2008.08.15

糸賀一雄の思想と実践

 NHKスペシャル「ラストメッセージ」最終回「この子らを世の光に」は、糸賀一雄、池田太郎、田村一二らを主人公としたドキュメントだった。「“障害者”も“健常者”もともに生きていける社会こそが豊かな社会だ」という信念のもと、強い意志を持って実践し続けた三人の生涯から学べることは大きい。

 上記の番組を見た後、「学べることは大きいはず」と勇んで購入した京極高宣著『この子らを世の光に』(NHK出版)を最近になってようやく読破した。(何と一年以上かかってしまった ^^ が、ぜひ紹介したい内容だった。)

 この著書は、「糸賀一雄の思想と生涯」(サブタイトル)をさまざまな角度から描いたものである。

 糸賀の最大の業績は、我が国最初の複合児童施設である近江学園を建設し「重度障害児」と向き合い実践しつつ、「発達保障」など注目すべき「問題提起」を行ったことである。(ちなみに糸賀一雄の活躍した時代は1945年から1968年、いまだ「障害者」に対する多くの偏見を色濃く残した社会における先駆的な実践であった。)

 また、上記の「“発達保障”の主張」(内容は後述)とならんで糸賀の提起したメッセージ「この子らを世の光に」について糸賀自身が次のように語っているという。

 「精神薄弱児の生まれてきた使命があるとすれば、それは『世の光』となることである。親も社会も気づかず、本人も気づいていないこの宝を、本人の中に発掘して、それをダイヤモンドのように磨きをかける役割が必要である。

 そのことの意義に気づいてきたら、親も救われる。社会も浄化される。本人も生き甲斐を感ずるようになる。」

 さらに糸賀は語る。
「謙虚な心情に支えられた精神薄弱な人々の歩みは、どんなに遅々としていても、その存在そのものから世の中を明るくする光がでるのである。単純に私たちはそう考える。精神薄弱な人々が放つ光は、まだ世を照らしていない。(・・・・・・)
 
 しかし私たちは、この人たちの放つ光を光としてうけとめる人々の数を、この世に増やしてきた。異質の光をしっかりと見とめる人びとが、次第に多くなりつつある。人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認め合うところにはじめて成り立つということにも、少しずつ気づきはじめてきた。」(『糸賀一雄著作集』2)

 以上、『この子らを世の光に』の一部を引用してきたが、もともと「世の光」という言葉は「聖書」から引用したものであるという。いうまでもなく、一人ひとりのかけがえなさや輝き(いわゆる人権)を意味する言葉であると考えられる。

⇒ 人権思想について(糸賀一雄の宗教哲学とも関連) 

 作者も指摘している点であるが、「この子らを世の光に」という理念は次の三つの側面から理解されなければならない。

 第一にこの子らが生活主体者(自己実現の主体、人権の主体)であること、第二に潜在的可能性を持ったこの子らをさらにみがきあげ、人格発達の権利を徹底的に実現しようと実践すること、第三に社会はそうしたことを認め合い、実現できるものでなければならないこと、である。

 つまり、 1,「“障害者”の自己実現・人権」の問題と、2,「個別的な課題と向き合いつつ発達を保障していくこと」と、3,「人びとの福祉意識の変革や福祉社会の実現」という三点を含み込んだ「理念」が「この子らを世の光に」という言葉の中には込められている のである。

(この子らが「世の光」として輝けるような社会=その輝きを認めあえるような社会こそが豊かな社会であるという「社会の創造・変革」をも含み込んだ理念) 

 1960年代に先駆的な実践を通して糸賀がたどり着いたこの「理念・思想」は、それ自体のすばらしさと同時に、「心の底から発せられた言葉(上記『糸賀一雄著作集』における糸賀自らの説明)」であるところに深い感動を覚える。

糸賀一雄の思想と実践 2

カテゴリ:特別支援教育

 『この子らを世の光に』(NHK出版)の紹介・引用を続ける。

 糸賀一雄の「この子らを世の光に」についで著名な言葉に「発達保障」の考え方がある。晩年の糸賀は次のように述べている。

 「いま(1960年代)ようやく、このような障害を持った児童の権利保障と言うことが、本気でとりあげられるようになった。しかし、(・・・)児童の権利を保障するなどということは、歴史的に到達した高みであると同時にいま現に(・・・)一種のたたかいである。古い思想との対決である。

 しかし、よく考えてみれば『現代の中に』などといったひとごとではなくて、この対決は、じつは自分自身の心の中の出来事ではないのか」 (・・・)

 「医学的な検診や心理学的なカウンセリングや、教育相談などの社会的資源がもっともっとつくられ、それが縦横に資源として活用され、さらに、訪問指導のような形をとる在宅指導の徹底がはかられることが要請されている。(・・・)

 施設は社会の働きそのものであるから、受け止めた精神薄弱児の諸問題と取り組みながら、やがて家庭と社会に、その子たちを送り出す始発駅の役割を果たそうとしているのである。そして、(施設は)家庭や社会と手をつないで、三者がともどもに育ち、発達していくという機能の向上を目指しているのである。」

〔コメント〕 

 前半部分で「発達保障」はまずもって児童の権利保障の概念であり、「思想闘争」の今日的課題だと糸賀は自己体験から語っている。「『現代の中に』などといったひとごとではなくて、この対決は、じつは自分自身の心の中の出来事ではないのか」という省察については、深く考えさせられた。

 「発達」は“はい立ち歩く”という縦の発達以外に無限にのびていく横の発達がある、という言葉も多くの示唆を与えるものがあるが・・・。それも含めて「保護ではなく(発達の)権利保障」を基軸にしているという点で、まさに先駆的な実践・思想であると感じる。それも含めて「保護ではなく(発達の)権利保障」を基軸にしているという点で、まさに先駆的な実践・思想であると感じる。

 そしてまた、後半の部分で述べられている見解、「発達保障」を施設や教育機関の問題に矮小化するのではなく、「こどもたちとともに施設も家族も社会も発達していくことが発達保障の具体的問題」であるという見解が注目できる。

 糸賀をよく知る岡崎英彦も次のように述べる。「先生の言葉の中に、発達を保障するという理念の子どもたちに対する直接的・具体的な関わりの側面を見るのであるが、同時にその中に、社会自体が発達を支え、保障してゆく姿にならなければならない、そのように社会の働きかけなければならないという、現実的な、しかも社会運動的な側面を認めるのである

糸賀一雄の思想と実践 3

 

 『この子らを世の光に』−糸賀一雄の思想と生涯−(NHK出版)の引用・紹介を続ける。
〔糸賀一雄とは戦後から1960年代にかけて「知的障害者」の施設である近江学園などを建設・経営した人物。「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、“障害”を抱えた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが“豊かな社会”であること」を確信しつつ実践した〕

 このたびは、糸賀一雄の実践の土台にあったと思われる宗教哲学を中心に紹介したい。

 周知のとおり、糸賀一雄の思想形成にとってキリスト教の影響は絶大であった。(・・・)糸賀一雄は青少年時代にキリスト教に帰依し、おそらく死に至るまで真のキリスト教徒としての人生を貫いたことは想像に難くない。(136頁)・・・

 近江学園創設から間がない1950年に糸賀は自らの信条を次のように述べている。「私たちの生涯はたとえ小さくても愛の業を実証して、少なくとも私たちの属している社会や家庭の中にささやかな平和を実現したいと願うのであります」(136頁)

※ 糸賀の(京都大学)卒業論文より
 神学と宗教哲学について各々その特色を分析して、ヘーゲル等のドイツ観念論を援用しつつ、両者の関連について述べている。「神学と宗教哲学とは、等しく、“反省”を契機とする意味において互いに関連しながら、その反省の意味の相違によって、各々に特有なる任務が定められたのである」

 神学と宗教哲学を対立的にではなく、(・・・)神学→宗教哲学へと信仰の具体化・自覚化・反省化の中でとらえている。
 一方の神学は「信仰体験の無邪気なる自己理解」(・・・)であり、他方の宗教哲学は「宗教体験の反省的自己理解」(・・・)である、としている。 (141頁)

 また、糸賀は「自己と他者の共同(まじわり)が人格の本質であること、又かかる共同を成立せしむるものが“愛”に外ならない」として「救われし生は神のアガペに生きる生であり(・・・)道徳もこれによって初めて確立されるであろう」と第二論文を結んでいる。

(さらに)糸賀は近江学園設立後に、たびたび愛について論じている(・・・)
愛とは何ぞやを知ることは、愛の実践と区別されなければならない。エロスを論じアガペの愛を論じても、そのことは愛そのものではないことをしかと知るべきである。一人の問題の子供のために肝胆を砕いて悩み、彼とともに泣いて立ち上がるときに、その純粋さの中に愛が実践されているのである」(142頁)

 糸賀はこれまでのキリスト教研究(神学)と宗教哲学の知見の全てを卒業論文に結集させたのであるが、このことは糸賀の内面に彼を単なるキリスト教の信者ないし信仰の人としてではなく、愛と希望を持つ不屈な宗教哲学者としての人生の旅立ちを保障することになるのである。(146頁)

(コメントおよび「紹介」の続き)

 上記のように、糸賀の出発点に宗教哲学があったことは明らかであるが、ここで注意しなければならないことは、「糸賀の福祉思想が通常考えられているように、キリスト教の隣人愛を知的障害児の教育と福祉へ直接的に適用したもの(・・・)と必ずしもいえないこと」(137頁)だ。

 というのは、「糸賀は宗教哲学を背骨としつつも福祉実践家あるいは実践的思想家として、現場との切り結びによってさまざまな発見、いわゆる“気づき”をしつつ、新たな理念を創造し、強固な思想を形成してきたから」である。

 確かに、糸賀の近江学園は「医学」や「心理学」というよりも「哲学」(または宗教哲学)を背景に実践が展開されていた。だが、それはまさに旺盛な実践の中で鍛えられていった「生きた哲学」であり、宗教哲学を越えた各分野(ヘーゲル − マルクス主義等)をも包括して構成されているのである。

糸賀一雄の思想と実践 4

 

『この子らを世の光に』(NHK出版)の引用・紹介を続ける。

 近江学園は、知的障害児対策から出発し、重症心身障害児も普通児と同じ発達の道を通り、どんなにわずかでもその中で豊かさをつくるのだということ、治療や指導はそれへの働きかけで、その評価が指導者との間に発達的共感を呼びおこし、次の指導技術を呼び起こし、すべての人の発達保障の基礎が生まれてくるとした。(167頁)

 もちろん、この発達保障という考え方には思想的背景もあり、スイスの教育家ペスタロッチ以来の教育学の伝統に加え、科学的社会主義を唱えたドイツのK.マルクスやF.エンゲルスによる人間の「全面発達」の実現という理想主義的な教育観の影響も少なくないと思われる。(169頁)
 
 (・・・)さて、発達保障の考え方に関して、最後にどうしても追加して述べておかなければならないことがある。それは、人間の精神発達を、例えば知能指数(IQ)のように一元的に年齢とともに縦軸の発達をすると理解してはならず、年齢に応じて横軸の発達があるという発見についてである。(169頁)

 糸賀は次のように述べている。「(・・・)人間の精神発達というものは、年月とともにしだいに上へ伸びていくばかりでなく、あらゆる発達段階で豊かな内容をもつようにひろがっていくものだということも証明された。(・・・)縦軸の発達はほとんど絶望的であっても、横軸の発達は無限といってもよい。」

 (・・・)この横軸の発達については、糸賀はさらにいろいろと述べているが、一言でいえば「この横の広がり(発達)とは何かといえば、かけがえのないその人の個性です」と結論づけている。(170頁)

 糸賀の「この子らを世の光に」は聖書の「人の光」、「世の光」に端を発した理念である明らかにキリスト教的表現であり、近江学園発足後の初期に生まれた福祉理念であった。一方「発達保障」はこの理念に基づきつつも、近江学園におけるより具体的な福祉実践によって肉づけされ誕生したものであり、その後の療育実践に科学的検討を加えた人権保障的な社会思想(新たな福祉思想)となっており、内実もはるかに豊富になっている。

 この点では、糸賀の青年期の哲学論文において、神学→宗教哲学(あるいは宗教→哲学)の関係が想起されていいだろう。(つまり、直接的な体験である宗教を反省によって捉えなおし、深化させたものが哲学ないし宗教哲学という関係:引用者)

(・・・)糸賀の福祉思想はこの両者の関係(・・・)を障害者福祉で再現させたものではなかろうか。つまり「この子らを世の光に」が神学(ないし宗教)の位置に、「発達保障の考え方」が宗教哲学(ないし哲学)の位置に、といった具体的関係(・・・)にあるわけである。(以上171頁)

(・・・)こうした点から見ると、糸賀の福祉思想において「この子らを世の光」から「発達保障の考え方」へはまさに円熟の度合いが増したものと位置づけることができる。
(172頁)

〔コメント〕
 
 糸賀は「卒業論文」で、ヘーゲル等のドイツ観念論を援用しつつ、宗教哲学を「宗教的体験の反省的自己理解」だと説明している。これとの類比で「発達保障」も捉えるべきではないか、というのが著者の見解である。

 つまり、「この子らを世の光に」「この子らが真に輝ける社会に」ということを目指しつつ、 「“確信”を実践的に発展させ、“反省”によって捉えなおしたもの」(理論化したもの)が「発達保障」の思想だったと考えられるのである。

 大切なことは、糸賀の実践が彼自身の「哲学」、「確信」から出発したと同時に、その「哲学」、「確信」が逆に施設内外における旺盛な実践によって深められたこと、さらに、それが21世紀に残すべき「先駆的な提言」となったことである。

 ドイツのK.マルクスやF.エンゲルスによる人間の“全面発達”の実現という理想主義的な教育観の影響も少なくない」ということであるが、糸賀自身の言葉:「横軸の発達は無限(である)」 「この横の広がり(発達)とは何かといえば、かけがえのないその人の個性(である)」からもわかるように、そのような教育観が実践を通して具体化され、限りなく豊かにされているのではないだろうか。 

糸賀一雄の思想と実践 5

 

 NHKのラストメッセージでも放送された糸賀一雄(「知的障害者福祉の父」といわれる 19141968 について私は次の点に注目してきた。

1、「人間」という抽象概念ではなく、個性ある「この子」として、誰とも取り替えることのできない個性的な自己実現の主体として「発達保障」という考え方を強調したこと。

2、本来一人ひとりが光り輝く存在であり、「障害」を抱えた人も分けへだてなく共に生きることのできる社会こそ「豊かな社会」であると主張したこと。


 ラストメッセージの視聴を機に読むことになった『この子らを世の光に』〜糸賀一雄の思想と生涯〜(NHK出版)の紹介を続けてきたが、このたびは一応のまとめとしたい。

 糸賀は、福祉の思想そのものについてこう述べている。
 「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想を持っている。実現の過程でその思想は常に吟味される。どうしてこのような考え方ではいけないのかという点を反省させる。福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである。」(196頁)

 「(・・・)社会福祉といっても、社会という集団が全体として『福祉的』でありさえすればよいというのではない。つまり、社会が豊かであり、富んでいさえすれば、そのなかに生きている個人の一人ひとりは貧しくて苦しんでいるものがいてもかまわないというのではない。社会福祉というのは、社会の福祉の単なる総量をいうのではなくて、そのなかでの個人の福祉が保障される姿を指すのである。」(197頁)
 
 ちなみにJSミルは次のような見解を述べている。「ナザレのイエスの黄金律の中に、われわれは功利主義的倫理の完全な精神を読み取る。おのれの欲するところを人にほどこし、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義的道徳の思想的極地である。この理想に近づく手段として、功利はこのように命ずるであろう。(・・・)」

「第一に、法律と社会の仕組みが各人の幸福や利益を、できるだけ全体の利益と調和するように組み立てられること。 第二に、教育と世論が、人間の性格に対して持つ絶大な力を利用して、各個人に、自分自身の幸福と社会全体の善とは切っても切れない関係があると思わせるようにすること。」(198頁)

 「私の仰ぎ見るすべての人たちの考え方は、人と共感するよろこびとか、他人のためひろく人類全体のためにということを人生の目的にする気持ちこそ、もっとも偉大なそしてもっとも確実な幸福の源である、というところにあった。」(199頁)
 これ(上記JSミルの思想)は晩年の糸賀思想とまったく重なる。
(・・・)

 私(著者)の印象を述べれば、「発達保障の考え方」を中心とした糸賀の福祉思想は、ソーシャル・ポリシーやソーシャル・ワークの欧米諸国の権威ある理論家によるものよりも、はるかに平易であり、かつ哲学的にはより深いものである (200頁)

 糸賀一雄の福祉思想は、(・・・)福祉サービスを利用する人間の尊厳をふまえ、その基本的人権を尊重し、その自立生活を支援するために、適切なサービスを提供すると同時に、人々の意識変革を図り、条件整備など周囲の環境をととのえ、社会全体をより人間的なものに変革しようとする考えである。(203頁)

 特に糸賀の「この子らを世の光に」という理念は(・・・)21世紀の福祉社会を担ってもらう日本の若い世代に伝承していく、そして世界の人々にも伝えていく国際的に価値ある人類的な福祉遺産としての値打ちが立派にあると確信する。(203頁)

〔コメント〕

 われわれは、哲学や思想を近代以降は欧米諸国から、古くは中国などから輸入してきたが、ともすれば「流行」に右往左往しながら一種の「文化的教養」として要領よく吸収しようとしてきた面がある。

 しかし、糸賀の場合そうではない。その「哲学」「思想」は、あくまで現実と格闘しながら形成された「実践思想」だった。そして、そのような実践(現実と格闘しつつそれを変革する思想的展望を見出していく営み)こそ、彼の人生そのものだったと言える。

 糸賀の生涯は54年で終わったが、彼自身次のように述べている。「一秒とか一日とかいう時間の観念を、どれだけ濃縮して、その人その人の心理的時間に変化させるかが、人生を長くも短くもすることになるのではあるまいか」と。その点、「いつでも、どんなときでも精一杯の自分を生きることにきびしくつとめた(房夫人の言葉)」という彼の人生は限りなく充実した生であったといえるだろう。

 このような糸賀の生涯、そして「この子らを世の光に」・「発達保障」を軸とする彼の思想に学びつつ、その理念と実践を発展させることが、福祉・教育の分野にとどまらず「この社会を担う一個人」にとって求められているのではないだろうか。 

 

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