日蓮正宗における著述及び書籍

日蓮大聖人の十大部御書


しょうほっけだいもくしょう  ぶんのう
唱法華題目抄
 ―文応元年(1260)五月二十八日 三十九歳―
          なごえ
この書は鎌倉の名越において述作され、十五の問答形式から成っています。
                  ひぼう                  しじゅうよねん   みけんしんじつ
内容は、正法である法華経を誹謗する浄土宗の邪義を破折し、「四十余年 未顕真実」の経文によって
ごんじつそうたい                             ようどう
権実相対を明かし、妙法の題目が成仏の要道であることを説かれています。また弘教方法について、
    しょうじゅ       しゃくふく
末法は摂受ではなく折伏のときであることを説示されています。

 
りっしょうあんこくろん  ぶんのう
立正安国論
 ―文応元年(1260)七月十六日 三十九歳―
                             ときより  そうしん          かんぎょう
立正安国論は、ときの最高権力者であった北条時頼へ奏進された国家諌暁の書で、題号の「立正安国」とは、
           やす
正法を立てて国を安んずるという意です。この書は、主人と客の問答形式をもって構成されています。
                           ちよう  ききん  えきびょう     さんさいしちなん
内容は、当時の日本国中を襲っていた天変地夭・飢饉・疫病などの三災七難の起こる原因について、
          すうはい                                           かっぱ      いせいしゃ         すみ
一国を挙げて崇拝している念仏をはじめとする邪宗邪義にあると喝破され、為政者に対して速やかに
             き え
邪教を捨てて正法に帰依すべきことを説かれています。
 

かいもくしょう   ぶんえい
開目抄 
―文永九年(1272)二月 五十一歳―
          はいる                        つかはらさんまいどう
この書は佐渡に配流(はいる)されて間もなく、塚原三昧堂において述作され、四条金吾をはじめとして
                                       もうまい
門下一同に与えられたものです。題号の「開目」とは、仏法に無知蒙昧な一切衆生の盲目を開くの義で、
                               ないし                   せんじん
その内容は、上巻において五重相対をもって外道、乃至一代の諸経の勝劣浅深を判じ、下巻において
        しゅししん       けんび                                                            
大聖人こそ主師親の三徳兼備の仏であることを明かされたものです。
                     にんほんぞんかいけん
このことにより本書は、「人本尊開顕の書」とされています。


かんじんのほんぞんしょう  
観心本尊抄
 ―文永十年(1273)四月二十五日 五十二歳―
          いちのさわ                  ときじょうにん                          にょらいめつご
この書は佐渡の一谷において述作され、富木常忍のもとへ送られたものです。正式の題号は「如来滅後
ごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう
五五百歳始観心本尊抄」といい、その内容は、如来滅後の末法の一切衆生のために建立される観心本尊は、
      にんぽういっか
大聖人の人法一箇・南無妙法蓮華経の御本尊にほかならないことが、五重三段等の法義をもって明かされ
                     ほうほんぞんかいけん
ています。このことにより本書は、「法本尊開顕の書」とされています。


ほっけしゅようしょう
法華取要抄
 ―文永十一年(1274)五月24日 五十三歳―
      みのぶ                                   しょうぎょう
この書は身延において述作され、その内容は、一代聖教において法華経が最勝であることを示し、なかでも
じゅりょうほん
寿量品は大聖人のために説かれたものであることを明かされています。そして末法流布の大法は、法華経の
       さんだいひほう                                            こう  りゃく
肝要である三大秘法の南無妙法蓮華経であることを示し、法華経の広・略を捨てて要の法華経である妙法
                                                    ひさん  げんしょう
蓮華経の五字を取ることの大事を述べられています。また、邪教がはびこることによる悲惨な現証を挙げ、
           せんそう                                           かいだん
それは法華流布の先相であることを示されています。なお、当抄において「本門の本尊」「本門の戒壇」

「本門の題目」の三大秘法の名目がはじめて明かされました。

 
せんじしょう    けんじ
撰時抄
 ―建治元年(1275)六月十日 五十四歳―
                         せんじ    とき  えら
この書は身延において述作され、題号の「撰時」は時を選ぶという意です。
     しょうぞうまつ                                                             てんだい でんぎょう
内容は、正像末の三時における仏法流布の様相を示し、末法においては、いまだ天台・伝教大師が弘める
               じんぴ
ことのできなかった最大深秘の正法を、本仏たる大聖人が広宣流布すべきことを明かされています。
                      ぼうこく               はしゃく
さらに諸宗の中でも、特に真言宗が亡国の要法であると破折されています。


ほうおんしょう
報恩抄
 ―建治二年(1276)七月二十一日 五十五歳―
               しょほっしん        どうぜんぼう         えこう
この書は身延において、初発心の師匠・道善房への報恩回向のために述作されたものです。
           しおん                   さんぽう
内容は、はじめに四恩(父母・師匠・国主・三宝の恩)に対する報恩感謝の重要性を述べられ、次に真言宗の
おうわく
誑惑を破折し、続いて三大秘法を整足して明らかにされ、最後に真実の報恩は妙法五字の信受と弘通にある

ことを示されています。


ししんごほんしょう
四信五品抄
 ―建治三年(1277)四月初旬 五十六歳―
                                   ふんべつくどくほん             ししんごほん         いちねんしんげ
この書は身延において述作され、その内容は、法華経の『分別功徳品』に説かれる四信五品(四信=一念信解・
りゃくげごんしゅ こういたせつ じんしんかんじょう        ずいき    どくじゅ   せっぽう   けんぎょうろくど   しょうぎょうろくど
略解言趣・広為他説・深信観成、五品=随喜品・読誦品・説法品・兼業六度品・正行六度品)について述べられ、
                                 くらい
このうちの一念信解と随喜品が末法の法華経の行者の位であり、南無妙法蓮華経と唱えることこそ、成仏が

叶う修行であると説かれています。


しもやまごしょうそく
下山御消息 ―建治三年(1277)六月 五十六歳―
           いなばぼうにちえい              かいのくに          しもやま       ひょうごごろうみつもと    
この書は、弟子の因幡房日永が、父親である甲斐国(山梨県)下山の地頭・兵庫五郎光基に信仰を反対
                                        かんぎょう
され、追放されたことにより、大聖人が日永に代わって筆述された諫暁書です。
                                                  むけん
内容は、当時の宗教界の誤りを指摘しつつ一国謗法の原因を明かされ、主に念仏無間地獄の義が説かれ、
           きえ           すす
大聖人の仏法に帰依することを勧められています。


ほんぞんもんどうしょう こうあん
本尊問答抄
 ―弘安元年(1278)九月 五十七歳―
       あわ          せいちょうじ   じょうけんぼう
この書は、安房(千葉県)清澄寺の浄顕房から本尊についての質問があったことに対して答えられたものです。
                         しょうれつ
内容は、諸宗の本尊と法華経の題目との勝劣を問答形式によって述べられ、特に真言宗の本尊を強く破折

され、法華経の題目こそが末法弘通の本尊であることを明かされています。

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