ウドの生えない訳
出典:『新潟県伝説集成 下越篇』小山直嗣・著(一九九六年)P173

 

 弥彦の神様である天香語山命(あめのかぐやまのみこと)が今まで住んでいた岩屋から兎の案内で多宝山へ移るために山を登っていると、突然雷雨が降り出した。神様は雨宿りをしようと山中を歩いているうちに転んでしまい、運悪くそこに生えていたウドに目を突いて片目になってしまった。雷神とウドの精はすっかり恐縮して深く詫び、それから弥彦山では雷が鳴らず、ウドが生えなくなったと言う。

 

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泣き仏
出典:『新潟県伝説集成 下越篇』小山直嗣・著(一九九六年)P174

 

 文永年間、佐渡に流された日蓮上人が罪を許されて越後に渡り、今までの心労を癒すために弥彦神社の宮司高橋家に滞在する事になった。日蓮は数カ月滞在し、いよいよ鎌倉へ帰る時にお礼として小さな仏像を残して行った。高橋家では、これを大切にしていたが、ある日近くの坊さんに盗まれてしまった。盗んだ坊さんは、大切に仏壇に安置していたが、仏像の顔が泣き顔になり「舎人に帰りたい」と大声で泣きながら訴えるようになった。困った坊さんは、高橋家へ仏像を返し盗んだ事を詫びた。すると泣き顔だった仏像の顔が穏やかな表情に戻ったという。人々は、これを「泣き仏」と呼んだ。

 

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神使いの佐渡渡り
出典:『新潟県伝説集成 下越篇』小山直嗣・著(一九九六年)P175

 

 冬の日本海は大荒れなのが当たり前だが、一日だけ海が穏やかになる日があるという。それが十二月二十日過ぎで、その日に必ず弥彦の森から一羽の烏が佐渡に向かって飛び立つという。その日だけは佐渡まで見渡せるほど海が穏やかで好天になり、その烏は弥彦の神のお使いだという。土地の人は、「神使いの佐渡渡り」といっておめでたい日だとしている。

 

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弥三郎婆
出典:『新潟県伝説集成 下越篇』小山直嗣・著(一九九六年)P177〜P178

 

 昔、中島に弥三郎という猟師が住んでいた。親孝行で実直な男であったが、母親は残虐非道で村人から鬼婆として恐れられていた。弥三郎は、それでも母親だと思って世話をしていたが、母親は葬式があると死体を墓場から掘り返して人肉を貪った。
 ある年の秋、弥三郎が夜更けに帰る途中、突然怪物に教われ首筋を掴まれた。夢中で腰の鎌を抜いて怪物の片手を払うと、怪物は片手を切り落とされて逃げて行った。その腕を家に持って帰ると母親が寝ている。そして、弥三郎の持っている腕を見ると「これはオレの腕だ」と言って腕を掴み、家を飛び出して行った。翌朝、血の跡から自分の母親が怪物であったことを知り、いずれと知れず行方をくらました。
 弥三郎婆は、弥彦山を根城に周囲の村を荒し回り、墓から死体を掘り返したり、子供を攫って食らったりした。そうして二百年ほど生きていたが、保元元年に宝光寺の住職典海阿闍梨(てんかいあじゃり)という高僧に諭されて、罪を悔いて妙多羅天女という神になったという。
 弥彦神社の隣には、弥三郎婆が死体を掛けたと言う婆杉があり、真言宗紫雲山宝光寺には妙多羅天女の像がある。

宝光寺の婆々杉
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津軽石
出典:『新潟県伝説集成 下越篇』小山直嗣・著(一九九六年)P179

 

 慶長年間、弘前城の城主津軽信牧が佐渡沖で暴風に襲われ、日頃信心している弥彦明神に鳥居の奉納を約束して難を逃れた。そのお礼として毎年弥彦に使者を出していたが約束した鳥居の奉納は延び延びになっていた。するとある日、弘前城内に二つの火の玉が飛び交い大騒ぎとなった。これを弥彦明神の怒りと考えた城主は、急いで鳥居を奉納し、ついでに火の玉の元となった二つの石も一緒に納めた。
 神社ではこの石を「津軽石」と呼び、または「重い軽いの石」とも呼ぶ。何か願掛けして石を持ち上げる時、願いが叶うなら石は軽く持ち上がり、叶わない時は重くて持ち上がらないという。

津軽石(重い軽いの石)
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黒鳥兵衛とカンジキ
出典:『弥彦風土記』毎日新聞社新潟支社・著(一九八三年)P172〜P174

 

 桔梗城からそう遠くない黒埼村の的場山に砦を築き、妖術を使いながら近隣の村々を荒らす黒鳥兵衛一平という悪党がいた。この黒鳥兵衛は、前九年の役(1051〜1062)で源頼義、義家の父子に討たれた奥州・安倍貞任の一族で、戦いに敗れ越後へ落ち延びて来た成れの果てだった。村人は黒鳥兵衛の悪事に困り果て、安倍氏討伐の総大将である源頼義に討伐を頼んだ。源頼義は、佐渡に流されていた二男の加茂次郎義綱を呼び戻し追手の大将を命じた。義綱は、桔梗城の城主、吉川宗方と策を練り康平六年(1065)の冬に黒鳥兵衛と戦った。しかし、深い雪に足を取られ、黒鳥兵衛の妖術もあってなかなか討つことができない。そんなある日、弥彦山から飛んできた白鳥たちが雪の上に加えていた枝を落とし、その枝の上にとまるではないか。それを見た義綱たちは、すぐに枝や竹で輪を作り、ひもを張った物を作らせ、足に履いてみた。すると雪の上を自由に歩けるではないか。これを着けて雪に油断した黒鳥兵衛を討つことができた。その道具が今の「かんじき」である。

 

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弥彦に落雷がない訳
出典:『弥彦風土記』毎日新聞社新潟支社・著(一九八三年)P159

 

 大昔、弥彦の神様がある夏の一日、野積の里人と一緒に塩を作っていた。夕方にはたくさんの塩ができたが、突然雷が鳴り、夕立ちが降ってきた。そのためにせっかく作った塩が流れてしまった。弥彦の大神様は大変怒り、天に呼び掛けて雷を厳重に注意した。恐れ入った雷は「今後は夕立ちを降らせません、雷も鳴らしません」と固く誓わされた。それから、弥彦に落雷がないと言われる。

 

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種満堂と蛇崩れ
出典:『弥彦村誌』弥彦村・著(一九七一年)P336〜P337

 

 種満堂は麓と村山の間にあって、今は畑になっているが一本杉と呼ばれる老杉があり、昔から根元に石斧(せきふ)や矢の根石が発掘される。大昔、ここは海で鳥喰島と称する浮島があり、神明様を祀るお堂があり、その西に一本杉があった。脚気や種満(意味不明?)をわずらう人が「鳥を喰わない」誓いをたてて神明様にお参りするとたちまち治るという。種満堂には、この種満が治るので名付けられたという説と「島の堂」が「島ん堂」になったとする説がある。蛇崩れは、黒滝城の南東にあり、反面ほとんど崩れて険しく絶交の防御点で蛇が住んでいてそのように崩したのだと言われている。
 毎年3月9日の朝8時ごろになると山神(天狗)が集まって魔よけの矢の根石を作り、種満堂の一本杉の根元に打ち込むという。百姓の本田良左衛門がその日の早朝、種満堂で畑仕事をした所、蛇崩れでうなるような音が聞こえ、根石が鍬に当たったため慌てて逃げ帰ったという。

 

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利兵衛さんの狐
出典:『弥彦村誌』弥彦村・著(一九七一年)P337〜P338

 

 境江の利兵衛さんの屋敷の奥に森があって、そこに夫婦の狐が住んでいた。百五十年くらい昔に、八百松という息子がいて仲良くしていた。八百松が病気になった時に母親と「病気なのに狐は何もしてくれない」「仕方ないよ畜生だもの」という会話をすると、それを聞いたのか翌日流しの上に大きな鯉が置いてあった。それを食べて八百松は元気になった。ある時、母狐が子供を残して死んでしまった。利兵衛さんは気の毒に思って、いろいろと世話をしてやった。ある日、村びとの間で狐の嫁入りがあったという話があった。そこで八百松が穴に行くと、雄狐が出てきて片目を片手で隠してみせた。雌狐は片目が不自由であった。それを見て八百松は「片目が不自由でも子供を可愛がってくれれば良い嫁だ」というと狐たちは嬉しそうに尾を振ったという。
 八百松が成人して嫁をもらった時には、鴨二羽がお祝として置かれていたという。

 

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矢立の石薬師
出典:『弥彦村誌』弥彦村・著(一九七一年)P338

 

 弥彦の矢立という小山の中腹に石薬師がある。珍しい形の石を二個重ねて祀り、傍らに梨の古木が一本生えている。梨の木は多くの実が成り、形も普通だが味が悪くて食べられない。歯の悪い人は、この梨を断って石薬師に祈念すると治ると言われている。

 

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子馬の足跡岩
出典:『弥彦村誌』弥彦村・著(一九七一年)P341〜P342

 

 慶徳二年(1085)弘智法印が入定の地を求めて馬に乗り、猿ケ馬場に差し掛かった所、弥彦の駅から着いてきた子馬が母馬の乳を求めて鳴いた。母馬は寺泊の駅に着くまで乳を待つ様に諭して鳴いたのを聞いた法印はそれを哀れに思い「子馬が乳を欲しがっているから休息しよう」と言って馬から降り道ばたの石に腰をおろした。すると岩坂の方から三宝鳥の声が聞こえたので、法印はこれを聞いて聖地を得たと喜んで馬子に別れを言い岩坂を登って行った。法印の座った岩に子馬の足跡が残っているので、「子馬の足跡岩」という。

 

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ご神馬の出征
出典:『黒崎町史 資料編 六』・発行 黒埼町(平成九年)p408

 

  大東亜戦争(第二次世界大戦)の時、弥彦神社のご神馬も出征したと言われた。第二鳥居を曲って右側の所にある木で作られた白いご神馬の足には毎朝泥が付いており、洗ってもまた翌朝には付いていると言われた。

 

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