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    登山家 石岡 繁雄の一生

  

 
<井上 靖氏 評> 

 石岡さんは名アルピニストであると共に、
志を持った数少ない登山家の一人である。
私は氏の実弟の遭難事件をモデルにして
『氷壁』という小説を書いているが、
私に『氷壁』の筆を執らしめたものは、
事件そのものよりも、
寧ろその悲劇を大きく登山界に
プラスするものであらしめようとする
氏の志に他ならなかったと思う。
 屏風岩完登の壮挙は
日本山岳界の大きい事件であり、
言うまでもなく氏の不屈な闘志によって
成就されたものであるが、
氏によって為されたということが
大きい意義を持つものではないかと思う。
氏は記録を造る人でなく、
山に志を刻む人であるからである。

(石岡著書<屏風岩登攀記> 刊行によせてより)


 
 

切れた命綱の謎に挑む

 実弟の滑落死をきっかけに

  敗戦後まもない昭和22年の夏、10代の少年とともに北アルプス穂高屏風岩正面岸壁初登攀をなしとげ、その後も三重県鈴鹿市に本拠をおく岩稜会をひきいて数々の岩壁を踏破、名著といわれる写真集『穂高の岩場 』上下巻を完成させた登山家で応用物理学者の石岡繁雄は、『屏風岩登攀記』に次のように記している。
 「山は、その美しさと厳しさが織りなす綾錦を形成し、無数の美徳と教訓を提供してくれているはずであり、・・・・・・それが私の山への期待でもありました。しかしながら私の歩いた道には、そういうものよりはむしろ、暗くて悲しい人間の葛藤や、ナイロンザイル事件のように、社会との闘いといった全く異質のものが、大きな位置をしめております」
 いったい何ゆえに、彼の山体験はかくも人間社会の葛藤の影を負うことになったのか。それは「高度成長のためには犠牲もやむなし」という風潮にたいし、真実をつきつけ続けた者の宿命でもあったのだろうか。
 石岡の一生を決定づける事件が昭和30年に発生した。同年正月2日、彼の実弟・若山五朗が、岩稜会の三人のパ-ティで厳冬期のアルプス前穂高岳東壁を登攀中に数十センチ滑落、麻ザイルより数倍強いとされて登山界に急速に普及しつつあったナイロンザイルの、予想だにせぬ切断により墜死したのである。

 隠ぺいされた「命綱」の弱点

 ほかにも事故があいついでいるのを知った石岡は「ナイロンには未知の欠陥があるのでは」と考え、自家製の装置で実験を開始した。
 そして4月29日、登山用具の権威で日本山岳会関西支部長の篠田軍治・大阪大教授指導のもと、蒲郡市にあるザイルメ-カ-で公開実験が行われることになった。
 ところが、多くの登山関係者やマスコミの注目を集めた大がかりな実験では、ナイロンザイルは圧倒的な強さを示したのだ。
 穂高の遺体捜索現場でその報に接した石岡は「実験はインチキだ、手品だ」と叫んでいたという。膨大な装置のほんの小さな中枢部分たるエッジに、1ミリほどの丸みがつけられていたのである。彼ら岩稜会のメンバ-は、企業、学者、マスコミ報道がつくりあげた「ナイロンは強い」という神話により遭難原因を疑われ、蒲郡実験の結果は登山界で権威のある『山日記』にも掲載されて、ナイロンザイルに命を託した多くのクライマ-が、その後も墜落死事故を繰り返す要因となった。これが井上靖の小説『氷壁』のモデルとなり、映画化もされた「ナイロンザイル事件」の核心である。
 昭和初期から30年代にいたる日本の登山界は、国内の岩壁を征服し終え、技術革新の成果をいち早くとりいれて海外の山に目を向けており、足元の問題に取り組もうとする人々は稀有であった。公害を発生させながら成長続ける産業界に歩調を合わせるかのように、自然の征服を謳歌しつつあった。
 そのような趨勢のただ中で、ナイロンザイルの神話に、石岡繁雄は自己の専門領域をとおして闘いを挑んだのだった。

 製造物責任法の思想を先どりする成果

 一方で彼は、メ-カ-や日本山岳会にたいして、ナイロンザイルの安全限界を明示させるべくいくたびも公開質問状をつきつけ、他方で欠陥そのものを分析し、私財をなげうって高所安全研究所を設立(昭和58年)、アルピニストの命を守るにはどうすべきかを探究し続けた。
 それは、自らが買い与えた保証付ザイルで死んだ弟への血を吐くような想いと、専門家はつねに社会的責任に自覚的であらねばならぬという、体験から学んだ覚悟に支えられていた。
 彼が半生をかけた成果は国の機関をうごかし、昭和50年6月、登山用ロ-プの強制力をもった安全基準の世界初公布、55年の転落死防止装置の完成へとつながり、そこから災害時のビル脱出装置、障害者介助機具の開発などに結実していったのである。
 バッカスというあだ名で山仲間から呼ばれている石岡の、どこかしら土くさい朗らかさからは、日本全体が浮き足だって生きてきた時代に、虚仮の一念のようにひとつの問題と格闘してきた者だけがもつ、高山のダケカンバのような風貌が感じとられる。


NHK名古屋放送局開局70周年記念出版 <人物で語る 東海の昭和文化史> 川角 信夫氏著より」   


 
 
 上の映像は、昭和48年3月11日に鈴鹿工業高等専門学校で行われた「ナイロンザイルの性能に関する公開実験」の時に超高速度カメラによって、日本山岳協会が撮影されたものです。鋭い角でナイロンザイルが切れる様子が写された貴重な資料です。
 この公開実験後わずか3ヶ月で消費生活用製品安全法が制定されて、昭和50年6月5日に登山用ロ-プ安全認定基準が官報により交付されました。こうして、繁雄の20年に渡る苦しい闘いは結実したのです。また、平成6年の製造物責任法(PL法)の制定にも大きな影響を与えました。
  しかし、繁雄が最後まで訴え続けた「篠田軍治氏の日本山岳会名誉会員取消問題」は未だ解決しておらず、残念でなりません。
 <尚、ナイロンザイル事件につきましては、相田武男氏と繁雄が共著で執筆致しました「石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実」に 詳しく記されています。是非!ご一読ください>



 





 ホ-ムペ-ジへの更新と、名古屋大学大学文書資料室に寄託した資料について

 また新緑の美しい季節がめぐって参りましたが、九州では、大きな地震による災害が多発し、被災された方々の暮らしを思うと、心が痛みます。
 「新たなる旅立ち」に掲載中のナイロンザイル事件関係の「暗黒の章」の更新が遅れて申し訳ありません。複雑な事件の上、解明出来ていないことがまだまだあり、間違いなくお伝えするために四苦八苦しています。やっと、<その8:告訴へ>を更新致しましたので、是非ご覧ください。

 昨年、10月10日・11日と行われました「鈴鹿高専祭での展示」の際に、文書資料室から、寄託してあります父の資料をお借りして展示をさせていただきました。その時に、文書資料室のホ-ムペ-ジに掲載されている「オンライン資料検索」中の「特定歴史公文書等(法人文書)目録」の中の石岡繁雄資料を検索いたしましたところ、沢山の間違いを発見致しました。これは単なる入力ミスもありましたが、私たちの資料整理の仕方が拙く、せっかく開示していただいても、どんな資料があるのかほとんど判らない状態でした。そこで、文書資料室の堀田先生に、検索目録の作成のし直しをお願い致しました。私たちが整理分類しましたので、文書資料室では判らないことが多々あり、この目録への入力は、私たちの手でさせていただくことになり、4月13日に文書資料室で堀田先生と打合せが行われ、来週から取り組ませていただきます。
 この入力は、一万行をはるかに超えることになると思いますので、これから先、何年かかるか判りませんが、出来る限り判り易く検索していただけるようなものにしたいと思っています。尚、検索システムへの反映は、出来ましたところから掲載されることになります。

 このホ-ムペ-ジをご覧くださっている皆様!上記のような訳で、「新たなる旅立ち」の更新が今までより更に遅くなると存じますが、お許しください。これからも、このホ-ムペ-ジを宜しくお願い致します。

                                   2016年4月22日 あづみ記





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いよいよ「ナイロンザイル事件」が始まりました
是非!ご覧ください

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