昭和レトロ館 ワンモアタイム /旧オルゴール博物館

運営母体 私立
住 所 犬山市大字今井字神洞9-1
電話番号 0568-65-0552
休館日金・土・日・祝日のみ開館
開館時間am10:00-pm5:00  
入館料 
備 考
アクセスリトルワールドから 南400メートル。
名鉄西可児駅よりタクシー・・10分
小牧ICから国道41号線・・20分
多治見ICから248号バイパス 清水ヶ丘団地前左折・・20分
小牧東ICから 尾張パークウェイ 今井IC・・15分
HP http://www.one-more-time.jp/ (公式HP)

展示の内容

概 略 世界の時計・オルゴール;アンティークの discや, シリンダータイプの大型オルゴール。ストリートオルガン。
ジュークボックスや昭和レトロなゲームも展示。
ピンボールの保有台数は日本一でプレイも可能。
ほかに ピアノ 蓄音機 時計 等の展示があり 総数700点余点。 時計は主に柱時計、置時計。
愛知県では
ここでしか
見られない
展示
オルゴールの博物館は愛知県ではここだけ。
山車の日本製からくり人形を展示してある博物館は尾張には多いが、西洋のからくり人形を展示してあるのはここだけでしょう。
100年前の欧州のオルゴールはジュークボックスのようにコインで動かす自動機械として発展したことがよくわかる。 和時計の展示がたくさん。昼と夜を分ける2梃テンプ式が発明され、半月に一回の調整で済むようになったとの説明。なるほど。
1596年長浜の時計職人によって造られた時計が現在製造年がはっきりしているもののうちでもっとも古い和時計が展示されている。
望遠鏡のレンズの技術は江戸時代日本がもっとも進んでいた。ただし一揆ののろしの見張り道具として使われたため製造が禁止され、無銘なんだそうです。
ひとこと展示室は結婚式場としても使われるらしく、なかなか良い雰囲気。
オルゴールや時計だけでなく、いろんな骨董品が混じってしまっているためわかりにくくなっている。しかし、展示物の質は高い。なによりも限定的なテーマであることが好印象。
個別の展示物の説明だけでなくオルゴールに関する系統的な説明をしてくれるともっと良いのだが。
備 考2000年6月にオープンした私設の博物館。


地 図

 地図は公式HPより

場所は案内表示が不十分なのでわかりにくい。いかにもそれっぽい建物なので、注意していればわかります。

外 観



▲純木造大型建築。700点の品々を展示しているそうです。



▲内部はホールのようになっています。なかなか良い雰囲気です。結婚式の会場にも使われているようで、博物館のすばらしい活用方法だと思います。

以下展示内容は旧世界の時計・オルゴール博物館のものです。
昭和レトロ館ワンモアタイムに変わり、展示内容も変化しています。

オルゴール



オルゴールの歴史
「1796年にスイスのジュネーブで時計職人アントワーヌ・ファーブルによってこの世に出され、シリンダー型オルゴールが誕生しました。オルゴールの歴史上、鳥のオルゴールの方が古く、それより15年前にスイス人時計師であったジャケ・ドローによって発明され、多くの王侯貴族に愛好されました(シンギングバード)。

ディスク型オルゴールは1886年にドイツでポール・ロッホマンによって完成され、1889年ポール・ロッホマンのシンフォニオン社は本格的な工場に育ち、商業的に大きな発展をみました。
1890にはポリフォン社、1892年にはアメリカでレジーナ社が誕生します。
スイスのメルモフレール社は長くシリンダーオルゴールを作り、ミラ、ステラと質の高い名機を世に残しました。

日本は第二次大戦後、シリンダー型の小型オルゴールを宝石箱に入れ、オルゴールのイメージを定着させました。
オランダからオルゲル(オルガン)が江戸末期に日本に渡来してORGELからオルゴールと訛り、日本語化しました。

最初のオルゴールが時計職人の技術のおかげで質の高いオルゴールに仕上がります。その精密さと丈夫さに時計の高度な技術が生かされました。
オルゴールは215年のオルゴールの歴史の中で、いろいろな国で様々に作られています。王侯貴族の愛玩用に、ホテルやレストランで、駅の待合室で、そして、家庭の中で、赤ちゃんを育て、思い出をつくり、心を癒すなど、多くの看病にも使われてきました。」



▲1810年製ストリートオルガンです。名称不明。
ピアノの原理に似た構造。合わせてタンバリンの音も出ます。
機械的な音響の発生をさせたのは世界で最初のものだそうです。
オランダの楽器博物館に1機あるどうで世界でも数少ない貴重な参考品です。
他の一機は1850年頃の作ではないかと思われます。

ディスクオルゴール

  

▲ディスクオルゴール ドイツ コメット社 1900年代 業務用
 サイドにコインを入れるところがある。ちょっと前にあったジュークボックスのようなもの。
 音楽の楽しみかたもずいぶん大きく変化しているものです。
 コインを入れるところには「Drop Penny in the slot」なんて書いてありますのでイギリスで使われたものでしょう。

  

▲ディスクオルゴール スイス Mira社 1900年代 コンサート用に最適

 

▲ディスクオルゴール アメリカ レジーナ社 1900年頃 業務用



▲ディスクオルゴール ドイツ シンフォニオン社 1900年代
 繊細な音色です。

  

▲ディスクオルゴール アメリカ レジーナ社 1900年代
 ディスクの自動交換機構も持っています。



▲ディスクを持つ、宝石箱のようなオルゴール

シリンダオルゴール



▲シリンダオルゴール スイス製 1860年頃
 この頃からシリンダが真ちゅう製となり、飛躍的に音が良くなりました。

ストリートオルガン

 

 

▲オランダでよく見る大型のストリートオルガン 音も大きく結構迫力があります。

 

▲小型のストリートオルガン、素朴な音です。

オートマター

自動機械というような意味でしょうが、西洋でもからくりは時計師の技術アピールとして作られました。

 

このピエロのオートマターはオルゴールの音色と共に手紙を書きながら、うとうとと居眠りをするからくりです。
スイス製の最近の作のようですが、オリジナルは1895年のフランスのVichy 製作"Pierrot"です。
手紙を書くような雰囲気の動きだけで、文字を書けるというからくりではありません。

 (展示はありません)

日本の「弓射り童子」とよく比較されます。
・同じようにカムを使うが、日本は糸、西洋はリンクで動きを伝える
・表情の出し方などきめ細かさは日本が優れる。
・日本は木材、西洋は金属が主体。

また、これに先立つ1774年製ピエール・ジャケ・ドローとアンリ・ルイ・ドロー親子の「筆写人形」も驚異的なからくりです。

  (展示はありません)

▲カムの数はものすごく多い。「弓射り童子」は11個しかない。
 こちらは実際に字を書く機構を持っています。カムを選択することで異なる文書を書けるようになっていて、それがカムの数が多い理由です。

  

中:シンギングバードケージ ふいごにより鳴る笛が入っていて、鳥がさえずりながら動きます。1700年代スイスのものの複製

楽器



▲このオルガンは1800年後期にアメリカ、ボストン市、オルガンカンパニーのスミス氏により製作されたものだそうです。
現在、全日本オルガニスト協会に登録されている3台の中の1台です。他の2台は明治村と神戸市の某協会に所蔵されています。

 

▲イギリス製 1670年 ジョン・プリマミート兄弟作

蓄音機

 

▲蝋管用蓄音機 アメリカ製 エピソンスタンダードB型 1900年頃
 発明王と呼ばれたエジソンが1877年蝋管用蓄音機の特許を発表し、その後ベルリーナによって改良されました。
円盤式は構造が簡単で、取り扱いが容易であり、その後、回転数、針、レコード盤の直径を各メーカー統一され、大量、安価で発売され、急速に普及し、日本は明治43年に国産を発売しました。

時計

香時計

 

▲香時計
香炉の灰の中に香を鍵型に幾重にも埋め、香の燃焼の長さによって時間を計りました。
主に寺院で用いられ、奈良東大寺二月堂のお水取りの行事には今でも香時計が使われています。

櫓時計

 

  

櫓時計
「動力に重りを使用するため機械体は高い台の上にあり、下に重りがぶらさがっています。
お城の櫓に似た箱の上に載せたため、櫓時計と呼ばれています。
一番上の鐘は、時報と目覚し用ベルを兼ねていて、各時刻に各々の数を打って時を知らせます。
鐘の下にある横棒が棒天符(ぼうてんぷ)で、これにかける分銅の位置を変えることによって時計の速度を早くも遅くもできます。

一挺天符式(いっちょうてんぷしき)
明け六つ、暮れ六つごとに分銅を掛けかえる必要があります。

二挺天符式(にちょうてんぷしき)
江戸時代中期に考案されたと言われます。棒天符を二本取り付け、昼用、夜用とし、明け六つ、暮れ六つに自動的に切り替わるようにしました。
約半月ごとに分銅の位置を調節すればよくなりました。」

 

▲慶長元年銘櫓時計
この櫓時計は安土桃山時代末期 慶長元年(1596)の作で、現存する和時計では、最古のものの一つです。
わが国で最初に時計を製作したのは、名古屋市千種区の初代津田助左衛門といわれています。(1605年あるいは1620年代)。1596年製だとするとこれを上回る古さになります。ここから先は私にはよくわかりません。
台は後世の作ですが、機械体には裏面に製作者の銘が次のとおり刻まれています。
慶長元丙申歳
三月上旬
江州長浜住
時計師 藤山信繁 作

現存する和時計で、製作年代の判明しているものとしては、日本最古の機械式時計です。

日本に機械式時計が渡来したのは500年ほど前です。
その後100年の歳月を経て、日本独特の不定時法にあわせた時計を作りました。
この時代長浜周辺には500名余の鉄砲鍛冶がおり、その他日本全国には大勢の小細工の火造り鍛冶がいました。
本来は鍛冶屋だったため、生涯に作られる時計の数はわずかで、手作りであり同じものはなく現在の工業製品とは大きく異なります。

 

「この櫓時計は伊勢国鈴鹿郡亀山(現亀山市)の城主 石川家(1744−1871)六万石の居城に所蔵されたと伝えられます。 時計は江戸時代中期より明治初期まで亀山城内、城下に時刻を報知し、人々の生活を支える役目を担いました。
亀山城絵図(1865〜1867)によれば、二の丸の東三の丸の間に「太鼓御多門、太鼓櫓」があり時計はここか、あるいは本丸の三重櫓に所在したか。
明治4年の廃藩置県後城郭の解体によって櫓時計は演武場(当時南野村)に移されたものと思われます。
明治6年改暦により1日24時間の定時法になり和時計の使命は終わり西洋時計の時代となりました。
不要となった櫓時計は元御時計番がもらい受けて現在まで保存されました。
その後100年あまりの歳月が過ぎ、その間火災や戦災等の困難な時代を乗り越えて、なお健全な姿で保存されています。」

 

▲亀山城

和時計製作の歩み
「わが国で最初に時計を製作したのは、名古屋市千種区の初代津田助左衛門といわれています。
朝鮮から徳川家康に献上された時計を修理し、それをモデルに模造品を製作して家康に献上しました。
その後元和9年(1623)、尾張徳川家に「おもりどけい」を献上し、同家に仕え、代々津田家はお抱え時計師として明治維新まで続きました。
このような将軍家や諸大名のお抱え時計師がいた他、日本各地(長崎、萩、松江、京都、大阪、堺、奈良、彦根、江戸、仙台、盛岡、弘前、新潟など)にも独立した時計師がいました。
正徳3年(1713)に発行された「和漢三才図会」には時計が「自鳴鐘」と紹介されています。
寛政8年(1796)に刊行された江戸時代唯一の和時計製作の手引書である「機巧図彙」(きこうずい)には掛時計、櫓時計、枕時計、尺時計について記述されています。
江戸時代の後半になると、からくり技術を基盤として、美術工芸的な伝統と日本人の独創性が加わった機械時計の製作が行われるようになりました。
しかし、和時計は時計師が手作りで仕上げる製作方法をとっていたため、時計の生産数量もわずかなものでした。
従って何より高価で、上層階級や一部好事家の鑑賞品や、玩弄品にどどまりました。」

1300年頃 最初の機械時計がイタリアで作られる。
1462年頃 イタリアで初めてゼンマイを使用した小型時計が作られる。
1551年  フランシスコザビエルが大内義隆に機械時計を献上
1605年  津田助左衛門が機械時計を作り、徳川家康に献上
1656年  クリスチャンホイヘンスが振り子時計を完成
1670年  ロバートフックがヒゲゼンマイを発明
1760年  広田利右衛門が一挺天符掛時計を製作
1813年  兼末正当が二挺天符掛時計を製作
1820年  御幡栄三が波板付き掛算時計を製作
1830年  小林伝次郎がオルゴール入り枕時計を製作
1850年  田中久重が万年時計を製作
1873年  不定時法の廃止、太陽暦、定時法の採用
1880年  懐中時計の生産が始まる
1899年  目覚時計の生産が始まる
1913年  日本で始めて腕時計完成



▲尺時計
「掛時計や櫓時計がたいへん高価であったので、その普及型として開発された日本独特の時計です。
時計の文字盤は丸いのが普通ですが、尺時計は物差しのような文字盤です。
時間と共に下がってゆく重りの位置を利用して文字盤にしました。
文字盤には上から6・5・4・9・8・7・6・5・4・9・8・7・6・と数字があり、下まで行ったら重りを一番上の6まで上げて使います。
季節による時刻の調整法には、次のものがあります。

割駒式文字盤
時刻の表示をする文字が自在に動くようになっていて、季節によって文字盤を修正しました。

節板式文字盤
季節ごとに節板という時刻表示板を用意しておいて、二十四節季(冬至、小寒、大寒、立春)ごとに文字盤を交換しました。

波板式文字盤
節板13枚の目盛りを1枚板に結合させたもの。年中時刻の波形グラフを文字盤に表現しました。」



▲掛時計
機械の構造は櫓時計と全く同じですが、柱に掛けて用いました。

クロノメータ

  

▲船舶用精密時計
1735年イギリスのジョン・ハリソンが秒単位の極めて精度の高い船舶用時計を発明し、改良されたものが逐次船舶に装備され、六文儀(当時八文儀)の観測によって大洋の中にあっても経度が正確に測定できるようになって七つの海を制覇する大英帝国の基礎を作りました。

 

▲置時計 硬球落下式 ドイツ製 1940年

 

▲置時計 釘打ちチャイム イギリス製 1866年



▲カッコ時計
 「ヨーロッパでは鳩時計とは言わず、「カッコー時計」と呼びました。
明治時代ドイツから輸入された「カッコー時計」は日本では「閑古鳥」(かんこどり)と訳されました。
今でもそうですがカンコドリは客入りの悪い店という意味なので、商店から嫌われ、カッコーは鳩に変えられ、泣き声も「ポッポー」と鳴くようになり、日本の家庭にも普及するようになりました。」



▲この掛時計はデザインから「涙の雫」といわれました。
 これはアメリカ、アンソニア社と同一デザインの日本製です。

電気時計

 

▲乾電池を使った電気時計。
 今見ると小学生の教材用にも見える稚拙な構造ですが、その当時は最先端の商品だったのでしょう。



▲大日本海軍 航海時計。
 今でもマニアは多いことでしょう。



▲燭台時計(ローソク時計)
 ヨーロッパ中世から広く使用されました。展示品は近世のもの。

その他

 

▲人力車
 明治2年に和泉要助らが協力して作りました。
 数年後世界中に売れ、「リキシャ」と呼ばれました。
 当初の鉄輪から棒ゴムタイヤとなり明治45年には中空タイヤになりました。
 押し車方式の欧米と異なり、前舵取り牽引は日本独自の方法でした。



▲駕籠。権門駕籠(けんもんかご)と呼ばれるタイプで、かなり身分が高い人が乗るものです。



▲大正時代の菊紋章16葉乳母車
菊花紋は古くから用いられてきたが、後鳥羽上皇以降、天皇方が踏襲して使用されてから、花のみ独立したものは、皇室の文様として定着した。
明治維新後、太政官布告をもって、十六葉八重表菊形の紋章の民間使用は禁止となったため、森鴎外、夏目漱石など、菊花を使っていた由緒ある家系では別の菊の紋章に改めました。



▲江戸時代の望遠鏡用のレンズは世界一優秀でした。
 幕末日本に来た欧米人を驚嘆させた技術は日本刀と望遠鏡レンズです。
 望遠鏡は百姓一揆などの反乱ののろし観測などに使われたため製造禁止となりましたが密かに作られ海外に輸出されました。そのため、多くは「無銘」です。

 天体望遠鏡の先進国はイギリスでした。
 海軍の見張用として、あるいは最先端知識である天体観測を正確に行うためイギリスで望遠鏡の技術が発達しました。

参考資料
写真の一部は公式HPから引用
http://www.thocp.net/reference/robotics/robotics.html

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