理教の歴史と現実」と題するレポートを
お渡しする予定にしている。



<心のテープ>(65号)「天刻の集い」報告
配信日:2008/10/30

 去る10月25日午後1時から5時まで、天理市立「かがやきプラザ」で
予定通り「天刻の集い」を開いた。
 参加者は初対面もしくは初対面に近い50代から30代にかけてのメルマ
ガ読者の方々5名と、前々からの教友と私を含めて計9名(全員男性)
であった。この会場は「男女共同参画プラザ」という別名があるので、
1人も女性の参加者がいないことに肩身の狭い思いを・・・したわけで
はないが。
 
 住所は奈良県内か大阪府内の方が多く、お1人だけ愛知県から団参の
合間に顔を見せて下さった。先に「初対面に近い参加者」と記したのは、
ずっと以前にどこかの会合で会ったことがあって久しぶりに再会した方
で、よほど縁があるからに違いない。
 メルマガ前号でも報告したが、当日参加できなかった人々の中でも、
カナダ在住30年になるようぼく読者からメールを受信した。今年は帰参
できないので残念だが、来年の教祖誕生祭に帰参する折りには初対面し
たいという有難い文面であった。
 他にも経費の一部に金一封を送って下さったり、残念ながら参加でき
ない理由を書き送って下さった読者もあった。
 次に私個人の主観を交えて「天刻の集い」報告をしたい。
 
 集いは自己紹介から始まった。ここで1人ひとり紹介するわけにはい
かないが、社会でそれぞれに職業を持ちながら、例外なく各々信仰の自
立に向かって努力されていることを知って「わが意を得たり」と共感し
た。
 団参の合間に参加して下さった愛知の教会長さん(とお見受けした)
は別として、他の参加者はみんな教会から距離を置いていながら信仰を
求める気持ちは誰にも負けないくらい熱心なのだ。教会との距離にもい
ろいろあって、おつとめだけはつとめている人もあれば、教会へ参拝し
ていない人もある。
 前記の会長さんにしても、今の立場に安住できず何かを求めておられ
るからこそ集いに参加して下さったのに違いない。
 
 私が提案したメルマガ携帯版の必要性については、簡単に携帯版にも
リンクできるサイトと契約すればいいのだが、ヤフーの場合、別に独立
して携帯版を作成しなければいけない規定になっているのが難点のよう
だ。
 プロバイダを変えるとなれば手数が大変になるので、暫くは現状を維
持する他はない。
 
 予告していたレポート「天理教の歴史と現実ー信仰の自立にめざめよ
う」のコピーを配布した。7頁の長さだが、目次は/枯れかけている枝
葉 / 悲劇的な天理教史の空白/「応法の道」でさえない戦後の天理教
/棚に飾られたままの「おさしづ」/一体意識と信仰の自立にめざめよ
う/筆者略歴/の項目から成っている。
 その主旨は信仰の自立にあるが、当日の参加者はすでに自立している
人ばかりのようにお見受けした。私の願いは、参加者のようなようぼく
がもっと増えることにある。
 このレポートは、その後<天理と刻限>サイトに掲載しているので、
関心のある方はサイトを訪ねてお読み下さることを期待したい。当日の
参加者の皆さんも、テキストに訂正・加筆した重要部分があるので、サ
イト掲載のテキストを再読して下さることをお願いしたい。

 今後の活動としては、無作為に抽出した末端教会を対象に、このレポ
ートを郵送することを予定している。まず50カ所か100カ所あてに発送
して反応を確かめてみたい。
 その目的は、地方にある先々の教会で、上級と信者の板挟みになって
悩んでいる会長や後継者の方々に呼びかけて、原典を元とする信仰の自
立に目覚めて頂く手助けをしたいからだ。私ができることは、自分の
「おさしづ」研究を出発点として、50年かけてまとめてきた小著を読ん
で頂く機会をつくることしかない。そのためには、教会あてにダイレク
トメールする以外に有効な方法は思い当たらない。
 
 質疑応答の中で、手書きおさしづ資料を第3部まで読んでいると発言
された参加者があった。難しいお言葉があって分からないとのことなの
で、分からない言葉は自分に必要がないからだと思って、気にしないで
読み飛ばし、胸に響く言葉だけを心に治めるつもりで読み進めて下さる
ことをおすすめした。
 おさしづの中には、宝石のような言葉があちこちに散りばめられてい
る。いわば宝の山に分け入ったつもりで心に響く言葉を探し当てればい
いと思う。
 
 4時間にわたった集いの一端しか報告できないが、最後にネットを通
してもっと交流を続ける可能性を求める声があり、そのためには、邪魔
の入る掲示板より会員制のメーリングリストを設定してはどうかとの提
案があった。今後の課題として早急に設定に取り組むことにしたい。
 それでは参加者の皆さん、有難うございました。読者の皆さん、今後
ともよろしくおつき合いのほどお願いします。



<心のテープ>(66号)一読者からの手紙
配信日:2008/11/6

 世の中の物事には、良い悪いは別としてタイミングというものがあ
る。
 例えば昨夜、大和高田市から天理市へ車で帰る途中、最初に信号が
赤になると、次もその次も交差点に近づくたびに信号が赤に変わった。
こうした偶然と思えないタイミングの一致は、よく経験することがあ
る。
 何を言いたいのかといえば、先日レポート「天理教の歴史と現実」
をコピーして配ったり郵送したりしていると、そのタイミングに合わ
せたように未知の読者から一通の手紙が届いたのだ。その読者はネッ
トとは無縁のようで、文字通り手書きの書面であった。
 もちろん個人情報を守らなくてはいけないから、匿名にして内容を
紹介したい。この時期にこのような手紙が届くのも、私には偶然と思
えないからだ。(読みやすいように文節や句読点の一部を変更し改行
しています)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 私S・H(54才・東京都内在住)は、昭和61年に当時の「布教の家
東京寮」の寮生からにをいがかかり、おさづけの理を34才の時に受け
ております。
 その寮生は、現在、静岡県で働きながら教会長をやっています。そ
の教会は昭和30年設立、現会長のおばあさんが娘の身上で天理教を知
り、一代で教会を設立し、現会長の父が二代会長で、今は三代目です。
 今年の「布教の家・東京寮」の寮生さんたちと共に、私も10月25日
から27日まで本部に帰参し秋季大祭に参拝し、自由時間に天理本通り
を歩いていて、本屋さんでこの本『教祖ひながたと現代』があったの
で立読みをしたら、すばらしい内容だったので、さっそく買い求めま
した。
 
 私はこの天理教の教えは本当にすばらしい教えだと思うのですが、
今の天理教の一番イヤなところは、すぐにお供に結びつけるところで
す。
 教会の月次祭にお参りしたときに、先代の分教会長の言葉が、
「たとえ食べるお米が一粒もなくてもお供だけはきちっと出させて頂
く、そうすれば親神様のご守護がある」
 また別の日は、
「10万円の給料をもらっている人は、5千円や1万円のお供を出すの
は楽かも知れない。でもそれではダメだ」
 と言われて頭に来たと同時に、本当にイヤな気持ちになり悲しくな
りました。
 私たち人間を造って下さった親神様は、「お前たち人間を造ってや
ったのだからお供を出せとは言われないし、また信者さんが「おかげ
さまで助かりました。お礼は何を差し上げたらよろしいでしょうか」
と教祖に伺ったところ、
「お金や品物やない。あんたも神様のおかげて助かったのやから、人
を助けなさい」という意味の言葉で答えられました。
 私も友人から「天理教は金が掛かる、金取りの宗教だ。やしきを払
うて田売りたまえの教えだからな」と言われたことがあります。
 
 私に“にをい”をかけた会長は天理高校卒業です。私が「教会の跡取
りだから本部の高校へ進学したんですね」と聞いたところ、答えは
「自分も姉二人も天理高校です。自分は本当は地元の高校へ進学した
かったんですけど、お金が掛かるので」ということでした。
 大教会の通信を見たら、四代目の大教会長の跡を継いだ五代目の大
教会長は、アメリカの大学を卒業していました。大教会の子供は大学
へ進学ができて、歴史の浅い分教会の子供は高校を選べない、大学に
も進学できる場合が少ないようです。
 
 天理教から別れた「ほんみち」には教会制度はない、と本に書いて
ありました。その理由は、教祖は教会をつくれとは言われてないし、
教会をつくると先にできた教会・教会長が上になり、身分の上下がで
きてしまう、それに宗教貴族になるから、と書いてありました。本当
にその通りだと思います。
 今の大教会や大教会直轄の分教会などは、教会長の地位にあぐらを
かいて月次祭などの決められている行事をこなし、下の教会長や布教
所長が信者からお供を取ることを考え、信者のお供だけで食べていま
す。
 河原町大教会の初代、深谷源次郎先生は、信者さんから「お供がど
んどん上がってくるのに、まだなぜ鍛冶屋の仕事をしているんですか」
と言われると、先生は「鍛冶屋は神様がお与え下された仕事や、私と
カミさんと二人の食べる分は稼がないと信者さんに申し訳がない」と
答えられたそうです。
 現在の教会長は反省し教祖の本当の教えに戻り、深谷源次郎先生を
見習うことです。「神の前には欲はない」しかし今のほとんどの教会
長は、上級や大教会へのお供で欲のかたまりだと思います。
 
 キリストは今いる所で拝みなさいと言われたそうです。教会も立派
な建物は要らない。
 また180万人ぐらいの信者数で1万7千の教会は多すぎて、そんな
にたくさん必要ないと思う。大教会もなくてもいい。教会数を半分ぐ
らいにして、信者さんはできる範囲でお供を出せば、チリも積もれば
山となる。
 横のつながりを強くすることです。布教の家も全国各地から寮生が
集まってくるけれど、一年経てば卒業して国へ帰っていく。せっかく
苦労して“にをい”が掛かってもお別れです。布教は地元でやるべきで
す。
 それと、ずっと理の親である教会からは離れるなと言われて、教会
が遠くにある場合なかなか参拝することができない。友人や知人に“に
をい”を掛けても教会が遠くては連れて行くことができない。だから、
さっきも言ったように横のつながりを強めなければダメなのです。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 以上が未知の一読者からの文面です。
 読者がどのように受け取られるかは自由ですが、客観的に見て一か
ら十まで正しいと私は思いません。第一「180万人ぐらいの信者数」
というのは明らかな誤解で、実数は30万人ぐらいでしょう。とすれば、
一教会あたりの信者数は平均17人か18人になり、いかにも教会数が多
すぎることは間違いありません。(戦時中まで231カ所しかなかった
分教会を、政府の統制に従って1万1千カ所以上も呼び名を分教会に
変更した史実はレポートに記したところです)
 たとえ主観的な部分はあるにしても、ようぼくの率直な感想や意見
は、かけがえのない大切な情報です。人体でいえば、手足や体内から
のシビレや痛みが中枢に伝達されなければ健康は保てないからです。
  
 教会がお供ばかり強調するのは理由があります。上からの要請を
満たすために言わずにいられないし、その結果、信者さんが教会へ寄
りつかなくなって数が少なくなるので、さらに強調しなければお供が
集まらない、という悪循環に陥っているのです。
 もちろん、このような教会ばかりではありません。もし貴方が何の
不足もなく教会に参拝して楽しく勇んで日々を通っておられるのであ
れば、そういう教会に縁があることを有難く喜んで通られることをお
願いしたいのです。
 手紙を書き送って下さった読者には、書面を拝読した感想とともに、
ちょうどコピーしたばかりのレポート「天理教の歴史と現実」を郵送
しました。私としては、頂いた書面に対する返書のつもりでした。
 今後はメルマガの読者からの意見を自由に投稿したり読者同士の交
流を図るためにも、ネットを活用してメール交換の場をつくりたいと
思っています。その方法の一つとして会員制のメーリングリストもあ
りますが、何かいいアイディアがあればお知らせ下さることを期待し
ています。



<心のテープ>(67号)オバマ大統領誕生と世界の情勢
配信日:2008/11/13

「もし、建国者の夢が現代にもまだ生きているのか疑問に思ったり、
米国の民主主義の力を疑ったりする人がいたら、こう言いたい。今
夜が答えだと・・・」
 人種の壁を超えて当選したオバマ氏の第一声である。ケネディの
再来とも言われる弁舌と誠実な政治姿勢に好感を抱かない人はいな
いだろう。
 オバマ氏とともにアメリカの民主主義は生き返り change する
のだろうか。万が一にもケネディのように暗殺されることがあれば、
もはやアメリカに再生はないだろう。
 
 12万人を超える大観衆の熱狂的な歓声の中で決意を表明する若き
大統領を選んだアメリカを、一瞬うらやましく感じる。
 次の瞬間、小泉元首相の顔が浮かんでゾッとする。大衆の人気を
博した小泉首相が残したことは何だったのか。大衆の心に訴えるに
もいろいろなレベルがある。問題を単純化して、意識レベルの低い
階層をターゲットに得票率を上げる戦術を取った小泉流選挙はもう
沢山だ。
 
 今また麻生首相が定額給付金を国民にバラまくという。世論調査
の結果は63%が反対している。まともな常識と思考力のあるオトナ
なら当然だろう。国民をバカにしているという声もある。選挙目当
てにそんな政策しか思いつかない公明党も情けない限りだ。
 
 それにしても、ブッシュの残した負の遺産はあまりにも大きい。
拝金主義と強欲金融資本主義のツケが回ってきて、まさに「蒔いた
る種はみな生える」「欲に切りない泥水」の洪水が押し寄せている
状態だ。天からの鉄槌あるいは天罰が下ったとの説もある。
 ネットの予測サイトでは、来年のアメリカは「地獄の夏」になり、
スーパーや店舗は空家同然に荒れ果て、各地で暴動が起こり、海外
へ派遣されている軍隊を動かす予算はなく、戦争どころではなくな
る。兵隊たちは現地に住みつくか追い出されるか、または自力で帰
国する他はない状況に追い込まれると予測している。
 
 マスコミの解説記事によれば、このたびの金融危機は、膨大な金
融商品を作り出して荒稼ぎした強欲経済の破綻と、借金漬けの消費
大国アメリカの終焉を意味するという。一言で要約すれば、16世紀
以来、繁栄を誇ってきた近代資本主義の時代が終わったという意味
で世界史的な転換点になる、とも結論されている。
 いわば世界中が経済的敗戦の大津波に襲われた状況で、どこにも
安全地帯はない。かつての敗戦後の日本に似た苦難が世界に拡大さ
れた状況ともいえる。アメリカの過剰消費に支えられて輸出に依存
してきた日本経済にとっても、大きなダメージになることは間違い
ない。とすれば、再び最低の生活に耐える覚悟が必要だろう。
 その中でオバマ大統領が救世主の役割を演じるのか。日本の政治
は changeできるのか。余所事のような言い方で申し訳ないが、見
応えのあるドラマが展開されることを期待したい。歴史は決して後
戻りしないことだけを信じて。
 
 前号にも触れたが、明治20年、昭和20年、そして平成20年の今
年、「秋を合図に」表面化した「大掃除」と「立て替え」の刻限と
悟れば、すべては神意によって「見えん先から」見通されていたこ
とになる。
 はるか120年前、明治政府によって国会(帝国議会)が開かれた
とき、先を見通して諭された「刻限さしづ」がある。
「明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの
道は更にあろうまい。一夜の間の事情を見よ。……万事一つの事情
を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。弱い心は更に持た
ず、気兼遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。これから先は神
一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。怖わい道があ
って、やれ楽しみという。……国々国々の処、万事取り締まり、さ
あ/\何か談示々々、談示の決は、これまでよりも神のさしづ。さ
しづ通りの道なら、どんな事も遠慮気兼ねするやない」(24.2.7)

 その後の日本が軍部の独裁権力によって、まさに「国会では治ま
らん」情勢となり、「怖わい道」を辿って敗戦となり、戦後は「や
れ楽しみという」経済繁栄の時代を謳歌したものの、現在に至って
もなお「国会では治まらん」状況にあることは誰の目にも明らかで
あろう。
「おふでさき」のお歌は、その過半数が神の残念を晴らすための預
言の書であるが、
「ふでさき通り皆出る。今度道はいつどう、いつ見える。ふでさき
皆知らせてある」(20.6.4)と、早くから「おさしづ」にも示され
ている。

 もう一つ、現状を明示されていると受け取ることのできる神言の
一節として、
「国の一つ事情も、道の事情も同じ理。一日の日を以て尋ねた順序
の理のさしづ、こういう事あったと皆の心に十分含んでくれ。皆何
でも彼でもという心あっても、どれだけしても、理が無くばどうも
ならん。一日の日がある。越し難くい。飲むに飲まれん。行き付か
にゃならんで。これよう思やん定めて、一つの心に定めてくれ。聞
いて心に治まってなくば、一日の日が通り難くい」(38.5.11)
 ここで「一日の日」とは、世界の大掃除による立て替え・立て直
しの刻限を意味している。「一つの心」とは、原典を元とする神一
条の心に他ならない。
(原典の引用は『おさしづに啓示された理の研究 第二部 神の預
言』による)



<心のテープ>(68号)メーリングリスト発足その後
配信日:2008/11/20

 一昨日18日に配信した(号外)の案内でご承知の通り、天刻メーリ
ングリストを発足したばかりで、その対応に追われている。
 まる一日経って10人ほどの方から入会申込みを頂いたが、当方の説
明不足もあって、メールアドレスの他は何も書かれていない場合もあ
り、誰が誰やら特定できないので、再確認のメールを送受信するとい
う二度手間をかける始末であった。
 
 申すまでもなくMLは、このメルマガによく似た機能がある。つま
りMLを利用してメルマガを配信することもできるわけで、定期的に
メルマガと同じ内容の文書を投稿すればいい。とはいえMLは、メル
マガやブログとどこがどう違うのだろうか。
 ブログは不特定多数の読者を想定しているのに対して、メルマガは
登録読者の数が分かっているので、より限定的になるが、情報が一方
的に流される結果になりやすい。一方MLは、会員相互の自由な投稿
のやりとりで成り立っている。その点で、最も「ろっく」(平等)な
グループといえるだろう。
 
 じつは私は、会員になっている他のMLがある。そのMLは<no_
more_war>というグループで、会員同士が戦争の体験を通して平和を
希求して情報交換する目的がある。会員も300名余りあって、毎日活
発に投稿が配信される。
 この<no_more_war>MLは共通の目的をもつ会員のグループだか
ら、共通の話題があり情報の交換もさかんに行われている。それでも
時には意見が衝突して紛糾することがあり、管理人は中に入って苦労
していることがあるようだ。
 まして、単なる仲良しグループとか、同じ趣味をもつグループは、
決してスムーズに運営されるとは限らないだろう。
 
 私たちの天刻MLはどう位置づけられるだろうか。天理教という共
通の地盤がある限り、情報交換する意味はある。しかも絶対的な原典
が確定している上に「心の成人」という目的がある。
 ただ、原典を棚に飾っておいたり、お経のように唱えたりしている
だけでは何にもならない。それこそ、わが天刻MLの趣意として掲げ
ている「おさしづ」に、
「互い互い知らし合い、互い互いの研究諭し合い 道という」(24.11.25)
 この有難い神示にもとづく限り、必ず成功することを信じている。
 
 私がこの年になって、最低限の知識しか持ち合わせていないくせに
ットに関心を抱き続けている理由は、ネットこそ世界中の人間の心を
「ろくぢ」(平ら)にする道具と信じているからだ。
 グローバル・ブレイン(地球大の頭脳)という言葉があるように、
脳の中枢神経のごとく、インターネットの通信網は世界中に張り巡ら
されている。しかも過去の通信網の機能と違って一方的ではなく双方
向に、下から上へも情報が流されるところに大きな意味がある。次の
「おさしづ」にも神意は明示されている。( )内は筆者の補足。
「さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。
さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み
均しに出て始め掛けた理と、さあ/\(甘露台の石を)取り払うと言
われて(官憲が実行)した理と、(どちらが真実であるか)二つ合わ
せて理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ。よく聞き分
けてすれば、分からんやあろまい。世界ろくぢに踏み均しに出て居る。
疑いもあろまい。・・・」(22.3.10)
 
 この神意が心(意識)の世界で実現した結果、誰でも世界中の情報
を平等に共有することができ、脳の中が「ろくぢに踏み均される」の
だ。インターネットこそ知識の高山を取払い谷底をせり上げる神意に
適っていることは間違いない。
 このIT技術の普及が知識の平等化に果たす役割について、もし興
味を抱かれる読者があれば、天刻サイトの下記のページを参照して頂
けば有難い。表紙から検索して頂けば、さらに多くのページが表示さ
れます。
「インターネットの機能と功罪」
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/it.htm
「天理教学の展開を求めて むすび(その3)」 
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/kyogaku-musubi-3.htm



<心のテープ>(69号)系統を超えて40年つづく友情
配信日:2008/11/27

 昨日26日は心地よい晴天の月次祭だった。10月秋の大祭と違って
人出も少なかったから、久しぶりに礼拝場の畳に坐って参拝した。
私の横に坐っていたのは、ここ10年来ほとんど毎月一緒に参拝して
いる岩井猛氏であった。彼は25日の昼前に和歌山から天理駅に着き、
私が車で迎えに行って、うちで夕方まで話し合い、夕方からは詰所
へ場所を移して、他のようぼくと合流して夜まで話し合い、その晩
は詰所に一泊、26日は祭典が終わるまで同行する慣わしになってい
る。
 岩井氏に関する限り実名を書いても迷惑とは思われないと安心し
ている。何しろ知り合ったのは40年前で、それ以来断続して続いて
いる教友の間柄だから、互いに遠慮はないし、小著にも紹介したり
発行者になってもらったりしている。
 縁の始まりは、たしか天理大学か道友社主催の「教理研究会」で
あった。今では考えられないことだが、当時、その研究会が毎年開
催されていて、研究発表を希望する者は誰でも申し込むことができ
た。その会場で岩井氏の発表を聴いたことから、同じテーマに関心
をもっていた私が話しかけたのがきっかけとなった。
 
 ここで岩井氏(略してI氏と呼ぶことにする)の略歴を紹介して
おきたい。彼は私より1歳年上で、20代の初めに入信したという。
所属教会は敷島系統で、自らは布教所長であった。
 昭和20年終戦の時、彼は陸軍幼年学校の1年生で、軍人の東大と
いえるエリートコースに入学してから5ヵ月目であった。
 戦後、大学卒業後に失恋のためノイローゼになったのが入信の動
機であったと聞いている。入信は初代で、180度方向転換した彼は、
生来の情熱に燃えて原爆廃止を訴えるパンフをつくり、おぢばの黒
門前に幟を立てて平和運動を始めた。それが教内の「にをいがけパ
ンフ」のはしりになったという。
 その熱心さが教内ジャーナリストの関心を呼び、信仰事業家とし
て有名な米屋ようかん創業者に紹介されて活動費の援助を受け、
「陽気」誌上にも度々名前が出るようになり、教理研究会での発表
につながった。
 I氏は自宅を改造して中学生の英数塾を自営しながら、自ら布教
所長になると共に信者さんが布教所を設立するまで丹精し、教会ふ
しんの上にも伏せ込んでいる。また特異な修業によって超能力の研
究と体験を積んでいる。
 
 I氏との交際が密接になったのは、35年前に私が「おさしづに啓
示された理の研究」と題する手書き資料を作成したことからであっ
た。今では考えられないことだが、本部で毎月開かれている直属布
教部長の会合の席上、おさしづ資料を予約募集する機会を与えられ
て約500部の予約を受け、また本通り商店街の天理書房にも委託し
て店頭に並べてもらったところ、分冊が品切れになったり残部がで
きたりして全6部が揃わなくなった。
 そのことを知ったI氏が、全6部の在庫を揃えるべきことを助言
してくれると同時に、増刷が必要な分册の印刷費を負担することを
申し出てくれた。その代わり、販売した分の代金の一部を返還する
ことにして、おかげで全6部が揃うことになり、何度か版を重ねる
ことができた。
 その手書き資料で「おさしづ」を拝読したことが、親神様の神意
と真実の教理を自覚する上に大いに役立った、とI氏は今になって
述懐することがある。
 
 平成7年(教祖110年祭の前年)の夏から秋にかけて、私は2度
目の修養科一期講師として教祖伝を担当し、修養科生と共に3ヵ月
を過ごした。その年は教内外ともに波乱の多い年で、1月の阪神大
震災に始まり、3月にはオウムの地下鉄サリン事件が突発した。夏
には前真柱様の重篤なお身上が伝えられた。
 年祭が迫る時旬に、修養科生と共に教祖伝を拝読しながら、私は
切迫した親神様の急き込みを感じずにはいられなかった。(その時
の心境は、2年後に出版することになった『教祖ひながたと現代』
末尾の「この本の刊行を決意した理由」に記している)
 
 翌年の110年祭の旬に、修養科の講師を勤めている間に自覚した
天理教の過去・現在の問題点を100頁余の文書にまとめてコピーを
2部つくり、止むに止まれぬ気持ちから真柱様に直訴するつもりで
お宅に届けることを実行した。
 その結果、文書は前真柱を通して表統領の手に渡り、主査室へ回
付された。一方、それまでの私の著書を理解して下さっていた集会
員の先生を通してコピーが全集会員に配布された。
 主査室長は異端に近い問題の文書として答申書を表統領に提出し
た。集会の一部では理解する態度を示すグループの提案で、詳しい
説明を集会の場で私に求める動きもあったが、主査室長の妨害で中
止されると共に、答申者に対する私の弁明書が再び集会員に配布さ
れたーーという攻防の渦中に巻き込まれた私のために、I氏は親身
になって助言と忠告を与えてくれ、心強い味方になってくれた。
 
 最終的に、当時の主査室長はその後、金銭事情が表面化して本部
の役職を罷免され、集会に配布された私の文書は、一部の教区でコ
ピーを重ねて文字が読み難くなるほど出回ったとも聞いている。
 その時の文書を一般向きに編集して平成10年4月に発行したのが
小著『教祖ひながたと現代』であり、出版に際しては前記の集会員
の先生はじめ各々系統の異なる3名の教会長の方々と岩井氏が印刷
費を分担して下さった。
 
 21世紀になってIT技術が普及し、紙に印刷する費用を掛けずに
手軽に情報を発信できる道具ができた。私にとっては願ってもない
道具となった。
 HP<天理と刻限>を開設した日は2001年(平成13年)4月18
日であった。それ以来8年近くになるが、本にすれば10冊に余るほ
どの枚数の資料・教説を含めたコンテンツを蓄積してきた。
 それと共に、すこし時期はずれているが、岩井猛氏を管理人とす
る(PCの苦手な彼の代わりに実際は私が管理しているのだが)H
P<三千世界の立て直しプログラム>という途方もないタイトルの
サイトを立ち上げて現在に至っている。このところ更新の回数は減
っているが、世界情勢の変化によってはプログラムの段階を既に超
えて、実行に移る刻限になっているかも知れない。

 岩井猛氏の紹介と言いながら我田引水になった部分もあるが、と
ても40年のおつき合いのすべてを語ることはできない。I氏のプロ
フィールも部分的にとどまっている。もちろん公開できない個人情
報は守らなければならない。
 I氏に対して私が言えることは、物心両面にわたって陰に陽にお
世話になったのは私の方であり、恩返しは殆どしていないことを告
白せざるを得ない。
 申し遅れたが、半世紀前の入信以来、岩井氏が一貫して信じてい
る原典の一語がある。それは「おふでさき」にしるされた謎の暗号
ともいえる「三六二五」の数字に他ならない。
 この数字の謎と岩井氏の経歴をもっと知りたい方は、下記のサイ
トを訪ねてみられることをおすすめしたい。
 http://www.geocities.jp/kokugen3625/index.html



<心のテープ>(70号)田母神(元空幕長)論文の反響
配信日:2008/12/4

 田母神論文の波紋は広がりつづけている。11月末のテレビでは、本人
をはじめ陸海の自衛隊幹部や賛成・反対両派の出演者が90分にわたって
議論を交わしていた。また懸賞の審査過程が公平でなかったと一面トッ
プで報じている新聞もあった。
 
 私自身、論文を読み、賛否両論に目を通してみて、共通して重要な論
点が抜け落ちていることに気づいている。というのは、とくに戦争が拡
大されていった昭和の初期から、天皇を現人神(あらひとがみ)とする
国家神道(天皇教とも呼ばれている)が国民に強制され、2.26事件など
のテロによって軍部の独裁が進み、ついに民主主義が圧殺されていった
事実に触れていないからである。
 主権在民でなかった当時、神の国・大日本帝国を守ることは天皇のた
めに命を捧げることであった。言論や思想の自由を一切禁圧して軍国主
義による聖戦に国民を駆り立てていったのは軍人のトップリーダーであ
り、世論を煽ったマスコミであった。そうした軍部独裁の歴史を自覚も
反省もしない自衛隊幹部が、310万人もの死者を出したあげく敗戦に終
わった過去を外国のせいにするのは、あまりにも無責任な暴論と言わざ
るを得ない。その結果として、自衛隊が過去の日本軍と同じ行動に走る
可能性を否めないことになる。

 もちろん日本だけが侵略したと言っているのではない。帝国主義の時
代には欧米諸国も侵略と略奪の植民地支配をつづけていたことは事実で
あった。第二次大戦後もそれらの諸国は、かつて植民地として支配して
いたアジア諸国に謝罪していないことも確かであり、目的は違っても武
器を持って今も戦争を続けている。しかし戦争が問題解決にならないこ
とは、イラクやアフガンの現状を見れば明かとなりつつある。
 とすれば結論は、戦争を国際問題解決の手段として認めるか否かの価
値観にあり、憲法を守るか否かの選択に帰するだろう。日本が憲法9条
を守る限り、過去の戦争を過ちとして認めるべきであるが、昭和初年以
前の長い日本歴史まで否定する必要はどこにもない。むしろ欧米の真似
をしようとして方向を誤り失敗したのが過去100年の歴史であった。
 田母神論文について、このように感じる私は昭和一ケタ生まれだから、
終戦前後の日本の状況をある程度見聞し体験している。その実感を言え
ば、国家すなわち天皇のためという名のもとに赤紙一枚で否応なしに召
集された民衆の姿こそ軍国主義の被害者であった。

 朝日新聞「声」欄に、田母神論文に関する元兵士(94歳)の「侵略を
知らぬ空幕長の空論」(11/6付)と題する投稿が掲載されていたので
参考にコピーしておきたい。
 侵略を知らぬ空幕長の空論
  無職  本多 立太郎 94(和歌山県みなべ町193)
<元兵士である。1939年、25歳で応召。2度の中国出征とシベリ
ア抑留を経て47年に帰国した。中国戦線では無数の友を失い、シベリ
アの凍土には多くの友が眠る。
 戦争は、もう二度とあってはならぬ。どんな理由があろうと、人の命
は地球より重い。しかし、戦後63年。戦場を体験した人間が少なくな
り、戦争の記憶が我々から失われている。それに呼応するように、戦争
を肯定し命を散らすことを美学とたたえるかつての風潮が際立つ。恐ろ
しいことだ。
 「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」。そう主張する論文
を、航空自衛隊のトップが書き、民間企業主催の懸賞論文に応募してい
たという。自衛隊そのものが再び軍隊と化している証しではないか。
 我々は中国で、言うに言われぬ体験をした。村をあらし、村人を手に
かけた。あの戦争は、まさしく「侵略」だった。日本の占領が「圧制か
らの解放」などとは、きれいごとに過ぎない。中国人民を苦しめた我々
の痛みが空幕長にわかるのか。頭の中だけで、戦争を語るのはやめて頂
きたい。>

 戦後60年目に当たる平成17年の1年前、「戦争を語りつぐ市民の証
言」を取材・編集してHPに公開することを私は思い立った。それ以来
4年になるが、今では高齢者の男女を問わず年齢順に90余名の証言を
収録し、のべアクセス数15万人に達している。
 たかだか63年前まで日本人全部が無条件で天皇教を信じ込んでいた史
実をすっかり忘れ去っているのが現実だ。日本人に過去を水に流す習性
があるとはいえ、歴史を無視すれば同じ過ちを繰り返す恐れがあると思
わずにいられない。
 今や60歳前後の世代になる政治家・学者・自衛官は戦争を知らず、身
辺に戦死者などの犠牲者もいない場合、小学生の頃に教え込まれた国家
観・価値観に染まったままで成人している。最近は、そうした世代のリ
ーダーに戦争の実態を知らせることの必要性を益々痛感している。
<戦争を語りつぐ60年目の証言>サイト内の資料として「国家神道の実
体」と題するレポートを掲載しているので、関心をお持ち下さる方は一
読をおすすめしたい。
 http://www.geocities.jp/shougen60/kokkasinto.html
 さらに小著『元の神・実の神』の「国家神道への変質」の項目(74〜
77頁)にも、その歴史的な経過を略述している。

 何よりも天理教は、明治以来の天皇制、軍部独裁による軍国主義、天
皇を現人神とする国家神道の被害者であり、そのために教理を歪められ
、悲劇の歴史を辿った。
 明治29年1月6日、内務省から発布された秘密訓令は、その実証であ
った。内務省とは明治の初めから敗戦後に至るまで国の内政を司ってい
た中央官庁であり、その訓令の目的は天理教を取り締まることにあった。
当時、教勢が盛んになるにつれて反対攻撃が激しくなり、世間の非難の
高まりに迎合した各地の新聞は、ここぞとばかり社会秩序を乱す邪教と
して悪口と誹謗を繰り返していた。
 ついに内務省は、天理教会が所属していた神道本局を通して教義の改
変を強制し、もしこれを拒否すれば最後の手段として解散を命じかねな
い態度を示した。同年6月には大阪府令も施行された。これに対応して
教会本部は、おつとめ奉仕を男子のみとし、地歌の一部を削除し、かぐ
ら面はつけずに前へ置き、守り札を神鏡に改め、天理王命の神名を天理
大神に変えることを余儀なくされた。訓令には、つとめの鳴物(三味線
や胡弓など)を遊具と呼び、寄付(御供)募金の強制を批判している。
 こうした状況の中で諭された次のおさしづに、神意の一端を悟り取る
ことができる。
 
 明治29年4月21日 内務省訓令発布相成りしに付、心得まで伺
「……水が浸く、山が崩れる。大雨や/\。行く所が無いなれど、後は
すっきりする。今一時どうなろと思う。心さえしっかりして居れば、
(神が)働きをするわ/\。反対する者も可愛い我が子、念ずる者は尚
の事。なれど、念ずる者でも(神のさしづを)用いねば反対同様のもの。
これまでほんの言葉々々でさしづしてある。これはというような(やし
き内の側の)ものは、さしづがさしづやないと言う。世界の反対は言う
までやない。道の中の反対、道の中の反対は、肥えをする処を流して了
うようなもの。こんな所にこんな事があったかと、鮮やか分かる程に/
\。必ず/\悔やむやない。悔やむだけ心を繋げ/\。これからは、ど
うでも皆集める程に/\。山が崩れる、水が浸く。雨風や。何処へ駈け
付く所も無いというようなもの。泥水すっきり流して了う。泥水の間は、
どんな思やんしてもどうもならん。心一つの理を繋げ/\。(政府権力
が)いかんと言えばはいと言え。ならんと言えば、はいと言え。どんな
事も見て居る程に/\。」

 この最後の一節は、当時のようぼくの通り方を諭された親心あふれる
お言葉として伝えられているが、この明治29年の時点で、すでに「泥水
すっきり流して了う」と先を見通されたお言葉があり、その刻限を信じ
る道の者は、形はどうなっても「心一つの理を繋げ」と繰り返し諭され
ている。
 一方、「道の中の反対は、肥えをする処を流して了うようなもの」と
戒められ、「反対する者も可愛い我が子、念ずる者は尚の事。なれど、
念ずる者でも(神のさしづを)用いねば反対同様のもの」という厳しい
神意も示されている。
 田母神論文の反響から話が飛躍してしまったが、言わんとするところ
を理解して頂ければ有難い次第。



<心のテープ>(号外)12月8日は何の日?
配信日:2008/12/8

 言わずと知れた太平洋戦争が始まった日です。そう言っても知らな
い世代の人たちが大半を占めているのも確かな現実です。
 
 件(くだん)の田母神・元空幕長は、あの戦争は当時のアメリカ大
統領ルーズベルトが仕掛けたワナにはまって戦争に追い込まれていっ
たと主張している。その陰にはソ連の陰謀もあったという。仮にそう
であったとしても、そそのかされて犯罪を冒した場合、そそのかした
側だけが悪いのではなく、実行した本人にも責任があるのは当然では
ないか。
 権力を握っていた軍部は、外国に対してだけではなく、日本国民に
対する責任もあることを忘れてはならない。田母神論文はそうした日
本の陸海空軍の行動を免責している点で重大な問題を含んでいる。
 しかも日本の軍部独裁権力は、戦局を国民に隠蔽したあげく完敗し
たのだ。被害者づらをして責任逃れをするのではなく、いさぎよく軍
部の責任を認め、過去の反省に立って発言するのが武士というもので
あろう。
 
 さすがに昭和16年、開戦当時の記憶は私にはない。その後、自分の
戦争体験としては、急造中の飛行場で米軍艦載機の機銃掃射を受けて、
あわてて川へとび込んだこと、戦争末期になって大阪空襲に向かうB
29爆撃機の大編隊が上空を悠々と飛行していったこと、そのたびに今
にも爆弾が落ちてくるのではないかと恐れたことくらいしかない。
 それより難儀したのは衣食住であった。「衣」は制服のボタンに至
るまで金属は武器の原料として供出し、瀬戸物のボタンが代用となっ
た。
 寮生活における「食」は、米に大豆やヒジキや麦を混ぜるのではな
く、それらの雑穀に僅かの米が混じっているような御飯が僅かに配食
されるだけであった。
「住」は、天理市(当時は丹波市町)内の詰所が殆ど海軍の予科練
(特攻隊の養成機関)に接収され、多い時期では約1万人に達する20
歳前の若者たちが自爆するための訓練に余念がなかった。

 なお、メルマガ70号「田母神論文の反響」に関連する<心のテープ>
アーカイブ記事を下記に保存していますので、よろしければごらん下
さい。
<自虐史観と謝罪外交の是非>
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/news/tape-05.11.13.htm

 他サイトのリンクで恐縮ですが、下記サイトに今日12月8日・太平
洋戦争開戦の情報が公開されているので案内しておきます。
<私の十二月八日>(27名の投稿で綴るその日の回想)
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/

<十二月八日 太宰 治> (作家の率直な日記)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/253_20056.html 

<12月8日の仕組について>(立て替えの型としての大本教)
http://www.geocities.jp/kokugen3625/sikumi.html



<心のテープ>(71号)天刻サイト=アクセス数のべ5万人を超えた感想
配信日:2008/12/11

 先日12月2日、「天理と刻限」サイトを開いてみると、アクセスカウン
ターに「50013」の数字が表示されていた。
 2001年4月に開設して以来、7年6ヵ月を経ている。よくぞ閉鎖せず
に続けてきたものと、これも訪ねて下さる方々があればこそ、と改めて感
謝の意を表したい。
 
 天刻サイトの開設から半年ほど前にさかのぼる。その頃、どんどん普及
していくインターネットに私は無関心でいられなくなった。しかしネット
を始めるためにはパソコンが必要だ。そこで、東京で働いている長男にパ
ソコンの機種や値段について聞いてみた。彼にしてみれば、仕事に使うわ
けでもないのにパソコンに関心をもつて何の役に立つのかと思ったに違い
ない。何のために聞いているのかと言うので、ホームページを作りたいら
と答えた。
 現に企画中のHP「天理と刻限」は、これからの天理教にとって如何に
有意義であるかを私は説明した。しかし長男は、私が本当にパソコンを使
いこなせるのか、途中でお手上げになって放り出すのがオチではないかと
思っていたに違いない。
 
 私はこの時とばかり、もう紙に印刷して製本する時代ではない、ネット
を活用すれば僅かな経費で情報を発信することができ、受信者も無料で読
むことができると主張した。
 しかし無料で自己発信する情報に価値は認められないし、仕事にもなら
ないというのが息子の言い分であった。たしかに本には定価がついている
けれども、定価をつけたHPはない。HPを立ち上げるからには、ひのき
しんに徹しなければ続けることはできない。その上、ネットにアクセスす
るためのプロバイダの契約には、最低でも月額5000円は掛かる。
 しかもHPは無料だからといって、アクセスして読んでもらえるとは限
らない。HPの場合、読者ではなく訪問者と呼ばれる。仮にHPにアクセ
スして訪問しても、コンテンツに興味なければ読まずに帰ってしまうこと
になる。もともと無料だから、読まなくても損にはならない。
 
 長男は日々仕事の厳しさを痛感しているので、私の仕事にならない趣味
のような企画を理解したわけではないが、私の熱心さに根負けしたのか、
印刷関係の仕事で使っているマックの新発売したばかりの機種を買って配
送してくれた。それはマック・キューブという機種で、プリンター共で25
万前後はしたらしい。あとで家人に「オモチャにしては高すぎるね」とボ
ヤイていたとか。但し、いずれ会社で使い古しのノートパソコンが出たら、
その中古機種と交換するという条件だったが、結局10年近く経った今も同
じ機種をそのまま使っている。

 私の質問作戦が功を奏して、デスクトップのパソコンが机の上に坐るこ
とになった。今度はパソコンを使ってデザインの仕事をしている三男の番
だ。彼は Dreamweaver というソフトでHPの骨組みをつくってくれた
あと、更新の仕方を教えてくれた。どうせ更新するコンテンツは、すぐに
種切れになるだろうと予想していたようだ。
 三男も東京にいるのだが、幸い不明な操作や故障があると、電話で修正
の仕方を質問すれば、大抵は電話で答えてくれて、その通りにすると回復
するから不思議なくらいであった。
 息子たちが言うには、私の書くものは読まなくても分かっているし、忙
しいから読む暇もないと関心を示さない。教祖ひながたでも秀司さんはじ
め身内には理解されなかったのだから、自分が理解されないのも致し方な
いと言えば、我田引水のそしりを受けるだろうか。
 その後、他にも幾つかHPを開設したが、その設定は殆どすべて最低限
の知識を総動員して自分で作成した。素人がボランティアでしているのだ
から、単純な設定やレイアウトでも見許されていると自覚している。
 
 こうして天刻サイトを立ち上げてから7年半が経った今、(ようやく)
というべきか、(よくぞ)というべきか、アクセス数が5万人超になった。
もっともここ1年ほどは、毎週配信しているメルマガ<心のテープ>のほ
うに集中しているので、更新の間隔が空き、アクセス数も1ヵ月平均300
人ほどになっている。
 しかし、TOP頁に設定しているGoogleのサイト内検索を利用して下さ
れば、書物にして10冊分に余るコンテンツの中に、天理教学(教理と教
史)に関する殆どの情報は網羅していると自負している。
 また、ネットと書物という異なる情報伝達の手段を並行して活用するこ
とを今後も試していきたいと願っている。こうして権威も何もない私が、
なぜ発信し続けるのか、その目的を一言で申せば、戦前はいざ知らず、
戦後は教祖ひながたと教えの理を非難したり否定したりする日本人は誰
もいない時代になったにもかかわらず、中山みきを教祖と仰ぐ天理教が、
教祖ひながたを元とする組織づくりや元の理を広めていないために、未
だに真実の教えが社会に理解されず影響を与えられない原因を追究した
いからなのだ。
 
 私にとって残念なことは、もともとネットは双方向通信が可能なメデ
ィアであるにもかかわらず、HPをいくら更新しても反応が返ってこな
い状態にあった。つまり、どんな人が何人ほど訪問し、そのコンテンツ
を読んでどんな感想を持ってくれたのか、さっぱり掴めないことにあっ
た。
 そこで、せめて読者の数だけでも知りたいと思って1年余り前に始め
たのがメルマガであった。ところがメルマガは、登録読者の数だけは分
かるけれども、一方通行の情報発信であることは止むを得ない。
「互い互い知らし合い、互い互いの研究諭し合い 道という」(24.11.25)
 このおさしづの啓示を実現するためにはMLという通信手段が最適で
はないかと、先日その開設に踏み切った。果たして双方向の「知らし合
い・諭し合い」ができるかどうか、これからの課題となるだろう。
 
 最後に<天理と刻限>というタイトルについて、教内では「刻限」と
いう言葉は殆ど使われることはないが、あえてタイトルに選んだのは、
おさしづの中で500回以上も使われているからだ。「刻限」について啓
示されているおさしづを確かめてみると、
「刻限の理というは、違うという事は一つも無い。どんな事もこんな事
も一つの理に止まる」(22.11.6)
「刻限と尋ね事情とはころっと変わるで。刻限の事情というは、これま
で不思議々々々を皆知らしたる」(25.5.14)
「直ぐに知らすも刻限、一年先で知らすも刻限、三年先で知らすも刻限」
                         (27.10.9)
 つまり「刻限」とは、見えん先から定められている神秘のスケジュー
ルと言うことができる。過去の刻限としては、
*天保9年10月26日、中山みき教祖が神がかりによって「月日のやしろ」
 になられた日。
*明治20年1月26日、教祖が現身をおかくしになった日。
*昭和20年8月15日、日本がろくぢ(平地)に踏みならされた敗戦の日。
*そして今年・平成20年、世界的な大掃除の刻限が到来していると悟る
 ことができる。
 念のため、凡そ5年前にネットで発信した一文を参考までに挙げてお
きたい。
<啓示と刻限>
 http://www.geocities.jp/kokugen3625/keiji.html



<心のテープ>(72号)インド カレーとナンの店
配信日:2008/12/18

 今号では正真正銘、天理市から発信する情報をお届けしたい。という
のは、天理市内にある珍しい店を紹介したいからだ。
 その店名は、インド・ネパール カフェ&Bar<Tandoor> 
 場所は天理綜合駅から徒歩5分とかからない。本通商店街を西へ向か
ってJR線路のガード下を越えた交差点を左折して30mほど歩いた道沿
いのビル2Fへ上がる階段に案内のボードが置いてあるので直ぐにわか
る。駐車場の案内も掲示してある。
 じつは私がその店を知ったのは、天理教平和の会幹事のY氏から紹介の
メールを受信したからで、たまたま4人連れで食事をする機会があって
行ったみた。オーナーも店長もレッキとしたようぼくであると同時に平
和にも関心が深いという。
 
 最初に食事した時はオーナーは不在で、沖縄出身の店長がいろいろメ
ニューについて説明してくれた。自分の信仰歴や沖縄の歴史まで話題は
広がった。なんでも独り北陸で働いていた時に身上になり、初めて教会
と縁ができて入信し修養科を修了した。はるばる沖縄からおぢばへ引き
寄せられたようぼくの一人に違いないと思った。

 店の奥では、ネパール人のシェフが黙々とナンを焼いていた。ナンを
口にするのは初めてだった。小さな茶碗に御飯も付いていた。皿からは
み出しているナンの大きさには驚いた。ナンを手で千切ってカレーにつ
けて食べると、ライスとは違った風味がある。
 Bランチには2種類のカレーとヨーグルト、サラダその他がついて
1000円、Aランチはカレー一種で780円、いずれも焼き立てのナンと御
飯、食後の飲み物がついてくる。
 食事を終わって談笑している間にもカレーの香りが流れてきて満足の
ひと時を過ごした。
 
 夜は生ビールもある Bar にもなるようだが、私は二度目も2人連れで
昼食をとっただけで、Aランチで十分満腹した。その時はエネルギッシ
ュで健康的な美女のオーナーからコーヒーをサービスしてもらった。
 何より平和を希求するようぼくの店が天理市に誕生したことは喜ばし
く、是非とも繁盛して美味しいインドカレーやナンの香りと味を街中に
ひろげてほしいものだ。
 
 最後に思いついたのだが、もし読者の誰かが帰参されて、天理駅から
私に電話で連絡してもらえば、都合のつく限り、インドカレーとナンの
店<タンドール>で待ち合わせて談じ合いたいものや。これは冗談では
なく本気の提案やで。念のため私のケイタイ番号は 090-5051-1243
なので、メモしておいて頂ければ幸いや。



<心のテープ>(73号)今年一年をふりかえって
配信日:2008/12/25

 早くも正月元旦まであと5日に迫ってきた。
 年末に近づくにつれて今年ほど気忙しい年はないように思う。それは
毎日報道される不況とリストラのニュースのせいかも知れない。
 他人事のように金融危機のニュースを読んだり聞いたりしているが、
いつ身近に影響が及ぶかわからない。

 私は何か異変があると昭和20年の夏を思い出して比べることにしてい
る。63年前のあの日、とつぜんの敗戦となり、世の中がひっくり返った
のであった。
 もちろん戦局は悪化の一途を辿り勝ち目がないことはわかっていた。
一部では敗戦の結果を予想していたに違いない。しかし新聞ラジオなど
の報道機関は真実を一切報道しなかった。そうした点で、今も大同小異
ではないだろうか。
 今度の刻限は、日本が直接の原因ではなく、アメリカを震源として世
界中に拡大している。日本もその影響をもろに受けているが、世界各国
に比べると、まだマシなのかも知れない。とはいえ、最低の生活に耐え
て生きて行く覚悟だけはしておきたい。
 
 刻限とは「天意によるリセット」と言い換えることもできる。大掃除
の刻限を意味する「一日の日」は、決して過去に現実となった敗戦の日
に限られるわけではない。再び神の残念が積もり重なり、合図立て合い
が出たならば、「見えん先から」説き聞かされた原典の啓示が現実とな
る日が到来するのだ。
「さあ/\怖わや恐ろしやと、前々諭してある。一日の日と言うてある。
一日の日は一代と取れ。一代の道にはいかなる道もある。すっきり洗い
替える」(22.2.23)
「一日の日というは大きい話。前々より諭したる。どんな道があっても
おめ恐れるやないで。これまでにも諭してある。内々胸の思やんが第一」
(24.5.18)
「一代」という言葉の意味は、60年前後と悟ることもできる。今年は昭
和20年から数えて63年目に当たっている。

 今年一年をふりかえる本題に戻ると、ちょうど1年前に完成したつと
め場所兼客間を有効に活用できたと思っている。中でも5月1日、スジ
ャータめいらくグループの創業者・代表の日比孝吉氏が立ち寄って下さ
ったことが忘れられない。
 今年80の坂を越えられた日比代表は、昨年の暮れから正月にかけて、
同社のようぼく社員1000名に小著『元の神・実の神』を購入・配布し
て下さった。また私の厚かましい依頼に応じて「推薦のことば」も快く
書いて送って下さった。(40号)
 
 8月には原爆の日が毎年巡ってくる。世界で唯一の被爆国として、
その旬に合わせて原爆体験を風化させることのないように<心のテー
プ>を巻き戻すことにしている。
 姉妹サイト<戦争を語りつぐ60年目の証言>には、後にも先にも世
界一詳しいと断言できる被爆体験記「枯れない涙」を収録している。
美空ひばりの愛唱歌「一本の鉛筆」の紹介もした。(54号)また戦
争に関連して「上・高山が“まま”にした横暴の歴史」も(56号)で配信
した。

 今年は幾人かの初対面の来訪者があった。私にとってまことに楽しく
有意義な一刻であった。その方達の紹介もメルマガでさせて頂いた。
(61・62・63号)
 10月秋の大祭前日には、初めての<天刻の集い>を天理市内で催し
た。参加者は少なかったが、個性的なようぼくの方々ばかりで、談論
風発であった。(64・65号)
 秋の終わりには田母神(元空幕長)の論文が反響を呼んだ。私も黙っ
ていられなくなって、一言もの申さずにはいられなくなった。(70号)
 余談になるが、12月には<天刻サイト>のアクセス数がのべ5万人
超になり、その前に姉妹サイト<戦争を語りつぐ60年目の証言>が15
万の大台に乗ったことを報告しておきたい。サイトを管理する者にとっ
て、やはりアクセス数は何よりの励みになるものだ。
 11月には懸案のメーリングリスト(ML)が発足した。結果はまだ
未知数という他はない。
 
 さて、過去ばかりをふり返っていられない。
 来年平成21年(2009年)は、内外ともに文字通り大変な年になりそ
うだ。真実の信仰が試される刻限が到来したからには、次の啓示を心し
て通りたいと思う。
 読者の皆様も、元気で年末・年始を迎えられますようお祈りします。
 
「濁りに濁りて、又濁りて(さしづを)何度も読み返さんならん(時
が来る)やろう」(23.9.3)
「腐りたさしづも起きて来る日があろ(う)」(29.3.21)
「さしづより外に理は無きもの。難しい中でもさしづの理で通る。人
間というは、その日その日の道しか無い。神が付けた道はころっと変
わった道」(24.5.8)
「皆千切れ/\である。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋
がれん。春風のようなそよ/\風の間は言う事は無い。神も勇んで守
護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり泥ぼこり立ち切っ
てある。この黒ほこり泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又守
護した処が、世界へどう見えるか」(30.2.1)
「元一つ鏡というは、内から言うのやあろうまい。世界から神の理を
見て鏡やしきと言うのや。鏡というは何処から何処まで分かるが鏡や
しき。聞かにゃ分からん事ではどうもならん。(中略)鏡曇らしては
どんならん。鏡やしきに曇りありては救ける事は出けん。しんが濁れ
ば傍が皆濁る」(22.7.31)



<心のテープ>(75号)『恐慌前夜』を読む
配信日:2009/1/8

 親しい人にすすめられて正月早々に副島(そえじま)隆彦氏の新著を
借りて読んだ。リーマン・ブラザーズが倒産する以前の9月に発行され
たのだが、その後の金融危機の様相が正確に予測されている。
 改めて思い知ったのは、仮に90%起こる可能性があっても、新聞やテ
レビなどのマスコミは起こってからでないと決して報道しないというこ
とだ。ニュースというのは、まさに新しく起こった物事の報道であり、
起こる前に報道することはないと承知しておくべきだろう。
 そういえば、63年前のことになるが、昭和20年8月15日の1日前に
戦争が終わることを知っていた国民は殆どいなかった。報道機関や政府
関係者は予め知っていたに違いないが、全く敗戦の情報は知らされなか
ったものだ。あの戦争は武力で植民地を争奪する勝負であったが、この
たびの金融戦争は、終わったあと勝者は世界中どこにもいない状態とい
えるだろう。
 
 著者によれば、「必然性の洞察」こそが人間の自由な意識のはたらき
であり、3年前5年前から近未来を予測した自著の内容には自信がある
という。このたびの世界的な金融危機もまた、一般にはまさか現実にな
るとは予想されていなかったし、何も準備されていなかったようだ。そ
れどころか、政治家や高級官僚の多くは、今もアメリカが損失を保証し
てくれると信じようとしているが、事態は決してそんなに甘くないとい
う。破綻したブッシュ大統領の政策(規制緩和や新自由主義)に無条件
に追従したのは小泉元首相や竹中平蔵大臣であったことも忘れてはなら
ない。
 2008年7月13日に行われたポールソン米財務長官の記者会見での発
表が金融危機の出発点となったことは明らかで、その直後の米財務省の
発表によれば、サブプライム・ローン200兆円に自動車ローン、クレジ
ットカードローンを併せると530兆円が焦げついていて、最悪の場合、
返済不能になる恐れがある、その内160兆円が外国の銀行が買い取って
いる、という仰天するような内容であった。さらにアメリカの全国民が
抱えている住宅ローン残高の総額は1300兆円というトテツもない数字
になっている。(いずれも円換算の数字で、ちなみに日本の一般会計国
家予算は80数兆円)
 外国が買い取った160兆円の内訳は、中国40、日本23(?)、サウ
ジ30、英国10(それぞれ兆円)と推定されている。日本の場合、農林
中央金庫5兆円超、三菱UFJ銀行3兆円超、日本生命2兆円といわれ
ている。
 上記の莫大な不良債権は二つの住宅公社が抱えているのだが、公社と
いってもアメリカの場合は私的企業に変わりはなく、政府が支援してい
るに過ぎない。事実、2007年春に66ドル前後であった2つの住宅公社
の株価は、1年後の昨年7月には僅か6ドルか4ドルまで下落してし
まっている。
 
 この本を読んで初めて、マスコミで頻繁に使われているサブプライム
とかデリバティブなどのカタカナの意味が少しは飲み込めたような気が
する。その意味をおさらいするつもりで整理してみると、
 サブプライム・ローンは日本の住宅ローンと全く違っている。アメリ
カの場合、ローンを返済できなくなれば、家から出て行きさえすれば債
務は消えてなくなる仕組みになっている。日本では一度契約した住宅ロ
ーンの残高は最後まで払い続けなければならない。
 では、支払われなくなったローンの損失は誰がかぶるのかといえば、
住宅公社がその債権を下取りして、それに高利の旨味を乗せて組み立て
直し、別の金融商品にして諸外国に売りつけていた、その正体が暴露さ
れて現在の金融危機を招いたという。
 わかりやすく言えば、米国でのバブルの正体は、預金のない階層に無
担保で住宅資金2000万円を融資して新築の家を買わせ、その家が4000
万円に高騰すると信じてきたことにあった。
 
 デリバティブとは派生物という意味で、元手が100万円あれば300倍
のレパレッジ(テコ)を利用して3億円の先物取引ができる仕組みであ
って、金融工学と呼ばれているが、言い換えれば金融バクチ、カジノ資
本主義というべきで、現在その取引残高は6700兆円という天文学的数字
になっていて、今やこの仕組みも崩壊に瀕している。
 著者の副島氏の説明によれば、人の生命の不確実性によるリスクをお
金に換算した生命保険が、あらゆる金融商品の原点になっている。つま
り、少ない掛金(元手)で高額の保険金を取引している点では同じだか
らである。但し生命は神の守護で成り立つ領分であるのに対して、金融
の仕組みは人工的で不完全なシステムであることは間違いない。
 
 とっくに実情を承知しておられる方にこんな説明するのはムダかも知
れないので、この辺でやめることにするが、最後に見逃すことのできな
い重要な事実がある。それは、米国議会が財務省の要求に応じて住宅ロ
ーン救済法(住宅金融支援法)を決議し、ブッシュ大統領が署名したこ
とで、この法律によって米財務省は無制限にドル紙幣を刷り続けること
が認められたのだ。
 米国自体が金融バクチで大損した結果、ドル紙幣を無制限に刷って担
保金を返済することになれば、まさに末期症状といわざるを得ない悪循
環に陥るに違いない。
 傲慢なアメリカは、この期に至っても「助けてほしい」と頭を下げよ
うとしない。その結果は、いずれ債務不履行(デフォルト)する以外に
なくなり、債権をすべてチャラにされることもあり得る、と著者は結論
している。
 
 すでに日本政府は、アメリカの主導で10年前から金融庁を設置し、優
秀な1300人のエリート職員を集めて将来の強制的な官僚統制システム
の準備を進めている。預金引出し制限とか預金封鎖などの応急措置は金
融庁の権限で決定される。いわば金融面での自由禁圧であり、違反すれ
ば警察が乗り出すことになる。
 最終的には全金融期間を国有化することもあり得るという。そうなる
と資本主義は終わりを迎えるだろう。今でも民間銀行や大企業に資本注
入しているのは、すでに資本主義のルールを破棄したに等しいのだ。
 お金に縁のない私にとっては、金融がどう規制されようと関係ない。
昭和20年の敗戦によって日本は戦争放棄したとすれば、それから63年
目に当たる平成20年の大節は、金融放棄というか、お金儲けの価値を
認めない新しい世界の始まりとなるのかも知れない。
 一般社会でも強欲資本主義の終焉とか、天からの鉄槌とか、天罰とか
言われている。100万円を1000万円に増やし、1000万円を1億円、さ
らに10億円に増やそうとするのが「欲にきりない泥水」の心に違いない。
 
「長らえての処分からん処よりだん/\通り来たる処、誠真実一つの理
はどのように潰そうと思うても、どないにも出けるものやない。よう悟
りて置け。真実誠天の理、天の理が潰れたというような事はない。何ぼ
潰しに掛かりても潰れるものやない」(23.5.26)
「善い事すれば善い理が回る、悪しきは悪しきの理が回る。善い事も切
りが無けねば、悪しき事も切りが無い。教会々々と言うて居るのは、世
上一寸始め掛けた道。教会は世上いくつもあるやろう。何も無き草深い
処から始めた道、俺が芯や\/と突っ張っても、頑張りても、どうもな
らん。理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば
返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。これ聞き分け」
                          (25.1.13)



<心のテープ>(76号)ブータン国王に拍手!
配信日:2009/1/15

 民放テレビにもタマにはタメになる番組がある。先日10日の夜9時
からの4ch<世界・ふしぎ発見1>で、テーマは「国民の95%が“幸せ”
イケメン王子が実現する理想国家」に拍手を贈りたくなった。ブータン
国王のように言行一致していれば、国民がみんな満足するのは当然だ。
とはいえ、そうした社会が実現するためには幾つもの条件が前提にな
るのは確かだが。
 
 第一にブータンは、チベット仏教を国教とする世界で唯一の独立国
ということだ。現在の王朝は約100年ほど前に成立し、現在は第5代
の国王が即位したばかりで、伝統文化を重んじながら緩やかに近代化
を進めているという。つまり、国民は輪廻転生を信じ、今も民族衣装
をまとっていると同時に、余程のお年寄りを除いて家族全員がケイタ
イ電話を持っている。
 とにかく国王が国民と一体になって溶け込んでいる。何かの祭典が
あって広場に民衆が集まり舞台の上には王座が設けられているのに、
その王座は空っぽで、王様は民衆の中に混じって一緒に坐っている。
何しろ第3代目の国王は、民衆の実態を知るために頭を金髪に染め黒
メガネをかけ、外国人になりすまして街の中へ変装して出掛けて行っ
たとか。
 
 昨年2008年には初めて憲法が制定され、二院制の議会から内閣を
選出する立憲君主制の国となった。首相が言うには「幸せとは、いま
自分の手にしていることで十分だと気づくことかも知れない」と。
 それに応じるように昨年王位についた第5代国王は「自分は支配者
のような振舞いは絶対にしない。時には国民の親代わりになり、兄弟
や息子にもなりたい」と宣言している。
 国民はみな王様や国に恩返ししたいと思っていて、農業を主とする
自給自足の生活に満足している。テレビ・キャスターがホームスティ
していた家族の様子からも、3世代が同居しながら和気あいあいの不
自由のない生活ぶりが窺えた。

 ブータンの経済ば、ヒマラヤ山脈の斜面を利用した水力発電によっ
て得た電力をインドに輸出することによって、国家予算がほぼ賄える
という。だから学費や医療費が全部タダというのだから羨ましい。
 ネットで検索すれば、ブータンはインドと中国に挟まれたヒマラヤ
山脈の南麓に位置し、ほぼ九州と同じ面積に人口約66万人と極めて少
ない。そのために余裕のある福祉予算と安定した生活が成り立ってい
るのかも知れない。
 凡そ100年前にイギリスから独立した当時の国王が代々続いていて、
国民から敬愛される善政を敷いている。議会があり内閣があっても国
王の発言権が大きい場合、国政が誤った方向に進む危険を正すことが
できる。
 日本の場合、象徴となった天皇には政治に影響力を与える発言権は
ない。かつてタイ国王も同じ立場で国政をリードしていたが、今では
国内の政治的混乱を収拾する力が減退したようだ。
 
 幸いにしてブータンは極めて親日的な関係にある。その原因の一つ
は、半世紀前からブータンに農業技術の指導に赴いた一技術者(西岡
京治氏)が農業の改善に尽くした功績が高く評価されていることにあ
る。また20年前から青年海外協力隊が派遣されている。ブータンから
の要請を受けて、昨年の春から半年の契約でサッカーの代表監督を日
本から派遣した。
 民族衣装は日本の着物によく似ているし、同じモンゴロイドに属す
るからか顔形も肌の色も日本人と見分けがつかないほどだ。
 
 なぜ私がブータン国王に拍手を贈るのかといえば、国王自身、国民
の「親代わり・兄弟・息子」と明言し、言葉通り信念を実行(言行一
致)しているからだ。国家に限らずあらゆる組織のトップは、ブータ
ン国王の爪のアカでも煎じて飲むべきではないか。
 わが天理教にも「理の親」という教語がある。その真意は、上に立
つ者が「親の代わり」「親の役」になる努力を望まれている神言に由
来するのだが、いずれにせよ教内の実情は、ブータン国王の言動と比
べて恥ずかしい限りといわざるを得ない。
 最後に念のため、道の上の親子・兄弟に関連する「おさしづ」の啓
示を再確認しておきたい。(手書き原典資料 第3部 神一条の道より)

「皆、親の代わりをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、
満足さして、元のぢばや親里やと言うて、満足さして帰るのやで。ど
んな事も談示して満足さすよう」(21.7.7)
「子が満足して親と言う。どんな事も、成らん処育てるが親の役。親
が腹を立ててはどうもならん」(31.11.13)
「親の役ならどんな事も被(かず)かにゃならん。善き事も被くが親
の役。心の運ぶ処 優しき心を運び掛け」(補遺24.1.8)
「遠慮気兼は要らん。すっきり要らん。遠慮気兼あってはどうもなら
ん。遠慮気兼あっては真の兄弟と言えるか」(24.11.15)
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指 噛んでも身に応えるやろ。
あちら起こしてこちらを倒そうという理あろまい」(32.12.27)



<心のテープ>(77号)オバマ大統領 就任
配信日:2009/1/22

 1月20日正午(日本時間21日午前2時)オバマ大統領(第44代・
47歳)の就任式がワシントンで行われた。首都ワシントンの人口60
万人を遥かに超える200万人が、−5℃の寒さのなか国会議事堂から
ポトマック河畔まで4キロの距離と幅500mの広場に集まった。その
広さは天安門広場の5倍はあるという。支持率84%(CNN調べ)
の熱狂的な人気と、5000台の監視カメラ、4万人の警備員による
ボディチェックに守られていた。ブッシュ政権の「負の遺産」とな
った経済危機と2つの戦争(イラクとアフガン)の真っ只中にある
アメリカ国民のオバマに対する熱気、期待、夢は際限なく膨らんで
いる。
 
 奴隷解放から145年目、初のアフリカ系(黒人)大統領でもある。
世界が注目する中でも、各国の黒人種の人々は拍手喝采を贈ってい
る。ある黒人の父親は「大きくなったら大統領になれるかも知れな
いよ」と子どもに言えるようになった、とインタビューに答えてい
た。
 オバマ氏は、自分が受け継いだ「多様性」に感謝すると語ってい
る。何故なら、父はケニアの留学生で、母はカンザス州生まれの白
人、その二人が大陸間の真ん中にあるハワイで出会いオバマ氏が生
まれたが、その後離婚し、インドネシア人と再婚した母と共に6歳
の彼はジャカルタでイスラム教徒の友達と同じ衣装を着て遊んた。
10代の後半になって祖父母の住むハワイに戻りハイスクールに入学
した。ハワイは人種的にも多様性に富んだ島であった。

 後に人権派弁護士となったオバマ氏は、シカゴ南部の貧民街にと
びこんで、住民の生活改善に関わる非営利団体の活動家として知ら
れる。
 1996年、彼はイリノイ州議会議員となり、2004年に合衆国上院
議員に当選して彗星のように国民の前に登場したのは、民主党全国
大会での基調講演であった。つまり、保守とリベラル、白人と黒人、
中南米系とアジア系、等々に分断されたアメリカではなく、あるの
はアメリカ合唱国だけだ、と力強く提唱した言葉が共感を呼び起こ
すことになった。
 
 さて20日、緊急の課題が山積する中での19分間の大統領就任演説
では、次のような節々が私の心に留まった。
「皆さんから与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が払った犠牲を
心に留めながら、ここに立っている」
「経済はひどく疲弊している。それは一部の者の強欲と無責任の結
果だが、私たちが全体として、困難な選択を行い新しい時代に備え
ることができなかった結果でもある」
「いま私たちに求められているのは、新たな責任の時代になるとい
うことだ」
「人はみな平等であり自由であり、充分な幸せを求める機会に値す
るという約束を神から与えられている」
「私たちは今日から自らを奮い立たせ、ほこりを払い落として、新
しいアメリカを創造する仕事を、もう一度始めよう」
「世界は変わった。我々も世界と共に変わらねばならない」
「最も難しい局面を乗り切るのは、堤防が決壊した時に見知らぬ人
を招き入れる親切心であり、友人が仕事を失うのを傍観するよりは
自分の就業時間を削減する労働者の無私の心だ」

 就任式を終わったオバマ大統領は頑丈な防弾装置を備えた特別車
でパレードに出発した。もちろん万全の警備がなされていたに違い
ないが、パレードの途中で二度車から降りて、ミシェル夫人と手を
つないで歩いた。その後も祝賀パーティは夜を徹して盛り上がった。
 
 一方、ブッシュ前大統領夫妻も途中まで同席していたが、その哀
れな姿はまことに対照的であった。最近の新聞には、ブッシュ任期
中の失敗・成功を数え上げ、成功したのは投げつけられた靴を避け
たことだけ、という冗談も公開されている。
 しかしオバマ大統領に対して、日本の論評の中には、手放しで祝
福できないとする意見も見受けられる。しょせんはアメリカの大統
領だから、自国の国益を優先するのは間違いないし、前政権が冒し
たイラク戦争の過ちを世界に謝罪する言葉は何も聞かれないと批判
する意見もある。
 また、問題はユダヤとの関係にもある。昨年末から正月にかけて
のイスラエルのガザ攻撃についてオバマ氏は、就任するまでは余計
な口を出さないと沈黙を守っていた。ところがイラクやアフガンに
ついては就任前でも自分の政策を語っている。ということは、オバ
マ就任に合わせてイスラエルが停戦するから口を出さないという密
約があったのではないか、と推測する意見もある。
 それにしても金融危機は何十兆円の財政支援を追加しても容易に
持ち直せる状況ではなく、現に就任式当日のニューヨーク株式市場
のダウ平均終値は8000ドル割れになっている。

 とはいえオバマ氏は、この未曾有の危機の時代には最適の大統領
に違いないし、そのオバマ氏を選んだアメリカの民主主義は死んで
いなかったと思いたい。
 しかもオバマ大統領は、政治に無関心な若者を巻き込んで、草の
根の運動を展開してゆくネットの活用術を心得ている。選挙の過程
でもネットを通して莫大な資金を集めたが、今も自身のホームペー
ジには1300万人の登録があり、ネットを通して意見を集め参加を募
ることもできる。大統領自身が You Tube を利用して動画で直接
民衆に語りかけることにしている。
 すでに困難な医療制度改革について、自主的にホームミーティン
グを開き、そこで発言のあった意見をメールで送信するように呼び
かけて、全米で8000回のミーティングが開かれたという。
 それにしても日本の政治家や麻生首相とのレベルの嵳はあまりに
も歴然としていて、情けなくなるのは私だけではないだろう。
 
 <<<予 告>>>
 メルマガ69号(2008.11.27配信)の中で、岩井氏についての私
(植田)の記述の中に不適切なミスがありましたので、岩井氏自身
がそれを訂正するだけでなく、その問題解決のために、さらに発展
させた一文を寄稿して<号外>として配信する予定になっておりま
す。しばらくお待ち下さい。(2009.1.22)



<心のテープ>(78号)1月大祭前後の記録
配信日:2009/1/29

 去る26日、教祖が現身をおかくしになってから123年目の1月大祭がつ
とめられた。
 1月にしては穏やかな天気で、おぢば周辺は大賑わいであった。一緒に
参拝したY氏に、私は余計なことを小声で言った「どんな神様信心でも不
況になると参拝客が増えるというからね」と。
 おやしきが善男善女で賑わうのは良い事だが、一歩天理市を離れると、
世の中は益々大変になっているようだ。誰にも先行きは読めない状況に違
いないが、最悪の場合を予想しておく必要があるだろう。といっても、私
は昭和20年の敗戦直後の状態しか知らないが、日本は武器で戦争したわけ
ではないから、戦時中と違って、今は空襲による破壊は免れている。それ
だけでも有難いと思わずにいられない。
 
 再び60数年前と同じ難儀不自由な状態に逆戻りする筈はないと思いたい
が、人間の都合のいいように歴史が進むとは限らない。「(神の)残念々
々現れたら、どうもならん日になる」という原典の神示もある。「上・高
山がままにする」(上に立つ少数者が横暴に大衆を支配する)ことが何よ
りの神の残念となり、その「かやし」として「胸の掃除」をするための大
変動が起こる刻限が到来する順序になっている。アメリカをはじめ世界中
で、神の残念が積み重なるような政治・経済情勢が広がっていることは間
違いない。
 
 私個人とすれば、大祭の前日25日に、一読者と初対面の時間を過ごすこ
とができて大いに喜んでいる。時間はゆっくり取れなかったので、お茶一
杯で2時間ほどねばったのだが、長男と同年輩に当たる娘を目の前にして
話しているような気楽な気分であった。
 これからの先行きも当然 話題に上ったが、例によって私は終戦後の難儀
不自由な時代をふりかえり、どんな困難な状況も、結果として陽気づくめ
の世の中に近づく過程となるのだから、先に不安や心配する必要はない、
という意味のことを話すばかりだった。
 昭和30年も厳しい不況の最中であったが、当時20代前半の純粋無垢(?)
な青年だった私は、東京都八王子市に間借りして布教の真似事をしていた。
初対面の読者の生まれる前のことだが、たまたま彼女の実家は八王子にあ
ったということで、その街のにをいがけに失敗した私は、手製の紙芝居を
自転車に積んで街角に停めては子供たちを集めたものだ。時間を潰すため
に小仏峠を越えて相模湖まで往復40キロを毎日のように歩いたのだが、月
2千円の送金で最低生活をやりくりした1年間が、いま想えば心身ともに
最も健康な一時期であった。
 
 また過去の話になってしまったが、私はこの2月10日の誕生日で喜寿
(77歳)を迎えることになる。歳を重ねるばかりで自分では目出度いと思
えないが、教祖ひながたを拝すると、同じ年に「おふでさき」第6号から
11号にかけて執筆されている最中であり、6月29日には「かんろだいのぢ
ば定め」が行われている。
 さらに3ヵ月後には、こかん様が39歳で出直されている。同じ年に増築
された中南の門屋に移られ、つとめの手を教えられた。
 前年の明治7年には大和神社の神官との問答や山村御殿への呼出しなど、
積極的に高山にをいがけに動き出されている。
 いずれにせよ、教祖ひながたの半ばにあたり、官憲の干渉による御苦労
はこれから始まろうとしている。もう歳だからと言ってはいられない。

 例年の通り26日の祭典が終わったのは丁度午後2時であった。それから
私は、市民会館の一室で開かれている「天理教平和の会」の月例会に参加
し、夕方5時まで同志とともに会報の編集や活動方針について談じ合った。
 その後は詰所へ戻り、Y氏ほか1名のようぼくと夜10時まで話す合い、
その晩は詰所で一泊した。夕食は市内のスーパーで夕方遅くから半額割引
になる寿司を買い出しに行くのが恒例になっている。食い気の報告で終わ
るのは恐縮の至りだが。
 
 最後に、正月二十六日に縁の深い「おさしづ」を拝読してページを閉じ
ることとしたい。
 明治22年3月10日、松村吉太郎三月六日のおさしづに「生涯の理も諭
そ」との事に付伺
「さあ/\最初初めというものは、難し処より始め掛け。さあ/\世界で
はもう取り払いや/\と言うた日も、幾度も幾度もある。又、取り消した、
又差し止めた事もある。さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め
掛けた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界
ろくぢに踏み均らしに出て始め掛けた理と、さあ/\取り払うと言われて
した理と、二つ合わせて理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるや
ろ、と。よく聞き分けてすれば、分からんやあろまい。世界ろくぢに踏み
均らしに出て居る。疑いもあろまい。なれど疑い心があるなれば、尋ねて
見よ。神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道の理を思案
して見よ。神は嘘と追従これ嫌い。……」



<心のテープ>(79号)ふと思いついた企画
配信日:2009/2/5

 ふと思いついたことを実行して、それが成ってくる理につながって、
よかったと思える結果になれば、これほど有難いことはない。
 昨年の秋、航空自衛隊トップの座にあった田母神氏が、太平洋戦争
を肯定する論文を発表して賛否両論の反響を呼んで解任された。その
田母神論文の反響ついては、メルマガ70号で批判的コメントを配信し
たことがある。
 その後、正月を迎えて数日経った頃、ふと思いついたことがある。
というのは、戦争を語りつぐ証言の取材に協力して頂いた高齢者に、
田母神論文を読んだ感想を募集する企画を立ててみてはどうか、と。
 憲法9条や戦争に関心の薄い方には申し訳ないが、実際にその企画
を実行した結果を報告することにしたい。
 
 まず田母神論文のコピーを20部作成し、18名の証言者を選んで企
画の主旨を説明した挨拶文を添付して発送した。在米一世二世を除い
て80名近くの証言者リストはあるのだが、実際に感想を送ってもらえ
る可能性のある高齢者は限られている。もちろんボランティアだから、
謝礼どころか切手代も自弁でお願いする他はない。
 半月後の1月20日〆切までに感想文を送って下さったのは8名の戦
争体験者の方々であった。昭和20年の終戦当時の立場はさまざまで、
特高憲兵あり、ソ連抑留者あり、特攻隊員あり、空襲の被害者あり、
中国戦線への従軍兵ありで、それぞれの思いを率直に書き綴って下さ
った。その原稿を編集して<特別企画=戦争を語りつぐ証言者による
田母神(元空幕長)論文の感想>というタイトルで1月末に戦争証言
サイトに公開することができた。
 
 話を最初に戻すと、おつとめの最中とか、朝目が覚めたとたんなど
に、ふと思いつくことは他にもある。その一つは、「原典おさしづ研
究会」の発足というアイディアだ。具体案はまだ出来ていないので、
発表するのは早いのだが、ここへ先に書き込むことで具体化に一歩前
進できるかも知れないので、あえて「おさしづ研究会」の企画を提案
したい。
 
 月に一度、天理市内の適当な場所を設定して、『おさしづに啓示さ
れた理の研究:全6部』をテキストに研究会を開く。テキストが手元
にある方は持参してもらい、テキストのない方には割引で購入して頂
く。天理市内のヤマト屋書店に「第一部 天の言葉」を委託して希望
者にお分けし、その中に「おさしづ研究会」の案内チラシを入れてお
く。または、天刻サイト内にUPしている「第一部」のコンテンツを
プリントして頂く方法もある。
 毎月の開催日は25日午後とするのが私としては一番都合をつけやす
い。
 天理市から遠い方は参加して頂けないとしても、毎回の大事な部分
を録音したテープ(またはCD)を希望者にお分けすることも可能だ
ろう。
 会費については、テキスト代のほかに1回500円と決めれば赤字に
はならないだろう。
 早まったかも知れないが、具体化するために何か名案があればお知
らせ下されば有難い。
 
 これは決して単なる思いつきではなく、「おさしづ」は私の出発点
であり終着駅でもあるからだ。第一部に筆写した「おさしづ」の節々
からも神意を悟りとることができる。
「さしづ無くしていかなる道も通れるか、通れんか」(22.10.7)
「さしづという、をやの代わり、をやの代理という理」(23.11.23)
「さしづというはこれまであれこれさしづしてある。なれど反故(ほ
うぐ=ゴミ)同様(放置されている)。(信心する者の心が)一つ緩
(ゆる)む二つ緩む。だんだん世界(の人々が)聞き分け(るように
なる)。相当なる(重要な)さしづ(を)選り分けてくれ、選り分け
てくれ。だんだんそれこれ選り集めるなら、一つ理(元一つの理)か
ら自由(じゅうよう)とさしづして置こう」(30.2.25)
「そら理や、こら理やと人間勝手の理、神の道に無き理を引き出すか
ら、治まらん。決まらん。そんな事では教えの理は説けやせんで」
                         (31.5,17)
「(本)席と言うて日々の処、事情を運び、それぞれ満足(の)理与
えるは、教祖存命の理も同じ事」(34.5.15)
「今、(本)席と言うたら教祖とは違うなれど、万事入り込んでの話
すれば、教祖一つの理も同じ事」(37.7.27)

 今また一つ思いついたことがある。明治時代に啓示された「おさし
づ」だけが総てではない。未来へ向けて教理を展開していかなければ
ならない。その踏み石として為すべきこともある。
 このメルマガを登録して下さっている読者は、小著『元の神・実の
神』の読者でもあり、手元に本を所蔵されている筈だから、その内容
の補足説明や解説をここで連載していくことも大事ではないか、と思
う。
 今年はどんな成ってくる理を見せて頂けるのか、先を楽しみにパソ
コンに向かい、今は筆を執る代わりにキーボードを叩き、マウスを動
かすことにしよう。それがボケ防止にもつながるだろうから。



<心のテープ>(号外)ドビルパン前フランス首相の発言(転載)
配信日:2009/2/9

 <戦争を語りつぐ証言ブログ>に書き込んだ一文を参考までに転載さ
せて頂きます。
 緊迫した世界情勢に関わる重要なテーマですので、よろしければ目を
通してみて下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 数日前の2月3日付朝日新聞朝刊に、フランス前首相へのインタビュー
記事が大きく掲載されていた。ド氏はアメリカのイラク開戦当時外相で
もあり、もともと作家、歴史家としても著名な人であることを初めて知
った。
 
 ドビルパン氏はまず現在の金融危機について、日本のバブル崩壊とは
違った前例のない規模の、あらゆる枠組みを揺るがす長期的な構造危機
であるとして、文明の転換期にさしかかっているという認識を示してい
る。
 さらに、5世紀にわたって欧米が支配してきた世界の権力秩序、特に
この10年間のブッシュ米政権による力の支配が、中国やインドなどの新
興国の台頭で根本的に変わりつつあり、新しい共存と秩序のために「正
義」の理念が必要だ、と提言している。
 
 イラク開戦当時、外相だったド氏は、米軍の攻撃に断固として「ノン」
を貫き通した。戦争は起こったが、フランスが反対したために国連が戦
争に同意しなかったことは、結果として国連の信用失墜を救ったことに
なる。
 米国のオバマ新大統領に対しては、「差別と格差を乗り越える力の象
徴」として「恐怖と困難に直面した時に人びとを結集する能力を持って
いる」と高く評価している。
 
 イラク戦争で日本が米国に追従したことについては、「政治的歴史的
に難しい日本の立場はよく理解していた」と答えながら「重要なのは、
当時の経験から教訓を引き出すことだ」と釘を刺すことも忘れなかった。
 
 超大国が単独行動する時代が終わった今、アジアは巨大な能力を備え
て浮上しようとしている。その中心に位置している日本の役割は極めて
重要であり、日本が中国と未来へ向けた関係を構築してリーダーシップ
を発揮することに期待している、という発言でインタビューは締めくく
られた。
 先見の明といい、優れた知性といい、日本の政治家にはカケラも見受
けられないドビルパン氏の期待に添えるには、よほど賢明な国民の政治
的選択が欠かせないと思わずにいられない。



<心のテープ>(80号)スギ花粉とエリート官僚
配信日:2009/2/12

 今年もまた花粉症の季節がやって来た。風と共にスギ花粉がまるで
噴煙のように飛び散るテレビ画面を観るたびに恐ろしくなるほどだ。
 東京では例年より10日早く花粉の飛散が始まっている。花粉症の季
節が巡ってくるごとに悩んでいる身内の者もいる。私はアレルギーに
は弱いほうだが、幸い花粉症はない。やはり杉の樹木の多少による地
域的な要因もあるのだろうか。大都会に住んでいても花粉症に罹るの
だから、スギ花粉はよほど遠くまで飛散するのに違いない。
 
 じつはスギ花粉がなぜ被害をもたらすことになったのか。それは自
然にそうなったのではなく、人為的に招き寄せた災害であることを知
ったのは、『クマと森と人』と題する日本熊森協会のパンフを読んだ
のがきっかけだった。そのパンフについては、小著『元の神・実の神』
24〜25ページに紹介している。
<林野庁による国有天然林破壊の歴史と現状」と題する資料によれば、
1950年代、日本国内の森林面積のうち原生林は38%を占めていたが、
戦後復興期の木材需要をまかなうため、林野庁の主導でスギ・ヒノキ
の人工林に改造され、2002年には11%まで減少し、原生林の71%が
失われたという恐るべき統計が示されています>
 
 つまり、原生林をスギとヒノキだけの人工林に改造したために、多
種多様の木の実や葉っぱや昆虫などの餌場を失った野生動物が森に住
めなくなった。餌を求めて畑へ出て来て射殺されるツキノワグマは、
人間から餌を奪われて被害を受けた側なのだ。熊森協会というのは、
クマが畑を荒らすようになった原因は人間の勝手な自然改造によるこ
とを告発し、クマを保護するための団体である。
 
 上記のように、建材の需要を予測し原生林を伐採してスギとヒノキ
だけの人工林に改造するという大掛かりな林野庁の計画は、結局、安
い外材の輸入によって全く採算が取れず失敗に終わった。その赤字を
埋めるために、さらに事業を拡大するという悪循環が続いている。
 要は、目先しか見えない人間の浅はかな知恵によって自然を改造す
れば、いかに厳しいしっぺ返しがあるかを、スギ花粉症の蔓延によっ
て思い知らされているのだ。
 
 そうした人工林改造計画を立案したのは誰かといえば、当時の農林
省から天下った林野庁のエリート官僚に違いない。しかし、官僚は誰
も失敗の責任を取らない。最近になって表面化した年金問題然り。一
昨年の建築基準法の改正によって確認申請が滞り、着工が大幅に遅れ
たため建築会社の倒産が増加しても知らぬ顔であった。
 官僚制度の特徴を挙げると、
1)一旦決定されたことは、途中で現実にマッチしないと分かっても
変更したり中止しない。前例のないことには手をつけない。
2)結果については一切責任を負わない。
3)タテ割り行政で、省庁間の連絡がなく、効率が悪い。別の省庁に
またがる問題は放置されるか、いつまで経っても解決しない。
4)書類さえ整っていれば、すべて良しとする形式主義。
5)明治以来「お上」と呼ばれ、大衆を差別する特権意識で固まって
いる。

 問題は、他の集団組織にもこのようなエリート官僚に類似した階層
が、官僚制度を手本として形成されることにある。その構造としては、
学歴が高く、秀才で、何らかの由緒のある家柄とか学閥・閨閥・姻戚
関係で繋がっている人間関係が背後にあることが多い。
 そうしたエリート階層の唯一の目的は立身出世であり、そのために
は他人を蹴落としたり、お世辞、追従、嘘は常套手段になっている。
 そうした人間関係を戒められた「おさしづ」が数々ある中で、次の
お諭しは問題の核心を突いている。このさしづを下された対象は世間
ではなく鏡やしきの内部に籍を置く人々への諭しであることを忘れて
はならない。
「互いに遠慮は要らん。遠慮は追しょう(ついしょう)になる。追し
ょうは嘘になる。嘘に追しょうは大ぼこりの台」(31.5.9)

 さらに次のおさしづには「追しょう」(ついしょう)という言葉が
10回も繰り返して出ている。本部や教会の内部にあって、この厳しい
諭しが過去のものであれば幸いだが、そう言える人はいるだろうか。
おさしづに反する言動は、あらゆる事情の元となることは間違いない。
「追しょうは濁りの台である。これをよく聞き分け。しっかり聞き分
け。どうなりこうなりと、だん/\年限(経ったと)思う中に、もう
(どうなる)やろうか、追しょう/\(という人間思案の)理(が)
重なる。めん/\心から(ほこりが)出る。めん/\心から出るから、
めん/\に(自分で)仕末せにゃならんで。このやしきは一つも(人
間思案は)要らん。追しょうは騒動の元、追しょうあればどうもなら
ん/\。追しょうの中に濁り心の迷わす理。めん/\潰れる台してる
ようなもの。追しょうはその場のもの。良い顔して追しょうから追し
ょう出る。皆(追しょうを)してる。息してる間は皆(追しょうを)
してる」(31.4.20)



<心のテープ>(81号)「つくし・はこび」の錯覚
配信日:2009/2/19

 教語(教理を表す語)の多くは「おさしづ」に由来している。例えば
「つくし・はこび」について『おさしづに啓示された理の研究:第五部』
には50節のおさしづ原文を収録しているが、その一つ「南海分教会事
情願」の一節には、次のような諭しを拝読できる。
「尽しただけの理、運んだだけの理、十分蒔いたる種であるから、皆蒔
いた種は、これから十分心寄り合うて、一つ大層なる理は、十分受け取
りてある。・・・道のため、これ運び合い尽し合い、互い/\である。
これから道作り上げて運ぶなら、見えて来る」(補遺30.3.18)

 当時、おさしづを伺うことができるのは、教長(現・真柱)、本部側
近とその家族、教会長および役員であって、一般ようぼく信者が伺いを
立てる機会がないのは当然であった。従って、おさしづに諭されている
のは、伺っている人自身が道の上に「つくし・はこび」することの大切
さであり、ようぼくや信者に「つくし・はこび」するように説教するた
めではない。
 しかも、上に挙げたおさしづに「運び合い尽し合い、互い/\である」
とあるように、決して一方的な通り方を説き聞かされているのでもない。
 それが何時の間にか、一方的に本部や教会など導く立場の者が導かれ
る人々に向かって説き聞かす教理に転嫁されるようになったのだ。これ
ほど都合のいい錯覚はない。
 
 一事が万事であって、他の教理についても、自分のためではなく相手
に説くためにあると錯覚している場合が多い。
 例えば、一れつ兄弟姉妹の教えを教外へ向けて叫びながら、教内にお
いて、系統が違ってもようぼく同士が兄弟姉妹の意識に徹しているかど
うか、自らの胸に問うているだろうか。
 陽気ぐらしの天理教と言いながら、日々上下の人間関係のストレスで
悩んだり、遠慮気兼ねや追従でごまかしたりしていないだろうか。
 おさしづの一節にも「白いものと言うて売っても、中開けて黒かった
らどうするぞ」(32.7.23)と諭されている。
 
 もう一つの錯覚は、にをいがけ・おたすけすれば、直ぐにでも相手が
「つくし・はこび」してくれるように思い込んでいることだ。少なくと
も「にをいがけ・おたすけ」に経費は掛からないし、自分から「つくし
・はこび」する必要はないと錯覚しているところがある。
 とくに上に立つ者は、末端の教会がもっとおたすけに熱心になりさえ
すれば、当然お供えも増える筈ではないか、と思い込んでいる。とすれ
ば、これほど現実に反する錯覚はない。
「にをいがけ・おたすけ」は「ひのきしん」と同様に報酬を求めること
は間違っているし、それこそ自分が相手に「つくし・はこび」を実行す
ることである。そのために時間や経費が掛かることは当然であろう。そ
れ故に「にをいがけ・おたすけ」すればするほど、自分が未信者に「つ
くし・はこび」する覚悟が肝要となる。
 
 今になって反省の念に駆られることがある。じつは、うちは有名無実
の事情教会として再出発したので、親先祖から二代目三代目の信仰を受
け継いでいるようぼくは殆どいなかった。
 そうした実情にあって、修養科生が次々に10人前後も修了した時期が
あった。最初に志願した難病の娘さんがご守護頂いたことから、母親が
喜んで志願し、その姿を目の当たりにした知人や紹介者が、北大阪や神
戸の方面から続いて修養科を志願したからであった。
 しかし当時の私は、入信したばかりのようぼくたちに自分が「つくし
・はこび」する気持ちが足りなかった。というより、上級の教会へ「つ
くし・はこび」するのが精いっぱいだったので、新しいようぼくの家を
訪ねたり家族と話したりする時間も経費もなかったのが実情であった。
 だからといって、修養科を出たばかりの相手に「つくし・はこび」を
望んでも通じるはずはなく、殆どのようぼくが道を離れてしまう結果に
なった。
 
 今にして「おさしづ」で諭されている神意が解けたような思いがして
いる。つまり、布教や修理・丹精を目的として行動するには時間も経費
も掛かるのだ。教会も何もなかった道の初期、先人たちは自らの仕事や
時間を布教のために「つくし・はこび」していたのであり、人に「つく
し・はこび」を説教していたのではなかった。その意味で、教会には時
間の余裕とともに自由に支出できる布教費がなければ動きがとれないの
だ。
 昨年の秋、「天理教の歴史と現実」と題する小論は、そうした私自身
の反省を土台としてまとめたのであった。
 
<追記>
 先日14日付の(号外)で「おさしづ研究会(仮称)準備会」のご案内
を配信しましたが、今日18日現在、読者の中で参加の連絡を頂いたのは
1名です。
 まだ当日まで先はありますが、もしご都合のよい方があれば連絡下さ
るのを期待しています。



<心のテープ>(号外)三六二五を尋ねる50余年の旅路  岩井 猛
配信日:2009/2/24

 =はじめに、ここまでのいきさつを=
 わが親友といえど、たとえ号外としてであっても、よその人の舞台に
私が登場するのですから、まず読者の皆様にご挨拶が必要かと存じます。
私は岩井 猛と申し78歳、植田氏とは、そうですねえ、大阪万博の何
年か前あたりからのおつき合いですかねえ。さて、予告を出してくれて
いるので、何事かと思われている方や、あるいはハハンやはりあそこか
な、と思われている方もおありでしょう。(予告は77号後段)
 メルマガ69号「系統を超えて40年つづく友情」の文章について、
植田氏が予め原稿を私に見せてくれていたら、当然のこと、その部分の
削除を依頼し、私がここにこんなに大仰に文章を載せることもなかった
でしょう。ひとことで言うと”ひょうたんからコマ”なのです。
 
 はじめにこういうことを書くのはどうかとも思いますが、今から50
年ほど前、私は教内で文書布教の父のごとく言われている米屋羊羹創業
者、天理教成田分教会長 諸岡長蔵(もろおか・ちょうぞう)氏の80歳
からの晩年の6年間ほど大層親しくおつき合い頂きました。おてがみな
ど百数十通いただいていますから。広池千九郎博士を全面的に支え、広
池博士が晩年興した団体から「モラロジーの母」のサイン入りの茶わん
を贈られた方でもあり、戦時中は戦闘機1機を献納するような人ですか
ら、晩年といえどそういう人とおつき合いがあったら、さぞ何か有難い
支援もあったのでないかと、これは誰でも推測すると思いますよ。
 
 それは正直いってありましたねえ。私が死んだら、えんま様の前に連
れ出されるかもしれない。
「おい、お前はあのお金をどう使ったか」「はあ、それは色いろ有難く
使わせて頂きましたが、しかしそれからあと植田義弘という人と出会い
まして長年交際し、とくに彼に支援が必要になった6.7年の間に、そ
れくらいのものは全部使ってしまいましたが……」
 えんま様は明細を記した過去帳をずっと眺めて「よし、まあいいだろ
う」ということになると思いますよ。そんな氏であるのに、いや、ある
いはそれだからこそ、氏も安心して、私のことを平気で書いてしまった
のだと思う。とにかく、うっかり子猫の尻尾を踏んでしまったのです。
私は今や平均寿命に近付いている身とはいえ、そのことはふれられたく
なかった部分なのです。インターネットに出されてしまうということが
どういう心理的影響を及ぼすものか、巷間伝えられるようなできごとの
片鱗を今回私も十分味わうことができたということです。
 
 私がパソコンを持っていないのに、どうして記事の内容を知ったのか、
ということも報告しなければなりませんね。あの記事が出てから3週間
くらい経って氏に電話したら、氏はびっくりしていましたね。「え? 
どこでどうして知ったの?」
 実は私には1年半ほど前から、インターネットをずっと色いろ検索し、
また書店で色いろ調べて、私に役立ちそうな情報や資料・書籍などを送
ってくれる人が現れているのです。いわばサーチライトの役目です。戦
時中サーチライト(探照灯)と言って、夜の空を敵機を追ってサーチラ
イトの長い光芒が何本も空をうごめくのを見たことがあります。それに
つかまって何本か交叉されると、次に高射砲でドカンと撃ち落とされる
わけです。そのサーチライト役の人が期せずして今現れている。勿論私
が世界の立て替え立て直しうんぬんのことを子猫の身をかえりみず元気
にやっていることを承知の上でのことです。全く頼んだわけでもないの
に自主的に買って出てくれている。その人から電話があった。「岩井さ
んとの友情のことを書いた文が出ている。送りましょうか」友情のこと
なら別に何の問題もないだろうと思い「次に何か送ってくれる時でいい
ですよ」そして3週間後に私が初めて知ったということです。
 
 あっ、遅くなりました。メルマガ<心のテープ>(69号)の文中、
23行目の私の入信の動機にふれたところです。「失恋のためノイローゼ
になった」とあるのです。
 誰でも容易に気付くと思いますが、この場所で私の入信の時のことな
どふれる必要は全くないのです。氏はそのあと続いて「これを書いても
迷惑にならないだろう」と書いてありますから、いくらか迷惑が掛かる
かもしれないという認識はあったことになりますね。急いで文を仕上げ
ねばならないから、うっかり通過してしまったのでしょう。しかし消す
のは大変。いいえ、もう一度出たものは絶対に消えないのです。
 
 何十年という長いつき合いの中で、入信の動機を尋ねられたことが確
か一回あったと私も記憶します。まさか、そんな内容が人にもらされる
とは思わないから、自分の過去のことは、茶化し気味に、やや大げさに、
しかし本音もまじえてそんな風に言う場合というのが誰にだってあるじ
ゃありませんか。失恋というのもいやだし、ノイローゼといわれるのも
面白くありませんね。
 次に会った時、「私は4月の団参から信仰が始まったんですよ」と言
うと、氏はちょっとびっくりしていたから、やっぱりちょっと勘違いし
ていたのだと思う。昭和28年4月の入信当時もその後も教会関係者にそ
ういうことは一切知らせていないから、当時「身上・事情なく入信する
人は大変珍しい。こういうのは理上(?)というのだろう」などとうわ
さされ、私はそれをそのままにしておいたのです。今でも私は所属教会
のみでなく、その上級(約40カ所の部内をもつ)でも月次祭におつとめ
着をつけて鳴物だけにですが奉仕に出ている、こんなのは私一人だけな
のです。
 
 世界の立て直しなどと、氏の表現では「途方もない」運動も推進して
いる。だからたとえほんの少しでもイメージを傷つけてほしくなかった
のです。─と、まァつまらん話をいっぱい書いてしまったものですね。
しかし、そうやって十代の傷つきやすい若者のように心を動揺させつつ
十日間ほど過ごすうちに、ある時パッと気づいた。あっ、これは氏のミ
スでなく、神意がうしろにあるかもしれない。三六二五のこれまでの過
程を、ここで出すようにというチャンスかもしれない。
 三六二五は「おふでさき」の中で何か最も重大な秘密を含んだ箇所。
これを教内で一番深く追求しているのは、どうもやはりこの私。しかし
年令すでに平均寿命に達し、これから先、私はどうなるのか、三六二五
がどうなるのか、私に続く(?)人たちに少なくともこの段階で今まで
に知り得た情報は残しておかねばならんのではないか、などと考えるに
至ったのです。
 
 そういうわけでこの文章をもっと続けますが、氏はそういう性質のも
のならここでなく「三千世界立て直し」サイトに出した方がいいのでは
ないか、と言われたが、しかしやはりこれはあまり多くの人が見ない所
の方がよい、このメルマガはその点ちょうどよいと思うに至ったのです。
 今回一度に載せきれないので、続きものになりますが、号外の続きも
のなど、かつて聞いたことはないし、入力するしには大層ご厄介なこと
ですが、よろしくお願い申し上げます。
 次の小題は「三六二五と三人の女性たち」です。
 もうこうなったら、"毒 喰わば皿まで " です。



<心のテープ>(82号)準備会の報告
配信日:2009/2/26

 木曜日(配信日)の夜になってしまった。昨日の準備会を終わった
あと、詰所に直行して一泊し、今日は本部月次祭に参拝したあと、市
民会館での「天理教平和の会」月例会に出席し、夕方遅く帰ってきた。
というわけで、昨日の報告をしたいのだが、まだ落ち着かない状態な
ので事情ご了解を願いたい。
 昨日の準備会には私を入れて8名の出席者があった。初対面の方は
1名だけであった。参加者の立場は様々だが、道を求める熱心さは共
通しているとお見受けした。岩井氏も出席してくれた。
 当日参加する気持ちがありながら諸種の都合でおいで頂けなかった
方々からも、それぞれの事情をメールでお知らせ下さった。中には遥
か外国のカナダから26日におぢばへ到着するために一日違いで参加
できないので、到着後に連絡して面談したいとのメールも頂いた。
 
 参加者各々の自己紹介のあと私は、手書き資料作成の経緯と、おさ
しづを拝読する意義と目的を説明した。おさしづを拝読する功徳は長
生きできることにある、と私は申したかった。おさしづを無心に拝読
していると、無限の神意が心に浸透し、心が広がっていく。すると、
知らぬ間につまらない人間思案はどこかへ雲消霧散し、心身ともに親
心の世界に参入できるからだ。
 これは単に観念的な願望ではなく、おさしづを拝読することによっ
て80歳90歳になっても健在の方々を直接間接に数多く知っている。
 
 来月25日、同じ会場で第一回の研究会を開くことに決まったので、
いずれ細部の要項をご案内したいと予定している。
 今はこれ以上まとまらないので、いずれ次号で要点の続きを報告す
ることにしたい。



<心のテープ>(83号)「おくりびと」の心境
配信日:2009/3/5

「おくりびと」というアカデミー外国語特別賞を受けた題名を勝手に使っ
たが、映画はまだ観ていないことを先にお断りしておきたい。
 じつは昨年の12月から今年2月にかけて、身近な方々が4人も逝去し
た。
 プライバシーもあるので詳しい個人情報にふれるわけにはいかないが、
その中で80才になる男女お二人と60代の女性はいずれも、身体の部位は
異なるが病名はガンであり、もうお一人はつい10日ほど前に急逝した61
才の知人(男性)で脳梗塞が原因であった。
 
 60代の女性は毎月おつとめ奉仕して下さるようぼくの姉さんで、北海道
在住のため一度詰所でお会いしただけの縁だが、脳腫瘍の手術は成功した
ものの主治医から後3ヵ月の命と宣告されながら、1年近く家族の手厚い
看護を受けていた。が、妹にあたるようぼくから葉書が届いて亡くなった
ことを知った。その葉書には、神様の掌の上に乗って五彩の雲に向かいな
がら、片手を挙げて笑顔で別れの挨拶をしている姉の姿が描かれていた。
その絵に添えて、
「喪中につき 新年のご挨拶を失礼いたします
 仲良しの姉が十二月十六日に旅立ちました」と書かれていて、最後に、
「この一年、沢山のご心配いただきました
 心よりお礼申し上げます
 安らかで美しい顔で逝きました」
 と記されていた。お住まいが遠いこともあり、何もお役に立てなかっ
たのだが、その絵と文字に、私は救われた思いがした。
 
 別席運び中だった80歳の高齢者の方は、どこが悪いのかと思うほど苦
痛はないまま、この年まで生かしてもらったら十分と、手術も断って自
宅療養中で、一刻前まで話をしていて、家族が安心して買い物に出掛け
ている間に迎え取りになった。
 
 もうお一人の80歳の女性は同じ町内会で、親しくおつき合いしていた
他系統のようぼくだったが、やはり手術後1年の命と宣告されながら足
掛け6年生き長らえて、ご主人は病院の個室に泊まり込んで看護を続け
て、遺体の枕元に飾る遺影まで気に入った写真を自分で指定して亡くな
った。やはり本人も家族も覚悟の上であった。
 
 今年2月下旬亡くなった61歳の知人男性の場合だけは全く突然の死で
あった。脳幹といわれる頭の中心部の血管の異常であったから医師も手
の施しようがなかったという。初めは軽い症状だったので、救急車で入
院した時は歩行もできたそうだが、それから3日後に病状が急変した。
 出直してから知らせを受けたので、入院直後になぜ知らせてくれなか
ったのかと遺族に問い質したほどで、みんなが嘆き悲しんでいる最中に
失礼なことを言ってしまったが、生前におさづけを取り次げなかったこ
とが残念でならなかった。
 
 私個人の知人について惜別の記事を書く必要はないのに、と思われる
かも知れないが、私としては一つだけ救いを感じていることを伝えたい
のだ。というのは、4人が4人とも、死顔がほんとうに奇麗で穏やかだ
ったことである。そのうちのお一人の場合など「生きてる時よりいい顔
されてますね……」と、つい失礼な言葉を口に出したほどであった。
 
 数多くの身上伺いさしづの中から、今生での回復は難しく出直しを予
告された一例を、手書き資料第五部から転写しておくこととする。
 明治37年12月31日 増田亀治郎36才身上願
「……尽した理は将来末代という理である。人間というは、一代と思う
から頼り無い。理は末代の理。これをよう聞き分けて、しっかり治めて
くれ。尽した理は、将来末代の理に受け取りてある。理 消えやせん程に。
理は十分の理である。これを楽しんで、一代の理に悔しいと思うやない。
これをよう聞き分け。人間というは、早い者もあれば遅い者もある。ど
んな者もある。これを聞き分けて心に満足せい。たんのうが第一である。
これを前生いんねんのさんげという。……」
  
 最後に、今生で御縁のあった故人の冥福をお祈りするとともに、気を
とり直して前向きに進みたいと思う。「おさしづ研究会」の案内は近日
中に配信します。



<心のテープ>(83号)訂正です。
配信日:2009/3/5

 今朝ほど配信しました「おくりびとの心境」の終わりに、出直しを予告さ
れた身上伺いさしづの一例を転写しましたが、その出典を
「手書き資料 第五部」と記しましたのは
「第六部 身上・事情」
の誤りでした。お詫びして訂正いたします。
(第五部の主題は「天の理・心の理」です)



<心のテープ>(85号)映画「おくりびと」を観たあとで
配信日:2009/3/19

 14日の土曜日、車で30分の近鉄八木駅前にある映画館へ評判の
「おくりびと」を観に行った。その橿原シネマアークという映画館
は、4月末で10年間続いた営業の幕を閉じるという。時代の流れ
を感じさせられる事柄だが、観客は中年以後の熟年層が多かったの
は当然といえば当然かも知れない。メルマガ(83号)で映画のタイ
トルを借用した以上、観賞しなければ申し訳ない気持ちもあった。
 
 主演・木本雅弘の生真面目な性格そのままの好演、納棺会社(?)
の社長を演じる山崎努の円熟した演技などに支えられて、この特異
な題材の映画化が成功したと言ってもいいだろう。一つ間違うと
「遺体」や「遺族」を冒涜する結果にもなりかねないところだから。
 それにしても葬儀屋さんから委託を受ける納棺会社と「納棺師
(夫)」という職業があることは初耳であった。昔は家族の誰かが
遺体を拭いたり化粧したり着替えさせたりして、みんなで納棺する
のが普通であったのだが、今はそれも第三者に委託する場合が多い
のだろうか。
 
 この映画の成功にはわけがある。納棺という特異な場面を撮影し
ただけではなく、主人公の納棺師(夫)が、解散したクラシック楽
団の元チェリストだったこともさることながら、彼の父親が幼い頃
不倫のため家出したまま生死不明で、すでに亡くなった母親の手一
つで育てられた彼が父を激しく憎んでいること、納棺会社の社長は
妻の死を経験し、事務員も子供を捨てて家出していることなど、ド
ラマを演じる人物が生死に関わるトラウマの持ち主であることが前
提になっていると思われる。
 そうした人間関係が最後に意外な結末を迎えるのだが、その筋書
きははぶくとして、現在の社会で無差別殺人が多発する原因の一つ
は、遺体を目前にした家族の嘆き悲しみを経験していないことにあ
るとすれば、この映画は熟年者よりも若年層が鑑賞するべきかも知
れない。
 
 生死に関わる私の経験について申せば、小学生の頃、2人の兄の
結核による死を経験している。上の兄の死の直前には、衰弱した体
の負担になる重みを防ぐために掛け布団が天井からヒモで吊るして
あった病床を覚えている。
 2人の兄は共に19歳であったから、自分も同じ19歳になれば
死ぬ運命ではないかと真剣に恐れと焦りを感じたものであった。
 一方、戦争が拡大し、ついに敗戦を迎えた中学生の頃には、青春
の夢を残したまま死を迎えた兄を思い出すたびに、悲惨な戦場での
死を免れたことに、せめてもの慰めを感じるとともに、兄の分まで
生きなければと密かに心に決めていた。

 その後、映画の原本となった「納棺夫日記」の著者・青木新門氏
が先月27日「一れつきょうだい推進研修会」で「いのちのバトンタ
ッチ」と題して講演した要旨が天理時報に掲載されていたのには驚
いた。いまや納棺師は有名になり、就職を希望する者が押しかけて
いるという。
 青木講師の話によれば、大学を中退して経営していた店も潰した
頃に新聞の求人欄を見て、それとは知らず就職したのが葬儀社だっ
たという。やはり昔はお棺を届けるだけで、遺体をきれいに拭く湯
灌(ゆかん)や衣替えをした後の納棺などの作業は親族の役目であ
った。ある時、親族があまりにひどいやり方で遺体を扱っているの
を見て、アドバイスしたのが始まりで、あちこちから依頼を受ける
ようになり「納棺専従社員」になった。その仕事をしていることが
知れると、親戚からは白い目で見られ、親戚つき合いも拒否された。
 
 青木氏が納棺の仕事に誇りをもって続ける気になった理由の一つ
は、かつて自分を蔑んで罵倒した叔父が床につき、死の直前に見舞
った時、はじめて柔和な顔で涙を流して「ありがとう」とつぶやい
た場面を体験したことにあった。
「それからというもの、仕事で納棺に行くと、亡くなった方の顔が
気になった。ほどんどの方は、清らかで安らかな表情をしておられ
た。そのことに気づいてからは、死者に対して親近感さえ抱くよう
になった。(中略)死者は皆、あらゆるものが輝いて見える世界へ
と旅立っていく。私はそのお手伝いをしているのだ。旅立ちのため
の、精いっぱいの装いをさせて頂いているのだと思った」
 死の瞬間の心境が顔に表れるとすれば、死後の化粧をしてもらう
前にどんな表情で息を引き取るかが一大事になる。
 
 青木氏はまた、今の世の中から「死の現場」が失われていくこと
を危惧していると語っている。どれだけ憎み合っている同士でも、
相手の死ぬ瞬間に居合わせば、和解できる筈ではないかという。
「いのちのバトンタッチ」をする瞬間には、いのちの尊厳にめざめ、
みんなが「ありがとう」と言い合う気持ちになれるからだ。
 
 一般に人は死と向き合うより、いろいろな夢の雪だるまで死の実
像を覆い隠そうとするものだ。その夢が溶けて消えた時、必ず死は
顔を出す。とすれば、欲望に汚れた夢、他人と奪い合って手に入れ
た夢よりも、神様が微笑んで受け取って下さる夢を抱いて死の床に
つきたいと思わずにはいられない。あの世に金品は持って行けない
が、道のために尽し運んだ理は受け取って頂けることが保障されて
いるのだから。
 ここでもう一度、出直しを予告されているおさしづの一節を読み
返したい。
 
 明治37年12月31日 増田亀治郎36才身上願
「……尽した理は将来末代という理である。人間というは、一代と
思うから頼り無い。理は末代の理。これをよう聞き分けて、しっか
り治めてくれ。尽した理は、将来末代の理に受け取りてある。理
消えやせん程に。理は十分の理である。これを楽しんで、一代の理
に悔しいと思うやない。これをよう聞き分け。人間というは、早い
者もあれば遅い者もある。どんな者もある。これを聞き分けて心に
満足せい。たんのうが第一である。これを前生いんねんのさんげと
いう。……」



<心のテープ>(86号)「天理時報」半額キャンペーン
配信日:2009/3/26

<時報普及キャンペーン/新規購読 半年1千円に値引き/2月末から
8月末まで>
 天理時報一面に大きく出ていた見出しに私は目を見張った。それには
2つの理由がある。
 一つは、1千円で半年購読できるのなら、この機会に今まで時報購読
を勧めたいと思っていたようぼく、および毎月の時報をまとめてメール
便で送っていたようぼく、そうした人々に自分で購読申込みの手続きを
するように連絡したいと思った。
 
 その半面、これはいよいよ窮余の一策ではないかと、少々寂しい思い
になった。昨年、大阪教区の教友から時報の発行部数は12万部前後と
聞いたことがある。これは読者大会の折の質問に道友社の社員が答えた
数だから間違いはないとのことだった。

 よくよく考えてみると、半年2千円の定価で購読していない人が、そ
の半額なら購読するというのは、本当の読者といえるのだろうか。
 第一、半額になる期間の新規購読者数がどれだけ増加するのか、見通
しはあるのだろうか。半年過ぎても継続して購読するかどうか、その見
通しはあるのだろうか。

 もし半額に割引しても20%か30%しか増えないという結果が出た
ら、どうするのだろう。それでも成果があったと満足できるのだろうか。
30%なら3万6千部だから、合計15万6千部になる。その数字は、
現在の教勢が危機的な状態にあることを明示することになるのではない
か。
 
 時報の手配り運動にしても、企画するのが20年遅すぎる。軒並みに
購読者が密集しているのならまだしも、全国に散在する12万部の新聞
を手配りするための時間と労力の効率が悪いのは当然だ。離れた支部か
ら自宅へ手配りしてもらった人が、こんな遠方まで手間ひまかけては申
し訳ないと購読を中止したという笑えない話もある。
 
 余計なことを心配しないでも、勧めたい人があれば1部でも2部でも
増やす努力さえすればいい、と言われるかも知れない。それが素直で真
っ当な受け取り方とすれば、私のような読者はひねくれているのだろう。
 とにかく半年後の結果を楽しみに待つことにして、布教伝道に関連あ
るおさしづの一節を、自戒の念をこめて拝読したい。
 
「一時のにをいというは、消え易きもの。深き事情、心の理というは、
いついつまでのにをいという。この事情聞き分け。一時の道を通るとい
う、新しいにをいという。付けたにをいやからさめ易い」(25.7.4刻限)
「皆々実々の奔走すれば世界開けるやろう。どんな難しい処も連れて通
りた、連れて渡した。もう一段の処で、大きな話に成ろうが、これ一つ
話難しい。難しいと言えばどういう事と思う。物が中に入りたる間は蓋
を開けたら分かる。中に何も無いようになれば何も分かろうまい。傍
(はた)の分からぬものは、世界分からぬのは当り前。・・・」
                        (27.3.4 刻限)
「言葉はその場だけのもの。言葉の理を拵えてこそ八方である」
                          (37.11.2)
「道というものは、成程という理 持たにゃならん」  (37.12.14)

 天理時報はともかく、25日の第1回おさしづ研究会の報告をしなけ
ればならないが、25・26日は身体が二つあっても足りないので、あまり
時間の余裕はない。
 参加者は7名。先月より2名減ったが、1名は初めての方であった。
他に2名、参加を期待していた方があったが顔が見えなかった。相変わ
らず女性は0。会場の別名は「男女共同参画プラザ」というのだが、そ
の目的に合致しないことは残念だが、熱心にねり合いして、3時間は知
らぬ間に過ぎた。
 会の発言内容の要点については、先に案内の通り、音声ファイルに保
存・編集して、いずれお目に、ではなく、お声にかける予定になってい
るので期待して頂きたい。



<心のテープ>(号外)三六二五を尋ねる50余年の旅路(つづき)=岩井 猛
配信日:2009/3/29

(その2)三六二五と三人の女性たち

 三六二五の暗号に近付くため前書きの必要もあるので、はじめに少し
「確率」の話をします。私は30年間、中学生に英語・数学を教えまし
たが、確率は3年生の数学に出てきます。
 たとえばサイコロを振って3の目が出る確率は6分の1です。次に3
の目が2回続けて出る確率は6分の1×6分の1で、つまり36回に1
回はそうなります。3の目が3回続けて出る確率は216回に1回、4回
続けて出る確率となると1296回に1回です。回数を増やして実験すれば
するほど、その確率の理論通りになります。
 サイコロでは造りの出来具合と、また人の手による振り方によって多
少不正確なので、そういうひずみが全くない方法で、昔 私は2日間かけ
て実験したことがあります。
 私の友人の電機店を営んでいる人の制作で、交流の電気をつないだり
切ったりするモールス信号機のような簡単な装置ですが、押した瞬間に
プラスが出るかマイナスが出るか針が揺れるのを見て記録していきます。
 電気は関西方面では60サイクルですから1秒間に60回もプラスと
マイナスの間を海の波のような形で往き来しています。信号機を指で押
してプラスが出る確率は2分の1です。2度続けてプラスが出る確率は
4分の1となり、3度続けてプラスが出る確率は2分の1×2分の1×
2分の1で8分の1となります。4度続けては16分の1、5度続けては
32分の1。
 まあ、こういうのを2日間かけて飽きもせずに何千回もやって結果を
記録してゆきました。毎回プラスとマイナスとがムチャクチャに出て
くるのですが、あとで結果を整理してみると、ほとんど正確に確率の理
論通りになっていたので、びっくりしたことがあります。
 これが人間の世界では、たとえば交通事故など誰も遭いたくなく注意
しているつもりなのに、毎年交通事故死者の数が日本全体ではほとんど
変わらず同じような数字が出てくることにより、統計というか確率の不
思議さには誰でも気付いているところでしょう。
 
 さて本題に入ります。まず三六二五のことですが、これは「おふでさ
き」17号1711首の中のどこに出てくるか探そうとして天理教の信者に
聞いてごらんなさい。「三六二五は聞いたような気がするが、はて、ど
こかな」と大抵の人が答えると思いますよ。ふだんあまり注意していな
いから、つまり無関心だからそうなるのです。
 これが暗号たるゆえんかもしれませんが、どうも神さまは、ここにも
ちょっと仕掛けをしてあるような気がします。三六二五の通りに本を開
いてゆけば、すぐ出てくるのです。先ず第三号ですから17分の1に手間
が省けますね。次に62番をあけると隣に並んでいます。きっちり62番に
すると、いかにもわざとらしいので、ちょっとだけはずしたのでしょう。
きっちりなら100分の1、隣りだから30分の1に減じて、17分の1×30
分の1で約500分の1、となります。
「おふでさき」のこの位置にあるのは偶然だ、と主張してもよろしいが、
そういう主張は500でいえば499、つまりほとんど不自然なのです。ど
うも神さまは意識してわざとこの位置に入れたのでないかと考える方が、
500の内499、つまりおおかた自然というか確かなのです。
 人間なんて偶然に出来たのだ、と荒っぽい議論をする人がありますが、
人間の目、鼻、口、手足など、こんな便利なものが、この何もなかった
天地の中で偶然に出来上がった、蝶が軽ろやかに飛ぶ羽根の仕掛けも、
ただの偶然で出来たものだとする考え方も、それはそういう考え方も許
されはしますが、しかし無理は無理、10億であれば9億9千9百 あと
は算用数字で999,999 あとは小数点以下の数字の9が限りなく並んで
不自然である、と確率の理論からはそうなるのです。
 
 確率の理論はこの辺にしましょう。そんな理屈はどうでもいいから三
人の女性はどうなったのか早く出せ、と読者の誰でも感じる頃でしょう。
それがどうしてわかるかというと、人間は大体みな同じように作られて
いるので、自分の心の中を覗いてみたら他人の気持ちがわかるからです。
「三六二五と三人の女性たち」などと変な題名をつけているが、大体そ
の三人とも三六二五など全然意識してないんじゃないの? と鋭い読者
はすでにお見通しかもしれませんね。その通りです。ところがです。そ
の三人の中の一人が証拠に残したものが厳存している。今はやりの検察
当局なら大喜びで(ちなみに今、政界の大物の秘書が調べられています
が)その証拠物件を押収すると思いますよ。その証拠、それはたった一
枚の小さな写真ですが、その中に三六二五が確かにちゃんと含まれてい
るのです。そしてその証拠物件が確保されるような条件を作り出すため
には、どうしてもあとの二人の女性も必要だったのです。つまり一段二
段と積み上がって、三段目の女性の手が三六二五に届いた恰好です。
 でも、果たしてそうなのかどうか、読者の方にも冷静に、時にはいく
らかの同情もまじえて検証して頂きましょう。いま国民みんなでバイシ
ンインになる制度がもうすぐどう、とかいうじゃありませんか。つまり
私の言いたいことはこうです。神は私に三六二五の暗号の解読と、或い
は鍵の一部を預けているのだろうか、鍵は何重にもなっていて、一つで
は開かないかもしれないとすると、ここまで知った人が次の鍵を探して
くれるかもしれない。神さまは三人の女性を土台にして私の心をきびし
く仕込み、この暗号を解くための用木(ようぼく=陽気づくめの世界ふ
しんの用材)に使おうとしているのだろうか。
 
 遅くなりましたが、三六二五の一首をここに掲げます。
 しかときけ三六二五のくれやいに    三号ー64
 むねのそふぢを神がするぞや  
 これは人類全体に対する何か重大なお知らせなのです。そのことにつ
いては また別に書きます。
 最後になりましたが、天理教の組織の中心的な立場、常に公の発言し
かできない立場においては、この一首を「タブー」として「おふでさき」
の解説書以上の説明は一切しないことにしているそうで、これは確かな
筋から洩れ聞いているので、そのことに間違いないと思います。そして
それは極めて賢明であり、他に方法はないだろうと思われます。
                         (21.3.26記)
(つづく)



<心のテープ>(87号)独り暮らしの記
配信日:2009/4/2

 じつは昨年の秋と同じ状況になり、3月下旬まで1ヵ月近く独り暮ら
しをしていた。家人が東京にいる息子のマンションへ子守りその他の用
事があって上京していたからだ。
 今回は慣れるのが早かったにしても、やはり最初の数日は、風船がし
ぼむように気が抜けて何も手につかなかった。しかし、もし病気で長期
入院していることを思えば有難いと思うように自分に言い聞かせること
にした。さらに、もし病気で出直したのなら二度と帰って来ないと思う
と、感謝する気持ちになることができた。実際、去年の暮れに伴侶を亡
くした知人の心境を推量するだけでもお気の毒だから。
 とにかくメルマガの配信、サイトの更新、メールの送受信、読書、お
たすけ等々、次々ひのきしんや用事があるので、不便とか寂しいとか言
っていられない日々であった。
 
 独りになった翌日、野菜を刻んでいて包丁で親指を切った。早い目に
失敗したから、その後は注意を怠らないようにした。
 インスタントラーメンや冷凍食品も買い込んだ。カップメンではなく
袋包みのラーメンなら5食分で200円、1食分40円で済むのだから安い
ものだ。ネギや白菜は菜園に植えてあるから用が足りる。冷凍室を探す
と、正月の残り物も色々あった。
 ただ、二度と買わないと決心したのが冷凍食品だ。というのは、1分
間余り電子レンジにかけるだけで食べられる揚げ物のおかずは、包装に
は美味しそうな写真が印刷されているのだが、袋を開けると得体の知れ
ない小さな固まりが数個入っていて、後味がわるく胃にもたれて御飯を
口にする気にならないからだ。たしかに弁当のおかずには便利かも知れ
ないが、安くて早く調理できても、まずくては価値がないと言わざるを
得ない。
 
 自分で食材を用意して作ったおかずで一番美味しかったのは、何とい
ってもブリのカマ(腹身のアラ)と大根の煮付けに勝るものはない。油
の乗った味が大根に滲みて、こんな旨いものはない。
 それから一番簡単なおかずとしては、サバのカン詰の上を行く食品は
ない。とくにみそ煮や梅シソ煮が美味しい。1カン100円前後で1食分
のおかずになるのだから大助かりというものだ。
 
 良く言えば節約、悪く言えばケチケチした食生活の話になったが、こ
れには訳がある。
 日本で一番人気のあるブログは、何と言ってもアクセス数が延べ7989
万人、もう少しで8千万人に達する「きっこの日記」に違いないが、き
っこさんと私は、面識こそないがネット識(?)はある。彼女は庶民的
で戦争嫌いの平和主義者なので、私が管理・更新している戦争証言サイ
トの読者でもあり、今まで数回にわたってブログで紹介してくれた。お
かげでその度ごとに一夜にして7千人とか1万人とかアクセス数がアッ
プした。
 彼女は数年前から私のことを「75才の管理人さん」と呼んでいる。た
だ神様あるいは宗教を信じていないらしいので、それだけが「玉に傷」
と思っている。
 その「きっこの日記」の3/13付「一杯のきつねそば」というタイト
ルの日記は、食費を1ヵ月1万円しか使わない生活について記されてい
る。きっこさん自身が食費1ヵ月1万円を実行しているという。決して
ウソではない証拠に、下記の日記を訪ねてみられたい。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20090313
 
 あの戦争末期の2年にわたり、中学生だった私は極度の食糧難の中で
寮の集団生活を体験した。それこそ最低の食生活だったから、月に1万
円の食費でも余裕があるというものだ。
 戦後10年ほど経った頃には、月2千円で布教中の生活費一切を賄った
こともある。
 今後どんな時代になっても、いのちの基本は食にあるのだから覚悟は
できている。むしろ現代では、食にお金をかけ過ぎてメタボなどの体質
に悩んでいるといっても過言ではない。その意味でも「きっこの日記」
を参考にして頂きたい。但し、食費以外の思いがけない出費が多くなる
のは避けられない。
 
 最後に、例によって「おさしづ」の中から日々の通り方についてのお
諭しを拝読したい。「おさしづ」を拝読して神一条の理に関する神意を
学ばなければ、食生活に限らず、時流に乗って世間と同じ価値や欲望を
是とする人間一条の傾向になり勝ちであることは、最近の教会事情を見
てもはっきりしている。自戒の意味をこめて心したいと思うのだが、私
たちは時代によって移り変わることのない真実の理を心に治めて通らな
ければ信仰者とは言えないだろう。
「一代は一代の苦労を見よ。長々の苦労であった。二代は二代の苦労を
見よ。三代はもう何も難しい事は無いように成るで。なれど人間はどう
もならん。その場の楽しみをして、人間というものはどうもならん。楽
しみてどうもならん。その場は通る。なれども何もこうのう無くしては、
どうもならん事になりてはどうもならん」」(明治22年3月21日)



<心のテープ>(82号)準備会の報告
配信日:2009/2/26

 木曜日(配信日)の夜になってしまった。昨日の準備会を終わった
あと、詰所に直行して一泊し、今日は本部月次祭に参拝したあと、市
民会館での「天理教平和の会」月例会に出席し、夕方遅く帰ってきた。
というわけで、昨日の報告をしたいのだが、まだ落ち着かない状態な
ので事情ご了解を願いたい。
 昨日の準備会には私を入れて8名の出席者があった。初対面の方は
1名だけであった。参加者の立場は様々だが、道を求める熱心さは共
通しているとお見受けした。岩井氏も出席してくれた。
 当日参加する気持ちがありながら諸種の都合でおいで頂けなかった
方々からも、それぞれの事情をメールでお知らせ下さった。中には遥
か外国のカナダから26日におぢばへ到着するために一日違いで参加
できないので、到着後に連絡して面談したいとのメールも頂いた。
 
 参加者各々の自己紹介のあと私は、手書き資料作成の経緯と、おさ
しづを拝読する意義と目的を説明した。おさしづを拝読する功徳は長
生きできることにある、と私は申したかった。おさしづを無心に拝読
していると、無限の神意が心に浸透し、心が広がっていく。すると、
知らぬ間につまらない人間思案はどこかへ雲消霧散し、心身ともに親
心の世界に参入できるからだ。
 これは単に観念的な願望ではなく、おさしづを拝読することによっ
て80歳90歳になっても健在の方々を直接間接に数多く知っている。
 
 来月25日、同じ会場で第一回の研究会を開くことに決まったので、
いずれ細部の要項をご案内したいと予定している。
 今はこれ以上まとまらないので、いずれ次号で要点の続きを報告す
ることにしたい。



<心のテープ>(83号)「おくりびと」の心境
配信日:2009/3/5

「おくりびと」というアカデミー外国語特別賞を受けた題名を勝手に使っ
たが、映画はまだ観ていないことを先にお断りしておきたい。
 じつは昨年の12月から今年2月にかけて、身近な方々が4人も逝去し
た。
 プライバシーもあるので詳しい個人情報にふれるわけにはいかないが、
その中で80才になる男女お二人と60代の女性はいずれも、身体の部位は
異なるが病名はガンであり、もうお一人はつい10日ほど前に急逝した61
才の知人(男性)で脳梗塞が原因であった。
 
 60代の女性は毎月おつとめ奉仕して下さるようぼくの姉さんで、北海道
在住のため一度詰所でお会いしただけの縁だが、脳腫瘍の手術は成功した
ものの主治医から後3ヵ月の命と宣告されながら、1年近く家族の手厚い
看護を受けていた。が、妹にあたるようぼくから葉書が届いて亡くなった
ことを知った。その葉書には、神様の掌の上に乗って五彩の雲に向かいな
がら、片手を挙げて笑顔で別れの挨拶をしている姉の姿が描かれていた。
その絵に添えて、
「喪中につき 新年のご挨拶を失礼いたします
 仲良しの姉が十二月十六日に旅立ちました」と書かれていて、最後に、
「この一年、沢山のご心配いただきました
 心よりお礼申し上げます
 安らかで美しい顔で逝きました」
 と記されていた。お住まいが遠いこともあり、何もお役に立てなかっ
たのだが、その絵と文字に、私は救われた思いがした。
 
 別席運び中だった80歳の高齢者の方は、どこが悪いのかと思うほど苦
痛はないまま、この年まで生かしてもらったら十分と、手術も断って自
宅療養中で、一刻前まで話をしていて、家族が安心して買い物に出掛け
ている間に迎え取りになった。
 
 もうお一人の80歳の女性は同じ町内会で、親しくおつき合いしていた
他系統のようぼくだったが、やはり手術後1年の命と宣告されながら足
掛け6年生き長らえて、ご主人は病院の個室に泊まり込んで看護を続け
て、遺体の枕元に飾る遺影まで気に入った写真を自分で指定して亡くな
った。やはり本人も家族も覚悟の上であった。
 
 今年2月下旬亡くなった61歳の知人男性の場合だけは全く突然の死で
あった。脳幹といわれる頭の中心部の血管の異常であったから医師も手
の施しようがなかったという。初めは軽い症状だったので、救急車で入
院した時は歩行もできたそうだが、それから3日後に病状が急変した。
 出直してから知らせを受けたので、入院直後になぜ知らせてくれなか
ったのかと遺族に問い質したほどで、みんなが嘆き悲しんでいる最中に
失礼なことを言ってしまったが、生前におさづけを取り次げなかったこ
とが残念でならなかった。
 
 私個人の知人について惜別の記事を書く必要はないのに、と思われる
かも知れないが、私としては一つだけ救いを感じていることを伝えたい
のだ。というのは、4人が4人とも、死顔がほんとうに奇麗で穏やかだ
ったことである。そのうちのお一人の場合など「生きてる時よりいい顔
されてますね……」と、つい失礼な言葉を口に出したほどであった。
 
 数多くの身上伺いさしづの中から、今生での回復は難しく出直しを予
告された一例を、手書き資料第五部から転写しておくこととする。
 明治37年12月31日 増田亀治郎36才身上願
「……尽した理は将来末代という理である。人間というは、一代と思う
から頼り無い。理は末代の理。これをよう聞き分けて、しっかり治めて
くれ。尽した理は、将来末代の理に受け取りてある。理 消えやせん程に。
理は十分の理である。これを楽しんで、一代の理に悔しいと思うやない。
これをよう聞き分け。人間というは、早い者もあれば遅い者もある。ど
んな者もある。これを聞き分けて心に満足せい。たんのうが第一である。
これを前生いんねんのさんげという。……」
  
 最後に、今生で御縁のあった故人の冥福をお祈りするとともに、気を
とり直して前向きに進みたいと思う。「おさしづ研究会」の案内は近日
中に配信します。



<心のテープ>(85号)映画「おくりびと」を観たあとで
配信日:2009/3/19

 14日の土曜日、車で30分の近鉄八木駅前にある映画館へ評判の
「おくりびと」を観に行った。その橿原シネマアークという映画館
は、4月末で10年間続いた営業の幕を閉じるという。時代の流れ
を感じさせられる事柄だが、観客は中年以後の熟年層が多かったの
は当然といえば当然かも知れない。メルマガ(83号)で映画のタイ
トルを借用した以上、観賞しなければ申し訳ない気持ちもあった。
 
 主演・木本雅弘の生真面目な性格そのままの好演、納棺会社(?)
の社長を演じる山崎努の円熟した演技などに支えられて、この特異
な題材の映画化が成功したと言ってもいいだろう。一つ間違うと
「遺体」や「遺族」を冒涜する結果にもなりかねないところだから。
 それにしても葬儀屋さんから委託を受ける納棺会社と「納棺師
(夫)」という職業があることは初耳であった。昔は家族の誰かが
遺体を拭いたり化粧したり着替えさせたりして、みんなで納棺する
のが普通であったのだが、今はそれも第三者に委託する場合が多い
のだろうか。
 
 この映画の成功にはわけがある。納棺という特異な場面を撮影し
ただけではなく、主人公の納棺師(夫)が、解散したクラシック楽
団の元チェリストだったこともさることながら、彼の父親が幼い頃
不倫のため家出したまま生死不明で、すでに亡くなった母親の手一
つで育てられた彼が父を激しく憎んでいること、納棺会社の社長は
妻の死を経験し、事務員も子供を捨てて家出していることなど、ド
ラマを演じる人物が生死に関わるトラウマの持ち主であることが前
提になっていると思われる。
 そうした人間関係が最後に意外な結末を迎えるのだが、その筋書
きははぶくとして、現在の社会で無差別殺人が多発する原因の一つ
は、遺体を目前にした家族の嘆き悲しみを経験していないことにあ
るとすれば、この映画は熟年者よりも若年層が鑑賞するべきかも知
れない。
 
 生死に関わる私の経験について申せば、小学生の頃、2人の兄の
結核による死を経験している。上の兄の死の直前には、衰弱した体
の負担になる重みを防ぐために掛け布団が天井からヒモで吊るして
あった病床を覚えている。
 2人の兄は共に19歳であったから、自分も同じ19歳になれば
死ぬ運命ではないかと真剣に恐れと焦りを感じたものであった。
 一方、戦争が拡大し、ついに敗戦を迎えた中学生の頃には、青春
の夢を残したまま死を迎えた兄を思い出すたびに、悲惨な戦場での
死を免れたことに、せめてもの慰めを感じるとともに、兄の分まで
生きなければと密かに心に決めていた。

 その後、映画の原本となった「納棺夫日記」の著者・青木新門氏
が先月27日「一れつきょうだい推進研修会」で「いのちのバトンタ
ッチ」と題して講演した要旨が天理時報に掲載されていたのには驚
いた。いまや納棺師は有名になり、就職を希望する者が押しかけて
いるという。
 青木講師の話によれば、大学を中退して経営していた店も潰した
頃に新聞の求人欄を見て、それとは知らず就職したのが葬儀社だっ
たという。やはり昔はお棺を届けるだけで、遺体をきれいに拭く湯
灌(ゆかん)や衣替えをした後の納棺などの作業は親族の役目であ
った。ある時、親族があまりにひどいやり方で遺体を扱っているの
を見て、アドバイスしたのが始まりで、あちこちから依頼を受ける
ようになり「納棺専従社員」になった。その仕事をしていることが
知れると、親戚からは白い目で見られ、親戚つき合いも拒否された。
 
 青木氏が納棺の仕事に誇りをもって続ける気になった理由の一つ
は、かつて自分を蔑んで罵倒した叔父が床につき、死の直前に見舞
った時、はじめて柔和な顔で涙を流して「ありがとう」とつぶやい
た場面を体験したことにあった。
「それからというもの、仕事で納棺に行くと、亡くなった方の顔が
気になった。ほどんどの方は、清らかで安らかな表情をしておられ
た。そのことに気づいてからは、死者に対して親近感さえ抱くよう
になった。(中略)死者は皆、あらゆるものが輝いて見える世界へ
と旅立っていく。私はそのお手伝いをしているのだ。旅立ちのため
の、精いっぱいの装いをさせて頂いているのだと思った」
 死の瞬間の心境が顔に表れるとすれば、死後の化粧をしてもらう
前にどんな表情で息を引き取るかが一大事になる。
 
 青木氏はまた、今の世の中から「死の現場」が失われていくこと
を危惧していると語っている。どれだけ憎み合っている同士でも、
相手の死ぬ瞬間に居合わせば、和解できる筈ではないかという。
「いのちのバトンタッチ」をする瞬間には、いのちの尊厳にめざめ、
みんなが「ありがとう」と言い合う気持ちになれるからだ。
 
 一般に人は死と向き合うより、いろいろな夢の雪だるまで死の実
像を覆い隠そうとするものだ。その夢が溶けて消えた時、必ず死は
顔を出す。とすれば、欲望に汚れた夢、他人と奪い合って手に入れ
た夢よりも、神様が微笑んで受け取って下さる夢を抱いて死の床に
つきたいと思わずにはいられない。あの世に金品は持って行けない
が、道のために尽し運んだ理は受け取って頂けることが保障されて
いるのだから。
 ここでもう一度、出直しを予告されているおさしづの一節を読み
返したい。
 
 明治37年12月31日 増田亀治郎36才身上願
「……尽した理は将来末代という理である。人間というは、一代と
思うから頼り無い。理は末代の理。これをよう聞き分けて、しっか
り治めてくれ。尽した理は、将来末代の理に受け取りてある。理
消えやせん程に。理は十分の理である。これを楽しんで、一代の理
に悔しいと思うやない。これをよう聞き分け。人間というは、早い
者もあれば遅い者もある。どんな者もある。これを聞き分けて心に
満足せい。たんのうが第一である。これを前生いんねんのさんげと
いう。……」

<心のテープ>(86号)「天理時報」半額キャンペーン
配信日:2009/3/26

<時報普及キャンペーン/新規購読 半年1千円に値引き/2月末から
8月末まで>
 天理時報一面に大きく出ていた見出しに私は目を見張った。それには
2つの理由がある。
 一つは、1千円で半年購読できるのなら、この機会に今まで時報購読
を勧めたいと思っていたようぼく、および毎月の時報をまとめてメール
便で送っていたようぼく、そうした人々に自分で購読申込みの手続きを
するように連絡したいと思った。
 
 その半面、これはいよいよ窮余の一策ではないかと、少々寂しい思い
になった。昨年、大阪教区の教友から時報の発行部数は12万部前後と
聞いたことがある。これは読者大会の折の質問に道友社の社員が答えた
数だから間違いはないとのことだった。

 よくよく考えてみると、半年2千円の定価で購読していない人が、そ
の半額なら購読するというのは、本当の読者といえるのだろうか。
 第一、半額になる期間の新規購読者数がどれだけ増加するのか、見通
しはあるのだろうか。半年過ぎても継続して購読するかどうか、その見
通しはあるのだろうか。

 もし半額に割引しても20%か30%しか増えないという結果が出た
ら、どうするのだろう。それでも成果があったと満足できるのだろうか。
30%なら3万6千部だから、合計15万6千部になる。その数字は、
現在の教勢が危機的な状態にあることを明示することになるのではない
か。
 
 時報の手配り運動にしても、企画するのが20年遅すぎる。軒並みに
購読者が密集しているのならまだしも、全国に散在する12万部の新聞
を手配りするための時間と労力の効率が悪いのは当然だ。離れた支部か
ら自宅へ手配りしてもらった人が、こんな遠方まで手間ひまかけては申
し訳ないと購読を中止したという笑えない話もある。
 
 余計なことを心配しないでも、勧めたい人があれば1部でも2部でも
増やす努力さえすればいい、と言われるかも知れない。それが素直で真
っ当な受け取り方とすれば、私のような読者はひねくれているのだろう。
 とにかく半年後の結果を楽しみに待つことにして、布教伝道に関連あ
るおさしづの一節を、自戒の念をこめて拝読したい。
 
「一時のにをいというは、消え易きもの。深き事情、心の理というは、
いついつまでのにをいという。この事情聞き分け。一時の道を通るとい
う、新しいにをいという。付けたにをいやからさめ易い」(25.7.4刻限)
「皆々実々の奔走すれば世界開けるやろう。どんな難しい処も連れて通
りた、連れて渡した。もう一段の処で、大きな話に成ろうが、これ一つ
話難しい。難しいと言えばどういう事と思う。物が中に入りたる間は蓋
を開けたら分かる。中に何も無いようになれば何も分かろうまい。傍
(はた)の分からぬものは、世界分からぬのは当り前。・・・」
                        (27.3.4 刻限)
「言葉はその場だけのもの。言葉の理を拵えてこそ八方である」
                          (37.11.2)
「道というものは、成程という理 持たにゃならん」  (37.12.14)

 天理時報はともかく、25日の第1回おさしづ研究会の報告をしなけ
ればならないが、25・26日は身体が二つあっても足りないので、あまり
時間の余裕はない。
 参加者は7名。先月より2名減ったが、1名は初めての方であった。
他に2名、参加を期待していた方があったが顔が見えなかった。相変わ
らず女性は0。会場の別名は「男女共同参画プラザ」というのだが、そ
の目的に合致しないことは残念だが、熱心にねり合いして、3時間は知
らぬ間に過ぎた。
 会の発言内容の要点については、先に案内の通り、音声ファイルに保
存・編集して、いずれお目に、ではなく、お声にかける予定になってい
るので期待して頂きたい。



<心のテープ>(号外)三六二五を尋ねる50余年の旅路(つづき)=岩井 猛
配信日:2009/3/29

(その2)三六二五と三人の女性たち

 三六二五の暗号に近付くため前書きの必要もあるので、はじめに少し
「確率」の話をします。私は30年間、中学生に英語・数学を教えまし
たが、確率は3年生の数学に出てきます。
 たとえばサイコロを振って3の目が出る確率は6分の1です。次に3
の目が2回続けて出る確率は6分の1×6分の1で、つまり36回に1
回はそうなります。3の目が3回続けて出る確率は216回に1回、4回
続けて出る確率となると1296回に1回です。回数を増やして実験すれば
するほど、その確率の理論通りになります。
 サイコロでは造りの出来具合と、また人の手による振り方によって多
少不正確なので、そういうひずみが全くない方法で、昔 私は2日間かけ
て実験したことがあります。
 私の友人の電機店を営んでいる人の制作で、交流の電気をつないだり
切ったりするモールス信号機のような簡単な装置ですが、押した瞬間に
プラスが出るかマイナスが出るか針が揺れるのを見て記録していきます。
 電気は関西方面では60サイクルですから1秒間に60回もプラスと
マイナスの間を海の波のような形で往き来しています。信号機を指で押
してプラスが出る確率は2分の1です。2度続けてプラスが出る確率は
4分の1となり、3度続けてプラスが出る確率は2分の1×2分の1×
2分の1で8分の1となります。4度続けては16分の1、5度続けては
32分の1。
 まあ、こういうのを2日間かけて飽きもせずに何千回もやって結果を
記録してゆきました。毎回プラスとマイナスとがムチャクチャに出て
くるのですが、あとで結果を整理してみると、ほとんど正確に確率の理
論通りになっていたので、びっくりしたことがあります。
 これが人間の世界では、たとえば交通事故など誰も遭いたくなく注意
しているつもりなのに、毎年交通事故死者の数が日本全体ではほとんど
変わらず同じような数字が出てくることにより、統計というか確率の不
思議さには誰でも気付いているところでしょう。
 
 さて本題に入ります。まず三六二五のことですが、これは「おふでさ
き」17号1711首の中のどこに出てくるか探そうとして天理教の信者に
聞いてごらんなさい。「三六二五は聞いたような気がするが、はて、ど
こかな」と大抵の人が答えると思いますよ。ふだんあまり注意していな
いから、つまり無関心だからそうなるのです。
 これが暗号たるゆえんかもしれませんが、どうも神さまは、ここにも
ちょっと仕掛けをしてあるような気がします。三六二五の通りに本を開
いてゆけば、すぐ出てくるのです。先ず第三号ですから17分の1に手間
が省けますね。次に62番をあけると隣に並んでいます。きっちり62番に
すると、いかにもわざとらしいので、ちょっとだけはずしたのでしょう。
きっちりなら100分の1、隣りだから30分の1に減じて、17分の1×30
分の1で約500分の1、となります。
「おふでさき」のこの位置にあるのは偶然だ、と主張してもよろしいが、
そういう主張は500でいえば499、つまりほとんど不自然なのです。ど
うも神さまは意識してわざとこの位置に入れたのでないかと考える方が、
500の内499、つまりおおかた自然というか確かなのです。
 人間なんて偶然に出来たのだ、と荒っぽい議論をする人がありますが、
人間の目、鼻、口、手足など、こんな便利なものが、この何もなかった
天地の中で偶然に出来上がった、蝶が軽ろやかに飛ぶ羽根の仕掛けも、
ただの偶然で出来たものだとする考え方も、それはそういう考え方も許
されはしますが、しかし無理は無理、10億であれば9億9千9百 あと
は算用数字で999,999 あとは小数点以下の数字の9が限りなく並んで
不自然である、と確率の理論からはそうなるのです。
 
 確率の理論はこの辺にしましょう。そんな理屈はどうでもいいから三
人の女性はどうなったのか早く出せ、と読者の誰でも感じる頃でしょう。
それがどうしてわかるかというと、人間は大体みな同じように作られて
いるので、自分の心の中を覗いてみたら他人の気持ちがわかるからです。
「三六二五と三人の女性たち」などと変な題名をつけているが、大体そ
の三人とも三六二五など全然意識してないんじゃないの? と鋭い読者
はすでにお見通しかもしれませんね。その通りです。ところがです。そ
の三人の中の一人が証拠に残したものが厳存している。今はやりの検察
当局なら大喜びで(ちなみに今、政界の大物の秘書が調べられています
が)その証拠物件を押収すると思いますよ。その証拠、それはたった一
枚の小さな写真ですが、その中に三六二五が確かにちゃんと含まれてい
るのです。そしてその証拠物件が確保されるような条件を作り出すため
には、どうしてもあとの二人の女性も必要だったのです。つまり一段二
段と積み上がって、三段目の女性の手が三六二五に届いた恰好です。
 でも、果たしてそうなのかどうか、読者の方にも冷静に、時にはいく
らかの同情もまじえて検証して頂きましょう。いま国民みんなでバイシ
ンインになる制度がもうすぐどう、とかいうじゃありませんか。つまり
私の言いたいことはこうです。神は私に三六二五の暗号の解読と、或い
は鍵の一部を預けているのだろうか、鍵は何重にもなっていて、一つで
は開かないかもしれないとすると、ここまで知った人が次の鍵を探して
くれるかもしれない。神さまは三人の女性を土台にして私の心をきびし
く仕込み、この暗号を解くための用木(ようぼく=陽気づくめの世界ふ
しんの用材)に使おうとしているのだろうか。
 
 遅くなりましたが、三六二五の一首をここに掲げます。
 しかときけ三六二五のくれやいに    三号ー64
 むねのそふぢを神がするぞや  
 これは人類全体に対する何か重大なお知らせなのです。そのことにつ
いては また別に書きます。
 最後になりましたが、天理教の組織の中心的な立場、常に公の発言し
かできない立場においては、この一首を「タブー」として「おふでさき」
の解説書以上の説明は一切しないことにしているそうで、これは確かな
筋から洩れ聞いているので、そのことに間違いないと思います。そして
それは極めて賢明であり、他に方法はないだろうと思われます。
                         (21.3.26記)
(つづく)



<心のテープ>(87号)独り暮らしの記
配信日:2009/4/2

 じつは昨年の秋と同じ状況になり、3月下旬まで1ヵ月近く独り暮ら
しをしていた。家人が東京にいる息子のマンションへ子守りその他の用
事があって上京していたからだ。
 今回は慣れるのが早かったにしても、やはり最初の数日は、風船がし
ぼむように気が抜けて何も手につかなかった。しかし、もし病気で長期
入院していることを思えば有難いと思うように自分に言い聞かせること
にした。さらに、もし病気で出直したのなら二度と帰って来ないと思う
と、感謝する気持ちになることができた。実際、去年の暮れに伴侶を亡
くした知人の心境を推量するだけでもお気の毒だから。
 とにかくメルマガの配信、サイトの更新、メールの送受信、読書、お
たすけ等々、次々ひのきしんや用事があるので、不便とか寂しいとか言
っていられない日々であった。
 
 独りになった翌日、野菜を刻んでいて包丁で親指を切った。早い目に
失敗したから、その後は注意を怠らないようにした。
 インスタントラーメンや冷凍食品も買い込んだ。カップメンではなく
袋包みのラーメンなら5食分で200円、1食分40円で済むのだから安い
ものだ。ネギや白菜は菜園に植えてあるから用が足りる。冷凍室を探す
と、正月の残り物も色々あった。
 ただ、二度と買わないと決心したのが冷凍食品だ。というのは、1分
間余り電子レンジにかけるだけで食べられる揚げ物のおかずは、包装に
は美味しそうな写真が印刷されているのだが、袋を開けると得体の知れ
ない小さな固まりが数個入っていて、後味がわるく胃にもたれて御飯を
口にする気にならないからだ。たしかに弁当のおかずには便利かも知れ
ないが、安くて早く調理できても、まずくては価値がないと言わざるを
得ない。
 
 自分で食材を用意して作ったおかずで一番美味しかったのは、何とい
ってもブリのカマ(腹身のアラ)と大根の煮付けに勝るものはない。油
の乗った味が大根に滲みて、こんな旨いものはない。
 それから一番簡単なおかずとしては、サバのカン詰の上を行く食品は
ない。とくにみそ煮や梅シソ煮が美味しい。1カン100円前後で1食分
のおかずになるのだから大助かりというものだ。
 
 良く言えば節約、悪く言えばケチケチした食生活の話になったが、こ
れには訳がある。
 日本で一番人気のあるブログは、何と言ってもアクセス数が延べ7989
万人、もう少しで8千万人に達する「きっこの日記」に違いないが、き
っこさんと私は、面識こそないがネット識(?)はある。彼女は庶民的
で戦争嫌いの平和主義者なので、私が管理・更新している戦争証言サイ
トの読者でもあり、今まで数回にわたってブログで紹介してくれた。お
かげでその度ごとに一夜にして7千人とか1万人とかアクセス数がアッ
プした。
 彼女は数年前から私のことを「75才の管理人さん」と呼んでいる。た
だ神様あるいは宗教を信じていないらしいので、それだけが「玉に傷」
と思っている。
 その「きっこの日記」の3/13付「一杯のきつねそば」というタイト
ルの日記は、食費を1ヵ月1万円しか使わない生活について記されてい
る。きっこさん自身が食費1ヵ月1万円を実行しているという。決して
ウソではない証拠に、下記の日記を訪ねてみられたい。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20090313
 
 あの戦争末期の2年にわたり、中学生だった私は極度の食糧難の中で
寮の集団生活を体験した。それこそ最低の食生活だったから、月に1万
円の食費でも余裕があるというものだ。
 戦後10年ほど経った頃には、月2千円で布教中の生活費一切を賄った
こともある。
 今後どんな時代になっても、いのちの基本は食にあるのだから覚悟は
できている。むしろ現代では、食にお金をかけ過ぎてメタボなどの体質
に悩んでいるといっても過言ではない。その意味でも「きっこの日記」
を参考にして頂きたい。但し、食費以外の思いがけない出費が多くなる
のは避けられない。
 
 最後に、例によって「おさしづ」の中から日々の通り方についてのお
諭しを拝読したい。「おさしづ」を拝読して神一条の理に関する神意を
学ばなければ、食生活に限らず、時流に乗って世間と同じ価値や欲望を
是とする人間一条の傾向になり勝ちであることは、最近の教会事情を見
てもはっきりしている。自戒の意味をこめて心したいと思うのだが、私
たちは時代によって移り変わることのない真実の理を心に治めて通らな
ければ信仰者とは言えないだろう。
「一代は一代の苦労を見よ。長々の苦労であった。二代は二代の苦労を
見よ。三代はもう何も難しい事は無いように成るで。なれど人間はどう
もならん。その場の楽しみをして、人間というものはどうもならん。楽
しみてどうもならん。その場は通る。なれども何もこうのう無くしては、
どうもならん事になりてはどうもならん」」(明治22年3月21日)



<心のテープ>(88号)北海道の川で産卵する鮭の話
配信日:2009/4/9

 先日4日の晩、とつぜん訪ねてみえたYさんから聞いた話で、あまり
にもムダのない天然自然のリサイクルの生態に感心した。
 鮭といえば、私の大好物だ。スーパーで並んでいる生もののフィレよ
り、昔からの塩鮭に本当の味がある。日本人は特に紅鮭を好むといわれ
るが、私も例外ではない。
 たしかな根拠は知らないが、漁をする海域の違いで色が異なるので、
小海老を餌にしているのは紅鮭になると聞いたことがある。北海道で捕
れる鮭は銀鮭と呼ばれる品種が多いようだ。

 今年69歳になるY氏は北海道紋別市に在住するが、年に一度おぢばに
帰参されるたびに寄って下さる。私にとって、いつも大いに刺激を受け
る畏友と呼ぶべき御仁である。
 彼は満州に生まれ5歳で引揚げてくるまでハイラル市に育った。父上
は警察官で、終戦後シベリヤに抑留され、戦後5年目に帰国したと聞い
ている。戦後の混乱の中で、満州という異境の地から母1人の力で子供
らを連れて引揚げる苦労は並大抵ではなかった。そうした幼児期の思い
出を語ってくれたことが縁の始まりであった。当時5歳とはいえ鮮明な
記憶には驚くばかりだった。
 
 彼の信心は我が身に鮮やかに見せられたご守護の体験に始まっている。
北海道へ引揚げる途中、滞在していたチチハルで階段から落ちた怪我が
もとで帰国後に脊髄カリエスを発症し、7歳の頃には寝たきりで起き上
がることもできない状態になった。その頃、たまたま噂を耳にした布教
師のお婆さんが訪ねて来て、毎日のように「おさづけ」という祈りをし
てくれた。
 そのうち体内が暖かくなり力が湧いてくるような気がして、起き上が
れるようになり、さらに物に掴まって立ち上がり、何とか歩けるまでに
治癒したという。
 天理教を嫌っていた母は、そのお婆さんが来るたびに家から出て行っ
たが、彼が歩けるようになった姿を見て態度を一変し、その地方で知ら
ない人のないくらい信仰熱心になり、今年99歳で生存されているという。
 
 その後、カリエスは完治せず脊髄陥没の後遺症は残ったが、Y氏はそ
のマイナスをバネにして人以上の努力と積極性を発揮して学習塾を自営
し、障害者福祉の面でもリーダー的な役割を担ってきたと聞いている。
 私と話が合うくらいだから信仰的には紆余曲折があり、今では教会か
ら離れて自立した道を通っていることだけ伝えるに止めておきたい。
 
 Yさんの戦争体験は下記のページに詳しく掲載されているので、よろ
しければ一度訪ねてみられることをおすすめしたい。
<戦争が終わった時、5才の私は満州にいた>
 http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-S15.html
 
 話が逸れてしまったが、先日Yさんと夜中まで会話していた中で、た
またま紋別の自宅の近くを流れる川に、毎年鮭が産卵のために上がって
くる話題になった。
 鮭という魚は必ず産まれた川に帰ってきて、産卵を終わると、急に衰
弱してそのまま一生を終わり、その死体が累々と川底に横たわっている
という。そのうち冬が来て雪が降ると、天然冷蔵の状態で保存されてい
る親鮭は、餌に飢えた熊などの野生動物や鳥類の栄養源として提供され
る。
 そこまでは以前から聞いて知っていたのだが、それだけではなく、親
鮭の死体は卵から孵化した鮭の子どもたちの餌となって食べつくされ、
春になるとすっかり姿を消してしまうという。親鮭の肉を餌にして生長
した子鮭は、やがて大海へ向けて旅立っていく。
 この話を聞いた時、これほどムダのない天然自然のリサイクルはある
だろうかと感心した。
 
 この道は天然自然の道と諭されている。人間のように自由な心がない
故に、自然現象の中に最も見事に天の理が顕現されているからだ。自由
な心は、自然に反することを望んだり考えたりすることも可能だから、
時に天の理に外れた結果を見せられる。
 天理教という教団も自由な心をもつ人間の集まりだから、常に天然自
然に外れていないかどうかを検証する必要があると思う。
 最後に、天然自然の理を説き聞かされている「おさしづ」の一節を読
むことにしたい。
 
 松村ノブ五月五日のおさしづに、天然という御言葉を下された処に、
 如何の処の事でありますや、押して願。
「……天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしようと言うても出
来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしよう、利巧でどうしよう
というは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ、何処から眺め
ても成程というは、天然に成り立つ理。この理聞き分け。思案してみよ。
それより明らか(なこと)は無い。この道理(を)皆(に)伝え(るよ
うに)。銘々(心に)治め(るように)。内々それぞれ治め。それから
始まった道。急いても出来ん。又しょうまいと思ても出来て来るは、
天然の道と言う。よう聞き分け。どれから眺めても成程と言うは天然。
これ聞き分け。……」(33.5.31) 



週刊メルマガ <心のテープ>(89号)愛国心の実体について
配信日:2009/4/16

 今週は私が関心を持たずにはいられない情報に接したので、少々長く
なるが辛抱して頂きたい。タイトルに選んだテーマに関心を持てない読
者も、できれば ”ひのきしん”と思って付き合って頂ければ有難い。
 じつは、3月10日付毎日新聞朝刊・奈良版<news・それから>に
大きな見出しの記事が掲載された。その記事を4月に入ってから、ある
きっかけがあって読むことになった。
<激戦地・ニューギニア島の記録/戦場体験 伝えたい/元・陸軍上等兵
 森本さんが回顧録>
<太平洋戦争の激戦地・ニューギニア島での戦場体験を、陸軍上等兵だ
った明日香村の無職、森本善茂さん(88)が今年1月、回顧録につづっ
た。「私はジャングルに眠る戦友たちのしかばねを踏み台にして生きて
いる」。当時の状況を遺族や若い世代に伝えたいと、60年余を経て原
稿用紙に向かった。【中村敦茂】>
 続いて森本さんの原稿の要点がまとめて紹介され、その記事の末尾に
は、新聞社の調べとして、
「ニューギニア島では、森本さんらの部隊の他にも、多くの日本軍が連
合軍の圧倒的な戦力の前に敗走を重ね、戦病死した。厚生労働省社会・
援護局によると、東部ニューギニアだけで日本兵の死者は12万7600人、
国内に戻っていない未送還遺骨は海没分も含め7万8000人と推定され
る」と記されている。

 当時の軍当局は「退却」を「転進」と呼んで負け戦の事実を伏せ、南
方の戦場では食糧の補給を経たれた将兵が無惨な餓死を強いられたこと
は、上記の人数を見れば明かである。森本さんが配属されていた日本軍
だけでも、陸戦隊(海軍)1万5千人、陸軍2万人、合計3万5千人。
そのうち終戦まで生き残った将兵は1割に足りない。今に至るまで命を
長らえている自分に、命を落とした大勢の戦友が事実を語り伝えてくれ
と催促しているに違いない。戦友の無念の思いを少しでも晴らすには、
せめて事実を伝えなければ、と森本さんは決心したという。
 その後、森本さんの記事が反響を呼んでいることが同新聞のコラム欄
(3/21付)にも紹介された。反響を伝え聞いた私も、明日香村の森本
さんに取材希望の書面と資料を送り、面談のアポを快諾して頂いて、満
開の桜に彩られた春の午後、森本さん宅へ伺った。
 新聞には森本さんの回顧録をもとにニューギニア戦線の要点をまとめ
られていたが、私どもの戦争証言サイトでは、その手記の全文を収録し
て掲載することに話がまとまった。
 
 回顧録の中には次のような記録がある。
<昭和18年9月13日夕方、中隊長が指揮班16名、第1小隊23名、
計39名を集め、我々は戦死することはあっても勝利を得ることは出来
ない、皆んなの命は私に預けてほしい、という悲壮な言葉があった。近
くの川でハンゴーに水を汲み一人ひとり中隊長に返しながら、最後の水
盃を交わしたのであった。
 翌9月14日午後3時、伝令からの報告で配属師団長命令によれば、
各中隊毎に配給になった米は1人当たり7〜8升余りと削りカツオ1人
2本宛、粉味噌、粉醤油各1袋宛受領して、午後6時を期してジャング
ルを利用しながら、ラエより以北の連合軍の飛行場を日本軍が占領して
使用していたマダン飛行場を目指して転進すべしの命令であったが、
(実態は退却であった)マダンまでは600キロと言われた。これだけ
の食糧で、如何にして600km(150里)を乗り切れるのか。
 歩行困難な負傷兵には手榴弾2個宛、自決用に手渡された。私も3人
ほどの負傷兵に手榴弾を渡そうとしたが、手を握って離そうとしない。
振り切るしか仕様がなかった。最後は泣き別れであった。歩行できる者
は出来る限り転進すべしということであった。高射機関砲を分解して川
や海へ投げ捨てたり、ジャングルの土中に埋め込んだ。
 転進(退却)ともなれば如何ほど恐ろしいか。故郷が恋しい。命が惜
しい。 弾丸で死ぬのかいやで、もういたたまらなかった。>
 
<3万5千人が隊列を組んで、ジャングルに身を隠しながら我先にと逃
げる有様は想像に絶する状態であった。戦友の大半はマラリヤ熱に下痢
を伴い、体は衰弱して痩せ細り、日を重ねるに従い大小便は垂れ流しの
まま、唯々歩くのみ。気弱な兵は夢遊病者の如く、休憩ともなれば5人
から10人位スクラムを組んで仮眠を取る。誰かが目を覚ます。隣りの
戦友を起こして見たが、うつむいtまま冷たくなっている。仮眠をしたま
ま冷たくなって息絶えた戦友は大変大勢いた。その首筋は淡白色で透き
通って神々しく見えた。その最大の要因は、熱帯地方特有の昼は蒸し暑
く、夜は物凄く冷え込むためである。明日は我が身かもと思いながら退
却をする。>
<その頃、私はマラリヤ熱、ショウコウ熱で毎日40度余り、下痢1日
に25回という状態であった。
 その時中隊長が、負傷した広葉(戦友)と共に私ほか3名に対して小
型船ダイハツに乗船してでマダンに向かうように命じてくれた。お陰で
ここでも命拾いをした。>
 
 比較的安全なマダンに到着した時、3万5千人いた将兵は1万人足ら
ずになっていたが、それらの生存者も、まともに戦闘できる者は一人も
いなかった。
 その後、米軍はマダンにも敵前上陸に成功し、激しい空爆で日本軍の
全滅を図った。何とか生き延びていた将兵達はジャングルの奥から奥へ
逃げまどい、最終的に4300mのサラワケット山の山頂に追いつめら
れる結果となった。
 
 森本さんが配属されていた3万5千人の将兵だけではない。上記した
新聞記事の通り、東部ニューギニア戦線だけで12万7600人の死者
が出ている。ということは、日本軍は捕虜になるよりは死を選ぶこと
を強制し、投降を認めず玉砕(全滅)を名誉としたからだ。
 
 ここでニューギニアで戦病死した将兵1人ひとりの内心について考え
てみたい。軍人を職業として選んだ将校は別として、軍隊の大多数を占
める上等兵以下の下士官や兵士たちは自らの意思で戦争に参加したので
はない。ある日とつぜん1枚の赤紙によって仕事や家庭の日常生活から
断ち切られ、強制的に戦場へ派遣されたのだ。それが国家による徴兵制
度だが、その法律・制度は、国家権力を握った軍部が一切の言論や自由
な意見を禁圧した中で実施されていた。
 つまり、同じ徴兵制度といっても、国民の人権や自由な言論を認めて
いる国家が制定した場合と、独裁国家における法律の制定は全く成り立
ちが違っている。要するに当時の日本は、国民の意思を代弁する国会議
員が法律を制定したのではなく、独裁的な権力によって言論の自由と生
きる権利まで奪われていたのである。
 
 一方、国民の人権と自由を認める民主主義国家の場合、必ず戦死する
と決まっていれば誰も軍隊に志願しないし徴兵にも応じないだろう。戦
争は人間同士の殺し合いだから、自分も殺される可能性は当然あるが、
確率が低いから志願する若者もある。しかし、かつての日本軍の場合、
南方戦線で戦死する確率はほぼ90%に近かったのだから、自由な意志
を認めれば入隊志願者は誰もなかったに違いない。
 イラク戦争を始めたアメリカ軍は、徴兵制度ではなく志願兵や傭兵で
構成されているが、志願制度だからといって、必ずしも自由と平等が保
障されているとは言えない。仕事も娯楽もない地方の青年や、学費援助
を目当てに入隊する青年が多く、政治家や富裕層の子弟は、誰も「国の
ために」志願する者はないという。
 
 本当に国民の人権や自由を尊重する国でない限り、愛国心という言葉
にある「国」は国民ではなく、一部の権力を意味することを忘れてはな
らない。その場合、国民を愛するのではなく、政治権力が国民を犠牲に
してでも更なる利益や特権の拡大を愛する心を「愛国心」という美辞麗
句でごまかしているのだ。
 ここで念のために補足すれば、人権とは個人が生命を守る権利であり、
自由とは何よりも権力からの自由を意味している。民主主義とは権力の
横暴を監視するシステムであり、その機能を失えば人権も自由も危険に
曝される結果となる。
 さらに言えば、愛国心と戦争を結びつける意識レベルは、もはや古く
さい過去のレベルと言いたい。意識の時間空間レベルからみれば、国家
という意識が地球全体(文字通りグローバル)な意識に拡大されていく
のが人類の進化であろう。未来は宇宙意識にまで拡大されていけば、
「国」という壁に閉じ込められた意識は「地球」「自然」「宇宙」とい
う拡大されたイメージに変換されていくだろう。

 たまたま手元に知人から送られてきた雑誌のコピー記事がある。「愛
国心を問う」という特集で、保守派の筆頭に位する渡部昇一という先生
が、例によって大東亜戦争肯定と東京裁判批判の文章を発表している。
 まず「国」という漢字の語源の説明があって、もとは或という字が口
で囲まれている。口の中に戈(ほこ)や口や一があるから、国とは「戈
をもって守るべき土地」という意味になるという。それなら昭和の初め
からの15年戦争で日本は、国内の土地を守るどころが他国へ侵入し、
その土地を荒らしたのだから、まともな国ではなかったことになる。
 シナ事変が起こった年に小学校へ入った渡部先生は、中学校へ上がっ
ても猛烈な愛国教育を受けた覚えはないという。国家神道の教育を徹底
的に叩き込まれた記憶がないというのは、よほど特別に恵まれた環境に
育ったに違いない。おそらく身内に1人も戦死者やソ連抑留者はいない
のだろう。
 断じて許せないのは渡部氏が使っている「敗戦利得者」という言葉だ
。それを言うなら「戦争利得者」のためにどれほどの国民が被害を受け
、命を失ったか知れない。東京裁判を批判するのなら、無謀な戦争を起
こした加害者は誰かを日本人自らが分別し、その責任を追求することが
必要であろう。
 戦艦大和と共に沈んだ3千人余の戦友名簿を毎朝仏壇に供えて供養を
続けている生き残りの乗員は、A級戦犯が祀られている靖国神社には一
度も参拝する気になれないと話している。
「愛国心」について語るとき、大東亜戦争を肯定するか否かで、その人
物の真偽を判別できる。最低限の自由や人権を圧殺された国を肯定する
ような愛国心は偽物に違いないからだ。
 もちろん日本の歴史や文化をすべて否定するのではない。明治以前の
人情や美意識の価値を復活することは大事だが、あくまで戦時中の狂っ
た時代を反省し否定した上でなければならない。
 
 作家の司馬遼太郎氏は昭和を狂気の時代と呼んだ。その狂気の種は明
治以前から蒔かれていたに違いないし、だからこそ今では誰も反対する
者のない中山みき教祖の言動を禁圧したのだが、とくに敗戦までの15
年戦争に正当な価値を認める人は、殆ど戦争の実態に無知であるか、そ
の人自身の国家観を疑ってみる必要がある。
 敗戦までの天皇制は、本来「天」にあるべき超越的な価値を人間レベ
ルの「天」皇に引きずり下ろして権力に利用されたのだが、現在の天皇・
皇后両陛下は、幼少時からの教育の影響もあって、最も民主的な精神の
体現者とお見受けする。
 数年前に天皇自らのご希望により、サイパン島の戦跡を両陛下お揃い
で慰霊のために訪問された。戦争中にその島で父母を射殺され兄妹とも
生き別れ、天涯孤独になって、今は修道女になっている日本人女性にも
親しく慰めの言葉をかけられた。感想を聞かれたその女性は「今の天皇
皇后さまに責任はないのに、私の悲しみを分かち合う気持ちをお持ちに
なっていて……」と感動していた。
 またサイパン訪問後の天皇陛下の会見では、次のようなお言葉があっ
た。
「昭和の初めから昭和20年の終戦まで、わが国に平和な時はなかった。
その間の歴史を正しく知ることが周辺諸国の誤解を解くことになり、そ
の知識が今後の日本にも正しく受け継がれていくことを願っています」

 ニューギニア戦線の記録と向き合っている時、東京在住の一面識もな
い人が1本のビデオテープを送ってくれた。戦争を語りつぐ目的を同じ
くするML=no_more_warのメンバーであった。「兵士たちの戦争」と
いうタイトルのNHK特集番組のビデオで、まさにニューギニア戦線が
舞台になっていた。
 NHKテレビで放映されたドキュメント「兵士たちの戦争」の中では、
ニューギニア戦線 生き残りの将兵たちが、アップした顔と本名を出して
証言している。捕虜になることを恥とし、投降より玉砕を選んだ日本軍
は、現地の戦況を知らず補給もできない参謀本部の無謀な作戦の犠牲と
なり、山奥で飢えながら辛うじて終戦まで生き残った将兵は1割にも満
たなかった。その1人は「あの転進中に地獄の底を見た」と語っている。
 当時の軍当局は「退却」を「転進」と呼んで負け戦の事実を伏せ、食
糧の補給を断たれた将兵が無惨な餓死を強いられたことは、死者の人数
を見れば明かである。
 
 長文になって肩が凝ったと言われそうで申し訳ないが、一応の結論を
つけておきたい。
 愛国心に値する国とは、主権在民の原則に立って差別なく平等に国民
の生きる権利と、権力による強制や束縛を受けない自由を保障されてい
る国でなければならない。
 戦後の日本は民主主義になったのだから愛国心を持つべきだという意
見に対しては、こう申したい。つまり、敗戦までの日本は明らかに人権
も自由もなく、軍部権力と天皇が「国」であったことを認識し、過去の
責任を明らかにすることが前提になる、と。
 戦後の日本では、権力は思うままに「金を動かす」ことに専念してき
たが、今後は陰から「国民を動かす」ために自由の排除や締めつけを画
策している傾向がある。自由を守るべきマスコミも既成の権力構造に迎
合して国民に正しい情報を提供しているかどうか、情報操作が行われて
いないかどうか監視しなければならない。
 
 最後に、戦争に関連ある「おさしづ」を2例だけ転写しておきたい。
 明治37年8月23日
 日露戦争に付、天理教会に於いて出征軍人戦死者の子弟学資補助会組
 織致し度く願
「……これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさ
きに知らし置いた。ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持って
はいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。この台、世界の
事情、もうどう成ろうかこう成ろうか、一つの台。敵は大きもの、全国
に於いても大層と言う。古き/\事に、年限から諭してある。この一つ
の心得は今日の事や。有る事言うた事はない。紋型無い処から順序追う
て来たる道。難しい事望んで、難儀苦労さす道を付けたのやない。ほの
かに諭して居るやろう。理は一つに纏(まと)まりてくれにゃならん。
皆々よう聞き分けてくれにゃならん。道という、道は楽の道は通りよい。
難しい道は通り難くい。難しい道の中に味わいある。よう聞き分け。敵
と言うて、睨み合い/\という。一時の処、旨いように思う。旨い事や
ない。……(中略)……大き事すっきり、これではどうもならんという
処まで行ってみよ。これではどうもならんという処まで行かにゃ、分か
りゃせんで。」

 明治37年12月16日
 本部節会(おせち)の事に付一同協議の結果本部長へ申し上げ、本年
 に限り節会見合わす事願
「さあ/\尋ねる事情/\/\は、それは余儀無き事情であろう/\。
この世一つ始まりてから、一つ全国に於いて大変々々の理、大変という
は五年十年二十年やない。これまでだん/\諭したる。よう/\の日ど
うもならん日に及んだる。道は六十年以来から始め掛けたる。皆諭し詰
めたる。残念々々現れたら、どうもならん日になる、と諭したる。この
道月日が出てこゝまで働いたるは、容易の事やない。道という、又一つ
全国の事情に於て大変の事、万事扶(たす)け合いと言うたる。……」

 なお、生き残りの証言者による「ニューギニア戦線の回顧録」は、下
記のページに顔写真や現地の地図を添付して掲載していますので、もし
時間の余裕と興味のある方はクリックして訪ねてみて下されば幸いです。
http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-T9-3.html



<心のテープ>(90号)日本人の思考と行動のパターン
配信日:2009/4/23

 万能学者・小室直樹氏は、私と同じ年の昭和7年の生まれである。
なぜ万能かと言えば、一流大学の理学部数学科を卒業後、経済学部
を経て法学部で政治学を学び、さらに海外留学して社会学を研究し
た上、帰国しても大学教員にならず、無職・独身を通して著作に専
念してきた学者であり、私の最も尊敬する学者でもある。小室氏は
幾つもの分野の知識に精通しているだけでなく、それぞれの学問の
方法を他の分野にも応用して理論を構築している。
 とはいえ、どれだけ多くの学問の分野に通じる「理」を研究して
も、それぞれの分野の境界を示す円の中心は別々だから、全分野を
1つに統合することはできない。人間の頭脳に限界がある以上、こ
の世の創造の根源となる「元の理」をご存知ないのは当然のことで
あろう。
 
 その小室氏の最初の著書は、昭和51年(1976年)に発行された
『危機の構造』である。副題には「日本社会崩壊のモデル」という
恐ろしげな文字が並んでいる。その初版を読んで以来、私は小室氏
のファンになった。今も手元にある初版本の表紙は変色し、本文に
は至る所に赤線を引いてある。
 その後に出版された膨大な著書を全部読んだわけではないが、日
本人の宗教に関する分析など明快すぎるほどで、つい首を傾げたく
なるけれども、的を射ている点は頷かざるを得ない。
 例えば日本人にとって神仏の存在は、キリスト教やイスラム教の
ように絶対ではなく、人間が主体であって、神からの啓示によって
命令されたり指図されることはあり得ず、逆に人間の都合み合わせ
て頼みを聞き入れてくれるのが神様の役割と思っている。だから、
八百万の神から自分の願いを聞き入れてくれそうな神様を選んで信
心するのが日本人の通例ということになる。
 その上、外国から日本へ入ってきた宗教はみな、戒律がなくなっ
てしまう。だから戒律や礼拝に厳しいイスラム教は、日本人には受
け入れられないという。
 そういえば天理教において、神からの啓示による「おさしづ」
に関心が薄いというか、その啓示を絶対として受け入れようとしな
いのは、日本人の特徴を受け継いでいるからかも知れない。

 しかし明治までの日本人は、神より次元の高い自然の根元という
べき「天」への崇拝、「天道思想」を信奉していたとする説もある。
その最後の日本人の信条が、西郷隆盛の「敬天愛人」であり、夏目
漱石の「則天去私」であった。
 それが明治以後「古事記」と天皇の神聖化によって「天」が神話
や人間の次元に引きずり下ろされ、戦後はその天皇が人間宣言して
「天」は完全に消失した。そのため日本人はモラルの拠り所を全く
失ったともいわれている。
 その空白を埋めるために、教祖を通して「月日」という「天」の
創造主と「天の理」を教えられ、従来の「神」とは次元を異にする
「元の神・実の神」すなわち「創造システムとしての神」が表に顕
われたのであった。

 ひるがえって小室学説は、とくに社会学の分野で独自の理論を展
開している。氏の日本社会の分析は強い説得力がある。戦後の日本
は経済成長を目指して発展し、金権政治と企業戦士によって経済大
国にのし上がった。戦前・戦中と比べて社会状況が完全に一変した
ように見える。
 しかし、と小室氏は言う──表面的には一変したように見えても、
社会構造の深層レベルでは、日本人の思考・行動の様式(パターン)
は不変である、と。つまり、いつの時代にあっても日本人には、社
会を客観的に分析し批判する態度と能力が決定的に欠如していると
いう。しかも過ぎ去ったことを水に流す健忘症と底抜けの楽天主義
も今に受け継いでいる。こうした特徴は、デモクラシー(民主主義)
とは相容れないとすれば、未だに民主主義が根づかないのもムリは
ない。
 
 小室学説によれば、その原因として、日本人の集団組織は、目的
をいかに合理的に遂行し実現するかを追求するよりも、自分の帰属
する共同体の利益や要請のためには自分を犠牲にして奉仕しようと
する。そのような運命共同体は、宗教的な集団に止まらず、官僚を
はじめ企業や政党などの集団組織にも顕著に見られる。
 次に共同体の特徴を挙げると、
1)共同体の組織は人為的につくられたのではなく、不変の自然現
 象と同様に天与のもの、永久に変化しないものと受け取られる。
2)共同体の外部に対する関心を喪失し、内部にのみ関心が集中し
 、内外を切り離して考える。
3)体制は神聖不変と見なされる故に、内部に対する批判は一切拒
 否され、慣行の護持、無条件の献身が要求される。
4)共同体内部のリーダーは官僚化・世襲化する。現実的問題処理
 のエキスパートである官僚は、予想外の未来環境への全体的な予
 測と対応を必要とする能力を欠如し、リーダーとしては不適・最
 悪であり、その結果、恐るべき無責任体制となる。官僚は何より
 も前例と慣行を重視し、改革や試行錯誤を好まない。現在日本の
 組織内部で多発する様々な事件は、以上のような共同体の特徴を
 明確に実証している。

 このような日本人特有の共同体意識は、あらゆる集団組織を人為
的で可変的なものとするデモクラシー(民主主義)と明らかに矛盾
している。人間の集団組織が天与のものである筈はない。むしろ心
の自由を許された人間が組織を形成すれば、天然自然から逸脱する
のは当然といえる。
 したがって、心のほこりを払い、組織の掃除を怠らず、最も完全
な自然の生命組織に適合するよう、常に反省と改革が必要となる。
そうでなければ、戦前・戦中から敗戦に至る「危機の構造」が再び
繰り返される結果となりかねない。
 教団の場合も、布教・伝道を進める本来の目的よりも、共同体と
しての利益や安定が優先され、社会への関心が薄れ、一切の批判が
拒絶される。しかも教団内のリーダーは前述の官僚的な特徴をもつ
ようになる。

 私が組織を批判する発言を平気でするのは、人間で構成される組
織集団が天与のものでない以上、不自然で人為的な組織制度をより
天理に適ったシステムに近づける必要があると思うからだ。
 64年前に戦争が終わった時、リーダーの役目を担っていたオト
ナたちが180度言動をひっくり返した姿に接して、私は人間の思想
や行動がいかに変りやすく信用できないものかを思い知らされた。
それ以来、リーダーの立場に居座っているエリートを疑いの目で見
ることにしている。
 親神によって創造され生かされている人体でさえ、人間が思うま
まにお借りしている間に病気になることがある。まして人の集まり
からなる組織集団が不完全なのは当然である。人工の機械でも、ホ
コリが溜まって機械に詰まれば動かなくなる。
 
「互いに遠慮は要らん。遠慮は追(つい)しょうになる。追しょう
は嘘になる。嘘に追しょうは大ぼこりの台」(31.5.9 おさしづ)

 社会学の重要な概念として「アノミー」がある。アノミーとは、
無規範・無秩序・無規制・無連帯などの意味で、ルールが完全に欠
如した社会状況を表している。アノミーには単純アノミー、急性ア
ノミー、構造的アノミーなど幾つもの種類がある。
 現代社会で自殺や無差別殺人が多発する原因を解明するために
「アノミー」は重要な概念だが、この言葉について考えるのは別の
機会に譲ることとしたい。



<心のテープ>(91号)おさしづ研究会を終えて思うこと
配信日:2009/4/30

 25日午後1時30分から「第2回おさしづ研究会」を前回と同じ
会場「きらめきプラザ」2階の小さな会議室を借りて実施した。
 先月の参加者3名がそれぞれのご都合で欠席された代わり、初めて
の参加者が3名あった。合計に増減はなく私を含めて7名。
 今月25日は土曜日に当たっていたので、東京都から高速道路の特
別料金を利用して、MLメンバーが夫婦でおぢば帰りされて、会にも
参加して下さった。会場の別名が「男女共同参画プラザ」なので、女
性の初参加で看板通りになった。
 
 簡単な自己紹介のあと、例によって私が手書き資料第一部の内「教
祖ひながた・古き道の理」の章から、教祖が定命を縮められた理由を
テーマを選び、そのテーマに関連する「おさしづ」の神意を紹介した。
一般に教えられている「子供可愛いゆえ」というのは、多くの理由の
中の1つに過ぎないことを知らない人が多い。
 一々おさしづ本文を講読する時間はないので、どうしても結論だけ
を説明することになる。私は口でしゃべると思いの半分もうまく表現
できず、文章を書くことしか能はないので、話しながら自信を失いそ
うになる。しかも、資料の14ページから41ページにかけて、文字で
書いてあることを口で言い換えているだけでは何もならないので、つ
いテーマが横道に逸れることになる。
 
 多くの教語の出典は「おさしづ」から派生している。しかし、神意
と全く違った意味に曲解されて用いられている場合が多い。前に「つ
くし・はこび」の教理を「おさしづ」に50節もある諭しをもとに解釈
したところ、誰もが目からウロコが落ちた思いがしたという感想を聞
かされた。
 したがって、今後は教理や教語についての疑問・質問を提出して頂
き、「おさしづ」の神示をもとに元となる神意を探求することも大事
ではないかと思う。もし質問がなければ、私のほうから問題のある教
語や教理について「おさしづ」をもとに正しい意味を説明することに
してもよいと思う。
 
 第2回の場でも、「理の親」の意味について質問があったので、
「おさしづ」には唯一度 教祖のことを「理の親・道の親」という言葉
で呼ばれている個所はあるが、教会長を指して言われたのではないと
応答した。「理の親」ではなく「親の代わり」「親の役」という言葉
で、道のようぼくを修理丹精するように諭されている。「理の親」と
いえば生まれつきの身分と錯覚しやすいが、「親の代わり」「親の役」
は、自分がその気になって努力しなければ務めることはできない。そ
れ故、両者の言葉には大きな違いがある。この問題については、小著
『教祖ひながたと現代』の中で明記してあるのだが。
 直属大教会に事情が起こるたびに、本部としては、「理の親」は教
祖お一人だけしかないことを部内に強調されている。そうしなければ、
どんな間違った言動をしても大教会長を更迭することはできないから
だ。前真柱の時代から事あるごとに注意を促されているのだが、教会
長の立場にとって都合の悪いことは聞き流されてしまう。
 
 最近、メルマガの内容が個人と無関係に全体的なテーマになりがち
なので、ここで個人レベルの通り方を確認しておきたい。一言で申せ
ば、ようぼくの悟り方・通り方は「おかきさげ」に説き尽くされてい
ると申しても過言ではない。
 ご承知の通り「おかきさげ」は、飯降伊蔵本席から「おさづけ」を
拝戴していた当時、一人ひとりに下がるお言葉は違っていたのだが、
その中から最も共通した神意を説き聞かされているお言葉を集約して、
そのエッセンスというべきお諭しをまとめたものが「おかきさげ」で
ある。したがって、「ようぼく」に対する親神様の思し召しが圧縮さ
れているのだ。例えば、
「それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つ
が我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどうい
う事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取
る。受け取る中に、たゞ一つ自由(じゅうよう)という一つの理。自
由という理は何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理に
ある。日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、
一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一
つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。
よく聞き分け。・・・」
 さらに「おかきさげ」は続くが、ここには「ようぼく」の通り方の
根本が明示されている。
 
 昔から「病いのさとし」というものがある。私自身、最近も身上諭
しを聞く機会があった。例えば 狭心症という心臓病の理(原因)は
”心が狭い”からで、広い寛大な心になるよう努力を続けているうちに
治癒した、と講師自身の体験を語られていたから間違いない。また難
病の一つ、膠原病(リウマチなど)は、他人とくに身内を”責める心”
を持たないようにすればご守護いただけるという。白血病は血液のガ
ンだから、血縁同士のトラブルをさんげすることが大事とも聞いたこ
とがある。
 このような身上諭しは、一つ間違うと人の心を型にはめたり責めた
りする道具になりやすい。とはいえ、心身は同根であり共通の理で成
り立っている以上、決して無関係ではない。
 
 教祖伝逸話篇125「先が見えんのや」に、
<中山コヨシが、夫重吉のお人好しを頼りなく思い、生家へかえろう
と決心した途端、目が見えなくなった。
 それで、飯降おさとを通して伺うてもらうと、教祖は、
「コヨシはなあ、先が見えんのや。そこを、よう諭してやっておくれ」
と、お言葉を下された。
 これを承って、コヨシは、申し訳なさに、泣けるだけ泣いてお詫び
した途端に、目が、又元通りハッキリ見えるようになった。>
 と記録されている。この場合、先が見えないという心の状態が、文
字通り、目が見えないという身体的な視覚障害の原因になっている。
 
 私としては、最も普遍的な心身共通の理を元として、誰にも当ては
まる身上諭しを提言したい。つまり、体内のあらゆる細胞や内臓が一
刻も休みなく新陳代謝で掃除され、老廃物が体外へ排出され、分子が
入れ替わっているから健康で生きていられる。この十全の守護のはた
らきを手本として、我がの理である心の掃除を日々続けることが、心
身の健康の元となる。人工の機械でもホコリが詰まれば動かなくなる
のは当然といえる。
 
 今号も最後に「心の理」に関連する「おさしづ」の一端を謹写して
終わることとしたい。
「(相手を)立て(れ)ば(自分も)立つ。(相手を)倒(こ)かせ
ば(自分が)倒(こ)ける。これ一つ天の理という。この理を心得
(えれ)ば、何一つの難も無いという」       (25.2.20)
「道に間違いは無い。心の間違い。道の理に心の添わんというは、人
間心の間違い。道の理と心の理と合わねばならん、合わさねばならん」
                         (31.3.19)



<心のテープ>(92号)憲法とは何だろう?
配信日:2009/5/7

 先日5月3日は62回目の憲法記念日であった。前号で、身上さとしに
ついて触れたので、今週は心身の健康に関連する情報を補足するつもり
だったが、憲法記念日に因んで、急きょ憲法について考えることにして、
いのちの原点というべき新陳代謝と免疫力についての情報は次号に譲り
たい。心身の健康も大事だが、国や社会の危険な動向に気づかなければ、
取り返しのつかない結果になりかねない。道のようぼくである前に日本
国民に違いないのだから。
 事実、前々号で万能の学者として紹介した小室直樹氏の著書『痛快!
憲法学』(集英社/2001)は、「第一章 日本国憲法は死んでいる」か
ら始まっている。そのタイトルの横には、憲法の前文の一部が並べられ
ている。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国
全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び
戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国
民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)

 さて、なぜ憲法がすでに死んでいると断言できるのか。その理由につ
いて小室氏の説に耳を傾けよう。小室先生はまさに博学多識、本物の学
者として信頼できるからだ。私自身、小室氏の憲法論を読んで「目から
ウロコ」の思いをした一人なのだ。
「第二章 誰のために憲法はある」には、やはりタイトルの横に次の条文
が掲げてある。
「この憲法は、国の最高法規であって、その条文に反する法律、命令、
詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有し
ない」(第98条)
 とすれば、最高法規である憲法と、その他の法律とは、どう違うのか。
著者に従って、法律とは何かを確認しなければ前へ進めない。
 法律とは、国家権力による強制的な命令であると言って間違いない。
それでは誰に対する命令であるかと言えば、その対象者は法律によって
異なっている。
 
 民法は国民全体に対する命令であるが、刑法は一般国民のための法律
ではなく、かと言って違反しないように犯罪者を戒めるための法律でも
ない。つまり刑法は、犯罪に応じて定められた刑罰を正しく判決するた
めの裁判官を対象とする法律ということになる。例えば、裁判官が殺人
罪を犯した容疑者に1年以下の懲役を宣告したり、窃盗罪に死刑の判決
をすれば刑法違反ということになる。したがって、刑法に違反する恐れ
があるのは裁判官であって、犯罪者は刑法に基づいて裁かれる対象では
あっても、刑法違反者ではない。刑法は道徳的な規範を定めるために制
定されたのではない。それ故に、国民全体に共通する規範や慣習を失い
つつある日本では、法律以外に歯止めがなくなって、無差別犯罪が多発
する原因の一つとなっている。この状況を社会学ではアノミーと呼ぶ。
 
 現在の家庭崩壊、学級崩壊、無差別殺人など、すべての無規範(アノ
ミー)状態は、憲法が死んでいることに原因があり、しかも今の日本に
は民主主義も根づいていないという。「まさに日本は滅びの渕に立たさ
れていると言っても過言ではない」と著者は断言している。
 憲法は生き物だから、それが死んでしまった現状では、護憲も改憲も
無意味となる。但し人間と違って、憲法は一旦死んでも、国民の自覚次
第では再び生き返ることができる。そのためには、憲法は他の法律と根
本的に違うことをはっきり知らなければならない。

 ここで、法律的に警察や検察の立場はどこにあるのかということが重
要な問題になる。間違ってはならないのは、裁判官は司法権に属してい
るが、検察官は行政権、つまり政府・官僚の一員であり、両者の立場は
全く違うということだ。検察は決して中立ではなく、政府側の立場にな
るのだ。
 ところが日本の新聞・テレビなどのマスコミは、昔も今も、政府権力
の代理という立場にある検察を無条件に信頼し、検察官の調査や発表の
正当性を無条件に認める傾向がある。最近も野党に対して不公平な検察
の動きがあっても、マスコミは検察の発表を批判しようとしなかった。
戦争中の新聞・ラジオは、軍部官僚の言いなりになっていた。一つ間違
えば、今でもマスコミは権力の手先になってしまう危険があることを忘
れてはならない。
 
 
 さて、憲法という法律は上記の民法や刑法とどう違うのだろうか。
 憲法は成文法ではなく慣習法であると定義づけられている。成文法と
慣習法の違いは何かと問われても簡単に答えられないのだが、この違い
が憲法の生き死にと深い関係があるという。憲法の条文が国民の間で慣
習として定着していない限り、その憲法はただの「紙切れ」になってし
まう、それが成文法との違いになるという。つまり、憲法を生かすも殺
すも国民の自覚次第だということになる。
 
 前述の通り民法や刑法は、国民または裁判官や検察官を対象に定めら
れたものであった。それらの法律は、国会の決議や最高裁で廃止の決定
がなされない限り、いつまで経っても生きつづけている。
 ところが憲法だけは、国民を対象として書かれたものではない。では
誰を対象に定められたのかと言えば、国家権力のすべてを監視し束縛す
るためにあるのが憲法だ、と著者は明言する。国家権力には、司法、行
政、立法のすべてが含まれる。公務員つまり警察や官僚も権力の一部に
他ならない。「したがって、憲法に違反することができるのは国家だけ」
と著者は言う。「これが日本人には全く理解できていない」と。
 
 ここで、最初に掲げた憲法の前文を、もう一度読み返してみる必要が
ある。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること
を決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定す
る」(前文)
 言論の自由をはじめ、人権や生存権などを保障する義務は、すべて政
府権力に課せられている。自由とは、権力からの自由に他ならない。国
家だけが、法律を定めて言論の自由を侵す危険性があるからだ。
 実際、国家には警察や自衛隊という、武装した暴力による強制力があ
る。法律一つで財産を丸ごと取り上げたり、否応なしに徴兵することも
できる。これらは前の戦争中に、当然のごとく行われたところである。
 日本国民が目覚めるべきは、国家権力を「お上」と尊敬したり「善な
る力」と錯覚しないことである、と小室氏は重ねて警告している。国家
は恐ろしい怪物あるいは怪獣に似ていることを忘れてはならない、と。
 
 日本だけではなくアメリカ合衆国も、1776年独立宣言した当時から
南北戦争を経て、凡そ40〜50年前までは黒人差別があった。デモクラ
シーや人権尊重どころか、奴隷制度や原住民への仕打ちなど、120年前
までは無法状態に等しく、実情はひどいものであった。
 ただ日本と違って、独立宣言や合衆国憲法の精神は死に絶えることな
く、人種差別も次第に撤廃され、このたび初の黒人オバマ大統領を選出
した。こうしたアメリカ国民の自覚と努力に敬意を表したい。

 さかのぼれば、日本にも大正デモクラシーと呼ばれた時代があった。
もちろん 私の生まれる前だから 体験したわけではないが、 昭和11年
(1936)に起こった2・26事件をきっかけとして軍部によるテロが横
行し、民主主義が崩壊して軍部独裁に移行してゆくことになる。
 それ以前から第一次大戦後の世界的大恐慌があり、不況の波が押し
寄せて、国民は失業と貧困に陥った。そうした100年近く前の様相が、
現代と二重写しに見えてくる。ということは、このままでは政府権力
やマスコミが、知らぬ間に憲法を無視して日本を危険な方向に引きず
っていく可能性があるということだ。
 かつて大正デモクラシーが崩壊していった1930年代と現代の状況を
重ね合わせて、憲法を生き返らせるために目覚める必要があるけれど
も、すでにテープが長時間になったので、又の機会に続けたいと予定
している。



<心のテープ>(93号)「国会では治まらん」(前号の補足として)
配信日:2009/5/14

 前号のはじめに「道のようぼくである前に日本国民に違いないのだから」
と、憲法に無関心ではいられない理由を記したのだが、メルマガを配信し
た後で、日本国民である前に親神様あって人間(自分)があるという理の
順序に思い当たった。
 こんな当たり前のことに気がつかないほど、言論と信教の自由を保障さ
れた戦後の憲法は有難いと思わずにはいられない。敗戦に至るまでの数十
年の間、時の政府や法律が、教祖をはじめ天理教会を、どれほど目の仇
(かたき)にして邪魔立てしてきたことか。
 タイトルの「国会では治まらん」という一節は、末尾に書き写した明治
24年の「おさしづ」の中に出ている。ここで言われている「国会」とは、
明治憲法に基づく帝国議会を指している。事実その後、軍部が独裁的に
権力を握り「国会では治まらん」結果となり、国民の自由と人権を禁圧し
て無謀な戦争に突っ走る歴史を辿ることになる。
 現在の国会で治まるかどうかは未知数だが、これからも混乱が続く可能
性は強いだろう。
 
 神一条の道(理)に対して「応法の道(理)」という教語があることを
ご存じの方は多いに違いない。その意味は「一時的に教祖の教えに添わず
法律に順応してもやむを得ない通り方」のことで、昭和20年までの天理教
は文字通り「応法の道」であった。
 戦後は民主憲法によって信教の自由を保障されているから、法律によっ
て神一条の道を妨害される事情はすっかり解消された。
 それ故、戦後は応法=神一条となり、逆に民主的な法律に対応していな
い面があれば、神一条の道から外れる結果になりかねない。いわば、昭和
20年を境にして「応法」の意味が逆転したことを再認識する必要がある。
 
 明治から 昭和20年までの法律によって、天理教は政府権力から散々に
弾圧された悲劇の歴史がある。そうした事情に即して啓示された「さしづ」
(教祖直々の諭しを含めて)を読み返してみたい。
 明治20年1月、教祖がお姿を隠される直前、初代真柱との一連の神人問
答の中で、誰知らぬ人のない教祖直々のお言葉がある。初代真柱は、天皇
を神格化した古事記以外の教説を認めない政府の国策と異なる教祖の教え
に対して「人間は法律にさからう事はかないません」と申し上げたところ、
すかさず教祖が諭されたお言葉は、
「さあ/\ 月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ /\あり、それ
/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一や
で」(稿本教祖伝320頁)
 この教祖直々の「さしづ」には、明らかに「理の順序」が啓示されてい
る。その直後のお言葉に、
「さあ/\実を買うのやで。価を以て実を買うのやで」
 さらに、
「さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか」
 という厳しいお諭しが続いていることから思案すれば、「律ありても心
定めが第一やで」という神意は明らかであろう。つまり、憲法であれ何で
あれ、人間の都合で定めた法律と神のさしづが相反する場合、法律に反し
ても神一条の理を立てるのが順序、と受け取ることができる。
 この切迫した1月26日の大節に際しては、警察に拘留されることを覚悟
の上で、教祖が現身を隠される直前に決行したおつとめが終わるまで、取
締りの警官は一人も現れなかったことが記録されている。

 その後、飯降本席の時代になって以後も、国の政策と道の教理が相反す
る事情に遭遇するのだが、それぞれの事情に応じて、道につながるようぼ
くを連れて通ろうとされる親心を「おさしづ」の節々からうかがうことが
できる。戦前の天理教は、法律との葛藤と応法に苦慮した悲劇の歴史であ
ったということができる。
 例えば明治29年4月6日に発令された「内務省秘密訓令甲第12号」を
見れば、政府の方針が明かにわかる。
 秘密訓令は、天理教は淫祀邪教であるから、何かと難癖つけてでも天理
教を潰してしまうことが目的であった。その訓令は警察の元締めである内
務省から各警察に発令された。原文は次の通りで、読みにくいが、大意を
読み取ることができる。
「近来天理教の信徒を一堂に集め、男女混交ややもすればすなわち風俗を
乱れるの所為に出で、或いは神水神符を付与して愚昧を狂惑し、遂に医薬
を廃せしめ、もしくはみだりに寄付を為さしむる等、その弊害漸次蔓延の
傾向有り、これを今日に制圧するは最も必要の事に候条、将来は一層警察
の視察を厳密にし、時宜に依っては公然会場に臨み、もしくは陰密の手段
を以て非行を抉摘し、その刑法警察令に触れるものは直ちに相当の処分を
なし、又そのしからざるものは、必要によりては祈祷説教を差し止め、も
しくは制限する等臨機適宜の方法を用いて、その取締りを厳重にして、殊
に金銭募集の方法については最も注意を周密にし、且つその状況は時々
すべし。なお、神仏各宗派にして禁厭祈祷、風紀並びに寄付金に関し天理
教会に譲らざる弊害あるものも可有り。これまた同様の取締りを為すべし。
 明治29年4月6日 内務大臣 芳川顕正」

 明治29年といえば、教祖がお姿を隠されてから10年目、その1月には教
祖10年祭を盛大につとめてから3ヵ月目のことであった。当時の教勢は、
たしかな史料によると、信徒数313万7113人、教師数19061人。この年、
秋田県を最後に、沖縄を除く全国府県に天理教会が設立されたという(分
教会17カ所、支教会185カ所、出張所484カ所、布教所392カ所)
 現在と比べて、300万以上の信徒数に比して教会数が少ないのは、それ
だけ1名称当たりの信徒数が多い状態を表している。現在の信者数の実数
は、当時の10分の1以下になっているので、いわば「生き残り」のような
状態かも知れない。

 上記の秘密訓令が発令される2日前の4月4日の「おさしづ」には、
「この道は会議から成り立った道か。会議するから遅れる。出て居る者も
明日日に早く皆呼び取って了え。このまま送れば、びっくりするような事
出け(来)る」
 と予告されている。さしづを棚上げして、いくら人間の知恵を出し合っ
て会議しても、人間思案に過ぎないことを警告されている。
 さらに秘密訓令が発令されて半月後の事情伺いさしづには、
「さあ/\(政府から)いかな事も言うて来る/\。皆これまで十分話伝
えたる。どんな事しようと思うて成るやない。今一時尋ぬる処、どういう
事もある/\。・・・(中略)・・・水が浸く、山が崩れる。大雨や/\。
行く所が無いなれど、後はすっきりする。今一時どうなろと思う。心さえ
しっかりして居れば働きをするわ/\。反対する者も可愛い我が子、念ず
る者は尚の事、なれど念ずる者でも、(さしづを)用いねば反対同様のも
の。これまでほんの言葉々々でさしづしてある。これはというようなもの
は、さしづがさしづやないと言う。・・・
・・・山が崩れる、水が浸く。雨風や。何処へ駈け付く所も無いというよ
うなもの。泥水すっきり流して了う。泥水の間は、どんな思やん(案)し
てもどうもならん。心一つの理を繋げ/\。いかんと言えば、はいと言え。
言えば、はいと言え。どんな事も見て居る程に/\」(29.4.21)

 この「おさしづ」の啓示を拝読すると、たしかに「いかんと言えば、は
いと言え。ならんと言えば、はいと言え」と政府権力に順応することを許
されているようだが、あくまで「泥水すっきり流して了う」刻限を前提と
して、「心一つの理を繋げ」と、形や建前ではなく、道の者としての連帯
を強固にするよう、目に見えない理を心に治めるように諭されている。
 と同時に、何とか道のようぼくを連れて通ろうとされている親心を痛感
せずにはいられない。一方「なれど念ずる者でも、(さしづを)用いねば
反対同様のもの」と厳しく戒められているのは、そうした危険な傾向が内
部にあったからではないだろうか。
 
 その後、天理教本部は、内務省訓令に対応するために連日会議し、紛糾
の末に次のことを決議した。5月18日のことであった。
1)朝夕の勤めにある「あしきをはらうて」を止め、「ちょとはなし」と
「かんろだい」だけにする。
2)かぐらづとめを自主規制して中止する。
3)守り札を神鏡に改める。
4)天理王命は、神道的な神名「天理大神」に改称する。
 これらの重要な決定の他に、2年前の明治27年8月に始まった日清戦争
に際して、政府からの人夫派遣の要請について本席に伺ったところ「要ら
ざる事やなあ」という「おさしづ」に従って協力しなかったことが、秘密
訓令の一因になったとして、以後、本部は戦争協力の姿勢を強める方向に
舵を取ることになっていく。
 1)の「あしきをはらうて」の地歌や手ぶりは元々なかったとして、後
で一部の者が勝手に付け加えたという説をなす人がいるが、上記の史実を
知らないための誤説である。最初に教祖から教えられた「あしきはらうて」
の地歌は、明治41年一派独立後に復活したものと思われるが、秘密訓令の
節に削除した理由は、恐らく地歌の最後に21回くり返して唱える「天理王
命」を「天理大神」に改変したからと推察できる。
 さらに言えば、つとめや神名の改変よりも、世間から誤解の因となって
いる金銭的な問題に留意するべきではなかったのかと思われてならない。
 その年の秋、秘密訓令の対応を巡って、教会本部の前川菊太郎、橋本清
両本部理事が相次いで辞表を提出した。9月に橋本が辞表提出、12月に
は前川も同調した。いわゆる前橋事件といわれる事情であった。

 はじめに記した通り、戦後は神一条の理と法律が相反する場面はなくな
った。憲法をはじめとする法律が民主化され、言論と信教の自由を尊重す
るように改革されたからであり、教祖が現身を隠される前後のさしづで
「世界一れつろくぢ(平地)に踏みならす」と予言されていた刻限が到来
したからに他ならない。
 とすれば、現行の憲法が改変されることなく、9条を守ることは神一条
の理を立てることになる、と信じることができる。
 昭和20年8月15日こそは「一日の日」であり刻限であった。(見えん
先から説き聞かされた啓示の数々は「手書きおさしづ資料:第二部 神の
預言」に収録している)
 それにしても戦後64年を経た現在、上記の秘密訓令のような迫害干渉
がなくなったにもかかわらず、どれだけ神一条の理を堂々と世界に伝え
広めることができたのかを思い返すと、親神様・教祖に対して申し訳な
い思いに駆られるのは私一人であろうか。
 終戦までの「応法の道」を止むを得ないするならば、戦後の天理教が
民主憲法に応じているかどうかを問題にしなければならない。
 人体で言えば龍頭(頭脳)に当たる鏡やしき・ぢばにつとめる人々の
責任は特に重いといわなければならない。県庁や市役所という呼び名は、
土地や建物だけではなく、知事や市長および公務員の役目を意味してい
るように、「ぢば」は単に地点ではなく、そこに勤める人間が追従(つ
いしょう)という心の曇り濁りを浄め、さしづ通り神一条の心を定める
かどうかにかかっている。
 最後に手書き資料の中から「おさしづ」の一端を拝読して終わりたい。
 
「お陰/\と待ち兼ねたる処、又一つには(明治憲法)改正々々という、
明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更
にあろうまい。一夜の間の事情を見よ。・・・万事一つの事情を定め掛
け。定めるには人間の心は更々要らん。弱い心は更に持たず、気兼遠慮
は必ず要らん。さあ思やん(案)してくれ。これから先は神一条の道。
国会では治まらん。神一条の道で治める。怖わい道があってやれ楽しみ
という。・・・国々国々の処、万事取り締まり、さあ/\何か談示々々、
談示の決は、これまでよりも神のさしづ。さしづ通りの道なら、どんな
事も遠慮気兼ねするやない」              (24.2.7)
「澄んだ道から澄んだ心が鏡やしき。澄み切ったもの。曇りあっては世
界映ろうまい。少しでも曇りあっては、世界は丸曇り」 (28.3.18)
「ぢばも鏡なら世上も鏡、世上の理も映ればぢばの曇りも皆映る」
                           (30.2.1)
「追しょうは濁りの台である。これをよく聞き分け。・・・追しょうは
騒動の元、追しょうあればどうもならん。追しょうの中に濁り心の迷わ
す理、めん/\潰れる台してるようなもの。追しょうはその場のもの。
良い顔して追しょうから追しょう出る。皆(追しょうを)してる。息し
てる間は皆してる。・・・」             (31.4.20)
「さあ/\もうこれ、どうでもこうでも、掃除という。刻限出した限り
には、仕遂げにやならん。掃除仕遂げる。隅から隅まで掃除に掛かる。
掃除に掛かりたら、あちらこちら声が聞く/\。どんな事を聞いても、
心を授けた限り、一名一人の心という。おめも恐れも無い。控え心は
受け取る事出け(来)ん、と諭し置こう」       (32.11.3)
「国の一つ事情も、道の事情も同じ理。一日の日を以て尋ねた順序の理
のさしづ、こういう事あったと、皆々心に十分含んでくれ。皆何でも彼
でもという心あっても、どれだけしても、理が無くばどうもならん。
一日の日がある。越し難くい。飲むに飲まれん。行き付かにゃならんで。
これよう思やん(案)定めて、一つの心に定めてくれ。聞いて心に治ま
ってなくば、一日の日が通り難くい」         (38.5.11)



<心のテープ>(94号)社会の病い=アノミーの原因
配信日:2009/5/21

 初めに、アトピーではなく「アノミー」という聞き慣れない社会学の
用語について承知しておく必要がある。アノミーの意味は、無規範・無
秩序などと訳されるが、要するに社会に共通する権威が失われた時に発
生する異常な事態を表している。
「権威」とは、正邪善悪の規範(モラル)を決めるものをいう。例えば
「虐待してはいけない」と決めるのは法律ではなく、内心に信じている
権威があるかどうかに関わっている。但し、利害打算を超えた価値でな
ければモラルにはならない。有利な就職先を選ぶために受験に合格して
一流大学に入ったり、人より以上にお金を稼いだりするのはモラルでは
ない。
 かつて子どもにとって父親は権威であったが、今は権威を失っている。
その理由は、親自身が権威を失ったからとも言える。
 権威は、個人の欲望を制御する機能をもつ。それ故、最高の権威は
「神」を信じることにある。

 社会の病いというべきアノミー症候群は、権威と連帯感の喪失によっ
て、孤独と絶望の果てに自分を見失った結果の自殺、正常に見える人の
突然の残忍な行動、無差別殺人、家庭崩壊、少年犯罪、幼児虐待の増加
等々であり、この状況を「急性アノミー」という。
 小室氏によると、戦後の日本は、天皇が神ではなく人間に戻った時点
から、国民を統合する権威が失われた。その代わりに制定された民主憲
法も、自由と平等の本質的な意味が見失われるとともに、政官財の癒着
によって、すでに死に体になっている。
 それ故、小室氏は日本の現状は絶望的と結論するのだが、私はまだ希
望は残されていると思いたい。そうした現状分析によって危機の構造を
認識すれば、デモクラシーを再生する可能性があると信じている。その
ためには、過去をふり返り歴史から教訓を学ぶことが大切であろう。
 
 昭和11年(1936)2月26日(奇しくも本部月次祭当日)、のちに
2・26事件と呼ばれているクーデターが突発した。陸軍の一部皇道派
将校に率いられた1400名の兵が首相・陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、
朝日新聞などを襲撃、陸軍省・参謀本部・警視庁などを占拠し、斎藤実
内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害、首相官邸で
も岡田啓介首相は難を逃れたものの義弟が身代わりになって殺された。
 首都東京は軍隊によって占領され、政府の機能はマヒ状態に陥った。
昭和天皇は反乱軍と断定し激怒して、直ちに鎮圧するよう命令した。ク
ーデターに蜂起した青年将校の動機は、今と同じように献金・癒着など
腐敗した政治家への不信から、天皇に帰一すべしという尊皇至誠の目的
から行動したのだから、天皇に裏切られ逆賊と言われた将兵は動揺し大
勢は帰順したが、一部の将校は自決、他に17名が死刑に処せられて事
件は決着した。
 
 この事件以後、軍に反対すればどんな目に遇うか分からないと、テロ
への恐れが政治家やマスコミに広がった。一方、国民の間には、反乱将
校の純粋な気持ちに共感する声もあった。
 その事件から7年前の昭和4年(1929)10月には、ニューヨークの
株式市場の大暴落で始まった世界大恐慌が世界中へ波及した。アメリカ
の失業率は25%にのぼり、金融機関の倒産は1万社を超えた。日本も不
況のため生活苦がひどくなり、東北の農村では娘の身売りが横行した。
 そうした社会情勢にもかかわらず、政界には利権目当ての贈収賄が蔓
延していた。陸軍では2.26事件によって皇道派は排除され、統制派と
呼ばれる勢力が中国・満州へ覇権を求めて拡大戦略を立て、国家権力を
掌握しようとしていた。
 早くも明治27年には、明治天皇の反対を無視して日清戦争を起こし、
10年後には日露戦争を始めた。軍事予算は軍部の要求通りに膨張するば
かりであった。国内には、聖戦が負けるためしはないという世論の空気
が支配し、マスコミも戦勝気分を煽り立てた。
 
 (92号)「憲法とは何だろう?」の下段に、次のような文節があるこ
とを思い起こして頂きたい。
「さかのぼれば、日本にも大正デモクラシーと呼ばれた時代があった。
もちろん 私の生まれる前だから 体験したわけではないが、 昭和11年
(1936)に起こった2・26事件をきっかけとして軍人によるテロが横
行し、民主主義が崩壊して軍部独裁に移行してゆくことになる。
 2・26クーデターの7年前(1929)から第一次大戦後の世界的大恐
慌があり、不況の波が押し寄せて、国民は失業と貧困に陥った。そうし
た80年前の様相が、現代と二重写しに見えてくる。ということは、この
ままでは政府権力やマスコミが、知らぬ間に憲法を無視して日本を危険
な方向に引きずっていく危険性があるということだ。
 かつて大正デモクラシーが崩壊していった1930年代と現代の状況を
重ね合わせて、憲法を生き返らせるために目覚める必要があるけれども、
すでにテープが長時間になったので、又の機会に続けたいと予定してい
る。」
 ということで、次に小室直樹氏の著書を参照しながら、1930年代
の情勢をふりかえり、現代と重ね合わせて考えてみたい。
 
 大正時代の議会では、民主的な政党の言論でデモクラシーは生きてい
たが、軍部の横暴と圧力で風前の灯となっていった。支那事変が始まっ
た昭和12年から4年経って、戦線は拡大する一方で戦死者も10万人
を超えていた。その時、敢然と軍部の独裁化批判と戦争反対の演説をぶ
ったのが斉藤隆夫議員であった。
 ところが、議会の内外で斉藤代議士に味方する者は誰もいなかった。
南京陥落に酔いしれた国民は戦争に熱狂し、マスコミはその空気を煽る
ばかりで、ついに斉藤議員は議会から除名され追放された。即ち国会や
国民自体がデモクラシーを捨て去った。
 その後の結果は、国民が自らまいた種であった。当時、天理教も軍部
政権による統制下にあり、様々な干渉を受けていた。
 
 さかのぼって明治憲法は、伊藤博文がドイツの憲法を研究した上で作
文したといわれるが、憲法の裏づけとして宗教が不可欠と、キリスト教
の代わりに天皇教を創った。もともと天皇の下に日本を統一しようとし
た尊皇思想は明治維新の原動力ともなっていた。
 イギリスやドイツなどヨーロッパ諸国では、憲法は国王と国民との間
の契約として制定されたが、現人神(あらひとがみ)となった天皇が国
民と契約するのは恐れ多い故に、明治憲法は天皇自身の祖先(皇祖)と
の契約として制定された。しかし、最終的に天皇に決定権を認めない立
憲君主制を採用しなければ、欧米に近代国家と認められなかった。
 それ故に、2・26事件のとき天皇がクーデターを起こした皇道派将兵
を逆賊として鎮圧を命じたり、太平洋戦争の終結について聖断を下した
のは例外的な決定であった。明治天皇が日清戦争に反対であったように、
もともと昭和天皇も戦争を拡大する意志はなかった、と伝えられている。
 
 はじめにアノミー症候群について説明した通り、戦後に天皇は自ら人
間宣言することによって「天」でも「神」でもなくなり権威を失った。
家族制度も解体された。天皇に代わって民主主義による自由と平等を保
障する新憲法以外に権威はなくなった。
 本来、自由とは何をしてもかまわないという意味ではない。上記の通
りヨーロッパ諸国で、国王の権力を制限するために闘った結果として、
国王が国民と契約したのが憲法であり、従って「権力からの自由」とい
うのが本来の意味である。
 平等とは、身分差別の否定と基本的人権の尊重を意味するのであって、
結果がすべて平等となることを意味しない。人権とは、いかなる国民も
「生きる権利は平等にある」という意味であり、人によって努力や能力
は平等ではないのだから、結果が異なるのは当然であろう。
 しかも自由と平等は矛盾していて、自由を重んじ過ぎれば平等ではな
くなり、平等を重んじようとすれば自由は制限される。
 従って、もともと政治的な意味で使われている自由と平等を個人のレ
ベルに引き下げると、社会共通の規範や秩序が失われてアノミー症状が
発生することは当然といえる。

 戦前は大恐慌による不況から軍部の領土拡大戦略に乗ってマスコミが
国民を煽り、デモクラシーを捨てて戦争を拡大し、膨大な犠牲を払って
敗戦に至るのだが、これからの日本は同じ方向へ進むことをくり返して
はならない。
 戦時中、国内では一億一心が叫ばれ、確かに国民の心は天皇の下に統
一されていた。そのため自殺や犯罪は殆どなかったが、海外の戦場では
何十万、何百万の命が失われた。
 政治権力は、昔も今も既得権益を固守し拡大するためには何でもやり
かねない。官僚や検察は権力側の立場から裏で政治家を操っている。本
来中立であるべきマスコミも権力構造に取り込まれている。
 再び「戦争のできる普通の国」にしようとする勢力もある。憲法に違
反した政官財の権力構造を監視し批判するために、国民は油断できない
のが現在の状況であろう。
 
 戦後たしかに日本人に共通する権威は失われたが、多くの宗教宗派は
各々の信者に連帯感を与え、絶望と孤独に陥らない役目を果たしている。
自殺や他殺、家庭崩壊や幼児虐待は、何らかの宗教も権威も信じない人
の中から発生しているに違いない。まして彼等には民主主義の原点とな
る人権を尊重する心は一かけらもない。その原因を追及すると、やはり
幼児期以来の家庭環境や教育にあるに違いない。
 ここにおいて、天皇教に代わる「この世治める真実の道」の必要性が
浮かび上がってくる。
 
 この道の教理は「元始まりの理」が出発点であり、親神の下には世界
一れつ兄妹姉妹であることは言うまでもない。親神様の基に世界中の人
々の心が一つに結ばれると信じる限り、ようぼくは連帯の喜びを実感す
ることができる。その輪を広げるための匂いがけに勇み立つのが当然で
あろう。
 しかし、まず教内が一れつ兄弟姉妹の心になり、自由と平等を実現し
なければ、手本ひながたとはならない。口で唱えるばかりでは、世間に
信用されることはできない。「谷底」をままに(支配)する「上・高山」
の横暴を親神様は最も残念とされ「ろくぢ(平地)に踏み」ならされる
に違いない。
 神一条の道とは、さしづ通りの道に他ならない。さしづから外れた道
は必ず事情の元となることは、次の「おさしづ」の一端を拝読すれば明
らかであろう。
 
「神一条の道は皆兄弟(姉妹)、いずこの理を以て親族(と言うのか)、
親族は心の結び合い(を言うので)、他人というはほのかな(心が離れ
ている)理、神一条の道は神やしき、鏡やしきという。・・・神一条の
道には親族(の差別)は無い」(23.6.21)
「遠慮気兼ねは要らん、すっきり要らん。遠慮気兼ねあっては真の兄弟
(姉妹)と言えるか」(24.11.15)
「これまで艱難の道を通したる。どんな日もあったやろ。何でもという
は、世界国々それ/\多く道が付いて、一つ/\兄弟の元を拵え掛けた
る。兄弟という理を聞き分け。人間という、元々一つの理より始めたる。
兄弟なら兄弟という意味が無くばならん」(28.5.19)
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指噛んでも身に応えるやろ。
あちら起こしてこちらを倒そうという理あろ(う)まい」(32.12.27)
「さあ/\兄弟という理であろう。中にも(ようぼく互いは親密な)兄
弟。一列兄弟は言うまで(もない)。こうして道という、遠く所、国所
遠く処、厭わず寄り合うた理は、生まれ(ついて)の兄弟も同じ事」
                      (35.7.20)



週刊メルマガ<心のテープ>(95号)同窓会と予科練と
配信日:2009/5/28

 まず何よりも、月例の「おさしづ研究会」を、会場や同窓会の都合が
あったとはいえ、休会にしたことを改めてお詫びしたい。これにこりず、
今後も一人でも多く参加して下さることを期待したい。
 メルマガのほうは、これからも一度も休まず続けることを約束します。
 
 さて、当日の25日、昭和20年終戦の年、天理中学2年生で、寮生活の
中でも同じ塾舎に寝起きしていた同窓生の会合があった。当時の中学寮
は、親里大路に面した旧高安詰所内にあった。
 集まったのは僅か13名であったが、同じ釜の飯を食った仲間は忘れ
られない親密感がある。しかも教会を通して全国から入学していたので、
その日集まったのも、徳島県あり東京あり神奈川ありで、広範囲にまた
がっている。まして天理市に居住する私としては出席しないわけにはい
かない。
 
 初めにここ数年の間に物故した中で氏名が分かっている同窓生数人の
冥福を祈って黙祷を捧げた。卒業後も縁のあった同級生もあり、これか
ら物故者が増えるばかりと思うと、寂しい気持ちを拭い去ることはでき
なかった。
 途中で順番に自己紹介があり、中には戦争中の食糧難で粗食に耐えた
ことが、かえって成人してからの健康にはプラスになった、と感想を述
べる者もあり、みな一様に頷いていた。
 私の発言する順番が回ってきた。私は当時の空腹はもちろんだが、夏
休みが終わって寮へ戻ってきた時、部屋の隅がノミの死骸で真っ黒にな
っていたことを思い出して話したら、みんな笑って同意してくれた。
 出席した一人が写真のコピーを持参して配布してくれたが、何と中学
2年の頃の集合写真であった。決して鮮明とはいえない白黒写真であっ
た。私は自分がどこにいるのか、とても見分けられなかったが、それで
もちゃんと見分けて指さして教えてくれる者がいた。そう言われると自
分のような気がする程度にしか分からなかった。
 次は自著の中から同窓会誌に転載した文節だが、再度ここにコピーし
ておきたい。
 
 <戦争の原体験から>
 かつての戦争末期、中学2年生の寮生活で体験した記憶は、今も心の
奥底に残っている。大型爆撃機B29の編隊がひんぱんに上空に飛来する
ようになり、そのたびに、今にも頭上に爆弾が落ちてきて死ぬのではな
いかと恐怖に襲われたものだ。
 食べ盛りの中学生の集団生活であったから、極度の食糧不足をめぐる
トラブルは避けられなかった。全寮制だったので、数百人の生徒が空腹
を抱えて毎日を送っていた。昼の弁当はほとんど朝のうちに食べてしま
い、それでいくらか空腹が満たされる分量しか配給はなく、昼食抜きの
一日2食が習慣になっていた。
 寮生活で何より重視されたのは、食糧を「独り占めしない掟」であっ
た。家から送ってきた慰問品に煎り大豆や麦粉や餅などがあると、それ
を僅かずつ同室の仲間と分け合って食べながら、強い連帯感に満たされ
た記憶を今も忘れることはできない。鶏の餌にすると偽って米屋から分
けて貰った米ヌカを火鉢で煎って、仲間とともに飢えをしのいだことも
あった。同じ苦難を共有した体験は、自分だけ独り占めする満足とは比
べものにならない一体感にめざめる原点となったのである。
 当時、現在の天理市には予科練(海軍航空予科練習生)が1万人近く
駐屯して訓練を受けていた。予科練は他でもない特攻隊の養成機関であ
った。
 ある日、兵舎となっていた信者詰所から、20歳前の練習生たちが隊
列を組んで私の目前を駆け足で近づいてきた。その若々しい半裸の肉体
の群れに圧倒されながら、私は立ち止まって兵士たちを眺めていた。若
者たちの集団が発散していたのは、まさに強烈は生命のエネルギーだっ
た。躍動するいのちの美しさを目前にした鮮烈は印象は、今も私の脳裏
に焼きついている。
 数カ月後に敗戦を迎えたが、後になって多くの特攻隊員が戦場に消え
た悲劇に思い至り、街角で見た情景が浮かぶと、何と若いいのちがムダ
に使い捨てられたことか、と彼らを戦場へ追いやった国家権力を憎んだ
のであった。>(自著『元の神・実の神』から一部抜粋)
 
 じつは同窓会当日の25日から数日前のこと、身内の者から久しぶりに
電話があった。私が以前から戦争を語りつぐ高齢者の証言を集めている
のを承知の上で、その用件というのは、戦争末期に天理市に駐屯してい
た予科練全体の安全管理のトップの立場にあった海軍士官(現在89歳)
が、26日におぢばに帰参するので、会って話を聞いてみないかという。
私は願ってもない機会と思って是非お会いしたい旨を返答した。
 私たち中学生が寮生活をしていた高安詰所の正面を奥まで進むと突き
当たりに天守閣のような建物が今でもあり、そこが予科練の司令部にな
っていた。ということで、同窓会の翌日26日、奇しくもその天守閣(今
でも海外部の一部として使用されている)に勤めていた海軍士官の方と
面談することになった。
 
 65年前の同じ時期に、片や詰所の入口近くの「きしん南塾」という名
の塾舎に寝起きしていた中学1年生と、片や同じ敷地内の司令部で予科
練を統率していた海軍士官が再会したというわけであった。まさに偶然
とは思えない時間と同窓会との符合であった。
 その方は天理市の詰所を兵舎として駐屯している間、天理教からお借
りしているのだからと建物を傷つけないよう細心の注意を怠らなかった
という。戦後、別席を運びおさづけを拝戴して、今でも天理教の教えは
世界一素晴らしいと信じている、と語って下さった。
 今や90歳近くの高齢となりながらカクシャクとした元海軍士官の波乱
に満ちた回想談は興味深々であったが、ご本人の承認を得ずに公開でき
ないので、今はこれで止めにしておきたい。



<心のテープ>(96号)新陳代謝と心身の健康
配信日:2009/6/4

 以前(91号)で、身上さとしに関連して心身の関係について触れたの
で、今週は心身の健康について情報を発信したい。
 その91号で、狭心症には”心が狭い”という理があるという話を研修会
の講師先生から聞いたことを報告した。そこで、たまたま過去に狭心症
になって、主治医の指示でニトロを携帯している無信心の知人にその話
をしたところ、
「心は心臓にあると信じていたのは昔の話やで。心は脳にあることが今
は常識になっているから、狭心症と心は関係ないやろ」
 と言下に反論された。すぐに適当な言葉が思いつかないので、焦りな
がら私は、
「いや、脳はパソコンみたいな道具やから、半導体素子と同じ脳細胞に
心がある筈ないやろ」
 と、訳の分からない言葉をつぶやいた。
 実際にいろいろな感情を表現するのに「腹が立つ」「胸が張り裂ける」
と言っても「脳が立つ」「脳が張り裂ける」とは言わない。英語でも心
臓は、心を意味する「heart(ハート)」と同じ単語になっている。

 その後、知人と別れて独りになると、心と体の関係をはっきり答えら
れなかったことが残念で仕方なかった。元始まりの理を基本として、私
は半生かけて心身相関の謎を解明しようと努力してきたのではないか。
 今や脳科学は花盛りで、「脳」という文字を表題につけた本が次々に
出版されている御時世である。とはいえ、記憶や意識の実体については、
科学的には殆ど何も分かっていないのだ。
 脳はパソコンと同じ、というよりパソコンは脳の機能の一部を最大限
に応用した機械といえる。
 パソコンは外から電源を入れなければ動かないのと同じように、脳の
細胞自体は電源にはならない。だから意識を持続するエネルギーは脳の
外からの入力がなければなければならない。脳は心の道具ではあっても、
脳から心が生まれるのではない。
 
 ワープロは文字や文章を印字できるが、その文字や文章の意味は全く
知らない。
 パソコンのソフトは脳がなければ設計できないが、脳の細胞自体が考
える力を持っているのではなく、記憶として脳に蓄積された様々な情報
をつないだり・切ったり・組み合わせたりする理の機能(働き)が思考
の元となる。それが理を自由に応用できる心の働きに他ならない。
 パソコンは花の映像を画面に映すだけで、機械自体がそれを観察して
花の名前や色を識別したり、美しいと感じたりするわけではない。つま
り情報の意味を知らないまま文字を変換したり、イメージやカラーをデ
ジタル化して画面に再現しているだけなのだ。自分の脳細胞が喜んだり、
善悪正邪の価値を判断したりできると科学者は信じているのだろうか。
 
 この心身相関の問題については、小著『元の神・実の神』の「二章 心
と体のしくみ」で取り上げて分析したことがある。
 生物と無生物の違いは新陳代謝(体内の物質を分解・合成し続ける作
用)であり、その新陳代謝の働きこそ、切る・つなぐ・引き出し・突っ
張り(組み立て)などの守護の理に他ならない。
 体は物質を処理して生命を維持しつづける一方、心は情報処理によっ
て思考し創造するのであり、いわば同じ守護の理を仲立ちとして、心と
体は相対的な関係にある、と言うことができる。
 
 かつてアメリカで心肺同時移植手術を受けたフレア・シルビアという
患者が、ウイリアム・ノヴァクと共著で『記憶する心臓』(飛田野裕子
訳/角川書店)という本を出版したことがある。その中で、バイク事故
で死亡したドナーの若い男性の心臓と肺が単なる部品ではなく、彼の記
憶と意識を伴ってシルビア自身の体内にあると思えるようになり、ドナ
ーの個性の一部が体内で生きつづけている証しとして夢の中で会話した
りする。
 他の臓器移植を受けた患者も同様に、ドナーの影響を受けて、食べ物
の好みや性癖の変化に気づいていることがわかった。
 
 この本の内容の紹介とともに、心が腸や心臓・肺臓にあるという珍し
い学説を提唱している西原克成という医学者が現存している。西原博士
の著書『内臓が生みだす心』(NHKブックス)を次に紹介したい。
 西原氏は30才で東大医学部口腔外科の講師となり、定年まで万年講師
のまま不遇な立場にあったが、定年後に独立して研究所を設立した免疫
病治療や人工歯根の発明などで実績をもつ医師である。
 私はこの本を読んで感銘した上に、6年余り前、アポをとって東京に
ある西原研究所を訪ねて直接面談したことがある。他に免疫病関係や
『顔の科学』など多数の著書があり、HPも開設している。
 西原学説の一部を紹介すると、著書のタイトルに明示されているよう
に、心は内臓から生まれるという仮説から出発している。但し、心は物
質ではなく、生命の源というべき腸管に由来する特定の臓器に備わって
いる機能(働き)、つまり新陳代謝に伴って発生する体温や呼吸と同じ
質量のないエネルギーが心の働きであるという。
 
 ここで西原学説の問題点は、心を発生させる特定の臓器が先にあって、
その何らかの構造から欲望や感情などの心の機能(働き)が発生すると
いう順序が前提になっていることである。そうではなく、先に理の働き
があって物質(構造)が生まれるという順序は、この世を創造し守護さ
れている親なる神の存在を認めない限り理解できないのは当然だろう。
 まず、人間という重宝な生物を創り、共に楽しみたいという望みから
人間を始めかけた絶対的な存在(親なる神)の意志が出発点となる。そ
の意志を実現するために、下等な生物を道具として選び集め、その体内
で働いている理、つまり生命を維持・成長させるための新陳代謝によっ
て形成される鰓腸(さいちょう=エラと腸管)を発達させる必要がある。
鰓腸こそは原始的な生命の源であり、したがって原始的な心の働きも、
腸管に由来する心臓・肺臓などに宿ることになる。
 脳の中心部に本能や感情の中枢があることは確かだが、それらの中枢
を刺激する情報(ホルモンを含む)は、腹部や心肺から伝達されると考
えることができる。
 
 顔面には生命にとって最も重要な呼吸と食物の入口があり、目や耳・
鼻などの感覚器も備わっている。しかも顔の表情が、心の動きを表すこ
とは誰しも認めるところである。
 その理由は、西原学説によって見事に説明できる。というのは、顔の
表情をつくる筋肉はすべて、鰓腸に由来する内臓器官から発達したもの
だからである。呼吸のための鰓(のちの肺臓)、消化吸収(胃腸)、老
廃物の排泄(腎臓・泌尿器)という3種類の重要な役目は、すべて腸管
系の臓器が進化発達したものだという。
 心の動きを敏感に反映する顔の表情をつくる筋肉が腸管に由来すると
すれば、心は脳ではなく腹部や心肺にあるという証拠となる。
 
 西原学説は、進化論にも独自の見方を提唱している。もちろんダーウ
インの進化論には批判的である。その理由は、海中で泳いでいた生物が
陸上に上がった時、極めて大きい環境の変化が進化に影響を及ぼしてい
るという。その一つが空気中の濃い酸素を呼吸するために鰓(えら)か
ら肺へ形態が変わるとともに、海中の6倍にもなる重力に対応するため
に体型や骨格が劇的に変化したからだ。
 今も人間の骨格は、重力に抵抗して立つために負荷を強いられている。
だから「骨休め」が必要なのだが、体を横にして重力から解放すること
が何よりの骨休めになるという。今までの進化論で地球の重力の影響を
指摘した学説は他にない。
 
 以上のややこしい議論は全部忘れて下さってもいい。ただ新陳代謝が
生命の証しであり原点であること、それをいかに活発に持続するかが健
康の元となることだけは理解して頂きたいと思う。
 重ねて言えば新陳代謝とは、生きている証拠であり、体内の細胞を形
作っている物質分子を分解・合成し続ける作用であり、その新陳代謝の
働きこそ、切る・つなぐ・引き出し・突っ張り(組み立て)などの守護
の理に他ならない。  
 免疫の仕組みも、新陳代謝が土台となって有害な細胞を分解し排除す
ることが可能となる。
 生殖による新しい生命の誕生は、男女の遺伝子を媒介とする生物全体
の新陳代謝ということができる。
 生きている証しともいえる体温が一定に保たれているのは、新陳代謝
によって発生する熱量に依存している。その体温が1℃下がるだけで、
免疫力は30%低下することが定説となっている。
 話は別だが、鶏の卵は、一定の温度で20日間暖めるだけでヒヨコに孵
化し、餌をついばみ、歩き回れるようになる。
 先に紹介した西原医博は、新陳代謝を活発にして免疫力を高めるため
に、人工太陽燈を下腹部に照射して暖める治療法を施している。夏に冷
たい飲食物を摂り過ぎると、お腹を冷やすもとになる。冷え性は、健康
にとって極めて有害な影響を及ぼすことは間違いない。
 入浴も体温を上げる効果がある。もちろん運動は、体温を上げる最上
の方法に違いない。

 心の新陳代謝も欠かせることはできない。体内の腎臓は血液中の老廃
物を仕分けして濾過し、泌尿器を通して排泄することが健康維持に欠か
せないように、心の内も常に掃除し浄化し循環することが健康の元とな
る。
「おかきさげ」に諭されている「心一つ我がの理」とは、心の新陳代謝
は自分の責任という意味であろう。いずれにせよ、神のかしもの・かり
ものである故に、ご神体に他ならない人体システムを手本とすれば、心
の使い方にせよ組織のあり方にせよ、最も完全で健全な状態を維持・発
展できることは間違いない。
 
 ここで一つおすすめしたいことがある。すでにご承知の読者も多いと
思うが、お道の企業として名を知られている「めいらく」(名古屋製酪
株)が、数十万人に無料で提供配布している無臭にんにく錠(世界特許
の健康補助食品)「アホエン」がある。
 1年前、創業者の日比会長が立ち寄って下さった時点で38万人に発送
していると聞いたのだが、その後も100万人を目標にサービス増強中と
いう。カゼを引いたとき「アホエン」を普段の倍量飲むと快方に向かう
ことは、今まで私自身も体験している。
 さらに動脈硬化を防ぐ作用があり、高血圧や脳卒中防止にも有効とい
われる。実際の体験例として「アホエン」を常用している女性の体温が
1℃上がったと聞いたこともある。
 私は「アホエン」の宣伝係ではないが、もし試飲してみたいと希望さ
れる読者があれば、住所・氏名・生年月日・電話番号をメールでお知ら
せ下されば、私が紹介者となって、現品見本を2ヵ月分送ってもらうよ
う手配させて頂きたい。(但し40才以上の方に限定。続けて飲用希望の
場合は送料月150円分のみ負担)
 
 最後に「おさしづ」から、医者・薬に対する受け取り方、および心の
理とは無関係に自然現象のような身上もあると諭された啓示のお言葉を
コピーしておきたい。
「元々医者は要らん、薬は呑む事は要らんという事は教(え)には無い
で。元々医者にも掛かり、薬も呑み、医者の手余り救けようという。誰
にも医者に掛かる事要らん、薬呑む事要らんというは、どっから出たの
や。手余りを救けるのは誰も何とも言うまい。神さんに救けて貰うた、
始め掛けのようなもの。めん/\通りよい処を通り難くうする」
                          (23.7.7)
「雨降りもあれば、天気もある。雨降りの日は、十分の働きは出来難く
い。身上の障りの時はゆっくり気を持って、楽しみの道もゆっくりと聞
き取りて楽しもう。成ろまい日々の事情、働くばかりが道であろうまい」
                          (30.3.12)
「一寸身の自由ならん。一寸腰を掛けて休んで居るようなもの、・・・」
                          (30.3.17)



<心のテープ>(号外)三六二五を尋ねる50余年の旅路(つづき)岩井 猛
配信日:2009/6/9

(その3)第三の女性と第二の女性との不思議なつながり

「三六二五」が含まれる不思議な写真の話を前回しましたので、そのこ
とをもうちょっと知りたいと思っていられる方が多いと思います。
「ダ・ヴィンチ」コードの秘密だとか暗合だとかの話が本や映画でいま
派手に宣伝されていますが、大天才レオナルド・ダ・ヴィンチのことな
ら、制作中の作品の中に謎めいた秘密や暗合を仕込んで残すであろうこ
とは、当然あって不思議ではありません。しかし、どれほどの天才であ
っても、所詮人間の知恵のことですから、彼が考えつく力には限界があ
るのは当然です。

 ところが、第三の女性が撮ったその写真というのは、時間・空間の壁
を超えた神でなければ不可能な暗合を含んだものであることに、誰でも
すぐ気が付きます。しかも、幾重にも暗合が重なって仕込まれているよ
うなのです。前述の成田市の諸岡長蔵様は、この写真を見た途端に大層
驚いて、私への無条件の信頼とその後の支援につながったのです。
 
 そのことは、のちにまた詳しく書きますが、その写真を撮った第三の
女性の出現を、第二の女性とのことが終わったすぐあとに私は正確に予
告されていたという、もう一つの不思議な体験もあるのです。
 第二の女性などと言っても、実はたった2回会ったことがあるだけの、
つまりお見合いの相手なのです。とはいえ、そのことにより私の信仰の
環境は大きく前進したので、このことを抜きに話を進めるわけにはいき
ません。もともと問題の第一の女性は後まわしにして、この第二の女性
の話を先にします。
 
 私が26才のある日、京都の高島屋に勤めている6才年上の兄から電話
が和歌山市の私にありました。店にアルバイトに来ている女の子で寺の
娘だけど私(の配偶者)にどうか、と言ってきたのです。
 それで父と私と或る朝二人で見合いに出発しようとした時、ポストに
ハガキが入っていました。父はそれを手にとって怒り出したのです。
「これは何だ、布教所など絶対に許さんぞ」
 見ると「名湊布教所 岩井猛様」宛の初めてのハガキ。何というタイ
ミングの悪さ。
 その何十日か前、上級教会の会長様が私を呼び出し「布教所を設置す
るように」と云われたのです。家族は反対するだろうとは思いましたが、
教祖の雛型を学んでいますから「ハイ」と返事し、神様を祭る場所もお
金もないが、300軒匂いがけして、それによって得られる心の成人をお
供えさせて頂こう、と誓ったのです。
 
 とりあえず京都で見合いを済ませ、それからあと3日間、家族じゅう
……父母と姉と妹(兄3人はすでに独立していた)に囲まれて責められ
ました。
 私は譲らず家を出ることに。母は涙を拭いながら、2日間かけて私の
ために新しいふとんを縫ってくれました。
 万事休す。実は私は家業の大黒柱の一人であり、私が出れば家族の生
活も成り立たないのです。その時、姉が知恵を出した。庭に10帖と4.5
帖くらいの作業所だったところがある。汚いが何とか壁だけ貼り直して
神さまを祭り、そこへ新妻を迎えるのなら、それで家を出たことになる
ではないかと。この名案にみんな飛びついた。
 
 実際はそこで私が一晩もやすむこともなく、ひょんな話の成りゆきで、
借金で庭の別の場所に小さい二階の新築を建て、その二階に神様を祭っ
て布教所開きができたのですが、それは後の話。
 とにかく、そういうことで一応解決したので縁談は続行。次に相手の
家へ私が一人で行くことになりました。父は「布教所のことは絶対に相
手に言うな」と忠告してくれていましたが、私には神様がついているか
ら大丈夫、と思って相手の寺で布教所のことを打ち明けると、それで話
はこわれてしまったのです。
 
 話はちょっと逸れますが、私の縁談がこわれた数日後に、姉に縁談が
舞い込み、それがまとまって、わが家にとっては一つ片付くわけで、神
のために一つ捧げたら、別の重荷を一つとって頂いた恰好となりました
ね。とにかく私は、自らの情を殺して理を立てたわけでした。第二の女
性との縁談がこわれた時、私は300軒の匂いがけの心定めを倍の600軒
に増やしました。
 
 今や公然と布教できる身とはなりましたから、家業の合間を縫ってあ
ちこちよその家を訪ねたりして匂いがけを始めました。しかし、なかな
か話など聞いてもらえるものではなく、「文書が要る、布教用のパンフ
レットが要る」と痛感したのです。
 100軒はとにかく廻ったから、あと500軒分、そこで私はガリ版を自
ら切って、5000字くらいのパンフレットをつくり、一部ずつ可愛いリ
ボンで止めて500部作りました。そしてその最初の10部を自転車に積ん
で「さあ、いよいよ文書布教開始だ!」と勇躍 市内へとび出した途端、
日赤病院前あたりで、8月の夕暮れのことですが、数メートル先に何か
包みが落ちている。かなり交通量のある所ですから、寸前に誰かが、
あるいはトラックの荷台から落としたのでしょうね。
 
 近くの交番で開けてみると、中から女性用パンツ1ダース(特大)が
出て来ました。(パンツといっても当時の物は、太ももの部分のゴムを
抜けば男用にもなるので、後に私が使ってしまいましたが)
 警官は1枚の書類を作成して渡してくれた。「1年間お預け。それか
ら6ヵ月間は拾い主の権利はあるが、その先は無効」タイミングがタイ
ミングですから、瞬時に次の神意と悟れました。
「これから1年間、女のことは神に預けて、しっかり文書布教に励め。
それから先6ヵ月の間に、体の大きな女を与える。それから後は2人
で文書布教をすることになる」 
 それは、まさに正確にその通りとなりましたね。その1年の内に新
築の2階の8畳と4畳半2部屋の8畳のほうに、巾1間の神床に神様
を鎮めて賑やかに布教所開きをし、1年目にその落とし物は私の手に
入り、それから3ヵ月して別の兄から同じ信仰の家庭の、修養科を出
た女性との縁談が起こり、結納を入れたのが、きっかり1年6ヵ月目
の節分の日でした。
 
 エピソードですが、その1年6ヵ月のはじめの1年の間に、こんな
こともありましたね。先に結婚した姉からも「いい女の子がいるから」
と電話があり写真も送ってきたのです。「からだの大きさは?」と私
が聞くと、「小柄だけど気だてがとてもいい。是非会うだけでも会っ
てみなさい」と強くすすめたが、私は(からだの大きさは天の予告と
違うし、時期も違うなぁ)と思い、絶対に会おうとしなかったので、
姉は怒っていましたね。神は私の縁談に予め制限をかけていたわけで
す。
 
 さて、翌3月にその婚約者と連れ立っておぢばにお礼参拝、その翌
4月18日の教祖御誕生旬間(当時は10日間あった)から、今度はパン
フレットを何万部も作って、今度は大げさにいうと全教を通じて日本
中への匂いがけを、おぢば中心にすることになったのです、まだ婚約
中のその女性と2人で。
 5月15日結婚式。5月26日、その新妻が私も知らぬ間に撮った写真
が、まさに不思議な奇跡の写真となったのですが、そのいきさつは次
回に。(つづく)              (平成21.5.26記)



<心のテープ>(97号)権威・権力そして人権
配信日:2009/6/11

(94号)「社会の病い=アノミーの原因」の中に次のような一節がある。
<社会の病いというべきアノミー症候群は、権威と連帯感の喪失によっ
て、孤独と絶望の果てに自分を見失った結果の自殺、正常に見える人の
突然の残忍な行動、無差別殺人、家庭崩壊、少年犯罪、幼児虐待の増加
等々であり、この状況を「急性アノミー」という。
 小室氏によると、戦後の日本は、天皇が神ではなく人間に戻った時点
から、国民を統合する権威が失われた。その代わりに制定された民主憲
法も、自由と平等の本質的な意味が見失われるとともに、政官財の癒着
によって、すでに死に体になっている。>

 それでは戦後、天皇という権威が失われたことがいけないのかと問わ
れたら、私はそんなことはないと答えたい。間違った権威は失われたほ
うがいい。というより、真実の権威とは何かを見分ける判断力を養うこ
とが大事なのだ。
 天皇が現人神(あらひとがみ)として唯一無二の権威に祭り上げられ
ていた時代、そして聖戦の名の下に国民が総動員され、強制的に徴兵さ
れて戦場へ駆り出され生命まで失った時代──は、人権を無視・抑圧さ
れ、国民大衆が幸福であるはずはなかった。まさに「上・高山」が「谷
底」をままにした時代であった。
 天皇を絶対服従すべき権威として利用した軍部は、自らも絶対的権力
をほしいままにした。権威が権力に利用された時、その権力に逆らえな
い国民の悲劇が始まる。天皇陛下のため、国のためという大義名分の下
に人権が踏みにじられる結果となる。ここでいう人権とは、すべての国
民が人間として生きる権利という基本的な意味に他ならない。
 
 権威と権力には立場あるいは地位が伴っている。逆に立場・地位から
権威や権力が発生するということもできる。一般的な実例としては、官
僚制度のトップを占める役職に就いているエリートは、さまざまな権力
をもつ故に「天下り」することができる。権力は必ず利権と結びつくこ
とになる。
 しかも、その権威や権力を伴う立場が身分として固定され世襲される
社会を封建制という。今になって政治家の世襲が批判の的となり、大臣
の3分の2が世襲議員であることが問題となっている。
 一旦、権力や権利や立場を握った者は、それを離すまいとあらゆる方
法手段を尽くすのは当然である。それを防ぐために制定されたのが、民
主主義の思想でありルールであった。また、国家権力を主権在民の立場
から監視・制限するために憲法があることは(92号)「憲法とは何だろ
う?」その他でも述べたところであった。
 
 じつは、言いたいことは次にある。というのは、改めて教祖ひながた
の原点に立ち戻るとき、教祖はご存命中どんな立場にあったかを見直す
ことが大事と思うからだ。
 結論をいえば、ご存命当時、教祖は社会的に何の権威や権力もなく、
立場としては農家の一主婦に過ぎなかった。「松村吉太郎おぢばへ参詣
おさしづ」に、
「元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何で
もない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それ、だめ
の教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習う
たやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ」
                           (21.1.8)
 その中山みき教祖に「元の神・実の神」が天下るというトテツもない
出来事が起こった。陽気づくめの世界を始めかけるひながたとして、元
初まりに母となった魂のいんねんを見澄まされて、再び親なる神が入り
込まれ、道具を寄せて仕込もうとされた──まさに元の理を再現する道
を始めかけようとされたのであった。
「おさしづ」には次の一節も啓示されている。
「この世始め掛けたるも同じ事。道具を寄せた。月日(親神の役に立つ)
道具(は)並大抵で寄せられたものでない。……」    (24.11.1)
 
 天保9年10月の立教前後の問答で、神は三日三晩をかけて家族を説得
しようとされた。元初まりにおいても、月日親神は道具として引き寄せ
た生物と「談じ合い」の上で、それぞれの役目を与えられている。しか
も「ぢば」は、教祖が坐っておられた中山家の一室の位置にあるのだか
ら、元なる神は元初まりと同じ場所で、再び同じ母親の魂に入り込まれ
たのであった。
 教義学の権威であった故・上田嘉成氏(本部員)著の小冊子「元初ま
りの話」に記された次の一節を引用すれば、
「親神様は、うをやみや、うなぎやらかれいやら、そういうものを寄せ
てでも、ちゃんと談じ合いをしてくださる。これがお道の心です。これ
は世間の言葉で言うと、民主主義という言葉になるのでしょう。民主主
義というのは、この思召にかのうて(適って)いる」(同書60頁)

 かくて人間は、共に楽しみたいという親神のお望みによって、神の子
として、一列兄弟姉妹として創造され、10億年にわたる長い時間をかけ
て育てられた。心の自由を許された以上、他の生物と違って気まま勝手
な言動をとることがあっても、じっと見許されてきた。神が尊重してい
る心の自由を「上・高山」の人間が無視して「谷底」の民衆を支配して
いる世の中が、何よりの神の残念であった。
 明治維新は天皇を神として、天皇の祖先を古事記に求め、天皇の下に
日本人は赤子(せきし)として統一しようとした。それは日本人だけの
神であったから、外国を支配下に置こうとして戦争を始めた。一方、世
界一れつの親を説く天理教を目の敵にして非難攻撃し禁圧した。
 昭和20年の敗戦によって、天皇は本当の親ではないことを自ら暴露し
たのであった。
 
 とくに日本人は手軽に権威を求めたがる。権威に従ってさえいれば、
自分は責任を取らなくてもいいからである。「長いものには巻かれろ」
「寄らば大樹の陰」などと、組織のトップや世襲的な立場を正当化しよ
うとする。
 ここで私たちは、今一度本当の権威とは、神意を啓示された原典と教
祖ひながたにしかあり得ないことを再確認する必要があるのではないだ
ろうか。しかもこの道の始めには、原典も教祖も、権威どころか官憲の
取締りの対象となっていたことを。
 神一条の道とは、世俗の権威や権力や立場を認めず、いかなる嘲笑、
邪魔、非難があっても、原典を忠実に守ることから出発する以外にない
ことを自覚したい。
 
 教祖がご存命の頃、秀司その他の側近は、教祖より世間の権威に依存
したこともあった。傍なる者ほど教祖の人間的な立場に権威がないこと
に囚われていた。天皇や将軍の方に権威があり権力があるのは当然のご
とく受け取っていた。
 実は、そうした世間一般の権威の受け取り方は、教祖が現身をおかく
しになった後、さらに強くなり、いわゆる応法の道を余儀なく通る歴史
となった。
 昭和20年の刻限において、原典に啓示されていた通り、初めて天皇を
頂点とする権威の化けの皮が一夜の間に剥がれた。「一れつろくぢに踏
みならす」神意が現実となった。
 私たちは今一度、教祖を通して「元の神・実の神」の絶対的権威を自
覚し、世俗の権威に妥協してはならない。そして教内における権威を、
神一条の視点から見直さなければならない。世俗的な権威と神一条の権
威を区別しなければならない。
 
 ここで社会組織と人体組織とを類比して考えてみたい。
 人体における頭脳は、明らかに社会的にはトップの立場に相当するこ
とは間違いない。脳内にある中枢神経系から脊髄神経系を経て末梢神経
系の手足に情報が伝達され、さまざまな行動が意のままに持続される。
その他、目耳鼻などの感覚によっても手足の動きは絶えず調整される。
目を閉じ耳を塞いだ状態では、外界からの情報を認知して処理すること
はできず、正しい方向に一歩も進むことはできない。
 運動する過程で、末端の神経から中枢へ向けて、情報がフィードバッ
ク(割り戻し)されて伝達され、手足の動きが調整される。中枢から末
端へ一方的に命令が伝えられるだけでは、目的に適った活動が出来ない
ことを人体システムは教えてくれる。
 もちろん、人間は頭脳だけで生きているのではない。血液循環のため
の心臓、呼吸のための肺臓、消化・吸収・排泄のための胃腸や腎臓・泌
尿器に至るまで、それぞれが頭脳と密接な関係を保ち、全体のため互い
に協力(ひのきしん)しながら機能している。その不調や異常は、痛み
やシビレなどの信号となって脳へ知らされる。また医学的検査によって
知ることができる。
 もし頭脳が頭脳としての働きが出来ない状態になったり障害を受けた
りすれば、その個人全体が致命的な打撃を受ける。認知症もその一つで
ある。しかも頭脳の異常や障害、つまり精神疾患と呼ばれる症状は治療
が難しい。ある意味で出直さなければどうにもならないことがある。
 
 権威やトップの立場を人体の頭脳に対比して上述したが、「おさしづ」
では、道の中心となる立場を「龍頭」という言葉で表されている。本席
ご自身を「元の龍頭」と呼ばれていることもあり、鏡やしきの「龍頭」
は真柱であり、教会の「龍頭」は会長になる。「龍頭」について諭され
ているお言葉は例外なく厳しい内容で、いかにトップの立場が重要であ
るかを悟ることができる。その一例を挙げれば、
「皆千切れ千切れである。千切れ\/になりてからは、容易な事では繋
がれん。春風のようなそよ\/風の間は何も言う事は無い。神も勇んで
守護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ち切
ってある。この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又
守護した処が、世界へどう見えるか。よう聞き取れ。大変口説き話であ
る程に\/。一人の身上から引き出して諭する理、しっかり聞き取れ。
一人二人で付いた道ではあろうまい。国々それ\/名称々々の理を下ろ
し、言えば道の辻々ともいう。十分の理ともいう。さあ付け掛けた道は、
付ける程に\/。なれど、鏡やしきや、ぢばやという理、龍頭の事情、
今の事情、これが世界の鏡となるか。龍頭が濁れば、辻々は一時にどな
いになるやら知れんで。本部員や役員と言うなら、世上へ映る鏡やしき。
曇り事情踏み止めてくれにゃなろまい。一日の日よりしっかり定め掛け。
皆々よう聞かして下されたという理が分かれば、一つは精神の定める理
も出来るやろう。ぢばも鏡なら、世上も鏡、世上の理も映れば、ぢばの
曇りも皆映る。あの者には義理や、この者は放って置けん、という人間
心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは皆この理一つにある程に
\/。」                       (30.2.1)

「一人狂えば皆狂う。一つ龍頭という、龍頭が狂うたら皆狂うで。狂わ
ずして、日々嬉しい\/通れば、理が回りて成る。なれど、こんな事で
は\/と言うてすれば、こんな事が回りて来る。回りて来てから、どう



<心のテープ>(98号)満足と不足/追記
配信日:2009/6/18

 このところ歩行がままにならない。というのは、100mほど歩くと足
がだるくなり、足の筋肉に鈍痛が起こるのだ。
 腰が痛いわけではないが、膝から下が思うように動かなくなる。それ
で仕方なく道端でしばらく坐っていると、足のだるさや痛みが治まって
くる。ヤッコラサと腰を上げて歩き出すと、元通り平気で歩けるように
なる。が、100mほど歩くと、また膝から下のねまり・だるさが再発す
る。
 
 かつて20代の始めに、布教すると家出した以上じっとしていられない
ので、時間潰しに一日40キロの道のりを歩き続けた頃を思うと我ながら
情けないのだが、100m歩ければ別に不自由はない、と自分に言い聞か
せることにしていた。
「心はいつまでも年をとらない」とクレオパトラが言ったとか、私はこ
の言葉が好きだ。気は若いつもりだし、頭はボケる暇がないくらい次々
と発想がわいている。と言いながら、クレオパトラという名前が、なか
なか思い出せなかったのは、やはり歳のせいか。
 
 最近、掛かりつけのT医院へ月に一度の定期的な診療に行くと、先生
から、
「毎日歩いてますか? 一日1時間は歩くことだね」
 と、事もなげに言われたので、上記の通り100mでダウンする実情を
白状した。すると、股から下の動脈硬化が原因で、足の血液循環が悪く
なっているための症状に違いない、と宣告された。太腿の血圧を図って
みようと言われるままに横になると、ナースが何度も計測を繰り返した
末、右足のほうの血圧が低いという結果が出た。右足の小指あたりがシ
ビレることがあるのはそのためだろうか。
 治療法があるのかどうか訊いてみると、T先生は、
「とにかく精密検査する必要があるね。カテーテルで血管を掃除する方
法もあるし・・・」
 と言葉を濁しながら、それ以上何も指示はなかった。これ幸いと私も、
診察費480円也を支払って医院を出た。他に血圧とコレステロールを下
げる薬1ヵ月分の薬代(1割)は、別に1000円 薬局に支払った。それ
にしても1ヵ月分がそれで済むのだから、国民健康保険が赤字になるの
もムリはない。
 
 じつは前々から私は、満足と不足という熟語のどちらにも「足」とい
う漢字が付いている理由が分からず、不思議でならなかった。なぜ「足」
が心理状態を表す言葉に関係があるのだろう。
「足」の語源を漢和辞典で調べると、足という漢字は象形文字で、「口」
は膝を表していて、その下の「止」は足首の形をかたどったものだとい
う。
 だから満足は「足を満たす」という意味に違いないし、不足は「足が
不自由、つまり足が満たされていない」意味になるのだろう。そう言え
ば、「足るを知る」という言葉にも足という漢字が使われている。
 
 要するに、動脈硬化か何かの原因で、太腿から下の血液循環が悪い状
態、足の小指がシビレるような状態は完全な健康状態ではない故に「満
足」とは言えないことになる。人体の中でも一番末端に位置する足まで
十分に血液が循環して初めて「満足」といえるのであり、そうでない状
態は「不足」となる。
 これを心の状態に置き換えると、人生や生活の端々まで、すべてにわ
たって満たされている状態が「満足」であり、逆に満たされていなけれ
ば「不足」になるわけだ。
 いずれにせよ、心身ともに満足できる状態が神意に適っていることは
申すまでもない。その状態が「陽気づくめ」に違いない。
 
 これは個人の場合に限らない。集団や社会全体の末端に当たる民衆の
生活や人権が満たされていなければ満足とはいえないし、不足するから
といって個人ばかりを責められないことになる。事実、足の血液循環が
悪いからといって、足に責任を押しつけることはできないからだ。
 社会にとって財務・財政は血液に等しい。例えば健康保険や高齢者福
祉予算が赤字になるからといって、手足の血液循環に当たる現場の人件
費を削ったり保険金を上げたりすると、当然庶民や現場から不足の声が
上がるだろう。
 一方、頭部に当たる政治家や中央官僚だけは「天下り」や利権を漁っ
て特別会計予算を浪費しているのが現状だ。小泉改革は結局、国民大衆
に満足を与えず、不足を増大したのではないか。
 天の理・かりものの理から思案しても、手足に必要な血液を頭部(中
枢)へ吸い上げれば、末端の血液循環が悪くなり、ついには文字通り動
けなくなるのが当然である。

 例によって「おさしづ」から、心の理に関連する啓示を選び出して拝
読することにしたい。
「さしづより外に理は無きもの。難しい中でもさしづの理で通る。人間
というは、その日その日の道しか無い。神が付けた道はころっと変わっ
た道。・・・勝手というはどうもならん。勝手というは、人間心の道で
あるから一寸にはよい。なれどいつ/\までも治まらん。何をしたのや
なあと言う。」(24.5.8)
「事情、満足程大きい事情は無い。不足は不足の理(が)回る。不足の
理(が)回ればどうもならん。・・・心にどうこう持った処が治まらん。
そこで心結び合うたる処、これまで繋ぎ合うたる処、皆満足与え。・・
・」(31.1.8)
「皆心病み、人間心病み、人間の心を立てて神の理そこ退け。そこで、
どうもならん理になる。暗がりの理を以て通るから、暗がりになりたら
足もと暗がりになる。何も分からん。・・・残る理は誠一つ残る。どれ
だけ崩れて了(しもうて)も残る理、皆答えてくれにゃならん。これま
で何をしたんやら、人間心立てて神の理 薄(く)なる。神の理 薄(く)
なりて何の守護有るか無いか、よう聞き分け」(31.1.19)



<心のテープ>(99号)「脳死は人の死」か?
配信日:2009/6/25

 6月18日、衆院本会議で臓器移植法案のA案が賛成多数で可決された
ことが各新聞一面トップで報じられた。
(96号)「新陳代謝と心身の健康」で脳科学の考え方を批判し、心は脳
から発生するのではないとの見方を論証したつもりの私としては、責任
を果たす意味でも一言コメントしておきたい。そこで、まずA案なるも
のの問題点を挙げることにしたい。
 
 その前に、賛成多数で可決といっても、各党が個人の自主投票に任せ
た結果、賛成263票に対して反対は167票、棄権を含めると214票とな
り、自民党議員だけが過半数の賛成票を投じた結果の可決であった。
 以下は一般の新聞には載らなかった情報だが、自民党では、今回の採
決を前にして 臓器提供に関する勉強会を開催したところ、 衆参両院で
386名いる自民党議員のうち、参加者は僅か1割の40名だけであっ
たという。ある中堅の自民党衆議院議員は「支持率急落の中で総選挙を
迎えようとしているのに勉強会どころではない」としているが、このよ
うな感覚で勉強会を欠席した多数の議員が投票した採決で、人の命に関
する法案が可決されてしまったことになる。
 なお衆院で可決されたといっても、参院で否決されて、そのうち衆院
解散・総選挙となれば廃案になる可能性もある。
 
 今回のA案で最も重要な改訂点は、本人や家族の意志に関わりなく
「脳死は人の死」と認める点にある。その場合、臓器提供の条件として
は、本人と家族が同意していること、もし本人の意志が不明でも、家族
が同意すれば提供できる、というものだ。
 しかも今までは15才以上でなければ臓器を提供できなかったのが、0
才からでも上記の条件が満たされれば提供できることになる。

 私たちの意識は、大脳皮質の特定の神経細胞(記憶や感覚と関係があ
る)を活動の場としている故に、大脳の死ととも意識が失われることは
確かである。但し、それは決して脳死と同時に心も消滅することを意味
しない。意識は本能とは別に人間だけに特別に発達した心の働きであっ
て、認知や思考は意識が前提となっている。意識が働くためには場所が
必要だから、人の大脳皮質は特別に発達したと考えられる。

 したがって、意識がなくなると人間ではなくなるという意味で、脳死
は「いのち」の死ではなく「人」の死という表現は間違っているとはい
えない。意識を失った人は、あらゆる認知や思考ができなくなり、いわ
ば植物同様の姿になることは避けられない。
 認知や思考の前提となる意識がなければ、心の成長や人格の向上はで
きなくなる、その意味では、脳死した患者は、もはや「人」ではないと
認定することができるだろうか。仮にそうだとしても、その体内から臓
器を摘出して他人の体内へ移植することの是非は別の問題であろう。
 脳死状態になっても「いのち」は死んでいないことも確かであって、
細胞や臓器が未だ生きているからこそ移植手術が有効なのだ。その「い
のち」には、体内の細胞や臓器だけではなく、最も根元的な心、すなわ
ち本能や感情が含まれている。生物の発生と進化の過程を辿れば、無意
識の深層にある心は腹部や心肺に宿ることは(96号)でも論じたところ
であった。
 
 何らかの先天性の脳障害のために、身体の不自由があったり、言葉が
話せなかったりする障害者の場合、意識が完全に失われているわけでは
ないが、人間として正常な心身の成長が見込めないことがある。とすれ
ば、脳死とは直接の関係はないにしても、健常者と同じ生き方ができな
い子どもに人権はないのだろうか。
 すでに80歳を超える高齢者の教友から聞いた意見がある。その教友は
自分が障害児の親であった体験から重度障害者施設に勤めておられたの
だが、神様はムダないのちを与えられることはない。健康な人と違って、
歩くことも話すこともできない障害児は人並みの楽しみや悦びを味わう
ことができない。社会に役立つ仕事もできず人手と福祉予算が掛かるば
かり。それでも「いのち」ある限り生きていることに意味があるとすれ
ば、その姿を見て、健康な者がどれほど恵まれているか、手足を自由に
動かし言葉をしゃべれることがいかに有難いかを再認識し自覚するため
の鏡としての存在価値があると。また、脳が正常に働けない障害児でも、
相手の気持ちを敏感に感受して、全身で感情を表現する。だから誠真実
の心で接しなければ、障害児にウソは通用しないと。
 
 先天性の障害児が生まれる原因については、教祖・本席が在世であら
れた時代と現代とでは、自然環境が異なっていることを無視することは
できないだろう。科学技術が進んでいなかった頃、日本人は自然に順応
して生活していたから、自然にない物質を生産したり、自然を人工的に
改変したり汚染することはなかった。
 が、現代では自然環境の汚染物質が健康に悪影響を及ぼし、そのため
に身上障りになることがある。
 
 身体のほうは遺伝子によって、親から子へ、良い悪いに関係なく必然
的に因子が受け継がれていくことが科学的に実証されている。それに対
応して、信心する立場から言えば「いんねん」とは、心の種というべき
魂の遺伝子と受け取ることができる。心身が同じ理から成り立っている
からには、遺伝子にも相関性があることは当然であろう。
 ただ昔と違って、上述の通り「いんねん」は、個人だけが原因ではな
く、自然的あるいは社会的な原因があることを認めなければいけないだ
ろう。
「いんねん」があるという事実と、「いんねん」を責める見方を混同し
てはならない。人が人を責める資格はなく、いかなる場合も人間同士は
たすけ合うために生かされているからだ。
 さらに、どんな人であろうと例外なく、神の子として創造され守護さ
れているという「元のいんねん」があるからこそ、この世に生を享けた
真実に変わりはない。
 因縁の逆が偶然であるとすれば、この世・人間はすべて親神様と因縁
があって成り立っている故に、偶然は一切あり得ないことになる。
 
 脳死に話を戻すと、西欧で臓器移植がどんどん実施されるのに対して、
日本を含む東洋で進展しない原因には、東西の死生観の違いによるとこ
ろも大きいだろう。西洋科学は心身を切り離して考えるのに対して、東
洋は、自然と「いのち」、心身を一体として受け取る伝統がある。
「気」という言葉は心身の両方に関係しているが、西洋には「気」と同
じ意味の言葉がない。
 また俳句や短歌は自然と人間の融合あるいは一体となる境地から生ま
れる芸術だが、自然の「いのち」と自分を切り離して意識する西洋人に
は俳句や短歌は創れないという。

 そこで、私たちの生きている人体は偶然に進化したのではなく、自分
の所有物でもないという「かしもの・かりものの理」に基づいて思案す
れば、脳死と臓器移植の問題は解決するはずである。原典「おふでさき」
に「かしもの・かりもの」という言葉が出てくるお歌は5首あるが、そ
の1首にはっきりと次のようにしるされている。
 
 めへ/\のみのうちよりのかりものを   三ー137
 しらずにいてハなにもわからん      
 
 とすれば、体は自分のものではない、偶然に進化したのでもない、細
胞も臓器も身の内に入り込んで守護されている理によって生かされてい
る、いのちの元は親・先祖をさかのぼって連綿とつながっている、その
元となる親がなければこの世・人間は存在し得ない──等々、さまざま
な面から教理を掘り下げて、天理教として臓器移植に関する受け取り方
を公式に明らかにするとともに、自信をもって世の中に訴えかけること
が大事であろう。
 そのために天理大学に養成されている学者をはじめ、衆知を集めて、
教団としての公式の見解を文書として作成し、堂々と世の中に打ち出す
ことが教祖ひながたに忠実な神一条の態度であろう。
 いわば、臓器移植に関する世界の事情は、教理の根本となる「かしも
の・かりものの理」を匂いがけする絶好の旬と受け取るべきであろう。
 
 単純な臓器移植の反対運動が目的ではない。この事情を機縁として教
理を伝えることにある。臓器を提供する側もされる側も、神様からお借
りしている臓器の「いのち」を無断で「又貸し」することになるのだか
ら、少なくとも神様にお礼とお願いをする必要があると。
 最近注目されている万能細胞を応用した臓器の再生技術の研究にして
も、科学者が細胞自体を創り出したわけではない。いかなる細胞であれ、
あくまで十全の守護の理によって「いのち」の種から創られた被造物で
あることに違いはない。
 戦前・戦中の時代と違って、戦後は元の理を堂々と説いても警察に拘
留されたり法律に違反する恐れはない。にもかかわらず、前例にない物
事には手をつけようとしないのは、形骸化した官僚制度の悪しき特徴と
いうべきであろう。形式や制度を守ることに汲々として、肝心の教理を
詳しく説き聞かす努力を忘れたら、神の残念はいかばかりであろう。
 
 このもとをくはしくきいたことならバ (よろづよ八首より)
 いかなものでもこいしなる

 このみちを上ゑとふりた事ならば   (四ー115) 
 神のぢうよふすぐにあらわす 
(この道の教えが上層の人々へ通じたならば、神の自由用をすぐに顕わ
すであろう)

「神は隔ては無いで/\。しっかり聞き分け。世界にはいかなる事も皆
映してある。それ世界に映る。世界は鏡や。皆々めん/\心通りを身の
内へ皆映る。前生の事もどうなるも、皆身の内へ皆映すと聞かしてある。
たんのうと。いかなるもたんのうと」(22.2.14)
 
 私事になるが、臓器移植法案の可決を知って、この99号を書きかけて
いたら、遠隔地の親戚に不幸があって、お通夜と葬儀に参列することに
なった。20日に千葉県我孫子市へ出発し、一泊して翌21日に帰ってきた。
亡くなったのは次男の嫁の父親(78歳)であった。
 久しぶりで新幹線に乗り、見るともなく窓外を眺めていると、一面の
雲の間から、雪に被われた富士山の頂上がチラッと顔を覗かせた。関東
平野に入ると、四方に山はなくなり一面の水田が続く。日本はやはり豊
芦原瑞穂の国だなぁという感慨がわいてきた。


<心のテープ>(100号)「人間心」について
配信日:2009/7/2

 今週で100号到達。ここまで続いているのも読者あればこそ、と感謝
しています。
 改めてこのメルマガの趣意を確認すれば、<天刻サイト>の姉妹版と
して、“原典と現実を結ぶ「理」の情報”を発信することにある。
「天理市から発信する」と前置きしたのは、「おぢば」の情報を発信す
るという意味ではなく、発信者(私)が「おぢば」の近くに住まいして
いるという意味しかない。おぢばの公式情報は「天理時報」で十分だし、
裏情報にはロクな情報はない。
 誤解を招いてはいけないので、途中で「天理市から発信する」のフレ
ーズを削除しようと思ったのだが、Yahooのメルマガはタイトルを変更
できないシステムになっている。以上、念のため了解をお願いしたい。
 参考までに記せば、現在の登録読者数は76名と公表されているが、
「発行者用ページ」には読者数ランキングが出ていて、<心のテープ>
の順位は、カテゴリー(生活と文化→コミュニケーション)内では発行
中の1286誌の内で43位、全体では 8432誌内で458位になっている。
 殆どの読者の氏名・住所は不明で、登録されている数しか分からない
が、遠く海外のブラジル、カナダ、ニューヨークからメールを送受信し
ている読者もあり、距離を超えたネットの有難さを痛感している。
 なお、mixi に「天理教原典を学ぼう」コミュをつくったところ、海
外を含めて58名のメンバーが参加して下さっている。天刻サイトやメル
マガのPRしかできずに申し訳なく思っている。
 
 今週の「人間心」というタイトルは、6月25日に行なった「第3回お
さしづ研究会」のテーマでもあり、その報告をかねている。「人間心」
または「人間一条の心」の反対は「神一条の心」に違いない。
 会合では、最初に「人間心」を超越した実在の人物として尊敬するN
先生(88歳)をお訪ねした報告をした。N先生は天理市内にある教会の
現職会長であり、若い頃から「おさしづ」の拝読に徹して身上を克服す
るとともに、原典を元としたエッセイを「陽気」誌上に発表されている。
何度か懸賞に当選されたこともあるので、氏名を明かせばご存知の読者
もあるだろうが、ご本人の承認を得ていないので、ここでは匿名とする。
 最近も前栽(天理の一つ手前の駅)にある教会から本部まで自転車で
参拝に通われるお元気な姿を拝見したことがある。そのN先生の信条と
は「日々心を澄まして百歳まで元気で通らせて頂くこと」とお聞きした。
百歳まで元気でいれば、自分の言葉を信用して聞いてもらえるようにな
る、と。人から聞いた教理を繰り返して言うだけでなく、原典おさしづ
を拝読し実行すること、日々胸の掃除をして心澄み切って、神にもたれ
ることが大事と言っても、80代の今ではまだ聞いてくれる者はない。自
分の言葉を信用してもらえるようになるには、百歳まで元気でいなけれ
ば、と心定めされている。
 10歳以上も年下で、100m歩くだけで足がだるい状態の私としてはお
恥ずかしい次第で、改めて教祖ひながたを思い起こさずにいられなかっ
た。教祖の道すがらで「上・高山」への匂いがけとともに踏み込んでき
た官憲による18回に及ぶ拘留は、殆ど80代以後のことであった。
 
 人間だから人間心を遣うのは当然ではないのか。そう言ってしまえば
元も子もない。原典に示されている人間心とは、神のさしづに心を向け
ずに、人間だけに目線をおいた考え方、いわば既成の権威や常識に従う
心を意味する。そうした見方からすると、秀司様やこかん様が教祖のさ
しづ通りにできなかったのも人間として当然ということになる。
 この世・人間を創造され守護されている親なる神の実在を信じるか否
かで、考え方が180度転換するのが本当だ。自然も生命も神の守護なし
では一刻も成り立たない真実を前提とするか、人間は地球上で勝手に生
まれ偶然に進化したと考えるか、それが神一条と人間一条の違いでもあ
る。
 
 宗教に深い関心をもつ文化人類学者・上田紀行氏の著書に『覚醒のネ
ットワーク』という名著がある。「覚醒」とは、目を覚まして何かに気
づくことだが、上田氏によれば、自分の外側から内側へ心を転換するこ
とだという。
 自分の外側とは、いわば「卵の殻」のようなもので、次のような考え
方で固められている。つまり「言葉のレッテルを貼る」「他人との違い
を気にする」「ひとのせいにする」。地位・肩書・財産・名誉など外側
の情報で「卵の殻」は出来ている。その殻を自分と錯覚して執着する心
からは、不足不満や無力感しか生まれない。上田氏の指摘する「卵の殻」
は「人間心」と共通する意味がある。
 
 その殻を破って自分の内側に心を向けるとき、初めて「いのち」の神
秘に目覚めることができる。もともと卵には、中身に「いのち」がいっ
ぱい詰まっている。卵を一定の温度で一定の期間続けて暖めさえすれば、
ヒヨコになって動き回る生きものが産まれるのだ。卵を暖める温度とは、
まさに陽気に他ならない。いのちが活性化するには、陽気になりさえす
ればいいのだ。
 しかも自分の内側で火水風によって守護されている「いのち」は、万
人共通の神様からの「かりもの」なのだ。自分の内側とは、魂であると
同時に体内でもある。体内では、一刻も休みなく心臓が鼓動し、血液が
全身に隈なく循環している。五臓六腑の「ひのきしん」の働きでいのち
が守られている。まさに人体は、神の守護による「ご神体」に他ならな
い。
 自分の内面を意識して、すべての人間は同じいのちを親神様からお借
りしていることに目覚めるとき、他人との違いを気にしたり、嫌なこと
を他人のせいにしたり、他人に言葉のレッテルを貼ったりすることが、
いかに間違った考え方であるかに覚醒することができる。
 すべてを「自分のせいにする」こと、「ポストが赤いのも自分のせい
だ」と思うことに信心の出発点がある、という受け取り方は真理の一面
を衝いている。
 
『覚醒のネットワーク』を書いた上田氏は、若い頃に2年余り、スリラ
ンカの現地調査に携わり、原住民と生活を共にして、「悪魔払いの儀式」
について報告している。
 スリランカでは、病気は悪魔が憑いた状態だが、その悪魔は孤独な人
を選んで近づいてくると信じている。だから悪魔を追い払うには、みん
なが病人を中心に集まって陽気に歌い踊り、病人が孤独から解放されて、
みんなと一緒に「わくわくする気持ち」になれば病気は治るという。
「わくわくする気持ち」こそは「陽気づくめ」の原点でもある。独りで
はその気持ちにはなれないので、連帯と協力、つまり「ひのきしん」が
大事であり、それこそが「覚醒のネットワーク」といえるだろう。

 ここで、改めて原典を拝読することにしたい。
◎「おふでさき」にしるされた「人間心」
 いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで   
                             三ー80
 月日よりをしゑる事ハみなけして あとハにんけん心ばかりで 
                             六ー123
 月日にハこのしんぢつをせかへぢうゑ どふしてなりとをしへたいから
                            十三ー33
 それしらず月日ゆう事みなけして あとわにんけん心はびかる    
                            十三ー34
◎「おさしづ」に出てくる「人間心」を表す言葉
 ほこり/先案じ/遠慮気兼/嘘・追従・陰口/疑い心/義理、人間の
 情に流れる/いずむ/我(が)/不足/大層/金銭の心/勝手気侭

◎「人間心」という言葉の出ている「さしづ」の一例
 明治22年3月10日 松村吉太郎3月6日のおさしづに「生涯の理も諭
 そ」との事に付伺
「さあ/\五十年以前からの道すがら。元(初まりの)泥水(の話だけ)
やない。(この道の)元初まりの理を聞き分け。理を見よ。(この道は)
人間心で始めたのではない。拵えたのやない。誰に談じてしたのやない。
今日は晴天、今日は雨かと、この(天然自然の)理を分かれば、理は鮮
やか分かる。さあ/\最初 初めというものは、難し(い)処より始め掛
け。さあ/\世界ではもう取払いや/\と言うた日も、幾度も/\ある。
又取り消した、又差し止めた事もある。さあ/\正月二十六日と筆に付
けて置いて、始め掛けた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やし
ろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理と、さあ/\
取り払うと言われて(官憲が邪魔)した理と、二つ合わせて理を聞き分
けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、と。よく聞き分けて(思案)
すれば、分からんやあろうまい。世界ろくぢに踏み均しに出て居る。疑
いもあろうまい。なれど疑い粉があるなれば、尋ねて見よ。神は幽冥と
思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道の理を思案して見よ。神は
嘘と追従これ嫌い」

=追 記=
(その1)
 100号発信に当たって読者からの感想・意見を募集する件をお願いし
 た後で、教友からのアドバイスで、解除せずに読んで下さるだけで
 有難いと満足するように忠告されて撤回したりしましたが、実際に長
 文の感想を送信して下さった読者もありました。
 ここで紹介するのは差し控えますが、大いに励ましとなりました。
 お礼を申し上げます。
(その2)
 私の人間心と言われるかも知れませんが、100号の記念として、下記
 のページ
 http://merumaga.yahoo.co.jp/Detail/10620/p/1/
 を開いて頂いて、「このメルマガを友だちにすすめる」をクリックし
 て、本音で信頼できる友人知己のメールアドレス宛に登録をすすめて
 頂けないでしょうか。



<心のテープ>(101号)アノミーと「たんのう」
配信日:2009/7/9

 改めて「アノミー」という社会学の専門用語を検索すると、
(1) アノミーとは、従来の社会規範が緩んだり崩壊したりするため、
 人々の行為や欲求に規制が加えられなくなり,焦燥や欲求不満が生
 じること。フランスの社会学者ディルケムの提唱提唱した概念。
(2) 個人または集団相互の関係を規制していた社会的規範が弛緩また
 は崩壊したときに生ずる混沌状態。社会的規範が失われ、社会が乱
 れて無統制になった状態。ある社会の解体期に発生する。
 と定義されている。
 94号「社会の病い=アノミーの原因」で、小室直樹氏の説を紹介し
たが、今や日本の社会でここ1ヵ月内に続発した事件は、その典型的
な実例を示している。つまり、2人の高校生による同じ高校生の殺害
事件および大阪のパチンコ店への放火による無差別殺人事件がそれだ。
しかも事件の発生場所は、大都会に限らず地方の市町村の何処でも無
差別にまんえんしている。
 
 高校生の1人は女生徒をめぐるトラブルから、もう1人は男子の同
級生同士で、相手が言うことを聞かなくなったとか、約束を守らなか
ったから、と殺した理由を供述している。「人生は自分の思い通りに
ならない」という苦い経験を重ねてオトナに成長していくのが普通な
のに、この犯人たちは思い通りにならない邪魔者を抹殺してしまう。
すぐに自分が逮捕されたら一生思い通りにならなくなることさえ予測
できないのだろうか。
 パチンコ店放火殺人の犯人に至っては、「仕事も金もなく人生に嫌
気がさした。通り魔みたいに誰でもよいから人を殺したいと思い、人
が多数いるところに火を付けた」と供述しているという。恐らくギャ
ンブルで負けた多額の借金があったにせよ、去年まではガソリンを運
ぶタンクローリーの運転をしていたというから、精神障害者でもない。
逆に「仕事ぶりはまじめ」とか「普段はおとなしい」とか、犯行はや
むを得なかったと犯人に味方するような記事が出ている。名誉心を失
った犯人にとっては、刑務所はむしろ衣食住を保証された安全な場所
であり、自分は死刑になって楽になればいいと思っているのか。死に
たいのなら自分にガソリンをぶっかけて死ぬのならまだしも、4人の
死者と19人の負傷者を巻き添えにした罪は百倍も重いと言わねばなら
ない。 

 こうした事件が起こるたびにマスコミは、明らかに犯人に違いない
場合でも、判決が出るまでは人権尊重のためか容疑者と呼び、不運な
被害者については殆ど報道せず、犯行の動機や経過について供述を伝
えるだけで、他人の生命を理由なく奪った犯行を厳しく指弾しようと
しない。
 もちろん法律は、容疑者を逮捕し裁判にかけるのが目的であり、社
会的規範(道徳的ルール)を守らせるのが目的ではない。とすれば、
いくら客観的に報道することが目的とはいえ、事件の原因を分析し再
発を防止するためには、世の中が悪いだけで済ますのではなく、犯人
の犯した罪の重さを伝える必要がある。いかなる事情があれ、他者の
生命を奪う権利はないからだ。現状のような報道の仕方では、きっと
摸倣犯が続出するに違いない。
 何事であれ原因が分からなければ解決の糸口を見出すことはできな
い。なぜ社会的規範が崩壊すれば短絡的に殺人が発生するのか、その
原因を追究しなければならない。
 
 社会規範が崩壊する原因の一つは、失われた既成の権威(日本の場
合は天皇)に代わって、日本人共通の規範の元となる新しい権威が確
立していないという説もある。また機能不全の家庭環境に育ったため
に人間だけにある理性や情緒が欠如していることも間違いない。今は
やりの脳科学なら、前頭連合野が発達していないことに原因を求める
だろう。
 このような社会状況は、前号で記した文化人類学者・上田紀行氏の
説によれば、自分の外側にある「卵の殻」への執着にも通じるところ
がある。
 一切を「ひとのせい」にして「自分のせい」とは思わない誤った被
害者意識にも原因がある。
 時間的にも空間的にも意識が狭いため過去をふり返り未来を予想で
きない。現在の感覚や感情のままに生きている動物的な状態といえば、
犬や猫から抗議されるに違いない。
 暴力や犯罪を興味本位に描くゲームや映像など、悪質な情報の影響
も大きいだろう。
 一日に1件か2件の事件で止まっている間はまだしも、政治や経済
の混乱が広がれば、今まで普通に生活していた人がどんな異常な行動
に出るか分からない。それがアノミー(社会的無規範状態)の恐ろし
さと言うことができる。過去の社会には何らかの社会的規範はあった
が、現代は未だかつて歴史に見られないアノミー状況といえるだろう。

 この道では、あらゆる身上・事情を"心の種”から成ってきた結果と
受け取る「たんのう」の理を諭されている。「たんのう」こそ親神様
から教えられた絶対の規範ということができる。
「どんな事もこんな事も、世上見てたんのう。怖き理を見てたんのう。
恐ろしい理を見てたんのう。一時の処どうなろうと思う。これ(この
ような思い)は更に持たず、明らか一つの理に治め。世上(の出来事
を見て)一つの理を治めてくれるよう」(25.8.16)
「夫婦の中たんのう一つの理、互い/\とも言う。さあこれより一つ
しっかり治めるなら、いかなる事も皆んなこれ思うように事情成って
来るという。この一つの理は将来の心、さあこれより(心定める)と
言えば、何にも案じる事は無いで。夫婦の中の事情、世上という、世
界という(人間心の)理が映ればどうもならん」(30.7.19)
「天然で成る道、どういう事もこういう事も、どんな辛い事も、ほん
にそうや、そうやなあ、と心に治め。この理治め。以て、たんのうの
理治めるなら、身上の理は案じる事は要らん」(33.5.3)
「同じ兄弟それこの理を聞き分け。自分も同じ兄弟なら一つのたんの
うがさんげである。たんのうが誠。たんのうが神が好く。(それ故に
神が)受け取る」(補遺20.)
 上記おさしづの中にも出てくる「一つの理」とは、元一つの理とい
う意味で、元となる根本の理を表している。
 さらに「おかきさげ」こそは、最も簡潔・明快なの道の規範に他な
らないと信じることができる。

 最後に、ここで別サイト<岡潔:情緒と幼児教育>をリンクさせて
頂きたい。この別サイトを既にご承知の方には余計だが、ここで私は
岡潔論を発表している。岡博士はすでに半世紀近く前に、日本の未来
を憂慮し警告するとともに、幼児期の家庭教育のための具体的な処方
箋を提示している。ひとの悲しみを思いやる気持を育てることが教育
の基本という岡潔の提言は、今こそ具体化されなければならない。
 さらに、その別サイトには、私の個人的経歴や情報論に関するエッ
セイも掲載している。もし未読の方があれば、ぜひ訪ねて頂ければ有
難い。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/6251/index.html
 その一つは、日本情報処理開発協会主催の論文募集に応じて最優秀
賞を受けたエッセイ「私たちのくらしと情報化」であり、全日空ホテ
ルで行われた授賞式に出席した際には、ひな壇に時の衆議院議長や通
産大臣が居並ぶ前で賞状を授与され、賞金50万円を頂いた。
 もう一つのエッセイ「わが人生を顧みてー反時代的精神の軌跡」に
は、私の精神的遍歴をありのままに略述している。



<心のテープ>(102号)「扉はひらかれた」のか?
配信日:2009/7/16

 先月のこと、古くからのようぼく氏の家を訪ねた時、こんな本が出て
きましたと1册の古ぼけたパンフレットを渡された。
 表紙を見ると、「扉はひらかれた」という題字の下に映画の1シーン
と思われる写真がページ全面に掲載されていて、その下に「製作・配給
新星映画社・ジャパンパーソナル」と印刷されている。
 表紙を開くと、その裏のページから映画のシーンが次々に並んでいる。
9ページにわたる写真が終わった次の見開きには、映画製作のスタッフ、
キャストの氏名が一面に並んでいる。監督は中村徳三。中村監督といえ
ば黒沢明・市川崑の助監督を勤めた後、大映で眠狂四郎シリーズ、テレ
ビでも必殺シリーズ、桃太郎侍などの代表作がある。音楽は伊福部 昭。
製作・脚本のスタッフも教外のプロが参加していいる。
 キャストも名の知れた俳優の名前がズラッと並んでいる。その一部を
挙げると、
 中山善兵衛    仲谷 昇
   み き    上月 左知子
   こかん    田島 令子
 前川 半七    名古屋 章
 飯降 伊蔵    小池 朝雄 
 等々。
 
 台本に目を通すと、教祖伝の最初から最後まで重要な場面が次々に出
てくる。
 天保9年10月、中山家へ修験者・中野市兵衛を呼んで加持祈祷をする
場面をはじめ、みきを差し上げますと答えたものの、その後の常規を逸
した言動に思い余った夫・善兵衛が妻・みきに刀を振り上げる場面もあ
る。後半は警察のきびしい取締りがエスカレートして、ついには厳寒の
櫟本分署に留置される場面など、教祖伝に登場する数々の史実が描かれ
ている力作であることは間違いない。
 明治19年12月8日、教祖は風呂から出てふとよろめかれたあと、ご休
息所で、
 おやさまの声「伊蔵はん、決して年をとって弱ったんでも病でもない。
人には高い身分も低い身分もない、みな助け合うてようき暮らしをする
のやと教えて来た。神の言うことが嘘なら、四十九年も続きません。今
こそ世界中にたすけ一条の道を示さにゃならん大事な時や」
 教祖が現身を隠される直前、内蔵の二階で伊蔵に伺いを立てた時の答
えは、
「人間は神の目からごらんになれば、皆一列に兄弟や、魂の理からいう
と、いささかも高低上下のへだてはない。兄弟の立場で人々が語りあう
ところに、陽気ぐらしの世界への門出があるのや。さあ、扉を開いて人
間世界という地を均そうか、それとも扉を閉めて地を均そうか」

 パンフの中には「扉はひらかれた上映布教委員会について」と題して、
宮内満麿・天理教東京教区長の勇ましい決意が囲み記事として載ってい
る。原文のままコピーすると、
「天理教は教祖九十年祭を明年昭和五十一年に迎えますので、今年は年
祭活動の仕上げの年であるとして、懸命の運動を続けています。
 その折に、おやさま映画「扉はひらかれた」が製作されたということ
は、私はなにかそこに親神様のお働きを強く感じるのであります。
 東京教区としましては、三月四日の全体会議において、「扉はひらか
れた(教祖劇)上映布教委員会」を設置し、この映画を布教活動に積極
的に活用してゆくことを決定しました。委員会の構成は委員長・宮内満
麿、副委員長・小西吉彦、尾崎栄治、ほか二十一名の委員ということに
なっています。
 四月二十二日から五月十日までの東京「読売ホール」のロードショウ
を初めとして、全国各地で開催される行事の教内側の窓口として、この
運動を盛りあげてゆこうと考えております。皆様方の御理解と御協力を
切にお願い申し上げます」
 
 さらに、作家の芹沢光治良氏その他の教外人から寄せられたコメント
とともに、座談会「映画を観せることが神への橋渡しだ」が、4ページ
にわたって掲載されている。出席メンバーは下記の通り。
 出席者(発言順)
 堀越澄男(少年会本部レクリエーション課長)
 川本しづ子(東京教区障害者布教連盟常任委員長)
 高野友治(天理大学教授)
 松永敬一(大阪教区青年会委員長)
 佐津川和男(東京教区青年会委員長)
 松丸青史(製作者)
 安藤慶郎(本愛大教会長)
 司会 守屋政一(大森町大教会長)
 
 35年前の教祖90年祭当時、たしか映画を観た記憶はあるが、あまりに
も現実の天理教とのギャップが大きいからか、それともフィクションの
部分が問題となったのか、花火を打ち上げただけで、年祭が終わると映
画は忘れられてしまった。今フィルムはどうなっているのか、映画につ
いて熱く語り合った座談会の出席者たちはどうしているのか、問い合わ
せてみたいと思わずにいられない。
「扉はひらかれた」のか? と、タイトルに疑問符をつけたのは、この
映画自体の扉が閉められてしまった理由が謎に包まれているからだ。
 次号では、アングラで出回っているもう一つの演劇ビデオ(DVD)
「扉ひらいて」について取り上げたい。この舞台劇はS大教会青年会有志
による劇団が陽気ホールで上演したもので、その舞台をビデオカメラに
収録したものだが、一般には公開・販売されていない。
 次号では、いずれも「扉」をタイトルにした映画と演劇が、なぜ打ち
上げ花火で終わってしまったのか、その謎に焦点を当ててみたい。
「扉はひらかれた」目的は何であったのか、その神の思わくを明らかに
しない限り、この道の行き先はモヤに包まれて先が見えないからだ。

 ここで、「扉開いた」と啓示されているおさしづを拝読することにし
たい。次の一節は明治31年7月14日、深夜に「尋ね出よ」とのさしづに
基づいて啓示された長い刻限さしづに含まれている。
「・・・元という一つの理は、何とも分かり難ない。年限数えてみれば
一寸足掛け/\(のような道)という。三十五年(前)後以来、一時理
に分かりあるのもあれば、分かり難(がた)ない者もある。つとめ場所
/\よう聞き分け。何やら分からん。つとめ場所は世の元という。世界
今は皆んな耳に聞いて居る。この元小さいものやという。それから順序
という。(邪魔立てのため)隠れ走り年限という。どうも(神の)思わ
くは立たん。思わく立たんから、(をやの定命を縮めて)扉開いた順序
(に)なりたる。これは古い事やない。皆聞いて居るやろう。・・・」



<心のテープ>(103号)「扉はひらかれた」の補足
配信日:2009/7/23

 前号に続いて「扉ひらいて」の舞台劇ビデオについて紹介する予定を
していたが、映画「扉はひらかれた」について補足することにしたい。
 映画「扉はひらかれた」が今では忘れられてしまった理由を推測して
みると、次のような謎が浮かび上がってくる。
 
1)八島英雄氏がシナリオ作成に参加していること。八島氏はその後、
教史や教学の面で異説を唱え天理教を離脱した。しかし、この映画のシ
ナリオに関する限り、その後の八島氏の主張にみられるような解釈は表
面に出ていない。例えば、こかん様の浪速布教についても教祖伝に忠実
に描かれている。後年の八島説によれば、こかん様の大阪行きの目的は
他にあって神名流しが目的ではないとしているが、映画では教祖伝のま
まになっている。
 この映画のシナリオ制作には、八島氏の他に、プロのシナリオライタ
ー、相良準三、宮坂政男の二人が参加していることを付記しておきたい。

2)所々にフィクションが挿入されていること。また年代順に史実を並
べるのではなく逆転している場合があること。例えば、平野楢蔵を思わ
せる重助という暴れ者が盲目の娘を助けられたことから熱心な信者に一
変し他の信者を励ます話や、明治20年1月、教祖の最後の啓示(月日あ
りてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、・・・)を、秀司生前の
明治14年の事としている点など。
 こうした史実と異なる点が後で問題となったのではないかとも思われ
るが、ある程度のフィクションが許されなければ映画は製作できないだ
ろう。

3)明治20年に「扉ひらいて世界一れつろくぢに踏み均す」と預言され
た親神様の思召しは、少なくとも日本国内では、60年を経た戦後に実現
された。つまり、戦後の日本は、身分や男女はもとより全ての差別は撤
廃され、形の上ではろくぢ(平地)に踏み均された。教祖ご在世当時、
この道を差し止めようとした法律が、戦後は自由と平等を保障する法律
に改変された。
 従って、最後に啓示された「ろくぢに踏み均す」神意は実現されたの
であり、今では100年前に先を見通されていた教祖を疑う者は誰もいな
い。しかし、天理教はその神意実現のためにどんな役割を果たしたのか。
戦前は戦争に加担した応法の道を通り、戦後は神の思召し通り変革され
た民主的な法律に適応しないまま現在に至っている。
 従って、映画の内容と現実とのギャップが大き過ぎて、映画に現実感
をもつことができない。
 
4)すなわち天理教は教祖の教えを受け継いでいると言いながら、未だ
に教内は「ろくぢに踏み均ら」されていないという意味で「扉はひらか
れた」とは言えない状態なのだ。
 それ故に、映画を上映しても、扉を閉めたままで目標を見失っている
天理教自体の現実を問い直さない限り意味がない。
 復元とは明治20年1月26日の時点に戻ることしかあり得ない。その
ためには、戦後の日本が経験したと同じくらいの大変革が必要であろう。
 
5)現在の教会は本来の目標を失っている。明治20年の時点に復元する
ならば、元一つの理に反する法律、常識に対して、いかに反対があろう
と堂々と神一条の理を貫くことが教祖ひながたを現代に生かすことであ
ろう。その目標を打ち出すのは、道の龍頭となる「鏡やしき・ぢば」で
なければならない。
 例えば(99号)「脳死は人の死」か? で取り上げたように、かりも
のの臓器を神様にお礼も断りも言わず第三者に又貸しするのは理に反し
ていることを堂々と主張する運動を展開するべきではないか。明治の頃
と違って「ろくぢに踏み均らされた」今では法律に反対するのも自由で
あり、警察に拘留されることもない。

 明治20年1月13日 教祖を通しての啓示。
「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ
/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一
やで」
「さあ/\実があれば実があるで、実と言えば知ろまい。真実というは、
火、水、風」
「さあ/\実を買うのやで。価を以て実を買うのやで」
 明治20年2月17日(陰暦1月25日)飯降伊蔵により願
「さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで。さあ/\扉を開いて/\、
一列ろくぢ。さあろくぢに踏み出す。さあ/\扉を開いて地を均らそう
か。扉を閉まりて地を均らそうか/\」
 明治20年2月18日(陰暦1月26日)
「さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わい
か。……」

(追記)
 昨日22日は日本国内でも観測できる日蝕で,世の中は興味半分の大騒
ぎであった。日食は太陽と月が重なり合う現象だから、まさに「月日の
理」を表わしている。
 昔は日食を単に自然現象と受け取らず、不安な予兆を感じ取っていた。
現に日食の前後1ヵ月には地震などの天災地変が多発するという統計結
果も発表されている。
 二つに離れて地球を守護されている月日が一つになるのは偶然ではな
いとすれば、何か神意を表わしているはずだ。今の社会状勢を見れば、
親神様の思いは、満足よりも残念の極点に達していると思わずにいられ
ない。



<心のテープ>(104号)舞台劇「扉ひらいて」を観た感想
配信日:2009/7/30

 この舞台劇は敷島の青年会有志が結成した「心勇組」(初期の講名)
劇団によって「陽気ホール」で上演された。その舞台を録画したDVD
は公然と発売されているのではなく、アングラで出回っている。なぜ
店頭やネットで販売されないのか理由は分からない。とにかく観賞し
た人には好評で、感動したという声が多い。
 
 舞台はつとめ場所の内部と思われる室内で、そこに明治20年1月26
日直前のおやしきに住まいする初代真柱はじめ教祖の長女まさ、孫の
梶本ひさなど身内と側近の人々の会話と独白、取締にやって来る警官
の言動を中心として構成されている。中でも増井りん、平野楢蔵、辻
忠作、山田伊三郎などが身上をたすけられて入信した過去を独白する
場面(逸話篇に記録されている)が感動を呼ぶ。 

 倉本 聰の主宰する富良野塾に学んだ作者によって脚本が作られたと
聞くだけに、限られた舞台の上で緊張した時間と空間が展開される。
 ドラマは教祖伝の最終章に忠実に描かれていて、教祖と飯降伊蔵
(のちの本席)による「さしづ」が読み上げられ、教祖の急き込みに
従って十二下りのつとめを心定めするまでの談じ合いと内心の葛藤を
描き出している。
 
 舞台の上で読み上げられるのは、誰もが知っている重要な啓示ばか
りといってもよい。
 教祖伝によれば、例えば真之亮から、法律がある故、つとめ致すに
もむつかしう御座ります、と申上げると、
「さあ/\答うる処、それ答うる処の事情、四十九年以前より誠とい
う思案があろう。実という処があろう、事情分かりが有るのか無いの
か」
 これに対して真之亮から、講習所を立て、一時の処、つとめの出来
るようにさして貰いとう御座ります、と申上げると、
「安心が出けんとならば、先ず今の処を、談示々々という処、さあ今
と言う、今と言うたら今、抜き差しならぬで、承知か」

 さらに教祖と真之亮の問答は繰り返されるが、ついに真之亮から、
この屋敷に道具雛型の魂生れてあるとの仰せ、この屋敷をさして、こ
の世界初まりのぢばゆえ天降り、無い人間無い世界こしらえ下された
との仰せ、かみと我々も同様の魂との仰せ、右三ヶ条のお尋ねあれば、
我々何と答えて宜しく御座りましょうや、これに差支えます。人間は
法律にさからう事はかないません。
 と申上げた処、
「さあ/\月日ありてこの世界あり、この世界ありてそれ/\あり、
・・・」と続く根本の理合いを諭されたのであった。
 なおも押しての願に対し、
「さあ/\実を買うのやで、価を以て実を買うのやで」

 その後、1月25日の夜に至るまで1ヵ月の間、毎夜々々かぐら・て
をどりが続けられたが、急にその夜になって教祖のお身上よろしから
ず、飯降伊蔵を通して神意を伺うと、
「さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで、さあ/\扉を開いて/\
一列ろくぢ、さあろくぢに踏み出す、さあ/\扉を開いて地を均らそ
うか、扉を閉まりて地を均らそうか/\」
 一同が相談の上、扉を開いてろくぢにならして下されたいと答え、
なおも教会設置の事を願うと、
「ならん/\/\。取り違えてはならん。もと迫って居る」
 と、お知らせ頂いた。
 
 いよいよ陰暦正月26日、月例の祭典日となった。教祖伝には次の
ように記述されている。
「近郷近在からは多数の参拝人が詰めかけている。しかも、官憲の
目は厳しく、一つ間違えば、お身上中の教祖をも拘引しかねまじい
剣幕である。人々はこの板挟みの中に立って、思案に暮れた」
 そこで、思召を伺った一節に、
「さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖
わいか、・・・」
 と、重大な刻限が迫っていることを啓示されるに及んで、ついに
真之亮以下「命を捨てても」の覚悟でつとめを実行する心を定めた
のであった。
 その結果はすでにご承知の通りだが、舞台では一同顔を畳に伏せ
たまま慟哭する場面となり、やがて飯降伊蔵のさしづに一筋の光を
見出す結末になっている。
 ここでも「ろっくの地にする」「今までとこれから先としっかり
見て居よ」との神意が繰り返して示されている。
 
 その後の道の歴史はどのような変遷を辿ったのだろうか。
 翌年の明治21年には神道の六等教会として認可を受け、神道本局
の配下として、その増改築や経営に尽し運んだ結果、漸く明治41
年に至って一派独立を認められた。その条件として明治教典に見ら
れる教理の歪曲が不可避であった。
 要は明治20年から昭和20年に至る60年の教史は、国家権力と国
家神道による統制と干渉を強制された悲劇の歴史であったというこ
とができる。その間に「応法の道」として殆どの教会が設立され、
教勢が進展したのであった。
「みかぐらうた」でさえ肝心の部分を歌うことを禁止されていた事
実を見ても、今では信じられない時代であった。

 昭和20年の刻限において、この道を邪魔する権力はすべて取り払
われ、教理は復元された。
 世の中は「ろくぢ」になり、自由と平等、差別の撤廃が現実とな
った。「かぐら・てをどり」も、警察を気にしなくても自由につと
めることができるようになった。現に全国の教会では、教日々月々
に鳴物入れて十二下りのてをどりがつとめられている。

 ということは、明治20年に「見えん先から説き聞かされた」神意
の通りになったのだから、天理教はすでに目的を達したのだろうか。
すでに役割を果たしたから、これ以上発展したり布教する必要はな
いのだろうか。
 現在の系統化された1万7千の教会は、教祖ご在世の頃に結成さ
れた「講」が発展した姿だろうか。
 おさづけを取り次ぐことだけがようぼくの役目だろうか。
 教会の最終目的は、立派な神殿ふしんをして、広い敷地に塀をめ
ぐらすことだろうか。
 教会を訪ね来る人に「よろづいさいのもと」を説き聞かせている
のだろうか。
 舞台の上で読み上げられる「おさしづ」に続いて、その後20年の
間、啓示された本席の「おさしづ」を拝読しているのだろうか。
 
 さらに疑問を重ねれば、前々号から紹介してきた映画と演劇は、
誰に観せるために制作され上演されたのだろうか。
 教祖は官憲の取締に屈せず何のために「扉をひらかれた」のだろ
うか。
 現在の教会自体は教祖ひながたを具現していると言えるだろうか。
 天理教自体の「扉」は未だひらかれず、「ろくぢ」にもなってい
ないという見方は、よほど頭がどうかしていると言われても仕方な
いのだろうか。
 
 本席様が出直される1ヵ月前の明治40年5月17日深夜のおさしづ
の一節。
「・・・長い/\ 、長い年限の中もうどうもならんから身をかくれ
たのや。ずうとかくれたのやない/\。かくれたなりであろうまい。
前々より古き話も伝え、古き事も分かりてあるやろう。・・・さあ
/\皆よう思やんをして掛かれば危ない事は無い。影は見えぬけど、
働きの理が見えてある。これは誰の言葉と思うやない。二十年以前
にかくれた者やで。なれど日々働いて居る。案じる事要らんで。勇
んで掛かれば十分働く。心配掛けるのやない程に/\。...」
 
*天理教の歴史については(93号j「国会では治まらん」を参考に
 再読して下さることをおすすめします。



<心のテープ>(105号)42年前、全教に配布された文書をめぐって
配信日:2009/8/6

 恒例の「夏のこどもおぢばがえり」は、今年も7月26日から8月4日
にかけて行われた。26日にはおぢば周辺の駐車場は何処も満杯になった。
年に一度か二度のことで、普段はガラガラに空いているのだが。
 私の知る限り、今までの期間中で最も涼しい気温であった。といって
も単純には喜べない。おぢばも雨が多かったけれど、九州や中国での大
雨による被害、そして北海道は日照時間が半分以下の冷夏のために農作
物が育たずに野菜が値上がりしているという。
 先日は皆既日蝕で日本中が興味本位の大騒ぎであったが、梅雨明けが
遅く大雨が続くのも偶然ではないと感じられてならない。
 
 それはさておき、先頃<天刻ML>で話題になった情報をここで紹介
したい。登録読者に含まれるMLメンバーにとっては重複するので申し
訳ないが、ご了解願いたい。
 その情報というのは、メンバーの一人から提供されたのだが、タイト
ルの通り、42年前、全教会に配布された「50年後の天理教を想う」と
題する文書がネットに公開されているということだ。
 じつは私は、その文書の内容を読んだことはあるのだが、ネットに出
ているとは知らなかった。改めて再読して、その文書があと8年先に迫
る天理教の実情と、そのような結果になる原因を、極めて正確に予測さ
れていることに驚きを禁じ得ない。
「50年後の天理教を想う」 
 http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/50nen/50nen.html
 
 じつは、1万7千カ所の全教会に配布された上記の配布文書は、教内
唯一の議決機関となる天理教協議会(現在は集会と改称されている)の
委員長(議長)であった高名な先生(分教会長)の手になるものであっ
た。
 恐らく配布した先生自身、名前が表に出るのは承知の上であったに違
いないが、予想通りというべきか、本部中枢に知れて、すべての役職を
免じられた、と近親者から聞いたことがある。
 今となっては筆者の名前を詮索しても始まらないが、その内容を熟読
して反省の糧とする価値は十分にあると思う。
 
 ついでに紹介すれば、上記の文書が収録されているのは、
<天理教フリーフォーラム>
 http://www.yousun.sakura.ne.jp/index.html
 というサイト内で、その「資料1」の一つとして掲載されている。
 このサイトの資料には、他に教祖の「赤衣」とか「二段の甘露台」の
石とか、「かぐら面」とか、珍しい写真も収録されているので、一見の
価値はあると思う。このサイトの管理人は責任ある立場の確かな人物で
あることを私は知っている。ただ、管理人の実名を公表すると、何らか
の干渉を受けるのが実情であるらしい。(幸い私自身のサイトには、今
まで一度も邪魔が入ったことはないが)
 
 最後に、103・104号で取り上げた明治20年「扉ひらかれた」大節の
後、明治40年に至るまで最も困難な情勢の中を20年間、道の先人たち
を連れて通られた本席の「おさしづ」の中から、天理教の実情に関する
神意の一端を拝読することにしたい。

「さあ/\今までというものは、長い間というものは、皆どんな事も、
どんな日もあった。さあ/\国々までも、さあ/\一列(ろくぢに踏み
均す)の話待ち兼ね、世界中、さあ/\どんな事も間違う/\。どうで
もこうでも待ち兼ね、さあ/\年限待ち兼ね(たが)、人間心間違うて
了うた。(止むを得ず)余儀無き道を通る」     (21.12.11)

「人間心の事情要らん。すっきり人間心要らん。これから先は人間心す
っきり要らん。もうこれから神一条という道を立てにゃならん。立てさ
さにゃならん。立てさして見せる。成るも一つの理、成らんも一つの理
というは、前々に諭してある。さしづ通りに通るなら、働きかける。ど
んな事もさしづ一つの理を以てするなら、どんな事も神一条の道を通る
なら、通して見せる」               (22.10.23)
 
「さあ/\もうこれ、どうでもこうでも、掃除という。刻限(さしづを)
出した限りには、仕遂げにやならん。掃除仕遂げる。隅から隅まで掃除
に掛かる。掃除に掛かりたら、あちらこちら(不満や悲嘆の)声が聞く
/\。どんな事を聞いても、心を授けた限り、一名一人の心という。お
めも恐れも無い。(遠慮気兼ねの)控え心は受け取る事出けん、と諭し
置こう」                      (32.11.3)

「さあこれからの理というものは、細き心に皆々細き心の道になる。
あゝどうもならん。広い順序一つ一日の処に、心病んで道とは言えよう
まい。だん/\の継目も欠け細くなりたらどうするか。今後太くなるま
での処、傍々もなか/\容易の事ではないで。……何も彼(か)も何よ
の(どんな)事も取り結び/\、日々思う心は皆違う/\。なれど皆々
そういう心の者ばかりでもないが、余儀なく世界順序の情に流れ/\て
了うから、どうもならん。誰にも仮名な(やさしい)理で諭し置こう。
何ぼ広く田地田畑あればとて、蒔かん種は生えん。種無しに作れるか」
                          (36.5.20)

 以上に共通するキーワードは「人間心」と「神一条」であって、「さ
しづ」に外れた心は人間心に他ならず、「さしづ」の理を立てる心が即
ち神一条、と悟ることができる。そして「さしづ」に外れた人間心は、
必ず身上・事情となって現われることは疑えない事実である。
 なお念のため、明治40年飯降本席お出直しまで「さしづ」が続いてい
た20年間は、道の初代が入信し活動していた時代であり、故・高野友治
氏が「天理教伝道史」に記録した華々しい発展の時代であった。
 ところが明治40年以後から太平洋戦争を経て昭和20年の敗戦に至る二
代三代以後の天理教史については殆ど語られることはない。たまたまこ
のメルマガの(46号)「忘れられた悲劇の歴史=天理教の戦前・戦後」
に、その要点を述べているので再確認して頂ければ有難い。



<心のテープ>(106号)8月6・9・15日を忘れない
配信日:2009/8/13

 今年も8月「原爆の日」が巡ってきた。広島は6日、長崎は9日。
それから終戦が15日。(アメリカでは「戦勝の日」は、無条件降伏の
調印が行われた昭和20年(1945)9月2日)正確にはその日が日本
の「敗戦の日」に当たる。
 NHKテレビでは、「原爆の日」に合わせて様々な番組を組んでい
た。7日の「ノーモア・ヒバクシャ」という特集では、広島・長崎だ
けでなく世界では核実験によるヒバクシャは200万人に達することを
初めて知った。
 核廃絶へ一歩踏み出そうとしているオバマ大統領の声明が追い風と
なって、いま世界で核のない世界への希望が大きな波となって広がっ
ている。
 
 あたかも今年4月、オバマ大統領は、世界で初めて核兵器を使用し
た国としての道義的責任に言及し、ロシアと核兵器削減交渉を行った。
ところがアメリカ人の殆どは、広島・長崎への原爆投下は戦争を早期
に終わらせ犠牲者の増大を食い止めるためには止むを得なかったとい
う考えを抱いているという。
 事実、広島に核爆弾を落とした米国機エノラ・ゲイの乗組員の一人
だったモリス・ジェプソンは、オバマ大統領が原爆使用の「道義的責
任」に言及したことを誤りだと切って捨て、戦争を終結させるために
必要だった、と断言したインタビュー記事を掲載している新聞もあっ
た。(8/3付毎日新聞)
 オバマ大統領がそうしたアメリカの国民感情を承知の上で、原爆投
下の道義的責任を認めた言動に、日本の政治家には見られない理想を
希求する態度を感得できる。
 
 実際に、原爆は投下される必要があったのかどうか。その点につい
ては終戦直前の過程を無視できない。
 1945年7月26日、ポツダム宣言が発表されたのに対して、「黙殺
し、断固戦争を完遂する」と鈴木貫太郎内閣が拒否的な態度を明らか
にしたのが7月28日。そして8月6日、9日に原爆が投下される。
その恐るべき新型爆弾の威力を見せつけられた結果、まもなく8月14
日、天皇によってポツダム宣言受諾の聖断が下される。
 こうした経過を見ると、敗戦しか選択の余地がなかったのに、何故
もっと早く御前会議でも何でも開いてポツダム宣言を受託しなかった
のか、という問題は残る。さらに遡れば、半年前、1年前にも戦争を
終結するための交渉をしていれば、戦地に派遣された兵士たちやヒバ
クシャはもとより空襲の犠牲になった数十万のいのちが救われたに違
いない。
 とはいえ、日本の対応がどうであれ、アメリカは原爆を実験的に使
用することを決めていたという情報もある。その決定を知った旧ソ連
は、日本が降伏する前に参戦する必要があって8月9日に満州に侵攻
したことも確かであろう。
 
 思うに先の太平洋戦争は、国家神道の強制によって信教や思想の自
由を禁圧し、軍部が権力を握って国民を総動員し、無謀な作戦で戦地
に駆り出された多くの将兵は、食糧の補給もなく山野をさまよい餓死
するに至った。しかも参謀本部やマスコミは、戦況の正しい情報を一
切国民に知らせず秘密にした。その結果、日本人だけで約310万人
(一般市民を含む)が戦争の犠牲になった。
 例えば作戦の失敗で殆ど部隊が全滅した中で僅かに生き残って帰国
した将兵は、全滅の情報が洩れないように離れ島に隔離して、再び別
の危険な戦線に送り出していた事実もあった。
 戦後も天皇や軍の上層部に不利な情報は極力隠蔽して秘密工作し、
占領軍にも国民にも責任を問われない策謀が取られた。そうした作戦
となると実に巧みであった。
 
 今にしてようやく個々のヒバクシャや生き残った兵士たちが重い口
を開いて戦争の実態や真相が明るみに出るようになった。NHKは今
までも「兵士たちの戦争」というシリーズを放映していたが、これか
ら戦争証言プロジェクトを立ち上げて大々的に戦争体験の証言を募集
するという。
 こう言っては先を越したようになるが、私は戦後60年を迎える1年
前(つまり今から5年前)に思い立って「戦争を語りつぐプロジェク
ト60」と名づけたボランティア・グループを結成し、実質的には殆ど
独力で戦争証言サイトの開設・更新・管理のボランティア活動を続け
てきた。
 今年も「原爆の日」の直前になって、上記の戦争証言サイトに世界
一くわしい被爆体験記を収録していることや、在米日系一世・二世の
特異な戦争体験(日米開戦と同時に敵国人として差別され強制収容さ
れた)の証言を収録していることを人気サイトで紹介され、6日から
3日間で3000人超のアクセスがあり、延べ16万人超となっている。
 
 私が信頼している人に元外交官・天木直人氏がいる。天木氏はイラ
ク戦争が始まった時、当時のブッシュ大統領に追従した小泉首相に反
対して特命大使の職を追われた気骨の人だが、自身のブログで次のよ
うに明言している。
「私が外交官人生の最後にたどりついた最後の結論、すなわち、憲法
9条を世界に宣言することこそ最強の安全保障政策である、という考
え方」を守り続けている。「アジアの国々だけではない。世界中の国
民は、そのような日本に拍手喝采するだろう。どのような議論を重ね
ようとも、最後にたどりつく結論はそこにある」と。

 この号では、原典「おふでさき」から、第十三号43〜50にわたる最
も平和に関わりの深いおうたを謹写することにしたい。

 せかいぢういちれつわみなきよたいや 
 たにんとゆうわさらにないぞや

 このもとをしりたるものハないのでな
 それが月日のざねんばかりや

 高山にくらしているもたにそこに
 くらしているもをなしたまひい

 それよりもたん/\つかうどふぐわな
 みな月日よりかしものなるぞ

 それしらすみなにんけんの心でわ
 なんどたかびくあるとをもふて

 月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ
 どふぞしいかりしよちさしたい

 これさいかたしかにしよちしたならば
 むほんのねへわきれてしまうに

 月日よりしんぢつをもう高山の
 たたかいさいかをさめたるなら
 

<心のテープ>(107号)戦争を起こす元兇は「高山」(権力者)だ。
配信日:2009/8/20

 終戦の日の8月15日、戦没者の追悼式典では天皇・皇后両陛下をはじ
め、麻生首相その他の代表者による追悼の辞が読み上げられた。中には
建前だけの原稿棒読みもあったが、いずれも二度と戦争を起こさない決
意表明であった。
 夜は夜で、「日本の、これから "核廃絶は可能か?” 市民が本音で
徹底討論」という3時間に余る特別番組がNHKで放映されていた。私
もその討論を視聴していたのだが、正直なところ途中でスイッチを切っ
てしまった。
 核廃絶反対派とは、言い換えれば、防衛力の増強賛成派であり戦争肯
定派ということになる。またもや「お国のために」戦争も辞さず、と錯
覚しているのではないか。なぜ最後まで視聴しなかったのかと言えば、
それ以上、核廃絶に対する賛成派と反対派の討論を聴く気になれなかっ
たからだ。
 
 その後、今日まで思案した末の結論がある。つまり、古代から現代、
さらに未来に至るまで、戦争を起こす元兇は市民ではなく権力であって、
市民は権力に巻き込まれ利用されるだけではないか、と思い当たった。
権力に反抗する暴力革命(例えばフランス革命)もあったが、革命には
必ず先頭に立って市民を動かすリーダーがあり、革命が成功すると、そ
のリーダーが権力者に取って代わることになる。
「国のため」というキャッチフレーズは、言い換えれば権力の維持と拡
大のためであり、決して国民・市民のためではない。その証拠に、国の
最高権力者たちは、作戦を立てるだけで決して戦場には行かず安全を確
保し、国民を否応なしに戦場へ動員する。それどころではなく、現代の
戦争は非戦闘員まで無差別に被害を受け、生命を奪われるのだ。
 とすれば、核廃絶に反対(核兵器による軍事的解決)の立場をとる市
民は、自分が権力者の立場にあると錯覚していることになる。本物
の権力者はあらゆる手段と方法を使って、市民にそういう錯覚を起こさ
せようとするのだ。 

 何故こんな結論に至ったかと言えば、前回106号の末尾に謹写した
「おふでさき」十三号43〜50までの一連のおうたに、戦争の原因は
「高山」にあると、はっきり明示されているからだ。もう一度改めて
拝読すれば、まず、
 せかいぢういちれつわみなきよたいや
 たにんとゆうわさらにないぞや
 このもとをしりたるものハないのでな
 それが月日のざねんばかりや
 世界一れつ兄弟姉妹と自覚すれば、戦争が起こる恐れはない。兄弟
ケンカくらいはしても殺し合いまでするはずはない。人間が一れつ兄
弟姉妹に違いない「もと」として、親なる神が実在することを未だに
知らない、つまり人類の誕生と進化は偶然ではなく「陽気づくめを見
て共に楽しみたい」という希望をこめた親心が「もと」にあることを
知らないのが一の残念、と嘆かれている。
 
 高山にくらしているもたにそこに
 くらしているもをなしたまひい
 それよりもたん/\つかうどふぐわな
 みな月日よりかしものなるぞ
 人類共通の「もと」に親神が実在する以上、神の子として創造され
た人間は同じ魂を分け与えられているのであり、自然の恵みはもとよ
り、いのちを楽しんで満足するための人体の道具もすべて神から貸し
与えられているのだ。
 
 それしらすみなにんけんの心でわ
 なんどたかびくあるとをもふて
 月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ
 どふぞしいかりしよちさしたい
 人間はみな広大無辺の守護と親心のもとに生まれ育てられた兄弟姉
妹であることを知らないから、生まれつき上下の身分や差別があるよ
うに思っている。人間はお互いに親から同じ魂を分け与えられている
という真実を、何とか世界中の人間にしっかりと承知させたい。
 
 これさいかたしかにしよちしたならば
 むほんのねへはきれてしまうに
 月日よりしんぢつをもう高山の
 たたかいさいかをさめたるなら
 一れつ人間はみな同じ親から生み育てられた神の子である真実を確
かに承知したならば、谷底(の民衆)が権力の支配に抵抗して謀反や
革命を起こす原因は根底からなくなってしまう。一方、高山(権力者)
も民衆を支配するための戦いを止めたならば、平和な世の中になるで
あろう。
 神が許した「心の自由」を「高山」が無視・抑圧して、同じ人間で
ありながら「谷底」の人々を支配することが、親神にとって何よりの
残念に違いない。
 
 日本の歴史をふりかえってみると、古代であれ中世の戦国時代であ
れ、権力の及ぶ範囲は様々だが、隣接する領地を占領するために戦争
を始めるのは領主であった。戦いが始まれば、槍や刀剣を持たされて
相手の民衆を互いに突いたり切ったりさせられることになる。
 しかし権力者は戦いを始めるとき、権力維持または拡大のためとは
言わず、巧みに戦いを正当化し、市民の味方であるかのように錯覚さ
せる。国のため=市民のため、と思い込ませるための巧みな情報操作
で教育し洗脳する。それは先の太平洋戦争で日本人が骨身に滲みて体
験したところであった。
 戦後の日本は「ろくぢ」(平等)に踏み均されたから、権力者が勝
手に憲法を改変することができず、9条の不戦条項が何とか守られて
きた。少なくとも日本は、半世紀以上にわたって自分から戦争を始め
たことはない。これからも平和憲法という世界で最も理に適った良心
の灯を消してはならない。

 <心のテープ>(92号)憲法とは何だろう? を改めて振り返って
みてほしい。
 憲法だけは、民法や刑法と違って国民を対象として書かれたもので
はない。では誰を対象に定められたのかと言えば、国民が国家権力を
監視し束縛するためにあるのが憲法だ、と小室直樹氏は明言する。国
家権力には、司法、行政、立法のすべてが含まれる。公務員つまり警
察や官僚も権力の一部に他ならない。
「したがって、憲法に違反することができるのは国家だけ」と小室氏
は言う。「これが日本人には全く理解できていない」と。
 憲法の前文を、もう一度読み返してみる必要がある。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにするこ
とを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確
定する」(前文)
 国家には警察や自衛隊という、武装した暴力による強制力がある。
法律一つで財産を丸ごと取り上げたり、否応なしに徴兵することもで
きる。これらは前の戦争中まで、当然のごとく行われたところである。
 日本国民が目覚めるべきは、国家権力を「お上」と尊敬したり「善
なる力」と錯覚しないことである、と小室氏は重ねて警告している。
国家は恐ろしい怪物あるいは怪獣に似ていることを忘れてはならない、
と。
 
 結論すれば、市民が戦争を肯定するような意見を主張したり、戦争
行為への賛否を議論すること自体、無意味なのだ。それどころか、市
民自体の意志で戦争を起こすことができるかのような錯覚を拡大する
恐れがある。そうなることを、権力は何よりも望んでいるのだ。逆に
権力が再び戦争を起こさないように、いかにして権力の動きを監視し
阻止し、情報操作を見破るかに、市民の意識を集中しなければならな
い。

 最後に教内の事情をふり返ってみれば、原典「おさしづ」は、いわ
ば絶対的な「天の憲法」であるにもかかわらず、その憲法を無視して
きたのが紛れもない天理教の歴史と現実であった。神によって啓示さ
れた憲法の中心は「刻限さしづ」であるが、戦前から今に至るまでの
天理教には「憲法」はあって無きが如しで、戦前の古い応法の教理が
未だに巾を利かせている。
 原典(天の憲法)の理念は、「一れつ兄弟姉妹」「一れつろくぢに
踏み均す」神意を実現することにある。にもかかわらず、その理念を
天理教自体が「ひながた」通り実現する努力がなされたことはない。
 とすれば、国民あるいは市民に当たる「ようぼく」が、天の憲法た
る原典なくして道はない真実に目覚め、いわば市民運動を展開してい
くことが、親なる神の望みに応える道を開拓することになるだろう。
 今度こそ最後にするが、天の憲法=さしづの一節を拝読したい。

「真の兄弟は、誠一つの心が兄弟。又、誠一つ理が天の理、常に誠一
つの心が天の理。真の心の理が兄弟」(補遺:明治20年月日不詳)

「これまで艱難の道を通したる。どんな日もあったやろ。何でもとい
うは、世界国々それ/\多く道が付いて、一つ/\兄弟の元を拵え掛
けたる。兄弟という理を聞き分け。人間という、元々一つの理より始
めたる。兄弟なら兄弟という意味が無くばならん」(28.5.19)



<心のテープ>(108号)元の理、同じ魂=わけみたま、その他
配信日:2009/8/27

 今月25日の会合は初めて詰所の一室で実施した。うちの詰所は部屋ご
とにエアコンは取付けていない。もともと詰所は信者修行所だから経費
節約する上からエアコンはなく、部屋の天井を高くして扇風機が3台ず
つ置いてある。
 当日集まったのは5名だけであった。今月からは正面から「おさしづ」
の研究を目的にするのではなく、最近配信したメルマガのテーマに関連
する話題をめぐって談じ合うことにする。
 なお、来月からも同じく詰所を会場にするほうが落ち着いて話し合え
るという提案があり、そのことも配慮して今後の場所を決めたいと思っ
ている。
 次に話題となったテーマについて、補足をかねて報告したい。

 前号で拝読した「おふでさき」第十三号45に、
 高山にくらしているもたにそこに くらしているもをなしたまひい
 というおうたがしるされている。
 ここで「同じ魂」としるされた言葉の裏づけは、元初まりの話にある。

 教祖は天保9年、天啓により月日の社と定められて後3年間、内蔵に
籠られることが多かったと伝えられる。(『逸話篇』二、内蔵)それか
ら後に、元の親でなければ知り得ない元初まりの真実を「泥海古記」と
も呼ばれる神話の形で語られた。
 幼い子ども(こかん)をもつ主婦でありながら、そうした閉じこもり
の状態は、異常としか言いようがない。それ故に、夫・善兵衛により座
敷牢に入れられていたと推測する教外の学者の説もあるが、数カ月なら
まだしも、3年間も家事や育児を放棄して自由を束縛することができる
とは思えない。そうではなく、その間、教祖は言葉以前の混沌とした元
始まりのイメージの世界に没入されていたに違いない。そのイメージを、
後に当時の人々が理解できる言葉で表現されたのが「泥海古記」であっ
た。
 
 教典第三章 元の理は、次の文章で書き出されている。
「この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を
味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに
楽しもうと思いつかれた。
 そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うをとみ
とが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一
すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、
宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ戻り、神として拝をさせよう
と約束し、承知をさせて貰い受けられた」
 続いて男女「一の道具」をそれぞれ「承知をさせて貰いうけ、食べて
その心味を試し、その性を見定めて」うを・みに「仕込み」をされた。
 そうして「うを」は男雛型・種、「み」は女雛型・苗代と定められ、
夫々にいざなぎのみこと、いざなみのみこと、の神名を授けられた。
 
 さらに月日親神は泥海の中から様々な道具を「次々と引き寄せ、これ
も又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された上、この種・
苗代に「仕込まれた」。
「かくて、雛型と道具が定まり、いよいよここに、人間を創造されるこ
ととなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その
心根を味い、これを人間のたねとされた」
 それから月日親神はいざなぎ・いざなみに入り込んで、その体内に9
億9万・・・の子数を宿し込まれることになる。(明治当時の算術では
億の単位の次はすぐに万、万の次は千の単位に変わる計算になっていた)

 ここで、いのちある人体としての「種」(精子)が「苗代」(卵子)
の中で育つことになるのだが、この男女の雛型は、他の道具のように
「食べて心味を試し」をされてはいない。「食べる」ということは原型
がなくなって働き(機能)だけになることであるとすれば、雛型は形が
なければならないからであろう。
 一方、雛型の「種」とは別に、魂を意味する「たね」がある。それは
上述の通り「親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、
これを人間のたねとされた」という平仮名で記された「たね」に他なら
ない。この場合、「泥海中のどぢよを皆食べ」て、完全に親神と一体化
された「たね」すなわち「同じ魂」を男女の雛型に宿し込まれたのであ
る。
 
 さて、親が入り込んで創造された「神の子」に宿し込まれた「たね=
同じ魂」は、雛型の「種・苗代」から生育し進化した体内のどこに宿っ
ているのだろうか。
 6/25付で配信した(99号)「脳死は人の死」か? で、脳は意識
が働く場ではあっても脳から心が発生するのではなく、心の電源は別に
あることをパソコンに類比して論証した。パソコンに外から電源を入れ
ると画面に映像が写ったり計算したりできるが、パソコン自体に映像の
意味を理解したり計算式を考えたりする能力はない。同様に、意識の電
源は脳以外の空間、つまり胸やお腹にあると仮定しなければならない。
例えば、人が走るためには運動場が必要であるとしても、走るためのエ
ネルギーを運動場が提供しているのではない。この運動場に当たるのが
大脳皮質といえる。
 
 ずっと以前、30年以上も前のことだが、私はこの道と縁の深い道場に
通っていたことがある。指導者であった高齢の女性はすでに亡く、その
道場の現状はどうなったのか知らないが、その当時、道場での修行は
「頭を空っぽにして、ヘソの奥にある“わけみたま”に一切をお任せする」
トレーニングに集中することであった。
 天から分け与えられた“みたま”を人間は忘れてしまい、頭を使い過ぎ
てホコリばかり積んでいる。そのため、本来まん丸い“みたま”はデコボ
コになり、殆ど眠ってしまっている。
 頭を使わずにお腹の奥に頂いている“わけみたま”にお任せすると、覚
醒した“みたま”は「成ってくるのが天の理」通りに一切を仕舞わして下
さる。“みたま”は元の神につながっている。「神にもたれる」のは「“み
たま”にもたれる」ことに等しい。
「ふと浮かぶが神心」も“みたま”の働きに他ならない。“みたま”の有難
さに気づくことが「陽気づくめ」の境地に参入する第一歩となる、とい
う。いずれ来るべき刻限には、覚醒した“みたま”にお任せしなければ生
き抜くことはできなくなる。──そのように道場で仕込まれた。頭に依
存している間は「陽気づくめ」の境地に参入することはできない、と。
 
 しかし、人間だけ頭(大脳皮質)が高度に進化しているのは偶然では
なく神の計らいであるとすれば、頭は必要あって進化したに違いない。
そう思った私は、道場の指導に素直に従うことができず、中途で離脱し
てしまった。とはいえ、何年か通った間に、過去・現在・未来にわたっ
て、詰まらないこと、余計なことは気にしなくなり、前向きに生きるこ
とができるようになったのは確かである。
 さらに自然に腹式呼吸ができるようになり、心を一点に集中すると、
空間一面に漂っている煙のように「気」が見えるようになった。気とは、
理と物質の中間的存在ではないかと思っている。(といっても第三者に
証拠を示すことはできないし、何かの効能があるわけでもないが)
 
 ここで、つい先日、ある教会で神殿講話を拝聴したことから思案して
いる宿題を提出しておきたい。私もまだ結論を出すことはできない。
 というのは、「かしもの・かりものの理」の根底となる十全の守護の
理と、九つの道具との関係をどう受け取ればいいのかという問題である。
「九つの道具」とは、おつとめの道具という意味で言われるだけでなく、
「心の自由」を許されている人間が思い通りに使えるよう人体に備えら
れている道具という意味もある。つまり、目耳鼻などの感覚器官、手足
と男女一の道具など。但し、いずれの道具もいのち守護が根底になけれ
ば使い物にならない。例えば目は水の理であるとともに光(日=火)が
なければ見えないし、耳や鼻は風(空気)がなければ伝わらない。手足
などの道具にしても、健康で生かされるための守護の理があればこそ役
立てることができる。

 確かなことは、いのちの守護にしても、自由に使える道具にしても、
親神様から貸し与えられている目的は「陽気づくめ」に生きるためであ
ることは間違いない。見て楽しみ、聞いて楽しみ、味わって楽しみ、男
女が一心同体になって楽しみ、手足を動かして目的地に到達して楽しみ
・・・と思いつくままに並べるだけで、何と人間はたくさんの楽しみを
体験できるように造られているのだろうと、改めて驚くばかりである。
但し、自分一人が楽しむのではなく、人様と共に楽しむ心が大切に違い
ない。
 にもかかわらず、親心の有難さに気づかずに、人とともに喜びを共有
することが少ないことを申し訳なく恥じ入るばかりである。
 
 つい長くなってしまったが、ここまで気づいたところで、原典おさし
づを拝読して、この号を終りたい。
「神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は
(いずれは)通るに通れん(ようになる)。陽気というは、皆んな勇ま
してこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますよう
では、ほんとの陽気とは言えん。めん/\勝手の陽気は、生涯通れると
思たら違うで」(30.12.11)



<心のテープ>(109号)衆院選で「高山」(権力)が崩れ落ちた日
配信日:2009/9/3

 8月30日の衆院選の結果、あれよあれよという間に自民党の大物議員
をはじめ小選挙区の自民党候補者は軒並み落選し、民主党の顔ぶれに様
変わりした。公明党も小選挙区は全滅して10議席を減らし、幹部が顔を
揃えて議席を失った。まさに「高山」(権力)が崩れ落ちて交代する歴
史的な日となった。
 
 原典「おさしづ」に、一れつ「ろくぢ」に踏みならす神意が現実とな
る刻限を「一日の日」という言葉で表わされている。「一日の日は一代
と取れ」とも啓示されている。一代を凡そ60年と受け取れば、昭和20年
の戦後から今年は64年目に当たっている。
 昭和20年の刻限で日本は「ろくぢ」に踏み均されたが、知らぬ間に再
び「高山」が構築され、「谷底」を「まま」にするような横暴の政治権
力が日本を支配するようになってきた。その代表的な政策が、郵政民営
化や規制緩和を実行してアメリカのブッシュ政権に追従した小泉元首相
や竹中大臣であった。
 現代の「高山」(権力)は、民衆を支配するといっても、決してあか
らさまな強制はしない。巧みな情報操作によって、国民に気づかれない
ように権力を維持・拡大しようとする。マスコミも権力に迎合して、権
力に歯向かう勢力を叩き、スキャンダルを流している。
 
 戦後も解体されなかった官僚制度の中で「高山」に当たる霞ヶ関の高
級官僚と自民党政治家の政官癒着が甚だしく、互いの利害関係を優先し、
官僚主導で人事・予算・政策を独占してきたことは間違いない。
 私自身、数年前に初めて知ったのだが、国の一般会計予算(80兆円前
後)とは別に、一般予算額の2倍半にもなる特別会計があって、その予
算や決算については国会の承認も必要なく、官僚が自由に使い放題にな
っているという。(ネットで「特別会計」と入力して検索してみれば実
態が分かる)
 年間200兆円を下らないその特別会計が、特殊法人(現在の独立行政
法人)の予算配分や天下りの温床になっている。当然、利害の一致する
与党議員が、その分け前に預かるために群がっている。にもかかわらず、
これまでマスコミは、一切その隠された闇に光を当てようとはしなかっ
た。
 民主党の鳩山代表は選挙期間中に、特別会計と一般予算を合わせれば
200数十兆円になるから財源は心配ない、と発言していた。
 
 いずれにせよ、民主主義であればこそ、選挙を通して「高山」(権力)
が崩壊して「ろくぢ」になる可能性がある。戦前戦中の日本には民主的
な議会も法律もなかったから、戦争による甚大な犠牲を払わなければ戦
後の大変革はできなかった。
 ところが、戦後も官僚組織は解体されずに温存されたので、今になっ
てようやくその利権構造が明るみに出て、野党や市民の批判に曝される
ことになり、ついに今回の選挙の結果、権力を手放さないわけにはいか
なくなりつつある。 

 もう一つ、戦後も解体されずに残った組織として宗教法人がある。宗
教に干渉しないことが大前提となったので、宗教法人内部の教規は法律
の規制を受けていない。それ故、教内は民主憲法のラチ外にある。(そ
の代わり、原典=天の憲法があるのだが)つまり天理教教規は、戦後の
民主化された法律に合致していないから「応法の道」とは言えないのだ。
 世俗の構図と比べれば、知事に当たる教区長が各々の教区管内から最
適と判断した集会員を表統領に推薦することになっている。その教区長
を決めるのは、いわば総理大臣にあたる表統領であり、その表統領は数
人の委員会(詳しい構成は不詳)によって推薦され任命されることにな
っている。いずれの人事も、人間心を交えずに神一条の理に基づいて人
選されるものと信じるほかはない。
 
 要するに天理教内では、どこにも選挙による人事は行われていない。
本部・教庁の予算は唯一の議決機関となる集会で審議されるといっても、
前記の通り集会員自身は選挙で選ばれたのではなく、形式的な質問の後
に必ず全会一致で賛成することが慣例になっている。
 おさしづで啓示されている「鏡やしき・ぢば」は教庁および教会本部
に他ならず、それ以外に教団の決定機関はない故に、教団(宗教法人)
における内閣府つまり権力構造に他ならない。しかし、市民に当たるよ
うぼく・教人はもとより、党員に当たる教会長による選挙は一切行われ
ないから、今回の衆院選で官僚組織が変革を迫られるような事態が教内
で起こる可能性はあり得ない。
 とすれば、一教会・一ようぼくとしては、いかなる態度で信心を続け
ていくべきか、その具体的な提案を次号で述べたいと思う。
 
 鏡やしき・ぢばの理に関するおさしづに厳しいお言葉が多く含まれて
いるのは、それだけ「龍頭」としての責任が重いからである。教団を動
かすのはあくまで人間だから、特にやしき内の人間関係の中で、遠慮気
兼、追従(ついしょう)を「大ぼこりの台」として厳しく戒められてい
る。
 手書きおさしづ資料:第四部「鏡やしき・ぢばの理」に収録した啓示
の中から、次にその一端を拝読すれば、
「このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん」(24.1.28)
「澄んだ道から澄んだ心が鏡やしき。澄み切ったもの、曇りあっては世
界映ろうまい。少しでも曇りあっては、世界は丸曇り」(28.3.18)
「このやしき高い低いの区別は無い」(28.8.3)
「さあ/\本部員というは、世上の理を言う。内心一つ、神一条の理、
神の理から(元)一つの理(を)戴かにゃならん」(31.10.1)
「元から先。元に狂うたら、先になりたらどのくらい狂うか分からん。
よう聞き分け。日々の処 皆 満足ささにゃならん」(31.11.4)
「四方正面鏡やしきと言うて始めた。鏡やしきどういう(人間心による
泥ぼこりの)影が映りたか。鏡やしき/\何処から眺めても曇り無いの
が鏡やしき、どうもならん。皆んな人間心を以て通りた。泥水ばかりで
あった。だん/\すっきり掃除せにゃならん」(32.2.2)
(追記)
 衆院選投票日の数日前に、教会本部は自民党を応援しているという風
評が耳に入ってきた。自民党の高市早苗という権力の亡者のような候補
者が、名前だけ「ようぼく」になっているから応援するためだろうか。
 その高市候補は奈良県2区で接戦の末、民主党の滝まこと候補に4000
票近くの差で敗れたが、元・少子化対策担当大臣の肩書きがあるためか
比例区で復活した。



<心のテープ>(110号)「今がこのよのはじまり」
配信日:2009/9/10

「いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら」
 このおうたは「おふでさき」七号ー35にしるされている。現時点では
「なんの事やら」意味はわからないけれども、この号を最後まで読んで
下されば了解して頂けると思う。そのために、最近配信した幾つかのバ
ックナンバーを振り返ってみたい。

 次の一節は、前号(109号)に書いたもので、大きな問題を提起して
いる。
<要するに天理教内では、どこにも選挙による人事は行われていない。
本部・教庁の予算は唯一の議決機関となる集会で審議されるといっても、
前記の通り集会員自身は選挙で選ばれたのではなく、形式的な質問の後
に必ず全会一致で賛成することが慣例になっている。
 おさしづで啓示されている「鏡やしき・ぢば」は教庁および教会本部
に他ならず、それ以外に教団の決定機関はない故に、教団(宗教法人)
における内閣府つまり権力構造に他ならない。しかし、市民に当たるよ
うぼく・教人はもとより、党員に当たる教会長による選挙は一切行われ
ないから、今回の衆院選で官僚組織が変革を迫られるような事態が教内
で起こる可能性はあり得ない。
 とすれば、一教会・一ようぼくとしては、いかなる態度で信心を続け
ていくべきか、その具体的な提案を次号で述べたいと思う。>
 ここで以前にレポート「天理教の歴史と現実」にも引用した一節を補
足しておきたい。教義学の権威であった故・上田嘉成氏(本部員)著の
小冊子『元初まりの話』に次の一節がある。
「親神様は、うをやみや、うなぎやらかれいやら、そういうものを寄せ
てでも、ちゃんと談じ合いをしてくださる。これがお道の心です。これ
は世間の言葉で言うと、民主主義という言葉になるのでしょう。民主主
義というのは、この思召にかのうて(適って)いる」(同書60頁)

 一つ前の(108号)には、教典第三章 元の理 の初めの部分を引用
した。
「この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様
を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、とも
に楽しもうと思いつかれた。
 そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うをとみ
とが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一
すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、
宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ戻り、神として拝をさせよう
と約束し、承知をさせて貰い受けられた」
 続いて男女「一の道具」をそれぞれ「承知をさせて貰いうけ、食べて
その心味を試し、その性を見定めて」うを・みに「仕込み」された。
 こうして「うを」は男雛型・種、「み」は女雛型・苗代と定められ、
夫々にいざなぎのみこと、いざなみのみこと、の神名を授けられた。
 さらに月日親神は泥海の中から様々な道具を「次々と引き寄せ、これ
も又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された上、この種・
苗代に「仕込まれた」。
「かくて、雛型と道具が定まり、いよいよここに、人間を創造されるこ
ととなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その
心根を味い、これを人間のたねとされた」
 要するに、人体の雛型となる種・苗代(精子・卵子)に、「同じ魂」
を意味する「たね」を宿し込まれたのであり、ここから心身の進化と発
達が始まることになる。但し、心身には別々の種があるといっても、泥
海の中から選ばれた点では根源を同じくしているといえる。

 今から172年前の天保9年、雛型(いざなみ=母)の魂のいんねんあ
る中山みき様に月日親神が入り込まれて、生きながらにして「月日のや
しろ」と定められたのは、明らかに元初まりの再現であった。「ぢば」
の地点は、元の神が天降った時、みき様が坐っていた中山家の一室と一
致している。つまり、元初まりから9億9万9千・・年を経た旬刻限に
おいて、同じ場所で同じ神秘の現象が再現されたのであった。すなわ
ち、最初の約束通り旬刻限の到来によって、再び親神が雛型(みき様)
に入り込んで、道具(ようぼく)を「ぢば」に引き寄せて仕込み、心の
成人によって、最終的な目標として陽気づくめの世界を再創造する道を
始めかけられたのであった。
「ようぼくは教祖の道具衆」と言われるように、私たちは「陽気づくめ」
の雛型となって通られた教祖に仕込まれて、かんろだい世界を建設する
ようぼくとして、この道に引き寄せられたのだ。その目的は、神一条の
原典(啓示)によって仕込まれることにある。次のような「おさしづ」
の一節もある。
「神一條の理、神一條の理と人間という理がある。この世始め掛けたる
も同じ事。道具を寄せた。月日道具並大抵で寄せられたものでない。一
時事情道具というは、いろ\/道具もある。話し掛けたる。それ\/と
いう、多く寄せたる」(24.11.1)

 ここでタイトルに掲げたおふでさき「今がこのよのはじまり」につい
て思案することにしたい。
 元初まりの原初から天保9年の刻限まで、さらに明治20年から現在に
至るまで、時間・空間を超えて「今がこのよのはじまり」は、現在の瞬
間も一刻も途切れることなく持続している。
 体内に宿った胎児が十月十日の間に10億年にわたる進化の過程を繰り
返して産まれるのはもちろんのこと、産まれた後も出直しに至るまで、
体内では一刻の休みなく呼吸や心拍をはじめ新陳代謝が続けられている
からこそ生命が維持・成長していく。
 そのいのちの働きはすべて、火水風を元とする神のからだ(自然)の
懐に抱かれて、元初まりに体内へ仕込まれた道具(飲み食い出入り、息
吹き分け、突っ張り、引き出し、つなぐ、切る)の守護に違いない。細
胞の新陳代謝は、分解・合成・抽出・組立て・循環などの作用(十全の
守護)として続けられる。まさに今の一瞬一瞬の “ いのち” が「この
世の始まり」を再現し持続しているのだ。
 
 さかのぼって(102・103・104号)には、映画「扉はひらかれた」
と舞台劇「扉ひらいて」を観賞した感想を述べた。
 映画は教祖伝をもとに、最後の明治20年1月に至る教祖ひながたの道
すがらを描いていた。舞台劇のビデオは、最後の明治20年1月「扉」を
ひらかれる直前に集中して、おやしきの動きを演じていた。その会話の
中でも、教祖と飯降伊蔵から啓示されたさしづの朗読は、劇が進行する
要(かなめ)になっていた。
 その頃、天理教はまだ設立されておらず、教祖の命名のまにまに各地
に「講」が結成されていた。私はその二つの「扉」を観賞しながら「復
元」といわれ「白紙に戻って一から始める」といわれた真柱の言葉を通
して示される神意は、もう一度、明治20年1月に戻ることではないか、
と思わずにはいられなかった。
 とすれば、現代における「講」は、どのような形をとるのか、時間・
空間を超えた「ネット講」があってもいいのではないか。いわば、私た
ちは、混沌とした泥海のごとき社会の中から、「ぢば」に引き寄せられ、
教祖ひながたと原典の啓示によって仕込まれている。本物の道具として
選ばれるためには、親神に食べられて味わいを試されることが必要とな
る。いろいろな道具が四方八方から一手一つに心を繋いでひのきしんに
協力し合って初めて、「ろくぢ」に踏み均された陽気づくめ世界の創造
が始まるだろう。
 今はこの発想を提出するだけにとどめたい。いずれ諸賢の意見を参考
にして、具体的な構想とプログラムを提案したいと思う。
 
(予告)
 先日、未知の読者からメールを拝受した。そこには一つの提案が書か
れていた。というのは、教団の機関誌「みちのとも」7・8・9月号の
「信仰随想」で連続して取り上げられている『寺よ、変われ』(岩波新
書)という本がある。<心のテープ>にも、その本を読んだ感想を書け
ばどうか、という提案であった。
 もちろん私に異議はなく、早速市内の書店で本を探したのだがどこに
もなく、市立図書館で貸出中の本が返却されるのを待って読むことがで
きるようになった。
 来週にでも、読者の要望に応えて読後の感想を述べることにしたい。



<心のテープ>(111号)『寺よ、変われ』を読んで
配信日:2009/9/17

 長野県にある神宮寺の住職・高橋卓志氏の著書『寺よ、変われ』(岩波
新書)については前号で予告したが、中身のぎっしり詰まった問題提起と
実践報告の書である。私は何より仏教と天理教との異質性と共通性の両方
を考えながら通読した。
 
 異質性について言えば、著者自身が明言しているように、お寺は「死者」
を対象として葬式を営み、読経し、戒名を高値で授けることで成り立って
いる。さらにお墓の管理を通して死後も檀家との縁が続いていく。
 仏教の教えは、この世を生病老死という四苦の世界と見なし、苦からの
解脱を求めて修行し出家する。僧侶の役目は本来、現世に充満する人々の
苦に寄り添い、苦を緩和・解消することにあるのだが、現実は「葬式仏教」
になり下がってまっている、と著者は断言している。
 
 こうした死生観・世界観については、「この世は極楽」「陽気づくめ」
と教えられた教祖との違いは明らかであり、しかも教会は、死者を対象と
する葬儀やお墓の管理を目的としていない点でも大きな違いがある。言い
換えれば教会は、お寺と違って生者あるいは病者を対象としていて、経済
的な基盤がなく不安定という点でも違っている。
 さらに言えば、死者の葬儀を営むお寺とは逆に、生きているご神体をお
借りしているようぼくが、共々に「みかぐらうた」を鳴物入りで一手一つ
に歌い踊るつとめが教会の役目ということもできる。
 教会の基盤となる信者の構成について言えば、お寺の檀家のように何代
も前からのようぼく信者で成り立っている教会が増えてきている。しかし
檀家が地域的に密着しているお寺と違って、教会の信者は各地に散在して
いる場合が多い。とくに中間教会・大教会になると、実質は遠隔地の部内
教会に依存することになり、直接に「檀家」と呼べる信者数は僅かしかな
いのが普通になっている。
 
 お寺と教会の共通性については、いずれも宗教法人の認可を受けている
点にある(但し小規模の教会は宗教法人に登録していない場合もあるが)
 この本の著者が住職を勤める神宮寺は、長野県松本市にあって、約700
軒の檀家があるというから、仏教でも相当に大きなお寺といえる。
 もともと著者はお寺に生まれ、住職を世襲し、死者を弔う伝統的な役目
を当然の事としてきたのだが、ある時点から疑問を抱きはじめる。
 決定的な転機となったのは、30歳を過ぎた年であったという。著者はそ
の時の衝撃を次のように書いている。
 
<生と死の極みを壮絶に生きている人々、死を迎えようとする人々、不条
理な死を強いられた人々、それらの当事者だけでなく、関係する人々の
「苦」と「悲」と「痛」を目の前にしたとき、あるいは救いを求める人々
の眼差しに射すくめられたとき、私は逃げ場を失った。
 僧侶として最初にその状態に直面したのは一九七八年、多くの日本兵の
遺骨を踏んだニューギニア、ピアク島の洞窟だった。数千の兵士が壮絶な
死を遂げたその洞窟には、戦後三〇年以上経っていたにもかかわらず、慟
哭が満ちていた。戦争という状況の中で、強制的にいのちを奪われた人々
の変わり果てた姿を見せつけられると同時に、遺骨を手にした遺族・遺児
の号泣が耳に入った。その瞬間、私はそれまで平然と死者の前で読んでい
た「経」を読むことができなかった。寺に生まれ寺で育った環境の中で身
についた私の仏教は、そこでは何の役にも立たないばかりか、完膚なきま
でにたたきつぶされていた。それまで一度も見たことのない、いのちを取
り巻く本当の「苦」「悲」「痛」の現場がそこにあったからだ。・・・>
 
 仏教の歴史は古い。日本へ渡来してから1500年、現在国内には各宗各
派を合わせて8万の寺院があるという。しかし、初めに述べた通り、殆ど
のお寺が「死者」を相手にした儀式を営むことで事足れりとする「葬式仏
教」になっている。
 しかも700万人といわれる団塊の世代が還暦を迎え、いずれ大量の死が
近づいている。それだけ葬式の数が増えるからお寺は安泰と受け取る僧侶
もいるが、団塊の世代に当たる市民たちはお寺離れの意識が強い。「千の
風になって」の歌が吹きわたるだけに止まらず、戒名も読経も不要とする
お寺抜きの葬式が普及する傾向にあり、寺院と別に葬儀場を利用する場合
が多くなっている。
 死者だけを対象に、高額の費用が掛かる形式化した葬儀から脱皮するこ
とが、寺自体の変革のための第一歩、と著者は主張する。最もリアルに生
死の境界を表わす納棺の場にも僧侶は立ち会うことを避けている。
 一方、多くの人々は自分の「死に方」がわからない現実がある。刻々と
死に向き合うとき、心身の苦痛を緩和・救済するターミナルケアのために
宗教が役目を果たせないとすれば、それこそ宗教自体の存在価値がなくな
り死に至る他はないだろう。
 
 こうした危機意識をバネにして著者は自ら「苦界放浪」と呼ぶ実践に突
入して行く。それは少年の頃「お前の家は人が死んだら儲かる」とヤユさ
れて悩んだ自分からの脱皮でもあった。
 その後、過去10年ほどの間に、チェルノブエリの原発事故の後遺症、
タイのエイズ患者への支援をはじめ、著者は多種多様のNPO組織を立ち
上げ、リーダーとして活躍する。ターミナル・ケア、成年後見制度の実施、
公益活動のための金融機関、温泉地のケアタウン化等々も含まれている。
 そうした活動を展開するための資金は、従来の半強制的な宗教法人への
寄付や勧進ではなく、これからはNPOのように公益性がなければ、無償
の喜捨を自発的に集めることは難しくなると著者は推測している。また、
あらゆる面での情報公開と、コミュニティ(地域社会)との密接な連携が
大事であるともいう。

 前記の通り著者の神宮寺は、松本市に密着した700軒の檀家を基盤とし
ている。宗教法人としての規模から言えば大教会はそれ以上の基盤があり、
公益活動を展開する可能性をもっている筈である。その場合、神殿ふしん
や境内地の整備に予算を費消する代わりに、部内全体の力を結集し、具体
的な目標を定めて対社会的な公益活動に集中できるのではないか。
 いま何を人々は求めているのか、その渇望にどう応えるのか。お寺を他
山の石として早急に対策を立てなければ間に合わない。それは一ようぼく
一教会のレベルで解決できる課題ではなく、大教会あるいは全教挙げて取
り組むべき課題であろう。
 
 天理教の場合、ようぼく信者(檀家)が各地に散在しているという点で
お寺と大きく違っている。地域との密着性を取り戻すには、組織制度を変
える以外に方法はない。
 地域的な公益性や福祉活動が教会の目的ではなく、人数揃えてつとめに
奉仕することが大事であるとすれば、それこそ系統や所属の狭い意識に囚
われず、「一れつ兄弟姉妹」が「ろくぢ」になって、同じ地域に暮らすよ
うぼくが教会のつとめに参集して、共々に勇んでつとめるべきではないの
だろうか。
 お寺をどうこう言う前に、天理教が危機の崖ぶちに立っていることに目
覚めなければ、お寺より先に世の中から見放されて、ついには死に至るで
あろう。
 
 申し遅れたが、この本を読んだきっかけは「みちのとも」に同じ本の感
想が3ヵ月にわたって連載されたことを読者から知らされたからであった。
もちろんその記事も読んだが、私は自分なりの感想を述べることにした。
「みちのとも」の筆者・井筒正孝氏は現・青森教区長であり、「寺よ、変
われ」のお寺(700軒の檀家)と同等以上の信者(部内を含めて)に恵ま
れた教会長でもある。その意味ではお寺の著者と共感する面は多いに違い
ない。
 しかし、もっと小規模のお寺や教会が数多くあることはいうまでもない。
その場合、資金や人材の面で個々別々に活動できない場合が多い。とすれ
ば、上述したように地域ごとにようぼくの力を結集して、「つとめ」の奉
仕はもとより、公益性の高い一つの目標をめざして「ひのきしん」するこ
とも必要に違いない。
 最後に「おさしづ」の一節を拝読することにしたい。
 
「言葉はその場だけのもの。言葉の理を(具体的に)拵えてこそ、八方
(に発展するの)である」(37.11.2)
「本部という理あって他に教会の理、同じ息一つのもの。この一つの心
(を)治めにゃ天が働き出来ん。めん/\それ/\心と心(を合わせてい
るかどうか)、天が見通しである。これより一つ心の理を治め。唯一つ
(神一条の)教(えを守る)という心で通らにゃならん」(39.12.13)



<心のテープ>(112号)教典=歴史と現実を超越した教義書
配信日:2009/9/24

 今号のテーマも「みちのとも」の記事に関連している。同誌10月号の
特集で、今年は天理教教典公刊60年に当たることを知った。その10月号
には「教典公刊六十年に寄せて」の特集が組まれていて、戦後の復元に
よって現行の「教典」が編纂されるまでの経過が年表を交えて記述され
ている。戦前の応法の時代には、現在の「教典」とは似ても似つかぬ
「明治教典」が公刊されたこともあった。
「教典」の目次を開くと、前編の第一章から第五章までは、神の次元か
ら根本教理を、後編の第六章から第十章までは、人間の次元で実践教理
を整然とまとめられている。
 一言で申せば、この「教典」は、原典を基礎として、純粋に普遍的な
教義を抽出されたものと受け取ることができる。言い換えれば、歴史と
現実を超越した“永久不変”の教義だけが記述されている。
 
 ここで「歴史と現実を超越した」という意味は、明治から大正、昭和
にかけての政治権力による禁圧と統制の悲劇的な歴史を超えて、初めて
原典を堂々と公刊できる時代になったからこそ公刊できたということに
他ならない。
 戦後は想像もできないことだが、教祖ご存命の頃は「おつとめ」をつ
とめるだけで警察に拘引されたのであり、その後も昭和20年に至るまで
「みかぐらうた」の中で「よろづよ八首」その他いくつものお歌が禁止
されていた。戦後編纂された「教典」で、はじめて原典を誰に憚(はば
か)ることなく引用して公刊できるようになった。

 現実を超越しているというもう一つの意味は、教典の読者=ようぼく
が、教内教外を含めてどのような環境の中で信心を続けているかに関係
なく、つまり教会とは一切無関係に、個人として理解し実践するべき教
理が抽出されているということである。
 具体的に言えば、殆どすべてのようぼくは、本部直属ではなく、系統
から枝分かれした部内教会のどこかに所属している。大教会直属の教会
も少数あるが、中間に幾つもの上級教会がある場合が多く、複雑なタテ
系列の教会制度に組み込まれている。
 しかし、教典の中には、そうした教会についての記述は「第九章 よふ
ぼく」(91頁の9行分)にしか見当たらない。戦前から形成され戦後も
維持されている教会制度については一切触れられていない。次に教典の
中で「教会」という文字が出てくる部分を参考に引用したい。
 
「教会は、神一条の理を伝える所であり、たすけ一条の取り次ぎ場所で
ある。その名称の理を、真によく発揚するには、ここに寄りつどうもの
が、ぢばの理に添い、会長を芯として、心を一つに結び合うのが肝腎で
ある。かくて、教会生活は、国々所々における人々の和楽を深め、互い
に扶け合いつつ、心の成人を遂げる陽気ぐらしの雛型となる。
 されば、会長の使命は、常に元を忘れずに、自ら進んで深く教の理を
究め、心を治めて、道の先達となり、誠真実をもって、人々を教え導く
にある。かくて、その徳に薫化された人々の心は、自と成人し、共に和
し共に結んで、教の実は挙げられて行く。
 しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに
 なにもこわみハさらにないぞや     三 77」
 
 教会本部の運営による修養科3ヵ月のテキストは、「稿本教祖伝」お
よび「天理教教典」と定められている。不肖私も二度、過去に一期講師
を勤め、それぞれのテキストを3ヵ月にわたり修養科生とともに勉強さ
せて頂いた経歴がある。
「稿本教祖伝」の記述は明治20年1月の「第十章 扉ひらいて」を最後に
終わっている。当時は未だ天理教会は設立されておらず、もちろん現在
の系統も部内もなかったので、教会については一切記述はない。
 一方「教典」は、初めに述べた通り、歴史と現実を超越した理想の環
境における普遍的な教義と純粋な信仰をまとめたものだから、苦渋に満
ちた応法の道の歴史はどこにもなく、教会の実状についても前記の9行
以外に全く記述はない。
 修養科生は各系統ごとに詰所から毎日通学するが、修養科の授業では、
教会とは関係のない「ろくぢ」(自由・平等)な場になっている。
 要するに、修養科生は3ヵ月間、現実の教会を離れた「おぢば」とい
う空間で、年齢も地域も系統も関係なく、「教祖伝」と「教典」を学び
「みかぐらうた」「てをどり」の練習に集中する。そして修了後、はじ
めて現実に引き戻されることになる。
 
 ここで、修養科生を二つのタイプに分けて、修了後の通り方を考えて
みたい。
 その一つは、親先祖代々の信心を受け継いだ教会後継者および役員の
子弟、あるいは何代目かの熱心なようぼくの子弟が修養科を志願する場
合、教会の制度や伝統に慣れているので違和感はない。したがって「教
典」を学ぶことによって、現実とかけ離れた本来の教理は素晴らしく普
遍的な教えであることを知って安心感を覚えると共に、いずれは「教典」
の理想に近づく希望を抱くことになるだろう。
 しかし、いつまで経っても「教典」が現実とはならないために失望す
るか、現実の教会に満足して「教典」を忘れてしまうか、どちらかにな
るだろう。
 
 一方、何らかの身上事情によって、自分が初めて「にをいがけ」され
入信した数少ない修養科生にとっては、天理教の歴史と現実は無知のま
ま、修了と同時におぢばを離れると、現実の教会制度に取り込まれるこ
とになる。そして、修養科で習った「教典」とは余りにも違った現実に
戸惑うばかりで、同じ地域のようぼくとも連帯のしようがなく、ついに
は孤立して道を離脱することになるだろう。
 初めて入信した人にとっては、差別のない福祉社会が当然の常識とな
っているから、あまりにも世間とかけ離れた教会の現実にはついて行け
なくなるのも当然であろう。系統や上級は、初代のようぼくにとって関
係がない。教内の現実は、神一条と言うにはあまりにも「教典」の内容
と違い過ぎるし、だからといって応法(時の法律に従うという意味)の
道とも言えない。何故なら、戦後の民主的な法律は、教祖が見えん先か
ら説き聞かされたように「ろくぢ」になり、「上・高山」の差別をなく
し福祉をひろげ、自由と平等を保障するように変革されたからである。
 
 要するに天理教は、原典にもとづく理想の教理と、戦前から教会内部
で伝統的に伝えられてきた現実の教理と、いわば二重構造で成り立って
いる。その二重教理のどちらを重視するかによって教会の実質は千差万
別となり、「受け取る筋も千筋や」の現状になっている。30年以前から
私が繰り返し指摘してきた現実と理想の隔たりと矛盾、神一条と教会一
条の二重構造は、解消されるどころか益々拡大するばかりである。
「教典」が歴史と現実を超越している故に、まさに宇宙空間に浮遊する
かのごとく、ただ空を見上げて理想を夢みる役目しか果たしていないと
言わざるを得ない。
「おさしづ」では明治21年以後に設立された天理教会を「神一条の道か
らは、万分の一の道」と呼ばれている。なぜ「万分の一」でしかないの
か、そのわけは<天理と刻限>サイトから検索して頂けば、12種の件名
が表示されるので、あとで確認して頂きたい。
 
「ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの証拠雛形を拵え。
今一時影だけのもの言うて居るだけではならんから、万分の一を以て、
世界ほんの一寸細道を付け掛けた。……(中略)……天理教会と言うて、
国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道
を始め掛けたる。神一条の道からは、万分の一の道をつけたのやで」
                          (30.7.14)



<心のテープ>(113号)個人と全体の関係
配信日:2009/10/1

 月例の集いは9月25日の午後、常連6名で予定の時間を超過するのを
忘れて談じ合った。
 最近のメルマガは少々個人レベルを離れたテーマが続いているので、
その弁解というわけではないが、個人と全体の関係について是非とも理
解してほしい問題を私から提出した。
 
 今の世の中で、日本に住んでいる一市民が、市長をはじめ知事や政府
のしていることを何も知らなくてもよいと言えば、誰もそうだと答える
人はいないだろう。20歳以上であれば誰でも選挙権がある。だから総選
挙であれ知事や市会議員の選挙であれ、どんな職業や立場であっても成
人に達していれば、平等に一票を行使できる権利と義務があるわけだ。
 歴史をさかのぼって戦国時代や江戸時代に暮らしている町民や農民の
身になってみれば、自分の身近な藩のことは別として、他の藩や幕府の
ことは知る必要がなかったし、知ったとしても身分が違えばどうにもな
らなかった。それが生まれつきの身分や職業を先天的に定められている
封建制社会の特徴に他ならない。(天刻サイトの「幕末期における儒教
的秩序」を参照されたい)
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/jukyo.htm

 生物は進化する。同様に、心も進化し歴史も進歩するのが当然だ。そ
れは同時に、個人の意識に含まれる時間・空間が、より長く広く拡大し
ていくことでもある。民主化された戦後の日本では、一市民の意識は国
全体に広がっているから、国の動きは自分と無関係ではなく関心の的
(まと)となるのが普通になっている。
 とすれば、一ようぼくといえども、天理教という教団全体のことに関
心をもち、情報を知ろうとするのは当然であろう。ただ教内では、以前
の号で触れたように、物事が選挙で決定されるシステムは全くないので、
個人の意見を反映する場はない。その意味では、ようぼくは明治以前の
時代に生きていると言われても仕方ない。

 身体は「かりもの」だから、天地自然の恵みで生かされていることは
申すまでもない。「この世は神のからだ」で、神の懐(ふところ)住ま
いとも教えられている。とすれば、衣食住のすべては「かりもの」で生
活していることになる。あらゆるエネルギーの元は人間が創り出したも
のではなく「神のからだ」から与えられている。
 事実、自分1人の力で生活している人は誰もない。全体の中の1人と
して生存している。家庭をはじめ地域・府県・国家あるいは会社・団体
の体制の中に組み込まれて共存している。自治体・共同体などの組織も
ある。集団・組織を表す言葉に「体」の文字が付いているように、人体
はあらゆる組織のモデルといえる。したがって、個人は家庭・地域・国
と「一体」になって生きているという「一体意識」が大切となる。
 
 ここで、誰もが知っている科学的事実について再確認したい。という
のは、遺伝子について明らかにされている事実である。人体は頭・首・
内臓・皮膚・手足・毛髪などの細胞の集まりである。そして細胞の一つ
一つにはすべて、同じ遺伝子が含まれていることが証明されている。
 凡そ22,000個からなるヒトの遺伝子は、DNAのらせん構造をもつ46
本の染色体に保存されているが、体内のどの部分の細胞にある染色体に
もすべて同じ遺伝子があり、全身の情報を保有している。頭脳、目鼻耳、
内臓、手足にはそれぞれ違った役割があるにもかかわらず、すべての遺
伝子が細胞一つ一つに保存されている。とすれば、全体から言えば細胞
に相当する個人も、組織全体の情報を知ることによって、個々の立場や
役割を自覚できるのではないだろうか。
 
 しかも、体内のあらゆる臓器・細胞は個々バラバラに活動しているの
ではなく、全身と一体になって、つまり全体のために一刻の休みもなく
「つくし・はこび」「ひのきしん」している。それが同時に個々の細胞
・臓器の生存を保証し全体の生長発達となる。人体はもとより、あらゆ
る生物が有機体といわれるのはそのためである。有機体とは、部分が全
体とつながり合って成り立っている組織を意味する。とすれば、個々の
人間も、日々つねに全体のために、あるいは互い互いに「つくし・はこ
び」と「ひのきしん」の心で通ることが理に適っている。
 換言すれば、個人レベルでは心身の一体意識、全体レベルでは全身の
一部(例えば頭と手足)としての一体意識をもつことが天の理に適った
生き方となる。
(天刻サイト=「人体をモデルとする組織論」を参照されたし) 
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/sosiki1.htm

 上記のような受け取り方を前提とすれば、ようぼくである限り、教内
全体のことは個人の信仰と無関係ではないことを理解して頂けると思う。
私たちは明治以前の封建制社会に生きているのではないことを自覚し、
もっと教団全体の実状を知らなければならない。と同時に、いくら現実
と理想がかけ離れていても、全体と個人のレベルを区別し、因って来た
る原因を理解できれば、個人レベルで不足不満を持たず、個人に責任は
ないと割り切って、ほこりを積まないことが大事だと思う。
 体内が一刻の休みもなく老廃物を仕分けして排泄しているから健康が
保たれている理と一体化して、心のほこりを常に自分で自覚し排除する
ことが大事であろう。血液の循環に倣って意識も循環しなければ、心身
の健康は保てない。意識の循環とは、過去の物事に「囚われないこと」
と同じ意味となる。
 
 その他、天刻MLの現状について話題になった。MLの投稿が低調な
ので、活性化するにはどうすればいいのか意見を聞いた。その結果は、
メンバーといってもお互い顔も経歴も知らない同士だから、うっかり投
稿すると、どう受け取られるかが気になるために投稿を控えてしまうの
ではないかとの意見が提出された。
 また、信仰は一人ひとり違っている面があるので、自分の信仰態度を
相手に押しつけることになってはいけないから投稿を遠慮するようにな
る、との意見もあった。
 天刻MLの目的があまりにも漠然としていてメンバー共通の話題がな
いことにも低調の一因があることは間違いない。私がメンバーになって
いる no_more_warというMLは、戦争に関連する話題が共通のテーマ
だから、毎日活発に投稿が交換されている。
 天刻MLについては、あまり焦らずに様子を見ているしかない、とい
う意見に同調する他はないと思っている。
 話は別だが、mixi 内で私が管理人になっているコミュニティ<天理
教原典を学ぼう>には、現在60名のメンバーが参加して下さっている。
ところが、天刻サイトやメルマガのPRをしているだけで放置している
ので、10月からは、原典の中から「理」という言葉が使われている啓示
の一節を毎日掲載することにしたいと予定している。「理」という教語
の神意を確かめることなしに教理を語ることはできないと思うからだ。
 
 最後に明治20年代に、60年後の昭和20年、戦後の社会を預言されて
いる原典おさしづの節々を写し取っておきたい。
「十分道と言えば、世界から付けに来る。世界からろくぢ(平地)とい
う道を付き来る。(今は)濁った/\道でどうもならん」(21.3.9)
「扉を開いて、世界をろくぢに踏み均らすと言うてある。扉を開いて、
世界をろくぢに踏み均らしに廻りて居る。なれども、皆んな、案じてど
んならん(どうもならん)」(21.7.1)
「こちらが妨害、あちらが邪魔になる処(当時の政治権力)は、皆引き
払うて了うで」(21.12.12)
「長らくやないで/\。そこで世界の道理上の理(民主主義のこと)を
以て、世界どんな事でも、皆んなどんな事をしてもよいように成るで。
(政府から干渉を受けるのは)暫くの処やで」(22.6.ー)
「高い所(高山)はすっきり取って了う。すれば低い所は均れるであろ
う。変な話と思うやろう。世界すっきり(ろくぢに=平らに)均らす」
                           (23.9.2)



<心のテープ>(114号)秋の菜園
配信日:2009/10/8

 さわやかな秋の季節に入ったかと思えば台風が襲来した。9月の干天
小雨の頃には、畑の水やりに追われて、台風でも来てくれたらいいのに
と思ったりしたが、いざ近づいてくると、やはり不気味な予感がする。
 この号を配信する8日には本土に最接近するとの予報が出ているが、
台風に雨を期待したことを後悔している。いま黄色く色づきかけた稲穂
やリンゴなどの果樹にとって台風は何よりも大敵だから、被害が出ない
ことを祈りたい。
 
 神饌物を作るために借りている10坪ほどの畑は、ナスやキュウリの季
節が終わり大根や白菜が生育中で、ひとり生えのシソには種をつけた穂
が伸びている。その穂を千切ってきて実をしごき、さっと茹でてアクを
取り、ジャコや花カツオと一緒に煮詰めた佃煮の味は格別だ。
 初夏から実をつけ始めた万願寺トウガラシだけは、今でも花を咲かせ
青々とした実が知らぬ間に太ってぶら下がっている。神饌のお下がりを
炒めたり煮付けたりするのに調法な野菜で、万願寺という名前にふさわ
しく、願いが叶って稔りつづけている。
 
 広島県に万田酵素という会社がある。その会社が酵素づくり一筋に研
究開発した製品の一つに、植物を発酵させて抽出した「アミノアルファ」
という液体肥料があり、それを1000倍に水で薄めて野菜の苗にかけると、
お化けのように大きなカボチャや大根が出来る──そんな写真入りの広
告が出ていたので、3ヵ月ほど前に小ビンを注文して実験している。
 まだ確かな効果を確認したわけではないが、野菜たちが何となく元気
に育っているような気がする。上記のトウガラシが長期間にわたり実を
つけているのも、あるいは植物酵素のためかも知れない。
 
 こうした神饌用菜園の有様を写真に撮って天刻サイトの表紙に表示し
ているので、興味をお持ち下さる方は一見して頂きたい。神饌用といっ
ても、神棚にお供えした野菜が減るわけではないから、結局は人間様の
口に入るので、その意味でも神様はありがたい。神様は与えるばかりの
親心いっぱいだから、人間がいくら消費しても無くならない。それは神
様しか創り出せない この世の元、即ち火水風と生命の種である。
 
 例によって最後に、原典おさしづの中から天然自然の理に関わる諭し
を幾つか書き写したい。
「一粒万倍の理を聞き分け。皆種より生えて来る。天の理に凭(もた)
れてするなら、怖わき危なきは無い」(23.6.29)
「ものというものは旬がる。道理諭せば皆旬がある。旬が外れると、種
を下ろしても生えるものもあれば、生えんものもある。旬が外れば覚束
(おぼつか)ないもの。どんなものでも旬が外れると、一花だけで落ち
て了(しも)たら、どうもならん」(28.5.12)
「天然自然年限の内から出けたもの。今日種を蒔いて実がのるかのらん
か。これ思やんすれば(間違いないように)今日の思やん出ける」
                          (31.1.12)
「無理な理は成り立たんという。今年で行かねば来年(に延ばす)とい
う(の)が、天然の理という」(31.4.4)



<心のテープ>(115号)天川村から みたらい渓谷へ
配信日:2009/10/15

 つい10月13日のことであった。思いがけない機会があって、表記の天
川村へ「ごろごろ水」と呼ばれている自然湧水を汲みに出かけることに
なった。私は知人の運転する軽四の助手席に同乗した。彼とは気の置け
ない間柄だが、信心の話をする気にはならない。あくまで共通の話題を
もつ知人として付き合っている。 
 言い出したのは私のほうだった。というのは、1ヵ月ほど前、別の教
友が上記の「ごろごろ水」を20リットル入りのタンクで届けてくれた。
大阪方面からも車でその湧水を汲みにくる人々が毎日引きも切らないほ
どで、名水という評判が高い。
 試しにスーパーで無料サービスしているアルカリイオン水と飲み比べ
てみると、はっきり違いがわかる。スーパーの水は無味無臭の蒸留水と
しか言えないが、「ごろごろ水」はまさに水が生きている感じで、たし
かに水の味がするのだ。水道水との違いは言うまでもない。それ以来、
私は生水は「ごろごろ水」しか飲む気がしなくなった。
 そこで、奈良県内の情報に詳しい知人に話したところ、若い頃から数
えきれないほど天川村へ行ったことがあるという。久しぶりに行っても
いいと乗り気になって、逆に私に同行を勧めてくれることになった。
 
 天理市から凡そ60キロ余りの道のりだが、山また山の吉野の奥深くに
天川村はある。途中、今年60歳になる知人は運転しながら私の常識を試
すつもりか、「山上詣り」という言葉を知っているかどうかを質問して
きた。
「何という山に登るのかな」と、私はノンキに聞き返す。
「夏になると大峰山系の山上ヶ嶽にお詣りする修行を知らんとは呆れた
ね。大和の人間なら皆一度は山上詣りしたいと言うのが常識やで」との
こと。つまり古代から受け継がれてきた山伏などの山嶽信仰に違いない。
私は負けん気になって、
「おぢばへ帰参していれば、そんな山の上へ詣る必要はないからな」
 そんな冗談ともつかぬ話をしているうちに、車は大淀町を経て幾つも
の長いトンネルを通り、天川村に近づいた。道を外れた広い場所に「道
の駅」があったので、休憩に立ち寄った。手づくりコンニャクの旨いお
でんがあると聞いていたので、その味見をすることも目的であった。案
の定、ダシの味が染み込んで、なかなか美味しかった。
 
 夏には山上詣りの客で賑わうという洞川(どろかわ)温泉街を通り過
ぎて、全国に名を知られた みたらい渓谷へ出る途中に「ごろごろ水」の
採水場はあった。すでにシーズンが終わったのか、昔ほど参詣客が来な
いためか、温泉街はひっそりとしていた。
 平日の昼前だったが、既に10台以上の車が駐車場に並び、ペットボト
ルやタンクを沢山並べて水を汲んでいた。駐車場の一端に太いパイプが
通してあり、その所々に蛇口があって、その栓をひねると、勢いよく水
が噴出する。私は頼まれた分を含めて20リットル入りタンク3つ分の水
を汲んだ。それでも10分と時間はかからなかった。1時間駐車して無制
限に採水できて300円の料金は決して高くはない。
 大阪ナンバーの車が多いことからみると、料理店や喫茶店など、この
湧水を料理やコーヒに使えば、お客の評判がよく繁昌するらしい。それ
にしても大阪から天川まで往復するには一日仕事だろうに。

 帰りは反対方向に道を曲がって進むと、いよいよ「みたらい渓谷」に
添った七曲がりの上がり坂にかかる。森の木々がうっそうと繁る山また
山が重なり、千尋(せんじん)の渓谷に水しぶきを上げて谷川が流れて
いる。大台ケ原に連なる雄大な風景を眺めながら道路は峰から峰へ尾根
を伝って走っている。山腹を削って造った道は、それでも全部アスファ
ルト舗装になっている。
 奈良県の南部2/3は山また山の連峰で占められている。天川や大台
ケ原に至る途中のトンネルといい、よくもこんな奥深い山の中腹にトン
ネルを掘ったものと感心する他はない。
 ここからは文字で表現するのは不可能だから、デジカメの画像をお見
せするに越したことはないと思う。次のURLをクリックして頂くとリ
ンクした天刻サイトの画像が表示されるので、雄大な風景を眺めて癒し
になれば幸い。それとも、おたすけもせずに景色を眺めているのはノン
キすぎると叱られるかも知れないが。
(写真集=天川からみたらい渓谷へ)
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/assets/TENKAWA.htm

 この日は秋晴れの一日、山の空気と湧水に恵まれて気分転換すること
ができた。軽四の助手席で曲りくねった山道を走る緊張感で疲れたのは
確かだが、一方久しぶりに大自然の素肌に触れたような思いで癒された
一日であった。
 今回は「おさしづ」の拝読は休みにしたい。
 その代わりというわけではないが、つい最近、天刻サイトのコンテン
ツを検索していると、かつてUPしたことのある興味深い古資料が出て
きた。
 というのは、道の先人たち(辻忠作・高井猶吉・諸井政一)によって
伝えられた教祖の口伝(逸話篇に掲載されていない)4篇、および同時
代の新聞(明治14年7月17日付「大阪新報」)に掲載された教祖の噂
についての記事で、両方の内容を対照してみると、マスコミのいい加減
さは昔も今も変わらないことがよく分かる。次のURLをクリックして
頂くと表示されるので、参考に一読される価値はあると思う。
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/rekisi.htm



<心のテープ>(116号)天理市に未来はあるか?
配信日:2009/10/22

 数日前から少々落ち込んでいる。そのわけは、18日の日曜に天理市長
選挙があって、応援していた候補が落選したからだ。当選したのは3期目
の現職市長で、約3000票の大差だったから諦めもつくというものだが。
 これほど天理市長選に関心を抱いたことは今までになかった。が、中心
にぢば・かんろだいを頂く天理市の市政に無関心であってはいけないと反
省した。
 投票率は55%台で、県内でも最低だった衆院選の時より更に低い。天理
市民は選挙に関心が低いことを表わしている。

 2期8年で70歳を超えた南・現市長は元奈良県の職員で、人柄は信頼で
きるというが、政治家というよりは定年退職した公務員タイプである。過
去2回は土建業者や創価学会の後押しで当選したと聞いている。今回は引
退するとの噂もあったが、急に態度を変えて3度目の立候補を表明した。
 毎日ほど商店街の道端に落ちているゴミを拾って歩いている姿に感心し
ている人もいる。

 もう一人の候補者は女性の市議会議長であった。市議会での市長のあい
まいな答弁を高齢による老化現象と見限った過半数の市会議員が、今西議
長を次期市長候補に立てて対抗することになった。その上、今まで後押し
していた県会議員の土建会社の社長が、仕事を回してくれない市長に業を
煮やして、自分も女性市会議長に乗り換えて応援した。
 その今西議長(57歳)は、花道家元・カラオケ講師・日本画講師などを
勤める一方、長年にわたり市会議員に当選しているベテランでもある。

 一方、私が支持した諸井候補は、先祖代々歯科医の男性(54歳)で医療
法人理事長。今度は3度目の挑戦で、前回の落選を機に修養科を修了。元
々は山名大教会初代の血縁にも当たるが、教会とは無縁であったという。
 諸井候補のマニフェストは具体的で、4年後には市長の退職金(2,200
万円)を廃止して財源に当てるとか、公共事業の談合を止めて浮いた財源
で、子育て支援や各校区への自主的な補助金交付などを掲げている。
 諸井候補はまた、時間外の急患や往診にも気軽に応じて歯の治療に携わ
り、患者さんの評判も良い。といっても、政治家としての力量は別だろう
が。

 南、今西 両候補ともマニフェストは似たり寄ったりだが、中でも天理市
の場合、東の山間部にある産廃問題が未解決のままになっている。事の起
こりは10年以上も前になるが、ある産廃業者が天理市の山手にある土地を
購入して廃棄物の処理場にしようとした。その実態を事前に知った市民が
産廃反対の運動を続け、そのため廃棄できなくなった業者は倒産し、土地
は第三者の手に渡っているという。
 現市長の南候補は、この問題の解決策として県を相手取って裁判に訴え
ると主張している。いかにも勇ましい態度のようだが、諸井候補はこう反
論する。
 現在なにも動きがないのに県を相手に裁判すると、負ける可能性が大き
い上に、示談にでもなれば産廃用の土地を市が購入する義務が生じる可能
性もある。あくまで市民運動で反対していけば産廃を投棄できない状況が
継続できる、と。
 一方、13万坪もある福住の開発予定地が企業誘致に失敗したまま、何の
解決策やヴィジョンを提示できないまま、毎年土地代の償却のため市民税
や寄付金などで支払い続けているという。現市長は8年も在任しながら、
財政状況を立て直すための具体的な手を打ってきたとは言えない。

 諸井候補は民主党の推薦を受けていて、選挙運動期間中には、人気の高
い蓮舫参院議員その他、1ヵ月前に当選したばかりの衆院議員も応援に駆
けつけて、政権交代の流れに乗っているように見えた。
 他の2人はもともと自民系なのだが、自民党は2人とも推薦を見合わせ
ることになった。ところが票が割れるどころか、南市長だけが突出して1
万3千票近くを集め、諸井候補が1万票弱、市議会の推薦で出た今西候補
は6千2百票代という結果であった。
 先の衆院選でも天理市だけは自民党の票が上回っていた。変化を好まな
い保守的な風土は今も続いている。本部・教庁も、先の衆院選では、よう
ぼくになっている自民党候補者を応援していたことは前のメルマガにも報
告したことがある。ようぼくを応援するというのなら、諸井候補は修養科
を修了しているのだから資格は十分にあるはずだが、本部・教庁はあいま
いな姿勢で傍観していたとしか思えない。

 じつは毎年、本部から市へ13億円前後の寄付金が納入されている。その
理由は、市内に数多く散在する信者詰所はすべて本部名義の宗教法人に付
設する修行所として登記されているので、固定資産税を一切免除されてい
る代わり、それに見合った寄付金を市へ納めるという念書が交換されてい
るからだ。
 それでも、もし全詰所の固定資産税の合計に比べると、寄付金の方がず
っと小額に違いない。しかも詰所の敷地内に豪勢な会長宅を建てながら税
金を払っていない場合、法律違反と言われても反論できない。
 とはいえ、本部の寄付金が有効に使われているかどうかをチェックする
必要はあるはずだが、本部・教庁が市政に無関心であることは今度の市長
選で証明されたようなものだ。

 鏡やしき・ぢばと市役所は無関係ではない。市役所という言葉は、その
土地・建物だけを意味するのではなく、市長を中心として各部署の長をは
じめ勤務する公務員の働きがなければ市役所の機能を果たすことはできな
い。
 それと同様に、鏡やしき・ぢばの意味も、本部の礼拝場を中心とする広
大な屋敷の土地建物だけではなく、真柱を中心とする本部員および在籍者・
勤務者の神一条の理を元とする働きがあって初めて道の中枢としての役目
を担うことができるであろう。
 ただ、鏡やしきと市役所の違いは、後者が民主主義にもとづく法律に従
って運営されるのに対して、前者の天理教本部は、何事も天のさしづを元
として動くこと、すなわち天と地、親神と人間、親と子が一体となって共
存するべき、この世に二つとない聖なる場であるということだ。

 当然ながら、教会本部と市役所は、聖俗の違いはあっても、共に一体と
なって他に類例のない宗教都市を建設していくのが理想であろう。陽気づ
くめのひながたとして、一歩ずつでも理想の姿に近づいているのかどうか、
もしそうでなければ天理市に未来はあるのか、と問い質したくなるのだ。

「人間心を持たず、曇り無きより鏡やしきという」(23.4.20)
「澄んだ道から澄んだ心が鏡やしき。澄み切ったもの。曇りあっては世界
映ろうまい。少しでも曇りあっては、世界は丸曇り」(28.3.18)
「残らず手繋いでこそ、世上から見て鏡通りと言う。・・・どういう事も、
こういう事も、一つの理に集まりて、一つの理に治まりて道と言う」
                            (33.5.19)
「鏡やしきなら、鏡やしきのように通らにゃ鏡やしきと言えん」(34.5.25)



<心のテープ>(117号)天刻の集い 報告
配信日:2009/10/29

 10月25日の午後1時半から恒例のミーティングを始めた。場所は中
和詰所4階の一室。参加者は私を含めて常連6名の内2名が所用のため
欠席した代わり、新人が3名、当日は日曜日に当たり二度目に参加され
た1名を合わせて計8名であった。

 はじめに私から、メルマガ 115号の「天川から みたらい渓谷へ」で、
水道水にケチをつけた反省を述べた。一方、会場には「ごろごろ水」を
味見してもらうつもりでペットボトルに1本持参したところ、途中で空
っぽになった。
 京都から来られた529さんは、京都は山に囲まれたすり鉢の底のよう
な地形だから、水がめのような地底に天然の水がたくさん溜まっている。
例えば伏見の名水から美味しい酒が造られるとの話であった。そう言え
ば、有名な酒づくりの会社は、自然の名水が湧いている土地にあること
が多い。

 次に話題が116号「天理市に未来はあるか?」に移った。タイトルか
らして問題であったが、案の定、詰所内の豪勢な会長宅を法律違反とし
て批判したことに対して参加者から忠告を受けた。が、そのような新築
の会長宅を視察した真柱から、贅沢すぎると注意を受けたこともあると
聞いている。
 毎年本部から天理市へ億単位の寄付がされていることについても秘密
情報ではなく公然の事実である。市長選挙に対する本部の姿勢について
も同様だ。一般社会では、マスコミによってあらゆる情報が氾濫してい
る現実と正反対に、教内では情報が無さ過ぎるのだ。当然ようほくとし
て知っておくべき情報さえ提供されていないのが現状なのだ。

 鏡やしきと市役所が担っている機能の類似性についてはメルマガにも
触れたが、土地・建物というハードだけではなく、勤める人々がソフト
に当たる夫々の役割を忠実に果たす必要があるというのは当然のことで
あろう。
 なお情報を補足すれば、鏡やしき・ぢばは、聖俗二つの宗教法人から
成り立っていることを知っているようぼくは少ないだろう。すなわち、
天理教教会本部が聖なる役割を持つ組織であるとすれば、教庁を主体と
する宗教法人・天理教は、教団運営という世俗的な役割を担っていると
いうことができる。それぞれのトップが内統領と表統領に他ならない。
 しかし、聖なる役割を持つ教会本部において「おさしづ」の体系的な
研究は殆どなされていない。また、二つの宗教法人の人事面の問題は、
いずれ説明する機会を持ちたいと思っている。

 初めての参加者からの質問として、最も基本的な疑問が提出された。
その方は現在切迫した悩みを抱えているとのことで、所属教会の会長の
指示は「理の親」として受け入れなければならないのかどうかという質
問であった。
 この問題の是非については、同席の岩井先生から回答があった。前真
柱ははっきりと「理の親」に当たるのは教祖ご一人であり、お互いは兄
弟姉妹の間柄という自覚が必要と公開の席で諭された事実があると。こ
の事実は私も承知しているが、たとえ真柱であっても個人的な発言に止
まるならば、立場によって都合の悪い指示は無視されてしまう。やはり
制度または規定として明確化しなければ、実際の改革は期待できないだ
ろう。
 原典おさしづには、ただ一度、教祖を指して「理の親」と呼ばれてい
るが、教会長に対しては「親の代わり」「親の役」を果たすように心の
成人を望まれている。にもかかわらず現実には、生まれつきの身分のよ
うな誤った受け取り方が通用している。

 ここで先の問題として、<心のテープ>配信元のYahooメルマガが来
年4月でサービス終了すると予告している。それまでに対応策を講じな
ければならないのだが、私としては、「みさとのブログ」として再出発
するのも一策ではないかと思っている。
 そうすれば、わざわざ登録し直して頂かなくても自由に開いてもらえ
るし、また自由にコメントを送信してもらうこともできるからだ。その
上、携帯版も設定できるはずだ。
 この再出発については決定次第、報告することにしたい。また何か提
案があれば聞かせて頂きたい。

 翌日26日の秋の大祭は雨模様であった。朝、火事を知らせる消防車の
サイレンの音で目を覚ますと雨が降っていた。秋の大祭の朝から珍しい
ことだが、「火と水を入れてわける」という「おふでさき」の一節が何
故かフト浮かんだ。
 本部中庭と南礼拝場前の椅子席が雨のため坐れない代わりに、参拝者
が回廊にあふれていた。それでなくとも普段の月次祭より帰参者は多か
ったようだ。どこに坐っていても「みかぐらうた」の地方が大きくはっ
きり聞こえるようにマイクが設置されているのは有難い。ただ「かぐら
づとめ」は最前列のごく一部の参拝者しか拝めないのは残念だが。

 秋の大祭のニュースは「天理時報」の記事を楽しみに待って頂きたい。
その時報が半年間の半額キャンペーンの結果、2万7千部ほど増加した
との発表があった。その数の多少については評価の仕方で異なるだろう
が、1教会あたり平均1.5部ずつ増加した計算になる。活字離れがもたら
した結果だろうか。
 最後に問題を一つ指摘しておきたい。教内の出版機関は「天理時報」
「みちのとも」その他の単行本を編集・出版している道友社と、月刊雑
誌「陽気」その他単行本を出版している養徳社および青年会本部、少年
会本部などの組織だが、その中心となる「天理時報」には道友社の出版
物の広告しか掲載されず、その他の出版機関の広告は閉め出されている。
官僚的なセクト主義を感じるのは私だけではないと思う。

 今後も情報発信のモットーとして、おさしづの啓示に基づいていきた
いと心を定めている。
「互い/\知らし合い、互い/\の研究諭し合い道という」(24.11.25)

「互いに遠慮は要らん。遠慮は追しょうになる。追しょうは嘘になる。
嘘に追しょうは大ぼこりの台」(31.5.9)



<心のテープ>(118号)1400年ぶりの来訪者
配信日:2009/11/5

「1400年ぶり」などと書くと、何かの間違いか冗談かと思われるに違い
ない。ところが先日10月27日に、文字通り1400年ぶりに来訪されたお
客さんがあったのだ。
 話は1年近く以前にさかのぼる。千葉県の「大内」と名乗る方から初
めて電話があった。前々からの読者と聞いて有難くお礼を申し上げたの
だが、続いて言われたのは、私の名前が、その方のご先祖「大内義弘」
と同名に当たるので親しみを感じるとのこと。

 そう言われて、聞いたことのある名前ぐらいにしか思わなかったが、
ネットで検索してみて驚いた。「大内氏」と入力すれば、フリー百科事
典の目次にはずらりと項目が並んでいる。
<大内氏は日本の氏族の一つ。周防国を本拠とする守護大名、戦国大名
に生長した一族、周防大内氏が著名である。家紋は「大内菱」>とあり、
「出自」の項目には、
<日本の武家はいわゆる「源平藤橘」やその他の中央の貴族の末裔を称
することが多いが、大内氏は百済(くだら)の聖明王の第3皇子である
琳聖太子の後裔と称している。琳聖太子が日本に渡り、周防国多々良浜
に着岸したことから「多々良」と名乗り、後に大内村に居住したことか
ら大内を苗字とした。しかし琳聖太子の記録は古代にはなく、大内氏が
琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降とされる。(後略)>

 南北朝時代(14世紀)に入って、大内氏は山口に本拠地を移し、中国
地方に勢力を拡大したが、本家を継ぐ「義弘」は、南北朝の統一にも功
績あり、朝鮮とも独自に貿易して経済力をつけ、西国6カ国を領する守
護大名として幕府を凌ぐ勢力となり、最盛期を築き上げた。
 しかし室町幕府第3代足利義満の挑発に乗った義弘は、幕府に反抗し
て堺で挙兵したが敗北し自殺した(応永の乱)。その後16世紀に至るま
で衰退と滅亡の一途を辿ることになるが、大内義弘の次男・持盛の系統
は明治維新まで譜代大名として存続した。──以上がネットのフリー事
典の要点である。じつは私は小学生の頃から、天皇や大名の名前ばかり
やたらと出てくる歴史には興味を感じることができないが、今でも山口
県を中心に大内家の歴史を探訪調査する会が活動しているという。

 話は1年前に戻るが、私と同名の大内氏の子孫と名乗る方から電話が
あって間もなく、おぢばへ帰参された折にご夫妻揃って初めて来訪され
た。お二人とも60代とお見受けした。その折りに、私の作成した「天理
教の歴史と現実」と題する8頁ほどのレポートに表紙をつけたプリント
を持参され、知り合いの教会長らにも配布しているとの有難い話であっ
た。じつは牛込部内の教会に生まれ、専修科を卒業したが、教会の後を
継ぐ立場を捨てて技術者として生きる道を選ばれたという。とはいえ、
教区とのつながりで、昨年も修養科を修了したケニア人たちを自宅に預
かって世話したのが何より楽しかったとも話された。
 大内氏はかつて朝鮮にあった百済国の子孫に当たることも聞いた。珍
しい家系の子孫がこの道に引き寄せられ教会まで設立されたことに驚き
を禁じ得なかった。手芸の達人らしい奥様からお土産に頂戴した手作り
の財布やカード入れも珍しかった。
 
 それから半年後に再度お目にかかる機会があり、今回(10月27日)は
3度目のご夫妻お揃いでの来訪であった。専修科の同窓会に出席する目
的もあって帰参されたとお聞きした。殆どが教会長になっている同窓生
から、大内氏の自由な立場を羨ましがられたとか。
 今回持参されたビデオテープのラベルには「1400年ぶりの帰還/大内
家の秘密/韓国KBS放送《歴史追跡》09.6.8放送」とプリントしてあ
る。目の前の椅子に坐っている大内氏が今年韓国を訪問し、主役として
取材に応じたテレビ放送の録画ビデオである。頂いたビデオを後で視聴
して驚いた。戦国時代に覇権を握った大内氏の過去を辿れば、西暦597
年、まさに今から1400年前に百済から渡来した聖明王の第3皇子・琳
聖太子の子孫であることを、日韓両国にある多くの遺品や史料から実証
したテレビ番組の録画テープであった。
 日本の多々良浜へ着いた琳聖太子は製鉄の技術を日本で普及し、また
北斗七星を祀る仏教の一派、妙見菩薩を日本へ伝えた。東京にある妙見
宮では今も韓国舞踊を奉納している映像が録画されていた。

 10月大祭におぢばへ帰参された大内公夫氏は、先祖の琳聖太子から数
えて45代目に当たることも家系図によって確認できる。韓国へ渡航した
大内夫妻は古代百済国を治めていた聖明王の陵墓にぬかづいて、感無量
の思いに浸っている姿がビデオに映し出されていた。一方、山口市には
守護大名時代に建立した日本3名塔の一つに数えられる五重塔や、広大
な屋敷跡も現存している。
 その日、大内氏から聞いた言葉に私は感銘を深くした。今になって自
分たち夫婦が韓国へ渡って積極的に先祖の歴史を追跡しているわけは、
大阪でも人口の2割を占める在日の韓国二世・三世たちが、未だに選挙
権がなく差別されている。その人たちに自信を与え励ましたいとの願い
があるから、と。私はその大内氏の深慮をお聞きして、一れつ兄弟姉妹
の自覚を新たにする思いであった。

 かつて現天皇陛下は、朝鮮から嫁いできた天皇家の妃(きさき=皇后)
があったことをご自身で語られたことがある。飛鳥時代には朝鮮から渡
来した人々が様々な技術や文化を伝えて日本に同化した歴史もある。6
世紀末に大内氏の先祖・琳聖太子が日本へ渡来した理由は、新羅との戦
いに敗れ混乱と権力闘争を避けるためであったと推測されている。
 帰りがけに私は、大和の中央、中和地方の広陵町にある、その名も百
済寺の三重塔を思い出して地図を書いたところ、大内氏夫妻はその足で
参詣してみたいと出発された。法隆寺や高野山へも、縁の深い知り合い
を訪ねる予定ということであった。
 今後とも、日韓親善の上にも益々のご活躍を祈りたいと思う。

「真の兄弟は、誠一つの心が兄弟。又、誠一つ理が天の理。常に誠一つ
の心が天の理。真の心の理が兄弟」(20.ー)
「同じ兄弟互い/\深きいんねん、皆兄弟この理聞き分け」(24.11.15)
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指噛んでも身に応えるやろ。
あちら起こしてこちらを倒そうという理あろまい」(32.12.27)



<心のテープ>(119号)新聞記者がやって来た
配信日:2009/11/12

 前号で珍しい来訪者のことを報告したが、こんどは毎日新聞奈良支局
の記者の取材を受けた話を報告しておきたい。
 初めて記者と名乗る方から電話を受けたのは1ヵ月あまり前のこと。
取材に行きたいので都合のよい日時を打ち合わせたいとのことであった。
初めてとはいえ、その記者とは「戦争を語りつぐ証言」を通して縁があ
ったので、名前だけは承知していた。

 縁のめぐり合わせがなければ何事も始まらないものだが、事の起こり
は半年前、毎日新聞奈良版に紹介されたニューギニア戦線生き残りの高
齢者の手記にあった。私が戦争体験の証言を集めていることから、知人
がその記事のことを教えてくれた。記事が載っている日付の新聞を調べ
て読んでみると、手記の要点は紹介されているが、ご本人にお会いすれ
ば元となった手記を見せてもらえるのではないかと思った私は、目的を
書面で知らせた上、電話でご本人に了解を得て明日香村へ取材に出かけ
た。

 先にお断りしておきたいが、足掛け6年間私が戦争体験の取材を続け
ているのは、すべて「ひのきしん」が目的である。ありのままの戦争体
験を記録する必要を感じるわけは、かつて日本国民だけでも310万人の
犠牲を出した戦争の実態が知られないまま闇に葬られてしまっては、戦
争を未然に防ぎ平和を維持することが難しいと思うからだ。
 事実、戦争末期に召集された一般市民の兵士の大半が、いつ・どこで・
どんな状態で戦死したのか、その事実さえ遺族に知らせずに敗残や全滅
の実態を秘密にしてきたのが軍部や政府のやり方であり、戦争の実態は
僅かな生き残りの人達の口から聞き取る以外に分からないのだ。

 例えばニューギニア戦線の場合、現地に送り込まれた日本軍の兵士は、
食糧の補給もなく、爆撃と飢えに山野をさまよい、12万7千人を超える
死者のうち未回収の遺骨は推定7万8千体もあり、生き残って帰還でき
たのは1割といわれている。
 というわけで、明日香村にニューギニア戦線生き残りの森本善茂さん
(88歳)を訪ねた結果、回顧録の手記をお借りして、その手書き原稿を
ワープロに入力して編集したテキストをご本人に送って修正して頂いた
上、毎日新聞の要約記事も紹介した上で、戦争証言サイトに全文を公開
したのであった。

 私より先に取材した中村記者から電話があったのはその後で、森本さ
んを含めて90人もの戦争体験の証言をどうして集めたのか、どんなふう
に編集作業をしているのか関心があったから、という。
 私としては、新聞に記事が出れば新しく証言してくれる対象が増える
ことを願って取材に応じたのだが、記者もその希望を理解してくれて、
協力する場合の連絡先の電話番号を記事の末尾に入れることを了解して
くれた。
 というわけで、つい先日11月7日の毎日新聞奈良版に、予想外に大き
く写真入りの記事が載ることになった。下記をクリックすればリンクし
た新聞記事が表示される。
http://www.geocities.jp/shougen60/shiryo/shougen-chirasi.html

 その日から、同じ系統の教会関係や親類から記事を読んだという連絡
が入ったり、近くの街からも熱心に戦争体験を語りつぐ活動をしている
高齢者の方々から電話を頂いている。
 この際、読者にもひのきしんの協力をお願いしたいことがある。もし
身近に戦争体験をもつ高齢者の身内や知人がおられたら、上にリンクし
たHPの趣旨を理解して頂き、ありのままの記憶をテープ録音かメモ書
きで提供して頂けないだろうか。
 その要領は、上記リンクページ下段のチラシ説明を参考にして下され
ば幸いです。

(追記)「ひのきしん」の教語について
「みかぐらうた」では、「ひのきしん」は繰り返して大切な通り方の角
目として歌われています。
 ところが原典「おさしづ」には、「ひのきしん」という教語は「ふし
ん」の心構えを諭されている中で只1回だけ、使われているのみです。
 また「おふでさき」の中で只の一回もしるされていないのです。
 原典によって何故このような違いがあるのか、そのわけは別に思案す
る機会をもちたいと思いますが、今の世の中で「ひのきしん」の行動は、
社会一般にボランティア活動として広がっていることは申すまでもあり
ません。(その発想は違うといわれる点はあるとしても)
 次に「おさしづ」の中で1回限り「ひのきしん」と表現されている一
節を転写しておきます。

明治二十三年六月十五日(陰暦四月二十八日)午後八時三十分
本席五六日前より腹差し込み、本日左の歯厳しく痛むに付願
「・・・たすけとても一日なりともひのきしん、一つの心を楽しみ。た
すけふしぎふしん、真実の心を受け取るためのふしぎふしん。のっけか
ら大層な事してはどんならん。一寸言わば日覆してあるようなものや。
あちらも掛け出し、こちらも掛け出し、あゝ暑いから差し掛け、そら取
れと言うようなものや。それより一寸これというは先々話。これもこう、
心に成程々々、それより成程の理も治まる。頼もしいという。一日の日
を見てようこそ真実という。後々の処は、人間心の理によって先に始め
掛けるから、人間の心を開けて間違う。・・・」
  



<心のテープ>(120号)新聞記事その後
配信日:2009/11/19

 前号で毎日新聞に紹介記事が掲載された経緯を報告したが、その後10日
を過ぎた。今どき新聞を見て、アドレスを入力してサイトにアクセスする
面倒な手間をかける読者はいないだろうと半ば諦めた気持であった。知人
や親類からは新聞を見たという電話はあった。といって、戦争体験の証言
がふえるわけではない。
 案の定、戦争証言サイトへのアクセスやメールの反応は大したことはな
かったが、この10日の間に奈良県内の高齢者から直接の電話は幾つかあっ
た。中でも、橿原市に済む72歳の男性から、すぐに会いたいから訪ねて行
くとの電話があった。私はこちらから伺いますからと答えたのだが、自分
の学童疎開や父の戦死などの体験を小学生に語り聞かせているというMさ
んは、橿原から20キロ近くの距離を単車で来訪された。ボランティアで同
じような活動をしている者同士として意気投合することができた。
 
 終戦の年、7歳の自分の下に3人の弟妹があったMさんの人生は、父が
沖縄で戦死したという知らせによって苦難が始まった。若かった母は再婚
せずに4人の子供を女手一つで育ててくれた。母は強かったが、一度だけ
泣いたことがあったという。
 戦後になって戦地から帰ってきた近所の家の父親が、サンマを買って帰
るのを見た一番下の弟が「食べたい」とねだったのだ。買うお金がなかっ
た母はその夜、4人を抱きしめて泣きながら言いきかせた。「サンマが食
べたかったら、しっかり勉強して働いて、みんなに認められるようになっ
てほしい」と。
 2年前に96歳の天寿を全うした母は、書き残した遺書の中で、子供たち
にひもじい思いをさせたこと、お金がなくて義務教育しか受けさせられな
かったことを詫びるとともに、みんな立派に成人して家庭を築き母を助け
てくれたことに感謝している、と書いてあった。そんな話を聞きながら、
私は涙を抑えられなかった。
 Mさんは定年退職後も小学校の用務員になって、周囲から勧められるま
まに子供たちに自分の体験をありのままに語り続けてきたが、子供たちか
ら素早い反応があって、戦争体験をよく理解してお礼の手紙をくれるとい
う。

 その他にも電話をもらった70歳の方のお宅を近くの田原本町に訪ねた時
は、大阪の港区にあった家は空襲で全焼したあと、一家が徳島へ船で疎開
する途中、神戸港に入った時に空襲を受け、神戸の街が阪神大震災と同じ
ように炎に包まれて真っ赤になった情景に遭遇した話を聞かされた。
 また老人ホームに入居している86歳の方からも電話を頂いた。いずれ日
時を打ち合わせて私がホームを訪ねる約束になっている。何でも戦争末期
にモンゴルの国境警備についていて、その後ソ連に抑留されたということ
だ。今までにもシベリア抑留体験は6人の証言を収録している。何しろ60
万人がシベリアへ連行され苛酷な重労働を強いられたのだが、同じシベリ
ア抑留といっても、時と場所の違いで夫々に体験は異なっている。

 誤解を恐れずに申せば、戦争で日本人が貧のどん底に落ち、否応なしに
教祖ひながた以上の谷底の道を通らされたわけは、「おふでさき」にもし
るされているように、神の「かやし」ではなかったのか、と感じることが
ある。
 もちろん明治以来の政治権力(上・高山)は、教祖を非難・拘留し神一
条の道を邪魔立てした故に、いずれ一夜のうちに真っ逆さまに突き落とさ
れる運命となるのが当然であり、それが昭和20年8月の刻限であった。そ
の「上・高山」に従って一般民衆もこの道を非難攻撃した。その「かやし」
として「怖き危なき道を案じる」と「おふでさき」にしるされている通り
の運命となり、食糧の補給もなしに戦場に追いやられ、内地では空襲の下
で食うや食わずの生活を強いられたのであった。そうして教祖ひながた以
上に難渋な道を通って果たしたので、戦後はかつてない豊かな生活に恵ま
れた、といえないだろうか。但し、これはあくまで私の主観的な悟りに過
ぎないけれども。
 今後はどうなるのか、ようぼくたる者は心鎮めて思案しなければならな
い刻限が再び迫っていることは間違いない。

 それはともかく、この10日の間、私は「ひのきしん」のつもりで時間と
身体を戦争証言集めに使ってきたのだが、果たしてそれだけの価値がある
と評価して頂けるかどうか、神のみぞ知ると思うしかない。上記の通り新
聞記事が縁となって聞かせてもらった夫々の体験談は、いずれご本人の承
認を得て戦争証言サイトに掲載する予定なので期待して頂きたい。
 なお、私が管理している戦争証言サイトには、私自身の戦争に関する証
言も匿名で発表していることを申し遅れたが、よろしければ下記をクリッ
クしてページを開いてみてほしい。
「Y・Uさん 昭和7年生(1932)オトナたちの変身」 
 http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-S7.html



<心のテープ>(121号)邪馬台国は桜井に?
配信日:2009/11/25

 先日11月11日の各新聞朝刊で、大々的に奈良県桜井市の纏向(まき
むく)遺跡の発掘結果が報道された。毎日新聞の見出しには、
<卑弥呼の宮殿か/纏向遺跡に大型建物跡/邪馬台国と同時代 大和
説前進>
 という文字が並んでいた。ご承知かと思うが、その遺跡は天理市と
桜井市の境目にあり、おぢばの南方ほぼ10キロに位置している。以下、
書き出しの部分をコピーすると、
<邪馬台国の最有力候補地とされる纏向遺跡(奈良県桜井市)で、卑
弥呼(248年ごろ没)と同時代の3世紀前半の大型建物跡が見つかり、
桜井市教委が10日、発表した。柱穴が南北19.2メートル、東西6.2メ
ートルに整然と並び、同時代の建物では国内最大級。過去の発掘調査
で確認された3棟の建物や柵列と共に、東西方向の同一直線上で南北
対称となるよう配置されており、卑弥呼の「宮室」(宮殿)の可能性
がある。・・・>
 
 古代中国の史書「魏志倭人伝」は卑弥呼の館「宮室」について「楼
観・城柵を厳かに設け、常に人有り、兵(武器)を持して守衛す」と
記している、という。20年余り前に発掘された吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
は、卑弥呼の時代に近い2〜3世紀の濠に付設された物見やぐらが楼
観に当たるとして評判になった。
 また95年に見つかった池上曽根遺跡(大阪府)の大型建物跡は、さ
らに西暦前1世紀頃にさかのぼり、日本が百余国に分かれていた頃の
祭殿とみられている。
 このたび発掘された建物跡は、大きな柱穴が碁盤の目のように45本
あり、高さは10メートル、タタミ150畳以上の広さと推測されている。
(柱が残っていないのは、当時は建物を壊す時に柱を抜き取って別の
建物に再利用していたから、との専門家の説明があった)
 しかも発掘された土器の種類は、九州から関東まで広範囲のもので、
3世紀に全国から纏向に人が集まっていたことを証拠づけている。女
王卑弥呼は神の声を聞き予言を的中させることによって、弟とともに
30カ国の上に君臨していたといわれている。
 邪馬台国九州説を信奉している人には申し訳ないが、邪馬台国大和
説を補強する発掘調査の結果であることは間違いない。

 その後、テレビでも纏向遺跡の話題が取り上げられ放映されたが、
その一つに卑弥呼が死亡したとされる年(西暦248年)の前後に、日
本列島が2度にわたって皆既日蝕になったことが天文学の上から証明
されている。その異変を制御できなかったことで、神託によって国を
治めていた卑弥呼の権威が失墜し、殺されたのではないかと推測する
説が紹介されていた。
 また古事記の「天の岩戸隠れ」は皆既日蝕を表わしていて、再び開
かれた岩戸から出てきた女王は、卑弥呼の血統を継ぐ少女の壱与では
ないかとも推理されていた。卑弥呼は自らホト(女陰)を箸で突いて
自殺したとの説もある。

 上記の毎日新聞の記事によれば、纏向遺跡の東に位置する巨大な箸
墓古墳の築造年代は、かつては4世紀以降とされていたが、最近は卑
弥呼の没年(248年ごろ)に近い3世紀後半とみられている。従って、
卑弥呼の墓とする説も有力になっている。
 また、魏志倭人伝には朝鮮半島から邪馬台国への道のりが書かれて
いるが、記述通りに進むとフィリピンの南に行き着いてしまう。その
理由は方角を間違えたためで、東を南に置き換えると大和に到達する
という説もある。その他、銅鏡の有無なども関係があるとされている。

 最後になったが、以前、天理本通り商店街に上野土産物店があった。
今は店を畳んでしまったが、その主人は上野凌弘と言い、独自の境地
を拓いた歴史小説の作家であった。独自の境地という意味は、敗戦直
後満州にいた上野氏がリーダーとなって日本人を引率して類のない苦
難に耐えて帰国する途中、命を失った犠牲者の霊の声が聞こえる超能
力を得たという。その特異な能力を駆使して書いた多くの作品の一つ
に『女王卑弥呼』がある。
 その作品は、作者が箸墓の上に立って卑弥呼の霊を呼び覚まし、直
接その霊から聞いた物語として描かれている。それは決して荒唐無稽
な内容ではなく、女王卑弥呼の平和を愛する気持や、全国各地を支配
する王たちの息子(王子)の憧れの的となっていた美しい女王として
の卑弥呼を見事に描いている。
 卑弥呼は晩年に至るまで独身を通すが、恋慕する王子たちと一夜の
契りを許すこともあった。その中で最後まで女王を慕って独身を通し
た一人の王子とのトラブルが女王の死に結びついたと描かれている。
卑弥呼が自らホトを箸で突いて死を選んだわけは、老境になっても性
の執着を断ち切れない自分を自ら罰するためであったとしている。
(上野凌弘氏の歴史小説は、今でもAmazonを検索すると、高値で数
多く出品されている)

 今度こそ最後になるが、中山みき教祖は元始まりに「いざなみ」の
魂のいんねんと教えられているが、天保9年まで一度も生まれ替わり
されたことがないとは考えられない。口伝には幾度か女帝(女性の天
皇)に生まれたと聞いたこともある、前川家の実母の出里である長尾
家は、古代から代々大和神社の巫女を勤めた家系と伝えられている。
 ここから先はあくまで想像の域を出ないが、古代の女王卑弥呼が神
の啓示によって邪馬台国を治めた「真の柱」であったとすれば、教祖
の前世の一つではなかったのだろうか。とすれば、おぢばのある天理
市の近くに邪馬台国が実在することは当然のような気がしないでもな
い。とんでもない妄想と反論されることを承知の上で、あえてイメー
ジを広げてみた次第。



<心のテープ>(122号)平和への掛け橋
配信日:2009/12/3

 毎日新聞地方版に戦争証言サイトの紹介記事が出てから、県内のあち
こちから電話を受けたり、高齢者が来訪したり、こちらから老人ホーム
を訪ねたり、落ち着かぬ日々を過ごしている。
 と同時に、新聞記事とは別に、さまざまな形で平和に関わって活動し
ている方々の情報が集まってきたのも偶然とは思えない。

 先日、1週間ほど前になるが、千葉県在住の知人の紹介ということで、
30代になったばかりの神(じん)直子さんという女性からメールがあり、
続いてリーフレットや小冊子が送られてきた。
 その表紙には、BRIDGE FOR PEACE(BFP)とあり、訳すると「平和
への掛け橋」となり、「フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージ・プ
ロジェクト」と説明がついている。冊子のタイトルは「私たちの歴史認
識ー戦後世代の声ー」となっている。
 神 直子代表の「はじめに」と題する文面がリーフレットに出ているの
で読んでみると、
「2000年、大学生の時初めて訪れたフィリピンで、未だ戦争の傷が癒さ
れてない人々の苦しみをぶつけられました。夫を亡くした未亡人は、
「日本人なんか見たくなかったのに何であんたはフィリピンに来たんだ
い!」と泣きじゃくりました。2003年、帰国した日本で、自分が関わっ
た残虐行為を、亡くなる直前まで老人ホームでうわごとのように嘆き続
けた方がいたと知人から聞きました。
 ぶつけるところのない怒りが未だに渦巻いているフィリピンへ、元兵
士の想いをビデオメッセージとして届けたい。いつしか私はそう思うよ
うになっていました。元日本兵の方々に過去の体験を語って頂く中で、
私たちはこれからの社会に活かせる多くのことを学ぶことができます。
 フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージが少しでも人々の心をなぐ
さめ、平和が広がっていくことを願って活動しています。
                       BFP代表 神 直子
                       
 彼女はフィリピンの女性から受けた激しい非難の言葉をまともに受け
止めて、決して逃げなかった。その若者らしい柔軟な態度と素晴らしい
発想に敬服する他はない。
 私は戦後60年を迎える前年から足掛け6年、戦争を語りつぐ証言を集
めてHPに公開してきたが、主として当時の軍部政権の被害者の立場で
戦場に駆り出された市民層の体験に焦点を当ててきた。が、日本がアジ
ア諸国の民衆に対する加害者であったことは紛れもない事実である。中
には強制的に加害者にならされた兵士たちが沢山いたことも事実であっ
た。本当の加害者というべき軍部権力者は、陰に隠れて責任を取らない
ままになっている場合も多い。
 
 そうした意味でも、BFPに集まる若者たちのグループは、加害と被害
の両面から戦争を見直し、語りついでいくことの大切さを、改めて考え
させてくれたことに感謝している。
 今までの活動歴を見ても、若者らしいエネルギーで、関東の各大学を
はじめ海外を含めて多くの各種団体でビデオ上映会を開催している。
 より詳しい情報を下記のHPで確認されることをおすすめしたい。
 http://bridgeforpeace.jp/
 
 もう一人、やはり別の知人からの紹介で、手作りの資料を詰所へこと
づけて下さった女性があった。それは中国残留孤児で日本へ帰国した人
の苦難の体験を記した記録であった。
 直接一度もお会いしたことはないが、帰国した中国残留孤児(といっ
ても既に高齢者になっている)に日本語を教えたり、生活を支援するひ
のきしんを続けているようぼくと察することができる。
 その後、その女性から受信したメールには次のような経歴が書かれて
いた。(名前は匿名とし、適当に改行した)
 
<先日 I先生のご紹介で資料をお届けしましたOです。
 あらためて かいつまんで お伝えします。
 私の母方の祖父は ソ連の強制収容所で亡くなりました。 河原町の信
者でした。 実家の父は 九人に一人 生き残り 帰国しました。 戦地では
死体が横に浮いている溜まり水しか 水がなかったり、 帰国しても 財
産は全て灰になっており、福井の寒村で冬に 畳もなく 布団もなく、板
の間で 寝るに寝られんかったと 申しておりました。
 大正八年生まれで青春時代の ほとんどを 戦地ですごしたことになり
ます。母も昭和四年生まれで、生まれた時から 戦地続きです。母は両
親が満鉄の工事で滞在中、京城で生まれました。(中略)
残留孤児の二世三世の方々が 今も続々と帰国され、日本での生活に
慣れるには 支援と時間が 必要です。 まだまだ 戦争は 終わっていませ
ん。 新たに世界各地で戦争の起こる様をニュースに見ても 本当に心痛
みます。軍服など お笑い草だと。 真の勇者は道の布教師だと お思いに
なりませんか?
 アフリカの ツチ族とフツ族 の 虐殺を映画で見ましたが 言葉があり
ません。いまなお似たようなことが世界中で あると思えば 、本当にお
やさまは 残念無念の ご心境でおられましょう。何も産み出さない 負の
遺産を 語り伝え、人類の道を誤らないよう 今を生かされる者の責務を
果たしたいものです。 世界中の政治家が 全て賢明な母親であったなら
多分 戦争にはならないと 考えますが……。>

 とくに最近は平和に関わる女性パワーを痛感している。戦争の好きな
女性はいない。今までの歴史は男性の支配者(権力者)が作ってきたの
であり、私は昔から天皇と大名と幕府しか出てこない歴史が大嫌いであ
った。
 NHKの朝ドラの主人公は、すべて女性が演じている。女性でなけれ
ばドラマにならないのかも知れない。
 これからは女性が作っていく歴史に期待してやまない。


<心のテープ>(123号)アジアの加害者としての日本
配信日:2009/12/10

 過去の戦争にこだわるようだが、もう一回だけ辛抱してお読み頂きた
い。決して懐古趣味のつもりではなく、現在に通じる問題でもあるから
だ。しかも最近、自分が探しているわけではないのに戦争に関連した情
報が、偶然とは思えないほど次々と集まってくるのだ。

 前号(122号)「平和への掛け橋」で「フィリピンと日本を結ぶビデ
オメッセージ・プロジェクト」の若い女性リーダーから資料が送られて
きたことを報告した。その資料には、日本軍の元兵士たちがフィリピン
での加害行為を告白しているビデオを上映して現地と交流する活動が報
告されていた。その感想を私は次のように書いた。
「私は戦後60年を迎える前年から足掛け6年、戦争を語りつぐ証言を集
めてHPに公開してきたが、主として当時の軍部政権の被害者の立場で
戦場に駆り出された市民層の体験に焦点を当ててきた。が、日本がアジ
ア諸国の民衆に対する加害者であったことは紛れもない事実である。中
には強制的に加害者にならされた兵士たちが沢山いたことも事実であっ
た。本当の加害者というべき軍部権力者は、陰に隠れて責任を取らない
ままになっている場合も多い。
 そうした意味でも、BRIDGE FOR PEACE(BFP)のメンバーとなって
いる若者たちのグループは、加害と被害の両面から戦争を見直し、語り
ついでいくことの大切さを、改めて考えさせてくれたことに感謝してい
る。
 とくに最近は平和に関わる女性パワーを痛感している。戦争の好きな
女性はいない。今までの歴史は男性の支配者(権力者)が作ってきたの
であり、私は昔から天皇と大名と幕府(将軍)しか出てこない歴史が大
嫌いであった。」

 その後、先日4日は早朝から晩まで大教会の当番を勤めた。看板を掛
けている以上、最低それ位のひのきしんはしなければと思っている。そ
こで、たまたま手に取った前日の朝日新聞夕刊に次のような見出しの記
事が目についた。
<南京の記憶 5日の集会で/虐殺の光景 わが遺言/90歳元兵士素顔
の証言/背丈ほどの死体の山、機関銃の火花>
 日中戦争開始から5ヵ月後の1937年12月、旧日本軍の南京攻略戦に
参加した元海軍兵士が、現地で目撃した光景を語る集会が12月5日の夕
方から夜にかけて、エルおおさか(大阪労働会館)で開かれるという記
事である。うちは毎日新聞をとっているので、もしその日、当番に来て
いなければ朝日の記事を読む機会はなかった。
 
 しかも同じ日、たまたま手配り用の天理時報を教会へ受け取りに来て
いた知人の布教所長さんと出会ったとたん、彼が言うには、
「この間、新聞に記事が載っていたのを見ましたよ。うちは毎日新聞を
とっているのでね。戦争体験に関しては中国での日本軍の加害行為を証
言した本を持ってますよ。まともに読めない位ひどい内容で、頁をとば
して読みましたがね。あとで持って来ますから参考にして下さい。私は
もう要りませんから」
 そして数時間後、その所長さんが届けてくれた本の表題には『私たち
は中国でなにをしたかー元日本人戦犯の記録』(中国帰還者連絡会編/
新風書房)とあった。
 またしても加害行為の情報であった。フィリピンの加害ビデオ交流プ
ロジェクト、南京大虐殺の集会についての新聞記事、さらに中国での加
害証言を集めた本──続けざまに加害証言の情報が3つも集まるのは偶
然とは思えない。その上、つい最近、思いもかけず一読者から活動費と
して寄付を頂いている。ということは、5日大阪での南京大虐殺の集会
に参加せよという知らせではないか。
 
 翌日の5日、電車賃と参加費を払って私は大阪天満橋の会場にいた。
約300名以上の参加者が集まって、上記の元兵士の他に中国から来日し
た高齢の女性の悲痛な証言もあった。彼女は12歳のとき南京で、目の前
で父親はじめ4人の肉親を日本兵の手で殺されたという。
 その集会で、私が何より感銘を深くしたのは、主催者の南京大虐殺60
カ年大阪実行委員会の代表・松岡環さんの話であった。彼女は60代と思
えぬくらい若々しく魅力的な女性であった。元教師の松岡さんは、はっ
きりモノを言う人だが、その姿のどこに加害行為の真相を追及するエネ
ルギーが潜んでいるのか不思議だった。12年間にわたって、南京攻略に
参戦した元日本軍兵士250人の氏名と所在を調べ、直接訪ねて面談した
上、性暴力や虐殺が行われた実態を問いつめた。初めはどの兵士も口を
閉ざして語ろうとしなかった。その心を開いて事実を告白するまで問い
つめていった彼女の迫力には誰も抵抗できなかったに違いない。一方、
彼女は自ら中国に渡り、様々な反感と抵抗を乗り超えて300名の現地の
人々の被害証言を直接に確かめたという。

 しかも松岡代表を中心とする委員会では、加害者側の元日本兵と被害
者の中国人の素顔を写して証言している記録映画「南京・引き裂かれた
記憶」を制作し公開している。当時の南京市街には国際安全区があって、
その区内にキリスト教系の女子学院があったのだが、その安全区の中ま
で日本兵が侵入し、決して安全ではなかった。
 最後に松岡代表は語った。あの戦争で日本人はアジアの人々の尊厳を
傷つけた、歴史はその間違いを繰り返さないためにある。しかし加害行
為を認めた元日本兵たちは、その罪を深く反省しているとは思えなかっ
た、と。
 
 フィリピンの被害者との交流を続けている神直子さんの「Bridge For
Peace」のグリープといい、中国残留孤児の帰国者を支援するひのきし
んを続けている布教所長といい、平和を希求する女性パワーに敬服する
ほかはない。と同時に、ふと思い浮かぶのは、彼女たちを内面から衝き
動かしているのは、かつて日本軍に虐殺された中国の子供たちの魂が戦
後日本に生まれ替わって、かつての加害者の隠されたままの行為を暴露
せずにはいられないのか。そういえば、最近も国内で多発する性暴力や
無差別殺人などの残虐な事件は、過去の戦時中に日本兵が集団で行った
加害行為を忘れぬように思い起こさせるためなのか。いずれにせよ霊的
次元に原因が潜んでいるような気がするのは私の妄想なのだろうか。




 


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