NHKBSU いのちの記憶 小林多喜二

放送コンクール受賞作のドキュメンタリー番組、「いのちの記憶 小林多喜二 二十九年の人生」(北海道放送)を観た(NHKBSU 6/21 pm1;08〜)。国家権力によってた断ち切られた小林多喜二29年の人生とその時代を描いたドキュメントで、実にいい作品だった(テレビはニュース以外はほとんど見ないので、この民放ドキュメンタリー番組はまったく知らなかったが、ネットで検索したらDVDも発売されているという)。

三浦綾子原作の「母」の語りを縦糸としたこのドキュメンタリーの構成は、多喜二を取り巻く人間関係に焦点があてられていて、やや甘い多喜二像という感が伴ったが、弱者にはとことん優しかった多喜二の、強大な権力に立ち向かった強さを忘れてはならないし、権力が恐れたのは多喜二のリアリズムの力だった、という佐高信の言葉が強く印象に残った。

「いのちの記憶 小林多喜二」には、小樽の風景と多喜二の家族が、写真で繰り返し登場した。小樽は何度も訪れたし、多喜二の母を小樽郊外にお訪ねしたこともあって、懐かしかった。多喜二が愛した「タキ」の写真も登場したが、この写真の貼られたアルバムを繰りながら、当時のことを多喜二の母は訥々(とつとつ)と語ってくださったのだった。

多喜二の母が佐多稲子と写っている多喜二祭の写真も画面に現れた。これは確か、東京の豊島公会堂での「多喜二二十五年祭」のもので、この時も多喜二の母セキさん、姉のちまさんを控え室にお訪ねしたのだった。ちまさんとはその後も文通があって、母堂と連名の年賀はがきが手元に残っている。小樽郊外のちまさん宅で撮った写真やこのはがき、このままにして置いたらいずれはゴミの運命、それももったいない気がして、どこか適当な寄贈先はないか、考えているところ。

小樽の多喜二文学碑も繰り返し登場、志賀直哉と多喜二の交流、多喜二の死にさいしての志賀直の反応なども描かれた。これは拙著『読んで、行きたい 名作のふるさと』でも、力点を置いて記した箇所で、わが意を得た感がした。

2009/6/21NHKBSU「いのちの記憶 小林多喜二」の終了画面 ▲
小林多喜二の母堂セキさん(1957・4・30撮影) ▲
多喜二の母がアルバムを繰りながら見せてくださった「タキ」(左上)の写真 ▲
多喜二の母の居間に飾られた多喜二の肖像画 左は多喜二の父の写真か ▲
多喜二の母セキさん(左)と姉ちまさん(右) ▲
多喜二の母と姉連名の、昭和36年の年賀はがき ▲