鈕と印面との関係

諸法あるが、その一法ということでーーー

押印の時に獅子の顔(頭)が自分に向く。
対の印では、
向かって、右が白文、左が朱文
   印面上部
側款
  →
尾背
  頭
側款
  →
背尾
頭 
   印面下部
向かって右(大きい方)の様に、
最近の中国製の鈕には顔(頭)と尻(尾)
が同一方向を向くものもある。
いずれにしても、下記のようになる。
真上より見ると
    印面上部
側款
  →
 背
頭 尾
    印面下部
篆刻メルマガ第32号より 2004年5月3日
篆刻技法講座 鈕と印面との関係
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 掲示板に「書き込みがあった」ので、今回はこれを記事にしたい。

★書き込みの「原文」(一部、明らかに文章がおかしい部分は変えています)
「側款について検索していましてホームページを拝見しましたが、紐に動物などがあった場合にどちらを前とするかという所ですが、お考えが顔とされていることについてそれは少しおかしいと思います。
何故なら顔はどこを向いても(顔は動かせる)胸が向いた方が前とするのではないでしょうか。普通体の前方は胸を基準としていると思います。」とのことであった。

 まず、書き込みをされた方は、それほど多くの獣鈕を見られたことが無いように推測される。多くの獣鈕の場合、実際に生きている動物と異なり「かなり無理のある姿勢」で鈕となっているケースが多い。当然作り物であるからだ。また、蛇・龍・亀・魚などもある。そこで、私は「顔」という表現を使ったのであるが、まあ、これも適切では無い。ものの本では「尾」の向きを基準としている。この「尾」の向きというのが正しい表現である。ただし、この「尾」の向きの表現が難解なので、簡易に「顔」を使用したわけである。

 その話は別にして、この獣鈕と印面の関係は「悩む方」も多いだろう。私が紹介している方法は、まさに「一方法」である。まるっきり反対の方法もある。そして、それは両方とも誤りでは無い。

 まず、上記の「押印の時に獅子の顔が自分に向く」=「尾は当然向こう向き」という方法は、その言葉通り、私の師匠から習った方法である。ちょっと本のタイトルは失念したが、樋田直人氏の著書にも「同様」の方法が紹介されている。その中で樋田氏が中国の篆刻家2氏から刻していただいた印の写真が掲載されているが、それもその方法である。また、私自身が中国で、著名な篆刻家からいただいた印も「そういう範疇」に属している。

 ところが、まったく反対のことを主張する方も多いし、石井双石「篆刻指南」、王世の「治印雑説」(下記参照)にも、そういった風に記載されている。書店に並んでいる篆刻の「本」では、このことに言及しているものは少ないのだが、言及しているものの全てが「この説」である。

 これは、前号に引き続き「篆刻学」(ケ散木著)からの検証になる。
「もし獣紐であれば、獣尾の在る一面を以って前面とする。しかし古の鋳印は、獣尾の在る所を前面としているものが多いけれども、鏨印は獣尾の在る所を後面とするものも多い。」=要するに、漢印では「180度反対」の例が両方存在する。=古典主義とすれば、どちらも正しいということになる。

参考:王世著「治印雑説」から
「若し獅紐亀紐等ならば則ち其の宜しく尾の在る所の面を以って定めて前面とすべし」=篆刻学もそうですが、この前面、後面という表現は難解です。
石井双石著「篆刻指南」では、この前面を押捺した印面の下部分ということで注釈しています。

 上記「篆刻学」掲載のように、漢印でも「いろいろ」なので、どれが正しいということは無いようである。また、この「顔=頭」、「胴」、「尾」の位置関係も「微妙」な印材も多い。したがって、結論的に言えば、それほど気にする必要は無い。私のところのような例もあるので、篆刻の流派で違うということも言える。
篆刻メルマガ第33号より 2004年5月21日
篆刻技法講座 鈕と印面との関係(補足)
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 前号で標記の記事を掲載したが、今回はその補足。二玄社刊「書道講座6 篆刻」(西川寧先生編)に、このことが掲載されていた。

 小林斗庵先生による『側款の技法と観賞』の項で、「治印雑説」の誤解による俗説(上記の前面という言葉の解釈)、河井先生の説かれた方法などが述べられ、結論として「ただし遺例によれば尾背を上辺とする方式も多い。鈕が持ちやすいという利点もあり、前項(側款の位置)同様臨機応変でよいのではなかろうか。」と述べておられる。つまり、前号で紹介したケ散木が、「篆刻学」で説いているのと同様な結論である。
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