わたしの受けた教育
<FONT color="#00ffff"><B>子供のときに受けた皇国教育と戦争、平和、日の丸について
このページは、1915年(大正4年)生まれの作者が子供のときに受けた皇国教育、堺市で教員をしていた若い頃体験した戦争、日の丸の旗についての思いなどを思い出集として1980年頃まとめたものをサイトの管理人がホームページに編集したものです!
また平和への思いをイソップ物語を引用して述べています!

皇国教育
<はじめに>

私らは、日本は戦争をすれば、必ず勝つと信じていた。そう教えられていた。万一負けそうになっても、神が守ってくれる。
昔、元寇の役に神風が吹いたように、神様の助けがあると信じていた。
(但し、天佑を信じたのは子供の時だけ)

<小学一年 修身>

私らが、受けた学校教育を振り返って見ると、
小学一年に入って先ず歌う歌は日の丸である。



Photo 俳  句を運営の
Mitani Takeshi様
からお借りしました!

白地に赤く
日の丸そめて
ああ美しい
日本の旗は
           
朝日ののぼる
いきおいみせて
ああ勇ましい
日本の旗は


                
修身(今の道徳)では、チュウギとして
キグチコヘイハ テキノタマニ アタリマシタガ、
シンデモラッパヲ クチカラハナシマセンデシタ
 

<小学二年 修身>
二年修身にもチュウギとして広瀬中佐のことが書いてある。
チュウサハ タイホウノタマニアタッテ 
リッパナセンシヲ トゲマシタ

<小学三年 国語>
三年国語には大日本として
大日本、大日本
神のみすえの天皇陛下
われら国民九千万を
わが子のように
おぼしめされる。

大日本、大日本
われら国民九千万は
天皇陛下を神ともあおぎ
おともしたいて
お仕え申す。

大日本、大日本
神代この方一度も敵に
負けたことなく、
月日とともに
国の光がかがやきまさる。

<小学四年 修身、 国語>
四年の修身では、靖国神社
君のため国のためにつくした人々をかように社にまつり、又ていねいなお祭りをするのは、天皇陛下のおぼしめしによるものでございます。私どもは陛下の御めぐみの深いことを思い、ここにまつってある人々にならって、君のため国のためにつくさなければなりません
国語では、長き行列
日本中の小学校
三万近くありという
三万近き学校に
分かれて学ぶわれわれの
望みに向う足並みは
皆いっせいにそろうなり
世界に比なき帝国の
強き御民となるべしと
強き御民となるべしと


<小学五年 修身、 国語>
五年の修身では、わが国
世界に国は多うございますが、我が大日本帝国のように万世一系の天皇をいただき、皇室と国民が一体となっている国は外にございません。我等はかような尊い皇室をいただいていて、又かような美風を残した臣民の子孫でありますから、あっぱれよい日本人となって、我が帝国のためにつくさなければなりません
国語では、水平の母(母から水兵への手紙)
聞けば、そなたは豊島沖の海戦にも出ず、又八月十日の威海衛攻撃とやらにも、格別の働きなかりきとのこと。母は、いかにも残念に思い候ぞ。一命を捨てて君の御恩に報ゆるためには候わずや。村の人は、朝に夕に、いろいろとやさしくお世話くだされ、「一人の子がお国のためいくさに出でし事なれば、定めて不自由なる事もあらん。何にても遠慮なく言え。」と親切におおせ下され候。
母は、その方々の顔を見る毎に、そのたのふがいなき事が思い出されて、この胸は、はりさくるばかりにて候。
八幡様に日参し候も、そなたがあっぱれな手柄を立て候ようとの心願いに候。
母も人間なれば、我が子にくしとはつゆ思い申さず。
いかばかりの思いにてこの手紙をしたためしか、よくよく御察し下されたく候


<小学六年 修身、 国語>
六年の修身では、国民の務め
わが国は昔から一度も外国のために国威を傷つけられたことはありません。これは御代々の天皇の御稜威と我等の祖先が忠誠勇武であったことによります。
我等の祖先が心を一つにして守護してきたこの国を守って、光栄ある歴史を汚すことのないようにしなければなりません。・・・・
我々は、少年の時から身体をきたえ、元気を養い、成長の後は徴兵検査に合格して陸海軍に入り、名誉ある護国の義務を果たすことが出来るようにしましょう。

国語では、我が国民性の長所短所
忠孝は実に我が国民性の根本をなすもので、・・・・・・・・・・・万世一系の皇室を中心として団結した国民は、かくていよいよ結束を固くし、熱烈な愛国心を養成した。

<こうして書き抜いてみると・・・>
こうして書きぬいて見ると、思ったより軍国主義の記事は少ない。けれども万世一系の天皇、忠君愛国ということは事あるごとに言われたから、もっともっと、いつもいつも言われたように感じる。
修身、国語のほかに歴史でも同じことを言われた。


紀州街道筋(熊野古道)の作者の生家

三月十日は陸軍記念日であり、五月二十七日は海軍記念日(信達小学校はこの良い日を開校記念日と決めた)は、特に熱心で、全校生が式場に集まり、日本海大戦の話を聞いた。
大きな日本地図を指し示して
「敵の全艦隊が対馬海峡を通ると判断した東郷元帥は全勢力をここに集中した。判断は的中し、敵の大艦隊は待ち受けている所へ来て全滅した。」
毎年同じ話を聞くから覚えてしまい、バルチック艦隊を間抜けのように思い、東郷元帥を偉いと思った。
歴史で倭寇や山田長政の話を聞くと、何であの時もっと発展して、その辺の国を取ってしまわなかったのだろうと悔しがった。悔しがるように教えてくれた。
地図を見て、日本は狭い。もっと広くしなければと思った。
神代この方一度も敵に負けたことがないと教えこまれてあるから、戦えば必ず勝つと信じていた。
小学校でそう教えられていたのに、師範学校の歴史の時間に、昔、任那で日本が、新羅に負けたと習った。


(大阪女子師範学校時代の作者)

そんな負けるはずがないと思って生真面目な副級長が「何で負けたのですか」と質問した。
歴史の先生は、関西婦人会や教員会の会長の肩書きの多い、N女史と呼ばれる先生で、「さあね」とちょっと考えて「弱かったからでしょう」とはぐらかしたので、皆笑った。
負けるはずがないと、みんなが思っていた。
日露戦争も、ロシア人は教育が行き渡っていないからぼんやりしていると馬鹿にし、支那人をチャンコロと言って軽蔑した。
日本人は大和魂、忠義の心があるから強いと信じていた。
小学校からそう教育されてあるから、人々は第二次大戦を日本が大きく伸びる時と信じて戦った。
召集令が来れば、誰一人拒むものもなく戦場へ行った。(拒否すれば日本で生きていけない)
上からの命令には何事も従う習慣だから、軍部の始めた戦争に国民は素直に従った。
戦争は無い方が良いが、始まった以上は戦わねばならぬ。勝つまでの辛抱だ。勝てば領土も増え生活も豊かになると思った。
太平洋戦争が激しくなって、ある婦人雑誌にアメリカ兵の食事の内容が写真に出た。それは一食に五品程並んでいた。
アメリカ兵は贅沢で、戦争中でもこれだけの物が無いと不平を言って働かない。日本の兵隊は梅一つ、わずかなにぎり飯で何日も戦うことが出来る。だから米軍は食糧輸送の面でもやがて戦いに負けるであろうと書いてあった。
その頃は日本は大きく拡げ過ぎた戦域に、武器は勿論、食料も配ることが出来なかった。輸送船も軍艦もやられ飛行機も無く、兵隊は戦いよりも飢えとマラリヤなどの病気で死んでいたのに。新聞も雑誌もラジオも嘘の戦果を発表し、アメリカの食料の豊かさまで、都合の良い方に宣伝した。

日の丸の旗
<日の丸の旗>
日の丸の旗、国のために命を捨てる、忠義、皆結びついて同じことに思われる。
若い人たちが・・・・

日の丸の旗は万国旗の中で一段と目立ち、垢抜けしている。
フランスやドイツなどはよその国と紛らわしいが、日の丸だけは別で、朝日の昇る勢い見せてと歌にあるように、日本が世界に勢いを伸ばす旗だと思って、皆大切に思い、誇りに思っていた。
戦争中、祝祭日は勿論、出征兵士の見送りには日の丸の小旗を振り、家ごとに日の丸の旗を立てた。
軍歌にもよく歌われている。


○暁に祈る
ああ あの顔であの声で
手柄頼むと妻や子が
ちぎれるほどに振った旗
遠い雲間に又浮かぶ

○露営の歌
勝ってくるぞと勇ましく
ちかって故郷をでたからは
手柄を立てずに死なれよか
進軍ラッパ聞くたびに
目ぶたに浮かぶ旗の波

○日の丸行進曲
母の背中に小さい手で
振ってあの日の日の丸の
遠いほのかな思い出が
胸に燃え立つ愛国の
血潮の中にまだ残る



作者が描いた昭和10年初期の堺市立錦小学校の
講堂、貴賓室の風景とクラスの生徒達

わたしが堺で暮らしていた頃は、だんだん戦争も激しくなるばかりで、町内で出征する人も多くなり、旗をたびたび掲げた。
その中で地方で召集された兵隊が多くなり、兵舎に収容し切れなくて、夏休み中の小学校に宿泊するようになり、旗を毎日出すようになった。又明日も早朝から旗を出すのかと思うとしまわずにこのままにしておこうかと思うほどであった。

日の丸の旗、国のために命を捨てる、忠義、皆結びついて同じことに思われる。
戦争だから仕方がないと命を捨てたこと、上からの命令に何でも従ったこと、日の丸の旗を見るとこんな事を思って、人々は戦後旗を掲げる気にならない。

若い人たちが、日の丸の旗を違った意味で見るようになった時、国旗はやっぱり必要なものだから、又大切にされることと思う。

平和への思い
<平和への思い>
強い国の国民が平和運動を盛んにしてくれないと・・
でも強くなると戦争をしたくなる・・
イソップ物語を思い出した
現在は、平和で結構である。人々は平和を訴える運動をしている。でも弱い国が平和を訴えてもあまり効果がないと思う。
強い国の国民が平和運動を盛んにしてくれないと困る。
でも強くなれば戦争をしたくなる。
イソップ物語を思い出した。


おい、そこで水を飲んだら、おれの水がにごる
小羊
でも、こちらは川下です

お前は去年おれの悪口を言ったろう
小羊
わたしは、去年生まれていませんでした

どっちにしてもおれはお前を食うのじゃ

ソビエトが
どっちにしても、わしは北海道を欲しいのじゃ
と言わないかと思った。



戦後60周年の回想

西原先生の回想録もご覧ください!


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