豊川閣寺宝館

運営母体 豊川閣
住 所 豊川市豊川町1
電話番号0533-85-2030
休館日無休
開館時間9:00-16:00
入館料400円
備 考
アクセス豊川稲荷敷地内にある
HP 公式HPは特にないようですが
豊川商工会議所のページ が詳しいようです。

展示の内容

概 略 豊川稲荷の宝物館 博物館というよりも美術館に近い
渡辺崋山の絵、明治初期からの日本絵画、彫刻、寺に寄進された刀剣類、面など。
愛知県では
ここでしか
見られない
展示
大岡越前守 愛用の双六などゆかりのもの。
ひとこと仏教の神々が彫刻としていろいろ展示されています。多くの仏たちがいるのだが、それぞれの仏がどのような役割をもっているのか、なぜこのようにたくさんいるのかを今度調べてみます。
備 考


地 図

 地図はhttp://www.walkerplus.com/newyear/tokai/hatsumode/detail/nm3001.htmlより

豊川市中心地 豊川稲荷の中

外 観



寺院風の鉄筋コンクリート 荘厳な建物です。

豊川稲荷の建物

豊川閣はそれ自体が野外博物館のようです。



▲御本殿



▲山門
 天文5年(1536)今川義元が寄進したたてもので、豊川閣で最も古い建物。  唯一の丸瓦葺造りの屋根の形をしています。  寛政5年(1792)と昭和29年に修理がなされています。

 

▲最祥殿(さいしょうでん)
 書院
 昭和4年竣工総檜造りで間口13間(23.6m)、奥行26間(47.26m)の日本式大建築物で内部は400畳敷きの大座敷となっている。


▲妙厳寺法堂 通称本堂
 東海百観音礼所
 千手、千眼観世音菩薩を本尊としている。
 総桧二重屋特有の根瓦葺、内部は禅宗特有の簡素な構造。
 天保時代に建造。

稲荷信仰とは

豊川閣を理解するにはまず稲荷信仰を理解する必要があります。

■稲荷信仰のなりたち。
もともと稲荷神は帰化人で、京都の地方豪族である、秦氏(はたし)の守護神であったとされています。
稲荷の名は稲が生えるイナナニの訛りとも言われます。京都の稲荷山に祀った農耕神だったようです。
稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、後に他の食物神も習合したと考えられています。

宇迦之御魂神(うかのみたま。倉稲魂命とも書く)
豊宇気毘売命(とようけびめ)
保食神(うけもち)
大宣都比売神(おおげつひめ)
若宇迦売神(わかうかめ)
御饌津神(みけつ)

平安時代に神道である稲荷信仰と真言宗が結びつき、勢力を拡大しました。
京都の東寺(教王護国寺)と秦氏の守護神が結びついたと考えるのが自然です。
空海に関する伝承はたくさん残されています。

ヒンズー教起源の神である荼枳尼天(だきにてん)が真言密教を通じて習合されました。
やがて、その強力な呪力が期待されて各時代の権力者にも崇拝された。

やがて、真言宗が全国に布教されるとともに稲荷信仰が全国に広まることとなった。

そして明治維新の神仏分離令により、再び神道系と仏教系に別れ、現在に至っています。

従って、現在の稲荷信仰には大きく2系統あることになります。

■現在の稲荷神社
稲荷神社は全国で3〜4万社あり、日本の中で最も多い神社となっています。
特に関東では多いようです。

大きな稲荷神社は以下のとおりです。
  祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)
  豊川稲荷(愛知県豊川市)
  笠間稲荷神社(茨城県笠間市)
  最上稲荷(岡山県岡山市)
  竹駒神社(宮城県岩沼市)
  鼻顔稲荷神社(長野県佐久市)
  千代保稲荷神社(岐阜県海津市)
  瓢箪山稲荷神社(大阪府東大阪市)
  草戸稲荷神社(広島県福山市)
  太鼓谷稲成神社(島根県津和野町)
  高橋稲荷神社(熊本県熊本市)
  志和稲荷神社(岩手県紫波町)
  福島稲荷神社(福島県福島市)
  箭弓稲荷神社(埼玉県東松山市)
  玉造稲荷神社(大阪市中央区)

本来は穀物・農業の神であるが、現在は産業全般、商売繁盛の神として信仰されている。
現世利益神ということになります。

日本各所にある神道系の稲荷神社の総本山は京都市伏見区にある伏見稲荷大社です。
現存する旧社家は大西家、荷田家等です。
ちなみに、荷田家は江戸後期の国学の祖、荷田春丸を輩出しています。
(荷田東丸は,稲荷社祠官,羽倉家の生まれで,僧契沖に始まる近世国学(和学 倭学)を発展させて,「万葉集,古事記,日本書紀」研究の基礎を作った。
門下に賀茂真淵がおり,続く本居宣長,平田篤胤と共に,国家の四大人といわれた。)

関東に多いのは、同族神、 屋敷神として稲荷を祀ることが一種のブームになったためです。
江戸中期の都市では、町々に 赤い鳥居に石の狐を配し、赤い社殿に「正一位稲荷大明神」の幟を立てた稲荷社が乱立するに至りました。

■なぜ狐が象徴とされるのか?
狐を稲荷神の使い、守護神、あるいは稲荷神そのものであるとする風習は中世より始まりました。
いくつかの説があります。
1.音韻説
習合された稲荷神の一つである御饌津神(みけつのかみ)あるいは大宜津姫神(おおげつひめ)の表音から狐の古名「けつ」が連想され、御饌津神を「三狐神」、大宜津姫神を「大狐神」と解したことによるとするもの。

2.キツネを田の神の神使とする、農民の伝統的な信仰が古来よりあり、稲荷神信仰が広まる際に地元の田の神と結びついた。

3.直接的に稲荷神が稲の神であることから、農村でどこでも見ることができた狐の姿と結びつき、稲の神が稲の出来を見るために狐の姿を借りたものとされた。

狐は犬のように賢く、神秘的な行動をすることが神と結びついた要因でしょう。

後に、狐が稲荷神そのものであると誤解されるようにもなった。

■豊川稲荷と呼ばれながらなぜお寺なの?
豊川稲荷は「豊川閣妙厳寺」という曹洞宗のお寺。
700年前の室町時代に嘉吉元年(1441)創設とされています。
「豊川枳尼真天」を祭っています。

「豊川枳尼真天」と稲荷信仰の起源とされる「荼枳尼天(だきにてん)」との関係、
真言宗と習合した稲荷信仰が豊橋ではなぜ曹洞宗なのか
は現在私にはわかりません。研究テーマの一つです。

ちなみに稲荷の名が付く代表的な料理の一つである稲荷寿司は豊川稲荷の門前で発祥した。
「油揚げ」からの連想で寿司の名称として使われたのでしょう。

宝物館展示

書 画

多くの日本画や仏画が展示されています。
渡辺崋山の絵もあります。

ちょっと印象的だったのが「首引」の絵

「首引」で有名なのが狂言の演目。
天下に武名の高い鎮西八郎 源為朝が、西国から都へ上る途中、播磨の印南野を通りかかると、にわかに鬼が現れ自分の娘に人間の食い初めをさせたいと言う。
 為朝が「力比べをして負けたら大人しく食われよう」と言うので、姫は恥ずかしながら腕押し・すね押しをするがとてもかないません。
次に首引きをすることになり、これも負けそうになって、見ている親鬼は気が気でなく、急ぎ眷族の鬼どもを集めて姫に加勢させ拍子に乗って賑やかに応援します。

 りりしい為朝に対する娘心がほほえましく、また親鬼も実は全くの子煩悩で、娘のこととなると夢中になってしまうその様子がこの狂言の見ものとなっています。

「首引」は大人の勝負として行われていたのでしょう。



▲首引
 江戸時代後期の僧 希應画

刀剣

寺院の宝物には刀剣はつきもの。
武士が武運を祈り、競って奉納したものでしょう。



▲刀剣
 室町時代 信国

大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)愛用の品

大岡裁きで有名な大岡越前守は三河の出身です。彼が奉納したものがここには残されています。



▲碁盤



▲双六



▲毛抜き

寺宝



▲平戸焼の香炉 明治時代



▲蒔絵の文箱

 

▲銀細工と九谷様式の磁器



▲三葉葵紋九曜紋唐草蒔絵女乗物
 江戸時代 婚礼用

 

▲象牙細工 大正時代



▲端渓蓮文大硯
 漢学研究家の高田竹山愛用の品だそうです。



▲大窯
 1800年代後半に参州岡崎で鋳造され、造り酒屋で使われていたものです。
 太平洋戦争中に金属供出で納められ、混乱の中、個人に渡り、平成に豊川稲荷に奉納されたものだそうです。



▲脇障子 飛龍 江戸中期〜幕末



▲准提観音菩薩坐像 鎌倉時代
 諸仏の母といわれる菩薩。



▲釈迦如来坐像と十六善神



▲愛染明王 鎌倉時代
 衆生の愛欲、煩悩がそのまま悟りであることを表す明王。

道元

三幅対 永平高祖行伏記 江戸時代後期
曹洞宗は宋へ渡って厳しい修業を重ね、帰国後永平寺を開いた道元禅師によって伝えられました。
この図は禅師の生涯を70の場面で説明したもの。

  

参考資料
http://www.toyokawa-map.net/inari/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
http://www.niigata-u.com/files/ngt2003/inari1.html
http://www.fuchu.or.jp/~kanamori/inarisinkou.htm
http://www3.kannet.ne.jp/~shrine/inari.htm
http://www.ro-on.org/kyogenenmoku.htm

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