環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール 環太平洋大学サッカー部スケジュール
Kenta's History

●誕生
昭和55年1月6日。大阪府大東市に長男として誕生。
やんちゃでかなりの負けず嫌い。
3歳年下の弟と両親との4人家族。

●小学生(大阪編)
昭和61年大阪府大東市立泉小学校入学
格闘技が好きな父親の影響で空手を始める。
一生懸命だった記憶があるが、踊っているみたいと、
笑われた記憶のほうが多いかな?いつも空手の日々でした。
小学3年生の時、父親の転勤で縁のない岡山へ…

●小学生(岡山編)
転校先は美作町立美作第一小学校。岡山に越してきて一番困ったのは方言の壁。
大阪弁は生意気に聞こえるのか、この頃からいじめがスタート。
悔しくて、毎晩、枕を濡らしていた記憶があります。
その時の父親の言葉は…「いじめてくる子達の共通点を見つけてこい!」
次の日、考えてみると…全員スポ少サッカー部。父親は「サッカー部に入って1番になれ!」
そこからがサッカー人生の始まりだった。

●中学生
平成4年岡山県美作町立美作中学校入学
補欠でお茶くみの日々。負けず嫌いの僕は悔しくて自主練習。
時にはゴール前に立たされ顔を的にボールを蹴られることも…。
その時も悔しくて、家で泣いていた記憶が甦ります。
ある日の試合でGKが休んだ。いじめっ子のリーダーが「コーチ!健太がGKできるよ!」と
嬉しそうに…もちろんGKをやったことの無い僕は拒否!「無理無理!」
困りながら必死に断っている僕を見て選手全員で笑っていた。
これは正直、精神的にきつかった…結局人生で初の公式戦はGKで…
でもボールをいじめで顔面に受けていた僕にとって、敵の蹴るボールは遅く感じ、無失点。
ここからGK人生がスタートする。

やはりレギュラーを獲得しても、いじめは続き、僕の自主練習は止まりませんでした。
中学3年の夏、中学選抜大会に開催地の中学ということで各県選抜の中に美作中で参戦!
自主練習の成果もあり、チームは3位に!優秀選手賞を獲得。

その後、僕はイタリアへ…

イタリアでは時差ぼけに悩まされ、思うようにプレー出来なくまたまた自主練習。
少しずつ感覚を取り戻し、大会に出場。そこでもMVPを獲得し、イタリアチームから
オファーがかかる。中学生でそんなこと気にせず、米が食べたいと日本に帰国。

帰国後、岡山県選抜に選出。当時の目標はサッカー名門校・作陽高校入学!
念願の作陽高校からのオファーを貰い、高校選手権の夢を膨らましていた。
その後、岡山理大附属高校からもオファーを貰い、悩んだ結果、理大附へ進学

なぜなら…

その時のイタリアで通用し、自信を持った考えは…
「俺はGK。守る人。FWなら作陽に入学して、全国の強豪から点を取る目標となる。
でも俺はGK。県内No,1の作陽を止めて全国を決めたら、本当のNo,1GKになれる!」
と理大附属進学を決意した。

●高校生
平成7年私立岡山理科大学附属高校入学
寮生活が始り、1年生でトップチーム入りすることができ、嬉しい反面、
厳しいサッカー部生活が続く。高校2年ではレギュラーを獲得。
新人戦・インターハイ県予選、決勝で念願の作陽と対戦。
2戦とも勝利することは出来なかった…

3年生ではキャプテンを務め、1年生〜3年生まで県選抜にも常に選出される選手になる。
だが高校生活では全国の切符を掴む事は無かった。
また、学校生活では3年間学級委員を務めた。

●大学生
平成10年北海道・道都大学入学
高校時代、国士舘大学の練習に参加。当時、部員を200人をも抱える国士舘大学。
5軍まである現状にひるむ。練習に来ていた同期の高校生は、高校選手権(テレビ)で
見た選手ばかり。出場機会は無いなと思いながらでも、ここでも負けず嫌いを発揮!
せっかく来たのだから…経験を…そして自分の実力を知るためにも…
100%出し切ってと…やり切り、とても経験になった。

その頑張りも良かったのか、国士舘大学の総監督に認めて頂き、
道都大学の紹介をしてもらう。道都大学の監督は国士舘大OBと
いうことで話しをして頂き受験が実現。
道都大学は北海道1部リーグではあったものの、今まで全国経験はなかった。
補強を始め、ちょうど入学した年が、集大成の年でもあった。
高校時代、死に物狂いで練習し、目の前に、チラつかせながら掴めなかった
全国の切符を大学1年で掴む。
総理大臣杯・天皇杯・インカレと北海道チャンピオンを総なめ。
大学4年間全国に出ない年はなかった。

●指導者
平成13年12月北海道から帰省していた時に、立ち上げたばかりの岡山湯郷Belleに出会う。
GKアシスタントコーチとして手伝うことに。大学で全国を経験し、もう現役はいいかなと。
だがサッカーに違った関わり方をしたいとも感じていた所でもあった。
これが指導者としてのスタートだった。

そんな中、県協会の方に2005年に行われる岡山国体に向けて選手を続けるように
説得される。そこで当時、中国地域リーグだった三菱水島FCのセレクションを受ける。
県内、中国地域では無敗の三菱水島が受け入れてくれた。
だが、始めたばかりの湯郷Belle。無責任なことはしたくないと無理を言って
両方に関わらせてもらうことに…
選手としてまた指導者として、2足のわらじを履いている状態。

湯郷BelleはLリーグ昇格。公認C級コーチライセンスを取得し指導の奥の深さを知る。
また次の年、公認GK-C級ライセンスを取得。
埼玉国体では岡山成年女子選抜のGKコーチを務め、見事3位に入賞。
その次の年、公認B級コーチライセンスを受講。フィールド経験のない為、何度も壁に
当たる。数々の追試を乗り越えて取得。指導することにのめり込む。

●JFL(日本フットボールリーグ)
2004年、三菱水島FCは決勝大会を制し、日本一になり、見事JFLへ昇格。
2005年岡山国体を終え、岡山湯郷Belleを退団。
2006年には、ほとんど参加していなかったが、復帰を気持ち良く受け入れてくれた。
Belleでの指導していた4年のブランクを取り戻す為に、人一倍練習を頑張り、
念願のJFLデビュー!JFL参戦2年目にして初のホーム勝利のピッチに立っていた。
6試合連続で出場し、選手として成熟しかけていたが、上位に向けて突き進んでいたときに
アクシデントが起こる。ソニー仙台戦の移動のバスの中で腰に激痛が走る。
椎間板ヘルニアに!入院1ヶ月後もリハビリの生活。引退を決意。2006年1月。現役引退。
その年、公認GK-B級コーチライセンスを取得し、自分の成し得なかった夢を
次世代の選手達に託すことを決意。

●現役引退後…
2007年3月から、「就実FCキートス」のGKコーチに就任。
コーチングの活動を中心に、トレセンコーチ、選抜コーチとしての活動も
積極的に取り組んでいく。10月には監督に就任。
2007年秋田国体に岡山県成年男子選抜GKコーチとして参加。
また、U−15女子中国トレセンコーチとして参加。

●環太平洋大学サッカー部GKコーチ(現在)
2008年2月には07年に岡山県に創立したIPU・環太平洋大学と契約。
2008年6月に天皇杯岡山県学生予選で今まで中国地域上位常連の吉備国際大学を降し、
優勝を経験。指導者として日ごろのトレーニングの成果が出たことに喜びを覚える。
2008年7月には08年大分国体・岡山成年男子選抜GKコーチに選出され岡山県サッカー界初の準優勝を経験する。
指導者になり、これが初の全国大会の決勝の舞台に立つ事になる…
2008年11月中国学生2部リーグ入替戦出場をかけたチャレンジ大会では優勝。
入替え戦を制し中国学生2部リーグ昇格を決める。
2009年は中国学生2部リーグで準優勝。中国1部参入戦を制し1部昇格を決める。
2010年は総理大臣杯出場。天皇杯ではプロチームファジネクを1-0で倒し岡山県代表として全国大会を経験する。
2011年はリーグ戦3位。総理大臣杯予選・天皇杯予選と決勝まで行くが1歩及ばず…
2012年は前年に続きリーグ3位。総理大臣杯では初の全国一勝を経験する。
天皇杯では昨年に続きファシ゛ネク・プロ相手に挑むが0-3で敗退。岡山チャンピオンの難しさを再度知る。
2013年も昨年同様ファシ゛ネク・プロ相手に挑むが0-2で敗退…総理大臣杯では決勝まで進むが惜しくも敗れ準優勝。
中国リーグは初の2位となりプレーオフで四国2位の四国学院大学に勝利し初のインカレ出場。1回戦で筑波大学と対戦。昨年の総理大臣杯2回戦での対戦では0-5。インカレでは0-3と少しづつ失点が減ってきている。自分たちがやってきていることは間違ってないと確信した瞬間だった…
2014年は総理大臣杯はベスト8で敗退…5年連続の決勝進出は途絶えた…
中国リーグは昨年に続き2位。プレーオフで四国学院大学に勝利し、2年連続インカレ出場を決める。
1回戦の対戦相手は準優勝した関西学院大学。手ごたえは感じたが、全国1勝の壁は高かった…

●トレセン・選抜コーチの参加
岡山県男子・女子国体選抜のコーチを務めて8年目。
08年は全国準優勝を経験したが翌年09年度の新潟国体中国ブロック予選で山口県選抜に敗れ、初の本国体出場を逃す経験をする。
10年1月には岡山県サッカー協会から岡山開催ということもあり、依頼を受けスーパー少女プロジェクトにサポートコーチとして参加。
2010年千葉国体は女子選抜のGKコーチに抜擢され大分国体に続き準優勝を経験。日本一という壁の高さ、厚さを思い知る…
2011年山口国体では再度日本一への挑戦!準決勝で延長とPKで惜しくも敗退…3位。これまた日本一の壁の高さを知った…
2012年岐阜国体では監督を任される。今回も日本一への挑戦。監督しての初の全国の舞台選手たちの頑張りもあり決勝進出。
相手のやり方もしっかり分析し、日本一に挑戦!両チーム無得点のままロスタイムに失点…またまた準優勝。これで3度目…
2013年東京国体の岡山県成年男子選抜のGKコーチに選出。4年ぶりに男子チームを本国体へ
1回戦はほぼ学生の大阪選抜に6-3で勝利。2回戦は全員グルージャ盛岡のプロ集団。0-1で敗れ、ベスト8に終わった…
2014年長崎国体に向けての岡山県成年男子選抜の監督に抜擢。惜しくも予選敗退、本国体出場できず。
2015年昨年の悔しい思いを胸に和歌山国体に向けた岡山県成年男子選抜の監督に就任。
県内でもファジアーノ岡山ネクスト(JFL)単独がよいのでは?という声も聞こえるが、
今年はアマチュア選抜で!結果次第で来年の方針が変わる。今年こそ本国体への出場を期待する。

これからもサッカーに携わっていきたいと強く心に誓っている。

- HOME - PROFILE - PHOTO - ABOUT - HISTORY - BLOG - LINK -