日蓮大聖人の仏法を理解するために

四 箇 の 格 言

 し か  かくげん      ねんぶつむげん ぜんてんま しんごんぼうこく りつこくぞく
四箇の格言とは、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」のことで、日蓮大聖人が当時流布して
                             たんてき
いた代表的な四宗(念仏・禅・真言・律)の誤りを端的に破折された言葉です。
          かんぎょうはちまんしょう
大聖人は『諫 暁 八 幡 抄』に、
                                                                        しょい                   たま
 「大難の来たれるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊との給
                                                       
 ふゆへなり」(新編 1540)
 
と仰せられています。
 
 
念 仏 無 間
                 えきょう            あ み だ ぶつ       とな  
念仏宗は、浄土の三部経を依経とし、本尊の阿弥陀仏の名を称えることによって、死後に阿弥陀仏
    さいほう
のいる西方極楽浄土に生れることができると説いています。
        ほうねん                            なげう                     き え
念仏宗の開祖法然は、法華経を「捨てよ・閉じよ・擲て」といって、法華経に帰依すること
                           しゃへいかくほう               ひぼう                しゃば
を否定しています。これに対して大聖人は、「捨閉閣抛」の義が正法を誹謗する邪説であり、娑婆世
                                        ごう
界に無縁である阿弥陀仏に執着する念仏宗の教えは、無間地獄の業であると断じられています。
 
 
禅 天 魔
      だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう                  ま か かしょう
禅宗では『大梵天王問仏決疑経』によって、釈尊から摩訶迦葉一人に法が付嘱されたとし、その法
                だるま
を禅宗の開祖の達磨(達磨大師)が付法蔵の第二十八祖として付嘱を受けたとしています。また、仏
          そと                                   いしんでんしん  そくしんじょうぶつ
の教えは経文の外に別に伝えられたものであるとして、「以心伝心」「即身成仏」を主張しています。

これに対し大聖人は、達磨が付法蔵の二十八祖であるとの説は仏説にないこと、『決疑経』等を用い
    ふりゅうもんじ                                                                       おの
ながら「不立文字」を主張することは自語相違であること、その『決疑経』が偽経であること、己れ
          ざぜん              ないがし                                      
の心を師とする坐禅は仏の教えを蔑ろにするものであることなど挙げて、その邪義を破折されてい
                              
ます。そして、
        きょうげ                          も              げどう
 「仏全く教外に別伝ありと仰せられず。若しありといはヾ外道の法なるべし、天魔の所説、正法
                                      
破滅の源なり」(禅宗天台勝劣抄 新編333)

と仰せられ、禅宗は仏教の中にも入らない天魔の説であると教示されています。
 
 
真 言 亡 国
                                    けろん
真言宗は、真言三部経を第一として法華経を第三の戯論と下し、また大日如来を最上の本尊と立て、
ちんごこっか
鎮護国家を祈っています。さらに『法華経』に説かれる一念三千の法門が、『大日経』にも説かれて
                           いん
いるとし、その理は同じであっても大日経には印と真言が説かれているから、事相のうえでは大日経
        すぐ           りどうじしょう
が法華経より勝れている(理同事勝)などと主張しています。
                  しょうごくふめい かくうぶつ
しかし大聖人は、大日如来が生国不明の架空仏であり、「理同事勝」の説も、もともと大日経には

説かれていない一念三千の義を法華経より盗み取ったに過ぎないこと、最上の法華経を第三の戯論と

下していることなどを挙げて、真言宗は衆生救済の根本である仏と法を倒す教えであり、亡国の教え

であると破折されています。
 
 
律 国 賊
                                                 しゅうぜ
律宗は、小乗教の二百五十戒等の戒律を根本の教義とし、この戒律を守ることを宗是としています。

これに対し大聖人は、これらの戒律は末法の衆生の機根には合わないものであり、現実から遊離し
    おうわく                                                              しょうじょう ととの
た世間誑惑の教えであると破折されています。そして、このような戒律を説いて清浄を装う律僧は人
   まど                             かっぱ
心を惑わし、国を亡ぼす国賊であると喝破されています。


                                           にちかん
これらの四箇の格言は、万代にわたる折伏の精神であり、第二十六世日寛上人は、

 「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり」
                                                    もんだん
                                        (如説修行抄筆記 文段608)

仰せられています。

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十 四 誹 謗 

     ひぼう 
十四誹謗とは、謗法の姿を十四種に分けて具体的に述べたものです。
       
日蓮大聖人は、
                 きょうまん     けたい      け が      せんしき      じょくよく     ふ げ      ふ
 「『悪の因に十四あり。一にC慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不
 しん    ひんじゅく     ぎわく       ひぼう        きょうぜん        ぞうぜん       しつぜん       こんぜん
 信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善 ・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり』      
                    わた
 と。此の十四誹謗は在家出家に亘るべし、恐るべし恐るべし」(松野殿御返事 新編1046)
 
と示されています。この十四誹謗の意味を概略すると、次のようになります。
                おご
@C慢 ― 正法に対して驕り、あなどること。
               おこた
A懈怠 ― 仏道修行を怠ること。
                               しゅうじゃく
B計我 ― 正法を自己の考えで推しはかり、我見に執着すること。

C浅識 ― 正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。

D著欲 ― 欲望に執着して正法を求めないこと。

E不解 ― 正法を理解しようとしないこと。

F不信 ― 正法を信じないこと。

G顰蹙 ― 正法に対して顔をしかめ、非難すること。

H疑惑 ― 正法を疑うこと。
            そし
I誹謗 ― 正法を謗ること。
                    けいべつ
J軽善 ― 正法を信受する者を軽蔑すること。
                    にく
K憎善 ― 正法を信受する者を憎むこと。
                    ねた
L嫉善 ― 正法を信受する者を妬むこと。
                    うら
M恨善 ― 正法を信受する者を恨むこと。
                             ひゆほん
これらを犯した者が受ける罪報について法華経『譬喩品第三』には、
                おんかん                         あ        おの  しゃたく
 「常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の悪道に在ること 己が舎宅の如く」(開結 180)
                                                きょうがい
と、常に地獄・畜生等の悪道に苦しみを受け、その悪道の中でしか生きられない境界になると明かさ

れています。

なお大聖人は、これらの中でも特に、
               たい   な
 「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(念仏無間地獄抄 新編39)
                                    いまし
と、十四誹謗の元となるのは「不信」であり、これこそもっとも誡めなければならないことであると

教えられています。

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