悲劇を生きた沖縄の偉人

板良敷(牧志)朝忠
いたらしき (まきし) ちようちゅう

第4話 2003.3.23




帰国後の更なる勉学

 板良敷朝忠の帰国の年月を記す記述がこれまた見えないが、僅かに名嘉正八郎編集による「喜舎場朝賢・校本・東汀随筆(至言社)」の解説に、「牧志は二十 一歳のとき、冊封謝恩使の随行員として清国へ行った。帰国までの一か年間に牧志は中国語を学び・・・・・ 。視野の広い人物であった」と記されている。これが事実なら、アヘン戦争の開始直前の帰国となる。もう一人、高良倉吉氏の「おきなわ歴史物語」では、牧志 は「長期滞在中、学問を修めた」とし「牧志がコシケヴチやアヴァクーム神父と知り合ったのは、1840年代はじめ頃のこと」とある。いずれが正しいかは不 明だが、いずれにしても清朝の没落という、慌ただしい時代の目撃者ではあった。

 帰国後、異国通事となり、1844年首里山川村の亀山朝貞娘ナベと結婚し、5月入籍している。二人の間には、朝英、朝昭、朝珍の三人の子が産まれたと、喜舎場は記している(東汀随筆続篇第16)。

 丁度この頃、フランスの艦隊が寄琉し、王府の断固とした拒絶を聞き入れずに、メルメ・デ・カシヨンという宣教師を強引に在住させて去っている。海音寺潮 五郎の小説「鷲の歌」ではカシヨンについて、「これほどの男なので、琉球駐留中、琉球政府をこまらせたこと一方でない。禁断の地域に自由に立入る。厳禁さ れているキリスト教を宣伝する等々いろいろであった。朝忠は政府の命令によって」その係りとなり、毎日カシヨンの宿舎へ行き、おとなしくするようなだめな がら、語学の交換教授をして、カシヨンは琉球語を、朝忠はフランス語を修得した、とある。満2年でカシヨンは去ったとあるが、2年で朝忠はフランス語をか なりマスターしたことになる。

 入れ替わるように英国のベッテルハイムという宣教師(1846年〜1854年那覇滞在)が駐留し、またしても朝忠がお守り役に選任せられ、ここでも交換 教授で英語と琉球語の修得が行われた。このベッテルハイムは医学の心得もあり、種痘については琉球へ多大の貢献をしている。当時の天然痘は死の病で、特に 狭い島嶼部では住民全滅さえあり得るのだ。それを防げたのだから、大恩人と言っても良い。その彼は語学の力も大したもので、3年半で「琉球語文典階梯」を 書き上げ、8年後には琉語による聖書まで作成している。

 同時期、朝忠は安仁屋政輔(与世山親方)にも師事して、英語の勉学をしている。清国で欧米のような大国を知り、これからの異国通事としては、英会話が不可欠と悟ったような行動である。

 このベッテルハイムは気難しい気質のイギリス人で、相当那覇の住民から敬遠されていたらしく、本人もノイローゼ気味になったりもしたらしい。それもその はず、王府の徹底的な妨害のため、8年間の宣教活動で信者は一人も得られず(正確にはたった一人、崎浜秀能という者が信者になり、後年それが露見して処罰 されているということもあったが)、ともかく市場の女たちは相手になるのを恐れて逃げ回るため、食う物にも事欠く有り様だったのだ。怒った彼は放り出され た品物を無断で持ち帰った。もちろん金は適当に置いてである。沖縄では眼鏡のことを、ガンチョと言うが、波の上のガンチョ、又は犬を連れての散歩が多かっ たため、犬(イン)ガンチョのあだ名で呼ばれていた。これが愛称なのか蔑称なのか、よく分からない。というのも、医学の知識を学ぶため、こっそり通う医道 のものもあり、市井の病人には役人に知られぬよう西洋医学の投薬をしたりして感謝されたりしていたからである。

              ベッテルハイム肖像

 ただ、このマチグワーの敬遠は、どの異国人にもとられた琉球人の態度で、市場へ物を買いにきても関わりになるのを恐れて、女たちは真っ先に逃げてしま う。仕方なく放り出された商品を持ち帰り、適当に代金をカゴの中へ置いてくるといった有り様だった。これにはペルリ一行も閉口したと、手記に記されてい る。ところが、その代金の大半は女たちの手には渡らず、当時王府から命じられていた追行人、つまり尾行者がちゃっかり盗っていったらしい。商品を取られた マチグワーには迷惑な話であるが、泥棒と疑われた異国人も災難である。

 板良敷朝忠は、その後も来航する異国船との応対のなかで、英会話に磨きをかけていたらしい。当時の通事は俸給も低く、単なる下級サラリーマンであるが、 やがて板良敷朝忠(この時はもう牧志朝忠か)は首里崎山村に邸宅を買い、移り住んでいる。その新居への引っ越しにあたっては、王府から銭7万貫もの大金が 手当として支給されている。この辺りから、周囲のやっかみと成り上がり者への陰口が付きまとい始める。薩摩の威光が、背後霊のように不気味に輝いてくる。

  次ページへつづく
           トップページへもどる
1
1