日蓮大聖人の仏法を理解するために

主 師 親 の 三 徳

しゅ し  しん
主・師・親の三徳とは、仏がそなえている三種の徳のことです。

日蓮大聖人は、この三徳について、
              そんぎょう                 いわゆる
 「一切衆生の尊敬すべき者三つあり、所謂、主・師・親これなり」(開目抄 新編523)
                               
と、すべての人々が尊敬すべきものとして示されています。
                                                       
主徳とは主人の徳で人々を守護する働きをいい、師徳とは師匠の徳で衆生を正しい道に導く働きを
   
いい、親徳とは親の徳で衆生を慈愛する働きのことをいいます。
  
これらの一分の徳をそなえた人は歴史上にも多く見られますが、大聖人は、
         たく                                                          ただ
 「かくのごとく巧みに立つといえども、いまだ過去・未来を一分もしらず(中略)但現在計りしれ
 
 るににたり」(開目抄 新編524)
                            
と、三世の因果に通達しなければ真実の三徳とはならないことを教示されています。          
     ひゆほん
釈尊は『譬喩品第三』に、
    こ              こ      う            そ            ことごと     わ   こ           しか
 「今此の三界は 皆是我が有なり(主徳)其の中の衆生 悉く是れ吾が子なり(親徳)而も今此の処
    げんなん    ただ              よ  く ご   な
諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す(師徳)」(開結168)
                                                    
と、仏こそが一切の人々を救済する三徳を兼ねそなえていると説かれています。
                                               じゅくだつ 
しかし、三徳をそなえるといっても、インドの釈尊は熟脱の教主であり、その教えは滅後二千年間

までの正法・像法時代の衆生のためのもので、末法今日の衆生を救済することはできません。

末法の衆生を済度する仏について大聖人は、
                                          じょうごう         こんしさんがい
 「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり(中略)三世常恒の日蓮は今此三界の主
                                       
 なり」(産湯相承事 新編1710)
         にん
と説かれ、また人本尊開顕の書たる『開目抄』においては、

 「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(新編 577)
                                      けんび
と、日蓮大聖人御自身こそ下種の教主、末法の主・師・親三徳を兼備する仏であることを明かされて

います。

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仏 ・ 法 ・ 僧 の 三 宝 
                           き え                    さんぽう
仏教では、一切衆生が尊敬し供養し帰依すべき対境として、三宝が立てられています。三宝とは、
                           しょうじょう                   あが 
仏宝・法宝・僧宝のことで、衆生を救い世を清浄に導くところから「宝」と崇められているのです。

「仏」とは真実の法を覚知し衆生を救済される教主をいい、「法」とは仏の悟りと慈悲に基づいて説

かれた教えであり、「僧」とはその仏法を後世に正しく譲り伝えていく僧侶をいいます。

この三宝の立て方は、教法によってそれぞれ異なりがあります。釈尊の仏法では、小乗・権大乗・
                                                    げしゅ
迹門・本門等にそれぞれ異なった三宝が説かれていますが、これらは釈尊によって下種された衆生
 ほんいうぜん
(本已有善)を熟脱させるためのものであり、末法の衆生を救済する三宝とはなりません。
                       ほんみうぜん                                         しんでん
仏種を植えられていない末法の衆生(本未有善)を救うことができるのは、ただちに衆生の心田に
       もんてい                            
仏種を下す文底下種の仏法です。
                                                                                 じ
この文底下種の仏法で立てる三宝は、久遠元初の御本仏日蓮大聖人を「仏宝」とし、事の一念三千
                       かいだん                                   ゆいじゅいちにん        じきじゅそうじょう
の南無妙法蓮華経である本門戒壇の大御本尊を「法宝」とし、大聖人より唯授一人の血脈を直授相承

された第二祖日興上人を「僧宝」とします。
          にちかん                        
また第二十六世日寛上人は、
                                               そうかんず
 「南無僧とは、若し当流の意は、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・
                 いちえんぶだい  ざ す                     ちゃくちゃく
 南無日興上人師。 南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」
                                            とうけさんねしょう
                                            (当家三衣抄 六巻抄225)

と仰せられ、大聖人以来の血脈を相承する御歴代上人も「僧宝」であることを示されています。この

僧宝の大事について日蓮大聖人は、
                      たと    たきぎ                             そうもく
 「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏
              
 法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」

                                            (四恩抄 新編268)
                                                      
と仰せられ、仏と法を正しく伝持する僧宝の持つ役割が極めて大きいことを教示されています。
   
したがって、日蓮正宗における三宝尊信の姿は、人法一箇の大御本尊を根本とし、唯授一人血脈相

承の御法主上人の御指南を信順していくところにあります。
            ひ ぼう   とが
なお、大聖人は三宝誹謗の失について、、
  およ                                 けんもん
 「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。 三宝一体なる故なり」(真言見聞 新編608)
                        そし
と仰せられ、三宝一体のうえから、法を謗ることは同時に仏や僧を謗ることであり、また僧を謗るこ
                          いまし
とは同時に仏と法を謗ることになると、厳しく誡められています。

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