漱石忌


雑司が谷霊園 雑司が谷霊園  12月9日は夏目漱石の命日だ。以前も桜の季節に訪れたことがあるが、思い立ってこの日にお墓参りをした。この写真は霊園の中央通り。右手のビルは池袋のサンシャインビル。
夏目漱石の墓  堂々たる墓碑で、著名人の墓も多い雑司が谷霊園のなかでも一番立派な印象だ。文献院古道漱石居士と法名が刻まれている。並ぶ左の法名は鏡子夫人のもの。この日は漱石の祥月命日、線香の煙が上がり、供えられた花は新しかった。いつまでも佇み続ける異国の青年もいた。
 漱石が多くの弟子たちに囲まれて永眠したのは、大正5年12月9日夕刻だった。享年49歳。その年齢と、残したものの大きさを改めて思う。
漱石の墓
草平の墓 森田草平の墓  漱石の弟子の一人森田草平の墓が、漱石の墓と道を隔てた所にある。碑銘は「森田家の墓」。草平は平塚らいてうとの恋愛事件がスキャンダルとして騒がれたが、この事件に取材した『煤煙』で有名作家になった人。
中村是公の墓  雑司が谷霊園の管理事務所正面通りを、都電雑司が谷駅の方に向かって歩くと、左側にこの墓がある。中村是公は漱石の大学予備門時代からの友人で、漱石を「お前お前」と呼び捨てるのは是公さん以外になかったし、漱石が平気で金を無心できたのも是公さん以外にいなかった、と漱石の息子、伸六が書いている。 是公の墓
楠緒子の墓 大塚楠緒子の墓  漱石と同時代の「閨秀作家」大塚楠緒子(くすおこ)の墓も、是公の墓と道ひとつ隔てた所にある。35歳で亡くなった楠緒子への漱石の追悼句は、「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中」だった。漱石の恋人説もある。
ケーベルの墓  漱石も東大で美学の講義を受けたケーベルの墓も雑司が谷霊園にある。ラファエル・ケーベルはドイツ系ロシア人で、招かれて東大講師を務めた他、東京音楽学校でピアノを教えた。日本の近代文化の形成に寄与した人の墓として、東京都は昭和29年、この墓を「都旧跡」に指定した。漱石は「ケーベル先生」(全集第八巻)のなかで、「文科大学へ行って、此処で一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人迄は、……まづフォン・ケーベルと答へるだらう」と書いている。 ケーベルの墓

文学者点鬼簿 2001年


 東京新聞夕刊12月28日のコラム「大波小波」に、「点鬼簿 01」のタイトルで今年物故した文学者の名前が列挙されていた。
 本多秋五92歳、久保田章一郎92歳、、久保田正文88歳、杉浦民平87歳、秋元松代90歳、石川利光、林冨士馬87歳、沢木欣一82歳、三橋敏雄81歳、山田風太郎79歳、田久保英夫73歳、川島至、畑山博66歳、山田智彦65歳……。
 久保田正文はわが恩師、三橋敏雄は友人玉木金男さんに一度紹介されたことがある。その玉木さんも今年1月に亡くなった。

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