柴山潟の自然 その価値と将来                                       

1.柴山潟の形成と歴史

かっては、日に七度色を変え、「彩湖」と言われた柴山潟。今は、当時の面影が薄れているが、
その遍歴をたどってみよう。

 最近の金沢大学大学院の研究によると、柴山潟を中心に、直径10kmにわたって1000万〜
1500万年前はカルデラ(大型の火山性のくぼ地)であったことが、地球重力調査の結果、判明
した。70万年前に現在の地形の概略が出来上がり、現在の丘陵・里山地帯を除いて日本海の
海水が加賀平野一帯に流入し、入江の状態であった。その後、沿岸部では砂丘の発達により、
海とは締め切られ、漸次淡水化してきた。このことは、古くから「えぬの国」といわれ、江沼郡の
名のとおり水郷地帯であった。現在の台地の麓に、縄文、弥生、古墳時代の遺跡を散見し、また
、近辺には「津(港の意味)・波・島」の地名が多く水に縁があったことがわかる。

 日本海の荒波と風が海岸線の砂を堆積し、砂丘によって閉ざされた入江の内陸部は、漸次、
耕地として開発され、主として、水田耕作が行われ、水面部分は河川以外は、加賀三湖(柴山
潟・今江潟・木場潟)のみが残った。

 江戸時代以降、部分的に埋め立てなどによる耕地の拡大を図ってきたが、柴山潟の排水問
題は深刻で、安宅の梯川河口に日本海の荒波が打ち寄せられると土砂が堆積し、沿岸部の水
田や宅地は冠水し大きな被害を受けた。さらに、塩による被害も続出した。従って、1911年に
沿岸部の住民は「水害予防組合」を結成し1914年から柴山潟から直接日本海に流出させる計
画を立て、国立石川病院の南側〜篠原新の実盛塚の付近〜篠原海岸まで延長2,052m、幅
18mの堀川の掘削事業にかかり、付近の人々の5年間にわたる辛苦の結果何とか完成し、祝
杯をあげたその夜、激しい季節風と怒涛によって河口が埋没してしまった。その後何度かにわた
って、掘削を試みたが、いづれも失敗に終わってしまった。その跡は今でも残っているが、現場
に行くと当時の従事した方々の悲嘆の声が今も聞こえてくるようである。約90年前の話である。

第二次世界大戦後の食糧不足の緩和策として、国営事業による大規模な干拓事業により、
今江潟は全水面、柴山潟は三分の二(5.45→1.85?)が干拓(1952〜1969)され、食糧
問題は解決したものの、自然環境の破壊が大規模に行われ、問題となってきた。

            

             

 一方、江戸時代の末期に大聖寺藩主の前田利明が潟の中に温泉が湧出しているのを発見
(1653)、その後、多くの方々の尽力で片山津温泉の掘削に成功するとともに、1876年から
1930年にかけて薬師山の土砂などでの埋め立て工事が行われ(14ha)、その後も小規模の
埋め立て工事が行われ潟の面積が縮小され、埋立地および土砂を採取した土地に、温泉旅館
や店舗、住宅などが建てられ、温泉街を形成した。かっての湖岸線は県道伊切・山中線(路線
バスが通っている道路)と考えて良い。
(実際に3区の薬師山側の家の前で釣りが出来たし、5区の通りは山が迫っていて波打ち際で
あった。

 また、近年まで片山津町と潮津町とは姻戚関係がなく、これも潟のため交通ができなかった
ことが想像される。)1871年には、潮津前潟干拓の大事業が東出長四郎氏を中心に行われ、
幾多の困難を乗り越えて1919年にこの難事業を完成させ、十数町歩の美田を得るに至っている。

 二十世紀初頭までは動橋川→柴山潟→串川→今江潟→安宅と舟運が盛んで物資の水上輸
送が行われていたが1897年に鉄道が開通されたのを機に舟運は衰退した。しかし、沿岸部の
多くの住民は、農作業や漁業に笹舟を使用しており、その数はかなりの数にのぼった。一方、
潟での漁業はフナ・コイ・ウナギ
・ナマズ・エビ・雑魚などが多く取れ、資源保護のため、漁法や漁期・捕獲区域を自主的に定め、
資源の枯渇防止に努力していた。当時は、学校から帰るとマエガキ・ブッタイといわれる捕獲道
具を持って田の用水路で短時間に多量の雑魚が獲れ、夕食の膳を賑わしたものである。また、
カモが水面を埋め、潟淵にはキジの姿をみかけることも多かった。さらに、多くの藻やヒシなどの
水草が水面を覆い、舟の運行に支障を来たすほどだった。湖水浴もでき、生い茂った藻に絡まっ
て亡くなった方もおられるほど自然の豊かな潟であった。また、貝類も多く、私自身貝殻で足を
切ったり、ヒシのトゲが刺さったことも何度か経験した。

2.受難の柴山潟

しかし、昭和40年以降の高度経済成長期に、観光客の増加とホテルの建設ラッシュ、宅地の
開発、生活様式の変化による化学製品の使用を含む生活雑排水、農薬や化学肥料の使用によ
る動物特に昆虫類の死滅さらにチッソやリンなどによる富栄養化による水質汚染、企業汚水の
流入など、片山津ばかりでなく上流の山代温泉地区をはじめ同様の現象であり、柴山潟はこれ
ら汚染物質の沈殿池となりヘドロが堆積し、汚染は増加の一途をたどってきたのである。特に、
潟の随所には、水質汚染のシンボルと言われているコケムシが発生した。また、干拓前には豊
富に生息していた貝類(22種)は現在では数種しか検出できず、その数も極めて少なくなってい
る。これらの原因の第一に干拓による水面積の減少が挙げられるが、今となっては、どうすること
もできない。出来る事と言えば汚染物質の流入を住民の協力によって削減することである。「私く
らい大したことはない」という気持ちを捨て、子孫のために美しい自然を残すことが、我々の責務
であることを自覚して実践して戴きたい。

 1970年に潟の異変に気づいた住民の要請により、加賀市では柴山潟沿岸部の下水道工事に
着手した。前述のように、潟に多くの水草が生い茂ったので、これを除去すべく、76年に草食魚の
ソウギョ・ハクレン各5000匹を放流し、その効果があったが、湖岸のヨシ類が食い荒らされて、浮
島状になり、その食いかすが揚水ポンプの故障を引き起こしたのである。これに追い討ちをかける
ように83年には中国の原爆実験による酸性雨の降雨により、水草や藻類が激減したのである。
さらに、85年から潟のヘドロの浚渫工事に着手した。これは2000年まで継続されたがこれらのヘ
ドロは潟周辺の水田に圃場整備用の土砂として使用されており、いずれの日にかまた汚染物質が
潟へ戻ることも考えられる。

 加えてブラックバスに代表される外来魚による被害は著しく、漁協では、年間200万円ほどの稚
魚を放流しているが、外来魚の餌食になり、在来種の減少を来たしている。ソウギョの残党は現在
では1.2mにもなり、依然としてヨシを食い荒らしたり、魚網に被害を与えている。

 ここで、柴山潟の現在のデータを記載しておく。( )内は干拓以前のデータである。

面積:1.85(5.45)ku、湖岸線延長:6.3(17.3)q、平均水深:2.1m最深4.9m、
透明度:0.65m、潟の容量:
3,850,000?、海抜:2.0m、滞留日数:4日、流入河川:9、
流出河川:1、流域面積:156?、流域人口:53,100人、流域所帯数:17,336、
流域地区:加賀市・小松市18地区。

3.よみがえれ柴山潟

76年以来、沿岸部に漂着したゴミ類を除去すべく片山津地区の住民が「よみがえれ 柴山潟」
を合言葉に立ち上がり、現在も継続中である。86年には、柴山潟活性化のフォーラムの開催、
88年には、市民シンポジウムの開催をはじめ、女性協議会では廃食油の回収と化学洗剤でない
セッケンの使用推進運動を展開し、水質汚染防止など住民意識の高揚につとめてきたのである。

 1989年に動橋川河川愛護会が発足、95年に柴山潟流域環境保全対策協議会が発足し、上
流部から下流部までの環境保全に取り組むことになり、僅かづつではあるが住民の皆さん方のご
協力により柴山潟がよみがえりつつある。また、2003年には柴山潟浄化運動推進協議会も発足
し、きめ細かい保全活動に取り組むことになった。

40〜50年かかって汚染された潟は環境は復元するには同等以上の年月が必要であり、運動
を始めてからまだ10年しか経っていないが多少の効果が出てきている(12月から3月の間の水
質は環境省の基準値を下まわるようになった)ので気長に継続していくことが必要である。

また、2004年10月20日台風23号に伴う柴山潟の氾濫により、沿岸部、特に前述の埋立地
の大部分が床上・床下浸水など多くの被害が出た。さらに、98年台風7号を主としてその他の出
水時に流出し堆積していた多くの流木やゴミ類が沿岸部にうず高く打ち上げられたのである。そ
の他、潟周遊の屋形船や桟橋も大破するなど多くの被害が出た。これを機会に、「柴山潟周辺
浸水対策連絡協議会」が発足し、抜本的な治水対策を検討中である。

4.柴山潟の価値と将来像

今まで柴山潟の歴史を中心に、先人の苦労や自然の豊かな時代、そして現代の多くの暗い面
を述べてきたが、その間、住民の意見や努力により、自然を保護し、観光や親水についての活動
や実現された施設や将来像について述べてみよう。

1990年に構想された、「柴山潟八景」を基に沿岸部の整備事業に着手した。「柴山潟八景」と
は、以下のような構想である。一景とは、温泉街が位置する湖畔の景観を特徴づける。(現湯の
元公園付近)二景とは、温泉街の東端から御橋川までの堤防とそれに伴うヨシ原。三景とは、
1.4kmの締切堤の遊歩道から見た潟と白山。

         

四景とは、締切堤の北端から西側の海岸段丘が湖と接する所。柴山漁港もあり、ここから見る潟
を通してみる白山の景観は実に素晴らしい。五景とは、潟北岸の西半分は、広大な湿地帯で、ヨ
シが生い茂り、野鳥の天国となっている。また、良い漁場でもある。六景とは、源平橋および浄化
センターや中谷宇吉郎雪の科学館を中心とする地域で、ここから見る白山の景観は格段に素晴
らしい。七景とは、首洗池や実盛塚および篠原の古戦場跡などの史跡があり、源平時代の昔を
偲ぶことができる。八景とは、源平橋から日本海までの干拓事業の一環として砂丘を掘削された
新堀川一帯を言い、干拓事業の偉業を偲ぶとともに、白山を眺めながら、釣糸を垂れる人たちが
後を絶たない。河口部では海釣りもできる。

これらの構想のもとに、1991年に湯の元公園の整備、93年に湖畔公園そして夏の1ヶ月に
わたる花火大会で多くの人々を誘致し、95年に弁天様と竜神を祀った浮御堂などの観光施設
が整備され、さらに、干拓以来25年経った時点で、柴山潟締切堤(1.6km)が地盤沈下を来た
し盛土など改修を機会に、潟の周遊サイクリングロードの設置や漁礁やヨシ・ヤナギの植栽が行
われ、これに呼応して、湖北小学校の通学路と連動して、周遊路が2002年にでき、あと温泉街
のみを残す現状となったが、これも現在前向きに検討運動中である。(総延長8km)なお、21箇
所に距離や消費カロリーを標示する看板も観光協会のご尽力で設置し、住民や観光客の健康づ
くりの目安となっている。この遊歩道の途中に自然観察路という400mほどのニセアカシアの並
木道があり、5月には花のトンネル、7月には各種のセミしぐれ、季節の野鳥や昆虫を観察する
ことのできる素晴らしい所もある。

1996年には、潟の中央部に白鳥が羽を広げた様子をデザインした70mの大噴水が設置され
、夜間はライトアップされるなど、柴山潟のシンボルとなっている。なお、この噴水はエアレーション
による水質浄化にも大きな役割を果たし、この近辺の水質は、潟の中で最良である。

2005年には、干拓時に設置した潮止水門の老朽化に伴い200m上流に新たに設置完工供
用されるので、塩害防止と水害防止、特に両側に設置された二種類の魚道は、サケ・ウナギ・ボラ
・サヨリなどの遡上に大きな役割を果たすことが期待されているし、景観を配慮して作られたもので
、気をつけていなければ水門があることを見逃してしまう程である。特に、水位が一定に保たれ、
水害の防止や、水の滞留日数(従来は4日)の減少により水質の浄化に役立つものと思われる。

11月下旬から2月上旬までは、シベリアから毎年120羽あまりのコハクチョウが飛来し、9月下
旬から2月上旬までは数百羽のカモを湖面で見ることができ、冬の柴山潟が冬鳥で賑わっている。
2003年までは、銃猟が規制されていなかったので、これらの鳥たちは、怯えながら餌を捕ってい
たが、運動の結果、猟友会のご協力を得て、3年には鉛散弾の使用禁止、4年には銃猟禁止区域
に指定され、やっと冬鳥たちの安住の地を得たのである。さらに、1999年から始まった年末のカウ
ントダウン花火大会も環境に配慮して、5年から中止をするなど、自然と環境に配慮した観光施策
も実現化している。

次に柴山潟の自然環境の見どころについてご紹介しよう。(自然環境の見どころへリンク)

1月〜2月は、白山連峰と柴山潟の展望が素晴らしく(勿論年間を通じてだが)、特に、空気も澄
んでいるので写真撮影に格好の時期なので源平橋・柴山漁港・浮御堂では多くのカメラマンが集ま
って来る。白山の融資はかって、航空母艦「加賀」の艦内に宮本三郎画伯の画かれた白山の姿が
飾ってあったと聞いている。

4月上旬になると締切堤では、1.2kmに及ぶ桜の並木が満開になる。下から見る桜も良いが遊
歩道の上から見る桜も一興がある。

5月上旬から中旬にかけて、自然観察路のニセアカシアの花が満開になり、300mの並木道を通
ると甘酸っぱい香で満ち溢れて何とも言えない気持ちになる。しかし、現在は、御橋川堤防の改修
で、その一部が伐採されたのは残念だが、数年後には以前と同じ状態になると思う。

5月中旬になると、御橋川の河口付近で、フナが産卵のため、横向きになって泳いでいるのを1号
橋の上から見ることができる。

6月の初旬から中旬にかけて、篠原町(片山津中学校の下)の用水路でゲンジボタル300匹以上
によるライトショウを観ることができる。(時間的には20〜21時がよい)その他近辺でも観ることがで
きる。また、ヘイケボタルは、1ヶ月遅く潟周辺の水田で観ることができる。

6月の初旬から7月にかけて、日本で最小(体長2cm)のトンボ、「ハッチョウトンボ」が片山津バイ
パスの湿地で見ることができる。

6月の中旬から7月の上旬にかけて、天気の良い日には、1号橋の上から、アカミミガメ(小さい頃
はアマゾンのミドリガメ)の親子が数匹流木の上などで甲羅干しをしている姿が見られる。(これは、
誰かが放ったものと思われるが)

同時期に、遊歩道や自然観察路の潟淵で、オニグルミの実が結実する。これは、上流部から流れ
着いた種子が
波のため沿岸部に打ち寄せられ、自生し、並木状になったものである。

7月から9月にかけて、動橋川と御橋川の合流地点付近でボラ(体長20〜30cm)が水面から跳躍
するのを見ることができる。運が良いと舟の中に飛び込んでくることもある。

7月中旬から8月下旬にかけて、自然観察路では、各種のセミ類によるセミしぐれを聴くことができる。
川面をわたる涼風にあたりながら散策するのは何とも言えない風情がある。

7月初旬から9月上旬にかけて、随所の水面でガガブタの開花を見ることができる。この花は白色の
小さな花だが、花びらの周りが鋸状になっていて面白い。また、同時期に、御橋川をはじめ流入河川の
随所でコウホネの黄色い花をみることができる。コウホネは、準絶滅危惧種であり、このような群落は、
全国でも珍しいので是非とも保護したいものである。

9月の10日前後(年によって多少の差がある)に湖北小学校からJA保養施設「翠湖」にかけてのヨ
シ原に近隣に飛来していたツバメが300羽余り集合し、3日位栄養補給をして、猛禽類を避けるため集
団で南方へ飛び立って行く姿を見ることができる。まさに壮観である。

10月の中旬から2月の中旬にかけて、コハクチョウがシベリアやカムチャッカ半島から飛来して、その
優雅な姿を見ることができる。これは、締切堤北東側の水田に130羽位飛来し、特に有機栽培をしてい
る水田で餌を啄ばんでいる。飛来した頃のコハクチョウは羽毛が灰色(幼鳥)のものが多く、よくも子供で
長距離の飛行に耐えて来たものだと感心させられる。北帰行の時期になると、殆どが白色になる。

11月の上旬になると、動橋川の松山堰堤付近で遡上したサケの産卵状況を観察することができる。
遡上の時期になると、伊切にある潮止水門の海側に水門が開けられるのを待っているサケの群を見るこ
とができる。その数およそ200匹。しかし、水門の開けられる時間が短いため、通過できるサケの数は半
減してしまう。この事象を話した結果、新しくできた潮止水門にはサケ専用のほかウナギ・サヨリ・ボラ用の
魚道が設置され、今後の水産資源が活用されることが期待されている。

このように、柴山潟の周辺の自然環境には素晴らしいものがあることが地元をはじめ県内外の方々が
ご存知だろうか。PRをしてこなかった筆者にも責任はあろうが、本文を読まれた方は是非PRをして戴き
たいものであると同時に、これらの自然をいつまでも残したいものである。

さて、自然の恵みで一番恩恵に与かっているのが、温泉である。温泉の効用は論を待たないが、活
用について入浴や歓楽中心であったものが、健康づくりや癒しと家族・友人の交流の場として近年変換
しつつある。その代表的なものが2004年にオープンした健康増進施設の「スワトン」である。これは、
廃業旅館を改修し、市民の健康維持増進のために作られた施設である。ここでは、指導員のアドバイス
によって、柴山潟の風景を見ながら健康増進器具で運動をしたり、機能回復訓練や温泉プールでの水
中歩行訓練などが主なメニューであり、多くの市民で賑わっている。

その他、3年から4年にかけて、高齢者のための介護・養護施設も3施設あり、高齢化社会に対応し
た施設も廃業旅館を改修して設置されている。

前にも述べたが、潟の周遊道路の残っている潟淵の旅館部分については、ウオークボードの設置な
ど、関係方面で検討中であり、出来るだけ早期の完成が望まれるところである。

さらに現在、小松空港から、芦原温泉までの舟運(加賀三湖水郷再生計画)も検討中で、多くのハー
ドルがあるが実現に向けて住民代表や行政が計画・立案中であり、これが実現されると柴山潟の魅力
が倍増されるであろうし、前述の自然環境と相俟って、街の活性化に大きな役割を果たすことだろう。

また、温泉街の中心部に長期にわたって空地化し、景観を損ねていた旧ハッピー跡地も5年度に中央
公園として再生され、中央部にはミニ柴山潟の池を中心に、生息する主な動植物を配して自然環境再生
への足がかりとする予定であり、その中に足湯も設置する予定である。

また、山中町との合併(5年10月)を機会に共同浴場(総湯)の全面改修も話題に上っており、これも
早期実現へ向けての努力が必要である。

温泉街も多くの方々のご尽力により、検番をはじめ、2・3・4・5区および潮津・片山津の道路整備や
町並み整備が行われつつあり、街の活性化に大きな役割を果たすものと考えられる。

なお、柴山潟は、単なる水面でなく、そこに野鳥や舟や釣り人や散策をする人がないと寂しい。屋形船
やボート・ウインドサーフィン・ヨット・漁船などが往来して、はじめて素晴らしい景観が構成される。(ジェッ
トスキーや高速モーターボートは除く)

環境教育の一環として、毎年数回、流域の小学校が協議会や漁協の協力を得て環境教室を実施して
おり、一般向けには加賀市では、毎年、船上学校を開催しており、市民の柴山潟に対する認識も高まっ
てきている。

従来、温泉名物として「温泉たまご」があり、好評であったが、さらに素晴らしいことには、金沢大学理学
部の田崎和江教授のグループが柴山潟について研究され、その結果、「ゆったり湯学 加賀オープンキャン
パス」を開催し、温泉豆腐や湖底の泥を使ったバイオ染めやヘドロを使った泥人形の作成などの成果を公
表し、地元住民と共にブランド化する計画が進んでいる。その調査の過程で、冒頭に述べた「カルデラ」も発
見されたのである。

加えて、先進地の琵琶湖と水質が類似していることから、イケチョウガイを使った淡水真珠の養殖の計画も
進んでいる。

 一方、加賀市では、下水道整備事業が、本格化し、市街地および農村集落排水施設は、ほぼ工事が終
わりつつあるが、折からの経済不況のため、加入率が思わしくなく、加入促進に尽力している現状であり、
従前より潟の水質は良くなりつつある。

 その他、将来構想としては、自然エネルギーを活用した環境保全センターを設立し、柴山潟近辺および加
賀市内の環境保全の研究や実習、動植物・民俗資料の展示、観察、教育施設を設立したいものである。

 平成17年2月10日、加賀三湖を水郷を再生すべく「小松・加賀の水郷再生協議会」を発足させ、「みんな
で憩える加賀の水郷」を目標に小松・加賀の関係団体の協力を得て、活動を始めることになり、今後の成
果が期待される。

5.おわりに

以上、柴山潟のことについて述べてきましたが紙面の関係上、細部にわたっての説明が不十分だと思
われるので、必要に応じ、筆者にお問い合わせてください。さらに、本文を読まれた方はまだまだ記されて
いないことをご存知の事柄が多いと思いますので、そのアイデアやご意見を賜れば幸いに存じます。

とにかく、皆さんのお力とご協力で一刻も早く柴山潟を蘇らせたいものだと思います。

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