中野重治記念文庫


丸岡町民図書館 丸岡町民図書館  1979年8月に胆嚢癌で世を去った中野重治の遺族は、個人の遺志に従って生家跡地と蔵書を丸岡町に寄贈された。丸岡町は1983年に、中野重治文庫記念丸岡町民図書館を開館、中野重治の蔵書1万3000冊を収めた。
中野重治記念文庫  図書館の設計は壷井栄の甥の戎居研造、丸岡城との調和を考えた和風の建築で、福井県文化振興事業団の「町なみ景観賞」を受けた。中庭には中野重治の好きだった梨の木などが植えられている。 中野重治記念文庫
中野重治記念碑 中野重治記念碑  中庭に建てられた記念碑には、友人の内田巖画伯の娘さん(児童文学者 内田茉莉子)が結婚する折りに贈った言葉、「蕾めるものは 花さかむ 花さきたらバ 實とならむ」が刻まれている。祝いの言葉には朱で「のし」と書き添えられていたが、その「のし」も碑面に大きく刻まれている。設計は館と同じ戎居研造氏。井筒には中野重治夫人原泉の解説が記されている。
中野重治像  中野重治記念文庫内に置かれたこのブロンズ像は、同郷で親交のあった彫刻家、高田博厚の作品。その風貌骨格はは北陸の農夫を表したもの、といわれている。背後の書棚には、中野重治自身で、一冊一冊にカバーをかけ書名を書き込んだ書物が収められている。中には書き込みも多く、それらを丹念に調査・整理・追求した研究が、「中野重治の会」で発表されたことがある。 中野重治像
中野重治の書斎・居間 中野重治の書斎・居間  東京世田谷の中野家の、書斎兼居間を模して作られたもの。3尺角の掘り炬燵は事務机ともなり、食卓ともなったという。
中野重治の遺品  中野重治記念文庫には、原稿や遺品類も保存・陳列されているが、中には、晩年いつも持ち歩いていたという定期入れなどもある。中のメモには、「私(中野重治)は耳と脳に欠陥あり、万一のときは…」と、いかにも中野重治らしい表現で、緊急連絡先と処置の依頼が記されていた。 中野重治の遺品
丸岡城遠望 丸岡城遠望  中野重治記念文庫からは丸岡城がよく見える。丸岡町は「一筆啓上」賞で町おこしに成功した?が、1991年からは、中野重治記念文学奨励賞「全国高校生詩のコンクール」も開設した。前年度第9回には7607編の応募があった、「刮目の文化運動といえるのではないか、じつに」と「梨の花通信」(2002・1)で小澤信男が書いている。
 今年は、中野重治生誕100年にあたる。記念行事もいろいろと予定されているようだ。

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