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副会長の会社倒産






2010年1月21日

「石川県で創価の副会長経営の会社が倒産して、120名が脱会した」

という情報をいただきました。
もっと早くアップしたかったのですが、
寄せられる情報の取りまとめに時間がかかり申し訳ありません。
それでは、検証してみます。


メイバン、自己破産へ 関連会社も

帝国データバンク金沢支店によると、プラスチック製標示板や案内表示設計施工の
「メイバン」(金沢市湊1丁目、舟津常一社長)と関連会社の「伝長」(同)が
5日事業を停止し事後処理を弁護士に一任、金沢地裁へ自己破産を申し立てる準備に入った。
負債合計は計約32億円。
メイバンは65年に創業、70年に「伝長」の商号で法人改組。80年に現商号に変更。
看板などのメーカーとして大手ゼネコンや商社などに幅広く営業。
同年、製造部門を分社化し「伝長」を設立した。
だがバブル崩壊後の景気低迷と建設業界の不振から収益が低迷し資金繰りが悪化。
資金計画に狂いが出た。負債はメイバンが約10億円、伝長が約22億円とみられる。

2009年10月06日朝日新聞石川県版(現在は削除されています)


 (株)メイバン、ほか1社~破産手続開始申立準備
 2009年10月06日
業種 サインシステム
所在地 石川県金沢市湊1-55-10
登記上 石川県金沢市湊2-37-2
設立 昭和45年5月
創業 昭和40年5月
従業員 30名
代表者 舟津 常一
資本金 1,200万円
年商 (20/12)15億4,700万円内外
負債総額 (2社合計)32億円内外

平成21年5月13日および同年8月27日付特別情報名古屋版で既報の当社は10月5日、
事業を停止して事後処理を清水 雅志弁護士(金沢市大手町2-24、TEL076-235-3040)に
一任し、破産手続開始申立の準備に入った。
関連会社の(株)伝長(同所、昭和55年4月設立、資本金2,400万円、同代表、従業員80名)も
破産手続開始を申し立てる予定。

昭和40年5月に創業し、昭和45年5月に(株)伝長の商号で法人化したもので、
サインシステムの設計、製作、施工を手がけていた。
昭和55年3月に現商号へと変更するとともに昭和55年4月に製造部門を分離して
(株)伝長を設立した。
東京都庁をはじめ、愛知県庁、兵庫県庁などの官庁のほか、
長野オリンピックや福岡ドームなどのサインシステムも手がけ、
全国的な知名度を有していた。

また、バブル期には積極的な設備投資により生産設備を増強し、
(株)メイバンは平成6年12月期に50億3,200万円内外の売上高を、
(株)伝長は平成4年3月期に28億8,000万円内外を計上していた
((株)伝長はその後、決算月を12月に変更)。

しかし、バブル崩壊により業績は大きく傾き、遊休地の売却などで対応してきたものの、
平成16年8月には(株)メイバンが仕入れ先に対し、支払手形の返却を要請する事態に至った。
このときは(株)伝長が支払いを肩代わりしたものの、信用不安は一挙に広まった。

その後、景気の回復により業績は一時的に持ち直したが、昨年秋以降の世界不況により
受注は大きく後退し、平成20年12月期の売り上げは(株)メイバンが15億4,700万円内外、
(株)伝長が7億9,400万円内外にとどまっていた。
負債総額は(株)メイバンが10億円内外、(株)伝長が22億円内外、
合計32億円内外が見込まれる。


この会社の社長の舟津常一氏は、創価学会副会長で北陸長でもあった。
東京都庁をはじめ、愛知県庁、兵庫県庁などの官庁のほか、
長野オリンピックや福岡ドームなどのサインシステムも手がけ、
全国的な知名度を持っていたので、石川県では地場大手企業とされ、
特に北國新聞では、社長の舟津 常一氏のインタビュー記事も掲載されるなど、
たびたび大きく記事として採り上げられていた。
ところがメイバン倒産のニュースは、北國新聞では小さく掲載されただけ。
この北國新聞社は、系列の印刷工場(株式会社ショセキ)で、
聖教新聞の印刷(石川・富山・福井の北陸3県で9万部)を請け負っている。
このことからも、その扱いぶりの待遇がうかがえよう。
北國新聞の朝刊発行数は約33万部で、石川県内のシェアは約7割を誇る。
この割合は全国的に見ても高支配率である。

今回の件で私共が取材協力をお願いしたルートでは、ほとんどの人が知らなかった。
上記の理由もあり、情報収集に時間がかかってしまったのである。
前述の新聞報道でもお分かりのように、
舟津常一氏は、珍しく創価学会職員ではない副会長である。
したがってピーク時には数千万円の財務もしていたという。
他の職業幹部の副会長クラスでは、年俸以上の財務金額である。
当然、池田大作先生のおぼえも、めでたかろうというもの。
そこで下記の「新・人間革命」にも登場しているのである。


随筆 新・人間革命 229 法悟空
「創価有縁の天地 北陸 新潟」


烈風に轟け! 不滅の勝鬨よ!

  人材の大波が開く日本海の新世紀

インドの詩聖タゴールは、雄々しく歌った。
「見わたすかぎり 怒涛がさか巻いている。
その怒号の中に 船長の声がきこえる――
『前進だ、前進だ、新しい岸に向かって。』」(「渡り飛ぶ白鳥」、片山敏彦訳)

日本海の波と風を受けて、二人の創価の大師匠は、この世に誕生した。
初代会長・牧口常三郎先生は、新潟の荒浜(現在の柏崎市内)の生まれ。
今年が生誕百三十周年であられた。
二代会長・戸田城聖先生は、北陸・石川の塩屋(現在の加賀市内)の誕生である。
昭和五十九年(一九八四年)の八月下旬から九月の初めにかけて、
私は、偉大なる両先生に縁深き、この天地に、連続して走った。
私は、八月二十三日、二年ぶりに北陸へ飛んだ。
そして、最初に入ったのは富山であった。
石川の金沢で開催される、第一回「北陸平和文化祭」への出席が
今回のメーン行事となるが、その前に、なんとしても富山に来たかった。
前年の秋に行われた「富山平和文化祭」には、都合で出席できなかった。
私は、その分も取り戻そうと、固く心に期して、富山文化会館に向かったのである。
移動の車中、舟津常一北陸長(当時)に、北陸青年部の頼もしき成長ぶりを聞いた。
さらに、翌二十四日は、文化祭の本番に向けて、皆の体調を整えるため、
練習を休みにしていることを知った。
当初、その日は、利賀村の富山研修道場を初訪問する予定が組まれていた。
しかし、私は、研修道場の訪問は一日遅らせ、石川・富山の青年部の代表との
勤行会をしようと提案したのである。
この八月二十四日は、私が戸田先生を師と仰ぎ、
広宣流布の大道に突入していってより、第三十七回の入信記念日でもあった。
常に、そして何処にいても、わが師の決然たる面影を胸に浮かべ走る私の生命は、
絶えず躍動し、希望に燃えて前進していた。


相変わらず自画自賛のナルシスト文である。
自分の事を、これほど善くかける人は稀であろう。
まぁ、それらしく「第一書記」とやらという代筆集団が書いているのだろうが。
その文章の中に、副会長舟津常一北陸長が登場しているのである。
古い池田教徒は、この名前は記憶にあるだろう。
まさに北陸の先駆者であり、成功者であり、池田大作大先生のお気に入りである。
それが、こともあろうに、会社倒産、自己破産という悲惨な結果になるとは・・・。

実はこの倒産劇には上記報道以外に、裏のドラマがあった。
先ずは次の住所と施設名をご覧いただきたい。

創価学会北陸常楽納骨堂

石川県七尾市中島町小牧セ部1番
          北陸研修道場内

 

㈱伝長中島工場

石川県七尾市中島町中島ハ1-46


住所だけを見ると、離れているように見えるが、地図をみると、
この2者は隣り合わせの近さで、もとは一つの敷地であったと思える。
確かに昔、ここに大規模な墓地公園を計画していたことが分かる。

能登半島の南部にある中島町は、現在は広域合併で七尾市に併合されているが、
それまでは鹿島郡中島町であり、かなりの田舎であった。
しかし七尾市の北隣に位置し、交通の便も割といい。
ここに目をつけた池田教は、この地に大規模な「北陸墓地公園」建設を計画。
土地を取得したまではよかったが、地元民の強硬な反対にあって断念。
この計画の直接責任者が、当時の北陸長である舟津常一副会長。
代りに「北陸研修道場」という建物をひとつ立て、
その中に「北陸常楽納骨堂」を設置する、という規模縮小をやむなくされた。
ところが広大な土地を購入していて、墓地を作らないとモトがとれない。
そこで舟津副会長は責任をとってか、その土地を自分で購入し、
経営する「伝長」の中島工場を建設した。これが90年12月で総工費10億円。
92年8月にも約4億円を投じて増築、積極的な設備投資で技術力を高め、
全国展開で業績を上げるかに見えたが、バブル崩壊後に景気低迷。
結局この設備投資の負担が遠因となって、その後、高額な欠損を計上するなど
財務内容の劣化が進み、業況悪化に歯止めがかからなかった、
もうお判りのように、舟津常一副会長の会社倒産には池田教・創価学会が
深く関わっているのである。
また、東京都庁をはじめ、愛知県庁、兵庫県庁などの官庁のほか、
長野オリンピックや福岡ドームなどの全国的な受注には、
公明党の関与も取り沙汰されている。
なお (株)メイバン、(株)伝長、この2つの会社、工場、各地の営業所の社員は
「創価学会員でないと雇ってもらえない」(証言)ので、全員池田教徒である。

今回の倒産は、社長としての舟津常一氏と、
創価学会副会長としての舟津常一氏の両面での破綻が問題である。
いつも「池田先生と師弟不二の信心をしていれば守られる」
「現代の仏法指導者・池田先生と広宣流布に生きよう」と言っていた本人が、
守られずに倒産してしまった。従業員である池田教徒も守られなかった。
「信じていたのに」「ウソだったんだ」「騙された」と分かった池田教徒は、
120人を超える大量脱会となったのである。
実は倒産は新聞報道でも事実と断定できるが、
「120人大量脱会」はガセネタかと疑っていた。
地元から「120人以上の大量脱会」との確かな情報が寄せられた。
それで、遅ればせながら本日レポートのアップとなった次第。

衆議院選挙で惨敗し、野党に降格、矢野絢也氏との裁判にも負け、
その上、副会長が経営する会社が潰れる・・・・。
事後処理を行う「金沢ルネッサンス法律事務所」も池田教弁護士だそうだ。

池田教は「善いことがある。幸せになれる」と幹部は大宣伝する。
決して不幸な罰の話など、自分たちに起こる、などという話はしない。
もちろん幹部自身も、「お金が儲かって、財務も三ケタ(百万円)四ケタ(1千万円)
出来る境涯になった。池田先生の教えは素晴らしい」と言っているから
その幹部に、病気、事故、破産などの罰の現証が出ると、
「あの幹部はウソを言った。あの幹部は信心がない」と言って
池田教徒に全く信用を失ってしまう。
そして大量脱会の現象が起こったのである。

池田先生のために粉骨砕身がんばってきた舟津副会長、
末法第二の本仏(池田教説)といわれる池田御本仏は
舟津副会長以下の120数名を守ってくださらなかった。
センセーイ!