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第1集
符命此始


 ☯元始五年(5年)✣✣✣✣

  十二月丙午、平帝が崩御した。天下に大赦を下した。 王莽※註一は秩録※註二 六百石以上の官吏に三年の服喪を命じた。また、孝元王太皇太后に奏し、孝成皇帝を尊んで廟号を統宗とし、 孝平皇帝の廟号を元宗とした。また孝平帝に元服を加えて康陵に埋葬した。 ※註三

  ※註一:あざなは巨君。父は王曼、祖父は王禁。王禁は 武帝時代の繍衣御史王賀の子。
  ※註二:秩録とは給与のこと。
  ※註三:康陵は長安の北六十里。

  長楽少府の平晏を大司徒とした。

  王太皇太后と群臣は皇帝継承者について議した。時に元帝の子孫は絶えていた。 しかるに、宣帝の曾孫には五人の王と、列侯になった者が四十九人いた。 五人の王とは以下の通り。
    淮陽王 縯
    中山王 成都
    楚王   紆
    信都王 景
    東平王 開明
  列侯四十九人は以下の通り。
   廣戚侯 顕:嬰の父
   陽興侯 寄
   陵陽侯 嘉
   高樂侯 修
   平邑侯 閔
   平纂侯 況
   合昌侯 輔
   伊郷侯 開
   就郷侯 不害
   膠郷侯 武
   宜郷侯 恢
   昌城侯 豐
   樂安侯 禹
   陶郷侯 恢
   釐郷侯 褒
   昌郷侯 且
   新郷侯 鯉
   郚郷侯 光
   新城侯 武
   宜陵侯 封
   堂郷侯 護
   成陵侯 由
   成陽侯 衆
   復昌侯 休
   安陸侯 平
   梧安侯 譽
   朝郷侯 充
   扶郷侯 普
   方城侯 宣
   當陽侯 益
   廣城侯 疌
   春城侯 允
   呂郷侯 尚
   李郷侯 殷
   宛郷侯 隆
   壽泉侯 承
   杏山侯 遵
   嚴郷侯 信
   武平侯 璜
   陵郷侯 曾
   武安侯 鎵
   富陽侯 萌
   西陽侯 偃
   桃郷侯 立
   栗郷侯 玄成→この時には侯爵を取り上げられていた。
   金郷侯 不害
   平通侯 且
   西安侯 漢
   湖郷侯 開
   重郷侯 少柏
  以上栗郷侯を除いた数が列侯四十九人である。

  王莽は既に成人して大きくなっている者をにくんだ。 そこで言った。

  「兄弟間に後を継がせるわけにはいくまい。」※註四

  そこで宣帝の玄孫をことごとく徴召し、これを選んで立てることとした。

  ※註四:平帝と同じ世代を立てるわけにはいくまい、の意

  この月、前輝光※註五謝囂が、   『武功長※註六・孟通が井戸を浚っていたら白石を得たと疏してきた』と奏した。 その白石は上は丸く、下は方形であった。 石には丹書※註七してあり、その文に曰く、

  「安漢公王莽が皇帝となることを告ぐ。」

  符命※註八の興起、このときより始まった。

  ※註五:前輝光とはかつて長安令のことである。王莽が職名を改名して長安令を二つに分轄した。
  ※註六:武功県の長である。県とは現代日本で言うところの市、英語圏で言うところのcityである。したがって 日本語で言うところの県とは全く意味が異なる点に注意されたい。また、漢代では 一万戸以上の 都市の長官を令と言い、それ以下の都市を長と言った。したがって長官名が”令”か”長”かだけでも 一万戸以上の都市か否かが類推できる。ただし、南陽郡の大都市・穣だけは例外で、4〜5万戸,18〜23万人の人口を有しながら 長官名が”長”だった。また、前漢代はほとんと華北に人口が集まっており、江南は稀薄だった。 荊州、揚州の二州の内、長江以南にある郡において一万戸以上の都市は三都市しかなかった。 呉、臨湘、南昌がそれである。 また、異民族中心の街と地域は”県”とは呼ばず、”道”と言った。 そして皇太后、皇后、公主の食邑土地,私有地の名を”邑”と言った。したがって漢代の邑は 春秋時代までの邑とは全く意味が異なる点に注意されたい。尚、”郷”や”亭”は 行政区分ではない。行政区分の最下級は県である。 郷の長には民間が選ぶ”三老”という、今でいうところの自治会長役があった。 また、十亭を統率する警察の長(これを遊徼という)もあった。ただし、郷の規模は全国まちまちで、 実際には、三亭間で一郷を形成したり、五亭間で一郷を形成していたようである。恐らくは人口の多寡と民間の需要に 依ったのだろう。 亭は盗賊取締の警察署庁舎または交番がある所。
  ※註七:丹書してあるとは、朱書きしてある、という意味である。
  ※註八:符命とは、上天が帝王受命を顕示する兆候

  王莽は郡公を遣って王太皇太后にもうさせた。 王太皇太后は言った。

  「これは天下を欺こうとしているのである。施行するべきではない!」


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