約束



「こ、告白されちゃったんだけど」
 突然澪から電話がかかってきて、今から律の家行ってもいい、なんて尋ねられて。別に構わないけどって答えた2秒後に玄関のチャイムが鳴って。澪を部屋に招き入れて。
 開口一番それだった。
 詳しく話を聞いてみると、相手は夏期講習で同じ講義を受けていた男子。近所の男子校の生徒らしくて、何度か隣の席になったことがあるらしい。
「い、いつ告白されたんだ?」
「えと……今日の、夏期講習の帰りに、呼び止められて」
「な、な、なんて」
「そ、その、前から……ってそこまで言わせるな!」
 べし、とチョップ。恥ずかしさもプラスされてちょっとばかり力が強いです、澪さん。
「どうしよう、律」
「どうしようって」
 そんなこと言われても。あたしに恋愛の相談なんて不向きもいいところだ。
 絶対的に経験不足。良いアドバイスなんて出来るはずもない。
 でも。
 たとえ経験不足でなくても、良いアドバイスなんて出来ないんじゃないかなって思う。
(……なんだ、これ)
 だって、さ。さっきから澪の話を聞いていると、ちくちくとお腹が痛むんだ。正体不明のその痛みに気が付かないふりをして、あたしは口を開く。
「でもさ」
 って、あれ、なんでこんなか細い声になっちゃうかな。思わずこほん、と喉を鳴らす。
「初めてじゃないじゃん」
「それは……そうだけど、でも」
 澪は美人で物静かだし、結構もてる。中学のときだって、男子に密かに人気があったのは、あたしが一番よく知ってる。いつだったかにもこんな風に悩んでいた姿を見たことだってある。
 でも、あのときって、あたしこんな気分になってたっけ?
 こんな、ちくちくって、変な痛み、あったっけ?
 こみ上げてくる何かをぐっと押さえ込んで、あたしは口を開く。
「で? 澪はどうすんの?」
「……律はどうすればいいと思う?」
 あたしの質問に、澪は質問で返してくる。なんだよ、澪。なんでそんな目でこっちを見るんだよ。こちらの様子を伺うような澪の視線に、なぜだか苛立ちがつのっていく。
 あ、やばい。この感じ。やめろ、やめろ、って心の中で思っていても、それをその通りに引っ込められるほどに、あたしは大人じゃなかったみたいだ。
「どうすればって……知らないよ、そんなん」
 うあ、冷たい声。思った以上にひんやりとした声が出てしまって、何よりも自分自身に驚く。こんな声で澪に話しかけたこと、今まで一回もなかったのに。
 でも、上手く軌道修正が出来ない。
 だって、ぶらぶらと宙ぶらりんの心で、何を言えばいいんだよ。
 断れとも言えない。
 付き合えとも言えない。
 だから、こういうしかないじゃないか。
「澪がしたいようにすれば」
 突き放したようなあたしの言葉。恐る恐る澪の顔を見ると……ああ、しまった。
 見るんじゃなかった、と思う。こんな風に悲しそうな顔で、あたしを見ないでよ、澪。澪の悲しそうな顔は、こっちまで苦しくなる。だから、止めて欲しい。
 ごめんね、と笑ってあげればよかったのに。
 けれど、このもやもやを飲み込んでそんなことが出来るほどに、やっぱりあたしは大人じゃなかった。



「うぅは〜……」
 傍から聞けばおっさんか、とツッコみたくなるような声を漏らしながら、あたしは湯船にとっぷりと浸かる。少しだけ熱いくらいのお湯が、今の気分にはちょうどいい。口元までやってきたお湯をぶくぶくと吹き飛ばしながら、目を閉じた。
 ていうか、さ。
 今日の晩御飯が赤飯ってあたり、今の気分と真逆すぎて笑えるよね、もう。別にめでたいことがあったわけじゃなくて、ご近所さんからもらっただけだって!
 タイミング良すぎ……いや、悪すぎだと思います、ご近所さん。
 もちろん味は最高で、美味しく頂いたけど、さ。
「あーあ」
 湯船の縁に頭を乗せて、天井を見上げる。雫へと姿を変えた湯気が、ぽたりとおでこに的中。つめて、と思わず出た声がやたらに大きく響いてしまった。
 なんでかな。なんであたし、こんな気分になってんのかな。
 澪が誰かに告白されるのなんて、中学時代にも経験してるじゃんか。
 そうそう、確かその時も今日みたいに澪に相談されて、さ。
 相手は隣のクラスの男子で、見た目だって悪くないし、性格も話した限りでは悪い奴じゃあなかったと思う。だから付き合ってみれば、なんて軽く言ってみたら、澪はなんだか複雑そうな顔でうーんと唸って、結局翌日にはごめんなさいと頭を下げてしまったのだ。
 今日だって、それと同じようにすれば良かったのに、な。
 何もあんな風に言うことはなかったな。傷ついたような澪の顔、見たくなかったな。
「でも……さ、しょうがないじゃん」
 だって、あの瞬間。顔も知らない男と手を繋いで笑う澪の姿が頭に浮かんで。なんか、胃のあたりがぐぐぐ、ってそんな風になったんだ。
 ……あーもしかして胃の調子でも、悪かったのかな。
 だから、ちょっと調子が出なくて。それであんな風に言っちゃったんだ、きっと。
 お赤飯を2杯ぺろりと食べたことなんかすっかり忘れて、あたしはそんなことを思った。

 その日の夜、あたしと澪は電話をしなかった。
 いつもなら寝る前にどちらかがお互いの番号を押すはずなのにね。
 話したいこと、いっぱいあるのに。
 でも、話せることが何もない。
 なんだよ、これ。
 ヘンなの。



 翌日、目が覚めると時計の針は昼過ぎを指していた。
 あー甲子園もう始まってるじゃん、なんてそんなことを考えながら、あたしはもそもそとベッドから起き上がる。寝癖のついた髪を手で撫で付けながら、ちらりと枕もとの携帯を見やった。
 別に澪から電話が来るかな、とかそんなことを思ってたわけじゃないぞ。
 ただ、ちょっと眠れなくて、んで寝付くまでゲームでもやろうと思って、そしたら思った以上に面白くて、明け方になっちゃったって、それだけで。
 澪のことなんて考えてない。考えてないぞ、絶対。ぜったいに!
「あーもう」
 誰に言い訳してんだ、あたしは。
 バカバカしいとため息をついて、ベッドにもう一度転がる。
 あーあ。なんか、暇だ。このままじっと家にいたって、特にやることもない。既に中盤に差し掛かっているであろう高校野球もなんとなく見る気がしない。
「学校……行こっかな」
 ぽつりと呟いた。

「あつ、あつ、あつい」
 学校自体は部活動を行う生徒のために自由に出入りが出来るけれど、我らが部室、音楽準備室には当然誰もいなくて、となれば窓も締め切ってあるわけで。一歩足を踏み入れれば陽炎でも見えそうなくらいの熱気が満ちていた。
 あたしは大慌てで設置されたばかりのエアコンのスイッチを入れる。音楽準備室はそこまで広くもない。この熱気がひんやりとしてくれるまでほんのちょっとの辛抱だ。
「はー、疲れた」
 どさ、と持ってきたカバンを机の上に放り投げる。
 やることないって受験生としてはどうなの、とまあ自分でもそう思うわけで。
 でもね、なんと今日のりっちゃんはいつもと一味違うわけです。このカバンの中身はどっさりと詰まった勉強道具なのです。だってほら、澪にいっつも言われてるからさ。いい加減やる気出せって。
 ……間違えた。今日は澪のこと考えないって、そう思ってたんだった。
「と、とにかく」
 今日は、勉強しよう。
 ようやく冷えてきた部屋の中で、そう思う。あたしだって、やるときはやるの。
このままじゃダメだって、自分でも分かってるんだ。
 カバンの中から問題集を一冊取り出す。先週に澪と買いに行ってから、まだ2問しか解いてない。こんなこと澪に言ったら、絶対大目玉……って、いや、だから。
 あーくそ、澪のバカタレ。あたしのアンテナはどうやら受信する電波が偏っているらしくて、ざざざ、と思考の途中にいとも簡単に澪が割り込んで来てしまう。これって電波妨害っていうのかね。まったくもう。
 なんとかかんとか雑念を振り払って、あたしは1問、2問、と問題を解いていく。
 あたしにとって落ち着く空間だからなのか、なんだかいいペース。
 これはもしかしたらもしかすると、この問題集、今日中に終わっちゃうんでないの?

 30分で飽きた。我ながらびっくりだった。
「うにゃー……」
 妙な声をあげながら、ぐで、と机に突っ伏す。ひんやりと冷たい机の温度をほっぺたで楽しみながら、両手を伸ばして澪の机に触れた。トントントン、とリズミカルに叩いてみる。
 あーなんか。ものすっごく。ドラム叩きたい。
 そんなことを考えた瞬間、がちゃりとドアが開く音がして、あたしは体を起こした。
「あれ、唯?」
 開いたドアから入ってきたのは唯だった。
 あたしと同じように制服姿で、ギー太を背負っている。
 唯は突然声をかけられて驚いたように目を丸くしていたけれど、席に座るあたしを見て、
「り、りっちゃんが勉強してる!?」
 とんでもなく失礼な驚き方をしてその場でひっくり返ったのだった。



「唯は何しに来たんだ……って聞くまでもないか」
 ペットボトルのジュースでティータイムにしながらあたしは唯に言う。隣に置かれたギターを見ればその目的は一目瞭然だ。
 あたしが小さく笑うと、唯もつられたようにえへへ、と笑う。
「ギー太がたまにはアンプに繋いで欲しいよーって」
「言ったのか」
「言ってはないけど聞こえました!」
 びし、と敬礼。なんだそのノリは。思わず笑ってしまう。
「あのなぁ、唯だって受験生なんだぞ。ちゃんと勉強したまえ」
「そんなのりっちゃんのキャラじゃないよ……」
「言われると思った」
 そんなやりとりをして、ふたりで笑い合って、そして唯が言う。
「ね、りっちゃん。ちょっとだけ、ふたりで演奏しよーよ」
「だーかーらー、あたしは勉強しに来たんだってば」
「えー、でもスティック持ってきてるんだよね?」
「当たり前のように言うな」
「持ってきてないの?」
「……持ってきてるけど」
 言いながらカバンからスティックを取り出す。カチカチと鳴らすと、唯が得意気に口の端を持ち上げて、
「へへー、だと思った。それでこそりっちゃんだよ」
 こうもバレバレだとは。唯のくせに生意気だ、なんてね。

 ドラムの前に座り、スティックを両手に握る。あーこの感じ。すっげーしっくりくる。やっぱりドラムの前っていいな。心がぶわって波立って、体が熱くなる。
「そんじゃーいきますか」
「うん、準備おっけーだよ」
 アンプの音量を調整していた唯がこちらを見る。
 あたしは握ったスティックをカチ、と鳴らして口を開いた。
「あのさー、唯」
「なあに?」
「実はさ、ほんとは誰か来ないかなーって思ってたんだ」
 へへ、と照れ笑い。勉強の邪魔すんな、なんてふてくされた真似してさ。でも本当は、誰かが来るのを待ってたんだ。唯にはバレバレだったのかもね。
「りっちゃん、あのね」
「ん?」
「私もね、誰かいないかなって思いながら、ここまで来たんだ」
 唯も同じように照れ笑い。
「そっか」
「うん」
 ふたりでクスクス笑う。あーこれ、この空気。まったりぽわぽわ。これが唯の空気。
 唯の空気って好きだ。今日こうやって来てくれたのが、唯で良かった。

 それからは、なんとインド人も驚きの4曲フルコースだった。
「何がちょっとだけだ」
 はぁはぁと息を切らしながらあたしは唯を見た。
 1曲終わる度に唯が「じゃあ次の曲」なんてMCの真似っこしちゃうのが悪い。そんで、それがなんかすっごく楽しくて、ついつい乗ってしまうあたしはもっと悪い!
「ふふ、ふふふ」
 こみ上げる笑いを抑えるような唯の笑い声にあたしも口元が緩む。
 部屋中に満ちた空気が「大満足!」ってそう言ってる。言葉にしなくても分かる。ふたりとも、めちゃくちゃ楽しかったんだって、そういうこと。
「あのね」
「なに?
「私、りっちゃんのドラム、やっぱりすごい大好き」
 改めてそう言われるとちょっとばかり照れる。
 あたしはへへ、と鼻の頭を擦って、それからにいっと笑った。
「嬉しいこと言ってくれちゃって!」
「もちろんりっちゃんも大好きだよ!」
「俺も大好きだぜ、唯!」
 ひし、と抱き合って、それからふたりしてけらけらと笑う。
 あーもう、なんだこれ。やっぱり唯といるとワケ分かんないノリになっちゃうから困る。
「なーんて」
 と、ふいに唯がぴょんとあたしから離れた。
「りっちゃんは澪ちゃんが好きなんだもんね、ううう、切ないよギー太……」
 だーかーら! ほんっとワケ分かんないノリだよ、もう。その冗談は今のあたしにはちょっとばかりピンポイントすぎて困る。おかげで反応が少しだけ遅れてしまった。
「そんなことないぞー、あたしは軽音部のみんなを愛してるぞ!」
「あはは、りっちゃん女たらしだー」
 そう言って眉を下げて笑う唯の顔が、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ悲しそうに見えた気がして、けれどもう一度見た唯の顔はいつも通りのぷにぷに笑顔で、あたしは安心する。
「ったく、唯は相変わらずだな」
「りっちゃんこそ」
 そんな軽口を交わして、そんでふたりしてお腹がぐーって鳴った。
 やっぱり音楽って体力使う。



 何か食べてくー?って誘ってみたけれど、唯は「憂がご飯作ってくれてるからやめとく」って言ってバイバイと手を振っていった。まあ、憂ちゃんのご飯があるなら仕方がないか。
 空腹のスパイスがなくたってめちゃくちゃ美味いけど、あればもっともっと美味いんだもんね。
 そんなわけでお腹の虫がぐうぐうとうるさいあたしは、帰り道にコンビニに寄ることにした。
 プリン食べたいな。あと、新発売の苺チョコ。そんなことを考えながら雑誌コーナーで立ち読み。
 読んでいるのは少年誌? いえいえ、とんでもない。こう見えても乙女のりっちゃんはファッション雑誌なんかを読んじゃってるわけです。
 あ、これ可愛い。
 あーこれもいいな。
 そんなことをぼんやりと思いながら、ふいに顔を上げた。
 コンビニの駐車場。その向こう側の歩道を歩く男女が一組。
 長い黒髪は見間違えるはずもないあたしの親友で、夏期講習の帰りなのだろうか、私服姿にずっしりと重そうなカバンを抱えている。
 そして、そんな澪の隣を歩く人。
 長身の澪よりもずっと背が高くて、格好いいか悪いかと訊かれれば、間違いなく前者。
 すぐに分かった。ああ、この人だ、って。
 なんだよ、澪、笑ってんじゃん。
 笑って、その人の隣を歩いてんじゃん。
 昔は男子と話すだけでおどおどしちゃってたってのにね。
 ああ、バンドで度胸ついたのかな。
 なんだ。なんだー。
 そうか。そっか。
 それが、澪の答えなんだね。

 まさかなけなしのお小遣いが全てコンビニスイーツに消えてしまうとは、さすがに思ってもみなかった。どっさりと重たいコンビニ袋を抱えながら、あたしは公園を歩く。
 もうすぐ陽も暮れてしまうからか、公園に子供の姿はない。
「にしても……買いすぎた」
 手元の袋を覗き込む。お小遣いを費やしただけあって、そこには大量のお菓子。
 やけ食い? 違う違う。甘いのが食べたかったって、それだけで。
 あたしは手近なベンチに腰を降ろして、お菓子袋に手を突っ込んだ。手に触れるのはプリンがふたつ。ひとつは期間限定、ラスト一個のプリンアラモード。もうひとつは安いホイップクリーム乗せプリン。
 限定プリンは後のお楽しみってことで、まずはクリームプリンを手に取った。

 つるりと一口。美味しい。
 澪は今頃、何をしてるんだろう。
 クリームが甘くて、絶妙。
 手を繋いじゃったり、してるのかな。
 このつるっとした喉越しがたまらない。
 あの人の隣を歩きながら、あたしにも見せたことないような顔で笑うのかな。
 これで100円ってめちゃくちゃお得だよね。
 キスしたりは……って、さすがに早すぎるか。
 ぐぐぐ。いろんな思考が交じり合って、また胃のあたりがおかしくなる。
 やっぱり、胃の調子、変だ。
 でもプリンは美味しいって思えるんだけどな。変なの。
 あたしは残りのプリンをかきこんで、それから残りのカラメルをずずずと流し込む。ほんのり苦いそれを飲み干して、それで、澪、って小さく呟いたら、また胃がぐぐぐってなった。
「あー違うわ、これ」
 苦しいのは、胃じゃないや、これ。こみ上げてくるのは、胃からじゃなくて、胸の奥から。締め付けられて苦しいのは胃じゃなくて胸だ。
 苦しいな。
 なんであたし、泣きそうになってんだろ。
 澪に彼氏が出来たって、それ、すっごく良いことだよ。
 あの引っ込み思案の澪に、さ。
「…………っ」
 あたしはそのまま自分の膝に突っ伏した。
 自分のつま先をそのままじっと見つめていると、スニーカーの先に、雨粒がぽつ、ぽつ。塩辛い雨粒がふたつ。これで終わりだ。涙はこれだけしか流さない。
 だってほら、そんなのりっちゃんのキャラじゃないよ、ってね。
「いよっし!!」
 無駄に気合の入った掛け声と共に顔を上げた。
 そうでもしないと、このまま俯いたままになりそうだったから。
「…………」
 神様がいるんなら、そいつってやっぱりちょっと意地悪じゃないかなって思う。
 だって、こんな風に自分を奮い立たせて顔を上げたその先に、いま一番会いたくなくて、それから一番会いたい人を立たせてるんだから。



「律、買い物でも行ってきたの……って、うわ」
 澪はあたしの隣に置いてあった袋を見て、苦笑い。なんだよ、お菓子ばっかで何が悪いんだよーちくしょう。なんだか妙に恥ずかしくて、あたしはぷい、と顔を背ける。
「こんなに食べたら太るぞ」
 言いながら澪はコンビニ袋を挟むようにしてベンチに座って、それから当たり前のように袋に手を突っ込んでプリンを取り出した。
 パカリと蓋をあける音。そのままつるりと一口。
「こら、それ期間限定のラスト一個」
「あ、そうなんだ。ごめん」
 ぱくり。
「どう見ても反省してないんですけど」
「いいだろ、別に。律だって今まで私のプリンどれだけ勝手に食べたと思ってるの」
「……3個くらい?」
「6個」
「すいませんでした」
 ぺこりと頭を下げた。この話題はどう見てもあたしが不利だ。これ以上は触れない方が吉、と。そんなわけであたしはまあいっか、と袋から苺のチョコを取り出してぽりぽり始める。
 そのままふたりでもくもくとお菓子を食べながら、太陽がだんだんと傾いていくのを眺める。
 公園で陽が暮れる様子って、なんでこんなにも寂しいんだろう。もっともっと友達と遊んでいたいのに、家に帰らなきゃいけないって、そんな小さい頃の気持ちが蘇ってくるからなのかな。
 明日になったらまた会えるって分かってるのに、どうしてあんなにも寂しかったんだろう。
「あのさ、律」
ふいに澪が口を開いた。
「昨日言ったこと、なんだけど」
「…………」
 あ、やだな。聞きたくないな。そう思ったあたしは、咄嗟に声を出す。
「そういえばさ」
 不自然に澪の言葉を遮った。
「今日部室に行ってさ、珍しく勉強してたんだよね。そしたらたまたま唯が来てさ、ふたりで4曲ぶっ通しで演奏しちゃったよ。もうすげー楽しくって、やっぱ唯って面白いよな、あはは……」
 乾いた笑いをこぼしながらちらりと澪を見る。どわ、めちゃくちゃ怒った顔してる!
 あー、ダメだ、こりゃ。もう腹をくくるしかないってこと、なんだよね。
 あたしは顔を上げた。
「良かったな、澪」
「え?」
「実はさ、さっき見ちゃったんだ。澪が男の人と歩いてるの。いいじゃん、格好良かったし、澪とお似合いだったよ。優しそうだし、背も高かったし、文句なしだな!」
 そこまで一気に言い切って、どうだ、とでも言わんばかりに澪を見た。
 そしてあたしは息を飲む。なんで……そんなに悲しそうな顔するかな。なんで昨日みたいに、こっちまで苦しくなるような顔、しちゃうかな。
 ダメだよ、澪。今そんな顔されても、澪を笑わせてあげられる余裕、今のあたしにはないんだ。
 気を抜いたら、また涙がこぼれちゃいそうなんだ。
「ごめん、澪」
 あ、声、かすれた。それから、また胸がぐぐぐってなった。
「あたし、おめでとうって言えないかも」
 澪の顔、見られない。
「だって、なんかすげー辛いんだもん」
「……なんで?」
「澪に彼氏、出来たから」
「なんでそれで、辛いの?」
 なんでって言われて、あたしは悩む。ほんと、なんであたしはこんなにも辛いんだろうね。こういうのって、誰に訊いたら答えてくれるんだろう。誰が教えてくれるんだろう。よく分かんないんだ。
 そこまで考えて、ふいに昼間のことが思い浮かんだ。
 ――りっちゃんは澪ちゃんが好きなんだもんね
 ああ、これかぁ。かち、とパズルのピースがはまるようにその答えが見えて、あたしはそれをそのまま口にした。
「りっちゃんは澪ちゃんが好きなんだってさ」
 澪の反応はない。
「唯がそう言ってたんだけどさ、もしかしたらそれが答えなのかも」
 自分でもまだよく分かんないけど、でもこれが一番しっくりくる気がする。
「あたし、澪に恋してたのかなー」
 言いながら、変なの、って思う。恋って普通、男と女でするものじゃなかったっけ。
 じゃあ、あたしがいま澪に抱いてる気持ちってなんなんだろう。
 恋って言葉以外に、それにぴったり当てはまる言葉があるなら教えて欲しいよ。
 それを知ることが出来たら、あたしはもうちょっとだけ、楽になれるんじゃないの?

 しんとした空気。澪は何も言ってくれない。
 あーだめだ、この空気。すっごく苦手な空気。
 長い沈黙に耐え切れなくなったあたしは勢いよく立ち上がった――とそのとき。ぐん、と右手首が引っ張られる感触がして、あたしは再びドスンとベンチに引き戻される。
 ……ああ、最悪。コンビニ袋の上。ばきばきとポテチが尻の下で悲痛な叫びを上げている。
 ポテチの代償として、あたしは澪とぐっと近い距離に座ることとなった。澪に腕を引かれて、自然と澪の肩が目の前に来る。顔を上げたら、澪の顔もすぐそこにあった。
 まっすぐに澪が見つめてくる。思わず身じろぐと、尻の下のポテチがまた悲鳴を上げる。
「ポテチ……ものすごく砕けちゃったんだけど」
「ごめん。でもね、律」
「なんだよ」
 澪はわずかに表情を緩めて、言う。
「私、昨日のこと、ちゃんと断ったよ」



「え……?」
 それはあたしにとって、まったく予想外の言葉で、まるで縁日の弱った金魚のように口をぱくぱくとさせてしまった。
「な、なんで」
「律が澪のしたいようにしろって言ったんだよ」
「そりゃそうだけど……」
 目をぱちくりさせるあたしを見て、澪は、ふ、と優しく笑った。
「あの人と付き合う私が、どうしても想像出来なかったんだ」
 澪は続ける。
「どんなに頑張って想像しても、どうやったって律が出てくるんだもん」
 まったく、と澪にデコピンされる。あれ、なんだこの理不尽なデコピンは。
「律は、私のことが好きなの?」
 ま、真顔でそんなこと訊くなよと声を大にして言いたい。
 そんな目で見られたら……動けなくなる。
「分かんない、よ」
 細い声であたしは言った。
「澪のこと好きだけど、それが友達の好きと違うかなんて分かんない。でもね、他の子に対する好きとは絶対違うってのは、分かる」
「……うん」
「ね、これって恋なのかなあ?」
 あたしよりも高い位置にある澪の顔をちらりと上目で見た。
 すると澪は夕焼けとは明らかに違う色に頬を染めて、そのまま視線を明後日の方向にやって、それから意を決したように喉を鳴らした。
 次の瞬間、あたしは澪に抱きしめられる。
「私は、律が私に恋してるんだったら、多分、すっごい嬉しいと思う」
 澄んだ声。
 澪の優しい声、大好きだ。
 背中に回された手。
 澪の大きな手、大好きだ。
 澪が嬉しいと、あたしも嬉しい。
 そんで、あたしも澪に、いっぱいいっぱい優しくしたくなる。
 この気持ちを恋と呼ばないのなら、あたしは多分、一生恋なんて出来ないと思う。
 それくらいに、
「澪のこと、好きだ」
 澪が笑った。すっごく嬉しそうに笑った。あーこれはダメだ。澪が笑うだけで、あたしもめちゃくちゃに嬉しくなっちゃうんだ。これはもう条件反射みたいなもので、止めることなんて絶対に無理。
 この笑顔をあげたのがあたしだと思うと、なんだか誇らしかった。

「あのさ、律」
「なに?」
「どうしよう、めちゃくちゃ走りたい」
「は?」
 澪はもう一度ぎゅう、と力をこめてあたしを抱きしめると、そのまま立ち上がり、言葉の通り公園を走り出した。
 なまじっか運動神経がいいものだから、そりゃもう早い。
 だだっぴろい公園をぐんぐんと走る。つーか早い。早すぎるよ。
「あーもう、澪ってほんとバカ!」
 言いながらあたしも地面を蹴る。悪いけど、あたしって足はめちゃくちゃ速いんだ。制服のスカートを翻し、澪の背中を追う。
 あ、これ、なんか子供の頃みたい。そうだ、鬼ごっこ。
 あたしの方が足は速いのに、いつだって澪をなかなか捕まえられなかったんだ。ひらすらに直進で追いかけるあたしに対して、澪は頭を使ってくねくねとカーブを使ってくるからさ。
 でもそれって直線ならあたしに敵なしってことなんだよね。
 つまり。
 ぐんぐんと澪との距離を縮めて、そしてあたしは澪の背中に飛びついた。
「とうりゃー!!」
 背後から澪のお腹に腕を回して、ぎゅうと抱きしめる。
 柔らかい澪の体が気持ちよくて、もっともっと力を入れていって、ぐえ、と澪の声が漏れたあたりでようやく手を止めた。
「なに急に走り出してんだよ。ほんと澪ってバカだな」
「律にだけは言われたくないな」
 言いながら、澪がお腹に回した手をそっと握ってくれた。あったかい。
「あ、そうだ澪」
「なに?」
「あの限定プリン、ちゃんと弁償してね」
「おい」
 がく、と澪が小さくずっこけて、空気を読め、と手の甲をつねる。いてて。痛いって、澪。
「弁償なんてしないよ。あれは、律からのお詫びとして受け取ったんだから」
「お詫びってなんだよ。別にあたしは澪に謝るようなことなんてしてないぞ」
「鈍感な誰かさんのおかげで、こっちはずーっと苦しい思いしてきたんだから」
 澪はそう言ってくるりと振り返ると、泣き笑いのような表情を浮かべてあたしを抱きすくめた。澪の手が、震えてる。
「澪……」
 ああ、そうか。澪はずっと泣くのを我慢してきたんだね。あの泣き虫の澪が、さ。
「ごめんな、澪」
 澪の後頭部をぽんぽんと叩いてやる。澪の涙は、あたしが受け止めてやる。全部。



 それから何が変わったかと言われれば、まあ特には何も変わっていないわけで。
 急にいちゃいちゃするようになったなんてこともなければ、ギクシャクするってわけでもない。本当にそれまでとまったく同じ。
 でもまあ、あたしたちはそれでいいんだと思う。
 だってさ、もう10年以上もこうやって歩いてきたわけなんだから。
 ……ああ、でも。変わったこと、やっぱり一個だけあった。
「もう休憩しようよ、みおー」
「疲れたよぉ、澪ちゃ〜ん」
「ってまだ30分しかやってないだろ! もうちょっとだけ頑張れ。ムギからもなんとか言ってやってよ」
「ふたりとも、後でケーキがあるから頑張って」
 そうなんです。勉強、頑張ってるんです。あたしも、唯も。
 別に澪と同じ学校に行こうね、なんてそんな約束をしてるわけじゃないんだけど、でも大学には行くつもりだから。
 やれることはやっておこうってそう思ったんだ。
 それにほら。
 大学生になったら、澪と一緒に部屋を借りる約束だから、さ。
 ひとりだけ浪人生になっちゃうわけにはいかないんですよ。
 そんなわけで、勉強、もうちょこっとだけ、頑張ることにします。
 ケーキも待ってることだしね。




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