
知覧城
Chiran Castle, Japan
登城日:
2006. 11. 11

知覧城は、知覧の武家屋敷から
約1km程のところにあったお城です。
シラス台地の直立した崖を持つ地形を
最大限に使った、中世の山城です。
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地図はこちらです→
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知覧城がいつ築城されたのか、
正確なことはわかっていないようです。
一説によると平安時代末期に郡司だった
知覧忠信とも言われています。
「ミージアム知覧」の資料によれば、
1353年(文和2年)、足利尊氏によって
島津忠宗の三男、佐多忠光に知覧の領地が与えられ、
以降、知覧城は佐多氏の居城となったとあります。
その後、1591年(天正19年)に佐多氏11代久慶の時に
佐多氏は禁制に触れ領地を移され、またこの頃
知覧城は火災に遭い、そのまま廃城になったそうです。
鹿児島からのバスを、中郡のバス停で下車し
知覧武家屋敷群を訪れようと思ったのですが、
道路標識に知覧城址とあるのを見つけ南に歩き出しました。
知覧の旅行記はこちらです。
道はすぐに山間へと入って行きます。
丁度、行き逢ったお婆さんに知覧城への道を尋ねてみました。
お婆さんは『知覧城は碑だけで、何もないから』と言うばかりです。
それでも、なんとかこの道を10分程行けばお城が
ある事を確かめる事が出来、足を進めました。
その先道はいよいよ山間に入り、再び不安になり始めた頃、
山間の交差点に標識を見つけました。

ここで右手の坂道を下って行くと、坂を下った所に
広場のように整備されている一角がありました。
この辺りが知覧城の跡のようです。

周囲は深い山で、当時のお城は
自然に帰ってしまっているようです。
山を眺めているだけでは、どこにどのように
曲輪があったのか、想像も付きません。
僅かに整備された広場の一角から
山間に入る小道が続いているようでした。

広場の外れに「知覧城址」の石碑がありました。

この石碑は、知覧城の由来だけでなく、
知覧城の航空写真も載っている立派なものでした。

この写真を見ると、周囲の山が夫々独立していて
それが曲輪になっていたようです。

石碑に地図もあったのですが、どの山が
どの曲輪か、照らし合わせてもよく判りません。
後で訪れた「ミュージアム知覧」の資料では、
1992年(平成4年)から発掘調査が始まり、
2004年から蔵之城跡が公開されているそうです。
下の写真の山は、現地では本丸と思って撮ったのですが、
後で資料を見てみると、どうも伊豆屋敷という
曲輪があったところのようです。

そして、広場の向こうは山が開けています。

ここはどうも大手口だったところのようです。
限られた時間の中で立ち寄った知覧城でしたが、
予想以上に深い山が連なった山城のようで、
登城するには十分な予備調査と、時間が必要だと判りました。
知覧城は国指定の城址で、発掘調査も行われているので、
また改めて、訪れたいと思います。
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