年 譜

1910年
(明治43年)

12月28日茨城県行方郡玉造町関口徳蔵、なつの間に7人 兄弟の三男として生まれる。長男、次男とも早く亡くなり「茂」が長男になる。父親も早く亡くなり、母、姉に育てられる。関口家は、油の行商で財をなす。
 
1925年
(大正14年)
茨城県鉾田中学入学。玉造を離れ単身入寮する。関口は
「画家か書家になれ」と恩師に言われていた。
 
1928年
(昭和3年)
茨城県鉾田中学卒業。関口家に不幸がつづき「叔徳」と
改名する。「叔徳」とは、家を継いだ長女の娘である「姪」
を中心にみた「叔」と、父親から「徳」をとったもの。
学生時代、戦中好んで使っていた。
 
1929年
(昭和4年)
東京美術学校西洋画科入学。上京し、豊島区長崎本町に
住む。
 
1932年
(昭和7年)
豊島区高松にアトリエを持つ。昭和15年まで使用。  
1934年
(昭和9年)
東京美術学校西洋画科卒業。
(藤島武二教室)
 
1935年
(昭和10年)
1月20日現役兵として水戸歩兵第二連隊第11中隊に入営。
歩兵第二連隊幹部候補生、第2班に配属。連隊面会所お
よび酒保に鎌倉時代の武将を描いた油絵、筑波山、霞ヶ
浦の絵などを飾られる。画家ということで優遇をされていた。
 
1936年
(昭和11年)
4月、新図画協会に勤務。中学図画教育に従事する。  
1937年
(昭和12年)
4月14日動員大令。支那事変勃発。18日第14師団指令部
に応召。29日大阪港出帆。9月3日塘沽上陸。
 
1939年
(昭和14年)
9月、朝日新聞茨城版にスケッチを添えた従軍記「戦線
点描 1 〜 7 」を連載。(関口叔徳)12月7日復員令。
12月30日付けで除隊。「聖戦美術展」に水彩画出品、
うち2点は天覧される。
 
1940年
(昭和15年)
3月、新図画協会退職。
3月、茨城県立鉾田中学校教諭。
 
 午後の画室で鉾田同窓会報を手にし、中学生として不安な又夢多き日々と、戦地より帰り教師として過ごした日々とが、縦、横に織りなされ、そしてそれが又断片的に遥か遠い日の事として思い出させた。
 鉾田中学から美校(現芸大)油画科に進み、卒業後いくばくもなく現役入隊として応召、北支を転戦、病を得て長い養療生活をしながら母校で教鞭をとったが、入院手術のため東京に出て来た。そして数回の手術にもかかわらず病はいえずつらい毎日ではあるが、東京都立高校教員として又十一会創立以来の会員として、画一筋に今日に及んでいる。「画家にならう」と決意した鉾中時代より、戦地で第一戦にたった時ですら画筆は離さなかった、故郷玉造町も鉾田中以上に遠いものになってしまったが、約四十年振りでこんな便りを書いていると、故郷の自然やら行事などが暖かく豊かに懐かしく慰めてくれたり、又ある時は鋭く、冷たく私を鞭打ったりする。
 よかれ悪しかれ、本日の私にはやっぱり切り離しては考えられぬ鉾中である。     鉾田一高同窓会報 
 
潮光会展に出品。(茨城県図画研究会主催)  
1941年
(昭和16年)
7月30日臨時召集。疾病により即日帰阪。
入退院をくり返す。
 
1943年
(昭和18年)
3月23日茨城県立鉾田中学校を退職。
3月、東京市三囲国民学校訓導。(住所、土浦市川口町)
第8回大潮会特選受賞。「清掃作業」
熊岡絵画道場第7回夏季講習で入賞。
石見センと巡り会う。
 
1944年
(昭和19年)
第12回東光展 招待作品「校庭」
花などをモチーフにして色紙に描く。
(色紙水彩には雅号「尚楽」を名のる)
 
1945年
(昭和20年)
7月、東京都立玉泉中学校に赴任。
杉並区大宮前の市営住宅に住む。
 
1946年
(昭和21年)
3月、玉泉中は東京都立第十中学校に合併。  
1947年
(昭和22年)
第13回東光展 新会友、無鑑査。
「室内」「窓辺」「座像」を出品。
 
1948年
(昭和23年)
第14回東光展 新会員となる。
「アコーディオン」「母子」を出品。
石見セン入籍。長女「友江」誕生。
 
1949年
(昭和24年)
第15回東光展「母子像」「室内母子」を出品。  
1950年
(昭和25年)
第16回東光展「向日葵と母子」「黒いテーブル」
第6回日展「母と子」を出品。
長男、「貢」誕生。
1月 東京都立西高等学校と改称。
 
1951年
(昭和26年)
第17回東光展「家族」
第7回日展「涼味」を出品。
中野区沼袋に住居をかまえる。
 
1952年
(昭和27年)
第18回東光展「集い」
第8回日展「夏日」を出品。
 
1953年
(昭和28年)
第1回能勢洋画塾展出品
第19回東光展「母と子」「編み物」
第9回日展「閑談」を出品。
 
1954年
(昭和29年)
第20回東光展「トルソーのある静物」「婦人像」
第10回日展「夏衣三人」を出品。
 
1955年
(昭和30年)
第21回東光展「婦人像」「婦人座像」を出品。  
1956年
(昭和31年)
第22回東光展「婦人座像」「T氏像」
第12回日展「夏の朝」を出品。
 
1957年
(昭和32年)
東大付属病院にて人工肛門の手術。
これ以後、器具をつけて日常生活を過ごす事になる。
 
1958年
(昭和33年)
田近憲三氏呼びかけのもと十一会結成。
第1回十一会展(日本橋白木屋画廊)
第1回関口茂個展(日本橋丸善画廊)を開催。
 
1959年
(昭和34年)
十一会春季展(サエグサ画廊)
第2回十一会展(日本橋高島屋)を開催。
第2回関口茂個展(丸善画廊)
 
1960年
(昭和35年)
十一会春季展
第3回十一会展(日本橋高島屋)を開催。
 
1961年
(昭和36年)
十一会春季展(兜屋画廊)
第4回十一会展(日本橋高島屋)を開催。
 
1962年
(昭和37年)
第5回十一会展(日本橋高島屋)を開催。  
1963年
(昭和38年)
十一会春季展(兜屋画廊)
第6回十一会展(銀座西村画廊)を開催。
第3回関口茂個展
 
1964年
(昭和39年)
第7回十一会展(日本橋高島屋)
第4回関口茂個展(昭和画廊)を開催。
 
1965年
(昭和40年)
第8回十一会展(文藝春秋画廊)
第5回関口茂個展(昭和画廊)を開催。
 
1966年
(昭和41年)
第9回十一会展(日本橋高島屋)
第6回関口茂個展(昭和画廊)を開催。
 
1967年
(昭和42年)
第10回十一会展(日本橋高島屋)
第7回関口茂個展(昭和画廊)を開催。
 
1968年
(昭和43年)
第11回十一会展(日本橋三越)
第8回関口茂個展(新宿小田急美術画廊)
第1回「杉々の会」へ招待出品。(新宿小田急美術画廊)
十一会小品展(新宿アルカンシェル)を開催。
 
1969年
(昭和44年)
十一会春季展(京橋下村画廊)
第12回十一会展(日本橋高島屋)を開催。
 
1970年
(昭和45年)
第13回十一会展(京橋下村画廊)
第9回関口茂個展を開催。
 
1971年
(昭和46年)
第14回十一会展(銀座ヤマト画廊)を開催。  
1972年
(昭和47年)
3月、28年勤めた都立西高退職。  
画家の生活は孤独に耐えることと喝破するのが大変なことで一言でいえることではなく行動の一つ一つが孤独を押しのけてゆくことであろう。孤独に耐えつつ思索を深め進展する、孤独になれること孤独に負けぬことである。孤独に対面して乗り越えようとするが時には負ける。負けても次には乗り越えようとして制作の内に没頭する。没頭することも並大抵ではないが、無理にも没頭しなければいけない。そうしているうちに負けることはないようになるであろう。只今のところ一日一日がこのような状態で悪戦苦闘の生活ともいえるのであるが、その反面また一日一日がより大切に日を経るに従って加重してくる。飄々とした気持の転換をもつのはいつのことやら、天衣無縫、自由闊達などは程遠い現在いかにせんやであるが、それにしても制作に明け暮れねばならない毎日、今日である。退職しての今日は孤独の中にもゆとりのある完全な自己のあることは何よりも有り難い。明日へ向かって目標を持って突き進んでゆかなければならない。健康とともに明日への大きな可能性を持とう。勤め人が辞めると戸惑い時間を十分に活用することが出来ずに焦るか、持て余すか、うろうろしてしまうところがありはしないかと考えさせられ。   退職にあたり
 
第15回十一会展(銀座ヤマト画廊)
第10回関口茂個展(新宿小田急美術画廊)を開催。
 
1973年
(昭和48年)
第16回十一会展(銀座ヤマト画廊)を開催。
ヨーロッパ旅行。
 
1974年
(昭和49年)
第17回十一会展(銀座ヤマト画廊)
第11回関口茂個展(新宿小田急美術画廊)を開催。
第2回「推薦作家油絵5人展」招待作品(新宿小田急美術
サロン)
 
1975年
(昭和50年)
2月、第18回十一会展(資生堂ギャラリー)
11月、第19回十一会展(銀座ヤマトギャラリー)
第12回関口茂個展(新宿小田急美術画廊)を開催。
 
1976年
(昭和51年)
第20回十一会展(銀座ヤマト画廊)
第13回関口茂個展(新宿小田急美術画廊)を開催。
 
1977年
(昭和52年)
5月、第21回十一会展(資生堂ギャラリー)
10月、第22回十一会展(京橋下村画廊)を開催。
 
1978年
(昭和53年)
第23回十一会展(ギャラリー陽栄)を開催。
シルクロード旅行。
 
1979年
(昭和54年)
第24回十一会展(京橋下村画廊)
第14回関口茂個展「海と岩」(新宿小田急美術サロン)
を開催。
 
1980年
(昭和55年)
第25回十一会展(京橋下村画廊)
関口茂スケッチ展「シルクロードの旅」(新宿小田急美
術サロン)を開催。
 
1981年
(昭和56年)
第26回十一会展(京橋下村画廊)を開催。
7月、スイス、パリ旅行。
 
1982年
(昭和57年)
第27回十一会展(京橋下村画廊)を開催。  
1983年
(昭和58年)
第28回十一会展(京橋下村画廊)
第15回関口茂個展(京橋下村画廊)
「現代の新表現派展」(三越銀座ギャラリー)を開催。
6月、カナダ旅行。
 
1984年
(昭和59年)
第29回十一会展(京橋下村画廊)を開催。
7月、北欧旅行。
 
1985年
(昭和60年)
三十周年記念十一会展(有楽町朝日ギャラリー)を開催。
6月、アメリカ旅行。
 
1986年
(昭和61年)
第31回十一会展(有楽町朝日ギャラリー)
第16回関口茂個展(京橋下村画廊)を開催。
12月、オーストラリア、ニュージーランド旅行。
 
1987年
(昭和62年)
第32回十一会展(有楽町朝日ギャラリー)を開催。
4月、スペイン、ポルトガル旅行。
 
1988年
(昭和63年)
第33回十一会展(有楽町朝日ギャラリー)を開催。  
1989年
(昭和64年)
(平成元年)
第34回十一会展(有楽町朝日ギャラリー)を開催。
6月、オーストリア、ドイツ旅行。
12月、バリ旅行。
12月15日 田近憲三没 昭和天皇崩御、平成に改号
 
1990年
(平成2年)
第35回十一会展(有楽町朝日ギャラリー)を開催。
1月、バンコック・シンガポール旅行。
 
1991年
(平成3年)
第36回十一会展(有楽町朝日ギャラリー)
関口茂水彩画小品展を開催。
2月、インド旅行。
12月、ハワイ旅行。
 
1992年
(平成4年)
7月、東京医科歯科大学病院入院
下喉頭癌手術。
 
1993年
(平成5年)
4月10日 没(享年82歳)  

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