日蓮大聖人の仏法を理解するために

三 類 の 強 敵

さんるい ごうてき                 じょくあくせ                   ひぼう
三類の強敵とは、滅後末法の濁悪世において法華経を誹謗したり、法華経の行者を迫害するために
      ぞくしゅうぞうじょうまん どうもん      せんしょう                                                  かんじほん
現れる「俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢」の三種類の邪悪な者をいい、これは法華経『勧持品
                    げもん
第十三』の二十行の偈文に説かれています。
 
第一の俗衆増上慢とは、
 もろもろ む ち          あっく め り          とうじょう
 「諸の無知の人の 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者有らん」(開結375)
   
とあるように、法華経の行者を悪口罵詈し、刀杖等をもって害を加える、仏法に無知な在家の人々(俗
  
衆)のことです。
  
第二の道門増上慢とは、
           び く     じゃち        てんごく    いま          こ           おも
 「悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心を充満せん」 

                                                       (開結375)
            ゆが
とあるように、邪智で歪んだ心を持ち、いまだ得ていない仏道を得たと称し、慢心を起こして法華経

の行者を迫害する宗教者(道門)のことです。

第三の僭聖増上慢とは、
     くぎょう                     ら かん                                             じ  おも
 「世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん 是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い(乃至)
    だいしゅう      あ            そし                                ば ら もんこ じ
常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向

って 誹謗して我が悪を説いて」(開結376)

とあるように、世の中から尊敬を受け、聖者のように思われながらも、内実は悪心を懐いて、法華経の

行者を誹謗・迫害する宗教者(僭聖)や権力者で、この増上慢は三類の中でももっとも強大な敵人です。
                                       
大聖人は、
                                    ただ
 「法華経の第五の巻、 勧持品の二十行の偈は (中略) 但日蓮一人これをよめり」

                                                 (開目抄 新編541)
                             るざい             たつのくち
と仰せられているように、御一代をとおして伊豆流罪・小松原法難・竜口法難・佐渡流罪等の大小さ
          あ                                           しんどく
まざまな法難に遭われ、『勧持品』の二十行の偈文をことごとく身読されました。

さらに大聖人は、
           だ じごく                 ひと                こえ                   たま
 「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人
           ごらん                  き                       にょせつ
 法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひ無し」(如説修行抄 新編673)

と仰せられているように、正法弘通には必ず三類の強敵が競い起こることを教示され、門下一同の覚

悟をうながされています。

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三 障 四 魔
さんしょうし ま                さまた                          ぼんのうしょう ごうしょう ほうしょう
三障四魔とは、仏道修行を妨げ悪道に至らしめる三種の障害(煩悩障・業障・報障)と四種の魔
       おんま  し ま  てんじ ま
(煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔)をいいます。
  
日蓮大聖人は三障について、
                 とん じん ち          しょうげ しゅったい
 「煩悩障と申すは貪・瞋・癡等によりて障碍出来すべし。業障と申すは妻子等によりて障碍出来す

べし。報障と申すは国主・父母等によりて障碍出来すべし」(兄弟抄 新編986)
                                                  さわ
と仰せのように、「煩悩障」とは貪・瞋・癡などの煩悩によって仏道修行が妨げられる障りをいい、
                  
「業障」とは、五逆・十悪などの業によって起こる障りで、妻子など身近な人が仏道修行を妨げること
                           ひぼう             むく
をいいます。そして「報障」とは、過去の正法誹謗などの悪業の報いとして受ける障りをいい、国
 
王・父母などの大きな力のあるものが仏道修行を妨げる姿となって現れてくることです。
                                       ぼだい              ち え
次に四魔の「煩悩魔」とは、煩悩が心を悩乱させ、仏道修行者が菩提を得ようとする智慧の命を奪
                                              しき じゅ そう ぎょう しき
う魔をいい、「陰魔」とは五陰魔ともいい、人間の肉体と精神を構成する五陰(色・受・想・行・識)
                                               
の調和を乱す病気など、仏道修行に障害をなす魔のことで、「死魔」とは、仏道修行者が死によって修
                        
行を続けることができなくなることや、身近な人の死などで正法への疑いを起こさせる魔をいいます。
                    た  け じざいてん
「天子魔」とは、欲界の第六天の他化自在天に居住する魔王(第六天の魔王)のことで、権力者など
             まど
の身に入り、修行者を惑わせて仏道を妨害する魔です。この魔は一切の障魔の根源となります。
                                   
大聖人はこれらの三障四魔の起こる原因について、
                  しゅったい                                    ぎょう
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行
 げ すで               ふんぜん
 解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる』(兄弟抄 新編986)
         
と仰せられています。すなわち、大聖人の法が正しければこそ、それを破ろうとして三障四魔が競い
              
起こり、仏道修行を妨げようとするのです。大聖人が、
  ぼんぷ
 「凡夫の仏になる又かくのごとし。 必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者
           ひょうえさかん
 は退くこれなり」(兵衛志殿御返事 新編1184)

と教示されているように、障魔が起きたときこそ成仏という大利益を得るときと心得て、さらなる強
                                                      
い確信をもって精進すべきなのです。

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