筑波山登山(Mt.Tsukuba)筑波山と筑波山登山コース

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10年たっても 心に聳(そび)える 筑波山  (南陽彰悟)

写真A: 雪の筑波山 (茨城県つくば市 臼井 辻赤塚から、日本の道百選の つくば道)。 この付近(標高 25 m)に車を置いて南からの筑波山登山をすることもできます。 徳川家光が整備した道路で、古くからある南からの登山道路です。 途中の西山というところには「黒門」跡の石の台が一対残っています。 
左(西)の峰が男体山で右(東)の峰が女体山です。
この2つの峰の間の鞍部が「御幸ヶ原(みゆきがはら)」で、 右の稜線の右端に近い所には「つつじヶ丘」があります。 筑波山神社の近くからケーブルカーが御幸ヶ原まで、 また つつじヶ丘から女体山までロープウェーもあります。
左の稜線沿いに登るコースは国松コースです。 また右の稜線沿いに登るのがつつじヶ丘コースです。 この写真で見えるところには、左から順に、国松コース、猿田彦神社コース、V字谷の東尾根コース、住吉神社-秋葉神社コース、臼井-筑波山神社-ケーブルカー沿いのコース、臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コース、白滝-つつじヶ丘コースがあります。  ケーブルカー沿いのコースは御幸ヶ原コース(みゆきがはらこーす)、弁慶茶屋跡コースは白雲橋コース(しらくもばしこーす)、つつじヶ丘コースは迎場コース(むかえばこーす)+おたつ石コース+白雲橋コース、 とも呼ばれます。


写真B: 筑波山(つくばさん)の「3つの峰」。 右から 筑波隠し(つくばかくし) 男体山 女体山 (桜川市 真壁町羽鳥から)。 筑波山は双耳峰ではなく、正確には三連峰です。 
この付近(標高 約50 m)に車を置いて北からの筑波山登山をすることもできます。 
北からのコースも風情があり、南からのコースを経験した方にもおすすめです。  筑波山で最も紅葉を楽しめる所です。 北からの筑波山登山はこの十字路を左先に進んで登ります。  
北からの筑波山登山には、桜川市(旧 真壁町)キャンプ場コース、ユースホステル跡コース、男の川コース(おのかわコース、男ノ川コース)、桜川市(旧 真壁町)キャンプ場-つつじヶ丘コースなどがあります。
この道沿いに筑波山に登るのに使った古道の 「羽鳥道 (はとりどう)」も残っています。 羽鳥道は真壁と筑波山男体山御本殿を結ぶもので、古くは修験道の山岳修行の道でしたが、江戸時代の中期頃から庶民の信仰道となりました。羽鳥道は平安時代には平将門の伯父(おじ)の平良兼が桜川市羽鳥の山に竜崖城(標高 約130m、平良兼館とも呼びます。平将門に攻められ炎上しました。)を構えていたとき、戦勝祈願に筑波山まで登った歴史のある道でもあります
また参考までに薬王院コース、みかん園コースは下の十字路を右(南)に約3キロメートル行ったところの「つくし湖 (つくしこ調整池、桜川市真壁町椎尾)」やカモ料理屋の「鴨亭」の近くの三叉路を東に曲がって登ります。 つくし湖の駐車場(標高 約50 m)に車を置いて、北からの筑波山登山をすることも出来ます。
筑波山は独立峰と言う通説がありますが、実際はそうではなく下の写真からも分かるように、阿武隈高地山系の南端付近に位置しています。



写真C: 筑波山(つくばさん)の3つの峰。 右から「筑波隠し(つくばかくし、710 m)」、「男体山(871 m)」、「女体山(877 m)」。 筑波山は3つの峰からなる三連峰です。 桜川市真壁町から。



写真D: 筑波山の第三の峰 筑波隠し(つくばかくし、標高 710メートル) の山頂にある 「三角岩」。 詳しくは下方に書いてある「筑波山 710メートルのコブ 筑波隠(かく)し」橋詩 を参照してください。 筑波隠し(つくばかくし、坊主山)コースにあります。



写真E: 「筑波隠し」の山頂にある「三角点」(710.0 m)。 三角岩の近くにあります。



写真F: 筑波山の南斜面にある V字谷の入り口。 沢の真ん中にモミの木が生(は)えています。



写真G: 筑波山の V字谷の東尾根コース の途中にある石塔。 「宝篋印塔(ほうきょういんとう)あるいは五輪塔」でしょうか(?)。 
五輪塔は平安中期頃から供養塔・墓塔として作られました。宝篋印塔(ほうきょういんとう)は鎌倉時代以後、宝篋印陀羅尼を納める塔、後に供養塔・墓碑塔として建てられました。



写真H: 筑波山の「洞窟」。 立身石の下方にあります。 詳しくは後に書いてある <筑波山 住吉神社・秋葉神社コース> の詩を参照してください。



写真I: 筑波山の南中腹にある「秋葉神社」。 筑波梅林の北方向にあります。 住吉神社・秋葉神社コース にあります。



写真J: 筑波山からの「雲海」。 男体山 自然研究路の富士見台(西の展望台、標高 約740 m)から南東にある宝鏡山を望む。



写真K: 一の鳥居。 標高 約115 m。 臼井から徳川家光が造った道路を登って西山と言うところにあります。 この鳥居は昔、六所と言うところで作られたそうです。 この鳥居の北約50メートルの所に「黒門跡」が一対残っています。



写真L: 筑波山 西山の「黒門 跡」。 臼井から登る家光道路にある 一の鳥居の約50メートル北にあります。 同じ形をした もう一つの石の台 もこの道の反対側に残っています。 
江戸時代はここから上は神仏の地域で、罪人もこの黒門を抜ければ、追ってきた役人も引き返したそうです。 この近くに 黒門 と言う名字(みょうじ)があります。 
臼井-筑波山神社-ケーブルカー沿いのコース、臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コース
にあります。




写真M: 筑波山の南中腹にある「白滝」。 白滝不動尊も見えています。 近くに白滝神社と桜の名所の桜山キャンプ場跡があります。 よく宗教行事が行われています。 白滝-つつじヶ丘コースにあります。 車を置けるスペースがあります。 標高 約270 m。


写真N: 「桜山」。 桜の名所です。 以前、桜山キャンプ場がありました。 後ろの建物がそれです。 標高 約340 m。 白滝の上方にあります。 白滝-つつじヶ丘コースにあります。



写真O: 「筑波ふれあいの里」。 臼井にあります。 標高 約200 m。 バーベキュー、キャンプ場、アスレチックなどがあります。 白滝の下方にあります。



写真P: 「筑波第一小学校」。 平成17年3月31日に廃校になりました。 明治8年創立。 年々児童数が減少し、平成16年度には児童数が12名になっていました。 
この写真はまだ廃校になる前のものです。 標高 約210 m。 一の鳥居の上方にあります。  臼井-筑波山神社-ケーブルカー沿いのコース、臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真Q: 国松コースの登山口 (国松登山口)。 西からの大尾根沿いに登るコースです。 梅林からみかん園に続く林道の一番高いところ(峠(とうげ))にあります。 3台ほど車を置けるスペースがそばの林道沿いにあります。 登山口にはススキが茂っていて、高さ1メートルほどの砂利(じゃり)が積んであります。 標高 約330 m。



写真R: 筑波山の南中腹にある「猿田彦神社」。 筑波梅林の西北方向にあります。 猿田彦神社コース にあります。



写真S: 国松コース猿田彦神社コースにある三角点(475 m)。 この2つのコースの合流点よりは上方にあります。 まわりは雪です。



写真T: ケーブルカー沿いのコースの登山口にある鳥居。 標高 約270 m。 筑波山神社の西方にあります。 近くにケーブルカーの宮脇駅があります。



写真U: 大御堂 住職の円筒形の墓と思われます。 臼井-筑波山神社-ケーブルカー沿いのコースにあります。



写真V: 雪の筑波山ケーブルカー。 筑波山神社拝殿の宮脇駅から御幸ヶ原まで。 大正14年開通。 所要時間は10分、路線距離は1.6 km で、関東地方では一番長いケーブルカー路線です。 カーブやトンネルもあります。 中間点の中の茶屋 跡(標高 約460 m)の近くで、上りと下りの車体がすれ違います。
 


写真W: 筑波山の南斜面の 男女川(みなのがわ、男女ノ川、男女の川) の源流。 この水は名水で飲めます。 臼井-筑波山神社-ケーブルカー沿いのコースにあります。 
筑波山の北斜面の桜川市真壁町羽鳥の古道 羽鳥道 のそばの 男女川(みなのがわ、男女の川) とは名前は同じですが、別の物です。 両方とも筑波山の西を流れる桜川に合流し霞ヶ浦に流れ込みます。



写真X: 筑波山の「霧氷」。 御幸ヶ原(みゆきがはら、
標高 約790 m)から男体山を望む。 左の大きい木は「一本杉」。



写真Y: 御幸ヶ原(みゆきがはら)。 標高 約790 m。 ここは女体山と男体山の間の鞍部(あんぶ、コル)です。 右端はケーブルカー筑波山頂駅、回転展望台(コマ展望台)は昭和34年完成。 左端は茶屋の 「たがみ」。 コマ展望台は12角形の建物で、約17分間で1回転し、屋上にも上がれます。 奥の山の右部分は女体山です。



写真Z: 御幸ヶ原にあるコマ展望台の屋上から見た 男体山の紅葉。



写真AA: コマ展望台の2階レストランでよく食べたカツカレー。



写真AB: コマ展望台(回転展望台)の2階のレストラン。



写真AC: 御幸ヶ原にあるコマ展望台(回転展望台)の屋上。



写真AD: 御幸ヶ原(みゆきがはら、標高 約790 m)の土産物店 (売店、食堂)。 江戸時代には五軒の店しか許可されてなかったそうです (五軒茶屋)。 回転展望台(コマ展望台)から望む。 雪かきがしてあります。 
右手の2つの建物はその後、取り壊されました。 その廃材はユースホステル跡コースからブルトーザーで運び降ろされました。 
近年、御幸ヶ原にあった立身亭、五軒茶屋、筑波ロッヂ(昭和41年開店、ロープウェー開通の翌年)、など5軒が取り壊され更地になりました。 またケーブルカー沿いのコース の中間点にあった 中の茶屋(中ノ茶屋) も更地になりました。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コース にあった 弁慶茶屋 も更地になりました。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース の白蛇弁天のそばの茶店も倒壊しています。 時代の流れを感じさせます。 
今は店が無くなった立身亭の主人から聞いた話では、御幸ヶ原などの大きな中継アンテナは、建設の時、部品はケーブルカーに特別の貨車を臨時に付けて運び上げたり、また大きな部品はヘリコプターでつり上げて運び上げたそうです。 立身亭の建物は主人のお父さんのときに造られて、材料はケーブルカーの貨車で運び上げたそうです。




写真AE: 御幸ヶ原(みゆきがはら)。 遠くは男体山。 男体山には男体山御本殿、通信所、民間合同のテレビ中継アンテナなどが見えています。 左手のコマ展望台(回転展望台)の手前にある2つの建物はすでに取り壊されています。



写真AF: 1971年(昭和46年)9月15日(敬老の日)の御幸ヶ原。 北方向を望む。 遠くの山は加波山。 当時の手すりはこのようなものでした。 当時のケーブルカーの料金は130円でした。 この近くにあるコマ展望台(回転展望台)は、昭和46年8月1日に営業を開始しました。 この写真はその営業開始日から約一ヶ月後のものです。



写真AG: 1971年9月15日の御幸ヶ原。 見えているのは男体山。 当時の測候所、テレビ中継アンテナも見えています。 パラボラアンテナの数が現在より少ないことが分かります。 ここは茶店の北側のベランダです。



写真AH: 筑波山の御幸ヶ原(標高 約790 m)から北方向に見える「加波山(かばさん、標高709 m)」。 山腹の白く見えているところは花崗岩(御影石)の採石場。 右手の稜線に 白い風力発電のプロペラ も見えています。 この稜線沿いには湯袋峠からの林道があります。



写真AI: 筑波山神社の東にある「千手沢」。 橋の上から下流方向を望む。 門前町の建物の裏側が見えています。 この橋から上流を望むとアジサイの花が見えます。 夏はこの沢沿いに冷たい風が降りてくるそうです。
昭和13年、筑波山には一週間の長雨が続き最後の2日間で約600ミリの雨が降りました。その時、この「千手沢」に山津波(土石流、鉄砲水)が発生し、その現場を見に行った2人が亡くなりました。 その時この写真のような深い沢ができました。それまでは少ない水が流れていたそうです。 この橋の上流では、以前、子供たちが泳いでいたそうです。



写真AJ: 弁慶茶屋跡コースつつじヶ丘コースの登山口にある鳥居。 標高 約270 m。 筑波山神社の東を流れる千手沢の橋を渡ってしばらく進んだところにあります。



写真AK: 弁慶茶屋跡(左)とつつじヶ丘(右)への分岐点(酒迎場分岐)。 標高 約380 m。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AL: 白蛇弁天神社。 昔ここで白蛇を見た人がお金持ちになったという伝説があるそうです。 白蛇は弁天様の化身とされています。 水と竜を鎮める神様、高淤加美神(たかおかみのかみ)が祀られています。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースにあります。



写真AM: 白蛇弁天神社のそばにある「茶店の廃屋」。 近年、倒壊しました。 時代の流れを感じます。



写真AN: つつじヶ丘。 昔はススキが多く写真家の絶好の場所だったそうです。 今は、ケーブルカーの下方の駅(つつじヶ丘駅)や大きな駐車場、大きなガマ蛙(がえる)の像、、ホテル、土産物屋などがあります。 標高 約520 m。 臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AO: 1971年11月14日のつつじヶ丘。



写真AP: 1971年11月14日のつつじヶ丘。 遠方につつじヶ丘駐車場も見えています。



写真AQ: 1971年11月14日のつつじヶ丘。 左上に女体山とロープウエーの鉄塔が見えています。



写真AR: 弁慶茶屋。 標高 約710 m。 江戸時代から続いている茶屋。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースの合流点にあります。
店主は第八代目 渡辺秀雄 氏。 
2006年9月3日に約270年の歴史に幕を下ろしました。 また後継ぎの人が現れることを願っています。 渡辺氏とは並んで写真を撮ったこともあります。 夫婦で店に出ておられました。 椅子、テーブル、商品、その他すべて自分であるいは頼んでつつじヶ丘の方から担(かつ)いで運ばれていたそうです。



写真AS: 今となっては懐(なつ)かしい 「弁慶茶屋」。 
多くの100回登山記念などの木製看板、写真、オロナミンC、ポカリスエット、杖(つえ)、ガマガエルの置物などの土産物、上方の2個の蛍光灯、、いかにも山小屋らしい屋根裏なども見えています。 私はカエルのデザインの灰皿、ポカリスエットなどを買ったことがあります。 奥の方に見えている売っていた杖は、アカザ(一年草で、茎は丈夫で乾かして杖とする。松尾芭蕉や良寛和尚も愛用し健康長寿の杖と言われています。)製で、水戸黄門の杖と同じと店の主人が言っておられました。



写真AT: 弁慶七戻り。 あの弁慶さえも恐ろしくて七回も後ずさりしそうだからです。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AU: 1971年11月14日の弁慶七戻り。 細部を上の写真と見比べると面白いです。



写真AV: 高天原(たかまがはら)。 古事記には、高天原というところに神々が姿を見せたと書かれています。 宮崎県以外に、筑波山にもこの伝説があります。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AW: 母の胎内くぐり(ははのたいないくぐり)。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AX: 出船入船。  出て行く船と入ってくる船の二艘の船に似ています。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AY: 裏面大黒岩。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真AZ: 北斗岩。 北斗星(北斗七星)のように見えます。 下の写真で、中央のくぼみが柄杓(ひしゃく)のくぼみです。 左の部分が柄杓の柄(え)です。 岩の形が北斗七星に似ていることから名付けられました。  臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真BA: 大仏石。 形が大仏様に似ています。  臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真BB: 冬の女体山の北側。 この岩場は、冬期は雪が凍結していることが多く、転倒が多い。 登山靴の下に付ける鉄の爪(アイゼン)を装着するとより安全です。 臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コースと、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コースにあります。



写真BC: 筑波山の「山頂」 (標高 877メートル、女体山)。 日本百名山の石碑があります。



写真BD: 筑波山の山頂(女体山、877 m)。 
この岩が筑波山で一番高い地点です。 私も幾度か登山靴でこの岩の上に立ったことがあります。 
また、北側の岩の斜面を数メートル降りて、まわりの土の部分に立ったこともあります。 このまわりの土の部分には笹(ささ)が茂っていて、10月下旬には長刀(なぎなた)コウジュ(ナギナタコウジュ)のきれいな花が咲きます。 夏には香りの良い山百合(ヤマユリ)の花が咲きます。 また、この最高地点の岩の北側面に人の背中がすっぽり入る凹部があります。ここに座って北側の景色を眺(なが)めると最高の気分になります。
この岩の割れ目(女性を連想させるので)が女体山の名の由来とする説があります。 斑糲岩(はんれいがん、約7500万年前に出来た)という硬(かた)い深成岩で出来ています。 筑波山は火山ではありません。 中腹にホテルなどの温泉があるのは、どこでも深く掘ると地熱で温かい水が出ることを利用しています。
左の社(やしろ)は女体山御本殿です。 この女体山御本殿は昭和54年に造営されました。



写真BE: 筑波山の女体山山頂の最高点を 北斜面の岩を降りた所から撮った写真。 右端の人が座っている所が最高点の岩です。人の背中がすっぽり入る凹部もこの人の右下に見えています。ステッキを置いてある所から降りました。十字形の岩の割れ目も見えています。



写真BF: 筑波山の女体山山頂にある「一等三角点」(875.9 m)。 そばの岩はこれより 1 m ほど高いので、平成11年11月から、筑波山の標高は 877 m に決まりました。



写真BG: 女体山山頂にある 方位と見えるところの案内盤。 一等三角点の近くにあります。 下方の景色は臼井(うすい)、神郡(かんごおり)、北条など。



写真BH: 筑波山の女体山の様子。 左から最高点の岩、三角点(右から二人目の足の所)、案内板(円盤状)、それらの位置関係が分かります。 白いものは雪です。



写真BI: 女体山御本殿。  この女体山御本殿は昭和54年に造営されました。 筑波女ノ神(いざなみのみこと)を祀る。 右奥はお札などを売っている社務所。 左奥が無線中継アンテナ群。 手前が最高地点。



写真BJ: 女体山御本殿と橋(天浮橋)。 天浮橋(あめのうきはし)は、神界である高天原(たかまがはら)と人々の生活する現世(うつしよ)を結ぶ架(か)け橋です。 この女体山御本殿は昭和54年に造営されました。



写真BK: 1971年(昭和46年)9月15日の女体山御本殿の橋(天浮橋)。 この橋(天浮橋)は当時は人が通れました。 上の写真と見比べてください。 左の黒いものは女体山御本殿の屋根です。



写真BL: 1971年9月15日の筑波山の女体山 山頂です。 当時も人は多くにぎわっていました。



写真BM: 1971年9月15日の写真。 筑波スカイラインも見えています。



写真BN: 筑波山の「屏風岩(びょうぶいわ)」。 女体山から望む。 女体山の崖の下方にあります。 ごくそばにロープウェーの鉄塔と神社があります。 
2万5千分の一の地図に載っている屏風岩とは位置が違うようです。 私にはこの地図の方のものがどの岩を指しているのか分かりません。 あるいはそのあたりの奇岩などの総称でしょうか。



写真BO: 1971年9月15日のロープウエーの鉄塔。 女体山から望む。 上の写真は木が伸びて、下の写真のコンクリートの台の四角の2つの穴が一部隠れていることが分かります。



写真BP: 1971年9月15日の筑波山ロープウエーのゴンドラから下を見た景色。 山林と電灯線、電柱が見えています。 当時のロープウエーの料金は200円でした。 このロープウエーは1965年8月11日開業ですから、開業して6年目に乗りました。



写真BQ: 筑波山ロープウェー。 女体山山頂から望む。 女体山の南には、テラス(岩壁などの狭い棚状(たなじょう)の所)があります。 そこから撮った写真です。



写真BR: 雪の筑波山ロープウェーの女体山駅(標高 約820 m)。 1965年8月11日開通。 2004年3月12日スイス製2代目ゴンドラ運行開始。 路線距離は1.3 km、高低差は298 m、所要時間は6分です。 
筑波山女体山を登るロープウェーで、つつじヶ丘駅は筑波スカイラインの終点近く、女体山駅は女体山山頂近くにあります。 中央の赤いゴンドラがロープウェーで、二階が女体山駅、一階が売店と食堂、手前が展望所になっています。



写真BS: 筑波山の紅葉。 女体山から男体山と御幸ヶ原を望む。



写真BT: 1971年9月15日の御幸ヶ原と男体山。 男体山の測候所、テレビ中継アンテナ、男体山御本殿も見えています。 
また、御幸ヶ原の円筒形の回転展望台(コマ展望台、コマ展望台(回転展望台)は、昭和46年8月1日に営業を開始しました。この写真はその営業開始日から約一ヶ月後のものです。)、ケーブルカーの筑波山頂駅、今は取り壊された茶屋(売店と食堂)も写っています。 御幸ヶ原の中継アンテナ群も数多く見えています。



写真BU: 1971年9月15日のススキと男体山。



写真BV: ガマ石。 御幸ヶ原にあります。 江戸時代にガマの油売りの口上が考えられた所だそうです。 
この口上は現在の茨城県土浦市の永井の兵助という人が、7日間このガマ石の前で考えました。 その後、江戸でガマの油売りをしてお金持ちになりました。 それ以来、このガマ石の口に小石を投げ入れるとお金持ちになると言われ、いつも小石が入っています。
ガマの油は17世紀 大阪冬の陣、夏の陣の頃、筑波山 中禅寺(通称 大御堂)の住職 光誉上人(徳川秀忠の乳母の子が出家)が大阪の戦いで、徳川方の兵士の傷を油薬で治しました。 その光誉の顔が蝦蟇(がま)に似ていたのでガマの油と呼ばれるようになったそうです。
<ガマ口上の一部分>: ・・・筑波山は麓の住民、山へと登る。木の根、草の根踏み分けて、オンバコという露草を喰らい育ったガマをば。四角四面は鏡張り、下金網を張った箱の中へと追い込む。小心者のガマは、鏡に映った己が醜い姿に驚いて、流す油の汗がタラーリタラリ。これをば金網の下より取り出して、赤いシンシャに椰子(やしゅうの)油、テレメンテイカメンテイカという唐、天竺、南蛮渡来の妙薬と、練り合わせ練り固めた物が、ガマの油だ。じゃあ、此の油いったい何の役に立つ。尾籠なお話で恐縮でございますが、コウモンの病だ。 コウモンたって水戸黄門じゃない。・・・
ガマ口上の筑波山はもともと滋賀・岐阜両県の県境にある伊吹山(標高1377 m)だったものが、昭和時代になって江戸落語で筑波山に変化したという説もあります。伊吹山(いぶきやま)は古くから修験者によって、豊富な薬草が採られていたそうです。



写真BW: 1971年9月15日のガマ石。 上の写真とは看板も変わっています。



写真BX: 1971年11月14日のガマ石。



写真BY: 大きな鉄の錨(いかり)。 明治時代の初めに千葉県銚子市の漁師さんたちが、延べ人数 数百人で下から運び上げたそうです。 
銚子の漁師さんたちは海から筑波山を見て方向を決めたりし、崇(あが)めているそうです。 御幸ヶ原のセキレイ石、せきれい茶屋のそばにあります。



写真BZ: セキレイ石。 せきれい茶屋の女の方に聞いた話では、ここに鳥のセキレイがとまり男の神様(男体山)と女の神様(女体山)の縁結びをしたという伝説があります。 
御幸ヶ原にあります。 そばに せきれい茶屋という店があります。



写真CA: 横瀬夜雨の碑(ひ)。 第二次大戦前、茨城県下妻市に住んでいた心ひかれる詩人 横瀬夜雨の詩碑です。 
御幸ヶ原にあります。 この付近は道が二重になっていて、南側の道沿いにあります。 この詩碑の文字は、牛久に住んでいた日本画家 小川芋銭(うせん)によって書かれたものです。



写真CB: 1971年9月15日の御幸ヶ原の木の根。



写真CC: ぼけ除け地蔵。 ボケ予防に祈られます。  御幸ヶ原にあります。



写真CD: 御幸ヶ原にある「道程元標(海抜800 m)」 と双眼鏡。 筑波山の道標はこの道程元標を山頂とするものも多くあります。 御幸ヶ原 (みゆきがはら、標高 約790 m) は女体山と男体山の間の鞍部(あんぶ、コル)です。 遠くの山は加波山です。



写真CE: 1971年9月15日の南方向の沼田などの景色。 桜川、燧ヶ池(ひうちがいけ、三角形の池)も見えています。



写真CF: 御海(みうみ)の霊水。 名水で飲めます。 男体山の自然研究路にあります。 約1200年前 お寺にいた名僧徳一大師が発見したと伝えられ、万病に効くと言われています。 
徳一(とくいつ)は奈良時代−平安時代の僧(奈良時代の貴族 藤原仲麻呂の子)で、782年筑波山に女体山と男体山の権現(ごんげん)を再建し、知足院中禅寺(通称 大御堂)を中腹に建立しました。 後にこれが筑波両大権現と呼ばれるようになりました。



写真CG: 立身石。 間宮海峡を発見した間宮林蔵が少年の時に祈願したところ。 間宮林蔵は江戸時代後期に茨城県つくばみらい市に生まれました。 男体山の自然研究路にあります。



写真CH: 大石重ね(おおいしかさね)。 標高 約740 m。 筑波山登山のおそらく縄文時代からの歴史を物語っている小石の山。 男体山の自然研究路 北部の薬王院コースとの交差点付近にあります。 
また薬王院コースの途中にも少し小型の 大石かさね がいくつかあります。この大石かさねの2群の間に薬師高原(薬王高原)があります。 薬師高原では かがい(歌垣)が上代などの昔に行われていた可能性があります。 大石重ね も かがい(歌垣) に参加した男女が持って登ったのかもしれません。  
伝説では小石を持って筑波山登山をすると疲れずに登れ、罪や過ちも消えると言われています。 また男体山、女体山の石を拾って神棚に上げれば、子宝が授かるとも信じられています。その信者たちが持ち集めた小石の山です。



写真CI: 男体山山頂。 女体山より少し低い標高 871 m です。
右の鉄筋コンクリートの建物は旧 筑波山測候所(気象庁)で、明治34年(1901年) 山階宮菊麿王殿下によって創設。 我が国最初の山岳気象観測所。 このときの門札は現在、つくば市にある高層気象台の 気象測器参考館 に保管されています。 
無線の通信所、筑波大学の筑波山気象観測ステーション(2006年2月から)になっています。
左の社(やしろ)は男体山御本殿です。



写真CJ: 男体山山頂にある男体山御本殿 近く(上の写真で階段の左に見えています)にある「男根石像」。 像は男性のシンボルを両手で持っているようです。 いかにも男神の男体山らしい。



写真CK: 筑波山男体山にある筑波山測候所の歴史的な 「山階宮筑波山観測所」(明治34年(1901年)設立) の 「門札」。 現在はつくば市にある高層気象台の気象測器参考館に保管されています。



写真CL: 男体山山頂付近にある民間テレビ会社の合同無線中継所(左)。 右の建物は旧 筑波山測候所(気象庁)。 左下の木の小さな建物は祠(ほこら)。



写真CM: 男体山山頂にある男体山御本殿。 筑波男ノ神(いざなぎのみこと)を祀る。



写真CN: 男体山山頂付近にあるNHKの筑波山無線中継所。



写真CO: 筑波山の「女体山」。 霧氷の男体山から望む。 右の建物はロープウェーの山頂駅。 筑波山神社の祠(ほこら)も見えます。



写真CP: 筑波山の南中腹にある「筑波梅林」。 筑波梅林の東屋(標高 約250 m)から宝鏡山(左よりの山)、燧ヶ池(ひうちがいけ、右端の平地にある三角形の池)、遠くに筑波研究学園都市を望む。 近くに駐車場があります。 
つくば市営の筑波梅林は標高約220 m の南斜面に白梅、紅梅など約30種、約1000本の梅と筑波石(山津波などの山体崩壊によって山麓を中心に堆積した花崗岩(約6000万年前に出来た)の一種です。地表に露出した転石が風化作用を受けて表面に小さな凸凹が生じたもので、さびのある黒褐色を呈しています。大正時代以降東京方面を中心に庭石として大量に使われるようになり、三波石(群馬県)、秩父石(埼玉県)と共に関東を代表する名石といわれています。)が4.5 ha の園内にあります。
2月下旬から3月下旬まで花が咲いていて、特に3月10日前後が花と香りが一番良い時期です。



写真CQ: 筑波山名物の「ガマの油売り口上公演」。 筑波梅林の隣の
ガマ園にて。 近くに駐車場があります。



写真CR: 赤い鳥居。 大御堂(おおみどう)や筑波山神社の門前町の入り口にあります。 標高 約220 m。 近くに大きな駐車場があります。



写真CS: 板東札所第25番 「大御堂」の釣り鐘。 標高 約240 m。 徳一によって知足院中禅寺(通称 大御堂)が建立されました。 
徳一(とくいつ)は奈良時代−平安時代の僧(奈良時代の貴族 藤原仲麻呂の子)で、782年筑波山に女体山と男体山の権現(ごんげん)を再建し、知足院中禅寺(通称 大御堂)を中腹に建立しました。 後にこれが筑波両大権現と呼ばれるようになりました。
旧大御堂は三代将軍家光が建立。明治5年の廃仏毀釈で失われました。 旧大御堂は明治5年8月27日に打ち壊され、仏像、仏具、教典などは焼却されました。 旧大御堂の跡地には現在 筑波山神社の拝殿が建っています。 
現在の大御堂は昭和36年完成。 2000年にこの鐘楼が完成しました。 この年にNHK 放送で、大御堂の除夜の鐘が全国に放送されました。
筑波山大御堂への道は石岡から柿岡、小幡、十三塚、東山を通る府中街道が古く、次に山口、平沢、館、六所神社を通る徳一法師の開いた道があります。 その後、北条、神郡、臼井、西山の筑波六丁(現在は つくば道といわれます)が出来ました。 すなわち北東側から南側へと時代と共に道が出来ました。



写真CT: 藤田小四郎(藤田東湖の第四子)の像。 天狗党事件で 横浜の開港に反対して 筑波山に挙兵しました。 
幕末の1864年5月2日に水戸藩士藤田小四郎ら尊王攘夷派が起こした事件。 1865年3月に福井県敦賀市で352人が斬首され、その他は島流し、追放されました。 
藤田小四郎の辞世の句: かねてよりおもひそめにし真心を けふ大君につげてうれしき さく梅は風にはかなくちるとても にほひは君が袖にうつして   
挙兵後、各地から藩士、浪士、農民、町民らが集結し婦女子も参加し、大砲も持っていました。 数日後には150人、その後、最も勢いのあった時期で約1,000人となりました。 
天狗党の石碑はおみやげ店 杉本屋 の近くの老杉の脇にあります。 写真の像は筑波山神社の下方にある筑波科学万国博覧会の記念館への階段の上にあります。



写真CU: 筑波山神社。 標高 約260 m。 これは筑波山の中腹にある大きな建物の拝殿で、男体山山頂には男体山御本殿、女体山山頂には女体山御本殿があります。 
拝殿は明治8年完成。 明治時代前までは、神仏習合で大御堂(知足院 中禅寺)と神社 一体の山岳宗教として栄えました。 明治6年に県社となりました。



写真CV: 1971年9月15日の筑波山神社の拝殿。 上の写真の屋根下につるされている大きな銅製の鈴が当時はありませんでした。



写真CW: 1971年9月15日の筑波山神社の拝殿。 当時の女の人はこのような膝上(ひざうえ)何センチのミニスカートが一般的でした。 これはイギリスのモデル ツイーギーのミニスカートから始まった流行でした。



写真CX: 筑波山神社の御神水。 名水で飲むことが出来ます。 拝殿の左手奥にあります。



写真CY: 稲荷大明神神社 (稲荷宮)。 大きな岩の上に立っています。 標高 約250 m。 
筑波山の南中腹の東山というところにある古道 府中街道 (石岡市に昔、国司の役所 国府がありました。その跡地が今でも石岡市府中にあります。)に沿っています。 筑波山中腹一周コースにあります。



写真CZ: 筑波山の南中腹の東山という所にある古道 府中街道(幕末の天狗党事件の時に志士たちが、水戸 − 府中と筑波山神社を往復した道でもあります。)。 
府中街道の 流れ官女 と言うところにある「句碑」。 府中街道の歴史も書いてあって興味深い。 東京大学地震研究所 筑波地震観測所の入り口にあります。 筑波山中腹一周コースにあります。



写真DA: 東京大学地震研究所 筑波地震観測所。 筑波山の南中腹の東山という所にあります。 大正10年設立。 花崗岩層上にあります。 左の花はアジサイです。 標高 約280 m。 筑波山中腹一周コースにあります。



写真DB: 「風返し峠」。 標高 412 m。 筑波山中腹一周コースにあります。



写真DC: 「イノシシ渓谷」 に降りる途中に檻(おり)が置いてあります。 檻(オリ)の中のイノシシ。 風返し峠の少し石岡市側にあります。 筑波山中腹一周コースにあります。



写真DD: 「石岡市つくばねオートキャンプ場」 (石岡市小幡)。 標高 約280 m。 近くに国民宿舎 つくばね があります。 筑波山中腹一周コースにあります。 駐車場があります。



写真DE: 石岡市小幡湯袋にある「国民宿舎 つくばね」。 筑波山の北中腹にあります。 標高 約310 m。 近くに つくばねオートキャンプ場 もあります。 西方向の桜川市キャンプ場まで、林道が続いています。 国民宿舎 つくばね-桜川市キャンプ場コース筑波山中腹一周コースにあります。 駐車場があります。



写真DF: 桜川市(旧 真壁町)キャンプ場-つつじヶ丘コース筑波山中腹一周コースにある林道の三叉路。 右手が桜川市(旧 真壁町)キャンプ場、左手が国民宿舎 つくばね 方面です。 先に進んで つつじヶ丘に通じます。この三叉路は標高 約480 m です。



写真DG: 「湯袋峠(ゆぶくろとうげ)にある登山口  (湯袋峠登山口)」。 標高 約190 m。 手前に車道(石岡市と桜川市を結ぶ)があり、付近に駐車スペースがあります。 
秋に釣船草(つりふねそう)や筑波トリカブトなどの花が咲きます。 湯袋峠-桜川市キャンプ場コースにあります。



写真DH: 筑波山の北斜面の「男女川(みなのがわ、男女ノ川、男女の川)」。 桜川市真壁町羽鳥のソバ屋 来楽庵 の近くで。 
南斜面の つくば市の男女川(男女の川)とは名前は同じですが、別の物です。 両方とも筑波山の西を流れる桜川に合流し霞ヶ浦に流れ込みます。



写真DI: 筑波山の北中腹の林道沿いにある不老峠の石碑。 男の川水分神 と書かれています。 これはこの少し下方で男ノ川(おのかわ)が女ノ川(めのかわ)と合流して男女川(みなのがわ)になっているからでしょう。



写真DJ: 筑波山の北中腹にある「全国植樹祭発祥の地」の石碑。 林道沿いにあります。 標高 約370 m。



写真DK: 「男の川」と「男の川橋」。 筑波山 男の川コース(男ノ川コース)にあります。 男の川コースの登山口です。 車を数台置けるスペースがあります。 標高 約440 m。



写真DL: 筑波山 男の川コースにある 「大聖不動尊」 (大滝不動とも呼びます)。 男の川橋も近くにあります。 男の川橋が登山口になっています。 
このコースは男体山の自然研究路あるいはユースホステル跡コースに合流します。 このコースには二輪草、一輪草の群生地があり、春には美しい花を咲かせます。



写真DM: 男の川コースにある第1の分岐点。 ケルンがあります。 左はユースホステル跡コースへ合流。 右は薬王院コースあるいは男体山の自然研究路に合流。 延命水よりは下方にあります。



写真DN: 筑波山 春の男の川コース。 花の多いコースです。 二輪草(ニリンソウ)の花、一輪草(イチリンソウ)の花、スミレの花。 ミヤマカタバミの葉も見えています。



写真DO: 男の川コースにある水場(延命水)。 名水で飲めます。



写真DP: 男の川コースにある第2の分岐点。 右は薬王院コース、左は男体山の自然研究路へ合流。 延命水よりは上方にあります。



写真DQ: 男の川コース薬王院コースの合流点にある岩。 薬師高原[薬王高原](標高 約630 m)にあります。 
薬師高原では上代などの昔に かがい(歌垣) が行われていた可能性があります。 薬師高原(薬王高原)は男体山と つくば隠し の間の鞍部(あんぶ、コル)です。 この大きめの岩に、大昔、かがい(歌垣)に参加した男女たちも座ったことでしょう。



写真DR: 分岐点。 標高 約460 m。 左方向に行くと桜川市キャンプ場(筑波高原キャンプ場)があり桜川市キャンプ場コースの登山口があります。 右方向に進むとユースホステル跡コースの登山口と駐車場があります。



写真DS: 筑波山の北中腹にある昔、ユースホステルがあった場所(今は建物は残っていませんが、二階建てのコンクリート製でした。今も残っている南側の崖のコンクリート製 土止めは当時の物です。昭和の末期から平成の初期頃に幾度か泊まったことがあり、食事も出ました。夫婦のペアレント(管理人さん)がおられ、四輪駆動車で山を下って、食材などを買っておられました。当時から、昔に比べめっきり宿泊客が少なくなったと聞いていました。立派な建物が無くなって、惜しい気がします。)。 
立派な真壁町の御影石(みかげいし)で出来たテーブルとベンチがあります。 ここは林道の終点で、今は広い駐車場になっています。 標高 約560 m。 
この近くに登山口のあるユースホステル跡コースは女体山と男体山の間の鞍部にある御幸ヶ原(みゆきがはら)に続いています。 このコースは 御幸ヶ原 までの<歩く距離が一番短く>、初心者の方にも向いています。 
この広い駐車場の少し上に片栗(カタクリ)の花の群生地があり、春にはきれいな花を咲かせます。 桜川市真壁町は御影石の有名な産地です。 近くに桜川市キャンプ場、男ノ川、女ノ川、全国植樹祭発祥の地などがあります。



写真DT: ユースホステル跡コースの登山口。 標高 約560 m。 そばに大きな駐車場(上の写真)があります。 手前のは雪です。



写真DU: カタクリの大群生地。 ユースホステル跡コースにあります。 4月下旬に紫色の花を咲かせます。 花は日の当たる日中は花弁が反り返り、夕方にはしぼむ運動を数日繰り返します。



写真DV: ユースホステル跡コースの途中にある、北西方向の男の川コースへの分岐点。 この電柱が目印です。 標高 約680 m。 白い物は雪です。



写真DW: 女の川(めのかわ、女ノ川)。 桜川市キャンプ場(筑波高原キャンプ場)の少し西方の林道沿いにあります。 女の川コース(女ノ川コース)の登山口です。 標高 約460 m。 
筑波山の北斜面の 男女川(みなのがわ、男女の川、男女ノ川) は、北斜面の男の川(男ノ川)と女の川(女ノ川)が合流して男女川(男女の川、男女ノ川)になります。 
これは南斜面の男女川(みなのがわ、男女の川、男女ノ川)とは名前は同じですが、別の物です。 両方とも最終的には筑波山の西を流れて霞ヶ浦に注ぐ桜川に合流します。 近くに車を置けるスペースがあります。



写真DX: 筑波山の北中腹にある 桜川市キャンプ場(旧 真壁町キャンプ場)すなわち 筑波高原キャンプ場(以前は 裏筑波野営場と呼ばれていました) のキャンプファイヤーの場所。 海抜 約500メートルです。 
林道を車でここまで上れます。 春になると 二輪草(ニリンソウ)、一輪草(イチリンソウ)、菊咲きイチゲ(キクザキイチゲ)、アズマイチゲやカタクリの花も多く見られます。 
桜川市キャンプ場コースの登山口はこのキャンプ場の中を通り抜けた上部にあります。 このコースは女体山の近くに続いています。 女体山の 山頂 までの<歩く距離が一番短い>コースです。 初心者の方にも適しています。 駐車場があります。



写真DY: 桜川市キャンプ場(筑波高原キャンプ場)コース。 標高 約550 m。 ここはキャンプ場を通り抜けた上部です。



写真DZ: 桜川市キャンプ場(筑波高原キャンプ場)コース。 この岩のあたりは、夏はよく涼しい谷風が吹いています。



写真EA: つくし湖 (つくしこ調整池、桜川市真壁町椎尾)。 霞ヶ浦から水を引いた人造湖。 水鳥も多く、春は桜の名所です。 この上に薬王院というお寺があります。 
つくし湖の駐車場(標高 約50 m)に車を置いて、北からの筑波山登山をすることも出来ます。 つくし湖は薬王院コース、みかん園コースにあります。



写真EB: 薬王院(桜川市真壁町椎尾、標高約190 m)。 薬王院の紅葉は見事でおすすめです。 ここで大きな釣鐘(つりがね)を突いて、筑波山に登り始めたこともあります。 この鐘の音は男体山山頂付近にも良く届きます。 
782年に桓武天皇からの薬師如来を本尊として最仙上人によって建立。 鎌倉時代に小田氏の招きで真言宗僧 忍性により真言宗に改宗。 奥に見えるのは県指定の文化財 三重の塔(1704年建立)。 境内には県天然記念物の樹齢500年のスダジイの大木があります。 
江戸時代は筑波山登山でにぎわったそうです。 本堂は1680年竣工。壁には和算(数学)の問題を描いてある算額があります。 ここの薬師様は眼病に御利益があるとされ、大きな眼鏡が奉納されています。 弁天池を中心にした庭園もあります。 本堂、三重塔、仁王門、阿弥陀堂があります。 
薬王院は薬王院コースにあります。 駐車場があります。



写真EC: 薬王院コースと林道(筑波山中腹一周コース)の交差点。 標高 約420 m。 
前方が薬師高原(薬王高原)を経て筑波山 男体山へ。 その途中で、筑波隠(かく)し(坊主山)コース男の川コースの左への分岐点があります。 車を置けるスペースがあります。



写真ED: 薬王院コースにある「小型の大石重ね(おおいしかさね)」。 この付近にも同じようなものがいくつかあります。 大昔から登ってきた人が麓から持って上がったものです。 ここは標高 約680 mです。 男体山の自然研究路の「大石重ね」とは、お互いに薬師高原(薬王高原)をはさんで反対側に位置します。



写真EE: 「薬師高原(薬王高原)」。 うっすらと男体山が奥に見えています。 薬師高原は「筑波隠し」 と 「男体山」の間の尾根です。 標高 約630 m。 野草の花が多く見られます。 
薬王院コース、男の川コース、筑波隠し(つくばかくし、坊主山)コース
にあります。 この近くに男の川コースへの分岐点(岩がある)があります。 この薬師高原では上代などの昔に かがい(歌垣) が行われていた可能性があります。 
薬師高原(薬王高原)は男体山と つくば隠し の間の鞍部(あんぶ、コル)です。



写真EF: 薬王院コースと男体山のまわりの自然研究路との合流点。 11月は紅葉、黄葉して美しい景色になります。 
筑波山はカエデ(楓)の木は少ししかありませんが、ツタや広葉樹がたくさんあり、紅葉の季節が楽しめます。 特に北斜面の桜川市の方が紅葉はきれいでおすすめです。 左先が御幸ヶ原へ、右が大石重ね(おおいしかさね) 方面。




写真EG: みかん園 (桜川市真壁町酒寄)。 つくし湖の上方(歩いて10分間ほど)にあります。 後方の木は黄色の実を付けたミカンの木。 ここがミカン栽培の北限と言われています。 
10軒近くの観光みかん園があり、おもに温州ミカン、福来(ふくれ)ミカンを栽培しています。 ふくれミカンはこの地域独特のもので、小粒で香りが良く七色唐辛子の材料に使われています。 
写真の背景の 左の峰は筑波隠し(つくばかくし)、右の峰は男体山。 この2つの峰の間の尾根(鞍部、コル)は「薬師高原(薬王高原)」と言う所です。上代に かがい(歌垣)が、この薬師高原で行われた可能性があります。 みかん園はみかん園コースにあります。



写真EH: みかん園コースの登山口 (酒寄車登山口(さかよりくるまとざんぐち))。 標高 約210 m。 林道から登ります。 この林道の少し(約50 m)北には林道のT字路があります。 そこに車を置けるスペースがあります。



写真EI: 「笹立不動尊」。 上の写真のみかん園コース登山口を、林道を横切ってすこし下ると、細い道沿いにあります。 酒寄車という所にあります。



写真EJ: みかん園コースの途中にある岩。 ステッキが置いてあるところを登ります。



写真EK: みかん園コースの途中から「筑波隠し(標高710 m)」を望む。



写真EL: 筑波山から見た「富士山」。 夕焼けの中に黒富士が見えています。 下部の明るい点は夜景です。 富士山と筑波山の直線距離は約160 km です。



写真EM: 筑波山の「山路の杜鵑草(やまじのほととぎす、ヤマジノホトトギス)」。 夏から秋に咲きます。



写真EN: 筑波山の「釣船草(つりふねそう、ツリフネソウ)」。 花が船に似ています。



写真EO: 筑波山の「菊咲きイチゲ(キクザキイチゲ)」。 春に咲きます。 この色のもの以外に白色のものもあります。



写真EP: 筑波山の「筑波鳥兜(つくばとりかぶと、ツクバトリカブト)」の花。 筑波の名の付いた植物で、中部地方以北から関東地方、東北地方南部の太平洋側に分布しています。 山地の草原や林の縁などに生え、高さ60−150 cm になります。



写真EQ: 筑波山の「小葉の擬宝珠(こばのぎぼうし、コバノギボウシ)」。 夏、秋に咲きます。



写真ER: 筑波山の「大葉擬宝珠(おおばぎぼうし、オオバギボウシ)」。 夏、秋に咲きます。



写真ES: 筑波山の「蕎麦菜(そばな、ソバナ)」。 夏、秋に咲きます。



写真ET: 筑波山の「大文字草(だいもんじそう、ダイモンジソウ)」。 花びらが大の字の形をしています。 湿(しめ)った岩に咲いています。



写真EU: 「紫峰と言われる筑波山」。 筑波研究学園都市からの筑波山(左)と宝鏡山(右)。 夕日がきれいなときに三井ビルから望む。 西武デパート、キュート、つくばセンター、バスセンター、建設中の筑波エクスプレス(TX)の つくば駅、エクスポセンター、オークラフロンティアホテル、吾妻小学校、住宅も見えています。 筑波山は つくば駅の北方向 約15 kmの所にあります。 
筑波研究学園都市は1970年頃から研究を開始し、47の国立の研究教育機関があり、また周辺には研究開発型企業が数多く集まっています。東京都心から北東へ約60 km、茨城県つくば市、大部分は標高20−30 mの台地にあります。



写真EV: 「夕日の筑波山」。 子授け地蔵(標高 約370 m)から望む。 左が男体山、右が女体山で右方にロープウェーとその鉄塔も見えています。 
ロープウェーの女体山駅、回転展望台、ケーブルカーの山頂駅、一本杉、アンテナ群なども見えています。 子授け地蔵は表筑波スカイライン(筑波パープルライン)沿いにあります。 駐車場があります。


登山、ハイキング、トレッキング、ウォーキング、ルート、森林浴、里山、歴史、観光、筑波山の写真が百数十枚

<上代に筑波山で行われた かがい>
歌垣(うたがき)(東日本では、方言で耀歌(かがい)と言う)の山として筑波山は有名でした。「筑波嶺に登りてカガヒせし日に作れる歌」という題の 高橋蟲麻呂の万葉歌
   長歌
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の 其の津の上に あでもひを をとめをとこの 行き集ひ かがふかがいに 人妻に 吾も交らむ 吾が妻に 人も言問へ 此の山を うしはく神の 昔より 禁めぬ行業ぞ 今日ねみは めぐしもな見そ 言もとがむな (高橋蟲麻呂 万葉集1759から)

   反歌(長歌に添える長歌の意味を反復・補足し、または要約するもの)
男神に 雲立ち登り 時雨降り 濡れ通るとも 我帰らめや (高橋蟲麻呂 万葉集1760から)  *男神は男体山のことです。 裳羽服は地名と解釈されています。桜川市真壁町鳥はむかし 織と言われていました。漢字の 羽と服 が共通しています。裳羽服は今の羽鳥のことだったのではないでしょうか。羽鳥には筑波山の北斜面の方の男女川(みなのがわ)が流れています。また平良兼(平将門の伯父)館もありました。

 春や秋に豊作や人々の繁栄を願って、男女が集まり歌を掛け合い踊り酒など飲食を共にします。歌垣は東南アジアにある風習です。日本の西南諸島には現存しているそうです。神のもとに男女の求愛が行われました。一種の求婚方式で性的解放が行われました。言い伝えでは、男体山の神と女体山の神が御幸ヶ原にあるセキレイ石の上に留まった野鳥のセキレイに導かれ(セキレイは尾を上下に振ります。これは男女の交わりを暗示していると考えられます。またセキレイは番(つがい)で居ることが多い。)結ばれました。これも かがい と関係しているかもしれません。筑波山の耀歌(かがい)が、どこの場所で行われたかははっきりした確証は無く、確定されていません。おそらく各集落地域ごとに異なった登山道を登り、開けた平らなところ(尾根)で行われたと考えられます。場所も数カ所あって、一カ所ではない可能性があります。古くから登山の時に持って上がった石を積み重ねた「大石重ね(おおいしかさね)」がある付近の薬師高原[薬王高原](標高 約630 m)や御幸ヶ原(標高 約790 m)、つつじヶ丘(標高 約520 m)などが候補ではないかと思われます。これらの候補のうち男体山がよく見えるのは、薬師高原(薬王高原)と御幸ヶ原です。上記した万葉集の かがいの歌 では、男体山が見える場所のようです。


<万葉集の筑波山の歌は富士山の歌より多い>
筑波山は23首、富士山は14首。 次の歌も 「木の根取り」 の部分が良く当時の筑波山登山の様子を表現しています。 私も下方の「筑波山 蜜柑(みかん)園コース」という橋詩に、「木の根つかんで登りゆく」と書きました。

   長歌
衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り
君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆き 木の根取り
うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も
許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく
雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし
国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと
紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く
春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
   (大伴旅人あるいは大伴宿禰道足(おおとものすくねみちたり) 万葉集 巻9-1753から)

   反歌
今日の日に いかにかしかむ 筑波嶺に 
昔の人の 来けむその日も
   (大伴旅人あるいは大伴宿禰道足(おおとものすくねみちたり) 万葉集 巻9-1754から)


<大昔の筑波山は>
1500万年−2000万年前は筑波山のまわりは沈んでいて「筑波島」や「阿武隈島(あぶくまとう)」がありました。 数百万年−1000万年前は海面が高くなり、筑波山は大きくなった東京湾の岬になっていました(古東京湾)。 12万年−13万年前は第4氷河期の温暖期のため筑波山の周辺は水没していました。


<筑波山ではガマガエルはよく見られるのか?>
筑波山のガマガエルはガマの油で有名ですが、意外と見かけません。 ガマガエルは夜出て舌で昆虫を補食します。主に夜行性だからです。 私は男の川コース(おのかわコース、男ノ川コース)で見たことがあります。動きは遅く、耳腺から白い有毒粘液を分泌します。皮膚、特に背面には多くの疣(いぼ)があります。冬眠します。


<筑波山には熊、イノシシ、マムシ、スズメバチはいるのか?(初心者の方へ)>
筑波山には「熊」はいませんので、熊除け鈴は持たなくて良いです。「イノシシ」は筑波山の南斜面で見たことがあります。おもに夜行性です。「マムシ」はいます。体の銭形の斑(はん)が目印です。体を伸ばしてなく、団子状になっているときはマムシの攻撃態勢です。毒を持っている蛇は、人が近づいても逃げません。逃げない蛇は、ほとんどマムシです。
一番気をつけた方がよいのは「スズメバチ」でしょう。筑波山の南斜面で、1匹のスズメバチにまつわり付かれたことがあります。スズメバチは全国的にも熊より被害死亡者数が多いのです。スズメバチは秋が一番活動的です。対策は(1)黒や青色の衣服、帽子などを身につけないこと。(興奮して攻撃してきます。)白色などが無難です。(2)まつわり付いて来たら、声を出さない、追い払わない、しゃがんで姿勢を低くして頭や首を手などで守る。(スズメバチは自身より下の方は目の位置の関係で見えないそうです。)
*これとは別に、真夏には大きな蝿(はえ)に似た「アブ」がまつわり付くことがあります。これはかまれても生命には別状ありませんが、かまれると何日も腫(は)れが続きます。体に留まったら、手のひらでたたくのが良いでしょう。


<転(ころ)びやすいのはどんな時か?(初心者の方へ)>
(1)粘土(ねんど)、湿(しめ)っている、傾斜がある、この三拍子そろっているところは滑りやすいので、要注意。
(2)登りよりも下っているときが、転倒しやすい。
(3)岩の上に落ち葉が積もっているところ。
(4)小石のある斜面。石がコロになって滑りやすい。


<登山のコツは? (初心者の方へ)>
(1)水などの荷物はザック(リュックサック)に入れ両手を空け、夏でも手袋をおすすめします。
(2)朝は出来るだけ早く出発し、早めに下山するように。
(3)登るスピードは、話せるぐらいゆっくりと。
(4)上着は、汗をかく前に脱ぎ、体が冷える前に着るぐらいのつもりで。
脱いだ上着はザックの外に、数十センチメートルのロープで、くくり付けると良いでしょう。
(5)登山道は尾根道と谷道に大まかに分けられます。山腹を横切ることをトラバースと言います。 岩登り、藪(やぶ)こぎ、沢登りは山登りの経験を積んだ後にしましょう。
(6)初めてのコースは、必ず下から登るようにしましょう。上の方から下るより安全です。下から登って、道が分からなくなったら新しい記憶で確実に登山口に戻れるようにしましょう。
(7)以前、人が歩いた跡 踏み跡(ふみあと)をよく見る習慣を付けましょう。岩場や落ち葉が多い所などは踏み跡が分かりにくくなります。岩場は白くなったり、苔(こけ)がとれているところが踏み跡です。落ち葉は踏まれると小さく切れたり、丸まった立体的な形が平面的になります。初めての登山道は踏み跡をよく見ることが大切です。
(8)分岐点では、立ち止まってまわりの景色を記憶にとどめましょう。
(9)筑波山は春、夏、秋、冬、それぞれ異なる魅力があります。季節を変えて登ってみましょう。また、南斜面だけでなく、北斜面からも登ってみましょう。静かな登山が楽しめます。
(10)(イ)筑波山の中腹の登山口から登って山頂まで、(ロ)山麓(平地)から山頂まで登る、の二つがあります。(ロ)は高低差が800メートルを超え大きな満足感が味わえます。昔の人々は山麓から登ったことでしょう。


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宮崎観光情報、山「観光地 in 宮崎」 by 南陽彰悟[橋詩人]

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「宮崎お出かけ・地元自慢」、写真 by 南陽彰悟 [橋詩人]

自動車に20年以上乗りましょう! (今の車は距離20万キロ(20万km)は簡単です) (愛着が増します。 かえって尊敬されます(^^)。)

つくば観光コンベンション協会


宮崎県の山と観光地・行楽地




「筑波山」と「筑波山登山コース」 の橋詩


ーーー
筑波山(つくばさん)の近くに住んでいたことがあります。
それで、14コースから筑波山に登りました

筑波山の山麓は、つくば市、桜川市、石岡市(国民宿舎 つくばね付近)にまたがっています。
それぞれからの登山は個性があって楽しめます。 登山口が多いのは、つくば市と桜川市です。両者の登山口の数はほぼ等しいと思われます。

反時計回りに筑波山の登山コースを並べると、
薬王院コース[h]、みかん園コース、国松コース、猿田彦神社コース、V字谷の東尾根コース、住吉神社-秋葉神社コース、臼井-筑波山神社-ケーブルカー沿いのコース[h]、臼井-筑波山神社-弁慶茶屋跡コース[h]、臼井-筑波山神社-つつじヶ丘コース[h]、白滝-つつじヶ丘コース、桜川市(旧 真壁町)キャンプ場-つつじヶ丘コース、国民宿舎 つくばね-桜川市キャンプ場コース、桜川市(旧 真壁町)キャンプ場コース[h]、湯袋峠-桜川市キャンプ場コース、ユースホステル跡コース[h]、男の川コース[h]、筑波隠し(つくばかくし、坊主山)コース、筑波山中腹一周コースなどがあります。登山者数の多いハイキングコース(一般登山道)には、[h] を付けました。

筑波山 は日本百名山と新日本百名山に入っています。 標高が1000 m 以下の日本百名山は筑波山(877 m)と開聞岳(924 m)の二つです。 筑波山は日本百名山の中で一番低いものです。

詩の形式で、筑波山と「筑波山登山コース」について書いてみました。
私は 五や七を単位とした三行詩 橋詩(きょうし) を書いています。

筑波山は標高877メートル(平成11年11月から)です。一等三角点の高さは875.9メートルですが、そばの岩はそれより1メートルほど高いのです。写真Aで、左(西)の峰の男体山(871メートル) 右(東)の峰の女体山(877メートル) 筑波隠し(これは標高710メートルの峰、男体山の陰になっていて見えません。桜川市の方からよく見えます。坊主山とも言う) の 3つの峰 から成っています。写真BとCには3つの峰が写っています。 
ーー
筑波山の近くの 「加波山(かばさん、709 m)」、 「吾国山(わがくにさん、518 m)」、「難台山(なんだいさん、553 m)」、 「宝鏡山あるいは宝篋山(ほうきょうざん、小田山とも言う、461 m)」
 についても 詩の形式 で書かれています。これらはハイキングコース(一般登山道)が整備されています。

ーーー
   南陽 彰悟
                  あなたは  番目の大切な訪問者です。('05年6月から) ありがとうございます。感謝しています。

「橋詩」

橋詩(きょうし)の世界は三行詩
五や七 単位のブロックで
色んなものを橋渡し



ーーー

「筑波山」
 
記憶の薄れた山頂を
クッキリさせた
紅葉(もみじ)の季節
 
 
「小田城跡 神皇正統記(じんのうしょうとうき)」
 
北畠書きつつ眺めた筑波山
変わらぬ姿を澄んだ空気で
城跡わずかで子供は知らず
 
 
「双眼鏡の」
 
丸い視野には筑波山
稜線(りょうせん)横切る電線に
朝の雀が陽(ひ)を浴びて
 
 
「筑波山 大御(おおみ)堂」
 
百三十年鐘(かね)戻る
関東越えて全国に
除夜を伝えるNHK
 
 
「先輩」
 
筑波山にも見守られ
自然に溶け込む
姿あり
 
 
「筑波山」
 
うっすら霞(かすみ)の朝筑波
めがけて飛ぶは
二羽のムクドリ
 
 
「二月でも」
 
すそ野の消えた筑波山
風なく墨絵の姿見せ
二月末でも春霞(はるがすみ)
 
 
「北条 大池(おおいけ)の桜」
 
代替わり桜は今は高校生の
空気は澄(す)んで筑波山
写す水面(みおも)をカワセミ低く
 
何にも変わらぬ道辿(たど)り
校庭なつかし金次郎
タワーは残る八分目までが
 
店閉めた酒屋の軒先酒の箱
雑貨の店は戸閉めて久し
檜(ひのき)は葉っぱに花付ける
 
静かな溜(た)め池魚の輪一つ
ここの地名は山口そのもの
道細く山へと消える
 
ブリーダー今は空き家の
檻(おり)のこる
犬の遠吠えいつの日か
 
古びた石段何も変わらず
しばらく話す娘さん
鬼子母神(きしぼじん)は変わったと
 
灯籠手洗い社(やしろ)もいっしょ
桜の老木親しく迎え
掲げた古絵は三十年もそのままに
 
裏残る防空壕(ごう)の穴二つ
回りの林はすっぽり消えた
明るくなった鬼子母神
 
大きな墓地は十年前に
整地はされたが墓はなく
飾っているもの桜の木
 
時代の急流ここには無くて
山懐(やまふところ)の日だまりの
仏が与えた散歩道
 
 
「霞ヶ浦の帆曳(ひ)き舟」
 
なかなか見えぬ帆曳き舟
白いふくらみ大きな帆
網を引く綱長くて多く
 
数人人影手を振って
周(まわ)りのヨットは小さく見えた
後ろは霞(かす)む筑波山
 
風車も見える高層ビルも
米国工場半導体の
そんな変化の世の中も
 
素知らぬ顔の
帆曳き舟
これで良いのさ霞ヶ浦は
 
NHKのカメラマン
甲子園での紹介の
ビデオを担ぐ三人組の
 
生まれて初めて見た姿
人工物とは思えずに
湖面に湧(わ)き出た水の精
 
 
「高エネルギー研」
 
あのころ飯場(はんば)が立っていた
杭打(くいう)ちいくつもそびえてた
煙突すでに出来ていた
 
三人並んで写真取り
歩道の敷石真新しくて
あの日も暑い夏だった
 
煙突すっくと立っていた
曲がっているが避雷針
加速器リングの土手緑
 
君と並んで写真撮り
このたびは一般公開見学者
三十年後も暑かった
 
マイナスイオンの水素ガス
発生させて加速して
源(みなもと)地下の実験室の
 
丸くて高い展望室は
緑の中に点々と
放射光B-ファクトリーも延々と
 
地下の粒子のスピード忘れ
広々敷地は葛(くず)茂り
休息小屋にも近づけず
 
白い景色の高エ研
知識の乾きのオアシスの
くっきり澄(す)んだ筑波山
 
 
「石下町 平将門(たいらのまさかど)誕生の地」
 
76年大河ドラマの時だった
銅像立って屋台も並び
古いお寺も人の波
 
お寺に上がればテープが流れ
将門も飲んだ井戸水
老婆が勧めた
 
しばらく経(た)ってお寺が焼けた
銅像だけがぽつんと残り
寂しい風の寺の跡
 
将門巨大な石碑が出来て
真ん中書かれた絵のそばに
風と雲と虹と
 
小さいけれど再建された
お寺は古い仏具を備え
若い母親子供と遊ぶ
 
周りは住宅押し寄せて
変わらぬものはお墓だけ
豊田館(とよだやかた)の南端
 
平安時代の風雲児
今の若者その心情と
重ね合わせて筑波山
 
 
「筑波山 家光が造った道(日本の道百選 つくば道)」
 
筑波神社をまっすぐ目指す
まっすぐまっすぐ急斜面
道沿い民家は北風止まる
 
一の鳥居は老婆が二人
すっぽり収める女体山
深い石碑(ひ)は江戸時代
 
広い農地はここには無くて
閉めた酒屋があるばかり
見下ろす景色は三井ビル
 
脇道入(は)れば細い道
月水石神社
筑波山から沢水流れ回しを着けた巨石あり
 
歌にも詠まれた男女川(みなのがわ)
これは地酒で御神酒で
造り酒屋のギャラリーを
 
地元の人に話しかけられ
君話し私も尋ね
三人歩く神郡(かんごおり)
 
振り返り見上げる筑波は
秋模様
遠く眺める奥日光の
 

「加波山(かばさん)」
 
修験者の山 明治時代の加波山事件
ずっと前から登りたかった
車で行けない魅力の峰は
 
自由民権記念碑広場
そこから登りは丸太の階段
急登しばらく息切らし
 
新緑懐(ふところ)はいり込む
会った登山者十数人の
クマザサ茂る自然道
 
尾根の谷風涼しくて
見晴らしきかない山の森
山の鳥歌続く道
 
ウグイス青葉に冴(さ)えわたる
登るにつれて岩石多く
巨岩も葉陰に立ちつくす
 
右手に大きな旗立石が
明治の時代の自由民権
岩の割れ目に竿(さお)立てたのか
 
平均年齢二十四
十数人の命をかけた
加波山事件は数日続く
 
山頂ひしめく社(やしろ)と祠(ほこら)
山岳信仰営々と
今でも社は建て替えられて
 
苔むす岩道 禅定(ぜんじょう)道の
冷えた湿気は身を引き締める
ただの道とは違う道
 
先達(せんだつ)弔う石碑が並び
急な下りは手すりのパイプ
大きさ手頃で使い込まれて
 
鞍(あん)部の神社は二つあり
ここだけにあるお賽銭(さいせん)箱
山頂のには一つもなくて
 
帰りに歩く林道は
自転車 車にオートバイ
ツクバネウツギの花出会う
 
ゆっくり歩いた三時間
五月の心の満ちた山
歩きが必要 加波山山頂

 
「加波山(かばさん)」
 
山伏(やまぶし)の山 加波山は
近くに何度も行ったけど
なかなか登れぬ信仰の山
 
西の中腹 石切場
花崗岩(かこうがん)見事さのため
昔の道は途絶えがち
 
今は人気の尾根沿いの道
筑波山から続く道
キノコ山 足尾山
 
途中は若者群がるところ
パラグライダー ハンググライダー
飛び立つ基地が東西に
 
以前も来たよ一本杉峠(とうげ)
杉はどこかと見渡せど
立派な地名は石造り
 
明治のはじめの加波山事件
自由民権ふさわしい
大きな記念碑石造り
 
加波山神社は新築されて
だーれもいない石段は
ユースホステル社務所も兼ねる
 
鳴らした鐘(かね)は
二つとも
山びこ作らず吸い込まれ
 
 
「筑波山 ユースホステル跡コース」
 
建物消えて駐車場
三つのベンチは花崗岩(かこうがん)
もっとも短距離 筑波山
 
下山の数組 挨拶(あいさつ)交わし
枝だけ林は木漏(こも)れ日の
ステッキが落ち葉も運ぶ登山道
 
風もなく静かそのもの
足音だけが 時々とまって見渡せど
下界は見えず山懐(やまふところ)に
 
丸太半分休憩(けい)の
置いた場所
息切れしたとこぴったりと
 
御幸(みゆき)ヶ原に近くなり
溶けてぬれてる霜柱
中高年が多い道
 
双峰の片方の峰 男体山が
間近に見えて昇り出す
今までと違って多い岩の道
 
戦前からの測候所
今は無人の通信所
山頂社(やしろ)は関東平野を見渡せて
 
甘酒はゆっくり回る展望台で
屋上は裏も表も見渡せて
寒さ感じぬ十一月末
 
出発点に戻ってみれば
他(ほか)の車はもう帰途に
魔法瓶お湯より冷水欲しくなり
 
夕方に登ってきたよ一台が
アベック車輪を持ち出して
組み立て始めたマウンテンバイク
 
車で下る林道を
気が付けば
先ほどの自転車ぴったり付いてきた
 
登山の後のアクセルは
ほのかな疲れの
夕暮れの道
 
 
「お正月」
 
東京湾の上空は
筑波山  右手に加波山従えて
まれな構図の薄霞(がすみ)
 

「筑波山 ケーブルカー沿いのコース」

この道 筑波の人気道
一番急な登山道
双峰の鞍部(あんぶ)を目指す直登の

茶店の跡 敷石の
ちょうど見所
ケーブルカーのすれ違う

線路のトンネルその上は
ごつごつ岩場の
迷う道

雪のしずくを吸い込んで
ちょろちょろ顔出す湧(わ)き水は
源流知られた男女川(みなのがわ)

さっとお空が開けたところ
ここは名所の御幸(みゆき)ヶ原で
風は正月 風花(かぜばな)の

 
「筑波山の弁慶茶屋」
 
白蛇弁天 左手眺め急な山道上りつめ
話し上手な八代目 壁にずらっと何回記念
共に撮(と)ったよ道しるべ
 
 
「筑波山の男女川(みなのがわ)」
 
南と北と二つもあった男女(みなの)川
本家争いそこには無くて
むしろ筑波に二つ花
 
 
「片栗(かたくり)の花 数千本」
 
ところは北面 筑波山
ピンと反(そ)ってるピンクの花の
雪消えた花畑
 
葉のない春の落葉樹
下はうつむき片栗の花
これだけあってもだあれも採(と)らぬ
 
白い花びらアズマイチゲよ
歌にもなった二輪草小さな花のユリワサビ
見たこと無い花 筑波の春に
 
 
「高層気象台」
 
大正時代の細道は春の小花が咲き乱れ
筑波山測候所 古い看板展示室
ラジオゾンデを見上げる空は
 
 
「筑波山 御海(おうみ)」
 
筑波山 御海(おうみ) 巨岩の地下水は
万病治(なお)ると伝説の
道は急坂ロープづたいに
 
 
「雨上がりの登山」
 
夜の雨あがって青空隙間(すきま)から
雨に洗われ筑波山
どんな姿で迎え入れ
 
 
「中腹の林道」
 
筑波山 中腹回る林道は
登山者の置き車
半周ほども舗装(ほそう)が終わり
 
 
「筑波山の白滝」
 
筑波の中腹森の中
二段に落ちる白滝の
水は変わらぬ二十八年
 
土台だけ残った家跡その時は
今は二階の山荘になり
使っていない白滝の風呂
 
真新しいよガマの石像
林道今は舗装され
小道を入れば白滝の音
 
木の樋(とい)伝う山水の
上段の滝はセメントの樋
手のひらすくい円(まろ)やかな味
 
水落ちどころは大きな岩の
ここは行者(ぎょうじゃ)の滝打たれ
時代は流れど今日も男女の三人姿
 
ロウソク光り肉メロン キュウイフルーツ
滝の下 行者は厳(おごそ)か供え物
ドラもそのうち鳴り出した
 
白滝神社は岩の上
細くて長い石階段の苔は滑らぬ岩覆う
古木の杉は注連(しめ)飾り
 
この盛り上がり草の上あの時のアウトドア
飯ごうコンロ鉄板焼きの
歳はその時三十ちょうど
 
帰りは探すあの時の道
迷い迷って探し当て
今は廃道それでも歩く
 
白滝からの登山道 元は大勢にぎわった
目指した峰は女体山
今はすっかり忘れられ
 
 
「筑波山のガマ蛙(がえる)」
 
有名だけどなかなか見えず
ついに見つけた沢道で
おっとりとして十センチ
 
 
「筑波山 男(お)の川コース」
 
男の川渓流(けいりゅう)葉影下
二股道は二カ所あり
すべてを歩いてフルコース
 
男の川橋に車置き
谷川沿いの不動尊
お祈りすませて登り道
 
落ち葉が覆(おお)う山道も
踏み跡しっかり残る道
男の川二度も越え進む
 
しばらく踏み跡消えていき
沢道たどる数分間の
再び踏み跡土の上
 
延命水の水場の指標
岩の下から甘い水
今まで幾人救われ続け
 
今日の登りは一年前に
出来たばかりの緩(ゆる)やかな道
所々に赤丸印
 
たどり着いたは薬王院高原
小走りに薬王院に降りる人
ちょっと挨拶(あいさつ)さわやかな
 
御幸ヶ原(みゆきがはら)駅売店で
初めて買ったバッチ付け
搬送路からの男体山は
 
民放テレビの中継塔や
NHKのアンテナ過ぎて
小さな祠(ほこら)はひっそりと
 
昔は人がつめていた男体山の測候所
今日はアンテナ工事中初めて入った建物は
今は無人の通信所
 
下りのコースは研究路からの
ロープの急坂ゆっくり降りて
この道もともとあった道
 
ずっと下って下の分岐(き)で
右へ向かってまた登る
尾根の急登 自然の残る
 
最後は笹(ささ)道倒木越えて
たどり着いたはベンチ横側には電柱新しく
そこは馴染(なじ)みのユース跡コース
 
ユース跡の駐車場
ハーレー乗った男の人に
登山勧(すす)めて彼登り出す
 
男の川コースのフルコース
階段一つもないコース
自然が支配のおもしろコース
 

「筑波山神社の御祓(おはら)い」
 
三杯飲んだ御神水
大きな太鼓(たいこ)に体揺(ゆ)すられ
冷房効いた拝殿で頭の上で御祓い受けて
 

「筑波山 東筑波ハイキングコース」
 
秋の晴れの日 林道 歩道だらだら坂の
キャンプ場からつつじヶ丘へ
白花 赤花 紫花も
 
 
「筑波山 蜜柑(みかん)園コース」
 
蜜柑園コース
地図にははっきり載っている
人が少ない自然のコース
 
十月ミカンは緑色
ほんのり色づき黄色み帯びて
観光農園お客待ち
 
梅林からの林道と
T字に交わる角近く
車二台の空き地あり
 
林道交わる登山道
少し下れば右手に社(やしろ)
今日の安全手を合わせ
 
登りは細道 赤松の森
尾根沿いくっきり踏(ふ)み跡見えて
アオキの緑が目立つ道
 
尾根の左に沢音響き
急坂下れば水場あり
右にもうっすら踏み跡あって
 
しばらく登れば大岩四つ
二つ目大岩左にまいて
木の根つかんで登りゆく
 
後の大岩迷いの踏み跡
私も迷って岩越え進む
岩を過ぎればもうすぐだ
 
たどり着いたは自然研究路
そこは地味な展望台
四角の目印 人工石が
 
地図にはぶつかる薬王院コースに
この道おそらく尾根から分かれ
尾根をたどれば今日の道
 
 
「筑波山 薬王院コース」
 
つくし湖は霞ヶ浦から引いた水
そこから寺までハイキングコース
多数停まれる駐車場 お寺にもあって
 
山門登れば工事の終わった本堂鎮座
三重の塔従えて
大きな草履(ぞうり)は奉納品の
 
本堂拝み竜の口からのど潤(うるお)して
力一杯鐘(かね)を打つ
椎の大木震わして男体山にも届くよう
 
林道からの登山道
岩の上には新しい
祠(ほこら)が目印そこから左へ
 
初めの二股(ふたまた)右たどり
立派の木の橋水はなく
枯れ木切る音後ろで倒れ
 
階段登れば林道交差
岩に腰掛け小休止
前回倒木道ふさぎ
 
今日はきれいに片付けられて
分岐(き)を左に自然道
最近切られた大小木が道を塞いで引き返す
 
きれいに整備の木の階段を
後半息切れ急登の
大昔からの積み石の石重ね
 
ここは呼ばれる薬王高原
右への脇道通ってみれば
しばらく登って本道へ
 
紫花の山トリカブト
十本以上も尾根華(はな)やいで
薬王高原お花畑で四季飾る
 
再び階段ぶつかるところ
大石重ねの
自然研究路これの舗装は昭和45年頃
 
男体山より西の峰 名前は知らない
すっきり形そこをたどった
薬王院コース大昔から続いたコース
 
 
「筑波山 国松コース」
 
梅林から蜜柑(みかん)園
続く林道その峠(とうげ)
ススキの茂る登山口
 
砂利(じゃり)が高さ1メートルの
林道沿いに
車三台置ける場所
 
急な坂道4メートルの
踏(ふ)み跡(あと)しっかり残る道
男体山に直登の尾根道たどる国松コース
 
数十年の山桜
林に混じる草付きの道
それが変わる岩付きの道
 
ケルンが積まれる岩の上
私も拾(ひろ)って積み重ね
男体山に近づけば岩は次第に大きくなって
 
形が良くて大きくて
立派な岩が二つあり
ザックと共に写真撮(と)り
 
急なところはロープが二カ所
立ち入り禁止のヒモもあり
赤丸印もありがたい
 
最後の大岩右に巻き
見えてきたのは舗(ほ)装の側面
真ん中の展望台にたどり着く
 
熱湯注(そそ)いで豚骨ラーメン
箸(はし)を忘れて枯(か)れ枝で
きれいな形 日光の男体山が
 
今日は十月十九日
本当の秋の日が来た雨後の
筑波山さえ深呼吸
 
 
「筑波山 猿田彦神社コース」
 
筑波梅林上方へ西へと向かう林道あって
左へカーブ 沢に架かるコンクリート橋
その西5メートル右へ入(はい)る登山道
 
そばには車8台空き地
しばらくは沢道たどる
赤のマークは古びて薄く
 
踏み跡も次第に薄れ
岩付き道も丹念に踏み跡たどる
斜めのT字路ぶつかれば
 
それから後は踏み跡濃くて
次のト字路右曲がる
真っ直ぐは小枝たくさんそろえて塞ぐ
 
岩付き坂をしばらく登り
大きな岩の椿(つばき)のそばに
木製祠(ほこら)の猿田彦神社
 
私も7円お賽(さい)銭
新酒も供(そな)えてありました
写真撮り色んなことをお願いし
 
岩付き尾根を考えながら
いつしか合流 国松コース
この前 頼った黄黒ロープ
 
最後の大岩右巻き進む
落ち葉の季節が始まって
踏み跡しだいに薄れゆく
 
今日の天気は曇り空
中央展望台にたどり着き
薬王院と つくし湖はっきり
 
今日のカップはシーフード
チタンのフォークで食べました
帰り社務所で水晶玉のお守りを
 
挑戦コースの
猿田彦神社
秋の鳥声森貫(つらぬ)いて
 
 
「横瀬夜雨の小貝(こかい)川歌碑(ひ)」
 
小貝川 公園北へ人もなく
33年前の碑はやぶれ太鼓をくっきりと
生まれた集落 筑波山
 
 
「筑波山 迎え場コースとつつじヶ丘コース」
 
今日は神社は七五三
大輪菊花境内(けいだい)を
正装子供の千歳飴(ちとせあめ)
 
神社の東を沢越えて
石の鳥居が登山口
左手大岩思いでの
 
モミの大木 葉を散らし
下を見てても木が分かり
所々は植林檜(ひのき)
 
二股(ふたまた)左は白雲橋コース
今日は右とり迎え場コース
階段整備のハイキングコース
 
数カ所ベンチと東屋(あずまや)が
一カ所小さな沢を越え
両側多くのキノコ道
 
一ヶ月前なかった倒木
二本も松の木道ふさぎ
落ち葉の多い晩秋の道
 
林の隙間(すきま)が明るくなって
見えてきたのはトンガリ屋根の
ロープウェーの下の駅
 
頭の上はワイヤーロープ
太い被覆(ひふく)の電線も
階段上ってつつじヶ丘に
 
神社は静かで風もなく
風も冷たいつつじヶ丘高原
大きなガマと赤鳥居
 
東は立派なホテルもあって
ずっと昔はススキ原
写真マニアが好んだ場所の
 
階段急なセメントの道
見晴らしよくて駐車場
ススキも満開道沿いに
 
孫親老婆の家族連れ
若いアベックジーンズの
犬連れスカート娘さん
 
江戸から続いた茶店あり
今は八代 七十歳代の
名前はずっと弁慶茶屋だ
 
ここは三叉(さんさ)路
白雲橋コースからの
しばらく進めば弁慶七戻りの巨岩
 
高天原(たかまがはら)も岩の上
鉄の階段 鎖場(くさりば)あって
名物大岩数多く
 
特に見るべき出船入り船 仏岩
しめ縄(なわ)飾った北への道は
間近を通るロープウェー
 
ガスはますます唸(うなり)りたて
カツカツカツとロープウェーのワイヤーが
音立て目の前霧走る
 
女体山が近づけば
岩はますます多くなり
細いところは降りる人待ち
 
湿(しめ)って滑(すべ)る岩もあり
ステンレスきらきら光る
鎖場いかにも新しく
 
山頂近くの社(やしろ)には
神主(かんぬし)さんが窓を開け
電気ストーブ赤々と
 
山頂視界は全く効(き)かず
この前降りた巨岩の下も
うっすら霞(かす)んでガス走る
 
下は静かな今日天気 上はすっぽり雲の中
雲の中 突風唸(うな)るミルク霧
こんな日もある筑波山
 
 
「宝鏡山あるいは宝篋山(ほうきょうざん) (小田山とも言う)」
 
仏教由来の石塔の
テレビアンテナ幾つもそびえ
筑波山塊東寄り 宝鏡山は461メートル
 
山頂すぐ下
万博記念の森モニュメント広場
秋のさわやかハイキングコース
 
春の桜の北条 大池
そこから北東 道入って
地名 山口 駐車場
 
筑波連山 黄色赤
釣り鐘ニンジン道脇の
目指す頂(いただき)テレビ塔
 
棚田(たなだ)も続く山里景色
最後の人家は広々屋敷
しばらく登りのコンクリート
 
孟宗(もうそう)竹と真(ま)竹の林
クヌギの落ち葉の積もる道
榊(さかき)漆に篠(しの)目立ち
 
アオキの葉陰に沢細く
二股(ふたまた)分岐(き)を左行き
沢を渡って湿(しめ)った落ち葉
 
急坂のぼって切られた篠の
日当たり良くてぽかぽかと
お菓子を食べて小休止
 
沢を渡ってぬかるみを
そこは明るく展望開け
浅間山と日光男体山
 
漆(うるし)の赤が青空と
檜(ひのき)植林 下草刈(か)りの
三十人のボランティア
 
万博の森 7メートルの檜三万本
そこを抜ければ
モニュメント私の名前も彫ってある
 
背景に筑波山を従えて
十八年間銅板は
筑波の風雨が趣(おもむき)与え
 
再び山道 色鮮やかな
民放テレビの合同アンテナまず見えて
山頂は鎌倉時代の石塔鎮(ちん)座
 
石塔側面うっすら仏
手洗い車の石新しく
木造鳥居(とりい)は南向き
 
下りは南へ登山道
しばらく降りればNHKのテレビ塔
小田への別れを右とって
 
山口 新寺 標識たどる
所々で大岩踏(ふ)んで
数本並んだアンテナの下
 
檜林も踏み跡濃くて
迷わずたどる紅葉の道
手作り標識ていねいな
 
登り初めの二股に出て
とことこ下る元の道
そのうち初めの民家が見えて
 
空気が澄んだ秋の陽(ひ)の
思いを大きく吸い込んだ
宝鏡山のハイキング
 
 
「筑波山 薬王院とミカン園」
 
薬王院の紅葉と
北限ミカンの観光農園
赤と黄色のハイキング
 
北風勢い増してきて
つくし湖 釣り人のんびりと
車を置いてハイキング
 
落ち葉丸まり道埋(う)めて
北風止まる日だまりに
柚(ゆず)の実たわわ黄緑の
 
楓(かえで)が飾る展望台は
周りの木伸び
見晴らしなくて
 
大きな岩のその上は
祠(ほこら)が一つ鎮座して
そばには古石 字も読める
 
急坂登り駐車場
見晴らし広々一休み
薬王院はすぐそばに
 
薬王院のすぐ脇に
フクレミカンの大きな木
老木スダジイ500
 
階段わきには古い歌
一銭まんじゅう蓄音機
おそらくこの歌 戦前の
 
本殿の屋根の修復もう終わり
仏様にお参りし竜の口から水を飲み
力一杯鐘を突く
 
東の庭の弁天池は
低い鳥居に大岩が
モミジは染める池の水
 
急な石段 仁王門
大きな下駄(げた)とワラジあり
スダジイ巨木をしばらく見とれ
 
モミジ日を浴び輝きまして
小さい祠(ほこら)の登山口
道幅広く整備され
 
22人の登山客
あいさつ交わして登りゆく
林道交差岩の上お菓子と水で小休止
 
これから林道ハイキング
ゆっくり下りを楽しんで
車止め下界を眺める人一人
 
双眼鏡で見渡せば
北風強く空気澄み見えるビル影東京の
東京タワーNTTドコモビルもくっきりと
 
右手の名水のど潤して
ぶつかるT字路イチョウの落ち葉
そこにも紅葉道飾り廃業寂しいみかん園
 
しばらく下れば広々ミカン
入園料は300円の それで園内食べ放題の
フクレミカンに温(うん)州ミカン
 
筑波山 万葉集にもミカンの歌あり
店の人フクレミカンは昔から
岩に座ってたらふく食べて
 
フクレミカンは小さなミカン
レモン色 種は多いが酸味も混じり
ぷくぷくふくれた濃い味わいの
 
観光農園数軒あって種なし柚も売っている
気温の逆転 逆転層の
上にあるから暖かく有機肥料のみかん園
 
夕焼けまぶしい下り坂
つくし湖見えて夕暮れ迫る
モミジとミカンのハイキング
 
 
「吾国(わがくに)山と黄緑の鳩(はと)」
 
空は真っ青(さお)十二月
笠間(かさま)と八郷(やさと)の境目の
字だけの大きな道祖神
 
道祖神峠を西に林道が
そこにスペース車数台
林道脇(わき)には歩道があって
 
県立施設の洗心館の
和風の作りの狭き門
聖書の言葉が書いてあり
 
歩道は桜の木があって
キャンプに作業にプラネタリウム
青少年の育成を
 
しばらく林道遠ざかり
階段登って林道越えて
頂上目指す登山道
 
幅は広くて手入れされ
ゴミの一つも見あたらぬ
周りは檜(ひのき)とアオキの木
 
所々は雨水地を掘り
木々の根っこも見える道
ここは県立公園のハイキングコース
 
道が左に曲がる所大きな野鳥が飛び上がり
道脇枝でこちら見て
見れば黄緑 鳩(はと)に似て
 
双眼鏡でよく眺め
色と形を頭に入れて
持ち直した動きでアオバト飛び去った
 
まもなく石垣見えてきて
回っていけば人の声
登山の夫婦の食事中
 
田上神社 吾国山神社
石垣上に祠(ほこら)あり
賽銭(さい)供(そ)えてゆっくり拝む
 
今日の快晴澄(す)んだ空気に
雪をかぶった富士山と
加波(かば)山 筑波山 宝鏡山も
 
双眼鏡で一回り 牛久の大仏
霞ヶ浦と涸(ひ)沼の水もきらきらと
高層ビルの県庁と大洗のマリンタワー
 
今日のラーメン豚骨の
まわりはブナの白い幹(みき)
片栗(かたくり)原は囲ってあって
 
ブナの大木 大きなアカシデ
下は枯れ葉のかさかさと
木の枝越しに笠間市の
 
筑波山とはまた異なった
きれいに整備の518メートル
吾国山は冬の光がまつわり付いて
 

「強風の難台(なんだい)山」
 
道祖神峠(とうげ)に車とめ
小さな白い二人像
大きな字だけの石碑(ひ)から
 
鎖(くさり)の車止め
二股(また)道を左取り
枯れ葉が厚いふかふかの道
 
しばらく登れば十字路あって
右への道が登山道
帰りの道をはっきり覚え
 
丸太の階段長々と
周りは檜(ひのき)アオキ 篠(しの)
大きく育った山桜
 
道幅広く県立公園
霜柱所々は地面が凍り
金属石突(づ)き杖(つえ)打ち込んで
 
風は唸(うな)ってぱらぱらと
檜(ひのき)の枯れ葉が雪となる
見れば緑の檜の葉まで
 
コブ三つ通り過ぎ
滑る坂道ロープを伝(つた)い
いつの間にかにクマザサ増えて
 
山頂553メートル
石の小さな祠(ほこら)あり
金属製の見晴らし地図と欠けた三角点
 
そこは少々広場があって
お湯を注いで辛ラーメンを
そのうち周りは登山客たち
 
ガスでおでんを食べる人
ぐるっと配る缶ビール
ちょうど今は十一時
 
お先にと東へ下る峠を目指して
屏風(びょうぶ)岩 ししヶ鼻
そこから巨岩がちらほらと
 
老夫婦登山客
いろいろ話して別れを告げて
ロープも数カ所張ってある
 
コブを幾つか越えていき
大きな岩の団子(だんご)石
古い団子石峠さびて字読めぬ指導標
 
白い自動車見えてきて
林道交わる新団子石峠
立派な石のテーブルと椅子(いす)
 
そこから歩道は愛宕(あたご)山へ
今日はここから折り返す
林道出来たは88年
 
霜柱所々はアイスバーン
枝さえ折れた強風の
スズラン自生地看板直し満足心の難台山を
 

「残雪正月筑波山」
 
南斜面は雪なくて
正月登山の大にぎわいは
ケーブルカー沿(ぞ)い登山道
 
御幸(みゆき)ヶ原は雪残り
日陰の自然研究路
アイスバーンでツルツルの
 
冬でも開いたトイレのそばで
付けるアイゼン6本爪(づめ)の
ユース跡コースを下りゆく
 
上部の下りは雪凍り
こりこりこりとアイゼン鳴って
気分さわやか雪の道
 
下っていけば雪消えて
出会った登山者十人近く
アイゼン快調土の道
 
ユース跡の駐車場
こちこちこちのアイスバーン
数台車は皆四輪駆(く)動
 
加波山峰も近く見え
遠くは雪の日光男体山
御影(みかげ)のテーブル椅子土付いて
 
林道下れば
Uターンの普通自動車空回り
四輪駆動の威力知り
 
登りの道は男の川コース
男の川橋からスタートし
雪はほとんど見あたらず
 
イノシシ掘った山腹を
会う人今日は誰もいず
静かな正月裏筑波
 
薬王高原たどり着き
雪が次第に多くなり
階段登って自然研究路
 
大石重ねで三人女性
南のコースは雪わずか
聞いて回るは日陰道
 
雪がたくさん階段を
アイゼン頼もし
足取り軽く
 
閉じたトイレのアイスバーン
難なく抜(ぬ)けて
御幸ヶ原へ
 
三個串刺し焼き団子(だんご)
ポカリスウェット腹にしみ込み
下ったコースはケーブルカー沿い登山道
 
下りもにぎわう登山客
中学生の柔道部
走って登るは初稽古(げいこ)
 
冬の筑波はがらっと変わり
特におもしろ北斜面
アイゼンあれば鬼に金棒
 
 
「筑波山 野生の猪(イノシシ)」
 
梅林隣のシシ鍋屋
久しぶり
みそ味たっぷり野生のイノシシ赤身肉
 
料理を運んだ娘さん
この店近くに夜イノシシが
一年前から数匹も
 
おばさん来ているイノシシが
私も早速飛び出して
家族か四匹暗がり広場
 
まるまる太ったイノシシ一つ
目玉キラキラこちらを見てる
後の家族は後ろ側
 
斜面の藪(やぶ)に姿消し
バケツに餌(えさ)のおばさんが
懐中電灯 山道一匹
 
しばらく店に戻った後に
再び暗がり目をこらし
イノシシ家族も食事中
 
 
「筑波隠(かく)し」
 
筑波山 峰は三つで何と言う
女体山 男体山あとの一つは地元に聞けば
名前もおもしろ 筑波隠し と
 
 
「宝鏡山 万博の森記念碑(ひ)」
 
コンクリートと銅板の
筑波の山を背景に
草も刈られてボランティア
 
 
「筑波山 春の雪と雲海」
 
昨日(きのう)は下はミゾレ降り
今朝(けさ)は濃い霧一面の
今日の登山は猿田彦神社コース
 
赤い大きな鳥居のそばで
車を止めて見上げてみれば
男体山も女体山も雪化粧
 
双眼鏡を見せてあげれば
そばの女性の登山客
歓声あげて喜んで
 
まずは梅林目指(ざ)して山道
雪は全く姿なし
梅林手前で右折れて
 
次の十字路左折する
石には赤いペンキで十字
道はぬからずよく湿(しめ)り
 
アオキの赤い実 榊(さかき)の青葉
逆ト字路左に折れて
まもなく赤字で矢印あって
 
そこを左は別ルート
梅林上への林道の
沢の短い橋への道だ
 
今日はまっすぐ登りゆく
そろそろ雪が目に入る
ト字を右へととことこと
 
大きなモミの木その間
うっすら道が見えるとこ
それを進めばV字谷へ行くそうな
 
今日はまっすぐ祠(ほこら)を目指す
小さな椿(つばき)の間に祠
5円玉一つあり私も供(そな)える7円を
 
この後岩が多くなり
雪も次第(しだい)に増えてきた
前人一人踏(ふみ)み跡残し
 
岩は黒々雪の中
雪を払って岩越えて
赤いマークに安心し
 
新雪さくさく気持ちよく
杖(つえ)の先ピカピカきれいに
軍手はそのうちぐっしょり濡(ぬ)れて
 
もちろん新雪 アイゼンいらず
ザックに縛(しば)る防寒衣
木々はすっかり雪載(の)せて
 
時々落ちる木からの雪は
頭に落ちてご挨拶(あいさつ)
今日ははっきり国松コースとの合流点
 
急に雪かさ増してきた
ステッキ潜(もぐ)る数十センチ
新雪あくまで清らかで
 
雪を払って三角点を
ディジカメ収(おさ)めるコブの上
雪はますます深くなる
 
短いロープで岩のり越えて
左の尾根が木々の間に
こちらの尾根も靴(くつ)埋(う)まる
 
右手の木の間なんだか真っ白
これは何かと分からずに
それは初めて筑波の雲海
 
長いロープは雪の日は
特にありがた急斜面
そこでの雪はほかほか柔らか
 
雪の景色で人の遠声
それは西の展望台から
最後の雪の坂登る
 
研究路 舗装(ほそう)の側面
今日は雪隠れて少し
黒々水平人工物の
 
西の展望台
雲海真っ白見えるもの
富士山 日光男体山 宝鏡山
 
この雲海の下は濃霧の
濃霧の上面平らから
そのうち黒い筋(すじ)はいり
 
空は青空まぶしくて
この展望台にも雪だるま
ディジカメたくさん撮(と)りました
 
今日のコースは猿田彦
新雪ほんとに楽しくて
おまけに初めて 筑波の雲海お出迎え
 
 
「筑波山 V字谷の東尾根コース」
 
花が少なく終わりになった梅祭り
空(す)いた第一駐車場
そこから今日はV字谷の東尾根コース
 
梅林入り口アーチを抜(ぬ)けて
猪鍋(ししなべ)看板筑波荘
左手細道上り坂
 
スミレの紫春の色
イノシシよけの電線敷地
焼き物窯(かま)も左手に
 
十字路左は梅林へ
今日はまっすぐ登りゆく
倒木枝付き道ふさぎ
 
巻き道しっかり踏(ふ)み跡が
しばらく登ると十字路が
赤いペンキで石に標識
 
左は猿田彦コース
右は第三駐車場
今日はまっすぐ上り坂
 
まもなく小さな沢あって
左にケルン石積(つ)んであり
そこを左へ折れていく
 
倒木乗り越え静かな道に
春の野鳥の喜びの
アオキの赤い実道飾り
 
沢がそのうち現れて
下の石に赤マーク十字路の
右への沢は真ん中モミの木
 
その根っこ白いお皿にお賽(さい)銭
私も十円付け加え
この沢登ればV字谷へと行くコース
 
今日の尾根
その沢手前数メートルの
赤いペンキで矢印登山口
 
これは尾根道 立身石への
自然の豊かな楽しいコース
赤いマークはていねいな
 
たいした岩場もそこにはなくて
安全安心尾根コース
途中に一つ人工物が
 
それは高さが1メートルの
宝篋印塔(ほうきょういんとう)らしきもの
筑波の古寺と関係あるか?
 
左の遠くの藪(やぶ)の中
おそらくイノシシその音が
急な土道足場が作られ
 
大きな岩が木の陰に
立身石への到着だ
そこは男体山の自然研究路
 
327日の研究路
今年の片栗(かたくり)咲き始め
春の陽がよく当たるとこ花反(そ)り返り
 
V字谷の右尾根コース
なかなか変化に富んでいて
人の少ない面白コース
 
 
「筑波山 白滝-桜山キャンプ場-つつじヶ丘コース」
 
連休 快晴 筑波山
古びた登山道 白滝-つつじヶ丘コース
誰にも会わない静かなコース
 
赤い鳥居の駐車場
車を置いて筑波山神社へ
橋を右へと登山口
 
石の鳥居をくぐり抜け
つつじヶ丘へと登り行く
これは迎え場コース
 
なじみの道はすがすがしくて
まもなく着いたつつじヶ丘へ
そこで座って一休み
 
今日は山頂目指さずに
今来たコースを数分戻り
右手に建物 給水タンクか
 
そこを左に下る道
私は初めて嬉(うれ)しくて
靴跡見えぬ自然道
 
コースはしっかり見やすくて
時々電線上に見え
小鳥もさえずり四月末
 
いくつか小さな沢越えて
しっとり湿った山林香り
若葉の色もうきうきと
 
数本丸太の丸木橋
しっかりしたもの一本だけで
後は朽(く)ち果(は)て気をつけて
 
そばの小枝を握(にぎ)って渡る
沢音しだいに森響き
車の音も混じって来
 
そのうち木陰に車道の車
最後にコンクリートの溝飛び越えて
着いた車道は桜山橋の数メートル東
 
しばらく車道を下っていって
ガードレールの左に道が
これは桜山キャンプ場への道
 
そこを入(はい)って
数分で古びた建物キャンプ場
ちょうど満開 八重桜
 
桜を植樹 数百本も
明治時代と昭和の時代
記念の石碑(ひ)が左手に
 
そのまま進むと
建物と小さな小屋が付属して
そこの右手に大岩二つ
 
岩には白滝ペンキで教え
この道古くて歴史あり
急な下りも危なくなくて
 
白滝神社の社(やしろ)の後ろ
なじみの神社に手を合わせ
苔(こけ)むす岩を下りゆく
 
杉の大木しめ縄あって
誰もいない静かな白滝
上段の滝は2条 下段の滝は3条の
 
そばの大岩 不動様
小さいながら歴史を刻(きざ)む
カップラーメン滝見て食べた
 
ガマの石像 真新しくて
ここからは林道下る
立野 臼井(うすい)沼田の平地
 
ぐるっと歩く山里の道
現の証拠の花咲き乱れ
田植えの水と耕運機
 
つくばの駅に着きました
今は線路はなくなって
リンリンロードとバス停タクシー乗り場
 
駅のそば石の白い鳥居(とりい)をくぐり
車道をてくてく登りゆく
ここのタンポポ 関東タンポポ
 
そのうち初めの赤大鳥居(おおとりい)
つつじヶ丘から桜山 白滝コース
今はすっかり寂(さび)れたコース
 
大型連休 筑波山
味わい深いコースです
小鳥も木々も初夏模様
 
 
「筑波山 住吉神社・秋葉神社コース」
 
筑波梅林から立身石へのコース
途中 分岐(き)がいくつもあって
上部でV字谷東尾根コースと合流し
 
梅林駐車場に車を置いて
猪(しし)鍋屋筑波荘の西の道
とことこ登る 猪よけ電線張ってあり
 
最初の十字路まっすぐ進む
倒木まいた脇道あって
石に十字の赤ペンキそれも直進
 
30メートル進んだところ
左にケルンが積んであり
ここも直進
 
またまた現れ十字路が
岩にペンキでマークあり
それも直進
 
倒木あっても大丈夫
檜(ひのき)の植林目立つ道
まもなく大岩その下に木製祠の住吉神社
 
左にスダジイ従えて
ギンリョウ草と立浪(たつなみ)草が
ここは尾根の東斜面
 
左に道はくねっていって
急な坂道登ります。
まもなく二つめ秋葉神社が
 
これも木製小さな祠(ほこら)
山桜 モミの木そびえるその間
ここでもお賽銭(さいせん)
 
しばらく登れば岩に逆トのマーク
ここは左に曲がります
今日初めての左折です
 
このあたり左が谷で右が尾根
岩にペンキでト字マーク
ここもまっすぐ登りゆく
 
まもなくV字谷東尾根コースと合流す
そこには木立にト字マーク
後は順調 枯れ葉道
 
最後のト字道 右行けば
立身石の巨岩見え
これから回る自然研究路 御幸ヶ原へ
 
岩の洞窟(どうくつ)見たければ
立身石に着く手前
最後のト字道 まっすぐ行けば
 
左は断崖(だんがい)細い道
しばらく進めば大岩あって
それには洞窟 神秘的
 
住吉神社・秋葉神社コース
変化に富んだ自然道
誰にも会わない登山道
 
 
「筑波山 中腹一周コース」
 
筑波山 腹巻き状に一回り
赤の大鳥居 東大地震観測所 風返し峠
国民宿舎のつくばね 筑波高原キャンプ場
 
男の川橋 薬王院コースを横切って
みかん園コースを横切って
国松コースを横切って
 
梅林通って赤の大鳥居に戻る
筑波山 中腹一周コース17.6km
林道 山道 車道も歩く
 
1.5キロで地震観測所81歳おばあさん
数年前まで人住んで
今はアジサイ咲き乱れ
 
お稲荷様は岩の上
この道古く天狗党
俳句の石碑(ひ)も立派です
 
途中で夏草背が高く
車道に戻って風返し峠へ
白滝への道右に見て
 
3.9キロで風返し峠 補修された石鳥居
筑波の峰も男女そろって
湯袋峠へ下る道
 
イノシシ渓谷 看板あって
しばらく下れば猪 元気で檻(おり)の中
若者走り屋オートバイ
 
しばらく行けば国民宿舎へ分岐(き)あり
6.6キロでつくばねオートキャンプ場
ここでコーラの大カン飲んで
 
土道 林道気持ちよく
つつじヶ丘への分岐点
ここで、8.8キロ万歩計
 
色んな野の花 木の実もあって
真壁町の領域へ 筑波高原キャンプ場
ここで昼食コッペパン カップラーメン
 
女の川過ぎてユース跡への分岐あり
しばらく下って風 心地よく
20人マウンテンバイクの若者達が
 
二人混じった娘さん
自転車登りは大汗見えて
それでもあいさつ嬉(うれ)しくて
 
10.6キロ男の川橋を渡るとき
上流二人が食事中
橋は古びて手すり壊(こわ)れて
 
分岐を酒寄方面へ
このあたり完成したての舗(ほ)装道
長年かけて出来上がり
 
薬王院コースを横切るまでに
赤のテープのマークの道が
おそらくこれは登山道
 
12.0キロ薬王院コースを横切って
酒寄と薬王院への分岐を左
14.3キロみかん園コースを過ぎて
 
このあたり西の方面 展望良くて
初夏の日差しは摂(せ)氏30
16.1キロ国松コースを過ぎて
 
16.6キロ橋の西すぐ
猿田彦神社コースを通り過ぎ
筑波梅林 東(あずま)屋で17.0キロ
 
筑波神社の赤の大鳥居(とりい)
これで一周 中腹一周17.6キロメートル
梅雨の合間の楽しい歩き
 
梅雨(つゆ)どき野草も花美しく
オカトラノオ ウツボグサ
ニッコウキスゲも風に揺(ゆ)れ
 
筑波山 中腹一周コース
山頂目指(めざ)すコースと違い
気分が変わって おすすめコース
 
 
「筑波山 府中街道」
 
筑波山 中腹 古道 東山 家並み続く
ミカンの木 石碑 神社を わきに見て
背高い夏草道消える
 
 
「筑波山 710メートルのコブ 筑波隠(かく)し」
 
三つの峰の筑波山
女体山 男体山 筑波隠し
三つを見ると美しく
 
真壁町では 筑波隠し が一番目立つ
710.0メートル地図には名前はありません
男体山の北西に
 
今日はとことこ登りましょう
筑波隠しは薬王院コースから分岐して
緩(ゆる)い登りで山頂に
 
その分岐(き)点
薬王院コース上部 薬王高原平らなところ
そのすぐ下の階段あって
 
桧(ひのき)林のあるところ
上見て左に分岐して
テープのマークを見ながら登る
 
踏(ふ)み跡 今はかなりクッキリ
息もさほどは切れません
登る気あれば楽な道
 
まもなく頂上着きました
三角岩が鎮(ちん)座して
周(まわ)りは立木が風に揺(ゆ)れ
 
手製のアルミ板 木の枝に
坊主山と書かれてあった
反対方にも道あって
 
おそらくこれは林道からの
この山は御幸ヶ原の店主人
二軒に聞いたが名は無いという
 
真壁町では 筑波隠し と呼ばれ続けた
アルミ板 坊主山との呼び名はどこで?
三角点も三角岩の脇(わき)
 
男女の峰の
その子供
筑波隠しはゆったり景色
 
 
「筑波山から見る富士は」
 
筑波山から見る富士山は
夕は黒富士 朝 白富士の
続けて見たのは運の良さ
 
 
「筑波山 西山の黒門跡」
 
江戸時代 罪人も黒門くぐれば
神仏の地で役人すらも引き返す
今も暖か冬の日も


 
 

LINK free.  リンクの時お使いください: 筑波山と筑波山登山コース