釈尊の仏教

釈尊の生涯 五時八教 仏教の流転

第二章 釈尊の教え

法 華 経

 釈尊は成道を遂げた後、四十二年間の間、衆生の機根に応じて多くの経々を説きました。しかし、これらの諸経は「法華経」という最勝真実の教えに導くための”方便(権の教え)”であったと、釈尊は述べられています。
すなわち法華経の『方便品第二』に、
「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」(開結124)
と説かれ、また『法師品第十』にも、
「此の経は、方便の門を開いて真実の相を示す」(開結328)
と説かれるように、法華経こそが真実無上の教えであることを明かされています。
法華経の漢訳と題号  
法華経の漢訳

 法華経の原本は、インドの各地で発掘されていますが、これらはすべて古代インドの言語であるサンスクリット語(梵語)で書かれており、それぞれの内容に大小の違いがありました。また、それぞれの梵本に従って、後代の僧侶らが自国の言葉に翻訳し、次の六種の漢訳本が生じました。

 一、『 法 華 三 昧 経 』(六巻)  ・正 無 畏(しょうむい) 訳 ・魏の時代(二五六年)
 二、『 薩 曇 分 陀 利 経 』 (六巻)  ・竺 法 護(じくほうご) 訳 ・西晋時代(二六五年)
 三、『 正  法  華  経   』(十巻)  ・竺 法 護(じくほうご) 訳 ・西晋時代(二八六年)
 四、『 方 等 法 華 経 』(五巻)  ・支 道 根(しどうこん) 訳 ・東晋時代(三三五年)
 五、『 妙 法 蓮 華 経 』(八巻)  ・鳩摩羅什(くまらじゅう) 訳 ・後秦時代(四〇六年)
 六、『 添 品 法 華 経 』(七巻)  ・闍那崛多(じゃなくった)・笈多(ぎゅうた)訳 ・随の時代(六〇一年)

 このうち,『正法華経』『妙法蓮華経』『添品法華経』の三訳の経典が現存していることから、法華経の漢訳本のことを「六訳三存」といいます。なかでも鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『妙法蓮華経』は、内容・文体ともに優れ、釈尊の真意をもっとも正しく伝える経典として広く用いられています。

法華経の題号

 『妙法蓮華経』は五世紀のはじめ、中国・後秦(姚興(ようこう))の代に鳩摩羅什(羅什三蔵(らじゅうさんぞう))が梵語の経題「Saddharmapundarika-sutra(音写文字=薩達磨(さだるま)芬陀梨伽(ふんだりか)蘇多覧(そたらん))」を漢訳したものです。
それは、
「Sad=薩」を、「正しい」「不思議な」「優れた」等の意から”妙”
「dharma=達磨」を、「教え」「真理」の意から”法”
「pundarika=芬陀梨伽」を、「因果倶時・清浄な白蓮華」の意から”蓮華”
「sutra=蘇多覧」を、「仏の説いた教典」の意から”経”
としたもので、これらのことから法華経の題号である「妙法蓮華経」とは、「仏の悟られた真理」を意味するものであることがわかります。

 さらに中国の天台大師は『法華玄義』において、妙法蓮華経の五字を名・体・宗・用・教の五重玄のうえから解釈し、妙法にそなわる深遠な意義を説示されています。

       
法華経の会座 ―二処三会―

 法華経の会座(説法の場所)について『序品第一』に、
 「仏、王舎城耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の中に住したまい」(開結55)
とあるように、法華経は中インドの摩竭陀国(まかだこく)の首都・王舎城の東北に位置している耆闍崛山(ぎしゃくっせん)で説かれました。耆闍崛山(ぎしゃくっせん)とは梵語の「Grdhrakuta-parvata」に音写文字を充てたもので、「霊鷲山(りょうじゅせん)」のことをいいます。

 釈尊は法華経をこの「霊鷲山(りょうじゅせん)」で説きはじめ、次に会座を「虚空」へ移して肝要の法を説き明かし、再び「霊鷲山」に戻って滅後の流通のための教えを説かれました。

 このように説法の場所が「霊鷲山」と「虚空」の二カ処で、その法会が「前霊鷲山」「虚空」「後霊鷲山」の順で三回にわたって行われたことを「二処三会(にしょさんね)」といいます。
 

       
法華経の構成と各品の大意

 法華経は一部八巻二十八品から構成されていますが、開経(かいきょう)の『無量義経(むりょうぎきょう)』一巻と、結経(けっきょう)の『観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょうぼうきょう)』一巻とを加えて、「法華三部経」とも「法華経十巻」ともいわれます。

 法華経『序品(じょほん)第一』から『安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四』までの前半十四品を「迹門(しゃくもん)」といい、後半の『従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五』から『普賢菩薩勧発品第二十八』までの十四品を「本門」といいます。

 本門の「本」とは、仏・菩薩の本来の境地(本地)、またその本体を指し、迹門の「迹」とは、本地・本体に対する影(垂迹)の意味で、仏・菩薩が衆生済度のため種々に化身を現すことをいいます。 また「門」とは、真実の教えに入るとの意です。

 なお、法華経は「序分」「正宗分」「流通分」の立て分けをもって説法されており、序分とは序論、正宗分とは本論、流通分とは教法を後世に流布することをいいます。

○迹門十四品

 序品(じょほん)第一は法華経二十八品の序分(総序)であるとともに、迹門の別序にあたります。

 この品では、釈尊は大衆を前にして『無量義経』を説いた後、三昧に入られ、不思議な瑞相を現ぜられました。これに驚く弥勒菩薩らの疑問に対し、文殊菩薩は、この瑞相は過去の日月燈明仏が示したものと同じであり、釈尊も同様にこの三昧から起たれた後に法華経を説法されるであろうと答述しています。

 方便品(ほうべんぽん)第二では、三昧より起たれた釈尊が、問われることなく自らすすんで説法(無問自説)を開始し、舎利弗(しゃりほつ)に対して諸法実相・一念三千の法門を明かされました。

 その後、五千人の上慢の四衆が退座して純実な衆生のみになったことにより、仏はこの世に出現せられた「一大事因縁」ろ示され、その目的が衆生に仏知見を開かしめ、示し、悟らせ、入らしめんとする(開示悟入)ことにあると説かれました。

 そして、五仏(総諸仏・過去仏・現在仏・未来仏・釈迦仏)はすべて、衆生を教化するために、必ず前に方便の三乗法を説いて衆生の機根を調え、最後に一仏乗の法華経を本懐として説くことを明かされました。

 譬喩品(ひゆほん)第三は二段に分けられ、前半は『方便品』の諸法実相の妙理である開山顕一(かいさんけんいち)を信解した上根の舎利弗(法説周)に対し、釈尊は未来世での成仏を約束され(記別)、さらに後半では、未領解の四大声聞(迦葉(かしょう)・目連(もくれん)・須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん))に対し、「三車火宅の譬」をもって開山顕一の法門を理解させようとしました。
 なお、この品末には十四種の法華誹謗(十四誹謗)が説かれています。

 信解品(しんげほん)第四では、中根の四大声聞(譬説周)が、前品の譬喩を領解したことを「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬」をもって述べています。この譬えは、窮子が父の長者によって徐々に教化される姿をとおし、四大声聞が釈尊一代の説法を五時(華厳・阿含・方等・般若・法華)に分別して理解した旨を述べたものです。

 薬草喩品(やくそうゆほん)第五では、前品で四大声聞が「長者窮子の譬」をもって領解したのに対し、釈尊はその理解力を誉め、さらに仏の功徳の甚大なることを一段と深く理解せるために、大雲による雨の潤いで育つ「山草二木の譬」を説かれました。

 この譬えは、「本来、仏の実相の法は一相一味であるが、衆生の境界に三乗・五乗と差別があるために受ける功徳は異なる」ことを示され、そのうえで一仏乗の法華経によって、すべての衆生が平等に成仏できることを説かれたものです。
 この品の前半には、「現世安穏。後生善処」(開結217)として、法華信仰の功徳を示されています。

 『授記品(じゅきほん)第六では、仏が前品の譬えを聞いて領解した中根の四大声聞に、未来世における成仏の記別を授けて譬説周の説法を終了します。

 化城喩品(けじょうゆほん)第七では、前の法説・譬説で理解できなかった下根の声聞衆(因縁説周)に対し、久遠三千塵点劫以来の宿世の因縁を説いて得道させようとします。

 前段では三千塵点劫の久遠における大通知勝仏の法華経の説法と、その子供である十六王子が十万の国土に赴いて法華経を再び講説(大通覆講)して大衆に結縁したことを説かれ、十六番目の王子が娑婆世界で成仏した釈尊であることを明かされました。後段ではこの因縁を「化城宝処の譬」として示し、小乗教で説いた二乗の涅槃が真実でないことを明かして一仏乗に引入することを説かれています。

 五百弟子授記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八では、次の『授学無学人記品第九』とともに、前の『化城喩品』の譬えを聞いた下根の声聞衆(因縁説周)に、未来において成仏できるとの記別が与えられます。

 はじめに釈尊は、まず下根の声聞衆を代表して富楼那(ふるな)に記別を与え、次いで千二百人の声聞が授記を念願していたことを知り、別して五百人に同一名号をもって同時に授記されました。さらにまた、この座にいない一切の声聞衆に対して、迦葉(かしょう)をつうじて授記を託しています。

 品末には、この五百人が歓喜し、「貧人℃(びんにんけいじゅ=衣裏珠)の譬」を述べ、領解の意を表しています。

 授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第九では、下根の声聞衆の願いに対して、釈尊はまず阿難(あなん)・羅p羅(らごら)にそれぞれ記別を授け、さらに二千人の声聞には、同一名号を与えて授記されました。この学無学の「学」とは有学の意で、いまだ惑いを断尽できず、真理を修学追求している声聞衆をいい、「無学」とは、惑いを断じ尽くしてこれ以上学ぶ必要のない阿羅漢果(あらかんが)の人を指します。

 法師品(ほっしほん)第十では、滅後の法華経弘通の功徳深重を説き、その弘経を勧めています。

 ここには法華経を受持・読・誦・解説・書写するという「五種法師」と、所持する法の「已今当(いこんとう)の三説超過」が明かされ、さらに弘経の方軌として「衣・座・室の三軌」が説かれています。

 見宝塔品(けんほうとうほん)第十一では、空中に多宝如来の七宝の大塔が涌現したことにより、釈尊は、神通力によって会座を霊鷲山(りょうじゅせん)から虚空に移し、「虚空会」の説法が開始されます。 この多宝塔の出現には、多宝如来がこれまでに説かれた迹門正宗八品の真実を証明する「証前」の意義と、後の本門寿量品における釈尊の久遠本地の開顕を起こす「起後」の意義とが含まれています。

 また釈尊は、滅後の妙法弘通の誓願を勧めるために「三箇の勅宣」を説かれました。なかでも第三の諫勅(かんちょく)では法華経を持つことの難しさを「六難九易(ろくなんくい)」の譬えをもって示されています。

 提婆達多品(だいばだったほん)第十二には、悪人提婆達多(だいばだった)の未来世での成仏と、畜身竜女の即身成仏(女人成仏)が説かれ、法華経の功徳の深重を証し、滅後の妙法流通を勧めています。

 まず前段で釈尊は、自身と提婆達多が過去世において弟子と師匠の関係にあった因縁を明かし、後段で文殊菩薩の海中弘経によって、八歳の竜女が即身成仏したことを大衆に示されました。この両者の成仏は、滅後の衆生に対して妙法弘通を諫暁(かんぎょう)したことから「二箇の諫暁」といい、前の『宝塔品』の「三箇の勅宣」と合わせて「五箇の鳳詔(ほうしょう)」ともいわれています。

 勧持品(かんじほん)第十三では、前の『宝塔品』で滅後の弘経を勧めたことにより、此土弘通を誓願する二万の菩薩や、悪世の娑婆を恐れて他土での弘通を誓う声聞衆(初心の菩薩)が出ました。また八十万億那由佗(なゆた)の菩薩たちは、釈尊に対して十方世界に弘経することを命じてほしいと求めました。しかし、仏が黙然としていたため、菩薩たちは不退転の誓いを二十行の偈頌(げじゅ)にして明らかにしました。この二十行の偈には、滅後の弘経に対して三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢)が現れても、「我不愛身命 但惜(たんじゃく)無上道」(開結377)の誓言をもって、弘通することが述べられています。

 安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四では、此土弘通を恐れる初心の菩薩がでたことにより、これを心配した文殊菩薩は、濁悪世(じょくあくせ)の末法で安楽に修行する方法を尋ねました。これに対して釈尊は、滅後濁悪の世における初心の菩薩の修行を、身・口・意・誓願の四安楽行として示し、妙法弘通の方軌を摂受の修行のうえから具体的に説かれました。またこの品の後半には「髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の譬」が説かれ、法華経が一切の教えの中で最勝の経であることが示されています。

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○本門十四品


 従地涌出品(じゅうちゆっじゅっぽん)第十五では、他方の国土より来集した迹化の菩薩たちが、釈尊滅後の娑婆世界(此土)の弘経を願い出ますが、釈尊はこれを制止して、大地より無数の本化地涌の菩薩出現させます。

この地涌の菩薩の上首は上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩で、師である釈尊よりも威厳をそなえていました。

一座の大衆は今までに見たこともないこれらの菩薩に対して疑念を懐き、弥勒菩薩が代表して釈尊に質問をすると、釈尊は久遠以来、これらの菩薩を教化したことを簡略に明かしました
これを「略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)」といいます。
 この『涌出品』からは「本門」といわれ、釈尊の本地が明かされることになります。

 『如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六では、冒頭、仏が教説を信受すべきことを三度誡め、菩薩たちが三度説法を請うという三誡三請(さんかいさんしょう)、さらに請い、重ねて誡めるという重請重誡(じゅうしょうじゅうかい)からはじまります。このことは、『方便品』の三止三請・重請許説(じゅうしょうこせつ)よりもさらに丁寧なもので、これからなされる仏の説法がいかに重要であるかを示唆するものです。

 その説法とは、釈尊はインドにおいてはじめて悟りを得た「始成正覚」の仏ではなく、実は五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)という久遠の昔に成道した「久遠実成」の仏であることを、本因・本果・本国土の三妙を説いて具体的に示し、仏の久遠本地と三世の常住を明かされたものでした。

 この仏の久遠開顕は「広開近顕遠(こうかいごんけんのん)」といい、これまでの仏身に対する認識を根底から覆すものでした。 これによって、事の一念三千の法門が明かされ、一切衆生の成仏も具体的となりました。
この意義から『寿量品は、』は、法華経の中において、もっとも肝要な一品であるとともに仏教全体の眼目となるのです。
 当品では続いて、仏の三世常住を「良医病子(ろういびょうし)の譬」として説かれ、さらに「自我偈」でこれらを重説されています。

 『分別功徳品(ふんべつくどくほん)第十七』の前半では、寿量品で多くの人々が仏の寿命の長遠を聴いて大利益を受けたことが説かれ、その功徳に種々の違いや浅深があることから、分別して示されています。ここでは、弥勒菩薩が仏からの授記を領解したことを述べ、本門の正宗分が終了します。

 後半は、弘経者のための「現在の四信」(一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成(じんしんかんじょう))と、「滅後の五品」(随喜品・読誦品・説法品・兼行六度品・正行六度品)が説かれ、その功徳の甚大さと修行の段階が示されています。

 『随喜功徳品(ずいきくどくほん)第十八』では、前品に説かれた「滅後の五品」の中の随喜品についてさらに「五十展転(てんでん)随喜の功徳」として評説されています。 

これは、仏の滅後に法華経を聞いた人が随喜して他の人に法を伝え、その人がまた随喜して次に伝え、次第に展転して五十番目の人に至ることをいいます。この五十番目の人が法華経の一偈を聞いて随喜する功徳でさえ、八十年にわたって一切衆生に多くのものを布施したり、阿羅漢果(あらかんが=小乗の悟り)に導いた人の功徳よりも甚大であると説かれています。化他のない五十番目の人であっても大きな功徳があることから、ましてや自行化他の功徳が、いかにはかり知れないかを明かされています。

 『法師功徳品(ほっしくどくほん)第十九』では、法華経を受持・読・誦・解説・書写するという「五種法師」の修行の功徳が説かれています。 この修行によって、具体的に眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(み)・意(い)の六根が清浄(しょうじょう)となる功徳が得られることを示し、滅後の弘経を勧められています。

 『常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)第二十』では、法師功徳品によって明かされた六根清浄の果の功徳に対し、その因の修行が説かれています。 すなわち六根清浄を得るには、難を忍んで弘経すべきであることを教えられ、釈尊の過去世における常不軽菩薩としての但行礼拝(たんぎょうらいはい)の修行を示しました。

 当時の四衆(比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい))は、この不軽菩薩を迫害したことにより、千劫の間、阿鼻地獄に堕ち、大苦悩を受けました。

 このように、法華経を受持信行する人の功徳と、持経者を毀謗(きぼう)する罪業を示すことによって、未来における弘経を勧められています。

 『如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一』では、前品までに法華経流通の広大な功徳を聴いてきた本化(ほんげ)地涌の菩薩たちが、仏滅後の弘経を誓願しました。 そこで仏は、まず十種の大神力を現じ、次いで上行菩薩を筆頭とする地涌の菩薩に対し、特別に法華経の滅後弘通を付嘱されました。 

これを「別付嘱」といい、称歎(しょうたん)付嘱・結要(けっちょう)付嘱・勧奨(かんしょう)付嘱・釈(しゃく)付嘱の四段からなっています。特に「結要付嘱」においては、法華経の肝要を「要を以て之を言わば、如来の一切の所有(しょう)の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(開結513)と、四句の要法に括って法華経の肝要を上行菩薩に付嘱されています。

 『嘱累品(ぞくるいほん)第二十二』では、迹化の菩薩や一会の大衆にも総じて法華経を付嘱されました。これを「総付嘱」といいます。やがて付嘱の大事を終えられた仏は、十方より来集した分身の仏に対して各々の本土へ還ることを命じ、宝塔を閉ざされました。ここにおいて『見宝塔品第十一』よりはじまった「虚空会」の儀式は終了し、説法の会座は再び霊鷲山(りょうじゅせん)に移されることになりました。

 『薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三』では、薬王菩薩が過去世において仏への報恩のためにあらゆる供養を捧げ、最後に焼身供養し、再び生まれて焼臂(しょうひ)供養することなど、不惜身命に徹して法華経を実践することの重要性が説かれています。そして法華経が他の経典より優れて最上最尊であることが十種の譬えによって明かされ、さらに「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布」(開結539)と、仏滅後の末法に法華経が必ず流布することを予証されています。

 『妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)第二十四』では、妙音菩薩が教化の対象に応じて三十四種に身を示現し、娑婆世界のあらゆる場所で法華経を説いて衆生を救護(くご)することが説かれ、法華経の流通が勧められています。
この妙音菩薩の三十四身の示現は、衆生に対して、滅後に法華経を説く者がどのような姿であっても軽蔑の心を起こしてはならないと誡められたものであり、さらに法華経を行ずる者が衆生を救済するため、あらゆる姿に身を現じて法を説くことができると教えられたものです。

 『観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五』では、観世音菩薩が三十三身を示現して衆生を救済するという化他流通が説かれています。これは前品の妙音菩薩と同様に、観世音菩薩が衆生の機に応じて姿を現じたもので、これを「普門示現」といいます。普門とは、普(あまね)く一切衆生を解脱の門に入れる意で、この妙用を垂れることによって衆生を済度するのです。

 『陀羅尼品(だらにほん)第二十六』では、薬王菩薩・勇施(ゆぜ)菩薩・毘沙門(びしゃもん)天王・持国(じこく)天王・十羅刹女(じゅうらせつにょ)の五番善神が陀羅尼(神呪(しんしゅ))を説いて滅後の法華経の行者を守護することを仏前に誓い、法華経の流通を勧めています。

 「陀羅尼」とは「総持」と訳され、これは一字の中に無量の義を含んでいることを表しています。また善を持ち悪を遮るとの意から「能持能遮(のうじのうしゃ)」とも訳されます。

 『妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)第二十七』では、薬王菩薩・薬上菩薩の過去世の因縁が説かれています。それは、浄蔵(後の薬王菩薩)・浄眼(薬上菩薩)が、母の浄徳夫人(妙音菩薩)とともに、外道を信じていた父・妙荘厳王を仏のもとに導き、法華経に縁を結ばせたというものです。

 この品では、浄蔵・浄眼の二人の姿をとおして、正法を護持し流通することの大事が示されるとともに、「盲亀浮木(もうきふもく)の譬」と「優曇華の譬」をもって、仏に値(あ)うことの難しさを説いています

 『普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぱつぼん)第二十八』では、法華経の締め括りとして普賢菩薩が現れ、仏の滅後にどのようにすれば法華経の悟りを得ることができるかと質問し、仏の説法を請願します。そこで仏は、一には諸仏に護念され、ニには諸の徳本を植え、三には正定聚(しょうじょうじゅ)に入り、四には一切衆生を救う心を発(おこ)す、との四法を成就すべきことを説かれました。

この説法を聴いた普賢菩薩は、悪世末法において法華経を受持する者を守護し、法華経の教法を守護することを誓います。最後に仏は、末法において普賢菩薩が法華経を守護することを讃歎(さんたん)し、衆生が法華経の弘通者を敬うべきことを説きました。

 こうして仏の説法が終わり、大衆は歓喜し礼を作(な)して法座から去り、法華経二十八品のすべてが終了します。

 なおこの品は、法華経を要約して再び説かれたことから「再演法華」ともいわれています。

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法華経の特長

 法華経の特長は、迹門において、爾前経では永久に成仏できないとされていた二乗の成仏が示されたこと、また本門において、インドに誕生した釈尊の本地が久遠にあったことを明かされたこと、さらに仏が衆生を化導する始終(順序)を説き明かされたことが挙げられます。


迹門の特長
 ―二乗作仏(開山顕一)

 法華経迹門の特長は、爾前経では成仏できないとされてきた声聞・縁覚の二乗に対し、成仏の記別が与えられたことにあります。 これを「二乗作仏」といいます。

 仏は、はじめ小乗教において二乗の修行法を説かれましたが、次の権大乗教に入ると、自己の解脱のみに執着して利他の慈悲心に欠ける二乗を、永久に成仏できない「永不成仏(ようふじょうぶつ)」の衆生として弾劾・呵責されました。

 しかし、法華経に至ると、迹門『方便品第二』において、
 「唯仏と仏とのみ、乃(いま)し能く諸法の実相を究尽(くじん)したまえり。所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等」(開結89)

と諸法である森羅万象はことごとく十如実相の当体であるという「諸法実相・一念三千」の法理が明かされたことによって、一切衆生の成仏の可能性が理論のうえに説き示されました。この理の一念三千の法理により、二乗といえども隔絶されるものではなく、他の衆生と同じく成仏することができることとなったのです。

 このことは、法華経以前に三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)を差別して説いてきた教えを方便として払い、法華経こそ一乗真実の教えであることを略して顕示したもので、「略開三顕一」といいます。

 この略開三顕一の説法に疑いをもった弟子の舎利弗(しゃりほつ)が、大乗を代表して釈尊に真実の開顕を再三にわたって請願したことに対し、これに応えて説かれたのが「広開三顕一」です。

 広開三顕一の説法では、まず仏の出世の目的は一大事因縁をもって、一切衆生に仏知見(仏の智慧)を開かしめ、示し、悟らしめ、入らしめて清浄なる境界(成仏)を得せしめることにあると宣説され、次いで、法華経以前に三乗格別の教えを説いたのは一仏乗に導くための方便であったことを述べられています。さらに、

 「十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し」(開結110)
と仏の真実の教えは二乗・三乗にはなく、ただ一乗の法のみにあることを明かされたのでした。
 
 この広開三顕一の法門は、『方便品第二』の諸仏世尊の出世の一大事因縁を明かす長行の段から、『授学無学人記品人気品第九』までの八品にわたり、三周(法説宗・譬説周・因縁説周)の説法をもって、二乗が作仏することを明かされています。

 まず、上根の舎利弗(法説宗)は、法華経の甚深の義を領解して未来に成仏する記別(証明)を受け、続いて中根の四大声聞(譬説周)は、三車火宅の譬喩(ひゆ)説を聞いて領解したことにより授記され、下根の二千五百余の声聞(因縁説周)は過去世からの因縁を聞いて領解することができ、ついに記別を受けることができました。

このように法華経迹門においては、爾前経で否定されたきた二乗の成仏がはじめて許されただけでなく、さらに『法師品第十』に凡夫の成仏、『提婆達多品第十二』に悪人・女人の成仏も説かれたのです。

 ここに一念三千の法門が確立され、二乗作仏を中心とする一切の九界の衆生の成仏が可能となって、一念三千の法門が確立されたのが、法華経迹門の特徴といえます。


本門の特徴
―久遠実成(開近顕遠(かいごんけんのん)―

 釈尊は、爾前経や法華経迹門において、インドで誕生し三十歳で成道したという「始成正覚」の立場で法を説かれましたが、法華経本門の『寿量品第十六』において、
 「我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由佗劫(なゆたこう)なり。譬えば五百千万億那由佗阿僧祇(あそうぎ)の三千大千世界を云々」(開結429)
と久遠五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)という昔にすでに成道していたとする本地(仏の真実の相)を明かされました。
これを「久遠実成」といい、この久遠実成が明かされる法門を「開近顕遠(かいごんけんのん)」といいます。

 「開近顕遠」とは法華経本門ではじめて説かれる重要な法門で、「近を開いて遠を顕す」と読み、釈尊が始成正覚の垂迹身を払って(開いて)久遠以来の本地を顕されたことを意味し、これはまた同時に爾前迹門までの教えを方便として退け、仏の真実の教えを明らかにされたことでもあります。

 釈尊はこの久遠実成の具体的な内容を『寿量品』において、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙をもって明かされています。
 
 まず久遠実成という本果について、
 「我成仏してより已来(このかた)、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」(開結433)

と、釈尊が仏果を感じたのは久遠の昔であると明かされ、さらにその仏の寿命は不滅常住であると示されています。そして成道の本因について、
 「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」(開結433)

と、久遠の過去に菩薩道を行じたことを明かされ、成道の本国土について、
 「我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」(開結431)

と、常にこの娑婆世界で衆生を教化してきたことを説かれています。

 このように娑婆世界有縁の仏は釈尊であり、なおかつ仏の生命は三世常住であると説かれたことにより、仏と衆生とはかけ離れた存在ではないことが明らかとなったのです。
 これらによって、事実のうえに一念三千の法門が明かされ、衆生の成仏が現実のものとなったことが本門の特徴です。

 ―化導の始終(種熟脱の三益)―

 法華経には衆生を得脱させるための化導の始終(順序)として、下種益(げしゅやく)・熟益(じゃくやく)・脱益(だっちゃく)という三つの得益(とくやく)が示されています。下種益とは、仏が衆生の心田(しんでん)に仏種(ぶっしゅ)を下すことをいい、熟益とは、その仏種 を成長させて機根を調熟(じょうじゃく)させることをいい、脱益とは、仏種が実を結び衆生が得脱して仏の境界に至ることをいいます。

 法華経以前の諸経では、このような下種より得脱するまでの三益が説かれず、一切衆生の成仏は明かされませんでした。
 この三益は、法華経の迹門と本門とにそれぞれ説かれ、まず迹門では、『化城喩品第七』において、三千塵点劫という久遠に大通知勝仏(だいつうちしょうぶつ)の子である十六王子が、父王から聞いた法華経を再び講じたこと(大通覆講)が説かれ、その十六番目の王子がインド応誕の釈尊であり、化導されてきた無数の衆生こそ、眼前の弟子たちであるとの宿世の因縁が明かされました。

 このことは釈尊が衆生済度のため、久遠三千塵点劫の昔に下種をし、それ以後、法華経迹門までの間に仏種を調熟し、そして未来に得脱するであろうという化導の始終を示されたものです。

 しかし、これらのことを久遠実成が明かされた本門の立場からみれば、迹門ではいまだ仏の本地が明かされていないため、調熟の段階となり迹門熟益の法門となります。

 そして本門において、『如来寿量品第十六』ではじめて仏の久遠の本地が明かされ、その仏によって衆生は久遠五百塵点劫に下種を受け、三千塵点劫の大通知勝仏、及び爾前四十余年と法華経迹門の間に調熟され、『寿量品』で得脱するという化導の始終が示されました。これを本門文上の脱益の法門といいます。

 これらのことをもって、釈尊の化導における種・熟・脱の三益が明かされ、衆生の得脱の相が示されたのです。

法華経の付嘱 ―別付嘱と総付嘱―
 釈尊は、自身の滅後における妙法弘通のために法華経において二つの付嘱を明らかにされました。
付嘱とは相承・相伝と同義で、仏(師匠)が弟子に法を授けて、その法の伝持と弘宣を託すことです。

 法華経の付嘱は、『神力品第二十一』の別付嘱と『嘱累品第二十二』の総付嘱ですが、その起こりは『宝塔品第十一』からはじまります。

 釈尊が『宝塔品』で多宝塔涌現の後、
 「誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん」(開結347)

と仏滅後の此土弘経を勧められたことに対し、『勧持品第十三』では、二万の菩薩が此土に、五百羅漢・学無学の八千の声聞が他土に、八十万億那由佗の菩薩が十方世界にそれぞれ弘経を誓願しました。
しかし釈尊は、『涌出品第十五』で、
 「止みね、善男子」(開結408)

と、これら迹化の菩薩等の申し出を止め、上行等の本化地涌の菩薩を涌出させました。
 そして『如来寿量品第十六』で久遠の本地を明かされた後、『如来神力品第二十一』で、
 「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(開結513)

と、法華経の肝要を「四句の要法」に括って、上行等の地涌の菩薩に付嘱されました。この付嘱を「結要付嘱」といい、本化地涌の菩薩だけに特別になされたものなので「別付嘱」といいます。

 次いで釈尊は、『嘱累品第二十二』で、
 「爾(そ)の時に釈迦牟尼仏、法座より起って、大神力を現じたもう。右の手(みて)を以て、無量の菩薩摩訶薩の頂を摩(な)でて(中略)今以て汝等に付嘱す」(開結518)

と、本化・迹化の無量の菩薩に総じて法華経を付嘱されました。これを「総付嘱」といいます。ただし釈尊は、迹化の諸菩薩には正・像二千年の法華経弘通を付嘱されたのみで、滅後末法の弘通は許されませんでした。

 したがって、滅後末法においては、『神力品』で結要付嘱(別付嘱)を受けられた上行菩薩が出現して弘通されることとなります。

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