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社会思想社刊
Anatomy of a War  Gabriel Kolko
『ベトナム戦争全史』
―歴史的戦争の解剖―

 ガブリエル・コルコ=著
 陸井三郎=監訳 藤田和子・藤本博・古田元夫=訳
 石川文洋=写真

国際的評価の高い大著の邦訳版。30年の長きにわたるベトナム戦争総括。畢生の超労作。


 ベトナム戦争についてはこれまで世界各国で、多くの著書が出版されている。そのなかでも当事国であるアメリカ、ベトナムの双方から異例ともいえる高い評価を受け、ベトナム戦争研究における「最も体系約で包括的な業績」とされる大著の日本語版。
 本書は単なる戦史ではなく、アメリカの政治、経済、軍事、外交、国内問題、グローバリズムのすべての面から、介入から敗退にいたる経過と理由を分析し、一方、ベトナムという小国が、いかにこの最強国相手に長期にわたる戦いを持続し、勝利したかを明らかにしている。ベトナム戦争についての基礎的文献。

 著者は、米国対外関係史を専門とする、アメリカで最も著名な学者のひとり。一九六〇年代以降、一貫してアメリカのベトナム介入に反対の立場をとり、戦争阻止のための国際委員会、ラッセル委員会をはじめ、数々の反戦運動にも参加した。一九七三年のパリ協定直後から六回にわたってベトナムを訪れ、指導者から末端の兵士、労働者、民兵、農村女性、地下工作者にいたるまで多くの人びとにインタビューし記録を採った。その際ベトナム側の膨大な公式・非公式資料のほか、逃亡したアメリカ軍や諜報機関が残した多くの機密文書を入手した。
 これらの資料を駆使し、長年の研究を熟成させて書かれた本書は、完成までに十余年を費やした。本書に対する評価の高さは、当事国双方の視点にたった冷静で広範な分析・記述と、現ブッシュ政権下の世界戦略見直しにまでおよぶ歴史的な跡づけなど、スケールの大きな考察による。それだけに日本語の訳出にも多くの時間と手間を要した。


A5判上製二段組 840頁 本体価格17,000円
ISBN4-390-50197-6  2001年7月発行

世界各国で出版されたもののうち、もっとも体系的で包括的業績
ベトナム戦争とは何か? 世界最強国の諸問題やグローバリゼーションの諸相、数えきれないほどの生命が長期にわたって日常的に失われ打ち砕かれていく悲劇、奢りや腐敗、情報操作、無名性の犠牲に誇りをもった無数の男女がいたということまで、要するに、20世紀における人間の対応と社会的力学の多様さを含むもの。おそらく、われわれの過去とわれわれ白身に、さらにはわれわれの未来に鏡をあてることになるものの謂である。

「ベトナム戦争関連略年表」など、日本語版独自の付加価値が充実
ベトナム戦争は日本に大きな影響を与えた戦争であり、他の要因とともに日本の繁栄をもたらした状況を生み出すうえで一定の役割を果たすとともに、経済的・政治的環境の脆弱性をも示した。ベトナムでの経験を理解することは、日本のこれまでの歩みのみならず、日本が今後身を置くことになる環境の構造を把握することでもある。ベトナム戦争は、ある重要な点で、アジアの他の国々で起きたこととの類似性をもっていた。――「日本語版へのまえがき」より

戦争後の世界情勢への警鐘
 一体、アメリカは何のために戦い続けたのか。特に65年に直接軍事介入し、最終的には54万の大軍を送り込み、膨大な戦費をつぎ込んだのは何のためだったのか。アメリカが介入しなければ、べトナム戦争はこんなに長びかなかったし、当時のベトナム人口の一割に近い300万人もの犠牲者を出すことはなかったであろう。
 著者は自ら左翼的な反戦論者と称しているくらいだから、いかに多角的に資料収集分析したとはいえ、民族解放戦線よりの記述が多くなっていることは認めざるをえない。それでも、ベトナム人民共和国(北ベトナム)が南ベトナムの政治と社会体制に無知だったことが戦争を長びかせた一因であることはきちんと書いてある。労働党指導者にも問題はあった。それでもなお、北と南を合わせたベトナムの人びとが民族解放独立という目標に向かう民族の高揚期にあって、しなやかに生き生きと戦っている姿が浮かび上がってくるのだ。
 それにしてもである。何故あれだけたくさんの人が犠牲になってしまったのだろう。戦争が終わってみると、何とも空しい感じがする。戦争の経過をみていると、規模こそ違え、第一次大戦末期のロシア革命干渉戦争である日本軍のシベリア出兵や、日中戦争時の日本軍の戦闘経過と酷似している。アメリカはこうした過去の軍事失敗例から何も学び取っていないのだ。(評論家 河田宏)

写真=石川文洋
霧の中の娘――ハノイ・1965年
北ベトナム全土にアメリカ軍は激しい爆撃を繰り返していた。多くのハノイの子どもたちが農村に疎開し、若者たちは南ベトナムでたたかっていた。初めての北ベトナム取材では「自由と独立ほど尊いものはない」というホー・チ・ミン主席の言葉のもとに様々な困難へ立ち向かっている人々の姿に感動した。朝霧の立つチュクバク湖の前を、銃後を守る若い女性が通り過ぎた。

写真=石川文洋
焦土作戦――ビンディン省・1965年
ここは南ベトナム中部のボンソンの村。中央の道はベトナムを貫く一号道路。両側には椰子の林が繁っていたが、爆撃、砲撃、艦砲射撃で村は徹底的に破壊された。ベトナム全土の80パーセントを占める農村が戦場となり、多数の農婦、老人、子どもが死傷した。

写真=石川文洋
進撃――ビンディン省・1966年
農村に一個中隊の解放軍が集結しているとの情報で、米第一騎兵師団の部隊が出動し村を包囲した。2機の戦闘機が爆弾、ナパーム弾を投下、村は炎上した。武装ヘリコプターによる機銃掃射の後、兵士たちは喊声をあげながら村へ突入した。

著者略歴
ガブリエル・コルコ(Gabriel Kolko)
1932年生まれ。
1962年、ハーヴァード大学で博士号修得。ペンシルヴェニア大学、ニューヨーク州立大学バッファロー校を経て、1970年より1992年までカナダのヨーク大学歴史学教授。92年からヨーク大学名誉教授。1960年代のアメリカのラディカルな学風が生んだもっとも注目すべきアメリカ対外関係史研究者の一人で、ベトナム戦争当時、戦争批判の運動にも積極的に参加し、1967年5月開催の「ベトナム戦争犯罪国際法廷」(ラッセル法廷)では審議の基礎資料となる「ベトナムにおけるアメリカ、1944−66年」を提出。現在は、オランダのアムステルダムに在住し、アメリカ外交および国際政治に関する活発な執筆活動を続けている。


訳者略歴
陸井三郎(くがい さぶろう)
1918年生まれ。
戦中、太平洋協会、戦後、世界経済研究所を経て、1966年よりアメリカ研究所長(〜73)。アジア・アフリカ研究所員(1961〜2000)。「ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会」事務局長(1966〜75)。1977年からは、原水爆禁止運動の統一組織で代表委員。2000年1月13日急逝。
主要著書:『資料 ベトナム戦争』(上・下、紀伊国屋書店、1969)『インドシナ戦争』(勁草書房、1971)『ハノイでアメリカを考える』(すずさわ書店、1976)『ハリウッドとマッカーシズム』(現代教養文庫、1996)他多数。


藤田和子(ふじた かずこ)
1940年生まれ。
現在:宇都宮大学国際学部教授。
専門分野:東南アジア政治経済論、国際関係論。
主要著書:『東南アジアの経済』(共著、世界思想社、2000)『東アジア経済と日本』(共著、ミネルヴァ書房、2000)『開発途上アジア経済入門』(大月書店、1987)


藤本 博(ふじもと ひろし)
1949年生まれ。
現在:南山大学外国語学部教授。
専門分野:アメリカ対外関係史、現代国際政治史。
主要著書:『20世紀のアメリカ体験』(共著、青木書店、2001)『21世紀国際関係論』(共編著、南窓社、2000)『アメリカ合衆国の歴史』(共著、ミネルヴァ書房、1998)


古田元夫(ふるたもとお)
1949年生まれ。
現在:東京大学大学院総合文化研究科教授。
専門分野:ベトナム現代史。
主要著書:『日本ベトナム関係を学ぶ人のために』(共編著、世界思想杜、2000)『ベトナムの世界史』(東京大学出版会、1995)『歴史としてのベトナム戦争』(大月書店、1991)

写真=石川文洋
市街戦――サイゴン・1968年
1968年1月30日から解放軍はサイゴン市を含め、フエ、ダナンなど34の省都、64の地方都市を一斉攻撃した。テト(旧正月)攻勢である。続いて5月にも第二次攻勢をかけた。アメリカはこの都市攻勢によってベトナムでの軍事的勝利を断念したと言われ、その後アメリカ軍撤退、パリ休戦会議へとアメリカのベトナム政策は変化した。

写真=石川文洋
爆撃された紅河の堤防を補強作業する人々――北ベトナム、タイビン省
ベトナム戦争全史 ● 目 次

著者まえがき
日本語版へのまえがき
例言
序章


第1部 戦争の起源――1960年まで
 第1章 ベトナム・危機への道
 第2章 1945年までの共産党――恐慌から戦争へ
 第3章 ベトナム・1945年8月革命から長期の戦争へ
 第4章 ベトナム共産主義の内部世界――その理論と実践
 第5章 共産党の権力強化
 第6章 アメリカ、世界強国の限界と苦闘――1946〜60年
 第7章 1959年までの南ベトナム――紛争の起源
 第8章 南部における共産党のジレンマ――1954〜59年

第2部 南ベトナムの危機とアメリカの干渉――1961〜65年
 第9章 合衆国のベトナム介入――支援から北爆開始まで
 第10章 戦争とベトナム農村
 第11章 軍事戦略の設定をめぐる挑戦
 第12章 合衆国と革命側、そしてたたかいの構成要素

第3部 全面戦争および南ベトナムの変容――1965〜67年
 第13章 戦争エスカレーションとアメリカ政治の挫折
 第14章 効果的軍事戦略の継続的追求
 第15章 アメリカの戦争遂行方法のジレンマ
 第16章 戦争と南ベトナム社会の変貌
 第17章 グエン・ヴァン・チューとベトナム共和国の権力構造
 第18章 経済的従属のジレンマとベトナム共和国
 第19章 ベトナム共和国軍の建設と南ベトナム農村をめぐるたたかい
 第20章 二つのベトナム軍の性格とその結果
 第21章 全面戦争への共産党の対応
 第22章 アメリカ合衆国への戦争の経済的影響
 第23章 1967年末の戦争における勢力均衡

第4部 テト攻勢と1968年情勢
 第24章 テト攻勢
 第25章 テト攻勢の衝撃、ワシントンにおよぶ
 第26章 テト攻勢の評価

第5部 戦争と外交――1969〜72年
 第27章 ニクソン政権、ベトナムおよび世界と対決
 第28章 アメリカ軍事力の危機
 第29章 革命側の軍事政策――1969〜71年
 第30章 アメリカとベトナム共和国――ベトナム化の矛盾
 第31章 変貌する南ベトナム農村をめぐる闘争
 第32章 共産党の国際戦略
 第33章 二つの前線での戦争――外交と戦場、1971〜72年
 第34章 和平交渉の過程――幻想と現実

第6部 ベトナム共和国の危機と戦争の終結――1973〜75年
 第35章 1973年初頭における南ベトナムの勢力バランスとベトナム共和国の政策への影響
 第36章 ニクソン政権の力のジレンマ
 弟37章 復興と対応――1974年半ばまでの共産党の戦略
 第38章 ベトナム共和国の社会体制の危機の深まり
 第39章 サイゴンとワシントン、1974年半ば――二つの危機の結合
 第40章 1974年後半における革命側の認識と構想
 第41章 戦争の終結

結語
訳者あとがき――陸井三郎
「付記」に付け加えて・陸井三郎先生を偲んで――藤本 博
ベトナム戦争関連略年表
ベトナム全図・軍区図
出典と注
索引
写真――石川文洋


写真=石川文洋
「ニクソンよ血を返せ」――ハイフォン・1972年
ベトナム戦争終結前、ハノイからベンハイ川までの一号道路を縦断した時、途中にあるすべての市街がアメリカ軍の爆撃によって跡形もなく破壊されている光景を見た。ホテルも食堂もなく、私たちは仮設宿舎に泊まって取材を続けた。

写真=石川文洋
敗走――フエ郊外・1975年
1975年3月1日から解放軍によるタイグエン作戦が中部高原バンメトートで開始された。その後、フエ、ダナンなどの主要都市が陥落。解放軍は首都サイゴンを目指し進撃した。4月9日から始まったホー・チ・ミン作戦により4月30日、サイゴンが陥落、ベトナム戦争は終結した。フエから約10キロ離れたトンミイの軍港には海からの脱出を図ろうとして撃破された南ベトナム政府軍の戦車などの残骸が散乱していた。

 著者まえがき
 詩歌や物語が古くから栄えてきたのは、ほかでもない、人間体験――人民の限りないほど多くの運動や、彼らの苦悶や災難、願望や歓び――の織りなす微妙さをとらえるのに、歴史叙述では的確十分でないからであった。だが、ベトナム戦争は今までのところ、ベトナムでもアメリカでもまだ、詩人たち、作家たちの取り組むところとはなっていない。過去二世紀でもっとも長年月にわたるこの革命闘争と戦争の途方もない規模が、目下のところまだ文学的想像力を超えているのだ。ベトナム戦争の戦塵と劫火、怖るべき破壊を直接目撃した読者ならば、たんなる言葉には限りあることをただちに理解するであろう。この戦争が自分にとって生活の一部であり、悲しみ、きびしい選択、そして行動の原因でもあった何百万という人びとのなかにいた人たちも、つかみにくい現実感をとらえようとすることのむつかしさをただちに理解するであろう。

 著者は本書において、このような難題に取り組み、四〇年にわたる無数の事件のなかに条理ある一貫性を見つけようとこころみている。このため著者は、通例の歴史叙述が一般にその中でおこなわれる枠組みを設定するため、ベトナムとアメリカ両国の国内で作動した諸力、まだ漠としか認知されていない軍事的、経済的、政治制度上の諸力に焦点を合わせている。通例の歴史解説はあまりにもしばしば、いまでは誰でも知っている将軍たち、大統領や指導者たちの行動を重視しているが、こうした指導者たちは、往々にして、上や下から加えられた圧力にただ反応する以上のことをほとんどしていないのだ。読者は土地問題と農民、社会的諸階級の展開、都市化についてばかりでなく、長びく紛争のなかでの個々人の悲運や、彼らの価値観、目標、所属する共同体とのかかわり方などの変化についても、広範囲な分析を見出すであろう。

 著者は本書で、ベトナム戦争の因果系列的な解説を提示し、現代史上の体験にとってのその意義にさぐりを入れるつもりである。私は共産党、ベトナム共和国〔RVN・南ベトナム〕、アメリカ合衆国をかなり突込んで検討するであろう。この三者それぞれが、同時に作動する、より大きい枠組みの軍事的、経済的、社会的、国際的、および政治イデオロギー的な趨勢によってどう影響されたかに注目すれば、この戦争の帰結を左右した諸力や諸要因を対照して、そのなかの決定的諸要素を明るみに出すこともできようというものである。同じ現実に対する三者三様の認識、その三者の交互作用には、もちろん比較分析が必要であるが、それをすれば、事象と歴史的現実との全体像を掌握することも可能になる。このような方法をとれば、一方の側の人的、イデオロギー的、組織的な力がひどく劣悪な物的諸条件のもとでもどのようにして自らを勝利に導いていったかは、はるかに理解しやすくなるし、さらに現代世界における変革の性質に光を投げかけることにもなろう。……
 日本語版へのまえがき
 ベトナム戦争は日本に大きな影響を与えた戦争であり、日本の人びとがベトナム戦争について学ぶことはとくに意味あることである。ベトナム戦争は、他の要因とともに日本の繁栄をもたらした状況を生み出すうえで一定の役割を果たすとともに、第二次世界大戦以後、日本がその経済的利害や安全保障条約上の関わり、地政学上の立場故に身を置いてきた軍事的、政治的環境の脆弱性をも示した。そして第二に、実際のところ、ベトナムでの経験を理解することは、日本のこれまでの歩みのみならず、日本が今後身を置くことなる環境の構造を把握することでもある。

 二〇世紀において第三世界で生じたさまざまな戦争は、たんに軍隊やイデオロギーをめぐるたたかいの帰結であるばかりでなく、農民の反乱ならびに増大する都市貧困層の人間的悲惨や疎外などに見られるような社会的諸力や経済的ジレンマが絶えず不可避的に現出した結果でもある。実際に、社会的諸力や経済的ジレンマはまた、軍隊やイデオロギーをめぐるたたかいの原因のみならず、最終的な軍事的帰結をも決定づけることがしばしばある。本書は、こうした問題をベトナムの文脈のなかで検討した研究である。しかしながら、アジアの運命がこのような国内的な諸要因からもたらされたばかりか、第二次世界大戦やその後の植民地帝国の崩壊、さらには他の列強とともに日本もかなりの程度役割を果たしたナショナリズムの台頭をもとに形づくられたことを絶えず想起することも重要である。

 三〇年の長きにわたるベトナム戦争は、より大きくはアジア地域で生起した事象全体の一部をなした戦争であった。私は、もとよりベトナム戦争がもつその独自性について検討したが、ベトナム戦争は、ある重要な点で、アジアの他の国々、わけてもフィリピンやインドネシアで起きたこととの類似性をもっていた。実際に、日本においては、アジアの過去と将来における日本の役割――製品の供給者であれ、軍事基地による安全保障の提供者であれ、はたまたも っと野心的なことの提供者であれ――との関連で、ベトナム戦争がどのような意味をもつかについて議論されてきた。このため、日本においては、一般の人びとのあいだでベトナム戦争に対する関心がかなり高く、しかも世界でもっとも影響力のある反戦運動の一つが展開された。私は、本書をこうした反戦運動に参加した人びとに捧げるとともに、ベトナムでの経験が今日のアジアにどのような意味をもつかを、ベトナム戦争が切り開いた希望とともにそのリスクをもふまえて理解したいと望んでいる人びとにとくに捧げるものである。
  ガブリエル・コルコ

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