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<資 料>

  国家神道の実体


 日本を戦争へ暴走させた原因は国家神道を抜きにしては考えられない。
 天皇を現人神(あらひとがみ)として絶対化し、古事記・日本書紀を唯一の神典とした国家神道は、明治維新から昭和20年の敗戦に至るまで約80年間、国民全体を支配していた。しかも他の宗教を超越した国教として、その教義に合致しない信仰を排除・禁圧し、国民の生活や意識のすべてにわたって深い影響を及ぼした。
 戦後、アメリカの民主主義が導入されると、まるで憑(つ)きものがとれたように日本人はアマテラスオオミカミを忘れ去り、天皇は人間宣言によって象徴的存在となり、政教分離による平和憲法が神道に取って代わった。
 それにしても、もともと神道とは何であったのか、参考文献をもとにさかのぼって考え直してみたい。
 本来、古神道には文書として記録した教義はない。それは日本の風土に密着した生活習慣であったという。つまり、豊かな自然ときれいな水に恵まれた島国である故に、山川草木に神が宿る自然崇拝が生まれ、ハライ、ミソギによって身心の穢れを浄めることが何より大切な伝統となった。
 さらに1万年前までさかのぼる縄文時代の遺跡発掘やアイヌ文化によって推定されるところでは、火と水の神を中心として「独り占めしないオキテ」のもとに共同体を形成し、魂の生まれ替わりを信じて生活していた。例えば青森県の三内丸山遺跡では、約2千年にわたって500人ほどの縄文人たちが同じ地域に生活していたことが推定されている。
 
 やがて3世紀に入ると、強大な権力者の支配を示す古墳が造営されるようになり、海外から渡来した部族によって縄文人が追い払われ、8世紀には天皇の祖先を祀る天つ神を中心とする記紀神話がつくられる。その中には古くからの自然神の他に生殖や創造の力を表すムスビの神とともに、天皇の祖先となる人格神が天孫降臨によって日本を治める使命を与えられる。
 これらの神話に共通するのは、八百よろづの神といわれる多神教であり、神と人との間に断絶がなく、人を神として祀ることは当然とされたことである。
 
 村上重良氏(宗教学者)によれば、神道は自然発生的な神社神道、仏教や儒教と混合した習合神道、天皇の祖先神を祀る皇室神道に分類される。
 明治維新の原動力となった王政復古・尊皇攘夷の思想は、万世一系の皇室を比類のない日本の伝統として「一君万民」を希求する幕末の志士を奮い立たせた。それまでの時代は朝鮮・中国から伝わった儒教が学問の中心であったが、日本にしかない天皇の歴史的な自覚から国学がもてはやされるようになった。
 
 当時の国際情勢は、欧米の帝国主義はアジアに触手を伸ばしていた。イギリスは中国とのアヘン戦争に勝って中国を侵略し、帝政ロシアは樺太から北海道を窺っていた。ついにアメリカが浦賀に黒船を乗り入れて通商を強要するに至ったが、鎖国の夢を破られた幕府はまともに対応する能力を失って右往左往するだけであった。
 尊皇の志士・吉田松陰は、その黒船に乗り込んでアメリカへ密航を企てて果たせず、幕府の禁を犯して捕らえられたが、日本を統一して植民地化から守ろうとする大志は、後に続く倒幕の志士たちに強烈な影響を与えた。明治維新によって日本は初めて民族国家となり、欧米と対等に外交する文明国の仲間入りをした。
 
 但し、欧米の制度や文明文化を輸入することはできても、その精神的なバックボーンとなっているキリスト教だけは取り入れるわけにはいかない。欧米諸国はキリスト教の伝道を使命として植民地拡大を正当化している。そこでキリスト教の代わりに、国家神道を国教として徹底的に国民を教化し、帝国主義国家の体制を固めようとした。それは皇室神道の下に神社神道を再編成した政治的な作為による国教であった。古くから権威を保っていた京都の吉田神道も廃止された。神仏分離を掲げて寺院を破壊する極端な行為も是認された。例えば奈良の興福寺五重塔は個人に250円で売られたが、壊す費用が高くつくので破壊を免れたという。
 さらに明治政府は、イエス・キリストの代わりに天皇陛下を、聖書には古事記を当てはめて、一神教のごとく他の神々を異端として抑圧した。皇室の祖先である天照大神を最高神とし、それ以外の信仰を禁圧した。思想や言論の自由も同様に抑圧し、国家神道に違反する者を投獄した。小学校に天皇陛下の御真影(写真)や勅語を奉安殿に祀り、神として最敬礼すること、天皇のために命を捧げることが強制された。天照大神を祭神とする伊勢神宮が聖地となり、皇室神道に儒教をプラスした教育勅語を教典として国粋主義の教育が行われた。忠君愛国、滅私奉公、忠孝一致、一億一心、、神州不滅、武運長久等々、今ではすっかり忘れられた標語が全国民の耳目を覆いつくした。
 事実、国内では極度の耐乏生活にもかかわらず泥棒その他の犯罪は殆どなかったが、その代わり戦地では戦死者が200万を超え、南方戦線の島々で戦死した兵士の6割ほどが、じつは餓死であったという悲惨な地獄絵図がくり広げられた。
 
 国家神道は、まさに疑似キリスト教であった。これは個人の主観的な主張ではなく、小室直樹氏ほか専門の学者が指摘しているところでもある。
 
中世以来のキリスト教は、十字軍をはじめとして異教徒の処刑・殺害を見許していた。そのキリスト教を国教とする西欧諸国は、アジアをはじめ世界各地の植民地化に乗り出し、伝道者がその先兵となっていた。アメリカの悲惨な奴隷制度は、すべて西欧のキリスト教国による人種差別の産物であった。「八紘一宇」(天皇の威光を世界の八方に拡げ一つの家にする)を旗印に掲げた超国家主義の軍部独裁による「聖戦」は、まさに欧米諸国の模倣であった。しかも国内では、天皇の名の下に一切の自由を抑圧して無謀な戦争へ突入し、民衆を赤紙一枚で戦場へ駆り立てた。治安維持法、不敬罪、宗教団体法などの悪法が次々に制定施行された。国民の人権は全く認められず法律で禁圧された。
 こうした社会を正当化する大日本帝国は、前述の通り疑似キリスト教というべき国家神道を根底にしていた。植民地獲得の戦争を聖戦と信じさせるために国家神道が果たした役割は大きい。
 
 明治以来の大日本帝国は欧米の尻馬に乗って、欧米に遅れじと武力による植民地獲得と支配の野望を追求しようとした。しかし、満州・中国への勢力拡大が英米両国の利害と衝突するのは当然であった。ついにアメリカは日本に対して石油の禁輸を通告し、満州・朝鮮・中国における権益からの全面的な撤退を要求した。この強硬な外交方針が日米開戦の直接的なきっかけとなった。
 
 日本人だけでも310万人の死者と都市の破壊、衣食住の苦難を国民に与えた軍部政権が敗戦によって崩壊したことは、結果として民主主義による再生を可能とした。それまで日本人の心を縛っていた国家神道は憑きものが落ちたように忘れ去られた。
 皇室以外に身分制度はなくなり、天皇も人間宣言をして権力から分離された。男女同権、差別撤廃、農地解放、福祉充実など自由・平等の政策が推進された。その代わり、それまで日本人の心を一つに結集していた天皇を中心とする一体的観念(アイデンティティ)が失われ、精神的な空白状態が今に至るまで続いている。
 戦後の日本人は、戦時中に味わった困窮の裏返しで、経済的・物質的繁栄を目標に走り続けてきた感がある。
 
 本来、自由とは“権力からの自由”であり、平等とは“人権の平等”を意味している。この民主主義の原則をはき違えて、社会を無視して己れの欲望を満足させる自由や、努力を無視して結果の平等を求める現状では、社会の混乱が増大するばかりである。
 本来の日本の伝統は、一神教を基盤とする欧米と違って、自然・社会と自分が一体となって共生する多神教的な「和」のシステムにあることを改めて想起しなければならないと思う。
                          (2007.6.27/文責:管理人)
 
<参考文献>
村上重良『国家神道』(岩波新書・1971)
 国家神道についての客観的な論文は、上記の村上氏の本しか見当たらない。過去を「水に流す」日本人の体質が、ここにも現れている。敗戦と同時に、それまで大日本帝国の精神的基盤となっていた神道は敝履(破れた履物)のごとく捨て去られたのである。
 


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