第7回・2004年06月14日

この日は平日ながら学校が振替休日なので関ヶ原に行く事に。本当は彦根城に行きたかったが、夏にある方達を案内?しなければなくなったので、関ヶ原に行く事にした。現地では、もちろんレンタルサイクルである。

突然ですが笹尾山の一段目の竹矢来から見る関ヶ原です。中央の山が養老山。左の山が南宮山です。桃配山は画像の左の方にある木で隠れています。

蒲生郷舎陣跡。目立たなかったので、前回は全く気づきませんでした。しかし、一応言っておくと蒲生郷舎と横山喜内は同一人物ではないようだ。しかも、郷舎はこの戦いにも生き残って蒲生家に帰参している。実際は蒲生真令(頼郷)という者が通説の郷舎にあたる活躍をして戦死したらしい。

笹尾山。木で隠れてわかりませんが、竹矢来は登山路に結構あります。

頂上付近にある物見櫓

決戦地。石田勢奮戦の地。笹尾山から300mの距離。左の画像が決戦地と笹尾山(奥が伊吹山)。

決戦地から少し南の地点から島津義弘陣跡を遠望する。右が笹尾山。

南天満山(左)と北天満山(右)

開戦地。小西行長陣跡の近くにあります。北天満山の近くにあるだけあって、実際の開戦地より、かなり北に移されたそうです。

不破関。日本三関の一つ。福島正則陣跡を探す途中で遭遇しました。この付近で藤堂勢が大谷勢を破ったそうです。

福島正則陣跡。市街地の中に埋没していたので探すのに苦労しました。月見の名所らしく「月見の宮」とも呼ばれる。横にある大きな杉の木は樹齢800年余だそうで、関ヶ原当時もあったとのこと。その手前にある赤いチャリがレンタルサイクル。

脇坂安治陣跡

突然ですが、松尾山(西美濃最大級の山城。標高約300m)へ登りました。登山者は僕一人。片道30分くらいで着きました。松尾山から関ヶ原を望む。左の画像の中央が陣場野、一番左の木の右辺りが西軍陣地。右の画像には桃配山が見える。それにしても出来が悪い・・・・。

下山しました。画像は藤川です。

平塚為広の碑。この少し前、若宮八幡宮から迂回して大谷吉継の墓・陣跡に行こうとしましたが道に迷いました。が、道に幟が立っていたので、そこに入ってみるとここに辿り着きました。彼と戸田重政が病の吉継に代わり、大谷勢を指揮したといいます。平塚雷鳥は彼の子孫だそうです。

大谷吉継の墓(右)・湯浅五助の墓(左)。平塚為広の墓から来ました。敵の藤堂家が建てたそうです。ちなみに大坂の陣にて三人の息子たちはこぞって豊臣方に加わり、吉継の子・大学は天王寺、為広の子・左馬助は若江の戦いで戦死。五助の子・正寿だけが藤堂家家臣で生き延びています。

大谷吉継陣跡

周りに木が密生していたので何処に松尾山があるのか、わかりませんでした。ちなみに案内板がいまいち詳細でないので、もと来た所に戻るのに苦労しました。この時点で残りの気力・体力がしれてきました。

島津豊久の碑(墓)。鳥頭坂の脇にあります。既に大谷吉継の墓・陣跡を巡った時点で気力・体力・時間の上では帰還の潮時でしたが、一度行ってみたかった所なので強行しました。しんどかった〜。

その付近から鳥頭坂を北から南に望む。

チャリ4時間・山登り1時間でかなりの体力を消耗しました。午後3時過ぎに関ヶ原駅のホームのベンチの上で寝ていたのは僕です。今度は南宮山方面に行ってみようかと・・・。これにて今回の旅は終了です。

それではここまで読んで下さり、ありがとうございました。