幸田露伴・蝸牛庵跡――墨田区向島

 幸田露伴は『五重塔』を書いた明治二十四、五年当時、二十代前半、独身で、天王寺五重塔のよく見える借家(天王寺町二十一番地)に住んでいた。その後何度も居を変えたが、一番長く住んだのは向島の蝸牛庵(かぎゅうあん)だった。後に作家となった娘の幸田文(あや)はこの家で生まれた。蝸牛庵の建物は現在、犬山市の明治村に移築保存されているが、同じように移築・保存されている啄木の住んだ「本郷喜之床」、「小泉八雲避暑の家」はもちろん、「森鴎外・夏目漱石住宅」に比べても格段に構えは大きく立派だ。蝸牛庵跡地は今は露伴の名の付いた児童公園になって、文学碑が建っている。



小林古径邸
墨田区東向島一丁目の露伴児童遊園↑
←幸田露伴文学碑
 『運命』冒頭の一節が刻まれている
文学碑の傍には蝸牛(かたつもり)の遊具も↑
露伴説明碑

露伴は蝸牛庵で30年余を暮らしたが、庭で門弟相手に、剣道・弓道・相撲をした……などの説明がある↑
犬山市・明治村に移築・保存された露伴旧居蝸牛庵▲