廻船問屋瀧田家

運営母体 常滑市
住 所 常滑市栄町4・75 
電話番号0569−36−2031
休館日月曜 休館
開館時間9:30〜16:30
入館料300円 中学生以下は無料
備 考駐車場なし 道が狭いので歩いて行くことをお勧めします。
アクセス名鉄常薄駅から徒歩15分 土管坂の近く
HP 公式HPはないようですがいくつかのHPで紹介されています。
常滑市観光協会

展示の内容

概 略 常滑市指定有形文化財の大型民家の建築物。
瀧田家の屋敷(1856年頃の建造)を復元したもの。
なかには、生活道具や廻船に関する資料が展示されている。
瀧田家は江戸時代から代々廻船問屋。木綿問屋も行う。明治16年に廻船経営から撤退
800石積弁財船模型(1/5)船の物流書類、船具の展示がたくさん。
主屋、離れ、倉庫等が公開されている。
愛知県では
ここでしか
見られない
展示
無尽灯 油を燃焼させるランプ。
空気圧で下部のタンクから一定量を汲上げて、一晩中照らすことができた。からくり義衛門(東芝の創立者)の発明。
尾州廻船に関する展示が詳しい。尾州廻船は知多半島を拠点にする船。内海、野間、半田、亀崎、北条、多屋が基地。米、常滑焼、酒、などの特産品を運ぶ。
伊勢湾-江戸間は一週間から10日程度の航海。
1年に5往復 ほとんどは伊勢湾と江戸との往復、1回程度は上方へ行く。
ひとこと廻船問屋の展示は愛知県では珍しい。
備 考


地 図

 地図はパンフレットより

観光散策路、土管坂のすぐ近く。

正確な場所は ここになります。

外 観

 

大きな古民家です。
建物は瀧田家が廻船経営をはじめた4代目金左衛門(安政3年:1858年没)の晩年1850年代に建造された建物。
主屋の他に土蔵と離れも修復されている。
多くの古文書とともに常滑市指定文化財になっています。

瀧田家

瀧田家は18世紀初頭から続く旧家です。
4代目金左衛門の時代 弘化2年(1845)に積周丸、宝周丸という2艘の船を持っていました。
5代目金左衛門の時代 安政3年(1856)に栄周丸、文久3年(1863)に福周丸を新造。四艘の船持ちであったことが確認されています。
幕末・維新期には廻船経営を拡大していったが,明治5年(1872)に開業した木綿問屋が成功し,大手資本の洋式帆船の登場とともに,明治16年(1883)には廻船業から撤退しています。

建 物

主屋の間取り構え、胴を固める指物、指鴨居を採用した構造洋式などから江戸中期の住宅形式を踏襲していることが分かります。



▲敷地間取
 瀧田家は坂道の途中にある。

主屋

 

▲母屋
 廻船問屋で豊かだったのでしょう。 たいへん大きくて豪華な造り。

 ■みせ

 

▲帳場
 入り口を入った所は「みせ」で事務所機能。

 ■仏間



▲大きな仏壇
 店の奥、主屋の南側中央部に位置します。
 海運業で神仏に頼る面も多かったためか 豪華な仏壇です。

 ■座敷

 

▲座敷
 指鴨居で固められています。

 ■納戸

 

▲納戸
 寝室として使われいた。作り付けの寝具や衣類の置き場が特徴的です。

 ■台所



▲台所
 北側半分は居住部分



▲階段
 二階の物置に上がるための階段がたたまれています。
 通常は跳ね上げられ、上は戸が閉まり閉鎖される構造。

 ■土間

 

▲土間
 土間は小さいが、農家の様式を残す。



▲かまど
 カマドは土間に壁に沿って作られています。

 ■二階

 

▲二階の座敷
 一階の豪壮さと比べ二階は繊細です。
 接客の空間として利用されていたようです。



▲二階

 

▲つし
 二階の北側半分は物置になっています。

 ■地下



▲地下室
 主屋は坂道の途中にあるため、西側は半地下のような構造になっています。

土蔵

 

▲土蔵と内部
 現在は展示室に利用されています。

離れ



▲離れ
 内部に部屋を3つ持つ。
 いかにもご隠居さんが住んでいるような上品な居住空間。



▲玄関
 敷地は塀で囲まれ、この一箇所で外側と通じる。
 厚い戸板で厳重にロック可能。
 開放的な日本家屋的ではなく、珍しい様式。

 

▲離れの室内
 建物自体は開放的。線が細く数奇屋風。



▲廊下



▲風呂
 離れには独立して風呂が付いて、生活の場となっています。

納屋、奉公人部屋

 

▲敷地内には別棟で納屋、奉公人部屋があります。
 現在は休憩室に利用されています。

尾州廻船

菱垣廻船、樽廻船とともに江戸や尾張の経済を支えた千石船です。

常滑は焼き物の町であるとともに、江戸時代から明治前期にかけて廻船の町でした。
常滑、北条(きたじょう)、多屋には多くの廻船主が住んでいました。
北条、多屋は常滑に隣接する集落です。
尾州廻船は伊勢湾周辺の地域と上方、江戸地方を結んで当時の人々の生活を支えていました。
瀧田家はそうした廻船主のひとつでした。



▲尾州廻船

歴史
大坂と江戸を結ぶ菱垣廻船、樽廻船が有名ですが、尾州廻船は後発になります。
商品を船自身が仕入れ、販売する「買い積み」という方式で既存勢力に食い込み、貪欲さと、スピード、安全性によりシェアを高めました。
尾州廻船は18世紀以降大きく成長していきます。

尾州廻船の基地
内海、野間、半田、亀崎など知多半島に拠点がありました。
常滑湊に近い常滑、北条(きたじょう)、多屋もそのひとつで、まとめて「常滑船」と呼ばれました。



▲尾州廻船の代表的拠点
 知多半島が中心でした。


船は弁才船と呼ばれる大和型で、構造的にはほとんど同一でした。
瀧田家の持ち船の積載量は700〜1000石でした。
船は伊勢大湊や常滑で造られていました。



▲内海船の宝久丸模型
 800石積
 実物のサイズは全長86.7尺(26m)、全幅22.7尺(7m)、帆柱79.5尺(24m)、帆22反

 

 

装備品



▲船箪笥
 重要書類や金銭を保管するための箪笥



▲つづら
 上級乗組員の私物入れでしょう。



▲舷側灯
 左舷用の赤色



▲銭函
 船の商売道具でしょう。



▲船徳利
 船上で倒れにくいように底が広く作られています。



▲船額
 宝周丸のもの

乗組員
乗組員の数は少なく800石の船でも9人程度でした。
・船頭
・賄(まかない):事務長
・親父(おやじ):水夫長
・表仕(おもてじ):航海士
・水主(かこ):乗組員

荷物
常滑船の荷物は「拾い荷(ひろいに)」と呼ばれ、さまざまな荷物が積まれていました。
伊勢湾地域からは江戸地方へは
・米
・常滑焼
・酒
・糠
・水油
・瓦
・切干大根

江戸方面から伊勢湾地域や上方へは
・関東、東北産の漁肥
・雑穀(大豆、麦)
が運ばれていました。

料金形態
常滑船は「運賃積」と「買積」の両方を併用していました。
「運賃積」は他人の荷物を運んで運賃を取る方式。菱垣廻船や樽廻船がこの方式でした。
「買積」は船が自ら仕入れた荷物を別の場所で売る方式。
  北前船がこの方式でした。ハイリスクハイリターンでした。





▲米仕切状
 福周丸の船頭 瀧田儀三郎が明治2年に江戸下り米問屋、久住伝吉へ備前米700俵を販売し、代金1748両を受け取った記録です。
 備前米は一度兵庫に入り、兵庫から福周丸に積まれたものと思われます。
 1%にあたる17両が口銭、仲間積金としてどこかに納められているようです。
 これは「買積」を表す史料です。



▲糠仕切状
 瀧田儀三郎が名古屋の肥料商 大鐘藤七から1500俵の糠(ぬか)を370両で購入した際の「仕切」。
 糠は関東の小麦栽培の肥料として使われました。



▲細工物運賃の支払い「覚」
 瀧田金左衛門は江戸(東京)の西村勘兵衛に常滑の陶器生産者、稲葉庄左衛門らの細工物30俵を運び、
 運賃2両を受け取りました。
 常滑焼の細工物とは置物や急須のことです。
 これは「運賃積」を表す史料です。

運用
瀧田家の船は1年に平均して5航海しています。
その大部分は伊勢湾と江戸方面の往復でした。
年に1回程度は上方へ向かうこともありました。

航海
江戸方面への航海はまず鳥羽付近の湊に入ります。
天候をみて、一直線に伊豆半島に向い、下田、妻良(めら)の湊に入ります。
そこから番所のある浦賀を経て、江戸内湾へ進みます。
順調なら鳥羽、下田間は1日。
  全部で伊勢湾−江戸間は1週間〜10日ほどの航海でした。

上方方面へは熊野灘づたいに航海しました。



▲尾州廻船の航路

海難事故
航海は海難の危険と背中合わせでした。
特に遠州灘、熊野灘が難所でした。
瀧田家でも幕末から明治時代にかけて3回の海難事故に遭遇しています。



▲積周丸破船勘定覚帳
 積周丸は元治元年(1864)4月17日、浦賀を出帆し、翌日神奈川県大磯付近で破船。
 船頭忠七以下11人のうち溺死者3人を出してしまいました。
 積荷、船体被害、葬儀費用、見舞金など総損害額は2492両になりました。
 一発なにか起こると大損害になるという廻船ビジネスのリスクの高さがわかります。
 積周丸は弘化2年(1845)に新造された船ですので、19年間使われたことになります。



▲福周丸 浦手形
 明治3年(1870)11月24日福周丸が東京で大豆、干鰯などを積み、西へ向かったところ、
 遠州灘御前崎市浜岡町の置きで難風にあい、座礁してしまいました。
 佐倉村の住人の救助により、儀三郎以下乗組員13名は無事でしたが、積荷は流出。
 船体も大きく壊れ、帆柱、帆桁などは現地で売却されました。
 福周丸は文久3年(1863)建造ですので、7年しか持ちませんでした。

海難を避けるためには どうしても神仏に頼ることとなるのですが、信仰は
・讃岐 金毘羅宮
・大坂 住吉大社
・志摩青峯山の正福寺
が船乗りの信仰の対象でした。

尾州廻船に興味を持たれた方はこちらをごらんください。

無尽灯

からくり儀右衛門が発明・製作したといわれるランプです。

無尽灯は、幕末から明治中頃まで使われていた灯火器です。
燃料は菜種油。 長時間使えること、明るくて、高さもあり広範囲で照らせることが特徴でした。
当時の精密機器。ハイテク器具でした。高級品だったのでしょう。数も多くは残されていません。
明治初期に石油ランプが輸入され、国産品も多く出たことで姿を消してしまいました。

   

▲無尽灯

製作者田中久重

製作者は田中久重(ひさしげ)。寛政11年(1799)〜明治14年(1881)
久留米に生まれ幼少時から工作に非凡な才能を示しました。
青年期 京都、大坂を活動の拠点とし、無尽灯は京都時代 機巧堂を開いていたころの作品です。
東京科学博物館蔵の万年時計(万年自鳴鐘)が有名な作品です。
55歳で海軍伝習所で海外最先端技術を学び、75歳で東京に「田中商会」を開き、工部省指定の電信機製作所となりました。
跡継ぎの二代目久重が拡大させた芝浦の工場は三井財閥が吸収合併し、現在の東芝に発展しました。

構 造

構造は2重管を多用して複雑なのでわかりにくいのですが、まずはこのような原理図をみてください。

図の左下に高圧タンクがあります。高圧とは言っても大気圧よりもやや高いぐらいの圧力ですが・・・
圧力を作るのは右側にあるポンプです。
圧力はピストンにつながったレバーを上下させ、油を高圧タンクに送り込むことで発生させます。

高圧タンクからは上方にパイプがつながっており、流量調節バルブを経由して上方の皿に押し上げられます。
皿には灯心が浸されており、毛細管現象により、先端まで油が運ばれ、そこに火が付けられます。
灯心はつまみにより上下に動かすことができ、火力を調整できます。
皿には燃焼により消費される油量よりやや多目の油が供給されるようになっているため、皿からは油が溢れてポンプに戻ります。
溢れることで油面は一定の高さに保たれることとなります。
ポンプの上部にある油溜りには 皿から溢れてくる油と新たに補給される油がたまっています。



長時間にわたって高圧を保つためには「弁2」の精度が高く、機密性確保が重要になります。
また、この原理では、上方に運ばれる油の量は気温や器具・油の温度や油の質、下にためられている油の量で変化しますので流量を常に調整する必要があります。

ポンプ部の精度はあまり必要ありません。

圧力をかけるもうひとつ別の方法として 空気ポンプを用いる手段もあると思います。
しかし、気密を長時間にわたって維持する手法が難しいため、液体と使って圧力を高める方法をとったのでしょう。
現代ではO-リングなどのゴムパッキンで簡単でしょうが、その当時は難しかったのでしょう。それが無尽灯の大発明。

 

▲無尽灯の底部
 油がこぼれないように受け皿状になっていますが、この部品には立派な浮き彫りがあります。
 もともと手鏡として利用していたものを加工して再利用したものです。

 

▲上部の構造
 油溜まりと調整式の灯芯で構成されています。

  

▲下部本体部分の構造
 下に高圧タンク、中に油溜まり、上部にレバーとなる口金、油の注ぎ口で構成されています。



▲本体の上部にある口金は 注油口の蓋とポンプのハンドルを兼ねています。
 @口金の部分を持ち上げます。
 A菜種油を注ぎます。
   フィルターでゴミを除去され上部の油溜りに溜まります。
 B油溜まりはポンプ部につながっているため、油はシリンダー、ピストン部に流れます。
 C口金を繰り返し上下させることでポンプが動き、油は高圧タンクに送られます。

 

▲密閉されたタンクの中に油が送りこまれるのでタンク内の圧力が上がります。
 流入した油は弁2に妨げられポンプに逆流することはありません。
 この圧力は長時間保持され、油を上に送る圧力となります。
 この図では油量調整管の下部をカットしてあります。



▲油面が上がって、タンク内の圧力が高まると行き場のなくなった油はパイプを通って上がってゆきます。
 途中に「油量調整稈」という流量調整バルブがあります。
 パイプとそれに内接する丸棒との組み合わせで作られています。
 口金の高さを変えることでパイプの中に長く挿入された丸棒の長さを変化させ、微妙な流量調整をしたようです。



▲油が上部の燃焼部灯芯受けに達します。
 @ここで灯芯に油を供給します。
 A余った油は溢れて、二重になっている油送管の間を通って本体に戻ります。

高圧室の空気圧が下がるまで油は自動的に灯芯に供給され、燃え続けます。
消えかかれば再び口金を動かし、高圧室の圧力を高めます。


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