ROBOT  MAN


 

■■

 

 

 ――感情なんて捨てたんだ静かに眠りたい。

 ――けど変だひとりでに。

 

 

■■

 

 

 葛木宗一郎が普通の人間ではないことは、己が一番心得ていることだった。サーヴァントを使役するマスターであること、類稀と評するには異端すぎる過去など、思い当たる節は沢山あるが、何よりも彼を普通の人間とは異ならせているのは、その徹底的に貫かれた完璧主義と冷淡とも受け取れる性格にあったと言えよう。葛木宗一郎という人間を少しでも知る人は、総じて彼のことを「機械のようだ」と言い表している。それは本人からしても納得のいく表現だと思う。

 そんな彼だが、一人の妻を娶っている。

 といっても、その妻というのは件の使役しているサーヴァントなのだが、葛木宗一郎はそんなお互いの立場といったものなどを気にした風もなく、いつも通りに淡々とした生活を送っていた。

 妻であるキャスターとは出勤の時間まで何気ない会話をして過ごす。もっとも、淡白な彼のことだから「ああ」とか「そうか」とかいった相槌がほとんどであり、常々キャスターが話題を提供するばかりの会話であった。彼女に対して特別そうというわけではなく、誰と会話していても葛木宗一郎はこんな調子であるものだから、前述したように機械と称されてしまうのだった。

 しかし、そんな弾まぬ会話でも満足なのか、キャスターは彼と話すたびに表情を軽やかに百面相させている。

「……そろそろ時間だな。出るか」

「は、はい……宗一郎様」

 控え目に彼の名を呼んで、キャスターは後ろに付きそう。

 彼女が見送ることにも葛木は何も言わない。最初はキャスターも一言入れていたが、何時の間にかそれもなくなり日課となっていた。

 そんなことを思い出している彼は――

「………………」

 何か言うべきなのだろうな、と思いつつ何も言えなかった。言うべき言葉が思い浮かばない。

「……いってらっしゃいませ」

「行ってくる」

 結局そのまま山門まで無言を通した。妻が何か話をしたがっているのは解ったが、それを窺うことは出来なかった。何をどう話せば良いのか思い浮かばなかったのだ。自分には会話能力というものが著しく欠如していると自覚する。

 それは、まるで機械のような。

 様々な人々が自分のことを称してそう言うが、これは葛木宗一郎を表現する上で非常に的を得た表現であった。性格に関しては言うに及ばずであるが、その性格を構成した過去というのもまた機械という単語に直結したものだったからだ。

 人として扱われることの無かった日々。ただただ人を殺す技を磨き続けた日々。名前も与えられず、人間らしい感情も学ぶこと無く、ただただただただルーチンワークのように己の技を研磨し、どの部位を貫けば即死するのかを学び、人体急所の破砕法を叩き込まれ、鍛錬を積み重ねてきた――そんな過去はまさに機械を生産する工程そのものであり、そこから生まれたものが名も無き機械であるのも当然のことである。

 

 即ち葛木宗一郎とは、人でありながら機械であることを義務付けられた存在という過去を抱いているのであった。

 

 人として欠如しているのも当然のこと。

 むしろどうして人として生きているのか不思議で仕方が無い。

 眸を閉じ、耳を済ませる。外界の大気を揺らす震動にではなく、己に内在する響きにだ。そこには心音が響いている。定期的に、まるで機械の歯車のように、しかしそれでいて確かな人の証として。

 人を殺す為だけの機械は、あの夜に死んでいなければいけなかったというのに。

 どうしたことか、こうして今、葛木宗一郎という人間が――

「おや、今日もお早いですな」

「――零観殿ですか。ええ、学校がありますので」

 石段を降りたところで出くわしたのは、世話になっている寺の住職だった。豪快で快活な人物である彼は、誰にでも人当たりが良く、寺の内外からの人望も厚い。機械のような葛木宗一郎とは対極に位置するタイプの人間だった。

「学校ですかー、いいですな。毎日通っている宗一郎殿にこう言うのもなんですが、この歳になりますと学生生活に懐かしさを感じましてなあ」

「そういうものですか」

「ええ。……また、あの時代に戻ってみたくもなるものです。はは、宗一郎殿が羨ましくも思いますよ」

「そうですか」

「宗一郎殿は学生生活に戻りたいと思うことなどは……?」

「いえ、別段そのようなことは……」

 味も素っ気も無い淡白な切り替えし。

 このままではいかんな、と思う反面、何か気の利いた言葉も思い浮かばない。柳洞零観は葛木宗一郎のことを退屈な相手だと思っているだろうか。いや彼は思っていないだろう。会話の淡白さに不快を覚える性格ではない。

 そのことを有り難く思いつつも、同時に申し訳なくも思う。

 気を使わせてばかりではなく、もう少しこちらから会話の調子を合わせるべきであろう。

 しかし、そう思えど実際に口から出たのは、機械のように淡々とした返答だけだった。

 ああ――はい――そうですか――ほう――そのようなことが――ええ――ああ――成る程――ふむ――学校があるので――それでは――失礼します。

 淡白に会話を終わらせ、葛木宗一郎は踵を返して穂群原学園へと向かう。視界に映った零観の表情は最後まで快活とした笑顔であり、それを受け止める葛木の表情は最初から最後まで変化のない冷然とした鉄面皮であった。

 胸中で静かに反省する。もう少し上手く会話できるようにならなければ。自分はもう名も無き機械ではなくなってしまったのだから。葛木宗一郎という一人の人間になってしまったのだから。

 柳洞寺から穂群原学園までの結構な距離を、葛木宗一郎は徒歩で通い続けている。早朝から寺を出る為か、その道中では生徒や教師となかなか顔を合わせることはなかった。穏やかな風が吹き、住宅街の木々を静かに揺らす。そのささやかな音を耳にしながら、葛木は味気ない足音を一部の乱れも無く規則的に鳴らす。

 

 

■■

 

 

「はぁ……」

 石段から葛木宗一郎の姿が見えなくなるのを確認すると、キャスターは人知れず溜息を付いた。

 別段、これといった不平不満があるわけではない。

 葛木宗一郎を毎日見送ることが出来ている――普通の主婦のような生活を送ることが出来ている現状は、キャスターにとっては願ってもない幸せであり、それに対して文句などあるはずもなかった。

 知らず知らずと赤くなっていた頬がその証拠。

 自分はただ、葛木宗一郎と夫婦のように過ごせるだけで満足なのだ。

 しかし――いつ頃からだろう。

 それだけでは足りなくなってしまったのは。もっと直接的に彼の真意を、まるで鉄製ではないかと思わせる彼の胸中を、キャスターは知りたいといつしか思うようになってしまっていた。

「……宗一郎様」

「ふっ」

「なあああにが可笑しいのよこの腐れ門番似非侍―――ッ!!」

 どこからともなく繰り出された竹箒の一撃を、ひらりと躱す蒼の陣羽織姿。

「ははは、そうして健気にしていると初心な少女のようだなと思っただけだ。それにしても歳に似合わぬことをしているな我が主は……などとは欠片も思っておらぬよ」

「思ってるって思いっきり言ってるじゃないの!!」

 連続射出される魔力弾を優雅に回避しながら、蒼の侍――アサシンはやけに含みのある笑みで続ける。

「悩みがあるのなら相談に乗るが? 何、どうせいつもの考え過ぎに違いないとは思うが」

 これが図星なものだから腹立たしい。

「アーサーシーンー……貴方、少しは自分の立場というものを弁えたらどうなのかしら? サーヴァントなのだから」

「ふむ。なら、葛木殿のサーヴァントであるお主のように自由に生きてみようか?」

 言い返すと同時、竹箒と魔力弾の連撃がアサシンへと襲い掛かった。キャスターは力の限り箒を振りかぶりながら、広域破壊型の大魔術へと繋がる呪文を思い浮かぶ限り唱えまくる。

「ひ・と・の・を・茶化すんじゃないわよ―――!!」

「ははは……主よ、怒ると顔に歳が出るぞ?」

 魔力の込められた竹箒がどこにそんな質量を有していたのか簡易ICBM弾へと形態変化し、音速超過で飛来――一直線で主に無礼な口を聞く小生意気なサーヴァントへと弧を描いてゆく。

 聞き分けの悪いサーヴァントを追い掛け回すこの一時。実は結構なストレスの解消になっていることをキャスターは自覚していない。

 

 

■■

 

 

 穂群原学園まではあっという間に辿り着いた。正門にはまだ生徒達の姿は見えない。校舎に立てかけられた時計に目をやると、HRまでまだ二時間近い余裕があった。この時間に登校するのは、部活動の朝練があるものか、何か学校にやりのこした作業がある一部の教師か生徒ぐらいなものだろう。といっても、葛木宗一郎に別段なにかやりのこした作業や用事があるわけではないのだが。

 斜めに差し込む朝の陽の光が視界に差し込む。その眩さに少しだけ目を細めながら職員室へ向かう。やはり校舎の中もほとんど人がおらず、規則正しい葛木の足音が聞こえるだけだ。

 後は彼にしか耳にすることが出来ない己の心音だけか。

 職員室には既に何人かの同僚がいて、何やら作業に追われている様子だった。短く挨拶を交わし自分の席につく。忙しない様子であるし邪魔をするべきではないだろう。いつものように授業の準備を始めることにする。学校では倫理を担当しているが、かつて人を殺す為だけの機械であった自分が生徒に倫理を教えるなど、皮肉を利かせるにも程があるのではないだろうか。これを同僚や生徒が知ったらどういう反応を示すだろうか。ふとそんなことを思い至るが、それだけだった。別段に興味深い思いつきでもない。

 参考資料に誤字が無いかを調べ、それを元に生徒用の資料をまとめ、中身に矛盾点や問題が無いかをチェックし、さらにそれに誤字が無いかを数度読み返す。そうしていると他の教師たちも職員室にやってきて、挨拶をこちらへ投げかけてくる。葛木は短くそれに応じ、終了。向こうも慣れたのか、淡白な反応に何も言うこと無く自分の机へ。

 

「おっはよーございまーっす!」

 

 と、不意に獣が吼えたような声。

 目をやると、職員室の入口に猛ダッシュで駆け込んできたトラ縞模様の服の教師が一人。言うまでも無く藤村大河その人である。遅刻はする、購買部へダッシュする、大事な会議は忘れる……という具合におおよそ教師らしからぬ教師なのだが、人間的な魅力があるのか教師生徒問わずに人気が高い。

 大河の周囲にはエネルギーが溢れていて、常に活動的というか活発な空気を感じさせた。挨拶をした教師と、二言三言と言葉を交わし笑顔を咲かせている。

 その光景を毎日見るたびに、葛木宗一郎は自分が人間として必要なものが極度に欠如していることを実感する。元が機械として育てられたのだから仕方が無くはあるのだが、それも今となっては過去のことだ。そんな葛木宗一郎は人から見れば、無口で無感動な人間に見えているに違いない。実際、その見解はあながち間違いでは無いのだが。

「葛木先生、おはよーございまっす」

「おはようございます。藤村先生」

「いやあー、葛木先生は相変わらず早いですねー。柳洞寺まで結構あるじゃないですか……もしかしてお車とか持ってたりするんですか?」

「いえ、徒歩ですが」

 短い言葉に、大河は深い息を吐いて感嘆する。

「はぁー……ますます感心しちゃいますねー。最近、原付に乗ってるんですけれど、なかなか葛木先生の様に早く登校とはいかないですねえ」

「まあ早く登校するのも結構ですが、藤村先生の運転は見ていて危険ですので安全運転でお願いします」

「あははは、善処しますね」

 照れくさそうに頭を掻きながら、大河は己の席へと戻ってゆく。

 あそこまであっけらかんとするのはアレだが、自分もしっかりとした人間として生きていくには藤村大河のように親しまれる社交性というものを得た方がいいのだろう。これは、彼女を見るたびにではなく、常に誰かと話をしていて葛木宗一郎が抱く思いであった。

 無口かつ無感動な鉄面皮。

 これでは周囲の人々も不快を感じてしまうだろう。

 それを葛木宗一郎は解消しなくてはならない。

 解消しなくてはならないのだが――そのことを思うと、同時に別の考えが思考の水面に浮かび上がってくる。

 

 何故、自分はマトモな人間のように振舞おうとしているのか。

 

 機械ではなくなったが、機械であった頃を引き摺っている今の自分。それでもこの社会で充分に生きていけているではないか。その上でさらに何を求めようとしているのだろうか。

 自分はマトモな人間でなくてはいけないのだろうか。

 感情なんてものは過去に捨ててしまった自分が、今更になってマトモな人間になる必要はあるのか。

 不完全な機械のままでも、生きていくだけならば充分だというのに。

 なのにどうして社交性を得ようだとか、無愛想な態度を改めた方がいいだとか、淡白に接することを申し訳ないとか、そのようなことを思ってしまうのだろう。

 解らない。

 不可解だ。

 しばしば葛木宗一郎の胸中を支配する、その思考。それはマトモな人間でない者――つまり己が普通の人間でないことを自覚している者特有の考え方だった。マトモにならなければいけない、という思いと、何故マトモにならなければいけないのか、という思いが互いに身を削ぎ合っているのだ。

 しかし、その削ぎ合いすらも葛木宗一郎には特別なことだった。

 少し前の自分だったら、こんな思考を抱くことがまずありえなかったというのに。

 このような余分な考えは切って捨てていたというのに。

 ロボットのように。

 血肉の破片まで冷徹な歯車で出来た機械のように。

 だが、今の自分は切り捨てていたはずの思考に悩み、戸惑いを静かに覚えている。自分の内側からは螺旋や歯車とは異なる血液の循環によって生じる心音が聞こえている。それはかつての自分では聞こえなかったものだ。

 自分は変わってしまったのだろうか。

 自分は変わってしまったのだろう。

 だとしたら、どうして変わってしまったのだろうか。

 解らない。

 不可解だ。

 思考と疑念が楔になって葛木宗一郎の胸に突き刺さる。引き抜けるものならば引き抜きたいが、それを引き抜くには疑念に答える根拠が必要で、今の葛木には引き抜くことが出来ない。難儀な悩みを抱いてしまったことに、誰にも気付かれない程度のささやかな溜息を吐き零し、彼は机の上の資料を纏めて担任であるクラスのホームルームへと向かった。

 葛木宗一郎に突き刺さった思考も、授業中はただ煩わしいだけだ。

 

 

■■

 

 

「はぁー……宗一郎様の授業に出たいなあ」

「また突飛なことを言い始めたな、我が主は」

 庭掃除で使っていた竹箒はアサシンの顔面を打ちつけようとしたところで避けられた。

「寺子屋に通う程、知識に欠乏しているわけでもなかろう? 突飛と感じるのは至極当然だと思うが?」

「五月蝿いわね……四六時中宗一郎様の凛々しいお姿を拝見したいと思うのは、妻として当然のことでしょう? 大体、宗一郎様の授業は倫理だから知識の問題じゃなくて気の持ちようの問題なのよ」

 その理屈はどうかと思ったアサシンだったが。ひとまず納得する。

「成る程、確かに我が主には倫理というものが欠乏しているな」

 キャスターは予め失言用に仕込んでおいた対霊体用呪力弾を発射し、アサシンが注げた皮肉交じりというか皮肉そのものの言葉を残らず叩き落した。

 

 

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 淡々と、ホームルーム、授業をこなしてゆく。彼の授業になると途端生徒は水を打ったように静かになる。一つ前の大河の英語では定期的に対人地雷の爆破みたいな笑いが巻き起こるが、それとは対照的だ。融通が利かない性格を生徒達も察しているからなのだろう。

 まあ、授業中静かにするのは当然のことであって。

 これについては藤村大河の授業形態が些か特殊なのだが。

 そうこうしているうちに授業が終わり、刻限と鐘の音が昼休みを全校生徒教師に告げる。葛木宗一郎が四時限目を担当していた教室から出ると、その目の前を全速力で通り過ぎる人影があった。それも複数。

「はっはー! 購買部の限定パンは冬木の黒豹が頂いたぁ―――っ!」

「そこの生徒」

「――うげっ」

 静かながら存在感のある声に人影が停止する。

「廊下を走るな。校則で定める以前の当然の規則だ、蒔寺」

「……は、はい。すんません」

「これは貴女にも言っています、藤村先生」

「は、はぁい……わ、わかりましたー。あは、ははは」

 蒔寺の背後で身を小さくしていた大河が決まり悪そうに顔を出す。

「では、くれぐれも廊下を走らぬように」

 注意を終え、表情一つ変えず踵を返した葛木宗一郎の背中にひそひそとした声が投げかけられる。なんだよー相変わらず硬い頭しやがってー、くそう今日こそは間に合うと思ったのに――とかなんとか。

 普通の教師だったら見逃していただろうか。いやしかし教師として注意をしたことは間違ったことではない。ただ、向こうからしてみれば融通が利かない人間だと思われただろう。もっとも、それは以前からだが。

 頭を振る。授業が終わった途端に、また思考の渦に没頭してしまっている。ここ最近の自分はどうかしてしまったのだろうか。

 職員室に戻ると、同僚達の席はまばらに空いていた。それぞれ昼食を購買部やコンビニで買ったり、外に食べにいったりしているの為だ。勿論、家から弁当を持ってくる者もいる。葛木宗一郎もその一人だった。

「お、今日も愛妻弁当ですか。いやはや相変わらず羨ましい限りですなあ、葛木先生」

「妻には毎日世話になっています」

 短いやり取りの後、昼食に移る。弁当の中身は若鶏の唐揚――とおぼしきもの、ポテトサラダ――とおぼしきもの、ポテトフライ――とおぼしきもの、卵と鶏のそぼろ御飯――とおぼしきもの、などといったラインナップだった。見た目に美味しそうとは言い難いものだったが、不平不満を抱くことなく葛木宗一郎はそれを口にする。

 見た目に散々であるが味は一級品、などという話があるわけでもなく、キャスターの作った弁当は普通に見た目通りの味だった。しかし、これでも以前よりかは格段の進歩が見える。ここ最近、自分に内緒で衛宮士郎の家に通い詰めているらしいが、その頑張りは無駄ではなかったようだ。

 黙々と弁当を頬張っていると。

「葛木先生。お昼御飯ご一緒してもいいですか?」

 購買部の限定パンを掲げた藤村大河がそこにいた。どうやら何だかんだで間に合ったらしい。結局また走ったのか、余っていたのかは知らないが。

 断る理由も無かったので、大河の申し出を葛木宗一郎は承諾した。

 

 

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「今頃、宗一郎様もお食事の時間ね……」

 日課となっている愛妻弁当のことを思い出し、キャスターは葛木宗一郎本人がいないというのに肩肘を強張らせた。今頃どんな感想を抱いているかと思うと、易々と緊張は解けない。

 最近はセイバーのマスターに料理指導を受けているが、当然そのことは葛木宗一郎も知っているので、キャスターにとっては逆にそれがプレッシャーとなってしまっている。期待に応えられるだけの弁当を自分は作れただろうか。

「……アサシン。どう思う?」

 山門の脇で同じキャスターの手作り弁当――ただし失敗作――を頬張っているアサシンは、ふむ、と一つ吐息した後、

「文句も感慨も抱かず黙々と食するのではないかと思うが」

「そうよねえ……」

「もしくは冷静に味を分析していそうでもある」

「そ、それもありえるわね……」

「しかし、その実で美味い不味いをまったく気にしていないのではないかとも思うのだが?」

「うっ……や、やっぱりそうなのかしら……」

 思い当たる節があるのか、頭を抱えてキャスターは唸り始める。葛木宗一郎は食事中は黙っているのが殆どだし、偶に感想を言っても「以前よりも進歩が見える」だとかで、美味いか不味いかをはっきり口にはしていなかった。

 かといってキャスターに葛木宗一郎から味の感想を聞き出す勇気は無い。ただただ不安が膨れ上がるだけである。

 いっそのこと、美味いか不味いかはっきり言ってくれればいいのに。

 臆病な魔術師はそんなささやかな身勝手を夫に期待する。

「ちなみにアサシン。弁当の味はどう?」

「うむ不味い」

 失敗作だから当然な感想なのだが。

 とりあえず魔術師の多弾道魔力光熱波が飛交ったので、蒼の侍は背を向けて一目散に駆け出した。

 

 

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「それでですねー、もうそのイリヤちゃんっていう娘っ子ったら私よりも孫らしくなっちゃって……なんとゆーか、藤村組を内部から乗っ取るつもりでは!?」

「そうなんですか」

「そうなんですよ! もう、お小遣いも何だか私の三倍近くは貰ってるみたいだし、何時の間にか組の間で何かファンクラブみたいのできちゃってるし!」

「貰っているんですか、お小遣い」

「貰ってるんですイリヤちゃん!」

 そうではなくて藤村大河本人のことだったのだが。

 自分で気付きそうにもなさそうな彼女だったが、あえてそれを指摘しようと葛木宗一郎は思わなかった。

 思考に浮かぶのは彼女との会話の内容ではなく今朝からひたすらに繰り返される思索。どうすれば機械のようにではなく、マトモな人間として振舞えることが出来るのか――という疑念。そして表裏一体となって浮き上がる、何故に自分はマトモな人間になろうとしているのか――というもう一つの疑念。それらが互いに絡み合うように思考の中で螺旋を描いてゆく。

 解らない。

 不可解だ。

 どうしてこのようなことを考えるのだろう。

 自分はかつて人ではなく機械だった。

 今でも機械のような人間と呼ばれている。

 機械でいることに何の不自由も感じていなかった。今も感じていない。

「それで――」

「はい?」

「それで、その件の少女が藤村先生の弁当を勝手に持ち出したという話ですが?」

「ああそうそう、それでですねー……」

 だから意外だった。

 機械のように端的に会話を終わらせようとするのではなく、回り道をするように会話を続けようとしている自分の行為が。葛木宗一郎の鉄のような内心をを静かに驚かせる。

 まるで、そうすることで自分を人間に近づけているような。

 しかし、もしそうだとしたら、この世に馴染めぬ、そして馴染まぬまま生涯を終えるだけの機械だった自分は、何時から、何をきっかけに、そのようなことを考えるようになってしまったのだろう。

 機械として育てられた存在意義を終えた時?

 己の生を終えねばいけなかったのに、終えられなかったからなのか。

 それとも存在した瞬間から、内在していただけなのか?

 ただ自分が機械だから気付かなかっただけで。

 静かにじっくりと考え。葛木宗一郎は、そのどちらも正しい解答にはならないと冷静に結論付けた。

 葛木宗一郎自身を納得させる理屈があるとしたら、それは――

「でも葛木先生もお弁当作ってもらってますよねー。あの物凄い美人の奥さんに」

「ええ――まあ」

 ふとした何気ない大河の一言。

 それを聞き、ああ、と彼はなんとなしに悟る。

 先程まで解らなかったこと、不可解だったこと、その一端を少しだけ理解した。

 つまりは――キャスターと呼ばれるサーヴァント。彼女の存在があったからなのだろう。

 機械として成すべきことを終えた彼はただ死ぬだけだった、だが結果として彼は死ぬことが出来なかった。理由は解らない。きっと故障してしまったのだろう。

 自分の心音を意識したのは、丁度その頃からだっただろうか。だからといってあの頃の葛木宗一郎が人であったわけではない――役目を終え壊れるだけなのに、壊れることの出来なかった自分は――ただ死ねないだけの機械でしかない。

 それが。

 彼女と出逢って。

 契約を交わしたことで。

 葛木宗一郎は死ねないだけの機械ではなくなった。ただ賢いだけの機械ではなくなった。感情を捨てた機械ではなくなった。体温を無くした機械ではなくなった。

 キャスターという――メディアという女性と繋がりを得たことで、必要とされたのだ。人を殺すだけの機械ではない、ただ一人の存在として、葛木宗一郎という人間として。

 死ぬことの出来ない人間となり。少なからず賢さとは対極のものが内に生まれ。かつて欠片も残さずに捨てたはずの感情が静かに蘇り。身体には彼女から求められる温もりが宿るようになった。

 葛木宗一郎は、キャスターの存在があって初めて自分を機械ではなく人間と認識出来るようになったのだ。

 しかし、それは酷く歪んだ形の自己認識である。何せ真の意味で彼は自分で自分を人間と認識していない。人間と認識しているのはあくまでもキャスターであって、葛木宗一郎はその認識を借り受けているに過ぎないのだから。

 ……だから、なのだろうか。

 だから。

 摸索するのだろうか。

 マトモになろうとするのだろうか。

 機械である身を、何とか人間に近づけようとしているのか。

 

 だが葛木宗一郎は気付かない。

 

 機械は人間になろうなどと、マトモになろうなどとは考えないことに。それは既に人でなければ抱かぬ思いだということに。考え方そのものが機械として矛盾したものだということに。

 彼はまだ気付くことなく、どこか歯車の外れた思考を巡らせている。

 

 

■■

 

 

 そこまで思考が行き着いたからなのだろうか。葛木宗一郎は同僚が何気なく投げかけた言葉に肯定の返答と首肯で応じていた。自分でも驚いている。だがそれは無意識の判断ではなく、しっかりと意識してのことだった。

 席の近い同僚が数人で話し込んでおり、彼らは週末と給料日を迎えたこともあって近所の居酒屋に飲みにいこうという話で盛り上がっていた。葛木は会話に参加していない。しかし、不意に思いついたように彼らから問われた。「葛木センセもどーですか?」くいっと猪口を傾ける仕草。機械のように冷徹な彼はいつもは断っていた。勿論、向こうもそれを見越していたのだろう。葛木宗一郎が飲みに参加するなど端から思ってもいない。つまりは単なる社交辞令。特に意味の無い形だけの挨拶みたいなもの。しかし、今回はそれがきっかけとなった。機械から人間へ――少しでもマトモになって、この世に馴染んでみようかという、不可解なその思考と行動を噛み合せる契機に。酔いが抜けたような顔で面食らう同僚達を前にしながら、葛木宗一郎は胸中で「遅れると連絡を入れねば」などと考えていた。

 まるで機械のように落ち着いた様子で、淡々と。

 

 

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「宗一郎様、今頃は同僚の方と飲み会か……」

 虚空の夜に吸い込まれる声は、どこか自分に言い聞かせるようなキャスターのものだった。

 何やら怪しげな水晶やら魔術道具やら作りかけのフィギャーやらボトルシップやらが並んだ畳部屋。差し込む月明かりが薄ぼんやりと室内を映し出し、何だかとても――言葉を選べば幻想的で、直球放れば薄気味悪い光景である。

 そんな部屋の中身を覗かせながら、半分開いた襖の向こうに浮かぶ宵闇の空をキャスターは眺めている。眺めたからといってどうなるものではないし、帰宅が遅くなる夫の様子が解るわけでもない。

 しかし、それでも彼女は透き通った夜に思いを馳せずにはいられなかった。

「晩酌だったら私がして差し上げるというのに……」

「職場の付き合いというものもあるのだろう?」

「あら、いたの?」

 辛辣な言葉と視線に対し苦笑を一つ。陣羽織姿のサーヴァントは月を愛でるのに手ごろな位置の縁側に腰掛ける。

「いたとも。しかし、今朝も昼間も午後も夕方もそして今も口を開けば宗一郎殿のことばかりだな、我が主は。しかも毎日ときたものだ。傍目にしていてよく飽きぬと感心してしまうが……それにしても我が主にはそれしか無いのか?」

「――当たり前じゃない」

 

 

■■

 

 

「ええー、それでは本日の飲みは祝・葛木先生初参加ということで、かんっぱーい!」

「かんぷぁ―――い!」

 深山商店街の一角にある飲み屋の座敷を陣取りながら、葛木宗一郎を含む一同が、麦酒の注がれたジョッキを打ち鳴らす。

 葛木宗一郎はグラスの音に紛れる程度の控え目さで呟く。

「乾杯」

 

 

■■

 

 

 ほう、とアサシンは吐息を零す。

 予想していたよりもずっと引き締まった意思の込められた声だったからだ。

 続けようと思っていた皮肉を押し留め、月に視線を戻しながら彼女の続きの言葉を待つ。

「あの人がいなくなったら、私がこうして仮初の生を続ける意味が無くなってしまうもの。一応、言っておくけれど……サーヴァントとマスターという意味合いでの言葉じゃないわよ。そんな、冷たい意味なんかじゃないんだから……」

 一拍待って。

 沈黙で応じるのを確認した後、キャスターは言葉を繋ぐ。

「サーヴァントだけど、仮初の命で存在しているけれど、今更こんな幸せを手にしようだなんて都合が良すぎるって人生送ってきたけれど、それでも私は……本気で、本当に本当に本当に本気であの人に生きている意味を見出したの」

 だから。

 人でなくなった、魔女になった女は。

 謀り、裏切り、失い、人々の畏怖と非難を浴び、その身に拭い取れぬ程の泥を纏い――謀り続け、裏切り続け、失い続け、非難を浴び続け、穢れを纏い続けることとなった彼女は。

「だから私は――」

「私は?」

「あの人がいるから人間でいられるの」

 葛木宗一郎がいるから。

 人間としてずっと望んでいた、謀らず、裏切らず、失わず、非難を浴びず、穢れることのない普通の生き方を歩くことが出来る。続き続ける普通の日々の中にいることが出来る。例えソレが仮初の、すぐにでも沈んでしまう出来損ないの船のようなものだとしても。

 それは依存のようにも思えるが、確実にそれとは一線を引いて異なった考え方だ。人でいたいから男の存在に身を寄せるのではなく、男の存在が彼女の中にあるからこそ自分は人でいれるのだろう。

 アサシンは鼻先で笑いつつ口元を歪ませる。

「まるで惚気話のようだな」

「そうね――惚気てるわね」

 自嘲気味な笑顔で応じるキャスターを、アサシンは割と本気で心配した。前々からなるんじゃないかなるんじゃないかとは思っていたが、私のマスターはとうとう脳をやられてしまったようだ。

 喰えない食い物を口にしたような気分で夜天を仰ぐ視線を泳がせる。

 小高い柳洞寺から見える今日の景色は昨日までのものと何も変わらないものだが、今日の主君はどうやら昨日と同じ彼女ではないらしい。まあ、偶にはこんな日もあるか。

 さすがに毎日は御免こうむりたいが。

 

 

■■

 

 

「しっかし葛木先生いいんすかー? 美人の奥さんがお家にいるのに飲み会なんか参加しちゃってー?」

「……大丈夫です」

「……………」

「……………」

「……………」

 それっきりの短い返答に場が一瞬止まりかける。

「えー、も、もしかして葛木先生の奥さん見たことあるんですかー?」

「あ、ああ……いやこないだ忘れ物のお弁当届けるとこに偶然鉢合っちゃっいましてー。ねえ葛木先生?」

「そうでしたね……」

 再び会話が躓きかけるが、それに重なるように居酒屋のバイトが追加注文の酒瓶を持ってやってきた。はい、お待たせしましたーっ。空になったお皿もってきますねー。

 これで何度目かになる仕切り直し。かんぷわーいっ。

 

 

■■

 

 

 そうして夜空にぽっかり穴を開けていた月がいつしか見えなくなってしまった刻限、物思いに耽っていたキャスターはようやく重い腰を持ち上げて柳洞寺の長い石段を下っていった。下りきるまでに葛木宗一郎と鉢合うことは無かった。

 しばし右往左往する彼女だったが、意を決して商店街まで迎えに行くことにする。翼を展開すれば一瞬であるけれど、それでは葛木宗一郎とすれ違ってしまう可能性もあるので徒歩を選ぶ。

 同僚と飲み会を楽しんでいる夫を心配して迎えに出る妻。

 さすがにこれは良妻としての領分を超えてしまっている、と自覚する。

 しかしアサシンとあんな話をしてしまってはそれも仕方が無い。本当は自分の心の内側だけにとどめておくつもりだったが、阿呆な似非侍サーヴァントの皮肉に真面目に怒るのにもバカらしくなって、ついつい思い立ったように本音を口にしてしまった。それがキッカケになった。内側に押し込んでいたものが、どういう形であれ一度外へ出てしまい抑えが利かなくなり、キャスターの身体をそのまま突き動かしてゆく。

 暗い夜道を小走りで抜けて消灯を始めた商店街へ辿り着くと、さすがに週末だからかそれなりの喧騒があちこちのまだ明かりが灯っている店から聞こえてくる。

 葛木宗一郎はどうなのだろう。いつも柳洞寺で食事をするときは静かなものだったが、聞こえてくる喧騒のように飲み会では「普通の者」のように振舞ったりするのだろうか。

 ――いや、しかし驚きましたね。今日は葛木先生が参加して。

 突然進行方向から聞こえてきた声にキャスターは心臓を鷲掴みにされた。反射的に近場の電柱に身を隠す。三・四人の集団の中、その声の主は見知った顔。確かこの前、忘れ物の弁当を届けに学園へ立ち寄った時にいた顔だ。

「……………」

 ――そですねー、やー、さすがに今日ばかりはいつもと違う飲み会になりましたねー。

 ――ええまあ独特の雰囲気というか。

 ――酷い飲み会でしたよぅ。

 ――わっ。歯に衣着せませんね……まあ、確かに間違ってはいませんけれど。

 ――葛木先生が参加したまでは良かったんですけれどねー。まさか飲み会もあんな風にいつもの調子に無感動でいられるとは。

 ――にしても参加したんだったらぁ、飲み会の最中だって参加すべきですよぉ! 問題ありまくりですよっ。口を開いても二言三言ってぇ、会話せーりつしねーしっ。……飲み会に参加しよーって意思がねーんすわ、葛木先生はっ。

 ――困った人ではありますねー。

 ――機械みたいな人だとは前から思ってましたけれど……はぁー、まさかあんな飲み会になるとは。今更ですけれど、誘ったこと少し後悔してます。

 ――少しぃ?

 ――いえ実は結構。もー、あの人とはやってられませんわー。

「……………」

 葛木宗一郎の同僚達がキャスターが身を隠す電柱を通り過ぎてゆく。聞こえてきた会話を胸の中で何度も残響させている彼女は、まるで鋭利な刃で切りつけられたみたいな顔をしてその場に立ち竦む。

 

 

■■

 

 

 結論から言えば葛木宗一郎の試みは失敗に終わった。

 こういう場でどういう風に会話すれば相手に好感を持たれるのか、頭ではそれを理解していてもいざ実行の段階になると、思うように葛木の喉奥から声が出てくれない。

 どうすれば相手に合わせて会話することが出来るだろう、血の通わぬ機械ではなく、マトモな人間のように振舞うことが出来るのだろう。言葉を重ねる度にそう考え続けている。

 だが、思考すればするほど、葛木宗一郎は己が人間らしいコミュニケーションが取れないことに気付いていた。マトモに振舞おうと考えて、考え続けているのに、相手の望むマトモな返答が思い浮かばなくて、結局は押し黙るか淡白な一言しか出てくれない。何も出来なかった。葛木宗一郎は望まれる会話を何一つ交わすことが出来なかった。

 どれほど彼が人間らしく振舞おうとしても、全てが上手く噛み合わずに空振りしてしまう。

 葛木宗一郎という男は、あまりにも機械の側に寄りすぎて生き続けていた。普通の人間らしく振舞うことが出来なくなってしまうくらいに。

「宗一郎様、御肴はいかがなさいましょう?」

「漬物か……頂こう」

 柳洞寺に帰宅した葛木宗一郎は、縁側に腰掛けながらキャスターを横に晩酌を嗜んでいた。飲み会の一件があったからというわけではない。同僚達の失望したような苦々しい顔を前にしても、葛木宗一郎は胸の奥に苦しみを感じることも無く、息が詰まりそうになりこともなく、淡々と胸中で「やはりな」と納得を覚えただけだった。

 どこかで理解していたのだろう。

 自分のような機械に、マトモな人間として振舞おうなどという考えは、分不相応な試みでしかないと。

 悔やむ気持ちも浮かび上がらない。

 無機質で無感情な思考を抱きながら、葛木宗一郎はただ広げられた宵闇色の天幕を仰ぐ。視界に映る光景は月明かりも星明りもほとんどが失われたものだった。

 光が残っているのは縁側の葛木宗一郎とキャスターの影を刻ませる淡い部屋明かりだけだ。

「そ、宗一郎様……お、おつけもののお味はっ?」

「……悪くない」

「―――――」

 短すぎる一言。だが、たったそれだけでキャスターの顔が綻び、ガッツポーズと共に力み、葛木の視線に慌てて恥じらいの色に頬を染める。

「……………」

「……………」

 それ以外はほとんど黙りこくったままだというのに、それでもキャスターは不快を覚えることなく、むしろ満たされた表情を浮かべながら、その一時に身を寄せていた。

 その豊かな彼女の変化に不思議な感慨を得た。

 つい先刻、飲み会で一緒だった同僚達は自分の淡白な言葉に失望していたが、どうして彼女の場合はこうも異なった反応が生まれるのであろうか。

 解らない。

 だが不可解とは違う感覚だった。

 言葉にすれば「不思議に思う」といったところか。無機質で無感動な無理解ではなく、それはもっと穏やかで丸みのある感覚だ。

「キャスター」

「はい、宗一郎様」

 何時もと変わらぬ口調で淡々と聞く。

「私とこうしていて楽しいのか?」

「――――?」

 返答よりも先に面食らったキャスターの顔が飛び込んできた。当たり前だ。普段の葛木宗一郎を思い出せば、このような問い掛けを口にするなど想像も付かぬことなのだから。

 しばし、気まずさを伴った沈黙が訪れる。

 微かに聞こえていたはずの虫の音も何時の間にか聞こえなくなっていた。

 静寂に包まれながら、葛木宗一郎は胸中で首を傾げる。自分がどうしてこんな質問をしてしまったのか、まるっきり自分で理解することが出来ていなかったのだ。

 そして永遠にも思えた沈黙が、キャスターが口を開くことで終わる。

「……わ、私はっ、その……宗一郎様といられるこの時間は、ええと、非常に心地よく思っております」

「そうか」

「も、もしや……宗一郎様にはご迷惑なのでしょうか?」

「いや、そうではない。ただ……」

「ただ?」

 葛木宗一郎は相変わらずの無機質な声音でもって、

「私のような者といてもつまらぬのではないかと思ってな」

「そ、そのようなことはっ!」

 告げられた言葉にキャスターは声を上げて身を乗り出す。

 二人の間の距離が縮まったことで、相手の瞳の奥に宿る色合いが良く見える。表面上では真冬の湖のように静かなのに、その向こう側からは抵抗する間も無く飲み込まれてしまいそうな深みを覚える。

 葛木宗一郎の言葉を受けて、キャスターの胸に一つ去来するものがあった。

 それは、つい先刻に聞いてしまった葛木の同僚達の言葉だ。

 彼女はそのことを葛木宗一郎には伝えていない。伝えたところでどうなるというのか、おそらく彼は冷静にそれを受け止めるだけだろうし、そうでなかったとしても無理に傷つけるような真似をしたくはなかった。

「そうか……」

「はい。し、しかし……どうしてそのような問いを……?」

 気付いていたのだろう、自分自身で。

 飲み会を終えて、同僚達が自分にどういった感想を抱いたのかを。

「思うところがあったのでな」

「そうですか」

「……ああ」

 短いやりとりが終わる。

 それだけで会話が終わる。

 淡白に、淡々と、あっさり無味乾燥に――まるで機械と話しているみたいに、と他人は思い失望するかもしれない。実際、葛木の同僚達はそう思ったのだろう。

 だが、

「――私は」

「む?」

「私は宗一郎様と一緒にいて退屈することも、迷惑することもありません。貴方がいなければ、私はこうして存在してもいられなかったでしょう……けど、それが理由なんかじゃありません」

 葛木宗一郎は気付いているのだろうか、キャスターがどれだけ彼に感謝の念を抱いているのか。聖杯戦争という条件下ではあるが、サーヴァントとマスターという間柄ではあるが、普通の夫婦としての日々はすごく充実した毎日だった。聖杯を得ずとも、半ば願いは叶っている様なものだった。

 機械のような人間と彼を評するものも多い。

 だが、キャスターはそれを真っ向から否定する。否定できる。

 彼が機械ならば、失望されるべき人間だとするならば――自分がこうして一人の「人間」として存在できるのは、どう説明するというのだ。キャスターの幸せは他ならぬ葛木宗一郎という人間から得たものだというのに。

 確かに、葛木宗一郎は淡白で淡々としていて無感動な部分があるかもしれない。

 けど、胸が締め付けられるくらい素晴らしい部分だって彼にはある。人間らしい暖かさだって持ち合わせている。

「宗一郎様はつまらぬ人間などではございません。そう評する者がいたとしても、私はそうでないことに気付いていますし、理解していますから――」

 穏やかに微笑み、言葉を紡ぐ。

 

「貴方は決して冷たい機械などではありません。確かなぬくもりのある、人間です」

 

 

■■

 

 

 再び虫の音が聞こえてくると、不意に忘れていた眠気が押し寄せてきた。晩酌に酔ったのか、それともただ単に睡魔が鎌首をもたげただけなのか。どちらにせよ、縁側でこうして宵闇を眺めている時間に終わりが訪れたということだ。

 妻と肩を並べて縁側に立ち、踵を返しながら葛木宗一郎は思いを廻らせる。

 感情なんて捨ててしまった機械だった自分。機械になりきることも出来ず、ただ朽ちるだけのはずだった自分。一人の女性と契約し、機械から人間へと変わった自分。しかし、それでもマトモな人間になることが出来ない自分。

 機械のような人間なのか。

 人間のような機械なのか。

 周囲にいる他人は葛木宗一郎を機械と評し。

 隣にいる女性は葛木宗一郎を人間だと云う。

 果たして、自分は変わることが出来たのだろうか、それとも変わらぬままなのだろうか。

 解らない。

 結局、葛木宗一郎の抱いている疑念は解決されないままだった。

 彼が機械であることを止めた人間なのか、人間であることを止めてしまった機械なのか、その答えがこれから先に見つけることが出来るのかどうかも定かではない。

 だが――しかし。

 葛木宗一郎とキャスターが踵を返した縁側に、何か微かなものが残されていた。

 月明かりも無く、星明りも薄らぎ、部屋の明かりも消され、深い宵闇に飲み込まれてしまったそれは、目を凝らしても見つけることが難しい。

 夜の中に紛れたそれは、一滴の雫。

 晩酌の猪口から零れたものなのか、はたまた酒とは別種の雫なのか。機械も、人間も、サーヴァントも、そのことには気付くこと無く雫だけが一滴残されている。

 

 その一つの「解答」は、誰にも知られること無く存在の痕跡を乾かしてゆく。

 

 

■■

 

 

 ――涙が伝って頬を濡らすんだ。

 ――ロボットのような、冷たい僕の頬を。

 

 

■了■

 

 


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