甲賀忍法帳/パチスロバジリスクをもっと楽しむ演出を深読みするとおもしろい 慶長十九年春、不戦の約定が解かれた。甲賀と伊賀、四百年の宿怨とは?

原作「甲賀忍法帳」の時代背景
 コミックやアニメの「バジリスク〜甲賀忍法帳〜」(「甲賀忍法帳」の原作は山田風太郎さま)では、「時は慶長十九年春・・・」で始まっています。大阪城攻めの前のことですが、徳川家はすでに天下を手にしていました。家康公には二代目を継ぐ息子秀忠がおり、三代目を決めるに当たり竹千代派と国千代派とがしのぎを削っていました。その勢力争いに決着をつけるべく甲賀と伊賀にそれぞれ十人の忍びを選び、命を懸けて忍法争いをさせようとしていました。忍者が死に絶えようと「さして痛くも痒くもなし」と、まことに残忍な命をうけて甲賀と伊賀の修羅が始まりました。
  甲賀卍谷(まんじだに)と伊賀鍔隠れ(つばがくれ)のそれぞれの一族は、服部半蔵殿に率いられる忍者同士はありましたが、源平の昔より数百年来、互いに憎悪を抱く不倶戴天の敵同士でもありました。服部殿の統制下、両家争闘の禁制(不戦の約定)が布かれていました。そんな中、甲賀組の首領甲賀弾正殿の孫弦之介さまと伊賀組の頭目お幻様の孫娘朧ちゃんは恋仲にあり、二人の祝言がすめば甲賀と伊賀の確執も解けるかと思われていました。 慶長十九年四月、両首領を駿府城に呼び出した徳川家康と服部半蔵殿(二代目)が甲賀・伊賀の忍びに戦慄すべき使命を与えました。

あらすじのあらすじ

  甲賀卍谷衆頭領の甲賀弾正殿と伊賀のお幻様は恋仲でしが、織田軍の伊賀進攻(天正九年)にともない引き裂かれてしまいました。そして慶長十九年のころ、同じように双方の孫である弦之介様と朧ちゃんは祝言を待ちわびていました。この祝言がすめば甲賀と伊賀には穏やかな時がくると思われていました。しかし、徳川の世継ぎ問題に巻き込まれ、修羅の地獄がやってきました。
 徳川家康から与えられた巻物にそれぞれ十人の忍びの名を記し、甲賀と伊賀へ持ち帰り忍法争いを始めよ! 最終的に残ったのは弦之介様と朧ちゃんでした。
読後感想文
 華やぐさくらの候、散っていったたくさんの命。恋があり、片想いがあり、嫉妬・憎悪・復讐など喜怒哀楽がありました。弦之介様は聖人かと思われるほどの平和主義者。朧ちゃんは無垢。「来世邂逅」で泣きました。
 バジリスク甲賀忍法帳(原作)を読み終え、またコミックも読み、DVDを観て、「忠臣蔵に近い」と思いました。権力者はなにをしても構わない。忠臣蔵ではまさに忠臣たちが殿の恨みを晴らしましたが、バジリスクではそれほど強い主張はありません。エンディングで朧ちゃんが自らの命を絶って弦之介様さまに真心を伝えました。弦之介様は例の巻き物に「甲賀の勝ち」を宣言せず、「これを記したのは伊賀の朧なり」とし、伊賀の勝となりました。
 強者や権力者に対して、言葉ではなく態度で示した抗議だったのではないでしょうか。
 Wikipedeiaによりますと、バジリスクとは、 「ヨーロッパの想像上の生物。名称はギリシア語で『小さな王』」を意味し、ヘビの王であり、見ただけで死をもたらす力を持っていると思われていました。姿はヤマカガシに似ており、頭部に冠状のトサカが隆起しているそうです。身体を半分持ち上げて、音を立てながら進むと言われ、この特徴から、インドに生息するコブラからこの生物を想像したのではないかと考えられています。リビアや中東にある砂漠地帯は、そこを住処とするバシリスクの力で砂漠となったと言い伝えられた、と書いてありました。
 作品のタイトル、バジリスクとは甲賀弦之介様のことでしょうか? 害意を抱く者を瞳術で倒すから・・・。それとも人間業とは思えない忍びである甲賀伊賀双方の忍者たちでしょうか?

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