足踏み水車

田へ水を引く道具


はじめに

足踏み式の灌漑用水車。
ほら!愛知県の博物館ならどこに行ってもあるでしょう?
普通に見たって「あー、またある」ってだけなんですが・・・・

仕組みだって単純で 長く時間をかけて眺めていてもそれほど新しい発見もありません。

私も最初はそうでした。どこにでもあるものなので、注目もせず、写真もとりませんでした。
でも、「分布」という概念で見るとちょっと不思議なことがわかります。
日本中にあるものじゃないんですよ。愛知県は足踏み水車が特に多く残されているんです。
そして、東海地方の中でも地域によって微妙に形が違うんですよ。
そんな足踏み水車の構造と分布にこだわってちょっと調べてみました。

この文章を読むと 足踏み水車の見方が変わることうけあいです。

写真の足踏み水車は愛西市佐織歴史民俗資料室



足踏み水車とは

足踏み水車とは、さや箱の中で回転軸に放射状に取り付けられた板羽根を人が足踏みすることで水を汲み上げる古式揚水機のことです。

名称は地域で異なっています。

概して「水車」と展示には記されています。
「すいしゃ」と読み、「みずぐるま」とも読みます。
踏車「ふみぐるま」とも呼ぶようです。

静岡県でも多くは「水車」と書いてありますが「クルマ」と呼ぶこともあるようです。




分類

大型のもので足で踏んで使うものを「足踏み水車」
水車の直径が1.2m(4尺)以下の小型で 主に手で回して使うものを「手回し水車」と呼ぶようです。
この区分は必ずしも使い方や機能を分類するものではないのですが、たいへん明快なのでここではこれに従って記述します。

歴史

江戸時代のはじめ、寛文年間(1661年〜1672年)に大坂の京屋七兵衛 清兵衛が発明したものといわれます。

日本で最初の水車は「日本書紀」の第22巻に掲載されています。
推古天皇の御代(592年〜628年)飛鳥時代、
「18年の春3月に、高麗の王、僧曇徴、法定を貢上る。曇徴は五経を知れり、旦能く彩色及び紙墨を作り、井て碾磑造る。蓋し碾磑徴を造ること、是の時に始るか」

すなわち、610年3月に朝鮮の高麗王の命により、曇徴(だむじん)という僧により日本にもたらされたとあります。
文中にある碾磑(てんがい)とは、水力を利用した臼のことですので、これは粉ひき用だったようです。

1世紀後の大宝元年(701)に制定れた大宝令雑令の中の碾磑については、
「凡そ水を取り田に灌漑せんとするには、皆下より始め順次使用せよ、其渠によりて碾磑を設くるには国郡司を経、公私妨害なくば之を聴許せよ」と書かれています。
すなわち「水を取り入れて田をかん漑しようとする者は下流より始めて順次上流に使用すること、
その場合は国司や郡司の許可を経る事」という意味です。

これらの記述は動力用の水車で、灌漑用の足踏み水車ではないようです。

室町時代の「石山寺縁起絵巻」には瀬田川の水を汲み上げる水車の図がありますがこれは足踏み水車ではなく灌漑用の水車。

最終的に足踏み水車が発明されたのは江戸時代の中期ということになっているようです。

しかし、動力用の水車を見ていれば、動力を与えてやれば水を移動できそうだぐらいの発想はだれでもできるはずなので、同時期に灌漑用の足踏水車があってもよさそうに思います。
現実の足踏み水車の発明がやけに遅いのはちょっと腑に落ちません。

http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/rice/kamakura.html より

足踏み水車は発明された直後から普及し、宝暦(1753年〜1754年)から安永(1772年〜1779年)の頃には全国に普及していたといいます。

それ以前から「龍骨車」と呼ばれる灌漑用の機械がありました。
中国から伝わったものですが、足踏水車はこれに置き換わるように普及したようです。

これは「龍骨車」を駆逐したことを意味します。
  詳細は龍骨車の記述を参照ください。

農業の生産性を飛躍的に高めた立役者です。

つい最近 昭和30年代まで使用されていました。子供の頃 見た人や実際に操作した人も多いと思います。

動力ポンプ、特にバーチカルポンプと呼ばれる安価で大流量のものが一般農家まで普及して足踏み水車はその役割を終えました。

そして今では足踏み水車は完全な「博物館アイテム」になっています。

http://www10.ocn.ne.jp/~yasuda/page007.html より

構造

百聞は一見にしかず ですが、単純な形状ですので細かい説明は不要だと思います。
水車のようですが、水の力で回るのではなく、人が動かして水を高い所に上げるポンプです。

鞘箱と呼ばれる1/4 円 の木製のケースの中を、羽根車と呼ばれるタービンが回ります。
鳥居と呼ぶ羽根車の上に伸びる支柱がある。
羽根車は「蜘蛛手」と呼ばれる細い木材に板材を張った構成のものが多いが、丸い大きな木材に直接羽根板を刺したものもあります。

材質は耐水性と軽さの面から主にヒノキが使われました。地方によっては杉も用いられたようです。

単純な造りではありますが、精度は必要です。それぞれの羽根板の位置が相対的にずれていると、鞘箱との間のすき間になってしまいますので効率は極端に落ちてしまいます。職人芸でしょうね。

大きさはいろいろあります。羽根の枚数も大きさによりさまざまです。
4尺5寸(1350mm)は13枚
5尺は  14枚
5尺5寸 は(1650mm)15枚。 16枚のものもあるようです。
6尺 1755mm   18枚

ひと羽で4〜5升(7.2〜9.0リットル)の水を汲上げることが可能です。
従って、その揚水能力は毎時45〜65立方メートル程度です。

使い方



足踏み水車は人が羽根板を足で踏み下げることで、一方の側で羽根板が水を押し上げ、田へ水を入れるようにしたものです。
このままの状態では人の安定がとれないので、木や竹の棒を水車の左右に立ててそれにつかまって運転しました。
棒は左右に一本づつの時や、片側に3本、計6本を三脚のようにして使ったこともありました。



▲6本で支えた使い方の例 (磐田市見附学校展示)
 ちなみに水車がちょっと特殊な形状なのと、学生服で少年が操作しているのはちょっと不思議です。

体重が必要なので赤子を背負って使用したこともあったとか。

小型の手回し水車は中腰で手で羽根車を回した。たいへんな重労働ですよね。

運搬は、分解して鞘箱は頭からかぶって、羽根車を背負って 一人で運んだ。
2人で天稟棒で担ぐこともあった。
運搬手段が人力しかない時代には運搬の制約が大きさに制限を与えたのでしょう。木材も薄く、骨構造になっているのも、この為の軽量を狙った為だと思います。

構造上の工夫

羽根板を放射状に取付ければ構造はずいぶん簡単に出来るのですが、そうではなく、羽根車を角度を付けて取付けたところが大発明。

こうすることにより、簡単に揚程を高くすることができるのです。
放射状に取付けた時の揚程は車軸の高さまで高めることはできませんが、傾けて取付けることで車軸の高さまで水を揚げることが出来るようになります。
実際の足踏み水車を見ると車軸の高さまで出口を高くしている例は見たことがありません。
ちょっと下の所に水の出口を設けることが多いようです。

タイプ

「東海地方に保存の竜骨車・踏車と手回し水車」によると大別すると江戸型と明治型の2つのタイプに分類されるとのこと。
鳥居と呼ばれるサイドの支柱の高さと、左右の支え棒の構造。そして出口の樋の左右にある「あふれ防止板」の有無が異なります。

江戸時代型は
支柱が低く、支えは底辺の材木に左右に斜め棒で固定されており、あふれ防止板がない形式

明治時代型
鳥居と呼ぶ支柱が羽根車の上まで伸びて左右につながっている。あふれ防止板がある形式

明治時代型は明治以降のものにしか存在しませんが、江戸時代型は必ずしも江戸時代に造られたものとは限らず、大正、昭和の頃に造られたものもたくさんあります。

また、中間的なものもあり、鳥居とあふれ防止板という2つの特徴のうちどちらか1つだけの特徴を持つものもたくさんあります。

分布

「東海地方に保存の竜骨車・踏車と手回し水車」によると現在東海4県には95台が残されているとのこと。
■岐阜県 44台
■愛知県 32台
■静岡県 13台
■三重県  6台

ただ、台数に関しては、私が知っているだけでも「佐屋町」のものなどがリストアップされていませんし、「あー、私の実家にもあったなー」なんて人もいましたので、これ以上残されているものと思います。しかし、たくさんは残されていないものであることだけは確かです。

踏車は北海道と鹿児島、沖縄を除いて全国各地にあり、特に東海4県の他に九州に67台が保存されています。県別では岐阜、愛知、福岡(22台)、千葉県、静岡県、佐賀県、熊本県の順だそうです。
兵庫県にも数はわかりませんが、非常に多くの踏車が保存されていますので、上位に入ることは確実です。
全国一律に残されているものではなく、東海地方と九州地方に特に多く残されているようです。

東海地方に多く残されている理由は
1. 濃尾平野が利用に適していたこと
2. 裕福な農家が多かったこと。 当時としては相当高価なものだったのでしょう
3. 職人が多く、細工物を得意としていたこと
だそうです。

愛知県

愛知県には32台が保存されています。 うち明治時代型が28台で東海地方では圧倒的に多いようです。
愛知県で保存されているものの13台には「岐阜県大垣市本町踏水車製造所 中野屋石川政七」の印があり、岐阜県で造られたものが多いことがわかります。

●豊橋市民俗史料収蔵室 明治時代型
 中央部の窓が特徴的、運搬の時に天秤棒を通す。 東海の中で唯一の形式
●一宮町 鳥居型の支柱はあるがあふれ防止板を持たない
●小坂井町郷土資料館 大正7年から明治14年の間に製造された
●岡崎市郷土館
●安城市歴史博物館 昭和24年製造
●刈谷市郷土資料館 昭和15年製造
●半田市立博物館 安八で製造
●半田市流体研究所 3台所有 県内唯一の完全な江戸時代型 昭和6年製造
 静岡県浅羽町にて使用されていたもの。岐阜県で使用されていたもの。
●知多市民俗資料館
●東海市立郷土資料館
●大府市歴史民俗資料館
●名古屋市立博物館
●長久手町 農業民俗館 6尺型で県内でもっとも大きい
●尾西市歴史民俗資料館
●美和町歴史民俗資料館



▲郷土資料館(うのはな館)
 典型的な明治型

 

▲知立市歴史民俗資料館
 明治型2台が保管展示されています。



▲清須市 新川町民俗資料室
 典型的明治型



▲岡崎市郷土館

岐阜県

岐阜県内には44台が保存されているが全て明治時代型である



▲岐阜市歴史博物館

●海津町歴史民俗資料館 大垣製
●南濃町
●桑名
●上石津町
などに保存されている。

足踏み水車を保存している資料館・博物館のある市町村と保存台数は次の通り。
▽海津町 1
▽南濃町 2
▽上石津町 2
▽輪之内町 1
▽羽島市 1
▽安八町 4
▽川島町 1
▽岐南町 1
▽岐阜市 5
▽穂積町 1
▽北方町(個人)2
▽大垣市 2
▽垂井町 2
▽関ケ原町 1
▽池田町 1
▽真正町 6
▽糸貫町 1
▽大野町 3
▽揖斐川町 3
▽谷汲村 2
▽本巣町 1▽伊自良村 1
▽なお、このほか最近、歴史民俗資料館が開設された柳津町にも1台。

静岡県

静岡県は13台が保存されていますが、このうち江戸時代型が10台。

●豊田町 農業試験場農業資料館 6尺
●浅羽郷土資料館 6尺 ここのものは出口に逆流防止蓋が付いている
●大須賀町民俗資料館 逆流防止蓋(浅羽とここの2つだけ)
●沼津市歴史民俗資料館 江戸時代型に高い鳥居型の支柱を取り付ける富士市のものとともに3台のみの形式
●浜松市博物館 明治時代型
 収蔵のものは鳥居形支柱はあるが、あふれ防止板がない。過渡期



▲袋井市浅羽郷土資料館
 ここには大小2台が保存されています。
 大型のものは江戸型ですが、出口に逆流防止蓋が付いているのが特徴です。
 小型のものは支柱が高く上部で左右がつながっている明治型に台が左右に張り出した江戸型の特徴を持つ折衷型となっています。



▲磐田市竜洋郷土資料館
 磐田市竜洋町のものも地理的に近い袋井市浅羽のものに近い。
 逆流防止蓋が付き、明治型と江戸型の折衷型。



▲磐田市見附学校には2台が保存展示されています。

●森町歴史民俗資料館 1台保存展示されています。「ミズクルマ」という表現です。

三重県

三重県には6台が保存されている
●四日市 鳥居型支柱は持つがあふれ防止板がない 過渡期
●鈴鹿市稲生民俗資料館 外周に巻板がある。強度が増す
●明和町歴史民俗資料館 支柱は短いがあふれ防止板を持つ
●伊勢神宮農業館
などに保存されています。



▲松阪市歴史民俗資料館
 松阪のものは江戸型に近いようですが、支柱が長く伸びています。
 ここには水車だけのモノも展示されており、2台あるようです。 雨ざらし。

滋賀県

滋賀県は「竜骨車」の本場なのですが、踏車は少ないようです。



▲銅鐸博物館(野洲市立歴史民俗資料館)

●高島市マキノ町民俗資料館にも保存展示されていたのですが、博物館がなくなってしまったようです。

奈良県

 

▲奈良県立民俗博物館
 ここには少なくとも4つの踏車が保存展示されています。

兵庫県

兵庫県は足踏水車の集中地帯。
貴重品とは思えなくなってしまうほど あちこちの博物館で見ることができる。
保存も野外が多く、大事にされていないことが多い。

兵庫県の踏車の特色は
1.江戸型が多い
2.支柱のサイドに大きな張り出しが付く
 (人がつかまる長い杭を固定するためのもの)
が共通しているようです。

●川西市歴史民俗資料館

 

▲川西市歴史民俗資料館
 兵庫県東部の典型的な形。ここだけでも少なくとも5台が保存されている。
 鞘の上部が流麗なカーブで構成されているのが大きな特徴。
 鞘のセンター部は機能に関係がないため、小さくすることは軽量化につながる。 合理的な設計
 ここでは、水車の外周に円周状に補強材を入れているものを見ることができる。滋賀県でも見たことがある。



▲猪名川町 ふるさと館
 ここには少なくとも3台が保存されています。





 

▲赤穂市立歴史博物館          赤穂市立民俗資料館
 兵庫県最西部にある赤穂市の踏車
 詳細の説明はありませんでしたが、塩田の道具のコーナーに展示されていたので、塩田にも使われていたのかもしれません。

関東の踏車



▲これは江戸東京博物館にあった踏車
 足踏み式水車「フミグルマ」と表現されていました。
 江戸型を基本として、水車の中心部を大きく窓を開けた独特の形状。
 関東地方の博物館は多くは調査していませんので、これから勉強です。



▲佐倉市の国立歴史民俗博物館
 「踏車」と表現されていました。
 但し国立で全国区なので、関東地方のものかどうかはわかりません。

手回し水車

構造としては足踏み水車と類似で小型のものですが、上に乗って運転するのではなく、手で回して使ったものです。
大変な足腰への負担で重労働だったのでしょうが、苗代などの小面積で使用したものと思われます。
歴史としては文献ではほとんど残されておらず、農具便利論(文政5年1822年)に記述されているようです。

足踏み水車が江戸時代前期に創作され、その後に普及したので、それと同じころに発明、普及したと考えられています。

東海4県には計36台が保存されています。
●岐阜県 19台
●静岡県 11台
●愛知県  3台
●三重県  3台

これも岐阜県がトップです。

愛知県

 

▲手回し水車
 知多市 水の生活館

岐阜県



▲海津町歴史民俗資料館

静岡県



▲磐田市見附学校には手回し水車は展示されていませんでしたが、「子車」と表現された「手回し水車」の使用状態での絵が展示されていました。

最後に

ほら、こんな目で博物館の足踏み水車を見てみるとおもしろそうでしょう?
静岡県とは言っても沼津までしか記述がありません。三島以南の伊豆地方はどうなっているのでしょう?神奈川県は?滋賀県、福井県は?と考えるとちょっと調べてみたくなりません?
また愛知県に残されている足踏み水車のうち13台に残されている「岐阜県大垣市本町踏水車製造所 中野屋石川政七」の印。この店、地域は足踏み水車の故郷ですから、この店の歴史も調べてみたいと思います。今でも名残は残っているのかもしれません。知の冒険気分。

単純な農具なのですがなかなか奥が深そうです。

参考文献、HP

東海地方に保存の竜骨車・踏車と手回し水車(石川 勝也・石川 恭子 )
http://www2.city.minoh.osaka.jp/WATER/Topics.htm
http://www.wakuwaku.gr.jp/sakudaira/suisha/suisha_enkaku.htm


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