弁護団声明

 

読売新聞社は、司法制度を利用した言論弾圧を真摯に反省し

報道機関・言論機関としてあるべき行動をとれ

 

2009年(平成21年)3月30日

新聞販売店弁護団

 

本日、東京地裁民事29部は原告江崎徹志氏による被告黒薮哲哉氏に対する侵害差止請求事件について、極めて妥当な判断をし、被告勝訴の判決を下した。

われわれ弁護団は、この至極当然の判断をした本判決を歓迎する。

 

この裁判の原告は、読売新聞西部本社法務室長の地位にある江崎徹志氏個人の体裁を取ってはいるが、原告江崎氏の背後にあるのは、紛れもなく読売新聞社である。

読売新聞社は、言うまでもなく我が国で最大手の報道機関であり、世界有数の大企業である。つまり、本件訴訟は、世界有数の報道機関が、一ジャーナリストを相手どって起こしたものである。

読売新聞社は、新聞販売に関わる数々の問題を取り上げてきた黒薮氏の報道を封殺することを目論んだ。報道機関であるはずの読売新聞社は、こともあろうに、言論に言論で対抗することなく、突如として裁判を起こし、司法制度を利用した言論弾圧を行おうとしたのである。

本判決は、報道機関による言論弾圧という前代未聞の裁判について、読売新聞社の愚行を断罪した判決である。

 

報道機関が何よりも重んじるべきは、報道・言論の自由である。報道・言論の自由なくして、健全な報道機関たりえるはずもない。報道機関は、本来、報道・言論が侵害されれば、声を上げてその行為を批判しなければならない。まして、日本を代表する読売新聞社は、報道・言論に対する侵害行為があれば、他の報道機関に率先して報道・言論の自由を叫ぶべき立場にある。

しかしながら、本件裁判においては、報道の自由・言論の自由を守るべき読売新聞社が一ジャーナリストである黒薮氏の報道・言論を封殺しようとしたのである。

これは報道機関として自殺行為ともいうべき行為である。

読売新聞社は、かかる報道機関としてあるべき姿を自ら脱ぎ捨てた。率先して守るべき報道・言論の自由を捨て去り、被告の報道を封じ込めようとしたのである。

 

言論には、言論で対抗する。

それが報道機関としてのあるべき姿勢である。読売新聞社は、新聞社として、最も守るべき価値である報道・言論の自由を自ら放棄した。

巨大な社会的権力が一ジャーナリストの言論を封殺する。それがこの裁判の本質である。

 

この裁判の発端は、真村訴訟に遡る。敗色が濃厚になったと考えた読売新聞社は、真村氏の販売店への担当員の訪店再開に関連し、「通常の訪店です。」と記載された回答書なる文書をFAXしてきた。黒薮氏が、この回答書を「新聞販売黒書」に掲載したところ、読売新聞社はこの掲載が著作権法に違反するとして、削除を求める催告書を送付してきたのである。

黒薮氏がこの催告書をも「新聞販売黒書」に掲載したところ、原告がこの催告書の削除を求めたのが、本件裁判である。

 

読売新聞社は、回答書の掲載を裁判では問題にせず、催告書のみを訴訟の対象として選択した。つまり、黒薮氏による回答書の掲載が著作権法に違反しないことを読売新聞社は知っていたのである。読売新聞社は、本件回答書の掲載が著作権法に違反していないことを知りながら、著作権法に違反している旨の虚偽の内容の催告書を送付したことになる。

しかも、東京地裁は、「作成者が原告であると考えることはできない」と判示した。本件催告書の「実質的な作成者は、原告とは認められず、原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が高い」と判断したのである。読売新聞社は、本件催告書の作成者が江崎氏ではないことを知りながら、本件訴訟を起こしたことになる。

つまり、読売新聞社は、本件訴訟それ自体が本来成り立たない請求であることを知りながら、虚偽の事実を根拠として裁判を起こしたのである。

 

本判決は、最大手の報道機関たる読売新聞社が、虚偽の事実を根拠に一ジャーナリストの言論を封殺しようとしたという前代未聞の事件について、読売新聞社の請求を斥けるという当然の判断を下した。

読売新聞社は、自らの愚考を反省するとともに、報道機関・言論機関であることを深く自覚し、報道の自由・言論の自由を封殺するような行為を二度と行うべきではない。

読売新聞社は、本日の判決に素直に服し控訴を断念すべきことは当然である。われわれ弁護団は、読売新聞社が報道の自由・言論の自由を守るべき報道機関としての自らの立場について深く自覚することを求めるとともに、言論には、言論で対抗するという当然の理が持つ意味を今一度、考えることを切望し、今後は報道機関・言論機関としてあるべき行動をとることを強く求めるものである。

以 上