片倉 重長(かたくら しげなが)
天正12年(1584)〜万治2年(1659) 通称(大坂の陣時点) 小十郎

[二代目小十郎]

人呼んで「鬼の小十郎」。片倉景綱の長男。幼名は左衛門。初名は重綱。父に劣らない器量の持ち主と伝えられる。重長誕生には一波乱あった。父・景綱は妻が重長を身籠った際、主君・伊達政宗に嫡男がない事を気遣い「誕生すれば殺す」と言っていたのだ。ただ、幸いにも当の政宗が景綱の決断を制止して、無事に誕生している。小早川秀秋に衆道の相手に追いかけ回された程の美男子であった逸話は有名。烏帽子親は伊達家随一の猛将・伊達成実。初陣は関ヶ原の戦いの白石城攻め。留守居の命令を反しての参陣であった。

[鬼の小十郎]

大坂の陣では病床の父の代理で1千の軍勢を率いて伊達家の先鋒を務める。後藤基次薄田兼相隊を撃破。両名を討ち取ったのは片倉勢だともいわれ、首約90(翌日は約60)と自身も敵4騎を討った重長の武名は天下に轟いた。徳川家康から感状を拝領したが景綱からは大将の身にありながら敵兵と闘った事を叱責された。元和元年(1615)父が没すると家督を相続。白石1万3千石(実収は10万石。後に1万7千石に加増)を領す。主家の政策である新田開発に成果を上げた。評定役を務め、藩の内外で重く用いられた。寛永3年(1626)正室が没すると、それまで匿っていた かつての敵将・真田信繁の娘・すへ(阿梅)を正室に迎え、嫡男・景長の養母とした。信繁の次男を召し抱え、家紋も真田家の六文銭を使うが、主君・政宗も認めていたという。万治2年(1659)死去。

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