斎藤茂吉 志賀直哉の墓――青山霊園
 国立新美術館の「モネ回顧展」を観た帰り、青山霊園に寄った。
 東京の霊園は谷中、雑司が谷、染井、多摩とだいたい詣でているが、青山霊園は近くは何度も通ったし、青山葬儀所の葬儀に参列したこともあるのだが、なぜかまだ中に入ったことがなかった。管理事務所で有名人墓碑の案内図を求めて歩きだしたが、墓碑探索はまったく草臥れる。ついに分からなかったものもあるが、それでも斎藤茂吉、志賀直哉の墓に詣でることができて満足した。
霊園中央通り 右手に斎藤茂吉の墓、志賀直哉の墓。前方左手に管理事務所
青山霊園 茂吉の墓と齋藤家の墓(右)
志賀家墓地はかなめ垣で囲まれ、鉄格子の扉が閉まっていた。ずらっと10基ほど墓が並んでいるが、正面右の墓碑には「志賀正斎之墓」、左にはその妻の「幾子墓」と刻まれている。直哉の墓は右端にある。
中央は「志賀家累世墓」、その右が直哉の墓。「志賀直哉之墓」の文字は東大寺海雲和尚の書という。
齋藤家墓地  左から「茂吉之墓」「齋藤家之墓」「墓誌」
茂吉之墓  墓石の裏側に「昭和二十八年二月二十五日没」と刻まれている。享年72歳だった。  
墓地中央の「齋藤家之墓」
墓誌  齋藤茂吉、齋藤てる子、齋藤茂太の順に没年が刻まれている。
宝泉寺山門  茂吉の墓は青山霊園の他に、郷里上山の宝泉寺と、大石田の乗船寺にある。
宝泉寺の「茂吉之墓」  この文字は生前茂吉自身の筆になるという。裏面には、これも生前宝泉寺の窿応和尚からもらったという戒名、「赤光院仁譽遊阿暁寂清居士」が刻まれている。
乗船寺  斎藤茂吉は敗戦直後の昭和21年から郷里上山からさらに北の大石田に身を寄せた。そのゆかりの寺に句碑があり、墓がある。
乗船寺の「斎藤茂吉之墓」  乗船寺にこの墓ができたのは、茂吉の弟子で大石田時代の茂吉を献身的に世話をした板垣家子夫などの熱意による。 
小林古径邸