犬山市文化資料館別館 からくり展示館

運営母体 犬山市
住 所 愛知県犬山市大字犬山字北古券8
電話番号Tel:0568-61-3932 Fax:0568-61-3932
休館日12月29日〜31日
開館時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)
入館料一般100円、中学生以下無料、団体80円(30名以上)
犬山城、からくり展示館、文化史料館、どんでん館の4施設がセットになった入場券(ワン丸手形 600円)もあります
備 考駐車場有・普通車70台(無料)
アクセス名鉄犬山駅又は犬山遊園駅下車 徒歩15分
HP 公式HP

展示の内容

概 略 犬山祭の車山(やま)に備える10数体のからくり人形などを展示。
毎週、金・土曜日には、特設工房で、九代玉屋庄兵衛による、からくり細工の実演公開。
愛知県では
ここでしか
見られない
展示
からくりに関する展示は愛知県内の博物館でいくつかあるが、集中的に見られるのはここが一番でしょう。
ひとこと展示の解説が少なく、ちょっと欲求不満。もう少しからくりの技術面、構造面での解説をしてくれるともっと良い。
展示物は質、両共に申し分なく、からくりに興味がある人は必見。
展示場はデザイン性に欠け、やや荒れた印象があるのが残念。
備 考


地 図

 地図は パンフレット より

犬山城下の市街地の中にあります。
文化資料館から道路をはさんで向かい側。

外 観

 
この博物館のシンボルとなっている門は 宝暦元年(1751)建築で江南市力長から移築した門です。

展示物



▲まずは博物館の門の外壁は舟板を利用しています。
 木曽川の川船がたくさんあったのでしょう。
 水に浸かっていたので虫や腐食に強いといわれていますが、主にデザインを求められたのでしょう。



▲鵜飼の船。細長く立ちが高い側壁のようです。

 

▲説明があまりなかったのですが、石をどこかに献上する祭礼があったようです。

車山の部品

 

▲左:「應合子」(おうごうし)の下車山 六本柱 天保7年
▲右:「眞先」(まつさき)の下車山 六本柱 元禄2年(1689)
 これらの車山は現役ですので、修理の時に外された部品でしょう。

 

▲車山の車軸 2台分あり、ひとつは「国香欄」(こっこうらん)のもの



▲正徳5年(1715)に製作された枝町の車山「遊魚神」(ゆうぎょしん)の黒塗り切妻破風
 破風は時代の流れと共に 黒・金・朱塗りの唐破風となってきました。
 破風には屋根の形式や位置、形によって「切妻破風」「反破風」「唐破風」「千鳥破風」等の種類があります。

からくり

からくり人形の起源

からくり人形とはゼンマイや糸で動く人形のことです。
このからくり人形は江戸時代にもとは時計師だった竹田近江が大阪で旗揚げし、日本中を興行し人気を集めた「竹田からくり」一座の人形がはじまりだと言われています。
竹田からくりは歌舞伎舞台の段返しのように、出し物の舞台そのものに大掛かりな仕掛けをして、見物客にアッと言わせる「大からくり」が呼び物で、その頃のからくり人形は舞台の端に顔を出して愛嬌をふりまいたり、幕間に逆立ちを見せたりとほんの添え物的な存在でした。
人々ははじめ、大からくりの派手な舞台仕掛けにびっくりしていましたが、次第に舞台の袖で演技するからくり人形の、愛らしく、細かな動きに関心をよせるようになりました。
その「竹田からくり」の技術と西洋の機械時計をもとに作り上げた「和時計」の技術が融合して、より細かく精巧に動く座敷からくり、山車からくりへと発展していきます。

からくり人形の種類

からくり人形はおおまかに2つの種類に分けられます。
茶運人形に代表される「座敷からくり」は、鯨のヒゲをゼンマイに使った「離れからくり」の一種で武士や豪商の座敷遊びの興じ物として、招いたお客を驚かすとっておきの座敷として、また、店先に出して往来の人の足を止める物として江戸時代にブームになりました。
ただ壊れやすく修理が難しいため、時とともに消えそのほとんどが現在では残っていません。

祭りの時に曳かれる山車の上で、演技を見せる「山車からくり」は、その地域の祭礼に、天下泰平、五穀豊穣を祈願する為や、神への感謝の気持ちを表す奉納行事として芸を披露します。
この山車からくりは、江戸時代に尾張名古屋の東照宮の祭礼に登場したからくり人形が始まりとされており、その後、流行になって尾張全土に広がり、作られた山車からくりの多くが今もなお活躍しています。

製 作



▲材料は以下のような木材が主に使われているそうです。
黒檀
檜(ひのき)
樫(かし)

柘植(つげ)
花梨(かりん)




▲くじらのヒゲとは小エビなどをこしとる濾過器のような器官です。
からくり人形のゼンマイには「せみ鯨」のひげを使います。
ミンク、ナガス、いわし鯨のひげはゼンマイとしては適していないため使いません。



▲膠(にかわ)
けもの類の皮・骨などを煮た汁をかためたもの。ゼラチンです。
歯車等の接着には、かつては膠が多く用いられていました。

 

▲木材の歯車には花梨を使います。

 

▲九代目 玉屋庄兵衛 の工房


▲犬山祭りの車山13台の模型

座敷からくり

 

▲左:ご存知 茶運み人形 と 唐子独楽遊び



▲御所人形
 詳細な説明はありませんでしたが、御所人形の中にはからくりで単純な動作をするものがあるようです

 

記里鼓車 一定の距離を進むと、太鼓を鳴らす車。距離測定車ですね。
指南車  どの方向に進んでも上の人形は常に南を指し示す車両
     方位磁石を使っているのではなく、左右の車輪の差動を利用しています。

糸からくり

 

  

▲唐子遊び
「三体の唐子からなり、二体は糸からくり、一体は離れからくりです。
これらは18世紀の後半に名古屋の人形師竹田藤吉によりつくられました。
このからくりの一番の見所は鯱(離れからくり)が中央の上で左手のみで倒立し、首尾よくいくと首を振りながら右手で太鼓を打ち、喜びをあらわす場面です。
三体の唐子は、藤吉の作の中でも顔の出来が秀でているとされ、特に小人形は表情がすばらしいと言われています。」

 

  

▲からくり能 − 羽衣
「『能−羽衣』は能の中でも最も優れ、最もポピュラーな作品の一つであり、世阿弥の作です。
この能におけるシテ・天女とワキ・漁夫を人形からくりで表現するのが、『からくり能−羽衣』です。
天女が昇天する場面を、乱杭渡りと空中遊泳という特殊からくりで操るとこが、見せ場です。
またこのからくりが地謡・囃子の能楽に合わせて上演されることから、『からくり能』と呼ばれ、全国でもめずらしい郷土芸能として、高く評価されています。」

  

▲三番叟
「三番叟の起源は農耕民族の祈りと祝舞の儀式、天下太平、国土安隠を願い舞われたのが始まりです。
「三」は多く、「番」は田に種子を播く文字形をあらわし、「叟」は翁を意味します。
白い翁は平和、黒い翁は豊作を祈願し、鈴は稲穂を表すものです。
人形の所作は能「翁」の三番叟より、「揉の段」と「鈴の段」から成り、15本の糸を5人で操る「糸からくり」で、最大のみどころは、人形の胸が開いて中から黒い翁の面が現れ、白い男の顔面にかぶさる「面かぶり」の早変わりの妙技です。」

 

▲猩々(しょうじょう)
「猩々は中国に伝わる想像上の動物で、酒の妖精とされている。
この操り糸の数は36本で、一体の人形としては多い。
扇を開き、あぐらをかいたり、つま先で水の上を歩く動作をしたりしながら、能の猩々を舞う。
酒壷から酒を汲み、飲み干すと、猩々の顔が一瞬で真っ赤になる面かぶりが見ものです。」

 

 

▲浦島
浦島人形が亀に乗って遊んでいくと、貝の中から乙姫人形があらわれ、玉手箱を手渡します。
浦島太郎はもらった玉手箱を開けてしまいます。
すると、たちまちのうちに翁に変わってしまいます。
面かぶりと言われる早業が、このからくりの見所です。

  



▲唐子遊び梅渡り
1827年、三代目玉屋庄兵衛に発注され、現在の唐子人形が誕生しました。
この時衣装を作ったのが伊藤呉服店(現在の松坂屋)です。
当時外町は城下の格式高い町内の外で発展した商業地であり、新進の三代にかける期待は大きかったと想像されます。 からくりは、大小の唐子人形が梅の梢(こずえ)で遊び、倒立して太鼓を叩く演技を披露し、「梅梢戯(ばいしょうぎ)」の名で親しまれています。
1976年に7代目玉屋庄兵衛が修理にあたりました。

 

▲石橋獅子(しゃっきょうじし)
能楽の石橋(しゃっきょう)に基づいて作られています。
楽の音に合わせ、唐子人形の操りで始まり、牡丹(ぼたん)の花を手に嬉々として文殊(もんじゅ)人形の面前で踊り戯れます。
花台の上に牡丹の花を挿すと、開いた花の中から獅子頭が跳び出し、頭と尾を振りながら跳ね回ります。
それを眺めて文殊人形が軍配を片手に唐子を褒め称え、千秋万歳を寿いで舞い納めとなります。

 

▲左:犬山楽田「横町」のからくり人形 本館に展示している車山のからくりです。
 右:余坂の「べろ出し人形」



▲二福神(にふくじん)
大黒様が遥か彼の地にあるという「宝袋」を求めて永い旅を続け、やっと見つけます。
大黒様が「宝袋」に福槌を振り下ろすと「宝袋」は真っ二つに割れ、中から宝船に乗った恵比寿様が現れます。
二体の人形は大喜びをして左右に動き、終わりが近づくと、恵比寿・大黒ともに神前に礼をして静かに下がっていきます。
最後のところで、いかに早く「宝袋」を元の状態に戻すことができるかが、操り手の腕の見せ所です。

  

 

▲司馬温公甕割り人形(しばおんこうかめわり)
中国北宋時代の政治家そして学者であった司馬温公(司馬光ともいわれています)(1019〜1086年)が洛陽で生活していたとき、子供が甕に落ちた。彼は機転を利かし甕を割って子供を助けた。
この故事をからくりで演じるもの。

  

▲住吉・白楽天
能楽の「唐の白楽天と老漁夫の知恵問答」に題材をとっています。能では知恵問答ですが、からくりは術比べになっています。
平安時代、玄宗皇帝の使者として唐の国から白楽天が問答のために日本に渡ってきます。
そして日本の住吉と問答の末、術比べになり、白楽天はお社(やしろ)に、住吉は橋に変身します。
どちらも見事な変わり身の早さが見所です。
その技法は日本の折り紙や折り畳み傘の技術を思わせるようです。

その他

 

▲和時計 からくりの技術は和時計の製作から発展しました。

弓射り童子

からくりといえば・・・・

 

▲東芝の創始者 江戸からくりの最高峰 田中久重作が製作した弓を4本発射するからくり。
 カムと11本の糸を使って人形を動かす。
 うち7本を頭の動作に使い、表情こまやかで感情表現までつくりこんでいます。。
 当時は相当高価だったのでしょう。徳川家、加賀前田家に伝わり、現代日本に3台が現存する。
 実物の展示はありませんが、玉屋庄兵衛氏も復元しているようで、写真はたくさんありました。
 一度私も作ってみたい。
 構造は極端に複雑ではないので作るのは可能だと思うが、0から創出したことはすごい。


参考資料
写真は一部パンフレットより

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