HOME小説で学ぶ世界史と中国歴史>ハールーン・アッラシードهارون الرشيد     

ハールーン・アッラシード
هارون الرشيد


  786年―――――――――――――――

  9月14日、アッバース朝イスラム帝国の第5代カリフとして、ハールーン・アッラシードが即位した。 ハールーン・アッラシードの時代にはバグダードはその栄華の頂点を極めた。 科学に関しては、バグダードはイスラム諸国すべての学生たちの目指すところとなり、 バグダードは医学・英知やそのほかの学問にも力を入れ、医者や技術者、 などが様々な地域からバグダードにやって来た。 また、現在私達が知ることができる古代ギリシャの自然哲学などは、全てイスラム世界が保存したものを世界中の言語に 翻訳したものである。 それ以外は存在しない。

  あるとき、イブン・アッサマークがやってくるとハールーン・アッラシードは彼に言った。

  「何かあるか。」

  イブン・アッサマークは言った。

  「信者たちの長よ、並ぶもの無き唯一のお方アラーを畏れなさい。 明日にはあなたは主であるアラーのもとに行き、二つの場所のどちらかに送られそれ以外の選択肢はなく、 その場所とは天国か地獄だということをしりなさい。」

するとイブン・アッラビーウがイブン・アッサマークに近付いて言った。

  「アラーを称えよ。アラーに対し、夜は礼拝に立ち、下僕たちには公正であり、また彼の徳に対して信者たちの長が 天国に入ることを予期できない者があるだろうか!」

  するとイブン・アッサマークは耳を貸さず、そちらを振り返ることもせずハールーン・アッラシードに近付き、言った。

  「信者たちの長よ、この者はアラーに誓って、審判の日にはあなたとともにはいませんし、あなたのもとにもいません。 ですからアラーを畏れ、あなた自身を見なさい。」

  また再びイブン・アッサマークがハールーン・アッラシードのもとに来た時は、ハールーン・アッラシードは水を飲もうと していた。するとイブン・アッサマークは言った。

  「預言者たちとともにある方、預言者ムハンマドとの 親類関係にある信者たちの長よ、もしその水を飲むのを禁じられたら、いくらでそれをお飲みになりますか。」

  ハールーン・アッラシードは笑って言った。

  「私の財産の半分を出そう。」

  イブン・アッサマークは言った。

  「お飲みなさい。アラーが祝福してくださいますように。」

  そしてハールーン・アッラシードがそれを飲んだ時に イブン・アッサマークは言った。

  「預言者とのあなたの近さにおいて尋ねます。もしあなたの体から その水を出すことを禁じられたら、何によってそれを出そうとなされますか?」

  ハールーン・アッラシードは言った。

  「私の全財産でどうだろう。」

  イブン・アッサマークは言った。

  「もし財産が水を飲むだけの価値なので あればそれに関して競争しないほうがいいでしょう。」

  ハールーン・アッラシードは文学者たちや詩人たちに金銭や贈り物を多く施し歌を愛した。 そのため彼の時代にはバグダードで多くの音楽家たちや歌手たちが有名にった。そしてハールーン・アッラシードは 葡萄ジュースを好んで飲んでいた。

  ハールーン・アッラシードと同時代にアンダルシア(イベリア)には 後ウマイヤ朝が栄えていた。首都はコルドバ。 またフランスではフランク国王シャルルマーニュ(カール大帝)が同時代を生きていた。 ビザンツ帝国にはコンスタンティノス6世がおり、彼は幼少であったため彼の母エイレーネが実権を握り、 彼女の独裁政治が行われ、それはニケフォロス1世が彼女を退けるまで続いた。

  ハールーン・アッラシードとビザンツとの関係に関しては油と水のようであり、双方の間で戦が収まることはなかった。 アッバース朝の攻勢の前に、ビザンツ帝国のエイレーネ女帝はアッラシードに人頭税を払うという条件で 停戦協定と平和を購うことを求めた。さらに、東はアッバース朝イスラム帝国、西からフランク王国が連動してビザンツ帝国を脅かしていたのだった。

  その後、エイレーネを王座からひきずりおろしたニケフォロス1世はエイレーネから得た財産をすべて戻すように、 ハールーン・アッラシードに書状を送った。

  「それを行うかあるいは戦争か。」

  と迫った。ハールーン・アッラシードは返書して言った。

  「慈悲あまねく慈愛深きアラーの御名において、
   信者たちの長ハールーンからローマの犬二ケフォロスへ。
   そなたの手紙はすでに読んだ。そして聞かずともその答えはそなたの目の前にある。そなたに平安あれ。」

  それからハールーン・アッラシードはビザンツ帝国に出兵し、勝利したのだった。 二ケフォロス1世は毎年、アッバース朝イスラム帝国に人頭税に加えて、貢納金も支払うことになったのだった。 しかし、二ケフォロス1世はハールーン・アッラシードが帰るとその約定をすぐに破ったのだ。 それを知ったハールーン・アッラシードは再び親征してビザンツ帝国を屈服させたのだった。

  さて、アッバース朝イスラム帝国とコルドバの関係は険悪であった。 ハールーン・アッラシードはウマイヤ家の人々を国家に背いた者として見ていたので、 彼らを完全に駆逐することを望んでいたが、後ウマイヤ朝は想像以上に抵抗した。 フランク王国のシャルルマーニュにも辛抱強く抵抗し、シャルルマーニュもウマイヤ朝に戦いを仕掛け、 打撃を与えることはできなかった。

  フランク国王シャルルマーニュはアッバース朝イスラム帝国と友好関係を築いた。 また、シャルルマーニュは東方において自分の立場がビザンツ皇帝ニケフォロス1世より上位にあることを望んだ。 それとともに、シャルルマーニュはアンダルシアにおける後ウマイヤ朝との戦いに有利に働くように、 ハールーン・アッラシードの支援を得ようとした。また、ヨーロッパの科学技術水準が余りにも低かっため、 イスラム科学を学ぶことを強く望んでいた。 そして、シャルルマーニュは国家の法律をハールーン・アッラシードに倣って改善したのだった。

  この頃、イスラム諸国で学んだユダヤ教徒の医者たちがヨーロッパへ行った。 彼らの中からフランク国王シャルルマーニュはイスハークという名の男を選び、贈り物とともに 彼をハールーン・アッラシードのもとへ派遣した。4年後にイスハークは贈り物をもったハールーン・アッラシードの使者3人と ともに帰還した。その贈り物とは水時計・象・高価な中国の絹であった。 シャルルマーニュの家臣たちが水時計を見た時、家臣はそれを魔法のようなものだと思い、 それを壊そうとしてシャルルマーニュに止められた。 このとき彼らとハールーン・アッラシードはエルサレムに巡礼に行く、フランク王国のキリスト教徒たちの庇護に関することに 合意していた。

  さて、アルバラーミカ家はハールーン・アッラシードの父、 アルマハディーの時代から有力家臣として国家を支えていた。 しかしハールーン・アッラシードの疑い深い性格の為に、そして自分の権力を脅かす者に対する 恐怖のため彼らは小人の声に耳を貸すようになっていた。ハールーン・アッラシードは アルバラーミカ家の者たちの殺害を命じ、彼らの財産を 奪った。ハールーン・アッラシードはことを急ぎ、事実の確認を怠たった。

  809年―――――――――――――――

  ハールーン・アッラシードはフラサンを目指してバグダードを出発し、バグダードのことを息子のアルアミーンに任せて もう一人の息子のアルマアムーンとともに出て行った。 そしてそのまま亡くなりこの町でハールーン・アッラシードは埋葬された。

    


TOP小説で学ぶ世界史と中国歴史>ハールーン・アッラシードهارون الرشيد